ハチメンドウ

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「REBOOT」は日本で市民権を獲得できるだろうか。

2016年11月24日 | Weblog

機動警察パトレイバーREBOOT』を観た。

真っ先に気になったのは、タイトルの「REBOOT」の持つ意味だ。

リブートは「再起動」といった意味の言葉だが、作品展開の手法の一つとしても扱われる言葉で、要は「レイバーのリブート(再起動)」と、「作品展開としてのリブート」をかけているのだろう。だが、これを観た何割がこの「作品展開としてのリブート」の意義を咀嚼できているのか、それが気になる。

 

リブートは、「リメイク」のように「新たに作り直す」点では同じなため混同されやすい。主な違いは、リブートは「仕切り直す」こと、リメイクは「踏襲する」ことだ。

リメイク作品として作り直す際、オリジナルにある「これがなきゃパトレイバーじゃない」というものは無条件で残されることが多い。そうでなければ、それはリメイク作としてはズれているという評価になりやすい。

リブートは、この一見すると外せない構成要素まで整理の対象となる。もちろん、『必ずしも重視されるとは限らない』という意味合いで、その上で残されることもままある。つまり、「新たに作り直す」観点ではリブートの方が自由なのだ。

 

以上のようにリブートを認識した上で、次はリブートの意義について語っていく。なぜリメイクではなく、リブートなのか。俺としては、「マンネリを打破するための、コンテンツの抜本的な梃入れ」だと考えている。

コンテンツが死ぬ理由は様々だが、その中で解決が最も難しいのは「マンネリ」だと思っている。要は「同じことはやればやるほどツマラナイものになりやすい」ということだ(比較対象があれば尚更である)。

シリーズを継続していく過程で「コンテンツの正解」が出来て、様々なものが最適化され、しかも受け手にも周知となった時点で、この「正解」は足かせとなる。「正解」が出来てしまった以上は外せないのに、それを含めればマンネリ化しやすい、かといって外せばシリーズとしてはそれだけで評価が下がりやすい。その「正解」に甘えすぎると、そのシリーズはお金を払うかどうかすら分からない“既存のファン”が前のめりになって持て囃すか、冷やかすかの存在になるのが関の山だろう。

そういう停滞感を失くし、仕切りなおすためにリメイクとは違う趣で作り直す(リブートする)のである。これはマンネリを打破する意味合いもあるが、既存のファンに縛られない、これまでオリジナルに触れていない新規層を開拓する試みでもある。

普通に人を殺していたバットマンが、TVドラマでコメディタッチに描かれ、実写やアニメイテッドを通じてシリアスになっていく一方で不殺の精神を経て、ダークナイトへとなっていく。バットマンが今なおコンテンツとして強力なのは、そういう度重なるリブートあってこそのものだと思う。

 

だが、残念なことにそう上手くいくわけでもない。既存のファンに散々バッシングされた上で、新たな潜在ファンにすらそっぽを向かれる、という可能性も勿論あるからだ。

日本でリブートという言葉はあまり使われていないが、実は現時点でも「リブートにあたる作品」は多数あったりする。ゲームならぷよぷよがフィーバーしたり、ロックマンがスタイリッシュになったりAIになったり、ダンテが名倉になったり、まあ色々だ。

だが、作品の出来や評価、興行がそれぞれイコールではないように、作品展開の意図もまた然り。成功することもあるが、それらが噛み合わずに失敗することもある。

失敗の理由は様々だが、俺としては「リブート」という言葉や概念が浸透しきっていないせいで受け入れられず、割を食っている側面もあるんじゃないかと思えるのだ。現状、「リメイク」という言葉が浸透しすぎていて、どちらかというとリブートにあたる作品すら「リメイク」と表現されていることも多い。作品展開としては「リバイバル」もあるが、「リブート」含めて意識的に、明確に区別されて使われていることは少ない。「リブートの方が自由」と書いたが、受け入れられにくいという意味ではむしろ不自由だといってもいい。

 

リブートについては少し前にツイッターでも呟いたことがあるが、そんなときに『機動警察パトレイバーREBOOT』である。ブログで「リブート」について、改めて自分なりの考えをまとめておくには丁度いいと思った。

これを機に、日本で「リブート」という言葉や概念が更に普及するかなんてことは分からない。言えることは、作り手にとっても受け手にとっても、「リメイク」と明確に区別することが難しいのが現状だというのが、『機動警察パトレイバーREBOOT』を観ていて、俺が感じた「日本のリブート観」だ。

『機動警察パトレイバーREBOOT』の出来は、「リブート」といって差し支えないものではあった。だが「リメイク」のつもりで作っても、同じものが出来たんじゃないかと思える程度には既存のファンの顔色を窺いながら、オリジナルの時点で構成されていた要素に振り回されている堅苦しさも残っていたと俺は感じた(出来の良し悪しではなくて、あくまで「リブートの観点から見た場合にどうなのか?」という話である)。

 

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