ハチメンドウ

面倒なこと、楽しいこと。

不毛な理由を語ることの不毛さ。

2009年05月03日 | 教えて! goo
 俺は不毛なことには参加したがらない。議論の途中で不毛だな、と思った際はその時点で退場する。ただ、それは俺自身が不毛だなと思っただけで、実際にそれが不毛であることを意味しない。大抵は、極めて恣意的な理由が多い。それを自覚していないと、リンク先の質問者のような行動に出てしまう。

輪廻転生説は 愚の骨頂

リンク先で質問を見れば分かるけど、挙げた理由がかなり穴だらけである。極論が多いし、話を広げすぎである。この質問自体が不毛だとさえ思う。現に、回答数がやたらと多くなっていることが、gdgdで不毛になっていると思う。

 輪廻転生の是非に関して不毛だと思うのは同意だ。ただ、それが実質的な問題として不毛かというと疑問である。それは、そもそも概念や理念の話を議論する以上、それを不毛だと言ってしまえばそれまでの話だからである。しかし、誰にとっても不毛な議論なんてものは存在しない。その点で、試行錯誤しながら議論を繰り返すことを不毛だとは思わない。議論することに意味があるという、使い古された言葉を、意外と俺は信じている。

俺が「教えて! goo」で不毛だと思うのは、使い古された議論のネタであるという理由が大抵多い。或いは、回答数が多いものだ。これはgdgdになっていることが多く、「教えて! goo」での趣旨から逸れていることが常で、その時点で今さら回答しても何ら目新しいことが起きないのが理由だ。と、このように、恣意的な理由なのだが、他人からすればどうでもいい、不毛な理由である。それを、さも大局的に話を広げて恣意的な部分を隠すから、意味の分からないことになる。

自分が不毛だと思うのは大いに結構だし、そう思うのは感覚に近いから、議論して考えを改めるのは難しい。だから、不毛だと思うことが恣意的な以上、ただでも自分が不毛だと思っていることを、不毛か否かで語ることは当然不毛でしかない。不毛だと思うことは、大抵自分にとって不毛だ。その是非を問うのはあくまで自分であり、他人でないことに気づかなきゃいけない。

とはいえ、それを指摘することも不毛になる要因の一つにはなりうるのだが。

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