みなさんは「理想の自分」ってありますか?
もしくは「こうなりたい自分」とでも言いましょうか。
つくもは漠然と「誰かが困ったとき一緒にいてあげられる存在」になりたい、と考えていました。
幼稚と言えば幼稚。
一緒にいるだけじゃなくてなんかしてやれよ、と自分で突っ込みたくなりますが、
もしかしたら「雨ニモマケズ」の影響があるのかもしれません。
そして現在ですが、こういう仕事をしていることで、
その理想は半分くらいは実現できたのかもしれません。
つくもは考え方がガキの部分が多々ありますから、
一般には20歳ぐらいまでであろう思春期に良く見られる、
「こうなりたい」「ああなりたい」というような、
ケツの青さを露呈するような発言つい最近まで繰り返してきました。
ただ、最近になって少し考え方が変わってきました。
詳しく書くと愚痴になってしまうので書きませんが、
(実は一度下書きしてみたのですがやっぱり愚痴になったのでやめました)
ここのところ少し、人間不信(そんな大げさなもんじゃないけど)に陥っていました。
その中で、「こうはなりたくないな」っていうことを強く意識させられました。
安易なカテゴライズ。
自分を強く見せるための虚飾。
自分は変わろうとしないのに、人を闇雲に変えようとする。
無意味で不毛な花いちもんめ。
価値観の強要。
人の気持ちを理解できると思っている傲慢さ。
「彼」はつくもが忌んでいる性質を見事に兼ね備えていました。
(ただし、つくももこれらを全否定できるほど立派な人間ではありませんが)
「こうなりたい」と「こうはなりたくない」とを比べれば、
「こうはなりたくない」というのは、いささか消極的な気がします。
もし、生徒にどちらかのテーマで作文を書かせるとしたら、
やはり「こうなりたい」の方が健全である気がします。
(「こうはなりたくない」で書かせても面白そうですけども)
しかし、10代の若者が「こうなりたい」って言うのであればまだしも、
もう20代も後半であるつくもが「こうなりたい」って言ってしまうのは、
今までの人生を否定とはいかないまでも、肯定していない気がしてきました。
以前思った「こうなりたい自分」に今の自分がなれているかはともかくとして、
今ここにいる自分をとりあえず認めてやる。
もしかしたら「理想の自分」や「本当の自分」はどこかにいるかもしれないけれど、
それを追い求めることは「現在の自分」に対して失礼ではないか、と。
そこで「こうはなりたくない」です。
幸か不幸か、反面教師は身の周りに意外なほどいるという事に気付きました。
(もしかしたら、そう思っているつくもも誰かの反面教師かもしれません)
得点を増やすのではなく、失点を減らす。
こういう理想へのアプローチの仕方もあるのかな、って思いましたね。
ただ、世の中が反面教師ばかりになると、
若者が育たなくなると思います。
若者にはやはりヒーローは必要です。
理想を語ることのできる大人。今の日本に必要なものの一つではないでしょうか。
もしくは「こうなりたい自分」とでも言いましょうか。
つくもは漠然と「誰かが困ったとき一緒にいてあげられる存在」になりたい、と考えていました。
幼稚と言えば幼稚。
一緒にいるだけじゃなくてなんかしてやれよ、と自分で突っ込みたくなりますが、
もしかしたら「雨ニモマケズ」の影響があるのかもしれません。
そして現在ですが、こういう仕事をしていることで、
その理想は半分くらいは実現できたのかもしれません。
つくもは考え方がガキの部分が多々ありますから、
一般には20歳ぐらいまでであろう思春期に良く見られる、
「こうなりたい」「ああなりたい」というような、
ケツの青さを露呈するような発言つい最近まで繰り返してきました。
ただ、最近になって少し考え方が変わってきました。
詳しく書くと愚痴になってしまうので書きませんが、
(実は一度下書きしてみたのですがやっぱり愚痴になったのでやめました)
ここのところ少し、人間不信(そんな大げさなもんじゃないけど)に陥っていました。
その中で、「こうはなりたくないな」っていうことを強く意識させられました。
安易なカテゴライズ。
自分を強く見せるための虚飾。
自分は変わろうとしないのに、人を闇雲に変えようとする。
無意味で不毛な花いちもんめ。
価値観の強要。
人の気持ちを理解できると思っている傲慢さ。
「彼」はつくもが忌んでいる性質を見事に兼ね備えていました。
(ただし、つくももこれらを全否定できるほど立派な人間ではありませんが)
「こうなりたい」と「こうはなりたくない」とを比べれば、
「こうはなりたくない」というのは、いささか消極的な気がします。
もし、生徒にどちらかのテーマで作文を書かせるとしたら、
やはり「こうなりたい」の方が健全である気がします。
(「こうはなりたくない」で書かせても面白そうですけども)
しかし、10代の若者が「こうなりたい」って言うのであればまだしも、
もう20代も後半であるつくもが「こうなりたい」って言ってしまうのは、
今までの人生を否定とはいかないまでも、肯定していない気がしてきました。
以前思った「こうなりたい自分」に今の自分がなれているかはともかくとして、
今ここにいる自分をとりあえず認めてやる。
もしかしたら「理想の自分」や「本当の自分」はどこかにいるかもしれないけれど、
それを追い求めることは「現在の自分」に対して失礼ではないか、と。
そこで「こうはなりたくない」です。
幸か不幸か、反面教師は身の周りに意外なほどいるという事に気付きました。
(もしかしたら、そう思っているつくもも誰かの反面教師かもしれません)
得点を増やすのではなく、失点を減らす。
こういう理想へのアプローチの仕方もあるのかな、って思いましたね。
ただ、世の中が反面教師ばかりになると、
若者が育たなくなると思います。
若者にはやはりヒーローは必要です。
理想を語ることのできる大人。今の日本に必要なものの一つではないでしょうか。
「なりたくない自分」は・・・・・・「だれかのために」という大義名分のもと頑張る自分・・・・・・とかでしょうか。
「自分」っていうのが難しいですよね。「そもそも私を私と決定づけている部分はどこなのだろう?」とか考えたりもするのですが・・・・・・うーん^^;
今の自分を変えてしまうでは無く足してゆく、前向きさは無くしたくないです。
思春期って刺激を受けやすく移り気やから、語りっぱなしになったりしますよね。
大人になるにつれ夢や希望が定まったり、語りっぱなしも信用問題にも関わるし、義務は無いけど言ったからにはそれに対する責任?みたいなものは必要なのかと。
出来なかったら…とか、冷めてしまうと言うか、たかだか自分の出来る事の小ささにぶち当たり、折り合い付けて意欲を無くしてしまう部分って無いですかね?
途方も無い夢物語やひとりよがりもどうかと思いますし。何事もほどほどにって事なのでしょうか??
『なりたくない』ものから消していくのもまた一つなのかもしれないなぁ。
ただ生きてるよりは何か向上心を持っていたいです。
あぁ~これも理想かも知れん。自分は何も出来ずに空回りしてますからね。
私はまだまだケツ青いです(-ω-;)
>Winさん
「私を私と決定づけている部分」ですかあ、難しいですね・・・。
センター試験なんかよりはるかに難問です。
これはあくまでつくもの見解なのですが、
「自分」というのは自分では決められないと考えます。
むしろ、様々な他者との関係性(縛りともいう)によって規定されるのではないか、と。
まあ、この考え方は椎名林檎のパクリなんですけどね(笑)
(「百色眼鏡」とか「罪と罰」とか「りんごのうた」の世界観ですね)
>ちなさん
死ぬ直前まで夢や理想を持ち続けるのは確かに大事だと思います。
特につくもは、夢や希望を語る側ですしね。
生徒とつくもはおよそ10歳離れているのですが、
生徒が10年後の自分というものをイメージするモデルとなりたいなとはいつも思います。
ただ、自分の理想となると、なんというんですかね、
守りに入っちゃったというか、理想をすり合わせるというか、逆算するというか。
(漠然とした言い方で逃げるのはつくもの悪い癖です)
これは自分の場合の話ですが、
思春期の時は現在の自分を否定した上での理想だったんです。
(自分に自信がなくて悩んでましたしね)
今では、現在の自分ありきでそこから何を上積みできるか、
もしくは何を削ぎ落とすことができるのか。
そんなことを最近は考えています。
本文の補完だと思って読んで頂けると幸いです。
「子供は親の背を見て育つ」なんて言われるように、良くも悪くも他人によって作られていく・・・・・・。じゃあ「犯罪者」っていうけれど、悪いのはなんなのかなーとか・・・・・・悪いことをしたのは確かだけれど、それをしてしまった理由は・・・・・・。そんな理由から裁判傍聴しに行ったりしちゃいましたし(笑)怖い方向で固まりつつあります^^;踏み外すつもりはないのですが・・・・・・どうしても「なんだかなー」と(´-`)
「子供は親の背を見て育つ」なんて言われるように、良くも悪くも他人によって作られていく・・・・・・。じゃあ「犯罪者」っていうけれど、悪いのはなんなのかなーとか・・・・・・悪いことをしたのは確かだけれど、それをしてしまった理由は・・・・・・。そんな理由から裁判傍聴しに行ったりしちゃいましたし(笑)怖い方向で固まりつつあります^^;踏み外すつもりはないのですが・・・・・・どうしても「なんだかなー」と(´-`)
裁判を傍聴したことがあるんですか!? すごいですねえ。
やはり、刑事事件を見に行かれたんでしょうか・・・。
悪いことをする理由ですか。
正直言って、つくもにはそんな難しいことはわかりません(苦笑)
よく少年犯罪などが起こると「心の闇」として、
社会や学校、家庭もしくは地域社会などがやり玉に挙げられますが、
そうした負の面が積み重なった結果、犯罪に走ったという面もあるでしょうが、
本来あるべき周囲の愛情(やはり縛りとも言う)が欠けたからこその犯罪もあるのではないでしょうか。
人間誰しも、一度ぐらいは誰かを殺してしまえたらとか、
手に入れたいものをなんとしても奪いたいと思うことがあると思うことがあると思うのですが、
その時にすんでのところでストップが掛かるのは、
タテとヨコの繋がり(しつこいけれど縛り)だと思うのです。