ハチメンドウ

面倒なこと、楽しいこと。

人間の自制心を見くびるな。

2010年03月17日 | Weblog
前回に続いて(?)規制の話。

前回ちょろっと本音を言ったが、俺がこの規制にあまりいい気がしない理由として、まず漫画等が子供の安全、健全な育成にそれほどの悪影響があるのかがよく分からないっていうのがある。実際問題、規制ができたとして子供が健全に育つかといったら、俺にはとてもじゃないがそうは思えない。漫画などが子供にとっていい影響もあるんだよ、っていう話ではなくて、そんな規制ごときで性犯罪などがなくなるわけがないし、減少するかすら疑わしい。

そしてタイトルにも書いているが、それらは自制心の問題もあるだろう、というよりそっちの方が大事じゃないだろうか。大抵の人は、折り合いをつけて、しっかりと区別して生活している。少女が陵辱されている漫画を読みながら勃起し、自慰行為を繰り返すような貞操観念があったとしても、それが現実で実行することがマズイことぐらい理解している。大人はそうやって折り合いをつけているが、なら子供はどうかっていうと、大人がしっかりと諭せばいいだけの話ではないだろうかと思っている。

しずかちゃんがスカートをめくられたり、お風呂を覗かれるシーンを見たとしても、「真似しちゃダメだよ」と大人が諭してやればいい。もしやったのなら張り手なりゲンコツなり説教なりして反省させ、親ならば一緒に謝ればいい。そうすれば、大抵は貞操観念が通常とはズレていたとしても、一線を越えるような間違いを侵さないようにと生きていけるはずだ。それとも俺の考えが甘いのだろうか。大人の影響力は、紙切れの束にすら劣るというのか。俺は、まだそこまで大人が無力だとは思いたくない。

さて、ちょっと話は脱線するけども、そういう規制に対して漫画家達だって何も対策していないわけではない、という話をしようか(ここからはあまり真面目に語るつもりはないので、まともに受け取らないでほしい)。

例えば、ロリババアとかはそうじゃないかな。明らかに見た目は少女なんだけど、設定上の年齢は大人だったりとか。だから、「いまチョメチョメされている女性は見た目は少女に見えるかもしれないけれど、年齢は18歳以上なのでアウトじゃありません!」ってな感じで道理を引っ込めようってこと。まあ、でも今回の規制が通ればそれすらアウトになるらしいけどね、なんてこったい。

そういえば聞きかじった話だけど、ビーナスが書かれた時代は、裸の女性などを書くのがタブーとされていたようで、それでも書きたかったから、裸の女性を女神とすることで批難を避けたっていう話があるらしい。つまり、「この女性はおっぱいポロンしちゃってますけど、神聖な女神だから発情しないのでアウトじゃありません!」ってことなのかな(笑)。それに感銘を受けた画家達は、「その手があったか!」とばかりに女神の絵を書くことが流行(?)したらしい。そして、「裸の女性の絵を描くことが許容されてきたから、そろそろ女神を模さなくてもいいんじゃないか」といった感じで娼婦の絵を書いた人がいたんだけど、さすがにダメだったようで批難の嵐だったらしいね(苦笑)。

話脱線しまくったけれど、まあ、つまり一線を越えないように、ちゃんとわきまえて現実と折り合いつけつつ、アブノーマルな本を読みながら勃起するなら、他人に文句言われる筋合いはないだろう、っていうのが俺の考え。無論、子供がそういう本を無闇やたらと読んだり持っていたりしていいと言いたいわけではなくて、ちゃんと住み分けなきゃいけない。とはいえ、最初からそれを隠したり、消し去ったりしようとする今回の規制に賛同できないのは変わらない。

自分の趣味嗜好の論理に主観を隠してどうする。

2010年03月11日 | Weblog
趣味嗜好が漫画やゲームである俺にとって、無視できない(かもしれない)問題ではある。

漫画・アニメの「非実在青少年」も対象に 東京都の青少年育成条例改正案

なのだが、書かれている規制が曖昧なので(俺の理解力が乏しいだけなのだろうけれど)、イマイチ問題の大きさを測りかねている。これが可決された後、どれほどのものが規制されるのだろうか。これの真剣度がマジだと結構な規制がかかりそうだ。そこまでマジじゃないなら、別にいいんじゃないかとも思う。これは現状、各々の解釈によって違うとしか言いようがないんじゃないだろうか。

俺の趣味嗜好に関連していることかもしれないのに、なぜか2,3歩引いた視点で見ている気がする。いや、実際にはマジになって今回のことを書くことを試みた。ただ、下書きした自分の文章を読み直してみて、どうにもしっくりこないというか、気分がモヤモヤしたのだ。違和感の理由はすぐに気づいた、主観が抜け落ちているのだ。

パッと見な印象、今回の問題に対して結構マジな人が多い。理路整然とした文章で、規制に対しての反対理由を書き連ねているものが結構ある。しっかりとした文章で書かれているものも多かったのだけれども、俺はどうにもその方向性に引いてしまったようだ。主観があまりにも抜け落ちている。その論文を提出して反対運動をするとかでもないのに、やたらと客観的に書いている。

で、俺が引いてしまった理由として、それがしっかりと書かれた文章であればあるほど、隠された主観が気持ち悪いほどに見えてしまっている、ということだ。自分の趣味嗜好のものに対して、主観をそぎ落として論理を展開することがこんなにも気持ちの悪いものだとは、実際に読みなおしてみるまで気づかなかった。

俺は知らないうちに、自分の趣味嗜好にまで論理武装をほどこすようになっていたようだ。そうじゃねえだろうと、自分の趣味嗜好にこそ主観を前面に押し出していかなくてどうするんだ。そうじゃないならそれはモグリじゃねえか。

俺は(エロ本含む)商業誌に厳しい規制がかかるのならば駄々をこねさせていただくなぜなら規制が可決されたのならば俺の好きな漫画のいくつかは連載がストップしたり最悪商業にすら出回らない事態になることが予想されるからだもちろん実際にそうなった場合には俺の人生の楽しみが減るし活力が減るからとっても嫌だ。

主観で書いたら書いたで客観的に見て気持ち悪かった。そして、無論これが規制に立ち向かう上で有用かどうかはまた別の話だ。まあ、大抵の人は立ち向かわないんだから、ひたすら「嫌だ」「困る」とか言っていればいいんじゃないだろうか、っていうのが俺の書きたかったこと。少なくとも「表現の自由を妨げる」だとかつまらないことを言うよりは素直でいいと思う。