ヒナモロコ郷づくりの会ブログ兼ホームページ

ヒナモロコ
【コイ目コイ科、絶滅危惧IA類、
福岡県久留米市指定天然記念物】
私たちはこの魚を保護しています

橋本哲男氏は・・・

2011-02-18 06:45:11 | ヒナモロコとは・・
故:橋本哲男先生 ヒナモロコ原生地にて
                 (朝日新聞提供)

2007年8月25日、先生が突然、何の前触れもなく私たちの前からいなくなった・・
私たちは、いきなり、足元をすくわれたような心境でした。
会の総ては、先生の肩と頭脳にかかっていたと言っても過言ではない実態、基盤整備もいよいよ原生地にかかろうという大事な局面に来たというのに、どうしたらいいのか・・考えることもできず、茫然となりました。
しかし、生きています。このたくさんの命:ヒナモロコはじめ多種類の魚たち。一刻の猶予もありません。ボーっとしてはいられません。事務局長の適切な指示で、会員一同、懸命に移動作業を無我夢中で行いました。
しかし、こんなにたくさんの魚たち・・・橋本先生の、ヒナモロコに対するひたむきな思いが、ひしと伝わってきます。
 そして、「絶対に護ってやる!死なせてたまるか!」そんな思いでみんなは気持ちを一つにしていったのです。



このヒナモロコは、橋本哲男先生(2007. 8. 25永眠)が自宅で大切に育てられていた子供達です。
 突然の先生の訃報に、私達里親の会員は驚き、悲しむ余裕もないまま、3000尾以上のヒナモロコ達の安住の地探しの為に、即行動を起こしました。
その一部が、この「あゆす」に養子として来てくれたこの子達です。
(2007.8.26)
可愛がってくださいネ。
そして、この子達の兄弟達が安心して住める、自然環境づくりにご理解とご協力をお願いします。

           耳納塾:中野君子
     ヒナモロコ里親会員:中野大気


上の、張り紙を付け、水槽にいた子どもたちも、現在ではB水路に放流しています。


先生は、魚だけでなく、生きもの、植物何でも造詣が深く、この田主丸、ことにこの事務局のある、山苞の道近辺は、毎日のようにカメラ片手に歩いておられました。
その写真の一部をお預かりしています。時々、展示して、先生を偲んでおります。
特に、野鳥の写真が多く、こんなにいろんな小鳥が生活しているのだと、地元にいながら驚くばかりです。写真をアップする技術が今の私にはありませんので、できるようになったら、このブログに掲載させていただきます。見てくださいね。

以下、2007年に写真展示した時の、説明文です。つたない文章ですが・・
 写真展にあたり、
 実は、橋本哲男先生に関し、私共はほとんど何も存知じません。10数年前、ヒナモロコという小さな魚に導かれたのが、先生との出会いです。川が好きというだけで、何の知識もなかった私共にたくさんのことを教えて下さり、一緒にヒナモロコを求めて、浮羽郡内のあちこちの川や池に行きました。当時子どもも小さかったのですが、大変可愛がっていただきました。
本当は、こういう場合は、先生のプロフィールを紹介すべきなのでしょうが、いつも、頬笑みを浮かべ、控えめで、穏やかに話される先生のイメージから、そういうことは望まれないだろうな・・・と勝手に解釈させていただくことにします。
本当に博識なのにはいつも驚かされました。絶えず、努力精進されていたのだな・・と頭が下がります。

ここにある写真は、亡くなられる直前まで先生が毎日撮り続けられていたもののほんの一部です。ことにこの山苞の道の小鳥たちは、毎日ちょっとした時間を見つけては撮られていたものです。(私共、先生が大好きだったこの地に住いを得たのも何かのご縁と感慨深い思いです。)  先生は多趣味多才、温厚でかつ心優しい人柄は、多くの方から慕われておられたことでもうなずけます。趣味の域を超えた造詣の深さに、我々ヒナモロコ里親会や耳納塾(イーハトーブ耳納の里作り塾)のほんとの意味で大黒柱でありました。
他にも、山づとの会等たくさんのボランティアに関わられ、重責を担われていたとお聞きしております。
今、先生の姿は突然無くなってしまいましたが、その熱い思いは、残った者達が確かな形で引き継がなければなりません。とはいえ、とても先生には及びませんし、試行錯誤ではありますが、会員(塾生)一同心を一つにして、先生の情熱を具現化し、ヒナモロコは勿論、小さな生命総てと共存できる環境をめざしていこう!と思いを新たにしております。どうか、ヒナモロコをはじめ、このちいさな生き物たちが、末永く,私たちの可愛い隣人として共にこの田主丸の地で生きていけますよう、皆様のご理解、ご協力を、心からお願い申し上げます。  2007年10月26日
   (耳納塾)ヒナモロコ里親会員 中野大気・中野君子
    あ ゆ す 店 長     小田原翔子


*当時は、「里親会」でしたが、現在改称して「郷づくりの会」となっています。
コメント
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