絆の法則

澤谷 鑛

叶わぬ思い(前編)

2013-04-25 | Weblog
黒部 真理子

2013年3月20日、春分の日。
朝起きてしばらくして、なんとなく心の中に引っかかっていたものが気になりました。
何か不可解なものがそこにあります。

「誰かが何かを隠している。」

そんな気がしました。

***

2013年3月27日。
朝、自分の内面から聞こえる罵声で目が覚めました。
メモしてなかったのでよく覚えてはいませんが「畜生」とか「バカ野郎」とか、そういった類の言葉が沢山、朦朧とした意識の中で響き渡っていました。
自分の中に、知らなければいけない何かがあることを感じました。

朝、シャワーを浴びていたら、不倫の末に略奪結婚をしたT氏にお子さんができたという話が思い浮かんできました。
一瞬ドキッとしたような感じがし、なぜかショックなような、なんだかとても嫌な気持ちになりました。

そして、「私たちには子供が産まれたばかりなのに。」という声が聞こえたような気がしました。

幸せなはずなのに幸せになれない、そんな理不尽な現実に直面したときの感覚がするのでした。

***

私たちには、子供が産まれたのに。
子供が産まれたばかりなのに。

子供なんて嫌だ。
子供なんて産まなきゃよかった。
別の道を歩めばよかった。
子供を産んだからこんな大変なことになってしまった。

××(聞き取れない部分)××だったら、良かったのに。

***

母には一体何があったのだろうと思いました。

2013年3月28日。
なんだ、これもまた母の気持ちの追体験だったんじゃないか!

夜、歯を磨いている時にそんなことに気付きました。

***

頭に浮かぶパリの風景。
パリの開放的な空気。
石畳、何を言っているのかわからないフランス語、鳥の声。

彼はほかに好きな人ができて、私との約束を忘れてしまった。
私たちは結婚するはずだった。
色々なことを話しあって、互いの家族にも紹介し合った。

結婚するはずだったのに。
幸せな日々を一緒に過ごすはずだったのに。

彼は私に「君も他に好きな人ができたんだろう」などと根拠のないことを言ってきた。
私は、そんなことはなかった。
彼はただ自分が悪いことをしたと認めたくなかったのだ。
こんな幼稚な男と一緒にならなくて良かったんだと、私は無理やり自分に言い聞かせた。
でも、どうにも辛かった。

***

母は父としっかりと家庭を築き、子育てをしてゆく覚悟をしていました。
でも、我慢できないことがありました。

父には思いを寄せている別の女性がいるようでした。
(仮にその女性のことを「ひろ子ちゃん」とします。)
幼馴染みか近所のお嬢さんなのでしょうか。

父は何も知らない母に「ひろ子ちゃん」を求め続けました。
母は「ひろ子ちゃん」になりきることができませんでした。

「ひろ子ちゃん」の面影を求めて、父は母のことを愛そうとしていました。
しかし、母と「ひろ子ちゃん」は別人でした。
結局、父は母に「ひろ子ちゃん」を見出すことができず、愛することができなかったのです。
もちろん、結婚する時には、互いに愛し合っていました。
でも、父のその「愛」は長続きしませんでした。

父のその「愛」のはかなさは、私の元婚約者の愛情と似ています。

やがて違和感を感じて、たまりかねて家を出る母。

私たちには、子供が産まれたのに。
子供が産まれたばかりなのに。

≪叶わぬ思い(後編)へ続きます≫


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10 コメント

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「理不尽な現実に直面したとき」 (NAO)
2013-04-25 11:13:54
【私たちには、子供が産まれたのに。
 子供が産まれたばかりなのに。】
お母様の悲痛な心の叫びが聞こえてきて、涙が出ます。

わたしの母もそう繰り返していたに違いないこの言葉が、胸に刺さりました。
わたしの母の人生がどんなものであったのかを改めて考えさせられます。

【幸せなはずなのに幸せになれない、そんな理不尽な現実に直面したとき】
お母様の悲しさ、苦しみを思うと胸が締め付けられます。
愛する子どもを手放さなければならなかったほどの絶望感…
お母様は深い深い闇の中にいらしたのだと感じます。

真理子さんは、ご自身の悲しい体験が「理不尽な現実に直面したとき」の「母の気持ちの追体験だった」と気がつかれたのですね。

後編も読ませていただきます。
ありがとうございます。
返信する
NAO様 (黒部真理子)
2013-04-25 13:55:20
いつもコメントありがとうございます。

一気に全部掲載にならないのはもどかしいですね(笑)
今回は明日までの2回シリーズです。
私も3月20日の時点では自分がこれから何を知ることになるのか全くわかりませんでした。

さて、私は名古屋での父の思いに関するデトックス体験を書き始めましたが、まとまらなくて止まってしまいました。
(5月の半ばに「つぐない」という父に関する文章が載る予定ですが、それとは別です。)
しっかり文章にして今までどおり先生に提出したいという気持ちはあるのですが、一瞬で長年の恨みが消え去る感覚をどう表現したらいいのでしょう…。

そのようなわけで、その後の経過を簡単に書いておきます。

名古屋から帰ってきた翌週の週末は、大磯(神奈川県)の親戚を訪ねました。
10年以上会っていない、現在90代の祖母の姉夫婦です。
年賀状のやり取りだけが続いていて、今となっては連絡先を知っている唯一の親戚でした。
90代のご夫婦であるにもかかわらず、私のことをよく覚えていてくれて私は感動してしまいました。
ご負担になるといけないので長くはいられなかったのですが、幼い頃によく遊んでもらったことなどを思い出すことができましたし、とても懐かしい気持ちになりました。
本当に会えて良かったと、その祖母の妹夫妻に感謝しました。
デトックスの時のような、感謝と申し訳なさで心が満たされる感覚がしました。

澤谷先生によるとこれは「家系デトックス」とのこと。
デトックスには種類があるのですね。
(何種類あるのかな?)

そして、翌日からは体調が悪くなりました。
食欲がなくなったり、お腹をこわしたりしています。
体も連動してデトックスしているのでしょうか…。

デトックスって、どう出るか見当がつかないですね。
不思議な体験です。

ありがとうございます。
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真理子様 (NAO)
2013-04-25 14:24:53
お返事ありがとうございます。

「一瞬で長年の恨みが消え去る感覚をどう表現したらいいのでしょう…。 」
そうなのですよね…
この思いを、感覚を、どう言葉で表したら伝わるのか、とてもエネルギーが必要な時があります。
でも真理子さんのお書きになられる文章からは、いつもみずみずしい感情が伝わってきて、素晴らしいと感じます。。。

おばあ様のお姉様夫婦との再会を果たされて感動なさったお話を伺って、本当によかったなぁ…と嬉しくなりました。

「デトックスの時のような、感謝と申し訳なさで心が満たされる感覚がしました。」
真理子さんとご夫婦の魂が愛で結ばれたのですね。
素晴らしいですね。

わたしには、絶縁状態になっている父方の伯母や従兄姉がおります。
真理子さんがご夫婦とご連絡を取り合っているのを伺って、わたしもいつか連絡してみたいと思いました。

体調にも予想以上に影響したりしますよね。
どうぞご自愛くださいませ。

素晴らしい体験を聞かせてくださって、ありがとうございます。
心より感謝しています。

ありがとうございます。
返信する
まるで仕組まれているかのように。 (さくらみるく)
2013-04-25 14:26:38
最初は「母の気持ちがわからない」とおっしゃっておられた黒部さんですが、一旦蓋が開くと、後から後からとお気付きが押し寄せてきておられるのですね。それも、声が聞こえる(ような気がする?)という、とても不思議な鮮やかな、そしてわかりやすい形でそれが起きていることを、大変興味深く拝見致しました。

なんだ、これもまた母の気持ちの追体験だったんじゃないか!

と、書かれていました。

親の気持ちがわからない。
また、子の気持ちがわからない。と
たくさんのお子さんが、親御さんがカウンセリングで言われます。
でも、本当はわからないはずがないのですね。

子どもは必ず親の事情や感情を体験しますし
親は、子どもの悩み苦しみ、求めの中に
必ず自分自身が、幼い頃親に対して求めていた感情が
映し出されてくるのを見るのだと思います。

自分を見つめ、自分の感情を丁寧に丁寧に感じ尽くし
自分を許し受け入れていく過程で
人は必ず親を、子を、理解できるように仕組まれているように感じられてきます。

何もかもが、親子が理解し合えるように動いており
親子揃ってしあわせになる運命へと、人生は
すべての人を導き、押し出しているように思えてくるのです。

それはとてもとても辛いこと、苦痛を伴うことですが
その苦しみを通って至ることのできる光を思うと
人生は、苦しみも含めて、なんと素晴らしいのかと思わずにいられません。

ありがとうございました。
後編を楽しみにしています。
返信する
NAO様 (黒部真理子)
2013-04-25 15:36:27
ご返信ありがとうございます。

私、間違えました。
「祖母の『姉』夫婦」ではなく「『妹』夫婦」でした。
失礼いたしました。

私の実家は今までのデトックス体験をお読みいただけばおわかりの通り、父が事業で失敗をして経済的にも大変なことになってしまいましたので、親戚たちも寄り付かなくなってしまったんです。
私が祖母の介護をしている時期には「あなたみたいになったら、人生おしまいよ。」とか「それじゃあお嫁にも行けないし、どうしようもないわね。」といったことを直接言われておりまして、心を鈍感にしていた私ではありましたが、さすがにこたえました。
彼らからは、もうかつてのように普通に口なんてきいてもらえない感じで、私にはそうした彼らの態度に怒りと恨みを感じていました。
意識はしていませんでしたが、ずっと長い間許せないでいたんですね。

ひょんなきっかけで、疎遠になっている彼らに会いに行くことになりました。
高齢ということもあり、急がないと彼らは待っていてくれないかもしれません。
行くか行かないかに関して迷っている余裕はありませんでした。

そして、実際に会ってみたら、幼かった頃のように受け入れてもらえたので、何てありがたいことなんだろうと感じました。
小さい頃、随分お世話になったことも思い浮かんできました。

そして、今までのデトックスで恨みつらみを解消できていなかったら、彼らのことも許せないままだったのだと思いました。

「自分はどこにも受け入れてもらえない」という思いが私にはありましたが、自分が変わることによってその思いも、それに伴う現実も変わってゆくのかもしれないと思えてきました。

NAOさんも疎遠になっている方々にお会いになって、温かな思いに満たされる時が来るのかもしれないですね。

ありがとうございます。
返信する
さくらみるく様 (黒部真理子)
2013-04-25 17:47:59
はい。
つい先日まで、母の気持ちが全くわからなくて途方に暮れておりました(笑)

考えてみると、わからなくて当たり前なんですよね。
子供を抱っこしたことすらほとんどない自分なのに、母親がどんな気持ちかなんて、わかるわけがないのです。
しかも母親は記憶にない、私にとっては知らない人なわけですし。

でも、なぜかわかってしまうのがデトックスの不思議です。
考えてもわからない神秘的な経験です。

それなら、知っている人に対してならデトックスがスルスルと進むかというと、そうでもなくて父の思いを知りたくても、そんなにすぐには出てきませんでした。
結局、考えるだけ考えて、後は放っておくしかありませんでした。

幸い、立て続けにデトックスを経験させていただいておりますが、私には急いでデトックスしなければいけない理由があると思えています。
自分では、はっきりと意識できない理由なので、ぼんやりとなんとなく「存在する」という程度でしかわかりません。
もしかして、人生の転換点に来ると、こうしたことが起きるのかもしれません。

転換点だとしたら、どんな転換なんでしょうね。
死んじゃうとかじゃないといいのですが。

声が聞こえるデトックスって、珍しいのでしょうか?
私にとってデトックスは、映画の中に入り込んでしまったかのような、劇的でドラマチックな体験です。
(その情景が少しでも私の文章から伝わると良いのですけど。)
色も音も映像もあります。
(場面によって、言葉だけのこともあります。)
登場人物が誰だか紹介されなくても瞬時にわかってしまいます。
そして、その人の思いが手に取るようにわかってしまうのです。
彼らは私が知らないままでいてはいけない「思い」を必ず持っています。

自分でストーリーのつじつま合わせなんて考えなくても、全自動でなんとかなってしまう、身をゆだねるだけの不思議な体験です。
そのかわり、デメリットとしては体に不調が出ることと、見たくもない残虐な場面などを見なければならず、知りたくもない辛いことを聞かされてしまうことです。

今回は「誰かが何かを隠している」と、なんとなく気付いたことから始まっています。
身近な親族であっても人の秘密を知ってしまうことに対して私(顕在意識の自分)は抵抗を感じていました。
しかし、問答無用で後日、知ることになってゆきました。

潜在意識が動いたら顕在意識で考えたことなんて軽く吹っ飛んでしまうのだなと、ここでも潜在意識の力強さを実感することができました。

ありがとうございます。
返信する
浮遊 (もも)
2013-04-25 22:56:09
お久しぶりです。

何だか、翻弄されている感じがしました。

つかみどころがなく、浮遊している感じです。

後編を読むと、落ち着くところに落ち着くと思います。

後編が楽しみです。

ありがとうございました。

心より感謝を込めて
返信する
もも様 (黒部真理子)
2013-04-25 22:57:35
感じてくださいましたね、この「つかみどころのなさ」!
私のデトックスのスタートはいつもこんな感覚で始まっています。
「何かがある」ということしかわからないのです。
その「ある」という感覚さえ、本当なのだか夢なのだか…。

今日のコメントくださった方々は、こんなつかみどころのない文章を読んでコメントしてくださったのですよね。
すごい創造性と文章力だと思います。
あらためて感謝を感じます。

ここまででは、母のことなのだか、父のことなのだか、私のことなのだか、確かにわからないですね。
明日には、これらが何のために出てきたのか、誰の何がわかるのかがはっきりします。

それは私にとってショックではありましたが、こうして自分のことを知ってゆくのだなとも思いました。

ありがとうございます。
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Unknown (エンジェル )
2013-04-25 22:59:41
「叶わぬ思い」という題名と、黒部さんのお名前を拝見しただけで、胸が苦しくなってしまいました。
デトックスとは、こんなにも壮絶なのかと、わたしには感じてしまいます。お母様と、黒部さんは同じ思いを体験されているのですよね。それに、気付かれたんですね。よく、同じようなことが連鎖されていくといわれますが、そういうことなのでしょうか。

私たちには、子どもが産まれたのに。
子どもが、産まれたばかりなのに。

という、フレーズが何度もでてきて、自分のことを思い出しました。
学生時代、あこがれの先輩がいて、おなじサークルの同級生と結婚したのです。そのふたりが、1歳のこどもがいるのに離婚したと聞き、「えー、1歳の小さな子どもがいるのに離婚?」
わたしには、信じられませんでした。
でも、その後結婚した私は、妊娠6カ月で別居し、1年1カ月後に離婚しました。
子どもがどんなに小さくても、それぞれに事情があって別れるのだと思いました。まさか、自分がそういうことになるなんて、夢にも思っていなかったのですが。
そのことを、思い出してしまいました。
お母様のお気持ちが、ほんのすこしですが、なんとなくわかるような気がしました。

黒部さんのデトックスは、すごいですね。
いつも、ありごとうございます。
返信する
エンジェル様 (黒部真理子)
2013-04-25 23:34:18
胸が苦しくなってしまわれたとのこと、それは条件反射ですね。
私、改名しようかな(笑)

デトックスに関してですが、きっと個人差がかなりあるとは思いますが、全然違う場面や違う立場でも同じ思いをさせられてしまうもののようです。
私はなんとなくそんな気がしています。

母はたぶん田舎育ちですし、私は東京生まれの東京育ちです。
育った環境も違いますし、世代が違うので時代も変わってきています。
それでも、どんなに背景が違っていたとしても同じ思いを共有してしまうものなんですね。
なぜか母の気持ちが私にもわかってしまいました。

母の思いを知るデトックスを経験して母の愛に満たされるのは幸せな経験でした。
デトックスのたびに自分の心が愛と感謝で満ち溢れるのを感じます。


今回はその日その日に感じたことを書き留めたメモをそのまままとめただけのシンプルなものです。
どこからどこまでをデトックスと言うのかは私にはわかりませんが、澤谷先生がこうしてブログに載せてくださっているということは、きっとこれもデトックスなのだろうなと思っております。
こんなバラバラな思いを感じながら、ある時それがまとまって意味を成してゆくというのが自分でも面白く思えたので、あえてメモ書きの文章のまま先生にご覧いただきました。


私は先ほどお風呂に入っていたんですが、お湯につかりながら
「子供は親にお世話をかけるけど、親を救うために産まれてきているものなんだな。」と思いました。
子供がいないくせに、そんなことを思ってしまいました。(すみません。)
なんだか、こうした気付きがいろんなことにつながってきそうな気もしています。
お子さんがいるっていいものですね。

きっと、エンジェルさんのお子さんは、エンジェルさんのことを守ってくれているのではないかな…なんて勝手ながら想像しております。

ありがとうございます。
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