最近、死生観と人生の引き際など、如何に生きられるのかなどを、ふとした時に考えてしまいますね。
私はあと何年生きられるのでしょうか・・・。
1日いちにちを大切に一生懸命に生きる、いや生かされていると云っても過言ではありませんよね。
私は諸先輩の人生の終焉を見てきた中でも、そのことを参考にすれば、自分の人生は70年と見ています。
人の死の齢など、分かるものではありません。
常々思っていることですが・・・
残り何日生きられるかではなく、今日一日生かされたとの思いが必要だと思うのですね。
朝、目が覚めた時に、1日の生の始まりを実感する。
ああ、今日も生きられた、生かされていて良かった。
生も死も掌の裏表と同じで、表裏一体だと感じています。。。
今の日本は、医療技術の発達などにより、滅多なことでは命が尽きるということはないでしょう。
しかし、明日、何が起こるのか分からないのです。
もしかしたら、自分の身に不慮の事故でも起こって、命が危うくなるということもあるでしょう。
また、思いがけない災害によって命を落とすことにもなるのかも知れません。
生と死は常に表裏一体ということを心に留めて、生の喜びを毎日感じていたいものだと思っています。
そして、生を実感するには、幸せというものを実感するには、常に自己実現が究極ということもあるのでしょう。
さらには、何気ない家族からの、また、周囲からのサプライズの喜びがもたらされることによって幸せというものを実感出来ることもあるのではないでしょうか。
毎日、毎日、生きられることの喜びを実感することが、自分の人生を豊かなものにしてゆくのだと感じています。
生きていてよかった・・・毎朝感じることが多々あります。
終活と言う言葉が巷を賑やかせています。
まだまだ、早いのかも知れませんが・・・生死は表裏一体となっている以上、明日からでもしなくてはならないのかも知れません。
それが後に残された者への、せめてもの責任と言えるのかも知れません。
明日からでも、これに取り掛かることは早すぎることでもないのかも知れませんね。
それによって、また新たな人生観を手中に出来ることもあるでしょう。
そう・・・明日には自分の身に何が起こるのかもわからないのですから。。。
何度も繰り返してしつこい、と思われるのかもしれないですが・・・
せめて、自分の引き際だけは周囲の関係する方々に対しても、身綺麗にしておくことが肝要であろうか、とも考えているのです。
幸せを感じさせてくれたならば、幸せを感じさせる努力も必要です。
今日も精一杯生きようと思います。。。
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