破李拳竜・日記

ここでは私・破李拳竜が行ってきた仕事やお遊びとかの日記を、つらつらと載せてあります。

やっと「男たちの大和/YAMATO」を観てきた。

2005年12月28日 22時33分49秒 | Weblog
  だいぶ遅ればせながら、やっと「男たちの大和/YAMATO」を観てきた。
 さすがにあの広大な大和甲板のセットをフルに生かして撮影されただけはあるな、とか、大和が時速50キロで洋上を走る姿が表現されたり、25ミリ三連装機銃がメインで描かれ細かく描写されているなとか、「アストロ球団」の球四郎が中村獅童に殴られる上官役で出ているよとか、JAEの春田純一が駆逐艦隊司令役で出ているやら、仲代達矢の若き役を助けて一人大和沈没点へ泳いで行ったシーンは、八杉氏の高射長のエピソードをベースにしてるなとか、色々楽しめた。
 私としては、再現ドラマに近い軍部の描写と、情感たっぷりの演出がされていた「連合艦隊」が、「泣き」の部分では好きだが、「男たちの大和/YAMATO」はあえて淡々とした演出と、下級水兵の視点から描こうとしたので、狙いのベクトルは違う作品なんだと感じた。

 とはいえ、主砲で対空用の「三式弾」を撃ったのに、「零式弾」の効果になってるよ!とか、オイオイ、「レイテ海戦」では大和は第二高角砲は被弾してないぞ!(実際には、一番主砲塔右舷最上甲板と、前甲板左錨鎖庫への被弾だったので、中村獅童がケガをするドラマ的意味すら成り立たなくなってしまう。)とか、市川混監督のTVスペシャル「戦艦大和」では伊藤長官を演じた仲代達矢が被り物も無くヘンな敬礼をしてるぞ?とか、やはりツッコミどころはありましたな!。

 まあ、ウルサイ事を言わなくとも、戦況が簡単なナレーションのみなので、今時は日本とアメリカが戦争していた事すら知らない者すら居る世代には、当時の状況がどんなものだったのか、ちゃんと伝わったかな?とも気を回してしまう。
 また、下級水兵の視点からの描きかたなので、サイパンやガ島が次々と陥落・玉砕する中、大和は一年以上もトラック島に停泊して、彼等は毎日甲板磨きや洗濯などをやらされて、しかし他の艦と違い冷房完備なので快適な居住生活をおくっていたので、周りから「大和ホテル」とイヤミを言われるようになる・・・とかの描写があれば、のちの戦闘シーンの凄惨さとのコントラストが引き立ったと感じた。

 更に、上層部とは違う大和に対する認識、たとえば「大和なら大丈夫じゃ!あの船は、どんな事があっても絶対に沈まんよ!」と、絶大な信頼感があり、それだけに、

「だから『総員最上甲板命令』が出た時は驚いた。艦を見捨てて逃げろっちゅう、もう最期だという時に出る命令じゃからの!大和が沈む?嘘じゃろォ~!だって不沈戦艦のはずじゃあなかったのかぁ~っ!?と、叫けんどった。」
(元・大和乗組員 八杉康夫)

と、いった描写が入っても良かったかもしれないし、「沖縄特攻」の戦闘では、さっきまで共に奮戦していた戦友が機銃掃射で、蜂の巣 どころか肉片にに変わり果て、 敵機編隊の波状攻撃の合間にその肉片をバケツに入れて片付け作業を行ったり、発狂してハダカになり走り回ったりする者が出たりと、もっとメチャクチャな惨状だったそうなので、そこまで描いてもよかったかな?とも感じた。
 それに「レイテ海戦」では艦長は勝野洋演じる森下信衛大佐だったが、「沖縄特攻」では奥田瑛二演じる有賀幸作大佐に代わったものの、少将に昇進した森下は参謀長となって大和に残ったのだが、それらの説明も無いので事情の知らない人が観たら、艦橋に勝野洋と奥田瑛二がガン首そろえているので「艦長はだれ?」と思ったかも知れない。(長嶋一茂が艦長だと思った人もいるみたい。)

 ・・・しかしナニはともあれ良い映画である事には間違いない。自分は生き残り、友人が戦死し母親にその戦死報告して、地面に額をこすりつけて詫びるシーンが一番感動した。あのシーンに大和生存者の気持ちが一番強く表現されていると感じた。
 それに大和が主役の映像化作品は、ほとんどが吉田満原作「戦艦大和ノ最期」で、それ以外は少なく、この作品はそれとは違う描き方をしていたので、(『宇宙戦艦ヤマト』や『連合艦隊』で描かれた、有賀艦長が自らの体を羅針儀にロープで縛り付けて大和とともに逝ったシーンの否定で、防空指揮所の羅針儀にしがみついたまま最期をとげた描がかれ方になっていた。沈没後浮かび上がったとされるところまでは描かれなかったが。)この作品は「大和映画」の決定版である事は間違いないだろう。


 後ろの席のおばあさんが上映後、「良いドラマを見せてもらった。あんなに乗ってたんだねえ。」と、娘さんと話しながら帰って行った姿が印象に残りました。

 画像は戦艦大和の最期 の「船魂」を擬人化。