日々之風流

社会の荒波に揉まれる日々を「これまた風流」とかなんとか言っちゃうゆる~い日記

「テレビの向こう側」でない現実

2011年04月18日 | 【日記】
週末、県道10号線を経由して仙台港~蒲生、荒浜方面の被災状況を初めて目の当たりにしてきました



砂押川(仙台港より約4km上流)津波に押上げられたボートが打ち上げられている

近所の橋より撮影、こんな所まで津波が駆け上って来たと思うと、地震当日の夜部屋で寝てる場合じゃなかったとゾッとする



パチンコひまわり(多賀ジャス付近)裏手界隈、津波に押し流された車両(部屋から2.5km地点)

海沿いルート、県道10号線(多賀ジャス前の通り)は特に酷く、瓦礫の合間を道路が通っている状態、中央分離帯に流れ着いた鉄柱などが道路にはみ出しかなり危険(信号も所々機能していない)



蒲生~荒浜、電柱が傾斜しているのがハッキリ分かる



荒浜界隈、田んぼであったこの辺りも津波で押し流された土砂や瓦礫が打ち上げられ、さながら砂漠のような光景が広がっている。画像奥はわずかに残った防風林、そしてその先は海



史跡、多賀城碑(壺の碑)の桜と震災ゴミ

画像は桜の木を中心としたほんの一部分、中央公園一帯は震災ゴミの集積場になっており、大量のゴミが丘のように集積されている、そんななか花を咲かせる桜の木


ハッキリ言ってテレビや(宮城県在住とは言え)家と会社を往復しているだけでは被災地のナマの姿なんて1/10も伝わらないし解りません。目の当たりにして初めて知る事実に(しかも部屋からたった10km圏内)無力感を覚えました。

自分が一番危惧するのは、この事実が風化してしまうこと

自分は今、多少不便ながらも普通に暮らせています、しかしそのすぐ傍にはこのような現実が広がっています、マスコミはこの事実を風化させる事の無いよう、役割(正しい事実を伝え続けること)を果たして欲しいものです

同時に「支援し続ける事の重要性」を再認識しました。何だっていいと思います、募金するもよし、地酒を飲んで経済活動に貢献するもよし、できる範囲で無理せず、でも意識して、復興までの長い道のりを共に歩んでいきたい…そんな事を感じました。