ハチメンドウ

面倒なこと、楽しいこと。

「なぜ?」という無知な問い。

2009年05月19日 | 教えて! goo
 理由や原理を知ることが行動に直結する人は、時として非常にハチメンドウだ。それは、「なぜ?」という問いを安易に使うからだ。“純粋にただ疑問としての「なぜ?」”以外にも、時として解釈できることを本当の意味で知らない。つまり「なぜ?」という問いは他意があることが常なのだ。

ただの情報集だよ?なんで怒るの?

例えば相手の行動や性格が理解できないとき、「なぜ?」という言葉を使う。これは自分の中の常識や理念の許容範囲から離れたときに使うことが多い。そして、これは答えを求めるということ以外に、喜怒哀楽が含まれていることも多い。その感情の方が強いと、もはやそれは疑問という形はしているものの、遠まわしに負の感情をぶつけたことになるのだ。

これの厄介なところは、その負の感情を感じるのは意図するしないに関わらず、状況や内容、問われた人によって解釈が非常に異なってしまう点だ。これは情報を知りたいだけだとしても、その意図が伝わらないかもしれないことを意味している。

リンク先で例に出された漫画の登場人物である理系の彼は、「結婚式はなぜするの?」という言葉を文系の彼女に発した。彼女は結婚に関する問いを次から次へとしてくる行為に、負の感情が含まれていると感じたのだろう。つまり「結婚はしたくない」という思いを、彼の「なぜ?」に感じたのだ。

このケースで悪いのはどっちなのだろうか言えば、実際のところどっちもどっちである。彼は「なぜ?」が七変化することを知らずに安易に多用し、彼女は「なぜ?」を彼の意図するところとは違う形で、ほぼ一方的に解釈してしまった。これは理系、文系云々より、お互いに理解できていないからだろう。

「疑問に余計な感情が含まれていると感じるのが悪い」、というかもしれないが、それは人の人格を単純に見すぎだと思う。人間である以上、言葉一つにも色々な感情が含まれる(そして他人はそれを正否に関係なく感じ取る)。リンク先の質問者も、「なぜ?」という問いに同意を求める感情があったことを書いている。ならばそれ以外の反応もあり、「なぜ?」という問いの不安定さを理解するものなのだが……。

また、「なぜ?」は己がその情報に無知であることを示す(無知であること恥じるか否かは脱線していくので省く)。知らなければ理解しない、理解していないということは、それは同意していないのと同じだ。これから結婚する友達に「どうして結婚式をするの?」と聞くことは彼らの行動を理解していない、つまり同意していないことを示している。そのつもりがなくてもそう解釈されて然るべきだし、そう解釈されることを考えるべきだ。

それに、他人は逸れに関して無知であることに関心がない場合もある。その問いはどうでもいい。興味や関心が無いことを、聞かれたり話されたりするのは結構苦痛だ。それに、その疑問に対して自己消化をしないという姿勢の表れでもある。疑問に対しての答えを人を介して得ようとする。その人の負担を考えずに。純粋に疑問をぶつける人は、これを感覚的に行うわけだから無神経ったらありゃあしない。純粋な疑問というものがあるかは知らないが、それはそれで厄介に変わりは無い。

「なぜ?」という言葉を使っていく上で必要なことは意図をしっかりと伝えることだ。ただ毎回それをやるのは骨が折れる、興味や関心が無ければなお更だ。俺にとって興味の無い問いのとき、俺は「なんで疑問に思ったの?」と聞き返して意図を調べている。面倒くさいときは聞き流している。

リンク先のほかの人の回答で言えば、12番目の回答が俺の言いたいことに近い(というより俺の伝えたいことを、かなり的確に言語化していて素晴らしい)。他意なしで純粋な疑問として問う人は珍しいし、そう解釈されることもないことを質問者は理解すべきだろう。

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