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あした天気になあれ♪

日々の出来事・私の想いなどを
少しずつゆっくり書いていければと思ってます。

姉・・・3

2007-03-28 16:24:04 | 私の事。
両親祖父母が他界し姉妹仲良く生活して育ってきたのですが、

やはり生活は大変でした。
(でもこのころはどこの家庭も大変だったと思います

本来ならば生活保護を・・・と考えるのですが、

家には誰も作ることもなくなった田畑・山・家屋敷が沢山あったため

生活保護などとてももらえる条件ではなかったのです。

しかし、私達が子どもという事もあり

管理は伯父がしていました。

そのために財産が私達姉妹を苦しめもしていたのです。

10歳上の姉が看護師をしながら細々と生活していました。

本来ならば7歳上の姉が中学校を卒業して自立してくれたら

育ててくれた姉もどんなに楽だったでしょう。

でも願いは届かず・・・。

いっそうのこと、姉妹で施設に入ることができれば、どんなに楽なのか

と何度も思ってきたそうです。

でも、姉妹がかわいく施設に入ることよりも

自分が頑張ることを選んで私達を育ててくれました。

4歳上の兄が自立し私が中学の時育ててくれた姉は

悩みぬいたうえに自分の幸せを選択し大阪へ嫁いでいったのです。

姉は本当に色々複雑な想いがあったでしょう。

でも今は幸せにしていてくれるそれが私の幸せでもあります。

まあ育つ過程では色々とあったけれど

今はそれぞれ自立し幸せな家庭生活を過ごしている

それぞれの幸せも私にとっての幸せの一部となっています。


現在私ももちろん幸せです。

ちょっとわがままだけど優しいだんな様とかわいい子ども達に囲まれて

しかし、舅は亡くなるまで私の義兄のことはタッチしたくなかったのかな?

舅・姑どちらも世間体を気にする人ですから

私の姉のことはそれほどでなくてもやっぱり義兄のことは避けたかったようです。

一番義兄にお世話になっているのは舅だったのに・・・。

いつも魚をもらって恩恵になっていたのは舅

しかし、どこであっても舅は義兄にお礼の言葉も言いませんでした。

きっと自分の知り合いだと思われたくなかったのでしょう。

世間体・職業・家柄??

舅の評価はそんなものでした。

だから亡くなるまえになってやっと自分は幸せなんだと気付いたくらいです。

私は育った環境のせいなのか

心を見ていければといつも思っています。

身体的障害も色々な障害も病気も

家柄も職業も私にとって関係ないのかな

ひとりひとりの心を見ていければいいな・・・と思って生きてきました。

きっとこれからもそうだと思います。




今日のお話はここまで

次は私が姉(7歳上の)に対する想いをすこし・・・。

教えているようでいつも教えてもらっていることをお話したいと思います。