【スープに入っていた大根のカービング】
去年の秋から、週に2~3回はタイ料理。
よくまあ飽きないね、とお店のオーナーに驚かれるほどだ。
しかも、うちの家族が入れ替わり通い詰めている。
昨日、お母さん来たわよ。妹さんは夜来たよ…と報告を受ける。
あら、あの二人さっき話した時には何にも言ってなかったわね、と思いつつ、
確認もせずに翌日のランチに一緒に出かけたりするのが常となり
今やすっかり清水家の台所となっている。
タイには2度訪れたことがある。
どの国が一番好き?と聞かれると、
ためらうことなく「タイ!」と答えている。
何があんなに心を弾ませるのだろう。
学生の頃、バイト代をせっせと貯めて、初めて海外旅行で訪れた思い出の国。
あのむぅっとした蒸し暑さと、屋台の活気。
独特の匂い。キュートな雑貨。そして辛くておいしいタイフード。
朝・昼・晩がタイ料理でもぜんぜん平気!というぐらいすっかりハマった。
タイはオモチャ箱をひっくりかえしたような喧騒が
たまらなく刺激的なのだ。
もうひとつの魅力はタイの人々。
敬虔な仏教徒の国らしくいたるところに寺院があり、
黄色い衣装をまとった僧侶と出会う。
自分の心を支えてくれているお坊さんの写真を
何度となくさまざまな人から見せてもらったことがある。
そしてピンとそりかえった手を、鼻の位置で合わせる女性の姿が美しい。
「微笑みの国」と称されるように、にっこりと笑う表情もステキだが
女性たちの屈託のない大笑いが大好きである。
コロコロと本当によく笑う。何がそんなに楽しいのかと思うぐらい。
5年前のタイ旅行の時、アユタヤにほど近いピサヌルークというところに
足を運んだことがある。
独立したばかりのお坊さんが貧しい村にお寺を作ることを決め、
根をおろして村人とともに寺院作りに取り組んでいた。
タイではまず、1人のお坊さんが貧しい地域に
お寺を建設することから始めるそうだ。
自給自足でその日暮しをしているの人々と力を合わせ、
木材を買い、セメントを塗り屋根瓦を乗せていく。
数人に手を引かれて荒れた大地を歩くと、
突然真っ白い大きな仏像が堂々と座っていた。
みんなで作っている最中なのだという。
仏像ももちろん村人との共同作業だ。
誇らしげに胸を張っている。
材料費はお坊さんが集めた寄付が主な資金だそうで、
熱心な信者が増えるたびに建物の土台や装飾ができあがっていく。
大勢の人たちがそのお坊さんを慕ってお寺の近くに居を移す。
そんな風にして村から町へと広がっていくのだそうだ。
タイでは、まず1人のお坊さんが種となり、大地を耕し、
文化を作り上げていくようである。
いつの日か、またあのお寺を訪れたら、
きっと金色に輝く寺院となっているにちがいない。
------------昼下がりには、村人たちが
東屋(あずまや)のような屋根の下に身を寄せて昼寝をしたり、
おしゃべりに花を咲かせていた。
大きな笑い声があちこちで響き渡る。
何がそんなに愉快なのだろう。あたりを見渡しても何もない。
心の底からの笑顔と笑い声に思わず、もらい笑い。
日本人がすっかり忘れ去っている、大切なものを思い出さずにいられない。
自虐的なお笑いや、誰かを落としてとるウケ狙いなど
悲哀を含んだ日本の笑いとは根っこの部分から異なっている。
「笑う角には福来たる」
タイの人々はたとえ物質的な豊かさはなくても
「福」の寄せ付け方を知っている。
物質的に豊かであるほどそれに捕われ、
心からの微笑みを置き去りにしてしまう。
今度は失うことが恐くなってくるのではないだろうか。
笑い声には「邪」も吹き飛ばすぐらいのパワーがあると聞く。
霊感の強い友人が、夜中に物音がして恐いんですけど、
どうしたらいいでしょうか?という質問に
私の先輩たちは「あはは!って笑って!」とよく答えている。
え?笑うだけで効果あるの?とつい思うが
侮るなかれ、ホントらしい。
塩も魔よけもお札もいいが、笑うことも効果抜群なのだそうだ。
どうやって笑ってよいのかわからなくなってしまっている
日本人のみなさまは、ぜひタイ人の笑いのスポットを学んでほしい。
ここ、そんなに大笑いしちゃうとこ?って思うようなことで
コロコロ、ケラケラっと楽しく笑う。
こんなことで笑っていいんだ、と日常の「笑いツボ」を押さえれば、
きっと笑顔があふれだして、「邪」も知らない間に逃げてくれるだろう。
タイのことは書き出したらキリがない。
また追々、気が向くままに紹介したいと思っている。
去年の秋から、週に2~3回はタイ料理。
よくまあ飽きないね、とお店のオーナーに驚かれるほどだ。
しかも、うちの家族が入れ替わり通い詰めている。
昨日、お母さん来たわよ。妹さんは夜来たよ…と報告を受ける。
あら、あの二人さっき話した時には何にも言ってなかったわね、と思いつつ、
確認もせずに翌日のランチに一緒に出かけたりするのが常となり
今やすっかり清水家の台所となっている。
タイには2度訪れたことがある。
どの国が一番好き?と聞かれると、
ためらうことなく「タイ!」と答えている。
何があんなに心を弾ませるのだろう。
学生の頃、バイト代をせっせと貯めて、初めて海外旅行で訪れた思い出の国。
あのむぅっとした蒸し暑さと、屋台の活気。
独特の匂い。キュートな雑貨。そして辛くておいしいタイフード。
朝・昼・晩がタイ料理でもぜんぜん平気!というぐらいすっかりハマった。
タイはオモチャ箱をひっくりかえしたような喧騒が
たまらなく刺激的なのだ。
もうひとつの魅力はタイの人々。
敬虔な仏教徒の国らしくいたるところに寺院があり、
黄色い衣装をまとった僧侶と出会う。
自分の心を支えてくれているお坊さんの写真を
何度となくさまざまな人から見せてもらったことがある。
そしてピンとそりかえった手を、鼻の位置で合わせる女性の姿が美しい。
「微笑みの国」と称されるように、にっこりと笑う表情もステキだが
女性たちの屈託のない大笑いが大好きである。
コロコロと本当によく笑う。何がそんなに楽しいのかと思うぐらい。
5年前のタイ旅行の時、アユタヤにほど近いピサヌルークというところに
足を運んだことがある。
独立したばかりのお坊さんが貧しい村にお寺を作ることを決め、
根をおろして村人とともに寺院作りに取り組んでいた。
タイではまず、1人のお坊さんが貧しい地域に
お寺を建設することから始めるそうだ。
自給自足でその日暮しをしているの人々と力を合わせ、
木材を買い、セメントを塗り屋根瓦を乗せていく。
数人に手を引かれて荒れた大地を歩くと、
突然真っ白い大きな仏像が堂々と座っていた。
みんなで作っている最中なのだという。
仏像ももちろん村人との共同作業だ。
誇らしげに胸を張っている。
材料費はお坊さんが集めた寄付が主な資金だそうで、
熱心な信者が増えるたびに建物の土台や装飾ができあがっていく。
大勢の人たちがそのお坊さんを慕ってお寺の近くに居を移す。
そんな風にして村から町へと広がっていくのだそうだ。
タイでは、まず1人のお坊さんが種となり、大地を耕し、
文化を作り上げていくようである。
いつの日か、またあのお寺を訪れたら、
きっと金色に輝く寺院となっているにちがいない。
------------昼下がりには、村人たちが
東屋(あずまや)のような屋根の下に身を寄せて昼寝をしたり、
おしゃべりに花を咲かせていた。
大きな笑い声があちこちで響き渡る。
何がそんなに愉快なのだろう。あたりを見渡しても何もない。
心の底からの笑顔と笑い声に思わず、もらい笑い。
日本人がすっかり忘れ去っている、大切なものを思い出さずにいられない。
自虐的なお笑いや、誰かを落としてとるウケ狙いなど
悲哀を含んだ日本の笑いとは根っこの部分から異なっている。
「笑う角には福来たる」
タイの人々はたとえ物質的な豊かさはなくても
「福」の寄せ付け方を知っている。
物質的に豊かであるほどそれに捕われ、
心からの微笑みを置き去りにしてしまう。
今度は失うことが恐くなってくるのではないだろうか。
笑い声には「邪」も吹き飛ばすぐらいのパワーがあると聞く。
霊感の強い友人が、夜中に物音がして恐いんですけど、
どうしたらいいでしょうか?という質問に
私の先輩たちは「あはは!って笑って!」とよく答えている。
え?笑うだけで効果あるの?とつい思うが
侮るなかれ、ホントらしい。
塩も魔よけもお札もいいが、笑うことも効果抜群なのだそうだ。
どうやって笑ってよいのかわからなくなってしまっている
日本人のみなさまは、ぜひタイ人の笑いのスポットを学んでほしい。
ここ、そんなに大笑いしちゃうとこ?って思うようなことで
コロコロ、ケラケラっと楽しく笑う。
こんなことで笑っていいんだ、と日常の「笑いツボ」を押さえれば、
きっと笑顔があふれだして、「邪」も知らない間に逃げてくれるだろう。
タイのことは書き出したらキリがない。
また追々、気が向くままに紹介したいと思っている。