ある掲示板で、私の友達の、過去(平成10年代)のハンドルネームを用いて霊的では無い書き込みをして目立とうとしているばかりか、結果的に教会の教えから人々を遠ざけようとしている人々がいる。 書き込みの内容が悪いから、瞬時に判明する。 magi-は、その人の過去のハンドルネームを知らないか忘れているであろうし、圧力があるかもしれないから連絡も無い。 別に構わないけどもね。
以前も、この文章で反響があった。
「皆様にとって、私に友達がいるのが驚きであったかもしれません。 ただ、私にとっての驚きは、そう思われていたことでした。」 要するに、「あんな人には友達がいないといった考えを多くの人々に思われていた点です。」 教会が絡むと争いが発生しやすいですからね。
この場で発表するのが関の山だけど、半ば恐怖政治のような停滞状態ではなくなったようです。 その点については、どうぞご自由になんです。 一応は、現時点ではモンキー限定のエボラが中京地方で発生した等のお話しが欠落しているから本当の意味で、良い事柄について書き込みをする人は欠落している。
だけど、改善や是正を嫌がり、向上心が欠落している日本社会ではしょうがないかもしれない。悲しみと恐れは、否定や反対ではない。だが、したくなる人もいるようです。
一応、magi-とは別人の友達には、連絡をした。 実害が発生しないのを希望する。 区別していただきたいというか理解していただきたい範疇は、やはり、過去のハンドルネームを用いて悪い書き込みをしていても、別人が行っている可能性を考慮していただきたい点ですね。
実際に、グリーンガーデンは、私に対して、気分の悪い信用失墜行為や中傷をした後に改善を求めても反発していた。 本当に気分を害します。 あぁいった無神経な行動は悔い改めてほしい。
ある上の人が動いた。 さて、どうなるかな?
別口というか、某友人から教えてもらったが協定のようなものを締結して論戦に加わるといった行動が一般社会では行われている。それは、「アーギュイングはダメ。」と宣教師に教えてもらった過去があり、現時点では私は控えています。
実際の所、議論で時間の浪費よりも霊的な実行の方を重要視しないといけない。 但し、それなりに難しい選択は山積している。