黒部 真理子
≪叶わぬ思い(前編)記事の続きになります≫
彼女は幸せになるはずでした。
父の愛をなんとか取り戻したくて、母は少し家を離れました。
子供を置いて出てきてしまったけど、夫がこれでちゃんと自分のことを認めて愛してくれると期待していました。
これから子育てをしてゆくには、夫にしっかりしてもらわなくてはなりませんでしたし、母は父にお灸をすえたつもりでした。
そんな母の思いとは裏腹に、母の家出は父が母を愛していなかったことを証明してしまいました。
父は母を少しは引き止めようとはしたらしいのですが、追いかける気はなかったようでした。
本当に必要なのは「ひろ子ちゃん」であって、母ではなかったからです。
母は「勝手に出て行ったお前が悪い」と父や祖母から思われてしまい、一方的に不利な立場となってしまいました。
そうして母は、子供と会うこともできないまま、結婚生活をまるごと失い、田舎で人生をやり直すしかありませんでした。
私は祖母から母のことを「外に男を作って出て行った、とんでもない女。」と聞かされて育ちました。
母の味方は誰もいなかったので、母はすっかり悪人に仕立てられていました。
***
母には男なんていなかった。
むしろ、その結婚生活を維持したくてそうしたのだ。
自分と言う存在が認められ、愛され、必要とされていることを感じたかったのだ。
***
父は祖母からの後押しもあり、母を悪者にして追い出すことによって、自分が悪者にならずに済みました。
母とどうにかして連絡を取ろうとか、子供が元気だと言うことだけでも知らせようとか、追いかけて行って話し合おうとか、そういったこともしませんでした。
母に対して、そこまでする「愛」がなかったのです。
しかし、なんだかわからず結婚生活を台無しにされてしまった母に対して罪悪感だけは感じていたようです。
やがて父はすべてを失った母の思いを経験してゆくことになりました。
***
私の出会った多くの男性たちは父と一緒でした。
仕事の面接で時間をかけて条件の摺合せをして、いざ働き始めたら上司や先輩方から違う条件や個性を求められてしまうことが何度もあり「それは私ではなく、別の人なのでは?」と思ったことが何度もありました。
ある会社で社員の男性とペアを組んで働かせていただいていたことがありましたが、そこではそのペアを組んでいる男性社員から突然「お前なんか嫌いなんだよ!」と仕事中に言われてしまいました。
あまりにもびっくりしたので詳細は覚えていませんが、その男性社員は私のことをもっと違う感じの人なのかと期待していたようでした。
その職場からはさんざん引き止められましたが、雇用契約を更新することなく退職しました。
遠い地域から東京に出てきた男性の友人から都内の案内を頼まれた時も、私がもっと違う容姿と違う性格であって欲しいということを言われてしまいました。
「それなら、別の人を誘えばいいのに。」
自分を裏切った元婚約者が、他の人との結婚を決めていながらも、なんとなく私を引き留めようとしてきたので「彼が本当に求めているのは私ではない。」と感じて断ったこと。
結婚してすぐ、夫が別の女性のことを思い出していたこと。
「ああ、また、私じゃない…。」
その後も、夫からは常に別人を求められている気がすること。
だから、夫との距離がうまらないこと…。
ああ、嫌な思い出の数々。
「私でない別人を求められている。」と感じたことが、ざっと思い出しただけでもこんなにありました。
しかも、私が大切だと思っている人ほどそれが強く出てしまっているような気もします。
***
母もこんな思いをしたのだ…。
母は父のことを大切に思っていたが、自分は大切にされていなかった。
***
自分の個性を根こそぎ否定され、別人であることを求められ、愛されるべき立場にあるのに愛されていないという辛さを私はあらためて思い出しました。
私は年齢を重ねるごとに自分を見失ってゆき、自分の人生は何なのか、これでいいのかと苦しい思いを感じるようになってゆきました。
それは、私と言う存在が否定され続け、別人であることをいつも求められてきたからだったのだとわかりました。
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いつもながら、黒部さんの流れるようなご文章に ぐんぐん惹きつけられ、前半を拝読した後は、後半が待ち遠しかったです^^
黒部さんは、これまでの人生で、まさにお母様の思いを 見事に追体験されていたのですね。
お母様の気持ちがわかるように、物質的にどんなに距離があろうと、親子の愛が育まれるようにとの 天のお計らいで。
我が家も昨年は、祖母が天に還るまでの一年間、特大デトックスがありました。
それで、父がどれほど正確に 祖父の気持ちを追体験していたのかが明らかになり、宇宙の法則に畏敬の念を持ったものです。
ただ、必ずしもすべての子どもが 親のつらい経験を追体験するかというと、そうではないのですよね。
その違いは何だろうと、自分を振り返ってみたとき、追体験は、いつも 相手の魂ほんらいの思いをキャッチできずに、怒ったり、悲しんだり、恨んだりしたときに起きていると 改めて 思い知らされました。
すべては、闇を光に変換するために 起こったことだったのですね。
いったん光に満たされたら、そこから後は、光の追体験、ボルテックすが待っているのでしょう☆
お互い わくわくですね^^
おはようございます!
先週、澤谷先生に掲載して頂いて、皆様のコメントを拝読していたら、何となく、またモゾモゾモゾモゾと何かが動きはじめました。
前日からの黒部さんの記事から、ピタッとハマる言葉が数ヶ所あって、お布団に入ってから一気に泣くことができました。
恕の心で寄り添って、前の主人の心の中が少しずつ分かり始めてはいたものの…
電話の向こう側から聴こえてきた女性が言った言葉と、前の主人に言われた不甲斐ない言葉がどうしても悔しくて悔しくて、昇華しきれない部分もありました。
また、一つ手放せたのですね。
スッキリ泣いたそのあとに、「あなた達のお陰で、本当のしあわせが手のひらの中に感じられるようになりました。家を出てってくれて、ありがとう。二人、お幸せに」という感謝とはとられにくいけど(受け取りようによっては物凄い皮肉?(笑))言葉が出てきました。
本当の意味で、前の主人への感情がプツン切れた感じです。
黒部さんのお陰です。スッキリサッパリです。
ありがとうございました(^人^)
有貴さんは、お祖母様を見送られ、特大デトックスを経験なさったのですね。
きっと特大の愛に包みこまれるような感動的なご経験だったのでしょう。
もしかしたら、お祖母様からの大きな愛のプレゼントだったのかな、なんて勝手ながら想像してしまいました。
> 追体験は、いつも 相手の魂ほんらいの思いをキャッチできずに、怒ったり、悲しんだり、恨んだりしたときに起きている
とても納得できます!
そう言えばそうですね。
自分の中の相手に対しての思いを修正してもらっている感じがします。
教えてくださって、ありがとうございます!!
私の人生は振り返ってみると、母の辛い体思いを再現するためにあったようなものでした。
どうりで、どう頑張ってもうまく行かないことばかりでした。
うまくいきかけても、抵抗できない何かが起きて必ず悪い結果になるんです。
例えば、こんなことがありました。
20代のある時期、会社で仕事にやりがいを感じるようになり、人間関係にも恵まれていた時期があったんです。
正社員ではなかったので収入は少なかったのですが、やっと長く勤められる職場と出会えたと思えていました。
今まで辛いことが多かったけど、努力が報われつつあるのかな…なんて思ってもいました。
勤め始めて2年目のある日、風邪で病院に行ったら、卵巣のう腫が見つかり緊急入院になってしまいました。
2日後には入院で3日後には開腹手術を受けることになってしまいました。
翌日には出社して会社の上司に診断書を提出し、周囲の方々にも事情を説明しなければなりませんでした。
手術を受け、ちょうど1ヶ月入院していました。
診断書の通り、退院して1週間の自宅療養の後、職場復帰しました。
しかし、元のポジションには別の方が入っていたので自分は戻れず、隣の課でお手伝いさせていただくこととなりました。
でも、そこのリーダーの社員さんは社内で有名なほど嫌な奴だったんです。
なんとまあ、その人から私はターゲットにされてしまい、嫌がらせを受けるようになってしまいました(イジメですね。)
病み上がりの体には本当に辛かったです。
ストレスでガリガリに痩せて出社するのが辛くなり、退職してしまいました。
せっかく、長く勤められると思っていたのに、また転職となってしまったんです。
そんなことを思い出したんですが、これも私の中にある母の思いが多少は影響しているんじゃないかなと思えています。
母はきっと、とても努力してきたと思うんです。(なんとなくですが。)
でも、努力が報われない環境だったんですよね。
別に悪いことをしているわけじゃないのに、むしろすごく努力しているのに、普通の結果さえ手に入らない。
そんなもどかしくてたまらなくなるような思いを、私は今、過去を振り返って「なるほどな」と感じています。
今朝はいいお天気です。
明るくて暖かな春の日差しは、心をワクワクさせてくれます。
こんな風に光に満ちてワクワクした気持ちで過ごしてゆきたいですね。
ありがとうございます。
顔文字入りのお名前、かわいいですね♪
澤谷先生はセミナーでよく「その人の思いが鏡に映しだされるようにして、現実を作っている」ということを教えてくださっています。
自分の中にある「思い」が自分ではわからないので、難しいのですよね…。
私も自分が引き寄せている嫌な現実が自分の思いから作られているなんて信じられなかったりしています。
「私、そんなことないもーん!」って、しらんぷりしたくなったり(笑)、なんとかしたくて呪文のように無理矢理ポジティブな言葉を唱えてみたり…。
潜在意識って自覚できないからこそ、扱いが困難です。
そんな私ですが、お陰様でデトックスを体験することができて、潜在意識を書き換えるということはこういうことだったんだとわかってきました。
最近、いかに自分の価値観がゆがんでいたかということも感じるようになってきました。
怒りや悲しみをずーっと抱えてため込んでいると、身近な人を許せないままになっていたりして、良くない思い込みが生じてくるようです。
心に愛と感謝しかない状態になれたら最強ですね。
人生、思いのまま…になるかしら?
そこまでいかなくても、人間関係は良くなりますので、助け合いながら幸せな思いで過ごせるのだろうなと私には思えています。
企業の従業員の退職理由の8割以上は人間関係だと聞いたことがあります。
人間関係は人生を左右する大きな要素ですね。
私のこの体験談がはちみつ(^^)さんのお役に立てたようで、光栄です。
いっぱい泣くと心がすっきりしますよね。
はちみつ(^^)さんは、色々なことを乗り越えながら、素敵なパートナーさんと出会われたのですね。
おめでとうございます。
末永く、いつまでも、いつまでも、お幸せに。
ありがとうございます。
そのあと2回目のコメントを書いてから、放心状態のようになりました。
「一瞬で長年の恨みが消え去る感覚をどう表現したらいいのでしょう…。 」
「デトックスの時のような、感謝と申し訳なさで心が満たされる感覚がしました。」
真理子さんのそんな感覚を味わっていました。
なんだか、真理子さんとご夫婦とのあたたかい光景が浮かんできて、しあわせでしあわせで涙が止まらなくなりました。
そして、子どもの頃に感じた寂しさ、悲しみ、悔しさ
祖母、父、母たちの様々な思いがどんどん押し寄せてきて
今まで自分が傷つけてきた人達が次々と浮かんできました。
どれほど自分が愛されていたのか、ゆるされていたのかを感じて、悲しみも寂しさも喜びも、すべての感情が一つに溶け合っていき、愛に満たされていく感覚の中で泣きました。
真理子さんの思いも、自分の思いも、境目がなくなり、すべての存在が愛で満たされ繋がっているということを感じました。
素晴らしい体験に導いていただけたことに、心より感謝しています。
なぜ親の人生を追体験してしまうのか?を考えてきました。
父母のように、自分をダメな人間だと思っているから、そういう人生を引き寄せていると思ったりもしていました。
一枚一枚皮むきをして行って、わたしが今感じているのは
父母が不幸せなのは自分のせいだ…と責めてしまう幼少期の潜在意識に刻み込まれた贖罪意識が、根本の原因になっていたのではないかということです。
いくらしあわせになりたいと望んでいても、わたしの潜在意識は自分がしあわせになることをゆるさなかったのだと思います。
不幸せでい続けようとしてきた結果、父母の人生の再現を繰り返してきたように思います。
しかし、すべてがしあわせに導いてくれる愛だったのですね。
ありがとうございます。
真理子さんのおしあわせを心よりお祈りします。
この世は追体験と再現のオンパレードのようです。そして、そこから何を気付き、何を選んでいくかという選択は、その人その人の手に委ねられているのですね。わたしの人生も、追体験と再現で築いてきたのだなあと、今振り返るとよくよくわかります。すべてはデトックスであるのだから、デトックスによりまっさらさらに生きようとしている自分の命を見つめ信じ、果てしなく解放しながら生きていこうと思わされます。
全ては鏡であり、目の前に映るものを見て自分の佇まいを直せば、鏡に映る像も変わる。これが鏡の法則ですね。ただ、こんなことがあります。
わたしの実家では、姉がずっと暴れて親と争っていました。わたしは姉が結婚して自分の夫を相手にまた同じように暴れて争い、子どもを虐待するのを見て、その子が姉と同じように育つのではないかと感じていました。しかしその子は自分の母とも父とも違い、誰とも争うことない穏やかな女性に成長しました。
わたしが姪に対して「この子は姉と同じようになるのではないか」と心配したその心配、わたしの幼い頃に姉がずっと実家で自分の親に対して行なっていたことを、姉の子どもが再び行うのではないか、という心配は、結局姉の子どもには起こらず、わたしの娘に生き写しに再現されたのです。これはどういうことでしょう。面白いと思われませんか。「鏡に映るのは現実だけれども、それはその人の主観的な現実である」と、澤谷先生は言われました。
そのように理解して見る時に、鏡の法則から得る理解は、まったく新しい更に深い次元を迎えるように思います。そこに開けてくるのは、ものすごく広い世界なのだと思います。
デトックスしながら目覚め、徐々に展開してくるまっさらさらな現実が教えてくれる真実は、計り知れないほどに本当に奥深く面白いと感じます。そしてその世界は、自分が砕かれるに従ってどこまでもどこまでも深まり広がっていくのだと思います。黒部さんはこれから、何冊もご本をお書きになれるほど多くのお気付きを重ねて行かれるのでしょう。その一歩一歩こそが貴いのですね。
ありがとうございました。
それをお許しくださっている澤谷先生に感謝です。
デトックスで感じるのは自分の奥底にある果てしない自由…善悪も法律も時間の概念もない世界です。
私のつたない文章でその果てしない世界で見たものをどれだけ表現できているのか、それはいつも気になるところですが、いつもふさわしく受け取ってくださっているNAOさんにも感謝です。
贖罪意識も影響が大きいですよね。
自分のせいで〇〇なんだと思い詰めるあまり、自らを傷つけてゆきますね。
次回(5/15~「つぐない」)は、その辺のことが書いてあります。
すぐにお見せできないのが残念です。
今から書いちゃっていいのかな、という感じではありますが、これは私の父がずっと抱えてきた罪悪感がテーマになっています。
面白いのは、父に関してなのに、フランスの元彼のことを思いながらでないと進まないという私にとって非常に不思議な体験となりました。
別の人のことを考えながら、さらに別の人のことを思ったり書いたりしているんですから、変ですよね。
こんなことがあるのだなと思いました。
それで、それを書いた翌日、朝起きたときにとても軽やかな感覚がしたんです。
後で気付いたのですが、自虐的なことを考えなくなっていました。
人は無意識で何万回も自分に質問をしていると言われています。
私はその質問のほとんどが自分を責めるような自虐的な内容だったのかもしれませんね。
私は澤谷先生から追体験のことを教えていただいて、実際に思い当たることがいくつも出てきた時、
「なぜ親が子供にこんなに辛い思いをさせるのだろう。」
「私が親だったら子供にもっといいものを残したいと思うのに。」
と思いました。
私の人生は、不幸やうまくいかないことの連続でしたから、それが親のせいとわかって、正直なところ、親への恨みが生じました。
私の人生を返して、と思いました。
(ああ、でも…私の場合は、それすらも母の気持ちだったりするんです。)
一時的なこととはいえ、その時の私は、自分の人生を不幸にした親への恨みに燃えてたかもしれないです(笑)
NAOさんの仰るとおり、「すべてがしあわせに導いてくれる愛」という認識に転換してゆけるとまた方向性が変わってきますよね。
デトックスというのは、自分の思いを調整するための貴重な体験なのだと、あらためて感じます。
ありがとうございます。
デトックス後の愛に満ちた心の状態を、ほんのひとときでもいいので思い出したいと思います。
私は昨日のさくらみるくさんのコメントをいただいてから、
「デトックスの時に何かが見えたり聞こえたりするのは変なのかな?」
「では、他の方々はどんな風にデトックスを受け取っているのかな?」
という疑問が残っております。
何かの機会にお教えください。
それで、今までのデトックス体験を振り返ってみたところ、
視覚 あり → 映像が見える。
聴覚 あり → 声や音が聞こえる。
触覚 あり → 触った感覚がある。
嗅覚 なし
ということがわかりました。
においはまだ感じたことがなかったと思います。
私は鼻があまり良くないせいなんでしょうね。
さくらみるくさんのお陰で、私は嗅覚が弱いということがわかりました。
さくらみるくさんのお姉様とお嬢様のお話、興味深いです。
私が普段考えるような単純さで物ごとはできていないことを感じます。
私の実家では、祖母と父がそれでした。
祖母はいい時はいいのですが、時々感情が抑えられなくなる人で、暴れ出すと手の付けられない人でした。
(祖母がいかにひどかったかと、そんな話を大磯の祖母の妹と少し話していて、すっかり意気投合でした。)
父は祖母ほど暴れることはありませんでしたが、何か要素がありそうな印象を感じています。
私は名古屋で父のデトックスを経験して以来、気になっていることがあります。
そのデトックスでは、かなり残酷な場面が出てきます。
そして、それが、別の人の何かにつながっているような気がするのです。
戦場のような場面を連想させる誰かです。
見たくもないおぞましい光景がちらちらと見える気がします。
デトックスはどこまで続くのでしょう…。
私には子供がいないので、さくらみるくさんとは展開の仕方が違うのかもしれませんが、想像もつかない深さで世界は広がっているのでしょうね。
さくらみるくさんの本が出たら買おうかな♪
ありがとうございます。
黒部さんのご文章には、読む人を惹きつける何ものかとともに、大きな大きな デトックスの力があるようです。
抑えていた部分の自分が、外にでたい、外にでたいと 騒ぎ出しました^^
今現在、わたしには、これといって 大きな問題はありません。昨年の超特大デトックスのおかげで、家族、親族、みんな仲がよく、愛で満ち溢れています。友人たちとの関係も良好です。魂のお仕事へも日々邁進しています。
でも、絶対的に、今 わたしは、しあわせでは ないんです。
まだまだ 毎日緊張しているし、悲しいんです。淋しいんです。
外で淋しそうな子ども、つらそうな子どもを見ると、いたたまれない気持ちになるんです。
人の目も 気になります。
自分のことも 好きになりきれません。
まだまだ 天国の母とこうきが 恋しいです。
恋しくって、恋しくって、ああ、でも、そんな気持ちでいると、今 一緒にいてくれている人たちにわるいからと、ずっと抑えてきたように思います。
ああ、だから、ご家族を亡くされて 苦しまれている方たちと 出会うのですね。出会わせて いただいているのですね。
ちゃんと 自分の気持ちと 向き合えるように。
今いちど、きちんと自分を見つめなおしてみようと思います。
黒部さん、ほんとうに どうもありがとうございます。
空いっぱいの愛と感謝を込めて
黒部さんが感じている思いが、もし、黒部さんにとっての事実であったのであれば、何て、虚しく、空虚なんだろう・・・と胸が、苦しくなりました。
今日、親愛なるアートセラピィストから、誕生日のプレゼントとして「愛する男性との赤ちゃんからのメッセージ」をいただきました。
そのメッセージの中に、<心をときほどいていくことで、「やっと会える」存在のようです>というとってもありがたいメッセージがありました。
私に、心をときほどいていくことでやっと会える存在があるように、黒部さんにも、心をときほどいていくことでやっと会える存在があると思います。
愛を込めて
ありがとうございました。