日々之風流

社会の荒波に揉まれる日々を「これまた風流」とかなんとか言っちゃうゆる~い日記

東日本大震災

2011年03月22日 | 【日記】

仙台港の石油コンビナートの火災(多賀城方面より)


地震発生から11日が経過した所で、今までの経過や思うことを綴ってみようと思います。

3/11 地震発生

自分はビルの8階にいた為、余計強く揺れを感じたかもしれません。

物凄い横揺れ、次々とデスク上のPCやディスプレイが倒れ、書庫から書類が雪崩のように飛び出す、停電により社内の電気は全てダウン(作業中のPCデータもダウン(x_x))

揺れがひと段落した後、階段で屋外へ退避、避難場所の東二番丁小学校へ集合(小学校の校庭は、近くのオフィスから避難してきた多くの人で溢れていました)

16:30 多賀城方面へ徒歩で帰宅

雪の降る中いよいよサバイバルの開始、崩落した寺の瓦、塀、45度くらいに傾いた電柱などを目の当たりにし、改めて地震の大きさを再確認しました。

停電のため街には明かりが全く無く道路の状況が分かりません。
自分の目の前で右折した車、その先の道路が大きく陥没している事に気付かずそのまま進入→落下、運転手は車から飛び出して無事でしたが「あわや大惨事」なんて場面にも遭遇しました。

20時頃帰宅

余震の続くなか、ラジオをつけたまま明方まで仮眠、外はひっきりなしにパトカー、救急車のサイレンが鳴り響いていました。
(あとで近所の人から、アパート近くの川が津波による逆流で決壊寸前だったことを聞きゾッとする)

3/12早朝 市役所へ避難

市役所に設置されたテレビで、初めて津波の被害が甚大だった事を知る。

石油コンビナート火災による油の臭いが風に乗って市内に充満、市役所には津波の被害にあった人が着の身着のまま次々と自衛隊に救出、搬送されてきました。

電気、ガス、水道、携帯電波、全てダウン

3/13午後

アパートへ帰宅、キャンプ道具で暖と明かりを確保、買い置き食材で食事を済ませ就寝。

3/14 6:30 会社へチャリで出勤(8:00到着、約14キロ)、市内で若干の食料調達に成功。

3/15午後 自宅電気復旧

3/16午前 携帯電波回復

3/18 固定電話回線復旧

3/19

給水所で汲んだお湯を沸かし、8日ぶりに髪を洗う。

近くのスーパーに3時間並び食材ゲット(たまご、野菜類が少々)

3/20

給水所から汲んだ水で地震発生以来始めて洗濯(手洗い)をする。

3/22

実家から郵便(レターパック)でベーコン、ハムなど食料品が届く。
(郵便の場合、前日発送した物が翌日には届く様子)


いろいろ感じたこと・・・


スマートフォン、携帯電話

震災時の徒歩での帰宅ですが、停電で真っ暗&土地勘が全く無いため、スマートフォンの地図アプリとGPSがかなり役に立ちました。

しかし電波が完全回復するまで電話機能、メール機能は全く使い物にならず、部外との連絡は一切取れない状況でした(機種によるかもしれませんが、むしろガラケーのほうが微弱電波をよく拾っているように感じました)

役立ったアプリ

・モバイルgooglマップ (地図アプリ)
・ウェザーニュースタッチ (気象、地震情報)
・radiko.jp (ラジオ視聴アプリ)
・Tiny Flashlight+LED (懐中電灯アプリ)

その他ワンセグ、Skype、ツイッター、mixi等SNS


電気、ガス、水道など・・・

電気復旧までの明かりと調理はキャンプ用具の「ガスランタン、シングルバーナー等」が活躍したんですが、やはり食料その物のストックがないと厳しい状態でした(地震発生から電気回復までの間が一番しんどかった)

役立ったアイテム

・水用ポリタンク
・ガスランタン
・シングルバーナー(ホワイトガソリン)
・ラジオ(乾電池式)
・カセットコンロ


移動手段

自動車通行不可箇所が多く、またガソリンが手に入らないため「自転車」が大変役に立ちました(荷台が付いているため水運びにも大活躍しました)


まとめ

電気、ガス、水道の代替品を持っているに越したことは無いのですが、最低【ローソク等の防災用灯具】【ラジオ】【水用タンク】は備えるべきです。

また【カセットコンロ】があれば簡単な調理やお湯を沸かすことが出来ます(土鍋があれば完璧、友達招いて鍋パーティーも出来るし、ご飯を炊くことも出来る)

あと【自転車】は絶対持ってた方が良いです(エコ流行り、健康にも良い)あ、でも「施錠」だけは確実にしてください(マジでソッコー盗まれちゃいますんで)