山田詠美の「ひよこの眼」という短編を、
3年生の最後となる現代文の授業で扱いました。
あらすじはですねえ、
私(亜紀)のクラスに季節はずれの転校生(幹生)がやってくる。
彼はいつも何かをぼんやりと眺めているようで、
亜紀はその目になぜか懐かしさを感じるが、
それが何に因るものなのかわからず、もどかしさを覚える。
そのもどかしさを払拭しようと幹生を見つめるようになるが、
それが災い(?)して不本意な恋の噂を立てられ、
二人は文化祭の実行委員にさせられてしまう。
一方の幹生はどこか超然とした態度で、
そのことを気にする様子もなく亜紀と接する。
次第に亜紀は幹生に惹かれてゆくが、
懐かしさの正体は未だわからず、不安を覚える。
帰り道の公園でお互いの恋心を確認しあったその夜、
亜紀は幹生の目が、昔に夜店で買ったひよこの目と似ていることに気付く。
自分が死ぬことを予期し、生を諦めてしまったあの目に・・・。
翌日、幹生の父親が借金を苦に自殺を図り、
幹生もその道連れにされたと知る。
そこに至り、幹生が自分の死を見つめていたことを亜紀は悟り、
同時に若くして、この世には思い通りにならないことがあることを知る・・・、という話。
教科書で扱うには結構ヘヴィな話だし、
生徒の中には肉親を亡くしている子も当然いるだろうから、
扱いづらい題材ではあるんですが、どうしても最後に読みたかったんです。
卒業してこれから社会に出ていく彼らは、
大変失礼な言い方だけど、どっちかって言ったら「歯車」側です。
辛いことはもちろん、死にたくなるようなことも幾度とあるかもしれない。
でも、でもですよ。
我々は生きている以上、生きるという義務を果たさねばならないと考えるのです。
幹生とひよこはその目を通じて、
「成長することなく死んでしまった幼き者」として描かれます。
何はともあれ、つくもや生徒を含め、我々はここまで生きてきた。
仮にそこに必然性が無くとも、生きていなきゃいけない。
それともう一つ。
本文に印象的な部分があるんですが、
「ひよこは死をとらえていなかったかもしれない。
しかし、死は確実にひよこをとらえていた。」
というところ。
健全な高校生にとって、死は最も縁遠い概念でしょう。
しかし、死は直線の向こう側にあるのではなく、
見えないところで息をひそめていて、突然我々の前に姿を現します。
村上春樹の「ノルウェイの森」にも印象的な一文がありますね。
死は生の対極ではなく、その一部として存在している。
しかし、闇雲に死を恐れるのではなく、
その存在に目を向けたとき、否、向けて初めて、
生の意味や有意義さを感じることができるのではないでしょうか。
これから学校生活を終え、社会に飛び出していく彼らに、
敢えて死の概念を意識させる。
これが国語科としてのつくもにできる、
最大の卒業祝いではないかと自分では思っています。
ちなみに、生徒の反応は概ね良好でした。
衝撃的なラストに涙した子もいるそうです。
危険な賭けに勝った・・・?
3年生の最後となる現代文の授業で扱いました。
あらすじはですねえ、
私(亜紀)のクラスに季節はずれの転校生(幹生)がやってくる。
彼はいつも何かをぼんやりと眺めているようで、
亜紀はその目になぜか懐かしさを感じるが、
それが何に因るものなのかわからず、もどかしさを覚える。
そのもどかしさを払拭しようと幹生を見つめるようになるが、
それが災い(?)して不本意な恋の噂を立てられ、
二人は文化祭の実行委員にさせられてしまう。
一方の幹生はどこか超然とした態度で、
そのことを気にする様子もなく亜紀と接する。
次第に亜紀は幹生に惹かれてゆくが、
懐かしさの正体は未だわからず、不安を覚える。
帰り道の公園でお互いの恋心を確認しあったその夜、
亜紀は幹生の目が、昔に夜店で買ったひよこの目と似ていることに気付く。
自分が死ぬことを予期し、生を諦めてしまったあの目に・・・。
翌日、幹生の父親が借金を苦に自殺を図り、
幹生もその道連れにされたと知る。
そこに至り、幹生が自分の死を見つめていたことを亜紀は悟り、
同時に若くして、この世には思い通りにならないことがあることを知る・・・、という話。
教科書で扱うには結構ヘヴィな話だし、
生徒の中には肉親を亡くしている子も当然いるだろうから、
扱いづらい題材ではあるんですが、どうしても最後に読みたかったんです。
卒業してこれから社会に出ていく彼らは、
大変失礼な言い方だけど、どっちかって言ったら「歯車」側です。
辛いことはもちろん、死にたくなるようなことも幾度とあるかもしれない。
でも、でもですよ。
我々は生きている以上、生きるという義務を果たさねばならないと考えるのです。
幹生とひよこはその目を通じて、
「成長することなく死んでしまった幼き者」として描かれます。
何はともあれ、つくもや生徒を含め、我々はここまで生きてきた。
仮にそこに必然性が無くとも、生きていなきゃいけない。
それともう一つ。
本文に印象的な部分があるんですが、
「ひよこは死をとらえていなかったかもしれない。
しかし、死は確実にひよこをとらえていた。」
というところ。
健全な高校生にとって、死は最も縁遠い概念でしょう。
しかし、死は直線の向こう側にあるのではなく、
見えないところで息をひそめていて、突然我々の前に姿を現します。
村上春樹の「ノルウェイの森」にも印象的な一文がありますね。
死は生の対極ではなく、その一部として存在している。
しかし、闇雲に死を恐れるのではなく、
その存在に目を向けたとき、否、向けて初めて、
生の意味や有意義さを感じることができるのではないでしょうか。
これから学校生活を終え、社会に飛び出していく彼らに、
敢えて死の概念を意識させる。
これが国語科としてのつくもにできる、
最大の卒業祝いではないかと自分では思っています。
ちなみに、生徒の反応は概ね良好でした。
衝撃的なラストに涙した子もいるそうです。
危険な賭けに勝った・・・?