KAORU♪の「気ままなダイアリー」

KAORU♪が見つけたステキな風景、出会ったおもしろいできごと、おいしい料理などを“気が向いた時”にご紹介します。

★「夜明け」のその後。

2010年07月29日 | KAORUの好きなものギャラリー
               【2010・夏至の太陽】

放送から2日後。

まだこれからBS放送の地域や、
2週間後に放映される場所もあるけれど
ひとまず27日(火)10時から
番組は予定通りスタートした。

(見逃した方!もう一度見たい方は
BSジャパンで7月30日(金)夜PM9:00~
7月31日(土)朝AM10:00~
再放送がありますよ~♪)


25日(日)の日経新聞では1面を使っての
連動広告があり、テーマの横には
なんとNAOKOの写真が大きく出ていた。

最初から、かなり良い扱いをして
いただいていたのがよくわかる。

「相続~骨肉の争いを避けるために~」という
ちょっとドキッとするメインテーマ。


生々しい現実が描かれた前半から中盤にかけて。

家族の悲しくも切ない姿を
カメラはしっかりと捉えて、
淡々と映しだしていた。

どうして、兄弟どうしが
あんなにまでして争い続けるのだろう?

いい商品も、平和な地球の未来も、
まず家族が仲良くできなくては
なんの意味もない。

物質よりも、理想よりも
現実を現実として幸せにしなくては
結局のところ、
中身のはいっていない「あんぱん」みたいだ。


外側だけをいくら体裁よく作り込んでも
実の詰まっていない崩れやすくてもろい
ただふわふわしているだけの空洞の「ぱん」、なんだと思う。

どうせ「ぱん」を名乗るんだったら
もっとシンプルに「ぱん」だけに徹したらいいのに。

そうしたら、ギュッと中身の濃い
味わい深い「ぱん」になるのに。

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とはいえ、
やっぱり現実はいろいろ複雑でムズカシイ。


息をのんで、緊張しながら
家族でひとつのテレビを囲み放送を見守った。


ついさっき、
お風呂にはいっているTATSUROに
「ねぇ!かあさん!」と呼ばれ
洗い物の手を止めて浴室に向かうと
すこしエコーのかかるお風呂場から

「ねぇ、ねぇ。結局さぁ~、
骨肉の争いを避けるために、
どうしたらいい、って言ってたの?」

と大声で聞いてきたので、
とっさに考え言葉を探した。


「“絆”って言ってたでしょ。
“家族の絆”が試される時。って。

お互いに思いやりの心を持って、
お互いの立場や環境やら、いろんなことを
ちゃんと見ることができて
信頼しあうことができれば、
お金という“物質”で争いあうことも、
“心”をぶつけあって傷つけあうこともなく、
うまくいくんじゃないのかな?」


と、その時思いつくままに答えてみた。



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後半。

約10分ほど、NAOKOと母を中心に追った
ファインのドキュメンタリー。


NAOKOの懸命に奔走しているさまは
多少オーバー気味の扱いだったかもしれないが
けっしてウソでも脚色でもなく、
彼女の今の、本当の姿だ。


そして、社長である母の
穏やかな中にも静かな情熱と芯の通った姿もまた
まぎれもない、真実の姿である。


しょっちゅうぶつかりあいながらも
父の亡き後、懸命に会社を支え続けてきた
二人をずっとかたわらで見てきた。


ケンカしたり、落ち込んだり、
怒ったり、泣いたり、ひっこんでイジケてみたり。

でもいざとなると、結束を固め
お互いをかばい合う。


会社と仕事という媒体を通して
毎日の、ちいさな積み重ねが
やがて壮大なストーリーへと進化し
そして、“絆”が築き上げられる。

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ある時、私の好きな星占いのサイトに
こんな言葉が載っていたことがある。


「一回の話し合いで決まることは
おそらく、強度が弱いのです。


何度も何度も話合い、
確認し合い、繰り返していくことで
本当の強さが生まれるのです。」




それは、恋愛も家族も、人間関係も仕事も
ぜんぶそうなんだと思う。


いくら一目ぼれでビビっときても
それだけでは、やがて自分との違いやら現実に
直面して興ざめする瞬間が訪れる。


強度はもろくて、一瞬のうちに雲行きが変わってしまう。


ドラマはそこからが本番だ。



何回も何回も練習を重ね、
読み合わせをして、同じセリフを何度も言い続け
そして、やがて本番となる。


それをひたすら繰り返していくことで
ロングランとなり、不動の居場所を獲得する。


たぶん。
それは一度だけの人生でもやっぱり
強度が弱くて、
それで何度も何度も、しつこく輪廻転生を繰り返して
やり直して、失敗して、成長して、
本物の、真実の愛となっていくのだと思う。

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その日々の積み重ねは、
時としてマンネリ化し、退屈し、辟易として
逃げ出したくなることだらけだ。


お互いの価値観や方向性の違いを受け入れて
尊重していけるのは至難の業である。



それでも、
そんな細かい、遅々として進まない毎日を
過ごしてきたからこそ得られる
充実感と連帯感と絆。


母とNAOKOがファインを通して紡いできたものは

最初はいつでも切れてしまいそうな細い細い糸だったのに
16年の歳月を経て、
今はもうしっかり太い糸になってきているのだ、と
心地のよいナレーションと、バックに流れる
緩やかな音楽とともに確信した。


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今日の夕方、すっかりと伸びた髪を切りにいく時間ができた。

いつもの美容室に数ヶ月ぶりに予約を取り
シャンプー台へと案内される。

「どうですか~?
最近何かありましたか~?」

勢い良く降りかかるシャワーと
顔にガーゼがかかった状態を乗り越えるように
お互いが大声で会話を飛ばしあう。

「うちね、ガイアの夜明けにでたんだよ~!」と言うと、


「あ~!!!」と叫んだ。


「ぼく、見ましたよ~!!! ガイア!
最初に出た方でしょ?!

そうじゃないかな~って思って見てたんですよ。

いや、でもまさかね。
でもやっぱり似てるよな。
清水さんじゃないのかな???

ってずっと考えて、ただ似てるだけだよなって
言い聞かせてたんですよ~

やっぱりそうでしたか!

あの番組は好きでいつも見てますよ!

昨日はお店でも話題になったんですよ。
“遺書セット欲しいよね!”って。」


「な~んだ、長女!なんで継がないの?
って番組見ながら思ってたんですよ。

なんだ、自分の担当している人だったなんて
ウケる~!」


「そうよ、あの長女はアタシよ!
納得した?そりゃムリだって思うでしょ?」

いつもいろんなことを
おしゃべりする間柄。
彼は私のいろんなコトを知っている。

「そうですね~!」と、こっくりうなづいた。


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2チャンネルにも出てるらしい。

これはNAOKO情報だ。

「お姉ちゃんたち、2チャンに
画像でてるのよ!しかも、超どアップ!!!」


「え~???なんで?」

そんな経験初めてのワタシは、かなり驚いた。

普段、チェックすることもないから
出たことがあるのかさえ、考えたこともなかった。

しかも、顔写真???

ヒドイこと書かれちゃってるのかな?


どんなこと書いてあるの?と聞いたら、


「それがね、もちろんスゴイことも書かれてるけど
総合してみると“美人三姉妹”とか、
“何番目がいい?”とか
“長女は45才に見えないな”とか
意外といいことばっかりなのよ~!」


「しかも、“だってお母さんがきれいだからな。”と
母まで褒められてるのよ!」

“直子と姉妹?”とまで書かれているらしい。


そして、NAOKOは
「お姉ちゃんたち2人は画像貼り付けられてるのに、
私は貼り付けられてないのよ!!!」と

なんだか複雑な笑みを浮かべている。


“何番目がいい?”というコメントには
“次女!”、“次女”、“次女がいい!”と
ダントツMIDORI人気だった。

“長女”はかろうじて一票を獲得した(^_^;)v


もちろん、さまざまなコメントで
話が咲いていたのは新女社長!


番組を見たよ~、という感想もいっぱい頂き、
NAOKOへのたくさんの激励と
母への労いの言葉のメールが届いた。

大勢の方たちに祝福されて、
新しいスタート地点に立った二人。


本当におめでとう♪
ずっと応援し続けるからね!


そして、長女でありながら
自由気ままに生き、
息子もコロもほったらかして
全国を飛び回り、リフレッシュといいながら
海外を旅する私をいつも快く送り出して、
しかも留守中の息子たち(コロは次男)の面倒も
見てくれてありがとう。


うちの家族がいなかったら、
私はこうして、たくさんの人たちと会い
楽しくて充実した時間を過ごすことなんて出来なかったよ。

会社を支えるのに必死なはずなのに
気ままな長女一家の面倒まで
見てくれて、ずっとずっと支えてくれてきた。


母子家庭なのに、いつも忙しくて
手抜き育児ばっかりだったのに
TATSUROがまっすぐに伸び伸びと
すくすくと育ったのも
家族がいてくれたからです。

これからは、
私も少しずつ恩返しをしていかなきゃね。


たぶん、
気ままな自由人は一生変わらないけど、

私のできることを精一杯お返しするね。




最後に。

素敵な家族を築いてくれたお父さん。


本当にありがとう。

しばらくお父さんのこと忘れてたけど、
番組みて久々に思い出したよ。

私もお父さんからの最期のお手紙、
16年間、大切に枕元に置いてあるんだ。

「孫たちへ」というお手紙は
何度も読んで泣いてたんだって、TATSURO。
おととい初めて教えてくれたよ。



「ワシは父親を早くに亡くして
父の愛をよく知らない。
いい父親になっているかな?」と

私がまだ高校生だった頃に不安そうにつぶやいていた。


苦労した人生だったからこそ
精一杯家族を愛し、守ろうとした父がいてくれたからこそ、

残された私たちもまた
人を精一杯愛せるようになったんだと思う。



そうやって、人と人との
愛と絆はしっかりしっかりと結ばれて、
そして次へとまた結ばれていくのだ。と

まぎれもない思いに、今、包まれている。



























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