拝啓 陸の孤島から

いいことがあってこその 笑顔じゃなくて
笑顔でいりゃいいこと あると思えたら それがいいことの 序章です

こうはなりたくない

2006年02月20日 18時53分33秒 | 日々の話
みなさんは「理想の自分」ってありますか?
もしくは「こうなりたい自分」とでも言いましょうか。

つくもは漠然と「誰かが困ったとき一緒にいてあげられる存在」になりたい、と考えていました。
幼稚と言えば幼稚。
一緒にいるだけじゃなくてなんかしてやれよ、と自分で突っ込みたくなりますが、
もしかしたら「雨ニモマケズ」の影響があるのかもしれません。

そして現在ですが、こういう仕事をしていることで、
その理想は半分くらいは実現できたのかもしれません。

つくもは考え方がガキの部分が多々ありますから、
一般には20歳ぐらいまでであろう思春期に良く見られる、
「こうなりたい」「ああなりたい」というような、
ケツの青さを露呈するような発言つい最近まで繰り返してきました。



ただ、最近になって少し考え方が変わってきました。

詳しく書くと愚痴になってしまうので書きませんが、
(実は一度下書きしてみたのですがやっぱり愚痴になったのでやめました)
ここのところ少し、人間不信(そんな大げさなもんじゃないけど)に陥っていました。


その中で、「こうはなりたくないな」っていうことを強く意識させられました。

安易なカテゴライズ。
自分を強く見せるための虚飾。
自分は変わろうとしないのに、人を闇雲に変えようとする。
無意味で不毛な花いちもんめ。
価値観の強要。
人の気持ちを理解できると思っている傲慢さ。

「彼」はつくもが忌んでいる性質を見事に兼ね備えていました。
(ただし、つくももこれらを全否定できるほど立派な人間ではありませんが)


「こうなりたい」と「こうはなりたくない」とを比べれば、
「こうはなりたくない」というのは、いささか消極的な気がします。
もし、生徒にどちらかのテーマで作文を書かせるとしたら、
やはり「こうなりたい」の方が健全である気がします。
(「こうはなりたくない」で書かせても面白そうですけども)

しかし、10代の若者が「こうなりたい」って言うのであればまだしも、
もう20代も後半であるつくもが「こうなりたい」って言ってしまうのは、
今までの人生を否定とはいかないまでも、肯定していない気がしてきました。
以前思った「こうなりたい自分」に今の自分がなれているかはともかくとして、
今ここにいる自分をとりあえず認めてやる。
もしかしたら「理想の自分」や「本当の自分」はどこかにいるかもしれないけれど、
それを追い求めることは「現在の自分」に対して失礼ではないか、と。

そこで「こうはなりたくない」です。
幸か不幸か、反面教師は身の周りに意外なほどいるという事に気付きました。
(もしかしたら、そう思っているつくもも誰かの反面教師かもしれません)
得点を増やすのではなく、失点を減らす。
こういう理想へのアプローチの仕方もあるのかな、って思いましたね。



ただ、世の中が反面教師ばかりになると、
若者が育たなくなると思います。
若者にはやはりヒーローは必要です。
理想を語ることのできる大人。今の日本に必要なものの一つではないでしょうか。