硯水亭歳時記

千年前の日本 千年後の日本 つなぐのはあなた

  野の花に生きる

2011年06月29日 | エッセイ

高幡山金剛寺(高幡不動)さん近くの田園にて 稲の傍に沢瀉(おもだか)草の花

土方歳三の石碑あり、沢瀉柄で京透かし文様の刀鍔でも身につけていたのだろうか

 

 

野の花に生きる

 

 

母が遺した和服の中に、丹後ちりめんや、各地の紬など数十点ある。

父は妻に、それをすべて遣り、叔母がコツコツと手直しし、今風に仕立て直し、

透き通ったシボのある丹後ちりめんの襦袢など、如何にも着心地よさそうである。

母の着物を、我が妻が着ていると、まるで母が生き返ったように思うのか、

父の顔がとたんに綻び、僕も嬉しい。

 

品川の自宅の書架は耐震性になっていたために、妻の蔵書ともども今回被害はなかった。

広尾の実家のほうでは、陶器が幾つか壊れたし、扁額の幾つかも落ちて破損した。

永年愛用していた父の、ガラス製の紅いランプが倒れ破損した。悔しそうな父の横顔。

あれから110日過ぎ、グンさま騒動だか訳分からんが、次第に平常に戻りつつあるのかも。

私たち夫婦にとっては、睡眠時間を惜しむかのように目録作りの作業が続いている。

 

何度も申し上げているが、

三角形の頂点の文化は文字を読み書き出来る文化で、表層文化と言える。

三角形の底辺にある文化は実は圧倒的に数が多く、幅広く、膨大な量である。

読み書きが出来ない一般庶民の、基層文化のことが実は大切な部分である。

三角形の頂点の文化は政治・経済にしても、常にコロコロ変化するのであるが、

三角形の底辺の基層文化のほうはよほどのことがない限りは変化しづらい文化で、

これが民俗や民間信仰などと言った日本人の基層文化となり、重要なものである。

基層を知らずして、表層が分かるはずがない。

 

復興構想会議での復興構想案では、

各地にある基層文化の資料の保存・修理など、全く入っていなかった。

江戸時代、全国は300藩にも別れ、個別に独自に民俗が保護されてきたが、

地名も、ひらがなや、場合によっては外国語のカタカナ文字も出現する時代では、

その保護・保全を口にするのも、何か後ろめたくおこがましい。だがスッキリとしない。

ましてや全国を大きく分け、大前研一氏が主張した道州制にする構想も囁かれ、

復興特区とか、経済面だけで復興の判断が体制を占めているようだ。

 

3:11以来、このブログでは政治的発言を止むを得ずしてきたが、

昨日の民主党の両議員総会での荒れ具合を見るにつけ、勝手にやってろと思う。

この国家の一番の権力者・菅直人は恥も外聞もないようだから、最早絶望的である。

私たちは地方を大事にし、祭りも、地方文化特有の息遣いがあって始めて成り立つ。

長く続くこの大震災での闘いは、政治的コミック・ショーなどでは絶対にない。

これ以上政治的発言はここではしない。馬鹿馬鹿しい限りであるからだ。

 

捻花・方波見・赤爪草・箆大箱など 野の花を 

博多・祇園山笠の「てのごい=手拭」 中洲流れの上に 飾ってみた

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。