我家のワン達~サクムク日記

さくらとムックンの日記です

道具じゃない

2007-05-26 06:52:57 | できごと・お話し
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トメさん母さまからコメントを頂き、久し振りに「情操教育」という言葉を目にしました。
実は、ムク父は情操教育と云う言葉自体が余り好きではありません。
元々は哲学語彙としてヘルバルト学派が用いた言葉で(余り自信がなく、辞書で調べ直しました~ ^ ^ ; )、概念には一応の理解は示しても、今の日本では「与えるもの」「コントロールできもの(するもの?)」と云う認識が存在しているのではないのかと訝るのです。

また、情操教育のために、犬や猫を子供に買い与えることは良いことだとされている気配があって具体的に述べているHPやブログも存在しますが、本当なのでしょうか。
現実には、動物愛護センターで殺処分の為に引き取りを求める理由の一つに「うちの子供は情操教育が終わりましたからもう(犬・猫は)不要です」と云う、訳の分からない主張も存在するのだそうです。

イギリスにはこんな諺があるそうです。
(2チャンネルの投稿文より引用)

子供が生まれたら犬を飼うがいい。
子犬は子供より早く成長して子供を守ってくれるだろう。
そして子供が成長すると良き友となる。
青年となり多感な年頃に犬は年老いて、死ぬだろう。
犬は、青年に教えるのである。
死の悲しみ、命の尊さを。

多分、同じ原典を有沢翔治(ありさわ しょうじ)氏のlivedoorブログ5月15日付け公開文から引用しますと、

子供が産まれたら犬を飼いなさい。
子供が赤ん坊の時、子供の良き守り手となるでしょう。
子供が幼年期の時、子供の良き遊び相手となるでしょう。
子供が少年期の時、子供の良き理解者となるでしょう。
そして子供がおとなになった時、自らの死をもって子供に命の尊さを教えるでしょう。

と、あります。
一読すればご理解頂けますように、犬は人間と共に生活を共有し、人間の4倍といわれている早さで時を走り抜け、生き物としての存在を終えますがそれ故に、共に過ごした者に、生きるものの価値を教えてくれますね。
猫も同じように見つめ、過ごす生き物だと思うのですが、間違いないこととして、多くのイギリス人は犬や猫を単なる道具としては見ていません。

なんだか言い出しが堅苦しくなってしまいましたが、一番言いたいことは、犬や猫は道具ではないと云うことです。
犬や猫を家族の一員として過ごしていらっしゃる方には余りにも当たり前のことが、ある種の人達にはまったく異なって捉えられていることがある典型ですね。
イライラするのは、動物愛護センターに殺処分を依頼する理由の中に先程の、とんでもない言い訳を、臆面もなく言い放つ輩が存在することです。
こんな人達に “ 情操教育 ” なんて言葉は使ってほしくないです。

この日記は悲憤慷慨を訴える場ではありませんが、でも、やはり考えてしまいます。
「うちの子供は情操教育が終わりましたから(犬・猫は)不要です」と言い、数年間も生活を共にした犬や猫を動物愛護センターに持ち込み、殺害を強要する者の存在が。
それとも、依頼に必要な料金を節約するためにどこか、人目に付き難い野原や公園の隅に置き去りにしてしまうのでしょうか。
嫌になってしまいますね。

あ~ぁ、また愚痴になってしまいました。

私はさくら。れっきとしたレディーよ!!


僕は長男のムクです~


ムク父やゆきえにとってこの仔達のいない生活は想像できません。
でも、まるで道具のように取り扱われるワンコやニャンコが現に存在するのですね。
ムク父にとっては、劣悪な環境下で出産を強要されている犬や猫達の存在と同じように見えてしまいます。
私は、都合のあるときだけ神様に願いを託す無神論者かもしれませんが、それでも、こんな話を聞いたり、ブリーダーとも呼べないお金の亡者に生かされているだけの動物達の話を聞くと、思わず祈りたくなってしまいます。
この仔達は道具ではない、と。