ハチメンドウ

面倒なこと、楽しいこと。

不毛な質問に対する心構え。

2008年11月20日 | 教えて! goo
 たまに哲学のカテゴリを見ることがあるんだけど、時おり「もしこの世が○○だったら」というような現実から逸脱した「もしも」話を質問してくる人がいる。「ただ人の意見を聞くことに興味があるから」、「ディベートを望んでいる」(教えて!gooでは適さないと思うけど)、という意図で質問しているのならいいけど、そうじゃないなら根本的に不毛な質問だ。

 是非に関わらず、議論したり考えたりすることは哲学の醍醐味だと思う。この手の話は自身の価値観任せなことが多いのは確かだけど、自分の価値観だけで結論を出すのに抵抗を感じるのなら、他人の考えを聞いてみるのも一つの手だから、別に手法自体が間違っているとは言わない。むしろ大いに結構だと思う。

 ただ、質問する前に念頭においておきたいことがある。「そもそもその質問自体が有意義か?」、「末に大半の人が納得できるような結論を出すことが出来るものか」というものだ。上記の「もしも」話とかをする際、それらの是非と皆無を判断しておきたい。どちらでもいいんだろうけど、大抵は「不毛な質問」という判断になると思う。ありえない「もしも」話を質問して、他人の意見を聞いて、有意義だったり納得のいく結論をだせるなんて思わない方がいい。あくまで人の意見を楽しむか、ディベートを楽しむ程度に留めておいた方が良いだろう。

 当然だけど、そのありえない「もしも」話で仮に結論が出たとすれば、結局のところ自身の価値観任せなところが大きいだろう。だとしたら最初から質問せずに自分の中で消化すればいいだけのことだ。意図するところを表明する必要はないけれど、自分の中である程度は決めておかないと、本当にただ不毛に無意義に終わるだけだろう。もちろん、考えるタネとしては実に有用だと思うし、哲学において無意味であるとは言わない。ただ、その考えを他人に委ねると本末転倒しかねない。故に質問する上では目的を明確にしておかないとgdgdになるよ、ってこと。

 と、最近この手の質問がやたらと人気があることが気になった。実際に書かれていたわけではないんだけど、まさかこの手の質問で結果がどうこうなるとでも思っているんじゃないだろうなと、ふと思って書いてみた。後は、自分はこの手の質問が出てきたとき、不毛だから答えないという意思表明だったり。

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