1949(昭和24)年7月5日の午前、国鉄「現JR」総裁だった
下山定則氏が東京日本橋のデパートから突如姿を消してしまう事件が発生
当時、国鉄はGHQnの配下で大量の人員整理を半ば強引に行い
労使組と激しく対立していた、背景がありました。
そんな中で人員削減を断行した渦中の人物が姿を消してしまった事に
日本中が騒然となりました。
下山氏が突然失踪した翌日の7月6日の未明常磐線・綾瀬駅近くの線路上で
死体となった下山総裁の姿が発見されることに・・・
新聞でも一面で大きく取り上げられ、原因究明が急がれましたが
他殺か自殺かも分からず、結局謎に包まれたまま(半ば強引に)事件は幕引き
される結果となりました。
この事件はアメリカ占領下での”黒い霧”とされ、後に立て続けに
国鉄が関連した &三鷹事件―無人列車暴走事件
&松川事件―列車往来妨害事件と合わせて
「国鉄三大ミステリー事件」とも呼ばれています!
この事件は昭和24年の事なので、私は6歳なので、知る事もなく
この事件は知る事もなく高齢者になって知りました。
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