大好きな秋の終焉を迎え、本格的な冬のシーズンに入った。
冬至まであと3日あまり。
平野部では、やっと紅葉も見事なるところも多いと思われる。。
林を歩けば、もう色あせた落ち葉が踏まれて心地よい音を奏でる。
ヴィヴァルディ『四季』が頭の中に流れてくる。
静岡では『四季』の冬のイメージは感じられないか・・・。
木々もそろそろ葉を落とし始め畜養の時期を迎えようとしている。
1年の盛りを過ぎ幹を太くし、着実に成長し、また春を待ち芽吹きを始める。
私はそんな秋から冬にかけてが大好きな季節である。
物悲しい雰囲気も感じるが、葉が紅葉するところなどはまるで花が咲き誇るようである。
実をつけるために花を咲かし、さらにもう一度晴れがましい姿を見せるのである。
人間にもこんな時期が人それぞれにある。
あるものは成功の花を咲かせ、栄耀栄華のうちに一生を閉じる。
だが、そのような人は数少ない。
とにかく努力の花を咲かせるのだ。
結実しなくてもいい。
結果はあとでついてくる。
たとえ結果がでなくても、そのプロセスが大事だ。
努力している姿を己が褒めてあげることがあってもいい。
何事も一朝一夕に成功の実はならないだろう。
ひたむきな努力、その中で感じる葛藤、結果に対する自己評価。
すべて自分がなす事なのである。
人間、好調、不調の波はいつでもある。
その中から、小さくてもいい、結果を出したい。
たとえ一人の人からでもいい。
賛辞の言葉一つでもかけられたらそれで満足じゃないか。
次へのステップにしよう。。
徐々に、徐々に大きな実に成るようにしていけばいいじゃないか。
誰かに自分の名前を呼ばれたい。
そんな小さな存在価値でもあれば頑張れる。
自分の持っている名前の意味は大きなものがある。
自分が自分の存在を、その生きている価値を確認できるからだ。
自己満足ではない、大輪の花はいつかは咲くと信じている。
その日を期待して明日という日を頑張ろうと思う。
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