ハチメンドウ

面倒なこと、楽しいこと。

自分の心にもフィルターは必要。

2011年10月17日 | Weblog

 

 人間の本音とは得てしてダイレクトに見れるものではない。だから、人は自制をするし、本能の赴くまま言動を好まない。ならば心の中では世界一の悪人でいても咎める者がいなければいいといえる。だが、俺としてはその心にも多少のフィルターをかけておいた方がいいと思う。

自分の心の世界を取り締まれる他人は存在しない以上、放っておけば無法地帯と化す。自らの心にもフィルターをかけ、人格を矯正するのだ。自制にも繋がるし、理性を保つのにも役立つ。

まずフィルターをかける上で大事なのは、懐疑的であることだ。相手の否を探すよりもまず、自分にどこか間違いはなかったか考える。自らに厳しくあれば、自然と心の内に貯まる不純物を取り除ける。

自分の考えることを真理としてはいけない。これは自分の心の内においてもだ。例え、本音をぶちまけたり、そこに正論も何もなく真理ではないとしても、自分がどこかでそれを真理だと思えば、その本音を許してしまう。

その行為を何よりも許せるものがいるとすれば、それは「自分」だ。自らを否定する覚悟を持てるかどうかということだ。人間は何よりも内で変わる。内には他人がいない、だから止めるものがいない。だから自分で拒絶しなければいけない。自分にキレろ。いつだって正しいのは自分だが、悪いのだって自分なのだ。

もちろん、それで心の病でもかかえるようではいけない。自らが苦痛でない程度にフィルターをかけて人格を矯正すればいい。この加減が分からないのなら、まずは自らの思考をしっかりと言語化していけばいい。心の中で復唱でもすれば冷静に自分を分析することもできるようになってくるだろう。

とはいえ、ここまで語っておいてなんだがフィルターをかけなくてもいいというのもナシではない。自制ができる絶対的な自信があるのならば、自分の心が荒んでいても少なくとも自身の問題で済ますことができる。だが、自分の心の世界が無法地帯であるよりも、多少は息苦しくても穏やかな世界の方が生きやすいと俺は思う。