沈滞した職場で、竹本はやっとのこさ仕事を終え、自分のパソコンの電源が落ちる音を聞いていた。ため息をつき、職場につけられた時計を見る。―――午後9時、いつもならすでに家路に着いて、テレビでも見ながらコーラの一つでも開けているところだ。
こんな時間まで残業する破目になったのは、別に竹本の作業が遅かったわけではない。同じ所属の社員が得意先でトラブルを起こしたせいで、その膨大な数の始末書を書かされることになったからだ。なんで俺が、と思って断ろうとしたが、今回は運悪く責任がこちらまで飛び火したのだと自分に言い聞かせ諦めた。
そうして夜遅くまで残業を続け、ようやく始末書を書き終えた竹本は背伸びをすると、冷め切った缶コーヒーの残りをグイッと飲み干し、席を立つ。職場の電気を全て消したことを確認するとドアを閉め、竹本はカギをかけた。
鍵を管理室に返して駅に向かう途中。竹本は後ろから誰かに呼び止められる声を聞いた。
「竹本さ~ん、今からお帰りですか」
振り向くと、声の主は鳥羽であることが分かった。今回、始末書を書かされることになる原因になった、トラブルの当事者である。今の竹本の精神状態だと、今最も会いたくない人物だったが、竹本には怒ったり拒絶する気力は残されていなかった。
「…突然、たくさんの始末書を書かなきゃいけないことになって、そのせいでこの時間まで残業だよ」
竹本はわずかな抵抗として、あてつけるように今から帰る理由を言った。鳥羽もその意図に気づいたのかハッとし、素早く頭を下げた。
「すんませんっ! 俺のせいで竹本さんにまでご迷惑を……」
竹本は頭を下げている鳥羽を責めるのもなだめるのも面倒くさく、気だるそうな声で頭をあげるよう鳥羽に言った。
「もういい、今後こうゆうことにならないよう、考えて行動しろ。ガキじゃねえんだから、喧嘩もほどほどにしろよ」
竹本はそう言うと駅に向かって歩き始め、鳥羽は申しわけなさそうに頭をかきながら、竹本に後ろから付いていく。
「本当にすんません。でも、喧嘩ってのも捨てたものじゃないですよ。ほら、ドラマとかでも喧嘩で友情が芽生えるってことあるじゃないですか」
「今回はたくさんの始末書が芽生えたがな」
謝った矢先の鳥羽のひょうひょうとした態度に、竹本はため息をつくと、鳥羽のいる方向に振り向き、駅の方向にある商店街を親指で指した。
「フグ……食うか。俺のおごりで」
いきなりの誘いに、鳥羽は竹本の意図が読めなかったが、先輩の誘いを断るほど無粋な態度でいるわけにもいかず、流されるように返事をした。
「はい……じゃあ、遠慮なくゴチになります」
「うっは、俺フグ食べるの初めてなんですよ、うっまいですねコレ!」
二人は皿に綺麗に盛り付けられたフグの刺身を、一枚一枚箸で取って食べる。最初こそ竹本の意図が読めず不審に思っていた鳥羽だったが、初めてのフグの美味さに、徐々にそのことが気にならなくなっていった。
鳥羽は、竹本より二倍位のスピードでフグの刺身を口に放り込み、今にも一気に掴んで食べそうな勢いだった。
そんな鳥羽を竹本はちらりと見ると、ぼそりと喋りだした。
「フグは食いたし命は惜しい、ってことわざ知ってるか?」
鳥羽は竹本の発した言葉にギクリとして、思わず箸をとめた。
「え……ええ、昔はフグを食べて死ぬ人がたくさんいたので、それを戒めるためにできたことわざですかね」
「そうだな、フグは毒がある。その毒を無視して食べるのは危険だ。だから食べるときは覚悟しなきゃいけない。でも、それでも死ぬことは自己責任ってわけにはいかない。死んだとき墓を掘って、遺体を埋めて、お経を読むのは他の人だ。死んでも人は誰かと関わらなきゃいけない。もし、へまをしたら、その責任を取るのは食べた本人だけじゃないこともある」
「え……でも、今はフグを食べても安全ですよ……ね…?」
鳥羽は竹本の顔色を伺いながら、刺身を箸で突っつく。竹本は鳥羽にあきれ果て息を漏らすと、グラスに入れられたウーロン茶を口に運んだ。
「……お前には分からないか。まあ、いいさ、そう思うのなら何も考えず、食べるといいさ。ほら、次はフグ鍋いこうぜ」
竹本にそう言われ、鳥羽は不安になりパタリと箸を机に置くと、腹のあたりをさすった。
「え、どういうことですか、今のリアクション。もしかしてヤバイんですか!?」
「黙って食え」
焦る鳥羽を無視し、竹本は店員にフグ鍋を頼んでいた。
こんな時間まで残業する破目になったのは、別に竹本の作業が遅かったわけではない。同じ所属の社員が得意先でトラブルを起こしたせいで、その膨大な数の始末書を書かされることになったからだ。なんで俺が、と思って断ろうとしたが、今回は運悪く責任がこちらまで飛び火したのだと自分に言い聞かせ諦めた。
そうして夜遅くまで残業を続け、ようやく始末書を書き終えた竹本は背伸びをすると、冷め切った缶コーヒーの残りをグイッと飲み干し、席を立つ。職場の電気を全て消したことを確認するとドアを閉め、竹本はカギをかけた。
鍵を管理室に返して駅に向かう途中。竹本は後ろから誰かに呼び止められる声を聞いた。
「竹本さ~ん、今からお帰りですか」
振り向くと、声の主は鳥羽であることが分かった。今回、始末書を書かされることになる原因になった、トラブルの当事者である。今の竹本の精神状態だと、今最も会いたくない人物だったが、竹本には怒ったり拒絶する気力は残されていなかった。
「…突然、たくさんの始末書を書かなきゃいけないことになって、そのせいでこの時間まで残業だよ」
竹本はわずかな抵抗として、あてつけるように今から帰る理由を言った。鳥羽もその意図に気づいたのかハッとし、素早く頭を下げた。
「すんませんっ! 俺のせいで竹本さんにまでご迷惑を……」
竹本は頭を下げている鳥羽を責めるのもなだめるのも面倒くさく、気だるそうな声で頭をあげるよう鳥羽に言った。
「もういい、今後こうゆうことにならないよう、考えて行動しろ。ガキじゃねえんだから、喧嘩もほどほどにしろよ」
竹本はそう言うと駅に向かって歩き始め、鳥羽は申しわけなさそうに頭をかきながら、竹本に後ろから付いていく。
「本当にすんません。でも、喧嘩ってのも捨てたものじゃないですよ。ほら、ドラマとかでも喧嘩で友情が芽生えるってことあるじゃないですか」
「今回はたくさんの始末書が芽生えたがな」
謝った矢先の鳥羽のひょうひょうとした態度に、竹本はため息をつくと、鳥羽のいる方向に振り向き、駅の方向にある商店街を親指で指した。
「フグ……食うか。俺のおごりで」
いきなりの誘いに、鳥羽は竹本の意図が読めなかったが、先輩の誘いを断るほど無粋な態度でいるわけにもいかず、流されるように返事をした。
「はい……じゃあ、遠慮なくゴチになります」
「うっは、俺フグ食べるの初めてなんですよ、うっまいですねコレ!」
二人は皿に綺麗に盛り付けられたフグの刺身を、一枚一枚箸で取って食べる。最初こそ竹本の意図が読めず不審に思っていた鳥羽だったが、初めてのフグの美味さに、徐々にそのことが気にならなくなっていった。
鳥羽は、竹本より二倍位のスピードでフグの刺身を口に放り込み、今にも一気に掴んで食べそうな勢いだった。
そんな鳥羽を竹本はちらりと見ると、ぼそりと喋りだした。
「フグは食いたし命は惜しい、ってことわざ知ってるか?」
鳥羽は竹本の発した言葉にギクリとして、思わず箸をとめた。
「え……ええ、昔はフグを食べて死ぬ人がたくさんいたので、それを戒めるためにできたことわざですかね」
「そうだな、フグは毒がある。その毒を無視して食べるのは危険だ。だから食べるときは覚悟しなきゃいけない。でも、それでも死ぬことは自己責任ってわけにはいかない。死んだとき墓を掘って、遺体を埋めて、お経を読むのは他の人だ。死んでも人は誰かと関わらなきゃいけない。もし、へまをしたら、その責任を取るのは食べた本人だけじゃないこともある」
「え……でも、今はフグを食べても安全ですよ……ね…?」
鳥羽は竹本の顔色を伺いながら、刺身を箸で突っつく。竹本は鳥羽にあきれ果て息を漏らすと、グラスに入れられたウーロン茶を口に運んだ。
「……お前には分からないか。まあ、いいさ、そう思うのなら何も考えず、食べるといいさ。ほら、次はフグ鍋いこうぜ」
竹本にそう言われ、鳥羽は不安になりパタリと箸を机に置くと、腹のあたりをさすった。
「え、どういうことですか、今のリアクション。もしかしてヤバイんですか!?」
「黙って食え」
焦る鳥羽を無視し、竹本は店員にフグ鍋を頼んでいた。