はちみつ(^^)
昨日澤谷先生がご自身のブログに、
『母の言葉を胸に』という文章を書かれていました。
ジャーナリストの櫻井よし子さんは、
「あなたの事をいつも神様が見ていらっしゃる。神様が見ていなくても、自分自身が見ている。自分自身に恥じないように生きなさい。」
というお母様の言葉を胸に、今まで来られたそうです。
櫻井さんだけでなく、
生きているモノすべての親子の絆は強くて深いものだと思うけど……。
この言葉を真摯に受け入れ生きてこられたからこそ、
あのような優しい語り口の中にもストレートに心に響いてくるジャーナリストになられたんでしょうね。
そして、私も母の言葉を考えてみました。
たくさん言ってくれてるはずなのに……
どうしても思い出せない。
母親の辛い顔と、泣いている顔と、お薬を飲んでいるところと、
「痛い」
「ゴメンね」
これしか思い出せない。
今も一緒に住んでいるのに。
なぜだろう……?
私がげんちゃんの母親になり、
母親をババちゃんという目で見るイヤな奴になったのか……
よくわからないのです(笑)
こんな事を感じてるなんて、母親が知ったらショックだろうな~
父親と喧嘩ばかりして謝ってくれた「ゴメンね」。
父親が入院して、一人で家にいた時に謝ってくれた「ゴメンね」。
再婚する時、祖母に二度と敷居を跨ぐなと罵声を浴びせられ謝ってくれた「ゴメンね」。
養父がお酒を飲んで暴れている時、こんなはずじゃなかったのにと謝ってくれた「ゴメンね」。
養父と離婚し新しい家に二人で越してきた時に謝ってくれた「ゴメンね」。
胃潰瘍で倒れ病院のベッドで手術後に謝ってくれた「ゴメンね」。
一番胸に突き刺さったのは……
股関節の骨を折って手術し病院から電話をかけてきた時、
「手術の費用と入院費がなくて、貸してくれる?」
「お父さんの残してくれたお金、使ってもいいよ」
「そのお金はね、全部**さん(養父)の借金に消えちゃったの。それでも足りなくて、先月まで私がずっと払っていたのよ。だからお父さんがあなたに残してくれたもの、何もないの。ゴメンね。」
お父さんが自分に残してくれたものがないというショックより、
この「ゴメンね」を言った時の母親の心の中は、どんなだったんだろう……。
実際のところは……逃げているかもしれないけど、
あまりにも辛くて知りたくない。理解したくない。
最近まで養父の事を憎んで恨んで、存在を消してしまいたかった。
でも、養父も辛かった。
天涯孤独の寂しさを、
お酒を飲んで逃げるしか方法がなかった。
自分は辛くて寂しいんだって、訴えていたんだ。
仕方ないな……お父さんが私に与えてくれた優しさに包まれて、養父の蓄積していたものをリセットできたのなら。
それが私が養父と出会った意味なのかもしれない。
寛恕の心を学ぶきっかけ作りをくれた事に感謝なのかもしれない……。
養成講座に進むきっかけづくりをしてくれたんだ!
でも……もう母親の「ゴメンね」は聞きたくない。
私が母親の立場になって、わかった気がする。
「ゴメンね」を言った時の切なさが、辛さが、心の痛みが……。
少しずつでいい。
「ゴメンね」に勝てるだけの、
「ありがとう」をプレゼントしてあげたいな。
恥ずかしくて面と向かっては言えないけど……
たくさんの「ありがとう」と笑顔がある家になりますように、
これからも一歩ずつ進んでいきます。
読んでくださった皆様、ありがとうございました!(^人^)
より、もっとたくさんの
「ありがとう」
これから、一杯いっぱい言えますように…
はちみつさんから元気を
いただきました
みんな一生懸命なんだなぁ…って
ありがとうございます
私は、母のごめんねが大嫌いでした。
だけど、謝るしかできなかった母の弱さに寄り添い、私は娘に「ありがとう」と言い続けたいです。
はちみつさまが心から笑顔になり、幸せなら、お母様の人生も光になりますね。
そして、お孫様と一緒に過ごす日々が、何よりの「ありがとう」だと思います。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
(^人^)
最後の「ゴメンね」は 、あまりにも辛くて抱えきれなくて…数日思うように話すこともできなくなってしまいました。
ただ泣くだけ…
自分が自分でなくなりました。
そんな気持ちを支えてくれたのは家族と友人。
何も言わないけど、気づかないふりで寄り添ってくれました。
だけど乗り越えてはいなかったんですね。昨日の澤谷先生のブログを読ませていただいて、急にデトックスができました。
先生に感謝です!
そして辛くて悲しい経験を寛恕の心で包み込めるのは自分次第で、必ずその時が来るんですね
また心のダイエットができました。
分かち合ってくださり、ありがとうございました!
(^人^)
ゆかりんさまへ
私のデトックスのお付き合いと気持ちを分かち合ってくださり、ありがとうございます!
ゆかりんさんや皆様が読んでくださったことで、お母さんがお腹が痛いときにあててくれる手のあたたかさ「お手当て」を感じることができました。
拙い文章にコメントをくださり感謝いたします。
(^人^)
Mayさんへ
いつもコメントありがとうございます!
(^人^)
Mayさんのお母様がどのような時に「ゴメンね」と仰ったのかはわかりませんが…澤谷先生は自分が母親になって追体験をしているから 、こういう感情が出てきたんですよと教えてくださいました。
子供を守ることができなかった“やるせなさ”“不甲斐なさ”“切なさ”その他諸々の感情が込められた「ゴメンね」は 、自分の心の中の器に隙間ができてきたから受け入れられたんでしょうね。
先生のブログに出会えたことに感謝しかありません!
日々の暮らしでの「ありがとう」が一番ですよね♪そしてもう1つ…母は股関節の障害受けてから、出掛ける事に臆病になってしまいました。一緒に温泉に行ったり、デパートで買い物をするのが夢だったんですけど…今の精神状態では無理強いするだけ。養成講座で学ぶことで母の心の執着を解き放ち、お仕事と家の往復ではなく、もっともっと楽しんで欲しいなと思ってます。
母が珍しく舞浜にあるシルクドソレイユが観てみたいと口にしたので、先ずはそこから作戦開始です!
分かち合ってくださりありがとうございました!
(^人^)
お辛いですね。切ないですね。
そうして、お母さまのお心を感じつくされているのですね。
そうして、お母さまの悲しみが、流れ去っていく。
はちみつさんのお母さまを思われるその思いが
すべてを洗い流していくのですね。
はちみつさんご自身をも、洗い流していくのですね。
お母さまがそんなにも悲しまれたのも、痛まれたのも
はちみつさんがそんなにも
お母さまの痛みをご自身のものであるように辛くお感じになるのも
すべて、愛が在るからこそ。
どんなにかお母さまははちみつさんを愛されて、
どんなにか、はちみつさんもお母さまを愛されているのですね。
全てが、全てが、愛なのですね。
あたたかいですね。あたたかいですね。
愛は、ちょっとでもすれ違うと悲しみになりますが
大丈夫。
無いものを出すのではない。
溢れるほどあるものを、きちんとかみ合わせるために
ちょっと方向を変えてすり合わせてやればいいのですね。
はちみつさんの溢れる喜びが、溢れる光が
すぐそこまで来ているんですよ。
楽しみですね。嬉しいですね。
ありがとうございました。
娘にとって母親は、生きる規範のような存在なのかもしれないと思いました。
もし、その規範となるべき母が、その規範になり得なかった場合・・・。
娘は、痛みを抱えつつ乗り越え、
ひとつずつ光に変えていく役割を負うのかもしれませんね。
そういえば・・・。私の母は、はちみつさんのお母様と対照的ですね・・・。
決して、謝らない母でした。
母の顔は、辛さから怒る顔であり、泣き顔も、
父への怒りと反発の涙だったような気がします。
母は、頑張っていたのでしょう・・・。それなのに・・・。
「父の気持ちはこうだから、もっと、こうしてあげたら?」
と、母に共感するよりも、裁く言葉をかけていたのかもしれません。
そうですね・・・。もし・・・。母が・・・。
「ゴメンね」と、言い続けていたとしたならば・・・。
ああ・・・。怒っているのならば、まだ、反発のしようがありますが・・・。
「ゴメンね」と、泣いて謝られたら・・・。反発することもできない・・・。
かといって、母の気持ちを受け止めてあげられるほど、自分は広く大きくはない・・・。
母を支えられない自分を、責め続けたかもしれない・・・。
「ゴメンね」・・・。これは・・・。娘としては、気持ちの抜け道がないですね・・・。
私が、娘だったら、母にどうしてほしかったのだろう・・・。
母に、どうしてあげたかったのだろう・・・。
小さく小さくなっていた母を・・・。どんな思いで見つめたことだろう・・・。
「お母さん、どうして、こんなことばっかり起きるのかな・・・。」
「どうして、こんなに悲しい思いばかり、お母さんがしないといけないのかな・・・。」
「ゴメンね」じゃない人生を、歩むことはできないのかな・・・。
小さく悲しいお母さんじゃなくてさ・・・。本当は私を包んでほしかったな・・・。
或いは、明るく笑ってみようよ・・・。お母さん・・・。
人生きっと・・・。悲しいことばかりじゃ、ないんじゃないかな・・・。
お母さん・・・。それでも、私を一生懸命、育ててくれたんだからさ・・・。
「ゴメンね」だけじゃなくてさ・・・。
たくさん苦労したけれど・・・。それがあって、嬉しいこともあったね・・・。
そういえる人生にしたいよね・・・。
「ゴメンね」をいうお母さんの心・・・。
お母さん、「ゴメンね」じゃなくってさ・・・。
「ありがとう」って、私にいってくれたら・・・。そういってくれたら・・・。
私は・・・。どんなに辛いことがあったって、
「ああ、私は、お母さんを支えてあげられたんだなって、思えるんだけどな・・・。」
「ゴメンねじゃぁさ・・・。お母さんにとって、私は支えにならなかったってさ・・・。
なんか、そんなふうに聞こえるじゃない? それ、切ないよね・・・。」
「お母さん、ひとつひとつさ・・・。過去になったいろんなことを・・・。
光に・・・。変えていこうよ・・・。人生、そんなに悪いもんじゃないよ・・・。ね・・・。」
はちみつさん・・・。まだ、お母さんの気持ちになるよりも・・・。
ご自分の気持ちに・・・。たくさん、寄り添ってもらいたいな・・・。
まだ・・・。いいんじゃないかな・・・。
もう少し・・・。後回しにしたって、いいんじゃないかな・・・。
理解したくないときは、まだ時期じゃないんだよね。きっと。
お養父さんのことだって・・・。
はちみつさん、本当はわかっていて・・・。
本当は、全部わかっていて・・・。
でも・・・。受け容れていくには、それなりに・・・。
自分も癒されてないと、できないですもんね・・・。
解けていくから・・・。必ず、ほどけていくから・・・。
まずは、ご自分の気持ちから・・・。大事に大事に・・・。包んであげてほしい・・・。
そうしたら・・・。お養父さんと出会った意味も・・・。
きっと、自然とわかっていくから・・・。
これだけのことがあったから・・・。澤谷先生に出会い、
養成講座へのご縁を、いただけたのだろう・・・。
全部、光に変わっていくんでしょうね・・・。
ひとつひとつ・・・。ひとつひとつ・・・。
ありがとうに変わっていくんだね・・・。
ありがとう・・・。ありがとう・・・。