拝啓 陸の孤島から

いいことがあってこその 笑顔じゃなくて
笑顔でいりゃいいこと あると思えたら それがいいことの 序章です

ひよこの眼

2006年02月11日 23時01分43秒 | お仕事の話
山田詠美の「ひよこの眼」という短編を、
3年生の最後となる現代文の授業で扱いました。

あらすじはですねえ、

私(亜紀)のクラスに季節はずれの転校生(幹生)がやってくる。
彼はいつも何かをぼんやりと眺めているようで、
亜紀はその目になぜか懐かしさを感じるが、
それが何に因るものなのかわからず、もどかしさを覚える。
そのもどかしさを払拭しようと幹生を見つめるようになるが、
それが災い(?)して不本意な恋の噂を立てられ、
二人は文化祭の実行委員にさせられてしまう。
一方の幹生はどこか超然とした態度で、
そのことを気にする様子もなく亜紀と接する。
次第に亜紀は幹生に惹かれてゆくが、
懐かしさの正体は未だわからず、不安を覚える。
帰り道の公園でお互いの恋心を確認しあったその夜、
亜紀は幹生の目が、昔に夜店で買ったひよこの目と似ていることに気付く。
自分が死ぬことを予期し、生を諦めてしまったあの目に・・・。
翌日、幹生の父親が借金を苦に自殺を図り、
幹生もその道連れにされたと知る。
そこに至り、幹生が自分の死を見つめていたことを亜紀は悟り、
同時に若くして、この世には思い通りにならないことがあることを知る・・・、という話。


教科書で扱うには結構ヘヴィな話だし、
生徒の中には肉親を亡くしている子も当然いるだろうから、
扱いづらい題材ではあるんですが、どうしても最後に読みたかったんです。

卒業してこれから社会に出ていく彼らは、
大変失礼な言い方だけど、どっちかって言ったら「歯車」側です。
辛いことはもちろん、死にたくなるようなことも幾度とあるかもしれない。
でも、でもですよ。
我々は生きている以上、生きるという義務を果たさねばならないと考えるのです。

幹生とひよこはその目を通じて、
「成長することなく死んでしまった幼き者」として描かれます。
何はともあれ、つくもや生徒を含め、我々はここまで生きてきた。
仮にそこに必然性が無くとも、生きていなきゃいけない。


それともう一つ。
本文に印象的な部分があるんですが、
「ひよこは死をとらえていなかったかもしれない。
 しかし、死は確実にひよこをとらえていた。」
というところ。

健全な高校生にとって、死は最も縁遠い概念でしょう。
しかし、死は直線の向こう側にあるのではなく、
見えないところで息をひそめていて、突然我々の前に姿を現します。

村上春樹の「ノルウェイの森」にも印象的な一文がありますね。

死は生の対極ではなく、その一部として存在している。

しかし、闇雲に死を恐れるのではなく、
その存在に目を向けたとき、否、向けて初めて、
生の意味や有意義さを感じることができるのではないでしょうか。

これから学校生活を終え、社会に飛び出していく彼らに、
敢えて死の概念を意識させる。


これが国語科としてのつくもにできる、
最大の卒業祝いではないかと自分では思っています。


ちなみに、生徒の反応は概ね良好でした。
衝撃的なラストに涙した子もいるそうです。

危険な賭けに勝った・・・?