<夕陽の原宿駅>
おとといの朝のこと。
息子のお弁当を作りながら、時間に追われていた。
おかずをあれこれ詰めたり、おにぎりを握ったりしながら
次の動作を常にイメージして、間に合うことに必死である。
ちょっとでも出発時間に遅れようものなら、
もういいよ!お金ちょうだい!お昼に購買でパン買うから!と
あっさり出かけてしまうのだ。
今日も遅れまいと必死になっていたら、
「映画の『アレキサンダー』を見たいんだよね。
製作費いくらか知ってる?」と
ウキウキした口調で、話かけてきた。
「えっ?いくらかって?…」
それどころじゃないよ。
間に合うかどうかで頭がいっぱいである。
炊きたてのご飯に「しそワカメごはん」の素を
ふりかけて、しばらく無言で混ぜていた。
うっかりかけすぎると塩辛くなってしまうから、
神経を集中させないといけないし、
均等に混ぜないとムラになってもいけない。
「だから!ねぇ、いくらだと思う?」
「え?…わかんないよ。見当つかないわ。」
よくCMで『“総製作費” ○○億!』と誇らしげに宣伝しているが、
いったい何億なのか、ちっとも思い浮かばない。
“億”がつくのはたしかである。
「う~ん・・・っと。じゃあ1000億!」
あつあつのごはんを握りながら、とりあえず言ってみた。
「いっせんおくぅ~???
そんなにかかるわけないだろー!
映画製作にそんなにかけてたら回収できないだろ~!」と
マジな顔で叫んだあと、
「同じ適当に言うんでも、もっと低く言ってよ!
次が言いづらいじゃないか!」と訴えている。
…だからさ、私はそういうのがニガテなんだよ。
妥当な値段とかって、興味がないとまったくわからないんだよね。
だいだい、それどころじゃないんだよね…。
などと内心は思っていたが、彼の言い分、
“次が言いづらい”という気持ちもわかるので、
朝からたわいもない会話で笑っていた。
***************************
わがイトコのMIKAちゃんと先日会った時、
お姉ちゃんのMAYUMIちゃんが“裸族(らぞく)”だと
教えてくれたほかに、こんなことをボソッとつぶやいていた。
「うちのお姉ちゃん、相変わらず市場めぐりが好きやねん。
私らが小さい頃から変わらへんやろ?
子どもたちにも時間があると“な、市場いかへん?”と
誘うんやけど、最近は誰もついて行かへんねん。
一人で出かけては、帰ってから買(こ)うてきたものを広げて
“これ、ええやろ?いくらと思う?”って必ず聞くんや。」
…その質問が一番困るのだという。
安く言い過ぎるとがっくりする。
ばっちり、ジャストで言い当てるのもまた
笑顔がふっと消えてしまうそうなのだ。
あたらずとも遠からずのストライクゾーンを
推測して、気持ち高めの答えにすると、
待ってました!とばかりに「じゃーん!正解はなんと!」と
晴れて“超お得プライス発表”となる。
もうその質問はいいよ…。と周囲は思うのだが
本人はいたって純粋に楽しんでいるようだ。
そういえば、それは日常よくある会話のひとつ。
でも、実は意外にプレッシャーを与えていたり、
気を使わせることもある、ということは
案外知られていない事実だ。
家族の中で、そしてきょうだい間や親子同志、
気心知れた間柄ならコミュニケーションの一種だ
と思えば、まあ、それもまた楽しいものだが、
人さまにはその質問はちょっと控えめにしよう。
などと思ったりする。
とりわけ難しいのは、満面の笑みで
「さあ、いくらでしょう?」と言われても、
安く言ってほしいのか、高く言ってほしいのか
一瞬のうちにその心を読み取らなくていけない。
安く買えたのが嬉しい場合、実際より高価に見られたら
「わ~、お買い得!」と喜ぶことができるが、
ちょっとフンパツして買ったモノを、
あまりに安く言ってしまっても、
「どう見てもそんな値段にはとても見えない」と
ケチをつけてしまったようで妙に気まずい。
似たようなシチュエーションには
「私、何才にみえる?」という質問を投げかけること、がある。
あれも結構プレッシャーだ。
実際よりも若く言ってほしいに決まっているが、
かなり高めにはずしたときのバツの悪さを
フォローするのがとってもツラい・・・。
本人がいない席で人に聞かれたら、
感じたそのままを素直に言えるが、
本人に直接聞かれた日には、軽い緊張感が走る。
***************************
ピンクのじゅうたんを敷いたように
八重桜の花びらが舞い落ちる舗道を
掃除しながら、NAOKOに朝の会話を伝えると、
「う~ん、それは質問する人を間違っているわ!
私も何年か前に“ディナーショーの値段っていくらだと思う?”
っていう話のときに、お姉ちゃんが「7,000円!」って
答えてビックリしたわ!だって今どき食事だけでも
それぐらいするじゃないの!
モノの値段や相場がわかってないのよね~。」と
思いっきりウケていた。
そんな昔の話、私はとっくに忘れていたよ…。
ほら、まったくハズしても、
こうやってお笑いまじりに、まるで常識知らずのように
いつまでも記憶に残るのである。
よくぞそんなに詳しく覚えているものだわ!
などと、ちょっぴり負け惜しみを心の中で言いつつ、
朝の話の続きを思い出した。
***************************
「1000億円!」のあと、すっかりテンションを下げて
「200億円だよ。それってすごい製作費なんだよ…。」
とトンチンカンな私の答えのせいでインパクトが
薄れてしまったことにがっくりしながら正解を言っていた。
こういう場合はどうしたらいいかホントに困る。
単なるクイズなのにはずしたことを、
ゴメンゴメンと誤るのもなんだしな。
ひとまず「えへへ」と笑い飛ばしておこう。
そんな、なにげないささやかな会話をかわす
毎日こそが“プライスレス”なのだと思う。
おとといの朝のこと。
息子のお弁当を作りながら、時間に追われていた。
おかずをあれこれ詰めたり、おにぎりを握ったりしながら
次の動作を常にイメージして、間に合うことに必死である。
ちょっとでも出発時間に遅れようものなら、
もういいよ!お金ちょうだい!お昼に購買でパン買うから!と
あっさり出かけてしまうのだ。
今日も遅れまいと必死になっていたら、
「映画の『アレキサンダー』を見たいんだよね。
製作費いくらか知ってる?」と
ウキウキした口調で、話かけてきた。
「えっ?いくらかって?…」
それどころじゃないよ。
間に合うかどうかで頭がいっぱいである。
炊きたてのご飯に「しそワカメごはん」の素を
ふりかけて、しばらく無言で混ぜていた。
うっかりかけすぎると塩辛くなってしまうから、
神経を集中させないといけないし、
均等に混ぜないとムラになってもいけない。
「だから!ねぇ、いくらだと思う?」
「え?…わかんないよ。見当つかないわ。」
よくCMで『“総製作費” ○○億!』と誇らしげに宣伝しているが、
いったい何億なのか、ちっとも思い浮かばない。
“億”がつくのはたしかである。
「う~ん・・・っと。じゃあ1000億!」
あつあつのごはんを握りながら、とりあえず言ってみた。
「いっせんおくぅ~???
そんなにかかるわけないだろー!
映画製作にそんなにかけてたら回収できないだろ~!」と
マジな顔で叫んだあと、
「同じ適当に言うんでも、もっと低く言ってよ!
次が言いづらいじゃないか!」と訴えている。
…だからさ、私はそういうのがニガテなんだよ。
妥当な値段とかって、興味がないとまったくわからないんだよね。
だいだい、それどころじゃないんだよね…。
などと内心は思っていたが、彼の言い分、
“次が言いづらい”という気持ちもわかるので、
朝からたわいもない会話で笑っていた。
***************************
わがイトコのMIKAちゃんと先日会った時、
お姉ちゃんのMAYUMIちゃんが“裸族(らぞく)”だと
教えてくれたほかに、こんなことをボソッとつぶやいていた。
「うちのお姉ちゃん、相変わらず市場めぐりが好きやねん。
私らが小さい頃から変わらへんやろ?
子どもたちにも時間があると“な、市場いかへん?”と
誘うんやけど、最近は誰もついて行かへんねん。
一人で出かけては、帰ってから買(こ)うてきたものを広げて
“これ、ええやろ?いくらと思う?”って必ず聞くんや。」
…その質問が一番困るのだという。
安く言い過ぎるとがっくりする。
ばっちり、ジャストで言い当てるのもまた
笑顔がふっと消えてしまうそうなのだ。
あたらずとも遠からずのストライクゾーンを
推測して、気持ち高めの答えにすると、
待ってました!とばかりに「じゃーん!正解はなんと!」と
晴れて“超お得プライス発表”となる。
もうその質問はいいよ…。と周囲は思うのだが
本人はいたって純粋に楽しんでいるようだ。
そういえば、それは日常よくある会話のひとつ。
でも、実は意外にプレッシャーを与えていたり、
気を使わせることもある、ということは
案外知られていない事実だ。
家族の中で、そしてきょうだい間や親子同志、
気心知れた間柄ならコミュニケーションの一種だ
と思えば、まあ、それもまた楽しいものだが、
人さまにはその質問はちょっと控えめにしよう。
などと思ったりする。
とりわけ難しいのは、満面の笑みで
「さあ、いくらでしょう?」と言われても、
安く言ってほしいのか、高く言ってほしいのか
一瞬のうちにその心を読み取らなくていけない。
安く買えたのが嬉しい場合、実際より高価に見られたら
「わ~、お買い得!」と喜ぶことができるが、
ちょっとフンパツして買ったモノを、
あまりに安く言ってしまっても、
「どう見てもそんな値段にはとても見えない」と
ケチをつけてしまったようで妙に気まずい。
似たようなシチュエーションには
「私、何才にみえる?」という質問を投げかけること、がある。
あれも結構プレッシャーだ。
実際よりも若く言ってほしいに決まっているが、
かなり高めにはずしたときのバツの悪さを
フォローするのがとってもツラい・・・。
本人がいない席で人に聞かれたら、
感じたそのままを素直に言えるが、
本人に直接聞かれた日には、軽い緊張感が走る。
***************************
ピンクのじゅうたんを敷いたように
八重桜の花びらが舞い落ちる舗道を
掃除しながら、NAOKOに朝の会話を伝えると、
「う~ん、それは質問する人を間違っているわ!
私も何年か前に“ディナーショーの値段っていくらだと思う?”
っていう話のときに、お姉ちゃんが「7,000円!」って
答えてビックリしたわ!だって今どき食事だけでも
それぐらいするじゃないの!
モノの値段や相場がわかってないのよね~。」と
思いっきりウケていた。
そんな昔の話、私はとっくに忘れていたよ…。
ほら、まったくハズしても、
こうやってお笑いまじりに、まるで常識知らずのように
いつまでも記憶に残るのである。
よくぞそんなに詳しく覚えているものだわ!
などと、ちょっぴり負け惜しみを心の中で言いつつ、
朝の話の続きを思い出した。
***************************
「1000億円!」のあと、すっかりテンションを下げて
「200億円だよ。それってすごい製作費なんだよ…。」
とトンチンカンな私の答えのせいでインパクトが
薄れてしまったことにがっくりしながら正解を言っていた。
こういう場合はどうしたらいいかホントに困る。
単なるクイズなのにはずしたことを、
ゴメンゴメンと誤るのもなんだしな。
ひとまず「えへへ」と笑い飛ばしておこう。
そんな、なにげないささやかな会話をかわす
毎日こそが“プライスレス”なのだと思う。