脚本:重森孝子
音楽:中村滋延
語り:藤田弓子
出 演
悠 加納みゆき:京都の繊維問屋「竹田屋」の三女、大阪の「おたふく」で住み込み働き始める
智太郎 柳葉敏郎:悠の初恋の人。沢木雅子の兄、帝大医学部の学生
精二 江藤 潤 :「おたふく」の従業員?板場さん(お初の若いツバメ)
雄一郎 村上弘明 : 毎朝新聞の文芸部記者(姓はヨシノ)、「おたふく」の常連
お初 野川由美子 :大衆食堂「おたふく」の女将。市左衛門の遠縁
・‥…━━━★・‥…━━━★・‥…━━━★
智太郎と悠の奈良でのデートは続く。
「奈良は父の任期が一番長かった所でね、
日曜日ごとに、生まれたばかりの妹を母がだっこしていろんなお寺を散歩した。
京都も好きだったが、それは君がいたからかも知れない」
おたふくでは、雄一郎に営業ではないお昼を出したお初が、悠のことを訊く。
「一人で奈良行ったんと違うわな」
「さぁ。僕は知りませんね。」 ニヤニヤする雄一郎
「あんた昨日も来たやろ? 休みと知ってて。誰か訪ねて来なかったか?」
「さぁ」
「一人で奈良遊びに行けるような子とちゃうねん‥‥
なぁ、あんたもう知ってると思うんやけどな、
悠はある人から預かっている大事な娘さんや。こんなとこで働くような子とちゃうねん。
でもそんなことおくびにも出さんと一生懸命やってくれる、明るうてええ子や、
いずれ時期が来たら親元に帰さなあかん、それまでにけったいな虫が付いたらわての責任や。
あんたなら安心やしこれからも気いつけてくれるか?」
「はい」
精二は買い出しに行って来るから、あんたは休んどき‥‥と言い出かけた。
「どうしてちゃんと話してかなかったんだよ ‥」つぶやく雄一郎
奈良、二月堂。蝉が鳴いている
「君とこうしていると東京へ帰りたくなくなるなぁ。
東京へ帰ると、のうのうと勉強している自分が恥ずかしくなる。
この間も先輩が軍医として兵役に就いた‥‥。
君のお姉さんのご主人も出征されたんだね」
「どうして知ってはるんですか」
「そのお姉さんに教えられた。
こんな時代だからこそ人を愛することが一番大事だって‥‥」
「葵姉ちゃんが‥‥」
「看護婦になるって京都の家を出られる時、わざわざ会いに来て下さった」
「やっぱり京都にはいられへんかったんですね…」
「その言葉に勇気づけられて僕は君を訪ねて来れたんだと思う」
千手観音(四月堂)の前に正座する二人。
「これからは、今までのように、休みの度には帰ってはこれないかも知れない」
「半年にいっぺんでも一年にいっぺんでもいいんです。うち待ってます‥‥」
求めあう二つの心が初めて一つになったことを感じながら、悠はこの時間が永遠に続くことを祈っていました。
おたふくではお初がイライラしていた。
「掃除もした、洗濯もした、晩ご飯の支度もした。精さんも悠も何しとんねん」
「ただいま、遅うなってすんまへん」 悠が智太郎と一緒に帰って来る。
「こちらは沢木智太郎さん。うちの親友のお兄さんで東京の帝大に行ってはるんです」
「遅くなって申し訳ありませんでした」
「悠、この人と奈良に行ってたんか?」
「はい、行く時はまだ女将さんお休みでしたたし、起こすのも悪いと思って」
「許可を得てから、と思ったんですが」
「そうだすか。それはわざわざおおきに」
「汽車の時間までまだ早いし、一緒に晩ご飯食べてもろうてよろしいか」
しかし、お初は休業中やし何もないから と断り、智太郎が送って来ただけだと言うと、
「そうですかぁ。ほなどうぞお気をつけて」と引き止めない。
「申し訳ありませんでした」ともういちどいい、出て行く智太郎を悠は追いかける。
「どうしたんやろ、女将さん。ほんまはあんな人と違うのに‥‥」
「やっぱりちゃんと断ってから行くべきだったね」
「堪忍。うちがあとでちゃんと謝っておきます」
「駅まで送る」と言う悠に、
「ここでいい。女将さんが機嫌が悪くなると居づらくなるだろう」
「いいえ、今までのこと話したらわかってくれはる人です」
「ここでいい」
「(うん)手紙、書きます‥‥」
「僕も書く」
悠が小指を立てて出し、指きりする二人
「入ってええか」 お初が屋根裏部屋に来る。
「ちょっとなぁ、話ししときたいことがあんねやわ」
「はい‥‥。すんませんでした。智太郎さんのこと何も言わんと出て行ってしまって」
「うん、なかなか良さそうな人やな。
あんたが京都の家出たのもあの人のためか?」
「はい、父の考えで竹田屋を継ぐことになっていたうちは、
養子をもらわんとあかんかったんです」
「うん、その辺のことはよう知ってます」
「え?」
「わてはな、おなごちゅうもんは好きな人と一緒になるのが、
どんな苦労してでも幸せになれる、そない思ってます」
「はい」
「けどな、あんたはわてが預かってる大事なお嬢さんや。
わて、これだけは言うまいと思うてたんやけどな、
実は京都の家から毎月、あんたの下宿代、食費を送って来てはんねん」
書留と書かれた厚い封筒を出すお初。
「娘が一人で暮らして行くには充分過ぎるほどのお金や。
わてな~、これなんべんも送り返そうと思た、でもな考えなおしたんや。
なんでかわかるか?」
「(ううん)」
「わてとあんたのお父さんは遠縁にあたるいうても、子どものころ時々会うただけのお人や。
市左衛門さんは竹田屋さんの養子が決まってから、
自分の身内との縁はすっぱり切らはったほどの冷たいお人や。
そのお人が、初めての子を流産して嫁入り先追い出されて、
これからどないやって生きてこかなって時に、わての保証人になってくれはった。
今、わてがこうしてこの店やってられるのも、もとはというたら、
あんたのお父さんのおかげや。
そのお人からあんたを預かってくれと言われたら、もちろん断ることはできんし
沢木智太郎という男が訪ねてきても、絶対会わしてくれるな、それだけは頼むと言われたら、
なんぼわてでも聞かんわけにはいかんやろ」
愕然とする悠。
「けどな、もしあんたがあの人と一緒になりたい、そう言うたら、
わての目の届かん所に行ってもらわんとあかんねん。
そうなった時のためにな、この下宿代とっといたんや。
けど、今それができひんのやったら、
ここにいる限り、黙って見てるわけにいかんねん」
何も言えない悠
「お父さんの本音はやな、 ここで世間のこといろいろ勉強してもろて、
いずれは竹田屋に帰って来て欲しいんやわ」
「そんな‥‥竹田屋は下の姉がもう継いでます」
「確かに養子縁組はしはったわな。 商売関係の人にもそう言うてはる。
けどまだ竹田屋の後継ぎとしての正式な手続きはとったらへん筈や」
「(ぇ゛)」
「これはお母さんもお姉さんも知らはらへん、
お父さんな、今あんたにやりたいことやらさして、
一回りも二回りも大きくなったあんたに、竹田屋を継がす心づもりや。
これはそれまでのお守り代」
悠は立ち上がり、封筒から離れる
「わかってくれるな」
「うちはどこへ行っても、父の手の平から出られへんいうことですか。」
「うん、そういうことかも知れへん。
でもそれだけあんたがかわいいっちゅうこっちゃ」
「そんなこと、桂姉ちゃんが知らはったらどんな思いをしはるか‥‥」
「ぅん、お姉さんには口が裂けても言うたらあきまへんで」
「ほんまはわてこんなことしたくない。
この金持って好きな人と一緒になって欲しい。
けどな、あの人まだ学生さんやろ?
あんたが東京おっかけてって、困るだけだったらやめとき。
うまくいくもんもいかなくなる。
誰も知らん所であんた一人で暮らせる思ったら大間違いやで。
それだけは忘れんようにな。
ま、よう考えてみるこっちゃ」
悠に本当のことを話したのだと、精二に話すお初。
悠はただその封筒を見つめるしかなかった。
(つづく)
音楽:中村滋延
語り:藤田弓子
出 演
悠 加納みゆき:京都の繊維問屋「竹田屋」の三女、大阪の「おたふく」で住み込み働き始める
智太郎 柳葉敏郎:悠の初恋の人。沢木雅子の兄、帝大医学部の学生
精二 江藤 潤 :「おたふく」の従業員?板場さん(お初の若いツバメ)
雄一郎 村上弘明 : 毎朝新聞の文芸部記者(姓はヨシノ)、「おたふく」の常連
お初 野川由美子 :大衆食堂「おたふく」の女将。市左衛門の遠縁
・‥…━━━★・‥…━━━★・‥…━━━★
智太郎と悠の奈良でのデートは続く。
「奈良は父の任期が一番長かった所でね、
日曜日ごとに、生まれたばかりの妹を母がだっこしていろんなお寺を散歩した。
京都も好きだったが、それは君がいたからかも知れない」
おたふくでは、雄一郎に営業ではないお昼を出したお初が、悠のことを訊く。
「一人で奈良行ったんと違うわな」
「さぁ。僕は知りませんね。」 ニヤニヤする雄一郎
「あんた昨日も来たやろ? 休みと知ってて。誰か訪ねて来なかったか?」
「さぁ」
「一人で奈良遊びに行けるような子とちゃうねん‥‥
なぁ、あんたもう知ってると思うんやけどな、
悠はある人から預かっている大事な娘さんや。こんなとこで働くような子とちゃうねん。
でもそんなことおくびにも出さんと一生懸命やってくれる、明るうてええ子や、
いずれ時期が来たら親元に帰さなあかん、それまでにけったいな虫が付いたらわての責任や。
あんたなら安心やしこれからも気いつけてくれるか?」
「はい」
精二は買い出しに行って来るから、あんたは休んどき‥‥と言い出かけた。
「どうしてちゃんと話してかなかったんだよ ‥」つぶやく雄一郎
奈良、二月堂。蝉が鳴いている
「君とこうしていると東京へ帰りたくなくなるなぁ。
東京へ帰ると、のうのうと勉強している自分が恥ずかしくなる。
この間も先輩が軍医として兵役に就いた‥‥。
君のお姉さんのご主人も出征されたんだね」
「どうして知ってはるんですか」
「そのお姉さんに教えられた。
こんな時代だからこそ人を愛することが一番大事だって‥‥」
「葵姉ちゃんが‥‥」
「看護婦になるって京都の家を出られる時、わざわざ会いに来て下さった」
「やっぱり京都にはいられへんかったんですね…」
「その言葉に勇気づけられて僕は君を訪ねて来れたんだと思う」
千手観音(四月堂)の前に正座する二人。
「これからは、今までのように、休みの度には帰ってはこれないかも知れない」
「半年にいっぺんでも一年にいっぺんでもいいんです。うち待ってます‥‥」
求めあう二つの心が初めて一つになったことを感じながら、悠はこの時間が永遠に続くことを祈っていました。
おたふくではお初がイライラしていた。
「掃除もした、洗濯もした、晩ご飯の支度もした。精さんも悠も何しとんねん」
「ただいま、遅うなってすんまへん」 悠が智太郎と一緒に帰って来る。
「こちらは沢木智太郎さん。うちの親友のお兄さんで東京の帝大に行ってはるんです」
「遅くなって申し訳ありませんでした」
「悠、この人と奈良に行ってたんか?」
「はい、行く時はまだ女将さんお休みでしたたし、起こすのも悪いと思って」
「許可を得てから、と思ったんですが」
「そうだすか。それはわざわざおおきに」
「汽車の時間までまだ早いし、一緒に晩ご飯食べてもろうてよろしいか」
しかし、お初は休業中やし何もないから と断り、智太郎が送って来ただけだと言うと、
「そうですかぁ。ほなどうぞお気をつけて」と引き止めない。
「申し訳ありませんでした」ともういちどいい、出て行く智太郎を悠は追いかける。
「どうしたんやろ、女将さん。ほんまはあんな人と違うのに‥‥」
「やっぱりちゃんと断ってから行くべきだったね」
「堪忍。うちがあとでちゃんと謝っておきます」
「駅まで送る」と言う悠に、
「ここでいい。女将さんが機嫌が悪くなると居づらくなるだろう」
「いいえ、今までのこと話したらわかってくれはる人です」
「ここでいい」
「(うん)手紙、書きます‥‥」
「僕も書く」
悠が小指を立てて出し、指きりする二人
「入ってええか」 お初が屋根裏部屋に来る。
「ちょっとなぁ、話ししときたいことがあんねやわ」
「はい‥‥。すんませんでした。智太郎さんのこと何も言わんと出て行ってしまって」
「うん、なかなか良さそうな人やな。
あんたが京都の家出たのもあの人のためか?」
「はい、父の考えで竹田屋を継ぐことになっていたうちは、
養子をもらわんとあかんかったんです」
「うん、その辺のことはよう知ってます」
「え?」
「わてはな、おなごちゅうもんは好きな人と一緒になるのが、
どんな苦労してでも幸せになれる、そない思ってます」
「はい」
「けどな、あんたはわてが預かってる大事なお嬢さんや。
わて、これだけは言うまいと思うてたんやけどな、
実は京都の家から毎月、あんたの下宿代、食費を送って来てはんねん」
書留と書かれた厚い封筒を出すお初。
「娘が一人で暮らして行くには充分過ぎるほどのお金や。
わてな~、これなんべんも送り返そうと思た、でもな考えなおしたんや。
なんでかわかるか?」
「(ううん)」
「わてとあんたのお父さんは遠縁にあたるいうても、子どものころ時々会うただけのお人や。
市左衛門さんは竹田屋さんの養子が決まってから、
自分の身内との縁はすっぱり切らはったほどの冷たいお人や。
そのお人が、初めての子を流産して嫁入り先追い出されて、
これからどないやって生きてこかなって時に、わての保証人になってくれはった。
今、わてがこうしてこの店やってられるのも、もとはというたら、
あんたのお父さんのおかげや。
そのお人からあんたを預かってくれと言われたら、もちろん断ることはできんし
沢木智太郎という男が訪ねてきても、絶対会わしてくれるな、それだけは頼むと言われたら、
なんぼわてでも聞かんわけにはいかんやろ」
愕然とする悠。
「けどな、もしあんたがあの人と一緒になりたい、そう言うたら、
わての目の届かん所に行ってもらわんとあかんねん。
そうなった時のためにな、この下宿代とっといたんや。
けど、今それができひんのやったら、
ここにいる限り、黙って見てるわけにいかんねん」
何も言えない悠
「お父さんの本音はやな、 ここで世間のこといろいろ勉強してもろて、
いずれは竹田屋に帰って来て欲しいんやわ」
「そんな‥‥竹田屋は下の姉がもう継いでます」
「確かに養子縁組はしはったわな。 商売関係の人にもそう言うてはる。
けどまだ竹田屋の後継ぎとしての正式な手続きはとったらへん筈や」
「(ぇ゛)」
「これはお母さんもお姉さんも知らはらへん、
お父さんな、今あんたにやりたいことやらさして、
一回りも二回りも大きくなったあんたに、竹田屋を継がす心づもりや。
これはそれまでのお守り代」
悠は立ち上がり、封筒から離れる
「わかってくれるな」
「うちはどこへ行っても、父の手の平から出られへんいうことですか。」
「うん、そういうことかも知れへん。
でもそれだけあんたがかわいいっちゅうこっちゃ」
「そんなこと、桂姉ちゃんが知らはったらどんな思いをしはるか‥‥」
「ぅん、お姉さんには口が裂けても言うたらあきまへんで」
「ほんまはわてこんなことしたくない。
この金持って好きな人と一緒になって欲しい。
けどな、あの人まだ学生さんやろ?
あんたが東京おっかけてって、困るだけだったらやめとき。
うまくいくもんもいかなくなる。
誰も知らん所であんた一人で暮らせる思ったら大間違いやで。
それだけは忘れんようにな。
ま、よう考えてみるこっちゃ」
悠に本当のことを話したのだと、精二に話すお初。
悠はただその封筒を見つめるしかなかった。
(つづく)