絆の法則

澤谷 鑛

因縁

2013-05-02 | Weblog

おはようございます。みずみずしくきよめられたまっさらさらの朝が訪れました。新しい朝です。希望の朝です。

本日は2012年12月18日のつぶやきから抜粋させていただきます。

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仏教でも信仰宗教でも因縁を説くところがあります。家に因縁があるということをいわれたというカウンセリングをしたことがあります。因縁も心のデトックスで消滅できるわけですが、家の因縁も家系のデトックスで消滅できるのでしょう。

何故消滅するのか? ないからですね。

因縁は意識の中にあるからです。家の因縁という場合もその人の意識が流動するところにあるからです。すなわち、業のことですね。因縁を超えるということは、業を超えるということであり、それは意識の奥の存在をあらわすことで、癒しを超えた本来の姿をあらわすことになり、救われるのでしょう。

思考の世界から思惟の世界への飛翔ということでしょうか。

例えば、病気というのも業のあらわれになります。その病気から救うことができなければ業が打破できないということになります。業を破砕し、因縁を超えるためには、心のデトックスが必要です。

それは、拙著『すべての「結果」は引き寄せられている~運命を決める「牽引の法則」~』(総合法令出版)に書いてあります。

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本日オフィシャルブログでは、わたくし竹本祐介の

「しあわせな人生の実現をサポートする事」

を掲載させて頂いてます。

どうぞご覧下さい。

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澤谷 鑛 ヒューマンライフセミナー in 東京開催決定!!

6/2中央区立産業会館

只今受付準備中です。暫くお待ち下さい。

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澤谷 鑛 のブログリニューアルのお知らせ

2013-05-01 | Weblog

澤谷 鑛オフィス事務局です。

この度、澤谷 鑛のブログ「絆の法則」は全面リニューアルいたします。

澤谷 鑛の過去の記事や朝のつぶやき等から事務局が抜粋して毎日更新します。

コメント欄は開放しますがコメントの返信は基本的にいたしません。

尚、FC2オフィシャルブログはいつも通り更新いたします。

http://kizunanohousoku.blog34.fc2.com/


さて本日に限り、澤谷先生の今朝のつぶやきを掲載させて頂きます。


『おはようございます。みずみずしくきよめられたまっさらさらの朝が訪れました。新しい朝です。希望の朝です。

今朝は、明るい太陽が東の山の端を照らして、眩しく輝いて中を起床しました。清らかで美しく輝くものは、人の心を浄化してくれます。それは芸術作品にも匹敵します。

人も清らかで輝く美しい姿は同じことが起こります。しかし、ケバケバしいのと美しいのは違います。ケバケバしいのは清浄感が失なわれます。却って墨絵のようなものに心魅かれることがあります。

人が生きる人生において、その人の動きは大変限られていても、ひとつの仕事に専念している姿は美しいものです。ひたすら一人の夫や妻を愛し続ける美しい姿に清浄を感じることもあります。

人はこの世で有名でなく無名であっていいのだが、世間で不満をいう人はケバケバしい衣装を美しく思い、正札までつけて着用しているようなもの、と聞いたことがあります。

今ある清浄に感謝したいものです。適当ものが適当にあらわれるのが「今」なのでしょう。』


本日のオフィシャルブログは澤谷 鑛「おくゆかしい」を掲載しています。

どうぞご覧下さい。

皆様今後ともよろしくお願い致します。

4月の「絆の法則」(gooブログ)の10,000位以内の順位

2013-05-01 | Weblog
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 gooブログでは、総合10,000位以内(アクセス人数とアクセス数)
に入ると知らせてくれます。4月のgooブログの「絆の法則」のデータを
表示します。                       (澤谷 鑛)
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4/ 1(月)次3,463位 乕澤美香 美人薄命の秘密(前編)
               3月の「絆の法則」(gooブログ)の順位
4/ 2(火)⑤3,217位 乕澤美香 美人薄命の秘密(後編)
               NAO 桜さん 今年もしあわせをくれて ありがとうね
4/ 3(水) 3,594位 秋さくら 浮遊の思い
4/ 4(木) 4,104位 秋さくら しあわせな人生を実現する方法
4/ 5(金) 4,403位 カモミール 内面の奥深くにある神聖さ
4/ 6(土) 3,905位 乕澤美香 夕暮れを完全に把握しました
4/ 7(日) 4,288位 岩崎クレア 感情でつなぐ会話とは?
4/ 8(月) 3,572位 悦月 今創る未来があとからやってくる
4/ 9(火)②2,940位 澤谷 鑛 見たいものを見る~浮遊の思いと人間の性~
               七田 厚 知覚動考
4/10(水) 3,872位 フロウライト 大きないのちの視点
               有貴 18回目の結婚記念日に贈られた気づき☆
4/11(木) 4,174位 はちみつ 『なんとな~く~、しあわせ~♪(*^0^*)』
4/12(金) 3,496位 黒部真理子 千代さんと祖父のこと(上)
4/13(土) 4,568位 黒部真理子 千代さんと祖父のこと(中)
4/14(日) 4,753位 黒部真理子 千代さんと祖父のこと(下)
4/15(月)⑨3,323位 さくらみるく もう一度、心を新たにして
4/16(火)①2,752位 澤谷 鑛 『いのちの教育の物語』出版の縁
               七田 厚 使命があって生かされた
               4月13日(土)ヒューマンライフセミナー延期で無料座談会開催 感想文

4/17(水)④3,129位 はちみつ 小さな恋のものがたり(第一回)
4/18(木)⑦3,283位 はちみつ 小さな恋のものがたり(第二回)
4/19(金)⑧3,300位 はちみつ 小さな恋のものがたり(第三回)
4/20(土) 3,708位 はちみつ 小さな恋のものがたり(第四回)
4/21(日) 3,583位 はちみつ 小さな恋のものがたり(最終回)
4/22(月)⑩3,351位 もも 震災を機会に大きなデトックス
4/23(火)③2,996位 澤谷 鑛 ご縁
               七田 厚 『「魂」の人生学』発刊
4/24(水)⑥3,219位 心屋仁之助 壊れた「想い」の発信機
4/25(木) 3,891位 黒部真理子 叶わぬ思い(前編)
4/26(金) 5,218位 黒部真理子 叶わぬ思い(後編)
4/27(土) 6,978位 伊藤研人 内面世界と外面世界
4/28(日) 6,807位 伊藤研人 生きる意味
4/29(祝) 5,911位 野口嘉則 人間力・人間性を高めるための読書法
4/30(火) 3,925位 澤谷 鑛 水は永遠に濁らない
               竹本祐介 養成講座6期生の集合講座を垣間見る

養成講座6期生の集合講座を垣間見る

2013-04-30 | Weblog
P1170189ブログ用
竹本祐介

こんにちは、澤谷鑛オフィス事務局の竹本です。
4/27、28と「しあわせな人生の実現をサポートする人材養成講座」6期生の集合講座「カウンセリング力の養成」が開催されました。
充実し濃密な二日間を終え地元のゆっくりとした日常に帰って来ました。時間の流れが、変わった感覚があります。それは忙しい仕事が終わった安堵感とはまた違うものです。
満たされ恵まれた日常に感謝の念が湧きおこります。

参加された方の感想を澤谷先生へのメールやFacebook等の書き込みから抜粋して紹介します。

Aさん・男性

澤谷先生。昨日、本日と有り難うございました。たくさんの学びを頂戴いたしました。膵臓癌の患者さん、御家族とも今しがたお話が終わりました。何とか、気持ちを明るく軽くして差し上げる事が出来た様に思います。今からが、スタートですが気負うことなくサポートしていきたいと思います。



Bさん・男性

本日は(もう日がまわってますので昨日ですね)本当にありがとうございました。皆様の体験談を聞きましてお一人お一人のお話が自分にもとてもリンクしているように感じました。このフレーズは過去の自分だったとか、この方がお話されていることは別れた妻の心の叫びだったのでは? とか、自分の父親や母親に重なる所があるなとか、シンクロを強く感じました。本当に不思議で楽しい2日間を過ごさせて頂きました。先生始め事務局のTさん、6期生の皆様には「御縁」を感じます。この「御縁」を大切に一年間しっかり学んで行きたいと思います。まずは先生、皆様にお礼まで。ありがとうございました。また次回も宜しくお願い致します。今日はお酒を飲まず寝たいと思います。(笑)



Cさん・女性

澤谷先生、6期生の皆々様、昨日・一昨日とありがとうございました。
初めての養成講座。笑いあり、涙あり、感動あり、の二日間。しあわせな時間を皆様と共有できたことにあらためて感謝いたします。
私も6期生の皆様に強く「ご縁」を感じました。他生の縁だなと、忘れている世をかすかに呼び戻せた感ありでした。不思議ですね。あっという間の京都の懇親会の夜でしたが、京都の冷酒にほろ酔い気分で、こんなにしあわせな気分って何年ぶりかしら? しばらく忘れていた、しあわせがこれからもきっと自分の心を占領していくであろうと思えました。また皆様と学び、心を耕し、分かちあえることを嬉しくおもいます。よろしくお願いいたします。
事務局のT様、お世話様でした。



Dさん・女性

澤谷鑛先生、養成講座生の皆様
4/27、4/28と貴重なお時間を共有してくださり、ありがとうございました。
昨日は帰りの新幹線の中で「急病人がいらっしゃいます。車内に医師か看護師の方がいらっしゃいましたらお集まりください」というアナウンスが、澤谷鑛先生のブログに、コメントを書こうとしていた時に流れました。
現場にむかい、「看護師です」と伝えると、目が虚ろで、ぐったりしている4才ぐらいの女の子と不安でいたたまれない様子のお母様がいらっしゃいました。
女の子の手を握り、脈をとりました。熱感はありましたが、脈は落ち着いていました。
医師はすでに到着しており、お母様からしっかり問診をとり「今は、意識があるから大丈夫であること。東京についてから病院にいけば大丈夫であること」をお母様にお伝えされていらっしゃいました。
「大丈夫だ」と思い、席に着くと、「皆様のご協力のお陰で、急病人の方は大丈夫でした。ありがとうございました。」という車内アナウンスが流れました。
さすが、澤谷鑛先生の養成講座。
家路につくまで、何が起きるのかわからない。
車内での素晴らしい出逢いも含め、本当にありがたい2日間でした。
心より感謝を込めて



Eさん・女性

昨日も有り難うございます。
素晴らしい2日間を過ごさせて頂きました。(’-’*)♪
美味しいご飯も食べ過ぎました(*≧∀≦*)
初めて会ったばかりの方達なのに、まるで家族のように心のうちを分かち合い、暖かな想いに包まれ、また命が輝きを増したように思えます。
馴染んでるよね。って言って頂いて、皆さんに交われた自分を誇りに思います。
色々御話や感情がリンクしていて様々な思いが頭を巡りました。
8月まで皆さんとメ-リングリストで関わらせて頂くのをたのしみにしています。
講座生の皆さんも有り難うございます



Fさん・男性

澤谷先生、6期生の皆様、事務局T様
こんにちはFです。

貴重な2日間、ご一緒できましたこと本当に
うれしく思います。大変勉強になった2日間でした。

はじめてお会いしたのに、ずっと昔から友人であったのでは、と
思うようなご縁があり不思議な感じでした。

皆様がお書きになっているように、私も皆様の体験談を聞きながら
「あ、これは妻の思いではなかったか」や「父母はそのように思ってくれていたのでは」や「子供たちはそのように思っているのでは」と皆様から教えていただいたように
感じます。

あっという間の2日間でしたが、しっかり内容をまた味わい、学びを深めたいと思います。
課題の感想文を楽しみながら書きたいと思います。
最後に事務局のT様、2日間運営を本当にありがとうございました。



フェイスブックに「蓮の花」とのタイトルで、このように書いた人もいます。

Gさん・女性

師匠の養成講座合宿が終わりました。

学んでも学んでも果てがなく
気付いても気付いても果てがなく

4年以上も学んで来ていながら
終わりがどこにあるのかすらも
全く見えずわからずに、
近付いたと思えば
ますます離れていく。

いつまで経っても「まだだ」と言われるたびに
また、新しい旅が始まるのだと、
あらたなみずみずしい思いが心に満ちるのです。

「まだ終わりではない」と、
誘うように風が吹いてくるのを感じるのです。

何一つ握らずに
全てを手のひらの上に乗せるように
全てをただ過ぎ去らせていくのだと、
今日の学びで、師は言われました。

今までは説明のためにそのように学んできただけで
そこは、決して終わりなどではない。

「デトックス」ということにも
「まっさらさら」ということにも
引っかかったら間違う。
つかんだと思った瞬間から間違うのだ、と。

ふと、一昨日からずっと黙想していたことが思われました。

真っ白な、満開の蓮の花が 池のみなもに浮かんでいる
美しい美しい画像に出会ったとき

なにも握らず、ただ無心に開いている
開ききっている姿を見て

わたしは、
その美しさに深く心を打たれました。

そして、強く心惹かれながら
その蓮の花に、なにが、どこがと
上手くは言えないのだけれど
「自分と違う」と感じました。

そして、「自分の在りようとは違う」と感じながら
でも同時に
「この花の方こそ、本当のわたしである」と
深く確信している自分が
自分の中にいることも感じたのです。

その蓮の印象は
あまりに深く、強く
わたしの心に焼き付いて離れることがなく

わたしは、それから考え始めたのでした。

この花と、わたしと
一体どこが違うのだろう…

ただ無心に命を咲かせているこの蓮の花と
わたしと違うのは、どこなのだろう…

なにか、ものすごく大事な学びが
そこにあるようで
ずっとずっと
その蓮を思ってわたしは
考え続けていたのでした。

「全てを握らずに…」
そうおっしゃりながら
両の空の手のひらを上に向けて語られた
師匠のその手のひらが

一昨日からずっとずっと
心に見つめ続けていた真っ白な蓮の花に
似ている、と感じました。

師匠は、あの蓮の花のように
生きておられるのだと感じました。

あの蓮の花と、わたしの
違うところは、どこなのだろう…
もう少し考えます。

真っ白な蓮の美しさに
心奪われ魅了されながら
感じてみようと思うのです。

今はただ嬉しい。
わたしの中に
あの真っ白な蓮の花がある。
わたしが、蓮の花そのものなのだとわかるから。

あなたの中にも、
蓮の花が咲いている。
あなたもまた、蓮の花なのです。

嬉しいですね。
嬉しいです。

ありがとうございます。
ありがとうございます。



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『いのちの教育の物語』発刊!

このたび創立25周年の歴史と全国450箇所の教室を抱える七田チャイルド
アカデミー特別顧問であり、創立35周年を迎える(株)しちだ・教育研究所の
代表取締役社長である七田 厚先生との共著
『いのちの教育の物語』(七田 厚・澤谷 鑛共著/南方新社/1,680円(税込))
を発刊(6/20予定)させていただく事になりました。

詳細はこちらをクリック!!

「出版記念講演会」を開催します。お誘い合わせの上、ご参加下さい。

京都 6月16日(日) 13:00~16:00 キャンパスプラザ京都 4F 第四講義室
名古屋6月29日(土) 13:00~16:00 ウインクあいち 9F 904号室
東京 7月21日(日) 13:00~16:00 TKP信濃町ビジネスセンター ホール2

 *京都・東京会場は、七田 厚先生と澤谷 鑛の講演があり、
  名古屋会場は、澤谷 鑛単独の講演会となります。

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澤谷 鑛 のカウンセリングは、コチラ…
澤谷 鑛 のセミナー/講演会情報は、コチラ…

水は永遠に濁らない

2013-04-30 | Weblog
澤谷 鑛

仏向上と仏向上心

 道元禅師は、人間の存在の本質を「仏向上(ぶっこうじょう)」といい、それを現実的に現すものとして「仏向上心」と『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』に著しました。
 完成されたものが完成されたままに拡大・向上を遂げる「仏向上」の世界を認識できる心を「仏向上心」というのですね。
 もっとシンプルに考えると、私たちの存在が主体であるならば、肉体は客観的な道具であり、心は主観的な道具といえるでしょう。
「仏向上」が本来の私たちであり、現実を創り出す道具として、肉体や心があるのですね。

母と子

 初めての子どもが生まれた時、人間はすごい力を持っている、と感じました。お乳を飲むことでした。誰が教えたわけでもないのに赤ちゃんはお乳を吸うのです。
 その時、卒琢同時(そったくどうじ)という言葉が思い浮かびました。卒とは、ひよこが卵の中で吮(す)う声のことで、啄とは、にわとりのお母さんが外から殻を噛むことだと辞書に書かれています。
 自分の嘴(くちばし)で卵の殻を楽に生まれるように突っつくのですが、確実に卵の中のひよこの嘴に当てるのだそうです。
 赤ちゃんにとって、お乳を飲むことは「しあわせ」であり、「進歩・向上」することであり、「自由」なことです。これは外から付け加えられたものではなく、元々赤ちゃんに内在していたということです。人間は赤ちゃんの時から、それらを持っているのですね。
 無心にお乳を飲む子どもを見ながら、おだやかにほほえんでいる家内が印象的でした。
 その子が成人し、結婚し、初めての子どもを生んだ時、子どもにお乳を与える姿に、家内がこの子と重なり、この子が赤ちゃんと重なりました。

心の正体

 心というのは、私たちの抱える現実と同じで不変ということはありません。心はコロコロと変わります。その心を何とかしようとしても、何ともならずコロコロと変わります。この心を安定させるためには、心を相手にしてもなんにもなりません。安定したと思ってもコロコロと変わるのですから、その心は、何時不安定になるかわかりません。
 おそらく、心を安定させるための努力は永遠に不安定の中で行われることで、安定させるためには、心がどちらを向いて何を感じるか、すなわち、心の志向性の目的にこそ、心を安定させるポイントがあるのではないでしょうか。

本来もたないものだからこそ

 私たちは、恨み・憎しみ・恐怖・不安・怒り・自分自身をとがめる思い、また罪の自責の思いなどが、何故起こるのでしょうか。それは、恨み・憎しみ・恐怖・不安・怒り・自分自身をとがめる思い、また罪の自責の思いなどは、私たちが本来持たないものだからなのです。持たないものだからこそ、その感じが起こるのです。というと、不思議な感じがするかも知れませんね。

手についた墨

 私たちの手に墨がつくと「手が汚れたから手を洗おう」とします。手に墨がついて手を洗いたいと思うのは、本来の私たちに戻りたいからです。墨は手(私たち)ではないからなのです。デトックスするものは、私たちの心の中にあるものですが、私たちではありません。本来、墨が私たちのものであるなら、洗いたいとは思わないでしょう。手を洗い墨が流れ落ちて手が綺麗になるのは、墨が私たちではなく別物だからです。
 しかし、墨は別ものなのだから、手には汚れはないのだから、洗う必要はない、という理論も成り立ちそうですが、本来汚れているのなら洗いたいとは思わないでしょう。手を洗い、墨が流れ落ちて手がきれいになるのは、それが本来の私たちだからです。だから、私たちは本来清浄であるからこそ、デトックスし浄める必要がある、とも言えるのです。

水は永遠に濁らない

 では、デトックスするものを持たない私たちという存在はどのように認識したらよいのでしょうか。ここに「水は永遠に濁らない」という論が出てくるのです。
 本来の私たちである手は、H2O(水)であり、墨(濁り)がついても、墨は私たちではなく、実は墨がついたままの手も、手は水であり、墨は濁りであるから、手は濁りなき水であり、墨の濁りとは別であるといえます。
 本来清浄(濁りなき水)であるがゆえに、濁りの自責の思いが起こる、ということが解れば、「永遠に濁らない水」という私たちの存在と「濁りの自責の思い」という私たちの心の問題とは、まったく別物であるということも分かります。


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人間力・人間性を高めるための読書法

2013-04-29 | Weblog

*「野口嘉則氏メールマガジンよりご本人の了解を得て転載」

僕が尊敬する人物の一人に吉田松陰がいます。

彼の松下村塾という私塾からは、幕末から明治維新にかけて時代の変革に貢献した重要人物が多数育っています。
その顔ぶれを挙げると、久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山県有朋、入江九一、前原一誠、品川弥二郎、山田顕義、吉田稔麿……など。
一つの私塾から時代の変革のキーパーソンとなった人財がこんなに多く輩出されたという事実に驚かされます。
しかも、松陰が開塾したのは27歳のときで、教えた期間はわずか2年あまりです。

長州(山口県)の萩という小さな城下町で、八畳の講義室と十畳半の控室だけの小さな建物を使って20代後半の若者が2年あまりの期間、開いた私塾。
それが松陰の松下村塾です。

その松下村塾から日本を変える原動力になった人財がたくさん育ったわけですが、その人財育成の秘訣は何だったのでしょう?

松下村塾において、松陰は次の3つのことを三端と呼び、その大切さを繰り返し塾生に説きました。

1.立志 (志を立てること)
2.択友 (付き合う友を選ぶこと)
3.読書 (本を読むこと)

以上の3つのことこそ、松陰が最も重視したことであり、ここに、松陰の人財育成における指針を見ることができます。

今回のメールマガジンでは、3番目の読書について考えてみたいと思います。

ドイツの学者オストワルトは、「偉人や成功者たちに共通していることは何か」を調べて、2つの共通項を見つけました。
1つはものごとを前向きに考えるということ。
そしてもう1つが読書家であるということでした。

また、300冊以上の著書を書かれた竹内均さんは、著書『自分を生かす選択』の中で、次のように述べておられます。

「読書によって、人は古今東西の知的財産を知ることができる。また、本にはさまざまな人生が秘められている。だから、素晴らしい本と出合うことは、さまざまな人間と出会うことに等しい。ときには、百年の知己を得ることと同じ効果がある。そして、ときには、本との出会いは、新しい人生を開いてくれることもある。」

他にも読書の意義や効用を語る言葉は、枚挙にいとまがありません。

さて、読書にもいろいろあると思うのですが、今回、考えてみたいのは、知識や情報を得るための読書ではなく、
「人間性を磨くための読書」
「人間力を高めるための読書」
についてです。

吉田松陰もそうですが、日本陽明学の祖といわれる中江藤樹も、幕末の志士たちに大きな影響を与えた佐藤一斎も、そして勝海舟も西郷隆盛も、読書を通して自らの思想を練り、自らの人間性を磨きました。

読書を通して人間性を磨くためには、人間性を磨くのに適した本を選ぶ必要もありますが、本を読むときの僕たちの心がまえも大切だと思うのです。

本を読むときの心がまえについて考える上で、次の亀井勝一郎氏の言葉がとても参考になると思います。ぜひ、味わってみてください。

「読書とは、著者の魂との邂逅(かいこう)である」
(「邂逅」=「めぐりあい、出会い」)


本質を突いていますね。
まさに読書とは、
「著者の魂 と 読書の魂 が出会い、対峙し、対話する行為」
だと、僕は思います。

そして大切なことは、そのような心がまえで読書をすることだと思うんです。

なお、拙著『心眼力』の中の「人間性を高める読書法」という節もご参考になると思います。

サンマーク出版さんがPDFファイルにして
インターネットにアップして下さっているので、
以下、リンク先をご紹介します。

人間性を高める読書法 (PDF形式 149KB)

以上、今回は読書について考えました。

心が動かされるような良書と出会うことは、人生の大きな喜びであるだけでなく、僕たちの人間的成長を大きく促してくれます。おたがい、自分の人生に恩恵をもたらしてくれるような素敵な本をたくさん見つけていきたいですね。


野口嘉則氏のブログは、こちらからどうぞ

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生きる意味

2013-04-28 | Weblog

生きる意味は人がなんとでもこじつける事が出来る。決める事も出来る。
しかし、真理として存在する理由を知る事は出来ない。
なぜなら森羅万象と繋がった真理をふまえて存在の理由を知る為には森羅万象の真理全てを知り、理解しなければならない。しかしそれを知る尽くすには森羅万象そのもの全てにならなければならない。限られた形を持っている限り存在全てを包括する事は出来ない。もしもそれが出来てしまうなら、完全な存在になってしまい、無と見分けがつかないほどの完全な物になる。その状態では個としての意識などなく、存在の理由は問う意味の無い物になる。

我々が存在する意味は解らない。生きる意味が解りようが無いのなら、有っても無くても同じ事。
このただ変化が続く世界で、一人間としての一生なんて一瞬の閃きのような物。生きる意味なんて有っても無くても同じ事。全ては変化していく、その一視点として生と死が有る。
ならば生きていても死んでいても同じ事。ただそうある事を受け入れるしかない。生きていようと死んでいようとそこに意味が無いのなら、ただ有る事を受け入れるしかない。だから生きる意味が分からないからと言ってその状態を変える必要は無い。生きる理由が解らないから死ねば、そこに死ぬ理由も無い。死んだ後に死んでいる理由も解らない。それならまた生きる事を始めるのか。理由が解らないというだけで現状を変えるなら、状態に関係なく永遠に自分を受け入れられないだけになってしまう。

生きている理由なんて解らない。解らないなら無いに等しい。
しかし、理由が無いからといって生きるのをやめる必要は無い。
今生きてるなら、それを受け入れて生きている状態を楽しめばいい。

生きる状態を受け入れて、人としての時間を与えられたなら、その時間を自分なりに一番いい物にすればいい。
どうせ生き方を選択するなら好きな生き方を選べばいい。
何が自分の好きな生き方なのかは、見える範囲の事を考慮しながら、自分自身の奥底で見つけるしか無い。

自分で選んだ好きな事だと思っても、自分を十分理解していなければそれが本当に望む事ではないかもしれない。
出来る限り自分を理解して、自由な選択の中で、意味など無い生を在るがままに受け入れながら、だからこそ妥協せず自分の道を選んで生きて行く。
意味も無く与えられた命だからこそ、肩に力を入れる必要はないし、逆に何か信念を持ったなら可能性やリスクを恐れて尻込みする必要は無い。ただ与えられ、それがただ在るから在る。だからからこそ、感謝と共に全身全霊で生きる。

結局
生きる理由は何かと言う問いが、自分自身を理解するという課題にそのまま変わる。
生きる理由は何なのかを考える時間が、自分自身を探求する時間に変わる。
止まって迷う時間が、先は見えないけれど真っすぐに進む時間になる。


【世界放浪徒然草】伊藤研人公式ウェブサイト

伊藤研人さんのFacebookページ「世界放浪徒然草」はコチラ

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内面世界と外面世界

2013-04-27 | Weblog

我々は生きている間、真の自分自身を知る事が必要とされている。
生きると決めたなら、自分の求める生き方をしなければならないからだ。
そして、自分の真に求める生き方を知るには、真の自分を知らなければならない。

真の自分を知るには内面を探求しなければならない。
しかし、内面世界だけを探求してもなかなか先には進まない。
なぜなら自分を理解すればするほど、同時に外の世界の事や、他の人々の事が見えてくるからだ。
内面世界を探求するほどより多くの存在との関わりを感じ、そして世界全てと自分自身に境が無いという感覚になってくる。そうなると、他人の幸せは自分の幸せ、他人の不幸は自分の不幸になる。そうなれば、外面世界を知り、外面世界で自分がどのようにいい影響を与えられるかという事も重要になる。自然と周りの幸せと自分の幸せに境が無くなった形で、生きている内にどんな生き方をしたいのかが徐々に見えてくる。

しかし、時に人は真の自分自身や真に自分のしたい事を誤解してしまう。
人からの強い影響、トラウマ、思い込み、恐怖、欲望、執着などによって全体性の中の自分自身と他の存在を包括した利益、そして同時にある過去、現在、未来を見た上での自分の望みが見えなくなってしまう。
それらを知らない事によって最終的に自分の望まない結果になる事を、自分の望みだと勘違いして思い込んだまま実行してしまう。そのせいで目先の事だけを考えて人に危害を加えて金品を奪ってしまう人などが現れる。仮にそれで目的通り金銭的に豊かになったとしても、深く自分自身を理解したなら、そんな事をするのは誰も望まない。

真の自分自身を見えなくする物、人からの強い影響、トラウマ、思い込み、恐怖、欲望、執着などは知らない事から生まれる。
だからこそ、自分自身の内面をしっかりと知り、同時に外の世界を知らなければならない。

この内面世界を知る事と、外面世界を知る事は、それぞれ鏡のような関係に例える事が出来る。
またはこんな例えをすることも出来る。
砂で出来た大地に穴を掘らなければならないとする。深く深く掘らなければならない。深く掘るには広い範囲を掘って周りから砂が入らないように掘らなければならない。一カ所だけ掘っても周りから砂が入って来て結局穴は周りに広がっていく。
その穴の深さが自分の内面世界への理解の深さで、表面の穴の直径が外面世界への理解の広さ。
それぞれが相関関係にあって深く掘ろうとすれば必ず幅も広がらざるを得ない。しかし、表面だけを広げても深さは得られない。ただ知識を得ても真の自分の求める物は解らない。自分の内面を追求すれば自然と外面世界の事を学ぶ事になる。

内面世界と外面世界。
その関係性。全てを知る事は出来ないが、在るがままに受け入れながら真摯に可能な限り学び続ける事が重要だ。
そうして限りある命を生きて行きたい。


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叶わぬ思い(後編)

2013-04-26 | Weblog
黒部 真理子

叶わぬ思い(前編)記事の続きになります≫

彼女は幸せになるはずでした。
父の愛をなんとか取り戻したくて、母は少し家を離れました。
子供を置いて出てきてしまったけど、夫がこれでちゃんと自分のことを認めて愛してくれると期待していました。
これから子育てをしてゆくには、夫にしっかりしてもらわなくてはなりませんでしたし、母は父にお灸をすえたつもりでした。
そんな母の思いとは裏腹に、母の家出は父が母を愛していなかったことを証明してしまいました。
父は母を少しは引き止めようとはしたらしいのですが、追いかける気はなかったようでした。

本当に必要なのは「ひろ子ちゃん」であって、母ではなかったからです。
母は「勝手に出て行ったお前が悪い」と父や祖母から思われてしまい、一方的に不利な立場となってしまいました。
そうして母は、子供と会うこともできないまま、結婚生活をまるごと失い、田舎で人生をやり直すしかありませんでした。

私は祖母から母のことを「外に男を作って出て行った、とんでもない女。」と聞かされて育ちました。
母の味方は誰もいなかったので、母はすっかり悪人に仕立てられていました。

***

母には男なんていなかった。
むしろ、その結婚生活を維持したくてそうしたのだ。
自分と言う存在が認められ、愛され、必要とされていることを感じたかったのだ。

***

父は祖母からの後押しもあり、母を悪者にして追い出すことによって、自分が悪者にならずに済みました。
母とどうにかして連絡を取ろうとか、子供が元気だと言うことだけでも知らせようとか、追いかけて行って話し合おうとか、そういったこともしませんでした。
母に対して、そこまでする「愛」がなかったのです。

しかし、なんだかわからず結婚生活を台無しにされてしまった母に対して罪悪感だけは感じていたようです。
やがて父はすべてを失った母の思いを経験してゆくことになりました。

***

私の出会った多くの男性たちは父と一緒でした。

仕事の面接で時間をかけて条件の摺合せをして、いざ働き始めたら上司や先輩方から違う条件や個性を求められてしまうことが何度もあり「それは私ではなく、別の人なのでは?」と思ったことが何度もありました。

ある会社で社員の男性とペアを組んで働かせていただいていたことがありましたが、そこではそのペアを組んでいる男性社員から突然「お前なんか嫌いなんだよ!」と仕事中に言われてしまいました。
あまりにもびっくりしたので詳細は覚えていませんが、その男性社員は私のことをもっと違う感じの人なのかと期待していたようでした。
その職場からはさんざん引き止められましたが、雇用契約を更新することなく退職しました。

遠い地域から東京に出てきた男性の友人から都内の案内を頼まれた時も、私がもっと違う容姿と違う性格であって欲しいということを言われてしまいました。
「それなら、別の人を誘えばいいのに。」

自分を裏切った元婚約者が、他の人との結婚を決めていながらも、なんとなく私を引き留めようとしてきたので「彼が本当に求めているのは私ではない。」と感じて断ったこと。

結婚してすぐ、夫が別の女性のことを思い出していたこと。
「ああ、また、私じゃない…。」
その後も、夫からは常に別人を求められている気がすること。
だから、夫との距離がうまらないこと…。

ああ、嫌な思い出の数々。

「私でない別人を求められている。」と感じたことが、ざっと思い出しただけでもこんなにありました。
しかも、私が大切だと思っている人ほどそれが強く出てしまっているような気もします。

***

母もこんな思いをしたのだ…。
母は父のことを大切に思っていたが、自分は大切にされていなかった。

***

自分の個性を根こそぎ否定され、別人であることを求められ、愛されるべき立場にあるのに愛されていないという辛さを私はあらためて思い出しました。

私は年齢を重ねるごとに自分を見失ってゆき、自分の人生は何なのか、これでいいのかと苦しい思いを感じるようになってゆきました。

それは、私と言う存在が否定され続け、別人であることをいつも求められてきたからだったのだとわかりました。


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叶わぬ思い(前編)

2013-04-25 | Weblog
黒部 真理子

2013年3月20日、春分の日。
朝起きてしばらくして、なんとなく心の中に引っかかっていたものが気になりました。
何か不可解なものがそこにあります。

「誰かが何かを隠している。」

そんな気がしました。

***

2013年3月27日。
朝、自分の内面から聞こえる罵声で目が覚めました。
メモしてなかったのでよく覚えてはいませんが「畜生」とか「バカ野郎」とか、そういった類の言葉が沢山、朦朧とした意識の中で響き渡っていました。
自分の中に、知らなければいけない何かがあることを感じました。

朝、シャワーを浴びていたら、不倫の末に略奪結婚をしたT氏にお子さんができたという話が思い浮かんできました。
一瞬ドキッとしたような感じがし、なぜかショックなような、なんだかとても嫌な気持ちになりました。

そして、「私たちには子供が産まれたばかりなのに。」という声が聞こえたような気がしました。

幸せなはずなのに幸せになれない、そんな理不尽な現実に直面したときの感覚がするのでした。

***

私たちには、子供が産まれたのに。
子供が産まれたばかりなのに。

子供なんて嫌だ。
子供なんて産まなきゃよかった。
別の道を歩めばよかった。
子供を産んだからこんな大変なことになってしまった。

××(聞き取れない部分)××だったら、良かったのに。

***

母には一体何があったのだろうと思いました。

2013年3月28日。
なんだ、これもまた母の気持ちの追体験だったんじゃないか!

夜、歯を磨いている時にそんなことに気付きました。

***

頭に浮かぶパリの風景。
パリの開放的な空気。
石畳、何を言っているのかわからないフランス語、鳥の声。

彼はほかに好きな人ができて、私との約束を忘れてしまった。
私たちは結婚するはずだった。
色々なことを話しあって、互いの家族にも紹介し合った。

結婚するはずだったのに。
幸せな日々を一緒に過ごすはずだったのに。

彼は私に「君も他に好きな人ができたんだろう」などと根拠のないことを言ってきた。
私は、そんなことはなかった。
彼はただ自分が悪いことをしたと認めたくなかったのだ。
こんな幼稚な男と一緒にならなくて良かったんだと、私は無理やり自分に言い聞かせた。
でも、どうにも辛かった。

***

母は父としっかりと家庭を築き、子育てをしてゆく覚悟をしていました。
でも、我慢できないことがありました。

父には思いを寄せている別の女性がいるようでした。
(仮にその女性のことを「ひろ子ちゃん」とします。)
幼馴染みか近所のお嬢さんなのでしょうか。

父は何も知らない母に「ひろ子ちゃん」を求め続けました。
母は「ひろ子ちゃん」になりきることができませんでした。

「ひろ子ちゃん」の面影を求めて、父は母のことを愛そうとしていました。
しかし、母と「ひろ子ちゃん」は別人でした。
結局、父は母に「ひろ子ちゃん」を見出すことができず、愛することができなかったのです。
もちろん、結婚する時には、互いに愛し合っていました。
でも、父のその「愛」は長続きしませんでした。

父のその「愛」のはかなさは、私の元婚約者の愛情と似ています。

やがて違和感を感じて、たまりかねて家を出る母。

私たちには、子供が産まれたのに。
子供が産まれたばかりなのに。

≪叶わぬ思い(後編)へ続きます≫


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壊れた「想い」の発信機

2013-04-24 | Weblog

ひとは、心が拗ねて歪んでいるときは、人の話を歪んで受け取ります。
ひとは、「あのひとは絶対私のことバカにしている」と「思っている」ときは、そのひとのどの行動を見てもバカにしているように見えてきます。
「あのひとは、絶対私のこと怒ってるんだわ」と「思って」いると、楽しく話しかけてきても「カモフラージュだわ」と受け取ります。

これが、壊れた翻訳機、別名「すね」です。

で、最近気づいたことは、これは「受け止る」「聴く」ときだけでなく、「発信」するときにもどうやら誤変換を起こしているのではないかと言うことでした。

すねた性格をリフォームする心理カウンセラー心屋です。

どういうことかと言いますと……最近のコメント話の中で(こればっかでごめん(笑)なんでわざわざ、
  • キライ とか
  • バカ とか
  • 絶対セミナー行かない とか
  • カウンセラー失格 とか
黙って去っていけばいいのに、なんで「わざわざ」言いに来るのかな、と不思議でした。
なんで、じっと嫌いな僕のブログを読んでいるのか……
ところが、やっと気づいたのです。僕はとっても単純なことを見落としていた。今から思えば恥ずかしいぐらいに当たり前のことなのに……。

それが「壊れた発信機」です。

この発信機、少々歪んでいるので、ときにま逆の音声(ことば)を発信するようです。
一番わかりやすいのが、小学生の男の子が好きな女の子に、

ブス! とか
バカ! とか
スカートめくる、とか

そういう「心と逆のことをする」というやつですわ。
素直な人がそのまま受け取ると、とってもイヤな思いをしますよね。だれだって、そんなこと言われたらイヤな思いがする。
でも、その真意を汲み取ってみれば、ま逆だということがよくわかります。
わかってても、その「言葉」自体にもエネルギーがあるので気持ちはよくないですが。

でも、そのことを思ってから、な~~~んだ、と。ていうか、ちゃんと言えよ―――( ̄▽ ̄)と思いました。
ちょっと、発信機にスネバグが入っていたようなので駆除してみたら、こんな風に変わりました。

正しく聞こえてますか?

本音 優しくして欲しい
発信 なんで優しくしてくれないの!

本音 こっち向いて欲しい
発信 なんでこんなこともわからないの?

本音 大好き
発信 大嫌い

本音 もっと夢を見させてよ、助けてよ
発信 あなたはカウンセラーに向いてないわね

本音 離れたくないから好きでいさせて
発信 そんなことしてるからみんな離れていくのよ

本音 大好きなのに
発信 絶対セミナーいかない

本音 悲しい
発信 ばかじゃないの

本音 こわい
発信 まじになっちゃって

本音 くやしい
発信 別に…… ハハハ

本音 こわい
発信 それは人としてどうかと思う

本音 迎えに来て欲しい
発信 行きたくない

本音 一緒に分かち合いたいの
発信 なんでわかんないの

・・・・・ そんな暴投の変化球投げてきたら、わしゃ捕れんわ・・・( ̄▽ ̄)
打ち返すしかないじゃろが、こんなちっちゃな器の男なのだから。

この スネバグ の正体は、
  • どうせ、わかってもらえない
  • どうせ、伝わらない
です。
ほんとは、とてもわかって欲しい。わかってもらえなくて悲しい。でも、もう、言えない。もう、イヤミしか、逆のことしか言えない。そこまで行っちゃった。

ホントは 謝りたい
発信は  なんでそんなことしたんだよ!!

ホントは わたし、悲しかった
発信は  もっと親らしくしろよ!!!

ホントは ただ、聴いて欲しかった
発信は  どうせわたしのことなんかどうでもいいと思っているんでしょ!!!

ホントは 仲良くしたい
発信は  なんでうちだけこんな家族なんだよ!!!!

戻る、勇気。素直になる、勇気。
心屋塾にいると、自分の「本音」にうすうす気づいていきます。

長年隠してきた、長年認めたくなかった、本音に。
そんなのに気づいて正直に言ってしまったら、負け。
絶対、負けたくない
絶対、損したくない
絶対、弱みを見せたくない
そんな風に強がって、イキがって、頑張って頑張って、男にナメられないように、女にナメられないように、意地張って生きてきた。
素直になるって、そんな自分が白旗を上げること。
そんな自分が和議を申し込むこと。
そんな 大損 こくこと。

そこに、その「すね」が入っていた場所に、お金も、豊かさも、愛情も、そして人生の楽しさも、どさっと入ってくるんだ。

さあ、負けよう。
さあ、損しよう。

負けないようにしてる時点で、もう負けてるんだ。
損したくないと言ってるのが、一番「人生の豊かさ」を損しているんだ。


心屋仁之助さんの公式サイトは、こちらからどうぞ

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『「魂」の人生学』発刊

2013-04-23 | Weblog

先日、春らしい陽気のなか、義従妹のレストランウェディングが千葉で行われ、出席してきました。

30歳前後のまぶしいお二人は、私の時もそうだったのですが、人前結婚式だったので、なつかしく、久しぶりに自分の結婚披露宴を思い出していました。

その後、宴席に移動して、席次表をながめますと、ご両家とも、親族以外は、ほとんどが新郎新婦のご友人なのでした。

昼間から白ワインをいただきながら、美味しいお食事をいただいていますと、私たちのテーブルに、新郎側のご両親がご挨拶に来られました。

そして、新郎のお母さまは、私に「七田眞先生の講演に行かせてもらったことがあるんですよ。」と、おっしゃいました。

それは素敵なご縁! と喜んだ私は、カバンの中から、おもむろに、出版社から届いたばかりの『「魂」の人生学』を取り出し、「是非、お読みください!」と差し上げました。

昨年から、講演会やセミナーなどに、(生徒として)積極的に参加している私ですが、どこに行っても、父のことをご存じの方がいらっしゃり、改めて、父の影響力の大きさを感じています。

父が旅立ってから丸4年になりますが、「415=よい子」の日に、『「魂」の人生学』(講談社刊)が発刊されました!

この出版の企画は1年以上前にスタートしたのですが、無事に発刊することができ、ホッとしております。

この本は、父の未発表の書き下ろし原稿、自家製の本からの抜粋、4年前まで発行されていた「200歳まで生きる会」の会誌からの抜粋の3章立てで構成されています。
尚、それぞれの章のはじめのページは、懐かしい写真をお楽しみいただけるようになっています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。


七田 厚さんのブログは、こちらからどうぞ

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ご縁

2013-04-23 | Weblog
澤谷 鑛

「日本語のご『縁』にあたる英単語はないといわれています」
 3月31日(日)に「澤谷 鑛 & 石川浩代 スペシャルジョイントセミナー」in 京都 を開催した石川浩代さんが、スカイプでお話したときにいわれていました。
ネットで調べてみると、
「ご縁があるとかの『縁』は、英語で何ていいますか?」
 という問いに、次の三つの答えが出ていました。

【emotional ties や bond(繋がり、絆)でしょうか。「私たちは縁があった」であれば、We were linked by fate.でいいでしょう。】


【恋愛的な意味での『運命のひと』の意味では、the fate man(woman) や、『たった一人の人』的な意味で『the one』も使えます。】


【袖振り合うも他生の縁、の他人との縁だとchance、とかのほうがしっくりくる気がします。】


 ご縁は、縁(えにし・ゆかり) 繋(つな)がり 絆(きずな) 因(ちな)み 誼(よし)み コネ 縁故 所縁 因縁(いんねん) 奇縁 好縁 良縁 合い縁 悪縁 宿縁 腐れ縁 縁起 縁由 由緒(ゆいしょ) という意味だそうです。

「因・縁・結・果」ということがあります。
もともとの「因」があり、「縁」が浮かびあがります。「因」がなければ「縁」もないはずです。「縁」があり「結」べば「果」があらわれます。結果ですね。でも「縁」があっても「結」ばなければ「果」はあらわれません。因縁結果というのは、法則なのですね。

 院生の時代、その日は、なぜか朝早く渋谷の町を歩いていました。すると大学の教養課程の二年間で少し話したことのある人に出会いました。三年ぶりに会いました。教養課程の時、彼は左翼の学生運動をやっていました。話しかけるとなつかしそうに話しました。肉体労働に行くために車を待っているのだ、といいました。彼は大学を三年で中退していました。私は二人の左翼の学生運動家の消息を聞いてみました。一人はある大学内の書店に勤めているとのこと、もう一人は消息不明ということでした。

 消息不明の運動家は、当時国際派と呼ばれていました。みずからの大学ではなりを潜め、他の大学で活動する運動家です。
 授業が終わり、たまたま彼と駅までのバスに乗りました。5台ほどのバスが連なります。駅からつぎの授業を受ける人を乗せてきて、授業の終わった人を乗せて駅に向かうのです。
 一番後ろの席に二人は座りました。立っている人もギュウギュウ詰めの満員のバスは出発しました。大きな橋の真ん中でバスは止まりました。するとひとりひとり降りなさいとの指示する人が乗り込み、警察だ、といいます。隣の彼は、
「澤谷。煙草持っていないか?」
 といいます。
「ショートホープならあるけど、禁煙だぜ」
 といいつつ、彼にショートホープを一本渡しました。車内は禁煙なのに吸殻入れはありました。彼は、自らのライターで火を点けました。すぐに吸い終わり、もう一本、と彼はいいました。新しい一箱を彼に渡すと、一本に火をつけ、残りを返してきました。
「いいよ。持ってろよ」
 というと、
「いや……」
 といって受け取りません。
 ひとりひとりがバスを降ります。
「澤谷。俺と一緒に降りない方がいい。先に降りろ」
 といいます。私は彼のポケットにショートホープを入れ、先に降り、バスの後ろのほうに降ろされたみんなといました。
 彼は、最後にバスから降り、降りるとともに手錠をかけられ、パトカーとともに消えていきました。
 その後、彼には会っていません。いつか会えるのか、もう生涯、会わないのかもしれません。
袖振り合うも他生の縁、なのでしょうか。他生って、前世とか来世とか、前々世とか来々世とかもいうのですね。

 カウンセリングをする人や養成講座やセミナーご参加のひとりひとりと、縁の糸をむすぶ“いのちの絆”を持ちたいと思うとき、彼を思い出します。そしてご縁を考えます。


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震災を機会に大きなデトックス

2013-04-22 | Weblog
もも

素晴らしい課題を与えてくださったことに心より感謝致します。
皆で少しずつ乗り越える。小さな願望をかなえていく。
齊藤さんの言葉を噛み締めながら、自分自身を振り替える。

震災の日港区役所で保健師として働いていた私は、
「冷静に、しっかりと対応しなくちゃ……」
と、めまいを訴えられた方の対応等に追われました。

茨城で被災した母親からの
「大丈夫だから心配しないで」
というメールを仕事が終わってから確認し、イギリスに住んでいる妹からの
「100回くらい連絡しても両親と通じない」
というなかばパニック状態の妹からの電話をとりながら、翌日、はじめて澤谷 鑛 先生の講座を京都で受講しました。

「鬱病を患いながら自殺したおじは、生ききったのだ」
という衝撃的な気づきを得た澤谷 鑛 先生の講座の終了後、京都駅で祖母のことを思い出しながら、人目をはばからず、震災後はじめて泣き続けました。

曾祖父(母方の祖母の実の父親)が住んでいた京都、中学生の頃、
「どうして京都に生まれなかったのだろう……」
と切に想った京都にきて、やっと私は素の自分自身に戻り、正常が奪われた悲しみとショックとむきあいました。

震災から一年後、
「母親の東京で震災が起きたら、私自身を助けることができない」
という捕らわれに私自身も巻き込まれ、東京から茨城に戻ってきましたが、疲労困憊ななか、父親の会社が倒産し、父親が自己破産し、実家と土地を失った私にとっては、まだまだ故郷は、安住の土地ではなく、ずっと感じていた「閉塞感」に息がつまり、希望が見いだせず、八潮市に夢と希望を託し、引っ越しをしました。

私自身の一家のように根底がしっかりと落ち着き根付いていない家族は、震災を機会に、大きなデトックスをむかえます。

母親は、震災後も父親の会社が倒産した後も、
「しっかりと落ち着いて対応しなくちゃ」
としっかりと泣いていないと思います。
本当は、泣かないといけないのに……。私が、泣かしてあげられないのかも知れません。

それでも今年、妹は東京三菱UFJ銀行の転職が決まったり、少しずつ皆で乗り越えています。
私自身は、友人が企画した震災チャリティイベントに今年参加し、参加してくださった歌手の歌声に涙しました。
まだまだ、私自身もちゃんと泣ききれていないのです。

継続して、友人が今後も企画する震災チャリティイベントに参加しながら、自分自身もちゃんと泣きつつ、
「被災地の子供たちを気球にのせてあげる」
という小さな願望をかなえていきたいと思います。

ありがとうございました 。

     ☆ ☆ ☆

課題:人生にサンプルはない
*********************************
もう2年も前になるのですね。『女性セブン』2011年4月14日号に、こんな
記事が載りました。カウンセリングには、勿論大切なことを示唆していますが、
抜本的に人生を見据えていることが、その上に大切なのですね。味わってみて
下さい。人生にサンプルはないのですね。生きるとは、そういうことなのでし
ょう。感想を書いてみて下さい。(澤谷 鑛)
*********************************

 300人以上の被災者が暮らす避難所を、白衣姿の女性の“魔法”が満たしている。宮城県名取市の名取第一中学校でカルテの束と血圧計を手に、連日被災者と向き合うボランティアの看護師・Sさん(66)。東北大学病院で副看護部長として定年まで勤めた看護のエキスパートだ。自らの経験が役に立てばと、震災翌日、ボランティアに名乗りをあげた。

 ある日の回診では、避難所で寝たきりになった高齢の男性に「立ち上がれるおまじないをしてあげる」と宣言。足を揉んでからツボ押しすると、男性はゆっくりと立ち上がって歩き始めた。家族は「じいちゃんが歩いた」とびっくり。
 さらに、不眠に苦しむ73才女性に「眠れるおまじないを教える」とリンパマッサージのやり方を伝授した。

 心のケアも大切な仕事だ。大きなショックを受けた人の心は、まず被災の衝撃に打ちのめされる「ショック期」にはいるとSさんはいう。次が“夢じゃないか”と現実を受け入れられない「否認期」だ。

 「いまはショック期から否認期への移行時期。この時期は体を日常に戻すことが大事です。『ご飯が食べたい』『顔が洗いたい』という小さな願望をひとつずつ満たしていくことが必要です」(Sさん)

 この日、Sさんは中学校1年生の息子を失った40代の夫婦と対面した。

 「急に息子が『ただいま』って帰ってくるような気がする。まだ現実感ないもんな」
 「本当に嘘みたいだよね。私がもうちょっと息子のことを見ておけばね。私のせいだよねぇ」

 深刻な内容をぼんやりとした表情で語る夫婦。その会話にSさんが割ってはいる。

 「あのさ、ちゃんと泣いた? 泣けるときに泣かないとあとで具合が悪くなっちゃうよ」

 ――すると、わずかな笑みを浮かべていた妻の目に涙があふれた。
 Sさんは嗚咽で揺れる肩をなでて優しく諭す。

 「いままで泣けなかったんだね。我慢してたんだね。泣くのも大事だよ。泣きなさい」

 学校や市の職員が業務に追われるなか、被災者の心と体のケアを一手に受け持っているSさんだが、今後の心配は尽きないという。

 「これだけの惨事にはサンプルがありません。『こうすればいい』がないから、みんなで少しずつ乗り越えないと。とりあえずは小さな願望から満たしていくことです」(Sさん)




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小さな恋のものがたり(最終回)

2013-04-21 | Weblog
はちみつ(^^)

小さな恋のものがたり(第四回)の続きです≫
 最初から読む

そこ後、一心太助さんは博多から新幹線で会いに来てくれて、本当の涙を流させてくれました。
翌月には、車で博多から会いに来てくれました。この時は、何か事を起こす訳でもなく、ただ一緒にご飯を食べ、他愛もない話をして、博多に帰っていく。
それだけ。でも、それだけで良かった。それだけが、とても嬉しかった。それだけが『手のひらの中の幸せ』を、思い出させてくれました(^^)

博多から会いに来てくれているのに、息子やお母さんを一番に考えてくれる。そんな事がフツーにできる、不思議な人。だったら依存しまくってやろう! と、更にかたく決意しました。
ママ友にも堂々と紹介して、小学校のマラソン大会にもお母さんと一心太助さんと私の三人で一緒に行きました。

「何か言いたければ、何とでも言いなさい! 本当の幸せをつかむために、今ココを歩んで満喫している…ただそれだけ! 一心太助さんに全身全霊のサポートを受けているのは、私の為だけじゃない! たくさん寂しい思いをして来た宇宙一大切なげんちゃんと、こんな私をずっと愛し続けてくれているお母さんの為にも、一心太助さんは必要なのよ! 世間体なんて、クソくらえ! 人それぞれ歩んで来た道が違うなら、私には私のやり方があっていいはず! あっていいのよ!! 幸せになるために……

いつやるんだよ?
今でしょ! 今!!d(^_^o)」

あとは「心の法則」を、
信じて信じて信じて信じて信じて信じて信じて信じて信じて信じて信じて信じて信じて信じて信じて信じて信じて信じて信じて信じて信じて信じて信じて信じて信じて信じて信じて信じて……
「大丈夫! 全てはうまくいっている!」
って、アフォメーションしていくのみ!
ドッシリ構えて、信じて任せる!
ドッシリ構えて、信じて見守る!
何があっても、今ココを満喫する!
そう思えるようになったら、不思議な出来事がたくさん起こりはじめました。

一心太助さんは車椅子、私はメニエール病からの右耳難聴。
障害者同士、すんなりとお互いのサポートして欲しいところに手が届き、痛みをさらけ出すせるようになりました。
なってみないと本当の痛みはわからない、相手には言わないと伝わらないなら、さらけ出しちゃえばいいのよ! なんて、こちらから分かち合って頂ける術も、本当の意味で再確認できました。

途端に、私にピッタリのお志事を与えて頂き「お金を稼ぐって、こんなに楽しかったかしら♪」なんて具合になり、シフトも連勤連勤連勤……(笑)

澤谷先生のお風呂の浴槽のお湯の流れを思い出しました。

「浴槽に入って反対側から自分の方にお湯の流れをつくり、入って来い入って来いと手でお湯をかくと全部後ろに逃げていく。だけど、自分の方から向こう側にお湯の流れをつくり、お湯をかいて出して行くと、浴槽のうしろ側から自分の方に自然に入って来るんだよ(^^)」

聞いた当初は、何の事だかさっぱりわからなかったけど……(^^;;(苦笑)
そうか~! 先生、コレだ! この事だ!(笑)\(^o^)/
さすが先生! 辛かった時はちょっと恨んだけど……(笑)先生の言う事を信じて、歩んで来てよかった~(*^◯^*)先生、ありがとうございます(^人^)

前の主人が貯金を全部持っていってしまって、私がケチりながら貯めた泣けなしの貯金と、お母さんが入れてくれるお金と、一心太助さんの蓄えでまわしているケチケチ生活だけど……何とかなったし、満喫しまくり(笑)(^○^)

息子にひもじい思いも、悔しい思いもさせる事なく、前と同じに今までやってきている。
大好きなディズニーランドにも一心太助さんと3人で行けたし、クリスマスもお正月も息子のお誕生日も、今までどおり楽しく過ごせた(*^◯^*)(*^◯^*)(*^◯^*)いや、今まで以上かな(笑)。

そう言えば……前の主人に離婚届を送り付けた次の日、一心太助さんのお仕事の面接があって一緒について行き、その時にサイゼリアでオーダーを取りにきてくれた方の名前が『Mさん』(私の旧姓。離婚して今、名乗っている姓(笑))。

この日は誰かに何かに見守られて導れているかのような感覚があって、車のナンバーは見事に“ゾロ目ラッシュ”
『1111』から『9999』までを何十回も見た!
こんな日って、あるんだな~ってビックリ!

そして、一心太助さんの就職の合格通知が来た次の日……前の主人が住む現住所の区役所から、離婚届を受理しました、という通知が来た。

更に、げんちゃんのお誕生日に葛西臨海水族館に行ったら、不思議な事が起こりました。
私たちが水族館の水槽を見ていると、周りをチョロチョロと歩き回る小さくてカワイイ女の子。細くて綺麗なママが優しくこの女の子の名前を呼びました。
「みさおちゃ~ん(*^◯^*) みさおちゃ~ん(*^◯^*) コッチよ~!」
Σ( ̄。 ̄ノ)ノ みさおちゃんって……それ、私の実のお父さんと同じ名前ですがな!!
不思議に懐かしくて、優しいあったかい感覚に触れ、蘇ってきました。
その後、みさおちゃんは一心太助さんに「バイバ~イ(^^)/~~~」って手をふってママの方へ行きました。
「もしかしたらお父さん、心配でそばでずっと見守ってくれていたのかな。お父さん、もう大丈夫だよ。ありがとう(^人^)」

車椅子の一心太助さんの横を、楽しそうに笑顔でくっついて歩いているげんちゃん。二人の後ろ姿を見ていたら……うれし涙が流れました(T . T)
幸せになるために顔晴ってよかった。一心太助さん、げんちゃん、お母さん、私……ひとつ屋根の下、今の姓は、三つのミックスだけど……それもまたよしd(^_^o)(笑)
その時がきたら一つになるかも知れないし、今のままかも知れないけど、そんな事は関係なし! オンリーワンが集まって寄り添いサポートしあえば、『手のひらの中の幸せ』は何十倍にも感じられる(^^)
これからも、今ココを満喫しながら4人でしあわせに生きていきます!
\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/

お読みくださった方、長い長い私のデトックスの文章にお付き合い下さり、ありがとうございました(^人^)

まずは、何よりも大切な家族のサポートに全身全霊を尽くします。
『しあわせな人生の実現をサポートする養成講座5期生』を共に学び、共に分かち合って下さり、感謝致します。
そして、澤谷先生……たくさんたくさんご心配をおかけしました。申し訳ありません。澤谷先生は、私にとって師匠であり京都で見守ってくれているお父さんでもあります(笑)。
本当のしあわせに気づく事ができたのは、セミナーで、集合講座で、飲み込みの悪い私にも言葉を噛み砕いて教えて下さったからです!(笑)心より感謝致します(^人^)

皆様、ありがとうございました(^人^)

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