桜 夕口ーの明るい森林ブログ

桜を紹介していきます。

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110発 平成22年8月

2010-08-09 | Weblog
北朝鮮、黄海へ砲撃=南向け110発、韓国被害なし(時事通信) - goo ニュース

 考え方が悪い指導者が国を運営するとこうなります。 これと同じくらいに問題がある指導者は多い。 USAも、キューバ危機については、国民に対して何度も説明をしていますね。 彼らは、世界から色々な指導を受けても否定している。 不完全な社会です。 

 日本には確かに問題がある。 だけど、改善の余地はある。
 しかし、この数字だが、日本以外でも何かの意味があるのかな?
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悼む 平成22年8月

2010-08-09 | Weblog
「何で来ないの」「失礼だ」=米国、平和式典欠席で―長崎の被爆者(時事通信) - goo ニュース

 単純に悲しくなってきますね。 やはり、被爆者の存在は大きな意味があります。 なぜならば、悲しくなる実体験を伝えてくれるからです。

 ひょっとしたら、ナチスドイツから奪った原爆とアメリカ製の原爆で差をつけたのかもしれません。 
 実際に方式(原理)が違うから、原産国が違うと言われている。 

 私達は、大量破壊兵器の被害者だといった点においては疑う余地がありません。そして、平和の継続の行動が求められています。 
 
 長崎県は、私が支持する宗派とは違えども(悲しくなるが)キリスト教徒が多い町でだから、狙われたとも言われています。 そして、今、日本人は財政破綻を踏み台にしてキリスト教徒への迫害を企てているかもしれない。 これは、嘲笑では無い。 資本主義社会を維持しながらも財政破綻で十分の一を教会に納める行いを妨害するといったおかしな行動にいたるとはほとんどの人が連想が行えなかった。 健康で文化的な生活を維持するには、キリスト教の存在が必要です。 この一件の情報公開については、皆様、ご理解ならびにご了承してもらいますようにお願いいたします。
 オマケ
 だけど、デフォルト(債務不履行)を強行してしまうと、話は違ってくるかもしれない。
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やはり、減少している 平成22年8月

2010-08-09 | Weblog
 個人的な老婆心から、情報公開しているだけです。 従って、万人向けでは無いかもしれないので真剣に受け止めないでも構いません。 
 激しい議論や、圧力等の影響から毎日のように色々と新規投稿されていたホームページの書き込みが減少し停滞している。 お盆休みの影響では無いであろうなぁ。

 機会があって知ったホームページも先般、廃止された。 
まぁ色々とあったようなので、穏便に済んでほしいと考えてはいます。 

 本来であれば、取り上げるべき内容は存在しているが、軽んじられている。
興味を抱かざるを得ない内容を雑誌上で上手に指摘された人物が居られたので、感服していました。 来月、素晴らしい作品が読める予定になっているのも、嬉しい限りです。
しかしながら、あの指摘は違った意味で否定的に捉えられている恐れがある。 理由は、「単純な否定では無い。」とだけ明言しておきます。 神経質であるから、取引先に迷惑をかけているであろうなぁ。  
 やはり、1995年以前のような状態にはならないであろう。 否、1990年代のような状況といった方が良いかもしれない。

 しかし、平成10年代を過ごしたから今のような理解ある状態が形成されたから前向きに考えてなければいけないかもしれない。 

 ~ここからは、万人向けかもしれません~
 過去の前例を鑑みて将来性を考えた行いが重要なのを、再認識しました。
残念ながら、熟慮しないで軽率な決断をした結果、糾弾された前例は多いです。
閉塞していると考えられる時代かもしれませんが、必ず良い道は開けてくると思います。 選択すると選択されるには大差があるが、理解した上での行いが肝要になってきます。
 色々な分野で減少を実際に体験しているが、そういった困難を乗り越えていかないといけない。
 少なくとも、高校生未満のように人に迷惑をかけて先生から説教されての繰り返しの中毒症状は、現代社会では通用しない。 ある恐ろしい決断が待ち構えているからです。
 先般、高校時代の校長先生のお別れの会に行ってきた。 高校に限っては、中学時代とは違う試練がある。 本当に、高校時代に一月(ひとつき)に二名死去したといったお話を校長先生が存命中に高校で聞いた。 他にも、あえて明言しないが、本当に辛い決断をする人(その当時の生徒)もいた。 
 厳しい姿勢であれこれ発言を繰り返すが、結局、おかしな発言をしている教職員にお別れの会で再会したのは、馬鹿らしかった。 一秒でも懐かしいと考え肯定的に考えた自分自身が間違えていた。 具体的には、お別れの会であるにも関わらず、「また来いよ。」と言われた。 これは、論外であろう。 一応、彼は、「学校に・・・。」と後に発言されていたが、今となっては彼と接するのは時間の浪費になる。 
 全く逆に、自分自身の英語の技術を高めていただいた素晴らしく尊敬に値する教職員(ミスターY)と再会が行えて素直に嬉しかった。 無論、基礎作りだけであったが、基礎から応用が形成される。 
 皮肉ながら、担任の先生には会えなかった。 彼は体育の先生で、体育の課題(サッカーのリフティング10回)が出来る迄、練習の時間を与えてくれた点において感謝しています。 一般社会では、時間切れといった概念があり、そういった行いが無い場合がございます。 だから、感謝しています。 
 精神的に問題が無く常識があって教科の教え方が上手な教職員に出会えた生徒は、幸せ者です。
 学校で体験しなくてはいけない試練と、学校で体験してはいけない悪事とは似て非なる事柄です。

 これは半分笑い話だが私が先般、再会したミスターYは色々な意味で「だから、何?」といった感じであった。 まぁ翻訳と辞書を用いるのと記述が、外国語の上達には必要ですね。 「言い換えると、どうなるか?」といった概念を持ち合わせていないと、翻訳は一切行えない。 愚か者は、間違えた考えのごり押しの為に、スラングのような英語を持ち出していた。 
 日本語でも一つの言葉で二つ以上の意味がある場合が多い。 そういった部分において、無分別にならずに把握し良い選択が行えるようにならないといけない。 そして、発音はRで下を巻くようにしないといけない。

 翻訳の宿題を生徒に課していたミスターYは、難しい単語があると必ず、ヒントを与えてくれた。 彼一流の優しさでしたね。 厳しさは宿題をやってこなかった生徒には制裁を与えた点でしたね。  
過去になんですが、クラス全体で平均60点台のテストで80点を取れたから、嬉しかったのが良い思い出なんです。

 昨今、こういった良い先生の人数はどうなっているのであろうか? 皆さんで(良い先生の増減については、)お考えください。
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