場所と人にまつわる物語

時間と空間のはざまに浮き沈みする場所の記憶をたどる旅

東京のランドマークー上野の西郷像

2022-08-28 09:46:18 | 場所の記憶
 かつて東京が幾度かの災害に見舞われ、廃墟に近い状態に陥った際にも、その東京を静かに見守っていたひとつの像があった。
 西郷さんの銅像で知られる、あの犬を連れた銅像である。
その西郷さんは単衣の着流しスタイルで、草履をはき、短剣を差している。右脇に、やや胴長の小型の和犬を連れている。
 西郷さんといえば、巨漢の体躯と相場が決まっているが、銅像も全体がずんぐりとしていて、大きな目、いが栗頭が、まぎれもなく西郷さんである。
 この銅像ができたのは明治30年、工事が始まったのが明治26年だから、四年の歳月をかけて造られたものである。
 明治22年2月、憲法発令の大赦で許され、正三位を贈位された西郷さんの遺徳を偲ぼうと、旧友、同志が相はかって、建像を発議したと、由来書には書かれている。
 さらに由来書はいう。建像のための資金としては、天皇から賜った御下賜金のほかに有志二万五千余人の寄付金によったと。そして、像は彫刻家高村光雲の手によって造られたものであると。ちなみに、高村光雲は詩人高村光太郎の父親である。
 ところで、この像の除幕式の際、それを見た西郷の妻が、「やどんは、こげな人じゃあなかった」と言ったという逸話が残っている。 西郷の妻が述べた感想の意味するところは、西郷さんは人前で、あのような着流しでいることはなかったことを、言ったものだというが、そもそも、西郷さんという人は、写真を一枚も残さずに亡くなった人で知られている。
 よく目にする西郷さんの肖像は、あれはキヨソネというイタリア人の銅版画家が、人から聞いた西郷さんの風貌を、自分のイメージで描いたものだという。
 従って、写真はこの世にないのである。そうした状況下で、高村光雲も彼なりのイメージを膨らませ、銅像を造り上げたのである。 西郷像はあくまで西郷さんらしくできあがらなければならなかった、のである。

西郷像は、当初、皇居の大手門前に建てられる予定であったという。
 ところが、それでは、あまりにも西郷の過去の事績からして問題があろうということで取りやめになった。
 その後、皇室から上野の山が西郷像建立地として下賜され、今の場所に建てられたものだ。
 明治に入って、上野の山は皇室領になっていた。しかも、そこは上野戦争の現場であり、いわば、官軍が徳川幕府軍を制圧した記念すべき、意味ある場所であった。 
 現在、銅像が立つ場所は、かつて、山王台と呼ばれていた。上野戦争のおり、そこには彰義隊側の大砲が据え置かれて、迫りくる官軍を標的にしたと言われている。
 地形的にも、ちょうど、上野の山の縁に位置するそこは、御徒町方面の低地を睥睨するような格好になっている。防戦をするには好立地のポイントだったのである。
上野戦争のさい、黒門付近は両者の激戦地であった。その黒門は西郷像の立つ、すぐ目の下にあった。
 当時、彰義隊は上野山内にある寛永寺によって、官軍と一戦を交えようとしていた。
 そのためにも、黒門を死守することは絶対に必要なことであった。山王台は、黒門という防衛線が確保できるかどうか、その一部始終が手に取るように分かる場所でもあった。 結局、黒門は破られ、そこから怒涛のように官軍が上野の山に攻め入るのであるが、官軍から見れば、山王台はいわば橋頭堡ともいえる場所であったのである。
従って、そこに、いわば、官軍のシンボルでもある西郷さんの銅像を建てるということは、充分に意味のあることだった。
  
いつの頃からか、西郷さんの銅像が、お上りさんがかならず訪れる場所になったのか、定かではない。
 それが人々に、東京のシンボルのひとつとして受け止められるようになったために、東京見物の定番の地になったのだろう。 
 久しく、そこを訪れたことがなかった私は、西郷さんの銅像の周辺がどうなっているのか確かめてみたくなった。
 あの場所は変貌してしまったのか、と私は昔の記憶をたどりながら、感慨しきりであった。心にこびりついた、懐かしい記憶のシミがふき取られてしまったような、寂しささえ感じたものである。
冬のある日、私は西郷さんの立つ上野の山に上った。
 銅像の辺りには人が群れていて、家族連れが記念写真を撮っていたり、アベックが所在なげにぼんやりベンチに座っていたりする。 その間を鳩の群れが、餌を求めて舞い降りたかと思うと、飛び立つ、といった風に、せわしなく動き回っている。
 人のいない少し離れたベンチにはホームレスの男もいる。どれもこれも、あの懐かしい光景が、暖かな冬の日差しの下に広がっていたのである。
 人々は西郷さんの銅像という動かぬものの前に立つことで、さまざまに転変する人の世の移りげな、頼りなさに強く立ち向かって生きようと意志するのだろうか。
 その思いは、東京という憧れの都会を訪れるお上りさんにしても、夢破れたホームレスの男たちにしても同じものであろう。
 それゆえに、東京のランドマークたる存在になっているのである。