絆の法則

澤谷 鑛

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生きる意味

2013-04-28 | Weblog

生きる意味は人がなんとでもこじつける事が出来る。決める事も出来る。
しかし、真理として存在する理由を知る事は出来ない。
なぜなら森羅万象と繋がった真理をふまえて存在の理由を知る為には森羅万象の真理全てを知り、理解しなければならない。しかしそれを知る尽くすには森羅万象そのもの全てにならなければならない。限られた形を持っている限り存在全てを包括する事は出来ない。もしもそれが出来てしまうなら、完全な存在になってしまい、無と見分けがつかないほどの完全な物になる。その状態では個としての意識などなく、存在の理由は問う意味の無い物になる。

我々が存在する意味は解らない。生きる意味が解りようが無いのなら、有っても無くても同じ事。
このただ変化が続く世界で、一人間としての一生なんて一瞬の閃きのような物。生きる意味なんて有っても無くても同じ事。全ては変化していく、その一視点として生と死が有る。
ならば生きていても死んでいても同じ事。ただそうある事を受け入れるしかない。生きていようと死んでいようとそこに意味が無いのなら、ただ有る事を受け入れるしかない。だから生きる意味が分からないからと言ってその状態を変える必要は無い。生きる理由が解らないから死ねば、そこに死ぬ理由も無い。死んだ後に死んでいる理由も解らない。それならまた生きる事を始めるのか。理由が解らないというだけで現状を変えるなら、状態に関係なく永遠に自分を受け入れられないだけになってしまう。

生きている理由なんて解らない。解らないなら無いに等しい。
しかし、理由が無いからといって生きるのをやめる必要は無い。
今生きてるなら、それを受け入れて生きている状態を楽しめばいい。

生きる状態を受け入れて、人としての時間を与えられたなら、その時間を自分なりに一番いい物にすればいい。
どうせ生き方を選択するなら好きな生き方を選べばいい。
何が自分の好きな生き方なのかは、見える範囲の事を考慮しながら、自分自身の奥底で見つけるしか無い。

自分で選んだ好きな事だと思っても、自分を十分理解していなければそれが本当に望む事ではないかもしれない。
出来る限り自分を理解して、自由な選択の中で、意味など無い生を在るがままに受け入れながら、だからこそ妥協せず自分の道を選んで生きて行く。
意味も無く与えられた命だからこそ、肩に力を入れる必要はないし、逆に何か信念を持ったなら可能性やリスクを恐れて尻込みする必要は無い。ただ与えられ、それがただ在るから在る。だからからこそ、感謝と共に全身全霊で生きる。

結局
生きる理由は何かと言う問いが、自分自身を理解するという課題にそのまま変わる。
生きる理由は何なのかを考える時間が、自分自身を探求する時間に変わる。
止まって迷う時間が、先は見えないけれど真っすぐに進む時間になる。


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7 コメント

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ありがとうございます (NAO )
2013-04-28 18:19:17
今日も、研人さんの命の光が、世界を明るく美しく照らしてくれています。
ありがとうございます。

わたしも、命を燃やし続けて生きていきます。
生きる意味って (わたさと)
2013-04-28 19:41:08
私は何の為に生まれてきたのだろう、何をする為に生まれてきたのだろうって思っていました。
それを見つけるまでは、生きてる意味は無いとずっと思って生きてきました。

でも、生きる意味が分からないからと言ってその状態を変える必要は無いと言われると、あぁ。。。何か肩ひじを張るような気持ちがふっと楽になる感じがしました。

『今生きてるなら、それを受け入れて生きている状態を楽しめばいい。
生きる状態を受け入れて、人としての時間を与えられたなら、その時間を自分なりに一番いい物にすればいい。 どうせ生き方を選択するなら好きな生き方を選べばいい。何が自分の好きな生き方なのかは、見える範囲 の事を考慮しながら、自分自身の奥底で見つけるしか無い。』

心に響きました。

どうもありがとうございます。
納得 (もも)
2013-04-28 22:50:48
続けて、拝読できることに感謝致します。

「そぉかぁ~。なるほど・・・」と納得致しました。

ありがとうございました。
Unknown (エンジェル)
2013-04-29 11:36:39
結局、生きる意味って、自分の心というか、魂が、感じるところなのかなあと感じています。
なんの制限も条件も能力も関係なしだったら、なにをしたい?どんな人たちと、生きていきたい?と聞かれた時にさえ、正しい答えはなに?どういえば、恥ずかしくない?と考えてしまう自分がいる。
そんなことを考えること自体、恥ずかしいと拒否する自分がいる。
伊藤さんのおっしゃるとおり、生きる理由は何かという問いが、自分自身を理解する課題にそのまま変わり、生きる理由は何かを考える時間が、自分自身を探求する時間に変わるのだと思います。
瞬く間の人生なら、恥ずかしいやらへっちゃくれやら言う前に、とっとと考え行動せんかいと、頭ではわかっているのですが・・。
伊藤さんの、でかい考え方と、行動力はすばらしいです。
わたしは、行動できる人間になりたいです。
今日も、ありがとうございました。
Unknown (ラッキー)
2013-04-29 23:00:46
今の私に必要な言葉をありがとうございます。

感謝。<(_ _)> 

私の日記に転載させて頂いてもいいですか?
「理由がない」ということの、なんという大きさ。 (さくらみるく)
2013-05-01 08:57:57
生きることに理由なんかない。
その人が貴いということに理由なんかない。

その「理由などない」というところに
逆に大きく大きく開けてくる世界があるように感じます。

理由を付けたいと人は願ってしまいますが
理由を付けられるような限定されたことで、人生や人の価値が決めようとするのは
人生や人の尊さなど、理由一つ、論一つでなくなってしまうものとして扱うのに等しい。

「理由がない」ということの、なんという大きさでしょう。
魅了され、わしづかみに心を捕らえられる思いがします。

ありがとうございました。
有り難うございます (伊藤研人)
2013-05-01 08:58:52
転載どうも有り難うございます。
必要な方に読んでもらいたい、誰かがいい感覚を持つ一助になりたいという想いで書いているので、このような機会を戴き、感謝しています。

素敵な言葉を有り難うございます。自分には過ぎた言葉のようにも感じますが、まさに自分が研人という名前と向き合う時に感じる事を言って下さいました。

自分は何も知らず、未熟です。それは死ぬまで変わりません。ただ自分と周りとの幸せのために自分自身と将来は次の世代を研いでいく生き方をしたいと思っています。
お会い出来て嬉しいです。

ありがとうございました。

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