風の回廊

風を感じたら気ままに書こうと思う。

柳田法務大臣辞任に見る本質とは何か?―禁断の刑事訴訟法第47条にふれた男

2010年12月03日 | 日記
【11月22日のmixi日記から】


北朝鮮の砲撃事件で、明日からメディアの報道に載らなくなるかもしれない柳田法務大臣の辞任ですが、そのことに安堵している人たちがいることを忘れてはならないと思う。

野党とメディアが、現役の法務大臣として国会を軽視する発言だとする、地元広島での柳田の(以下敬称略)国政報告会の発言はこの部分です。

(11月18日YOMIURI ONLINEから 引用)
「9月17日(の内閣改造の際)新幹線の中に電話があって、『おい、やれ』と。何をやるんですかといったら、法相といって、『えーっ』ていったんですが、何で俺がと。皆さんも、『何で柳田さんが法相』と理解に苦しんでいるんじゃないかと思うが、一番理解できなかったのは私です。私は、この20年近い間、実は法務関係は1回も触れたことはない。触れたことがない私が法相なので多くのみなさんから激励と心配をいただいた」

 「法相とはいいですね。二つ覚えておけばいいんですから。『個別の事案についてはお答えを差し控えます』と。これはいい文句ですよ。これを使う。これがいいんです。分からなかったらこれを言う。これで、だいぶ切り抜けて参りましたけど、実際の問題なんですよ。しゃべれない。『法と証拠に基づいて、適切にやっております』。この二つなんですよ。まあ、何回使ったことか。使うたびに、野党からは責められ。政治家としての答えじゃないとさんざん怒られている。ただ、法相が法を犯してしゃべることはできないという当たり前の話。法を守って私は答弁している」
(引用終わり)

僕は当初この発言内容を見て、「ジョークでしょ。それに事実だから、何も糾弾するようなことじゃない」と思っていました。たしかに「法相とはいいですね。二つ覚えておけばいいんですから」という部分に主眼を置くと法務大臣という責任ある役職を軽視しているし、「これを使う。これがいいんです。分からなかったらこれを言う。これでだいぶ切り抜けてまいりましたけど」という部分もふざけている。国会を軽視しているとも言えるわけで、メディアも野党も柳田のこの部分の無責任さを批判している。
そしてこの二つの柳田の”情緒”に前後している、柳田がもっとも意味を込めて言いたかったと思われる“二つ”に注目してほしい。

◇『個別の事案についてはお答えを差し控えます』
◇『法と証拠に基づいて、適切にやっております』

この二つの言葉は、柳田だけではなく、歴代の法務大臣が国会や記者会見で、事件について質疑される度に答弁してきた、いわば、法務大臣お決まりの答弁ですね。

では、何を論拠に柳田をはじめ、歴代の法務大臣の答弁としてきたかは二つ目の言葉の“法”にあります。

その法は刑事訴訟法第47条です。

(訴訟書類の公開禁止)
第47条
訴訟に関する書類は、公判の開廷前には、これを公にしてはならない。但し、公益上の必要その他の事由があって、相当と認められる場合は、この限りでない


この条文により、質疑されても個別的事案に法務大臣とはいえ、答えることを制限されています。

柳田は言っています。
◇「実際の問題なんですよ。しゃべれない」
◇「ただ、法相が法を犯してしゃべることはできないという当たり前の話。法を守って私は答弁している」
ここに現役法務大臣の苦悩と自嘲を読みとることができないだろうか?そして現役法務大臣の責任感のようなものが漂っていないでしょうか?

『個別の事案についてはお答えを差し控えます』
『法と証拠に基づいて、適切にやっております』

この二つは互いにリンクし、これには大前提があります。
『適切にやっております』という言葉に示されているんですね。何を示しているかと言えば、

“公訴権を独占している検察が、すべて正義に基づき正しく処理している”ということ。

この大前提に刑事訴訟法47条は明文化されていると言ってもいいし、それを“法”が、検察に求めています。だから答弁は必要なく、個別事案について情報開示の義務は存在しません。

しかし、実態はどうでしょう?
“検察がすべて正義に基づき適切に処理しているのか?”という疑問が残るのは、私たちだけではなく、現役の法務大臣ならもっと強く実感しているでしょう。
例えば、柳田が法務大臣在職中明らかになった大阪地検特捜部による証拠改ざん事件。
その他、検察特捜が捜査、起訴した冤罪の可能性が高い事件が、過去から現在まで目白押しです。一般の刑事事件でも疑いのあるものは少なくありません。
こうした検察の暴走、検察への信頼の崩壊から、柳田は検察の在り方を検討する第三者機関の設置を強く各方面から、多くの国民から要望され、法務大臣の諮問機関である『検察の在り方検討会議』を設置します。

この時の検討会議のメンバー選定の経緯として、委員になったフリージャーナリストの江川紹子はこんな発言をしています。

「官僚から大臣にメンバーの推薦者リストが渡された時、柳田さんは読んだ後、ゴミ箱に捨て、私と郷原信郎さんを入れるよう担当官僚に指示した」

江川紹子、郷原信郎は、特に郷原信郎は、一連の小沢問題の検察の在り方にふれ、極めて理論的に実態を詳細を明らかにしながら徹底的に批判してきたヤメ検(元検事)で、法務官僚、特に検察からもっとも敬遠され、同時に怖れられている人です。江川紹子も然り。

このような事実から、柳田が
“検察がすべて正義に基づき適切に処理しているのか?”という疑問を持っていたことは容易に推測できるし、検察の改革に前向きだったことは明らかです。
そんな柳田の想いが
◇「実際の問題なんですよ。しゃべれない」
◇「ただ、法相が法を犯してしゃべることはできないという当たり前の話。法を守って私は答弁している」
という自嘲とも苦悩とも推察できるこの部分によく表れているのではないでしょうか。

そして柳田は野党とメディアと多くの国民に辞任を迫られる中、辞任発表の前日に記者会見を行います。しかし、正式な記者会見は法務官僚の阻止にあったと思われ、“ぶら下がり記者会見”となる。
おそらく、刑訴法47条をめぐり、法務官僚との間でそうとう激しいやり取りがあったと推察されます。というのは、そのぶら下がり記者会見で柳田は、「辞任しない」ことと「法務省刑事局長に対し刑訴法47条の在り方を検討するよう指示した」と語ります。
刑訴法47条は、たしかに公判前の証拠を守る上で有益な法律でしょう。一方、法務行政のトップである法務大臣が、法務行政の一機関の検察を監視できても、正義に基づいて適切に処理しているかどうか、公開できない大きな壁でもあるわけです。

自民党の歴代の法務大臣と検察は、刑訴法47条を拠り所に、程良い距離を保ちつつ、相互権力の保持に努めてきたことは、検察の膨大な権力と、過去の疑わしい不祥事が明らかにされなかったこと――特に三井環事件に見る当時の政府と検察の癒着――を考えれば明らかで、良心的に考えても自民党の歴代法務大臣と自民党にとっては、検察に踏み込めない、踏み込まない事実の汚点としての記憶があります。
また、官僚と一体となった“官報複合体”と言われる、マスメディアにとっても、刑訴法47条は、程良い距離を保つのにひじょうに都合の良い法律なわけです。
この法律によって、個別的事案に突っ込んだ取材をしなくていいからです。突っ込んだ取材で検察の在り方が問題になれば、それを記事にしなくてはならない。
しかし、開示義務のない聖域にあえて踏み込む必要がない。検察と対峙する必要がない。

つまり、刑訴法47条は、既存権力にとってまことに都合の良い法律であり、ここにふれることは、ひじょうに危険であり、まさに禁断の法律(条文)だったわけです。

昨日、柳田は法務大臣の職を辞し、記者会見を行いました。
Youtubeに掲載されたノーカット版では、刑訴法47条にふれていますが、僕が見た限りのニュース映像では、その部分はカットされ、論議している新聞記事も見当たりません。
もっとも柳田がふれたいと思っていたことが、国民に伝わらないことに柳田はさぞ無念の想いを噛みしめているでしょう。



柳田法務大臣辞任会見ノーカット1/4(10/11/22)


柳田の広島での発言が軽率だったことは間違いありません。もっと他に言いようがあったはず。問題提起のしようがあったはずです。そして重要な問題として心しているのであれば、もっと違ったかたちで表現し、補正予算の審議に関わりなく、事を運ぶことができたはずです。そして辞めるべきではなかったし、辞めさせるべきではなかったと思うのです。
柳田の弱さは、ここにありましたが、菅の周辺にそれだけの力強さをもった議員も見当たらないところが、この内閣の弱点でもあります。

問題の提訴の方法として、自ら作った『検察の在り方検討会』で論議させてもよかったのではないでしょうか。(遅かりしですが、記者会見で自ら言っています)刑訴法47条は、検察の問題にふれることにもなるわけですから。

そして危惧するのは、後ろ盾を失った『検察の在り方検討会』の行方です。
せっかく、郷原、江川という検察がもっとも怖れる人が、委員としているわけですから。
僕はあまり深読みすることや陰謀論的なことを考えたくないのですが、利害の一致ということを考えれば、柳田がいなくなり『検察の在り方検討会』が、事実上機能しなくなり安堵するのは誰か?ということまで考えなくてはならない問題の多い、そして政治的に重要な辞任劇ではなかったかと思います。

後任兼務の仙谷官房長官への期待度ですか?
尖閣事件で、強引に検察を使ったことから考えれば、答えは明らかでしょう。

メディアは、事実にふれても本質にふれません。
尖閣事件も、ビデオ流出事件も、そして柳田辞任劇についても同様です。
メディアの報道により、本質が明るみにされない危険。読者が同じ流れに陥っていく危険を感じるばかりの今日この頃です。



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歴代の法相答弁の制約に法務官僚が使ってきたのがこの条文。その解釈問題には絶対に触れられたくないはず。この点について法相として検討を指示し、検察の在り方検討会議でも検討するよう座長に依頼したのは重要な事実だ。この問題が報じられれば、後任法務大臣への影響は大きい。

郷原信郎のツイートから引用



政権交代の終焉

2010年11月07日 | 日記
菅内閣のやることなすことに、ストレスが溜まって酷い状態の今日この頃。みなさんいかがお過ごしですか。今日の記事は結論から言えば、菅内閣倒閣!です。

第二次菅内閣発足後、まず尖閣問題で混迷し、事件発生直後、ロシア・メドベージェフ大統領が国後島訪問を決定。それも9月の終わりの訪中中に最終決定したらしい。尖閣問題で出口が見えない菅内閣を見下し、チャンス到来といったところだろう。そして実行。
まず外交で、マイナス20ポイント。いや、領土問題ということの重大さを考えれば、それぞれマイナス20ポイント、合計マイナス40ポイントが妥当かな。

内政では、上げればきりがないんだけど、参院選の消費税と同じようにほとんど審議なしにTPP参加を言いだしたことだけでマイナス5ポイント。輸出で利益を出している自動車、IT産業などにとってはチャンス到来だが、もしTPPに参加したら参加条件にもよるが、農林水産業者は、壊滅的打撃を受けるだろう。北海道農林部の試算によれば、75%の農業者が甚大な被害を受けるという。
最先端の技術と合理的な農法で日本ナンバー1の北海道ですら、こうした状況が推則されるのだから、日本全体の農林水産業で考えれば、壊滅的打撃になることは容易に推測できる。格差社会がますます拡がる。農林水産業の安定的発展は、食と従事者の生活の面の安定だけではなく、自然環境を安定させる効果があるのです。銭金だけの問題じゃない。
農林水産業にセーフティーネットが、全く不十分な状態でTPPに参加しようとする姿勢にマイナス20ポイント。参加したらマイナス40ポイント。

09マニフェストで掲げた、企業献金禁止を3年後から実施するのだから、公約違反ではないと言って、企業献金を再開した菅首相にマイナス10ポイント。公約違反云々ではなく、目的への姿勢が問われているのですよ。こんな鈍感な首相は、愛人に月30万円ぽっちの手当しかを出さなかった宇野首相以来だろう。曲がりなりにも一国の首相ともあろうものが、月30万円しか出さないなんて世間知らずも甚だしい。認識度としては変わりないような気がする。

それはそれとして、さらにAPEC横浜を直前に、テロ対策資料が流出してしまいました。いかに平和ボケしているとはいえ、敵に塩を送るどころか、丸裸になったのも同じですよね。こんな国家的危機管理の不十分さにマイナス10ポイント。

国家的危機管理問題と言えば、尖閣事件のビデオが流出しましたね。それもyoutubeへの投稿というところが政府は頭が痛い。コピーが繰り返され手の施しようがなく、世界中に拡がっちゃったもんね♪
詳細は言いません。良し悪しにも触れず、黙ってマイナス20ポイント。

もう処置なしで頭を抱えるしかない政府ですが、尖閣問題の海保の担当大臣である馬淵君は、本日、事実上の八ツ場ダム建設中止を撤回。
八ツ場ダム建設中止に奔走し、当時の鳩山幹事長に橋渡しした、グループの一員の僕としては、マイナス100ポイントと言いたいところだけれど、それではあまりにも感情的過ぎるからマイナス15ポイント。

さて今のところ、マイナス点はいかほどになったでしょうか?
ざっと数えるとマイナス120ポイントになるが、これを埋める成果は見当たらない。

特別会計の事業仕分け?……上杉隆(ジャーナリスト)は、植木の剪定のようなものと言い、岸博幸(大学教授)は、本工事前のどぶさらいだという。経済評論家の上念司に至っては、プロレスだという。言いたいことは、根幹に迫ろうとしない財務省主計局主導によるショーだということだろう。見た目がよければ国民は納得してしまうんです。これまでの事業仕分けで一番得したのは、我々ではなく、国会議事堂でひとりファッションショーをした蓮舫であることに異論がある人は少ないと思う。
事業仕分けで浮かせても、消費税を上げたのではお話になりません。

ということで、事業仕分けもマイナスポイントか?

そして最大のマイナスポイントは、前原外務大臣そのものである。
前原は「尖閣問題は1mmも後退させない」と言い切った。
尖閣諸島は、日本の領土であり、実効支配していることについてまったく異論はないが、中国と領有権を巡る係争地であることは、双方認識している。さらに、78年に時の中国の最高指導者、小平が来日した際、「尖閣問題は次世代に任せましょう」と“尖閣列島問題棚上げ論”を政府に言及し、以来、係争地ということもあり、政治的対応をしてきたのが、日本政府の尖閣諸島を巡る現実的対中外交の基本だった。
今回は、日本の国内法で臨んだために中国は、余計に憤慨したらしい。もちろん、非はどちらにあるのか?と言えば、明らかに中国の漁船に非があるのだが、最近、日中漁業協定が、クローズアップされ(東京新聞『こちら特報部』問題提起され、事実上世に出る。政府も他のメディアにも触れようとしない。この件に関する報道について、尖閣問題の報道についてマイミクのSamさんが、解りやすく述べているので是非読んでください。僕の長~いコメントも読めますよ♪
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1615354180&owner_id=550315)

中国漁船が、海保船に衝突するシーンだけ見れば、非の元は解決済みという話ではなくなってきた。政府は日中漁業協定を踏まえ、再検証しなければならない。

“棚上げ論”について前原は「小平が勝手に言ったことで、日本政府が合意したという資料は存在しない」と言い切り、さっさとクリントン米国務長官の下へ旅立つ。
ところが、元外務省国際情報局長の孫崎享氏によれば、「存在しないはずはない」のである。「ある」と言うのだ。

「ない」と言いきった前原は、9月の終わりに米政府高官から「尖閣諸島は、日米安保条約5条の適用範囲」という言葉を導きだす。この時クリントンが言ったという報道だったが、クリントンは言っていない。
さらに政府高官は「日中双方で協力し問題の早期解決を望む」とこちらの方を強く言っている。
なぜなら「尖閣諸島は、日米安保条約5条に適用される」というアメリカの声明は、沖縄返還で尖閣諸島が日本に返還されて以来、ニクソン政権からオバマ政権まで変わらぬ姿勢だからです。

そして重要なのはこの声明が何を意味しているか、ということです。
あたかも、中国が尖閣諸島に武力的行為に出た場合、尖閣諸島で日中の武力衝突が起こった場合、日米安保5条に則して、米軍が助けにくると思うでしょう。
しかし残念ながら、米軍は助けにきません。米政権が繰り返すこの言葉の意味は、「尖閣諸島に対しては、アメリカは中立である」という意味の声明なんですね。アメリカは日本も重要なパートナーだけれど、中国も重要視しているし、外交、経済、軍事力といった戦略では、日本より上です。
尖閣列島がどうなろうが、アメリカはどっち着かずの高みの見物です。
中国を相手に日本を助けませんよ。これは世界の常識です。
外交で使う言葉は、そのまま受け取れない微妙な意味合いが込められているのです。
日米中ともこのことに関しては、ニクソン政権以来ずっと認識しています。知らぬは国民ばかりなり。

さらに05年に交わされた『日米同盟―未来のための変革と再編』では
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/usa/hosho/henkaku_saihen.html
「日本の島嶼部の防衛は、日本が行う」と明確に書かれているのです。
極東アジア太平洋地域における日米の防衛は、『日米同盟』に則して行われているのが現実で、日米安保は、『日米同盟』を超えるものではありません。
このことについて、これまで何度か書いてきましたが、『日米同盟』を読み理解せずして、日本の防衛は語れないし理解できません。難しく書かれていないのでお薦めします。
もちろん、前原も菅もメディアもそのことは知っている。でも、本来の意味を国民に伝えようとしません。
前原に至っては、先日ハワイでクリントンからも同じ言葉を導きました。
まるで英雄気取りです。

ではなぜ、前原はこの機に執拗に、ニクソン以来変わらない声明を欲しがるのか?
日本国民向けの前原戦略です。
「アメリカのご加護があってこその日本の防衛ですよ」。とこれまで以上に印象ずけることが前原には必要でした。尖閣向け世論の高揚はもちろんですが、沖縄の基地問題でも辺野古移転でも世論が必要です。
「米軍は日本にとって必要不可欠、辺野古で許容しましょう」
「思いやり予算も米軍は現状以上に必要だと言っています。大幅削減が民主党の姿勢ですが改めましょう」
こんなふうに言いたくてたまらないのが、見え見えです。
現に前原は、思いやり予算を巡る日米実務者審議のかなり早い段階で、ルース米大使と会談し
「思いやり予算の減額に日本政府はこだわらない」と発言しました。
そして現状維持がほぼ決定……

尖閣問題を前原らしい魂胆で利用しているのです。
喜ぶのはアメリカだけなんですけどね。
そんなことばかりに集中しているからロシア大統領の国後訪問では、手も足も出ず……
尖閣問題は、ビデオの流出をもってさらに混迷を深めるでしょう。

強行的に煽るだけで、解決の糸口を見いだせない前原にマイナス80ポイント。
こんな内閣を主導している菅にマイナス100ポイント。

よって菅内閣倒閣を今後の政治テーマとします。
政権交代はもはや終焉したのと同じなのだから


最後に尖閣問題について……
いちばん恐ろしいのは、平和ボケした強硬論者が、排他的行動に出ることです。
日本にいる中国人留学生に反日なら帰れ!なんて思っていませんか?

こういうときこそ、寛容と理解が必要なのです。


武井繁明

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「すべては想像力の問題なのだ。僕らの責任は想像力の中から始まる。
 イェーツも書いている。 In dreams begin the responsibilities ―――
 まさにそのとおり。逆にいえば、想像力のないところに責任は生じない のかもしれない。
 このアイヒマンの例に見られるように」

「想像力を欠いた狭量さ、非寛容さ、ひとり歩きするテーゼ、
 空疎な用語、簒奪された理想、硬直したシステム。
 僕にとってほんとうに怖いのはそういうものだ」

                     村上春樹「海辺のカフカ」(上)より




検察を考える

2010年10月30日 | 日記
検事は、警察官のように身分証(警察手帳)を有することもなく、「秋霜烈日章」をスーツの襟に付け、自分で発行できる捜査令状と簡単に手に入る逮捕状を持って強制捜査でも何でもできてしまう……

その最前線部隊が、東京、大阪、名古屋各地方検察庁に属する特別捜査部です。(以下特捜)
前回も書いたように、一行政機関の検察が、本来有し得る公訴権の他に逮捕・捜査権を持つこと認めている国は、世界でも稀有な存在で、権力分立を国家権力の体形とする近代民主主義の原理から明らかに外れています。日本国憲法の正当性の基盤は、民主主義の原理に基づくもので、日本国憲法からも逸脱していると思います。国民の人権に対し、これほど危険性を有する公権力を同時に持っている組織は他にはありません。

ひとつには、戦後日本の民主化を担ったGHQが、検察を解体しなかったこと。検察の権力を逆に利用し、占領政策を推し進める手段としたことは、前回書きました。
つまり明治憲法下での“天皇の官吏”としての検察が、そのまま残ってしまいました。

認証官制度をご存知でしょうか?
天皇の国事行為として「天皇が官吏を認証」する制度で、明治憲法下での絶対君主、国家元首だった天皇からの権力の代行委譲が、象徴天皇の下、現在も行われている形骸化した儀式です。国家元首でもない天皇から認証されるというのはおかしな話で、国民主権という民主主義の原理からもかけ離れた実にお粗末な制度です。

この認証官には、国務大臣他副大臣、内閣官房副長官、会計検査院・検査官、人事院・人事官、宮内庁長官、侍従長、公正取引委員会・委員長、特命全権大使、特命全権公使、最高裁判事、各高裁判事の他に、『最高検察庁・検事総長、次長検事、各高等検察庁・検事長』が含まれています。

ざっと見ただけで、検察組織の人間が突出していることがお判りかと思います。天皇の国事行為も認証官制度も民主主義の見地に立てば、到底容認できるものではありませんが、仮に本来の民主主義への過渡的な措置として、認証官制度を許容したとしても、国民から選ばれた代議士や内閣総理大臣に任命された民間人からなる国務大臣と三権の長のひとつである最高裁判事以外は、受け入れられるものではありません。
国民主権に照らせば当たり前のことです。まして、行政の一機関に過ぎない検察官僚をこれほど権威ずけるのは、ひじょうに危険です。
検察を司法機関だと誤解されている人がいますが、司法権は、裁判所だけが有するもので、検察はあくまでも行政の一部です。

法務省の人事を見てみると、各省庁官僚のトップは次官なのに、法務省の次官だけが、序列5、6番目というのが現実です。認証官の形がそのまま露われているように感じます。
つまり、法務次官の上に確実にいるのが、最高検の検事総長と次長検事です。さらに法務省でもっとも権力を持っている部署が刑事局で、ほとんど検察官によって占められています。

法務省のトップは、当然法務大臣ですが、法務省の一機関に過ぎない最高検、各高検、特に最高検が、法務大臣と並ぶ認証官であることは、国民が委譲したはずの法務大臣との現実的な力関係を現しており、法務省と最高検を頂点とする検察の間に高くて厚い壁が存在することを物語っています。さらに法務省も検察官が、上層部を占めている状態では、法務大臣、副大臣、政務官の政務3役の力の発揮もあまり期待できません。

閣議決定の書面を見ると、内閣総理大臣の隣りに法務大臣の署名があり、いかにも重要なポストでそれに見合った力が、大臣にも法務省にもあるように見えますが、明治政府は、法律を作る必要があり、最重要視され実際権限を有し重要なポストでした。その名残に過ぎません。

また長い自民党政権を見ても判るように、法務大臣経験者が総理の座に着いたことはなく、戦後全体を見渡しても、臨時で務めた片山哲、石橋湛山、吉田茂の他は皆無です。“閑職”と言っては語弊がありますが、内閣の中でそれほど力を期待されているポストではありません。
なぜなら……。それから先はお分かりかと思います。
あえて言えば、“内閣総理大臣も持て余すほど検察が強大な組織になっているからです。”
このような組織の最前線部隊の特捜だからこそ、強引な捜査、恫喝的取り調べ、強権的起訴が可能なのです。

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◇東京地検特捜が捜査、起訴した長銀事件では、捜査・取り調べの過程で実に7人の関係者が自殺しました。最高裁の判決は無罪でした。

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◇福島県の官製談合汚職事件では、被疑者の関係者3人が、自ら命を断とうとし、二人が死亡。ひとりの方は植物人間になってしまいました。
この痛ましさは、どこから生まれるのでしょう。

以下、フリージャーナリスト、岩上安身さんが取材を基にしたツイートです。
(引用開始)
膨大な数の、佐藤元知事の関係者が、絨毯爆撃のように取り調べを受け、「嘘でもいいから、佐藤の悪口を言え」と強要されたといいます。苦しくなって、虚偽の証言をした人は、良心の呵責に耐えられず、死にたくなったと、何人の方々が告白したそうです。

佐藤氏の妹さんは、東京地検に、連日の事情聴取を受け、倒れました。
郡山の家族が上京し、地検まで駆け付けると、医者も呼ばず、病院にも連れていかれず、意識不明のまま。
家族が、救急病院に連れていったときには、脱水症状で危険な状態にあったそうです。
(引用終わり

さらに、佐藤氏がブログの中でこう語っています。

(引用開始)
ある会社社長はこう言われました。
「お前らが東京地検に喧嘩を売るなら、こちらも考えがある。
お前らみたいのはどうにでもなるんだぞ。お前には7年くらい入ってもらう。
出てきた頃は会社もなくなっているし家族もばらばらになり浦島太郎のようになるぞ。
そうならないためにも真実を話せ。」
知らない、というと
「お前の立場だったら知らないはずは無い。知らないのなら想像して言ってみろ」
そして想像して言ったとしたら、どうなっていたのでしょうか。

私を支持してくれていた会社の経営者たちは、多数「会社をつぶすぞ、すぐにでもつぶせるのだ」という検事の言葉を聞いています。

経営をした方ならわかると思いますが、「お前の会社をつぶす」と言われたら、社員たちが路頭に迷わないように、何でも言うがままにならざるを得ないでしょう。国家権力であるだけに、暴力団より強力な脅しになるはずです。

また、ある後援会関係者は以下のようなやり取りをしたそうです。
「あなたが来ない場合は200人よびますがどうですか」
と電話で呼び出され

「いろんな事分かってるだろう、金のこと」
―― 一切知らない
「20年間支えてたんだから。わかってるんだろう 佐藤栄佐久はうそつきで…(罵詈雑言)…」
―― 栄佐久はすばらしいから20年間も支持してきたのだ
「とぼけるな。ふざけるなよ。 一つでもいいから(具体的に)悪いことをいえ」
―― しらない
「栄佐久の 悪いことを知ってるような人を一人くらい言え。しらないことでもいえ」
「知らないこと知ってると言ってもこの部屋の中だけで外には出ない」
―― もし栄佐久がそういう人間であるなら県民を裏切ることになる
「『もし』だけ削除して調書作成していいか」

最後のやり取りは、いかにして検察官が供述を曲げて調書を作成するか明確に表しています。
この後援会の方はやり取りを詳細にメモに残していました。

最後に、
「あなたは私を人間としてみていない。 野良猫か野良犬としかあつかっていない。人間として扱ったのか、野良猫として扱ったかったのかはっきり言ってくれ」
と言って最終電車で帰ってきたそうです。

「嘘でもいいから言え」「作ってでも言え」「想像でもいいから言え」「想像できないなら教えてやる」

検事から全く同じようなこの類の言葉を言われたということは、2,3人に留まらず身内含め私の事件で聴取を受けた多くの人から聞きました。日常的にこのような手法で供述を積み上げていくのでしょう。

苦痛を与えて、強制的に自白させる拷問は古くから犯人探しの手段として用いられました。
近代では拷問は否定され、先進国では明確に法律で禁じられています。
何故かといえば、拷問、苦痛から逃れたいという一心から絞り出した供述は虚偽である可能性が高く、真実を追求するに当たっては、邪魔にしかならないからです。
中世の魔女狩りを見て分かるとおり、とでも書くことができればいいのですが現実は前近代的な、相手の人格を破壊することによって、望む供述を得ようとする精神的拷問は前述の通り今、起こっています。
(引用終わり)

この裁判では、一審では、賄賂性を認め有罪。二審では、“収賄はなかった(追徴金ゼロ)、利益の供与はなかった、そう言っているにも等しい判断をしながら、執行猶予付き有罪判決が出され現在最高裁に上告中です。

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◇大阪地検特捜に大阪府枚方市の談合容疑で逮捕、起訴された元副市長・小堀隆恒さんは最高裁で無罪判決を勝ち取りました。小堀さんは取り調べの実態を、こう語っています。

(引用開始)

 3年前の平成19年5月31曰の午後6時ごろでした。数人の検事が突然、副市長室に乗り込
んで来て「事情を聴きたい」と言われました。当時、市の清掃工場をめぐる談合報道があ
り、責任者だった私の元にも捜査機関が訪ねて来ることは予想していました。
 ただ、単なる事情説明で済むと思っていた。ところが、午後10時ごろに逮捕状が執行さ
れたのです。驚いて「私が何をしたのか」と聞いても、検察は「談合の共犯や」と言うだ
け。訳が分からず、一睡もできずに大阪拘置所で夜を明かしたのを覚えています。

 翌日朝から取り調べです。私は当時、腎臓がんで右腎を摘出し、前立腺肥大で手術を控
えていました。それを検事に告げても無視です。7、8時間ぶっ通しの取り調べが続きま
した。案の定、排尿障害になり、医務室で処置を受けたのですが、これが乱暴だった。カ
テーテルを強引に尿管に入れたため、内部が傷つき、血尿が出るようになったのです。検
事に訴えると、与えられたのは介護用の紙オムツ。それもたった1枚だった。家族らが代
用品を差し入れても手元に届かず、保釈されるまでの約1ヵ月間、血だらけの紙オムツ1
枚を繰り返し乾かして使いました。

 不衛生だから当然、尿管などから雑菌が体に入ります。しばらくすると高熱が出て、取
り調べ中も頭がボーッとなった。コップ1杯の水も与えられず、便所で手を洗う際に□を
湿らせてしのぎました。「生きて出られるのか」。私は強い恐怖を感じましたが、取り調
べは容赦なく続きました。

 取調室はコンクリートの小さな部屋で、声や物音が響きます。東京地検から応援に来た
という大柄の検事はパイプイスを思い切り壁に向かって蹴り付けたり、ドアを思い切り閉
めたりして”威嚇”する。大声で私のことを「ごみ野郎、くず野郎」と怒鳴り、「白状し
ろ。カネはどこに隠したのか」と尋問するのです。こんな調子が深夜まで続くから、ある
曰、拘置所の近隣住民から「うるさい」とクレームが来ました。私が否認を続けていると
「カミさんを調べてデキが悪かったら逮捕する」とか、介護施設に入所している90歳の母
親を「ストレッチャーで連れてきて調べる」と言う。「これが法治国家の日本なのか」と
心底思いました。

 マスコミに対しても強い不信感を抱きました。保釈後に緊急入院した病院の中で、事件
を報じた新聞各紙を取り寄せて読んだのですが、すべてデタラメ。一切否認なのに、新聞
では逮捕2回目から「容疑認める」 「1000万円もらった」などと報じられているの
です。愕然とすると同時に、検察からのリーク情報を垂れ流すマスコミの姿勢に呆れまし
た。小沢事件でも、すべての報道を信じる気持ちはありません。

 無罪となっても、検察やマスコミからの謝罪はありません。非人道的な取り調べを受け
た体験者として、こんなことは二度と起こしてはならない。取り調べの可視化は絶対に必
要です。
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特捜のこうした取り調べの実態は、例外的なものではなく、ごく当たり前で日常化しています。
こんな特捜を許容できますか?即無くすべきでしょう。特捜そのものも廃止です。
そして、検察の権力――公訴権と捜査・逮捕権も分立し、検察は公訴権だけを有し、捜査・逮捕権は、警察だけにとどめるべきです。

政府は、有名無実化していた検察官適格審査会のメンバーを改め、辻恵、森ゆう子、高山智司、川内博史議員といった検察の在り方を強く疑問視している人が加わりました。こちらは少しは期待できそうです。さらに検察を検証する第三者会が設立され、座長に千葉前法務大臣が推薦され、引き受けました。こちらはどうでしょう?メンバーに郷原信郎さん、江川紹子さんの名前が国会でも取りざたされ、このお二人に加わっていただければ心強いのですが、問題は座長の千葉さんが、法務大臣時代法務官僚をまったくと言っていいほど主導できなかったことと、現内閣に、検察を改革する気持ちが本当にあるかどうか、システムを基本から変える道筋をつけられるかどうかにかかっています。第三者会で議論されたことを実行するのもしないのも最終的には政府にかかっています。
民主党の看板である事業仕分けのように、システムを根幹から変えるのではなく、庭木の剪定程度の見た目の良さだけに終わりそうであってはなりません。
検察の巨大な壁という、システムがすべての元凶なのですから。


画像:大林宏検事総長

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少し考えてみてください。僕たちはそれぞれ、いまここに実態のある魂を持っています。
システムはそれを持っていません。
僕たちはシステムが僕たちを司ることを許してはなりません。
僕たちはシステムがひとり歩きすることを許してはなりません。
システムが僕たちを作ったわけではない。僕たちがシステムを作ったのです。


       村上春樹 イスラエル賞授賞式でのスピーチより抜粋


「検察審査会」を考える

2010年10月23日 | 日記
 敗戦後のGHQ(連合国軍最高司令官総司令部:事実上米軍単独占領)による占領時代、総司令長官のD・マッカーサーは、武装解除と軍部の解体の後、直ちに本格的に戦後の日本の体制と方向性を示しました。アメリカ型の民主化です。
 天皇制絶対主義の解体、財閥解体、農地解放、女性参政権、公職追放、労働改革(労組)、財政制度改革、教育制度改革、警察制度改革、公衆衛生改革、地方自治改革、国家神道の廃止・・・・・・平和憲法の制定。

 こうした民主化政策を推し進めたのは、GHQの中のGS(民政局)で、F・D・ルーズベルト大統領のニューディール政策を担ったニューディーラーたちが参画していました。
 民主化の中には、検察の改革も含まれ、その頃の検察は、占領政策の中で検察にも厳重な監視体制の中にあり、相当弱体化していました。
このような状況下でGSが求めた司法制度改革、検察改革の柱は、「大陪審制度の導入」と「検察官の公選制」でしたが、当時の政府と検察官僚はこれを呑むことができず、代替案として市民参加による「検察審査会」創設でどうか。と提案し、GHQはこの案を受け入れたのです。

 GHQにもさまざまな部署があり、中でも民主化を推進するGSに反発するG2(参謀第2部)の対立は顕著でした。G2は、急速な民主化は、始まりつつあった冷戦構造の中で、日本に共産主義が浸透する要素を与えてしまうという危惧を持ち、GSが推し進める民主化に対しさまざまな工作活動を繰り広げました。
「検察審査会」の創設もそうしたGSとG2の妥協の産物として生まれたもので、検察のG2への接近と働きかけも容易に推察できます。
 「検察官の公選制」が導入されれば、検察の権力が削ぎ落されるのは間違いなかったし、検察とすれば、強大な権力の源泉である、世界でも稀有な「公訴権」と「捜査権」を同時に有する公権力を揺るぎなく保持しなければならなったからです。

 こうした検察に対し、G2は日本の軍部や軍部への物資調達機関、政治家、財閥が貯蔵していた隠匿物資調査摘発しGHQの管理下に置くための組織として1947年「隠匿退蔵物資事件捜査部」作ったのです。これが現在の「東京地検特別捜査部」です。
その後、大阪地検特捜部(1957年)、名古屋地検特捜部(1996年)も生まれました。

 このように、現在問題となっている「地検特捜部」と「検察審査会」は、冷戦の始まりという状況の中で、対日占領政策をめぐるGSとG2の隠れた抗争を検察官僚が巧みに利用し、共通の利益として生まれたのでした。もちろん検察は、「公訴権」と「捜査権」を保持することに成功しました。

 「検察審査会」と「検察」の問題を同時に述べるのは、あまりにも長くなってしまうので(ただでさえ長すぎる文章なのに……)今回は、検察の問題は後にすることにして、「検察審査会」について、あっさり述べようと思います。

 検察審査会(以下、検審)は、公訴権を持つ検察の不起訴処分について恣意的なものがないか、不当なものがないか、市民の代表が審議する各地方裁判所に置かれた機関です。
 審議する検察審査員は、有権者名簿から無作為抽出で選ばれた数十人の中から、さらにくじで選ばれた11人からなり、選ばれなかった人は補充員として、11人のうち病気などの理由で欠落が出た時に審査員として補充されます。
 法律的知識、かかる事件の認識度の有無にかかわらず、有権者から選ばれるので、審査補助員として選ばれた弁護士から、さまざまな助言を受けることができ審議されます。
審議は、当該事件の被害にあった人や、事件を告訴、告発した人の申し立てによって始まります。
 このように強大な権力を持つ検察の独占公訴権に市民が関わることから、民主的な機関と言えるのかもしれませんが、審議された内容についての議事録の公開の規定はなく、もちろん審査員は公表されずブラックボックス的な機関とも言えます。

 検審の審議により「起訴相当」「不起訴不当」が議決された事件について検察は、再捜査を行う規定があるのですが、改正検察審査会法が施行されるまでは、再捜査後の検察の再度の不起訴に対し何ら拘束力を持っていませんでした。
これでは、市民の声があまりに活かされていないということで、04年の通常国会で検審の議決に拘束力が与えられる改正法案が、自公民の賛成多数で可決され、昨年5月に施行されました。

 強制起訴は、「起訴相当」「不起訴不当」が議決され、検察の再捜査が行われ、再度不起訴となると、2度目の検審の審議が行われるのですが、ここでも「起訴相当」「不起訴不当」=起訴議決されると強制的に起訴されるというものです。強制起訴による公判は、検察が被告人側と争うのではなく、推薦された弁護士3名に検察から全捜査資料を委譲され、公判で臨み争います。

 ここで問題になるのは、
◇強制起訴という強い拘束力が規定されたにも関わらず、ブラックボックス的な体質はそのまま残され、審議の経過や議事録が公開されないということ。

◇2度目の審議に、かかる事件の検察官の説明を受けるにもかかわらず、被疑者の弁明は行われないということ。

 こうした法的不整備に加え、今回、小沢一郎前幹事長に対する、起訴議決で検審が内包していた非民主的な行為が露呈しました。

 起訴決議書の“別紙”に付け加えるかたちとして「秘書宿舎建設場所の土地購入代金の4億円を被疑者・小沢一郎から陸山会は借入れをしたのに、平成16年分の政治資金収支報告書に記載していない」旨が“虚偽記載”として、起訴議決の理由になっているのです。

 この4億円に関する政治資金収支報告書の不記載について、検察は起訴事由にしておらず、つまり「問題のない行為」としており、検審で審議すべきものではありません。
 検審は、検察が起訴しようとした事由についてのみ審議すべきもので、新たに起訴すべき事由を付け加えることは、明らかに違法行為です。
ごく一般の市民が、検察審査員に無作為抽出で選ばれただけで、新たな起訴事由を作り、強制起訴するなど言語道断の不正行為と言えます。これはとても恐ろしい行為です。
一般市民が検察を超える権限を有したことになるのです。
A事件の不起訴について妥当かどうか審議するのに、B事件を勝手に作り、A事件に付加し強制起訴させてしまうことが許されますか?

 こんなことが平然と行われ、起訴議決事由になってしまうのは、マスメディアの小沢ネガティブ報道によって刷り込まれてしまった「小沢はきっと悪いことをしているんだと」という審査員の先入観が感情的に作用し審議の過程に流れていたことと、補助弁護士による恣意的操作があったことが十分推測できます。


 このことは、力を持った政治家・小沢一郎に限った問題だけではなく、私たちの身に降りかかる問題です。いずれ開かれる小沢一郎を被告人とした公判を静かに見守るなどと、悠長なことは言っていられません。
いつも、政治記事を書くたびに言っている“知らないでは済まされない事実”です。
 私たちが、私たちの家族や友人、知人が、いつこのような不当な審議によって、被告席に立たねばならなくなるかもしれません。
検察審査会創設以来、全国で約50万人の人が審査員を経験しています。それだけ多くの告発される事件があり、中には検審の議決によって冤罪が生まれたケースもあり、拘束力を与えられた検察審査会の議決は、さらなる冤罪を生み出すことにもなりかねません。拘束力を与えられただけで、拘束力を与えれるにふさわしい内容から遠い検審の在り方です。

 小沢さんの審議では、議事録作成を検審法で定められていながら、議事録を検審事務局は作っていません。
 また当初発表した2回目の審査員11人の平均年齢=30,9歳は、無作為抽出では確率的にあり得ないような稀なケース(0,005%)で、それを指摘されると、「37歳の審査員」を計算に入れ忘れたとして33,91歳に訂正。翌日には「議決時点では、34,55歳」だと発表。小学生でもできる平均年齢を、二転三転させています。
 さらにおかしいのは、1回目の審査員の議決時の平均年齢が34,27歳だったのですが、任期の関係で1回目の審査員11人全員が入れ替わっているにもかかわらず、2回目審査員の平均年齢あ34,55歳という近似値です。

こんなことが起こり得るのでしょうか?
こんなことから、検審に対し今、さまざま疑惑が有識者を含めて語られています。

 「検察審査会」「地検特捜部」について、その成り立ちと検審にについて問題点を述べたのは、二つの機関は必ずしも民主主義の原理に基づいて国民の利益に沿った純粋な型で生まれたものではなく、戦後生まれた冷戦という国際政治状況の中で、QHQ内で対立する部署が求めるアメリカの利益と検察官僚の利益の最小公約数の中で生まれた、極めて限定的な措置として「検察審査会」と「地検特捜部」があることを示し、時代に見合った国民の利益を求める時期はとうに過ぎているのだから、いったん廃止し、民主主義への純粋な方向性に沿った機関や制度を創出すべき時ではないか。
という提起をしたかったからです。

 検察審査会の問題も、地検特捜部の問題も推移をただ見守るのではなく、多くを知り、自分で考え、家族でも友人でもいい、少しでも広くの多くの人に伝え、問題を共有し、より良い方向へ導いてほしい。このように願います。


                                   武井繁明


*写真左:GHQに接収され本部が置かれた「第一生命館」。現在の「DNタワー」。当時は、前部の建物だけ。


「国民生活第一」への改革は何処へ向かうのか(最終章)

2010年09月14日 | 日記
 選挙は、それまで霧の中にあって見えにくかったものを浮き彫りにしてくれる風のような役割を果たしている。それは熱い風であったり、渇いた風でもあり、冷徹な風だ。
勝者は、その選挙に応じた権力を得て、敗者は再生するにしてもいったん去らなければならない。
そこに敗者のどんな素晴らしい理念や政策があったとしても、いったん開票され結果が出れば異議は唱えられない。
それが、民主主義の下で決められた崇高な決まり事で、選挙に関わったすべての人たちは、冷静に受け止めなければならない。同時に勝者に権力が与えられることはもちろん認識しなければなりません。


 さて民主党の代表選でも、様々なものが浮かび上がってきました。
まず選挙の背景です。

 一年以上にものぼる小沢ネガティブ報道の延長線上で行われた選挙という意味では、単に立候補者同士の闘いではなく、「小沢VCマスメディア」という背景でしたね。メディアは自分たちが行う世論調査の結果を「世論」として世論形成をしました。
一方、ネット上では、メディアの世論調査結果とまったく逆の結果が現れ、言ってみれば乖離した二つの世論の闘いでもあったわけです。
「既存メディアが生んだ世論VSネットが生んだ世論」あるいは、「既存メディアVSネット」。

 これは得票数にも現れていますね。もっとも世論の影響を受けやすい、党員・サポーター票が
13万(菅):9万(小沢)=6:4であったことは、それぞれの政治家としての資質の評価、期待度だけではないものを感じました。
 既存メディアが生んだ世論が、唯一の正統の世論だとすれば、8:2に近い得票数になったはずです。でもそうではなかった。この選挙を通して、ネットが生み出す世論が、ネット上で大きくクローズアップされ、既存メディアにとってその座を脅かすような存在になってきた。そんなふうに思います。
 そして、菅選対は、既存メディアが生み出した世論を武器とし、既存メディアからまったく相手にされない小沢選対は、ネットが生み出す世論のパワーを選挙の終盤になり、活かそうとしました。

 この選挙をきっかけに、これまで以上に政治家はネットに注目するでしょうね。そして近い将来、既存メディアは、ネットの前に凋落していくかもしれません。広告収入が既存メディアからネットに移行していることは、凋落の兆しのひとつですね。
 それぞれの実態ですが、既存メディアは、一方的な受動の産物ですが、ネットは能動的に活用して初めて得られる情報源です。そして自ら発信し、仲間を作ることもできます。自分を活かせる可能性のある空間です。
受動と能動の媒体……どちらが魅力的でしょうか。

 二つ目の大きな背景としてあらためて感じたのは、官僚権力の高く厚い壁です。
 菅首相が掲げた政見は、これまで書いてきたように、09マニフェストから大きく後退し、官僚の手による政策とそれほど変わりがないのですね。改革途中でありながらの政策の後退は、政権党になり、副総理、国家戦略局担当相、財務大臣を経験する中で、その壁の大きさ、高さ、厚さ、強固さを肌身で感じたからだと僕は推察します。
特に財務大臣はもちろん国家戦略担当相は、財務省との関係が密になります。だからこそ、他の大臣よりも強く官僚の連力の実態を知ったのだと思います。
 小沢は、ぶれることなく官僚改革を唱えました。菅は、選挙戦のはじめは官僚改革を強く言わなかった。街頭演説や討論会の情勢は、官僚改革を強硬に主張する小沢に圧倒されていました。
菅は選挙中盤から、それまでの「政治とカネ」を引っ込め、小沢の主張に擦り寄せるように官僚改革を言い始めました。しかし、そこから具体的な内容は見えてこなかった。
僕は怯えているように感じました。官僚という壁に。
 そして言うまでもなく、検察が作り上げた小沢の「政治とカネ」が、メディによってまるで呪文のように唱えられ続けてきました。9月1日に、大林検事総長が、記者クラブの昼食会に講演者として呼ばれ、そこで事実上の小沢の「政治とカネ」について、敗北宣言したにもかかわらず、呪文は止むことなく続き、菅選対、菅を支持する議員からも発せられていました。
「小沢VS検察&官僚」という構図が、まだまだ続いていたのですね。

 そしてもっと大きな構図がありました。
小沢対アメリカ、「対米対等、日米中二等辺三角形外交VC対米追従」という構図です。
これは、普天間基地移設問題の二人の主張で明らかです。

 こうした3つの構図が、複雑に絡まりながら選挙戦をより複雑にしました。3つの背景は、3つの背景と闘おうとする小沢に熱狂的とも言える少数の積極的な支持を与え、多数の消極的支持を菅に与えました。
「短期間にコロコロ首相を替えるべきではない。海外に顔向けできない」という意見は、極めて消極的な論法ですし、「3ヶ月しか経っていないのに、首相を替えるべきではない」というのも積極的支持とは言えません。
民主党支持者と議員は、ともすればリスクの大きい積極的、早急な改革を唱える小沢ではなく、後退してもリスクの少ない菅を選択した。
僕は、この選挙の背景からそんなふうに感じました。

 ポイント数では、菅圧勝ですが、実際の得票数の割合は、
党員・サポーター票6:4 地方議員票6:4 国会議員票ほぼ互角です。
これは、政策の違いが、まるで異なる政党のようにに大きかったから。ということもひとつの理由でしょうし、積極的支持と消極的支持の結果です。
そして「小沢の09マニフェスト順守VS菅の現実路線」という構図の象徴です。

 僕は、小沢が立候補した時から思っていました。その思いの一部を、this boyさんからいただいたコメントへの返事に少しだけ書きました。
 それはどちらが勝っても簡単にノーサイドにはならない。どちらが勝っても野党のどこかと組まなければ、「ねじれ」は解消せず政権は運営できない。だから政策の違いと、政界の状況から民主党が割れる可能性は十分ある。さらにカオスの海に日本が沈んでいくはずだ。
こんな推察です。

 実際、野党のどこかと協調しなければ、あるいは連立を組まなければ、通常国会で来年度の予算は通りません。それを防ぐために、野党の政策を大幅に呑み、民主党の政策を大幅に修正すれば、何のための政権交代か、ということになり、党の存亡にかかわります。
もし、予算案が通らなければ、予算案を通すために党が割れるような事態になれば、内閣総辞職か総選挙です。菅首相はその時辞任せざるを得ないでしょう。

 菅首相は、今日この重い荷をあらためて背負うことになりました。それはこの選挙の結果がそうさせたのではなく、大元は、参院選の大敗が原因です。参院選の総責任者は菅首相です。
菅首相は、自らの責任を代表選に勝つことで、これまで以上の責任として負うことになりました。
これ場で以上の責任というのは、取り巻く状況が、参院選直後よりも悪くなっているからです。党内最大の実力者、小沢の政策と対照的とも言える政見で闘ったからです。小沢排除の闘い方を参院選を通じて行ったからです。
 今日の勝利の記者会見の表情は、前回の代表選で樽床議員に勝ち、総理の座を射止めた時の表情と対照的です。おそらく、降りかかってくるだろう苦難の道のりを自分自身の問題として認識したからだと思います。

 僕は、この際党が割れても仕方がない。むしろ割れていったんカオスの中に政界全体が沈み、政策や理念が淘汰されながら、再編していくことが、今後の日本にとって良いことだと思うのです。
まだまだ日本の政治は未熟です。二大政党制が機能するほど熟していません。
 官僚改革ができるほど、有権者の現状認識もできていない。国際関係の中での日本の位置の認識も浅くあやふやで、何よりも民主主義の根底にある国民主権の意義も深く浸透していない、行使されていないと思うのです。もちろん僕も含めて。
カオスを乗り越えなくては、浄化できません。カオスの中から成長が生まれると思います。政治も私たちも。

 官僚とメディアとアメリカを含む日本の既得権力者たちが作りだした状況の中で、政治は劣化し続けてきました。
自民党時代よりも良くなったものの、劣化が止まり、向上しているとは言えません。
政治の劣化だけではなく、メディアの劣化、検察を含む官僚の劣化は、政治の問題ではなく、私たち自身の問題であることを自覚すべきだと思います。
 自分自身の問題として認識した時、初めて、誰が首相になっても物を言う有権者となります。
誰かが世の中を変えてくれる、政治を変えてくれるとヒーローを待ち続けてもヒーローはやってきません。自分自身の問題として、自分たちから変革を創造するその姿勢が、もっとも重要だと思います。

 代表選を見つめ続けてきた僕の感想と想いです。

これからしばらく政治的な記事は、ツイッターとブログを中心に書いていこうと思います。
少し休息が必要になりました。
読んでくださり、コメントをいただいた方へ、心から感謝です。



「僕はとても不完全な人間なんだ。不完全だししょっちゅう失敗する。でも学ぶ。二度と同じ間違いはしないように決心する。それでも二度同じ間違いをすることはすくなからずある。どうしてだろう?簡単だ。何故なら僕が馬鹿で不完全だからだ。そういう時にはやはり少し自己嫌悪になる。そして三度は同じ間違いを犯すまいと決心する。少しずつ向上する。少しずつだけれど、それでも向上は向上だ」

                   村上春樹『ダンス、ダンス、ダンス』より




The Beach Boys - Dance, Dance, Dance

「国民生活第一」への改革は何処へ向かうのか(4)日本を「普通の国」にするために

2010年09月13日 | 日記
Chopin Polonaise No.6 op.53 Cyprien Katsaris


「抑止力としての武力は必要。しかし武力で真の平和は創れない。紛争の最大の原因は貧困。貧困を解決するには食料が必要。だから、これからの国際貢献は武器ではなく、鋤・鍬を持って田畑を耕すことなのだ」

 この言葉、誰が言ったと思いますか?
著名な平和活動家ではありません。一介の平和を願う市民でもありません。ましてやメディアの記事ではありません。
小沢一郎(以下敬称略)が、川内博史議員に居酒屋でしみじみ語った言葉です。僕が目にし、耳にしたのは二度目です。一度は、ネットのある生番組で小沢の言葉として、そして川内議員のツイートで伝聞として。
二度とも「小沢一郎って凄い政治家だな。そして、純粋な人だな……」と感じました。
評論家やニュースキャスターが口にする、どんな平和論にも勝る重みと純粋さがあります。
口先だけの、通り一辺倒の平和論ではない、奥行きの深さ。そして優しさを感じます。

 小沢は言います。「アメリカのアフガニスタンへの自衛隊派兵要求があるならば、それをそのまま呑むことはできない。自衛隊は日本守るために機能するもの。国際協力として自衛隊の海外派遣は、国連主導の下以外、あってはならない」この後『抑止力としての武力は必要。しかし武力で真の平和は創れない。紛争の最大の原因は貧困。貧困を解決するには食料が必要。だから、これからの国際貢献は武器ではなく、鍬・鍬を持って田畑を耕すことなのだ』という言葉が生番組では続きました。

 以前にもここで取り上げましたが、小沢の国連主義は、僕の知る限り93年に出版された『日本改造計画』から変わることなく続き、責任ある立場になった時は、それを実践しています。
小泉政権から麻生政権まで続いた、対テロ特措法(アメリカ同時多発テロ事件を受け、小泉内閣が法案提出、成立した時限立法)により自衛隊のイラク派兵を可能にし、実際派遣され、インド洋では、海上自衛隊によるアメリカ連合軍への無償給油が行われました。

 07年8月8日、長崎原爆犠牲者慰霊平和式典が行われた前日、小沢民主党代表(当時)は、シーファー駐日米大使の要請を受け、その年の11月1日に期限切れを迎えるテロ対策特別措置法を延長する法改正について民主党本部で会談しました。
 シーファー大使は「日本の貢献は非常に重要だ。この法案の影響を熟慮してほしい」と同法に基づく自衛隊の米軍支援活動(インド洋での給油活動他)の継続を要請した。
小沢は、「アメリカの行動を安保理でオーソライズする決議はない。アメリカとの共同の活動をすることはできない」と同法の延長に反対する考えを示し大使の要請を拒否しました。
 
 当時、衆院で2/3以上の圧倒的多数を占めていた自民党の衆院での再可決により、対テロ特措法は延長されましたが、政権交代後の09年11月、鳩山政権下で小沢が示した通り、対テロ特措法の延長は否決され、自衛隊をイラクから完全撤退させ――当時、陸上部隊は、すでに引き揚げていたが航空自衛隊が米軍物資の輸送活動をしていた。また、インド洋では、補給活動が行われていた――小沢はその理念と政策を実行しました。
 これは画期的な出来事でした。05年には「日米同盟―未来のための変革と再編」が調印され、日米の戦略的軍事力共同行使は、より明確化され、強固なものになったその後の決断と実行です。かつて、アメリカの戦略的軍事行動に根拠となる合意がなされた後「NO!」を突き付けた日本のトップリーダーがいたでしょうか。それを実行した政治家がいたでしょうか。
 
 小沢の国連主義は、変わることなく生き続けています。
その根底には『~武力で真の平和は創れない。紛争の最大の原因は貧困。貧困を解決するには食料が必要。だから、これからの国際貢献は武器ではなく、鋤・鍬を持って田畑を耕すことなのだ』という、政治家・小沢一郎の理念の他に、人間・小沢一郎の平和への想いが、持続し続けているからに他なりません。

 昨日も少し書きましたが、普天間基地の辺野古移転について、小沢は「日米合意」を尊重しながらも「沖縄県民のみなさんの大半が、反対している以上、辺野古に空港基地はできない。それはアメリカ政府も同じ思いだろう。だから、話し合いの余地はある。私が総理になれば話し合う」と明言しています。小沢の平和理念は、ここにも生きています。
 また、在沖米軍海兵隊の抑止力について「一万人いるとされる沖縄の海兵隊は、実際は、二千人ほどしかいない。ほとんどが、連合国を回っていて沖縄にはいない。アメリカの戦略として、実戦部隊を最前線に置かなくなり、グアムに集中させようとしている。そういう意味では海兵隊の抑止力はいかがなものか。抑止力は、軍事力だけではない。外交、経済、文化交流、そういうもろもろの親密的交流も抑止力だと思う」

 多くの人が、政治家・小沢一郎を誤解しているのではないか?
「政治とカネ」「剛腕」「壊し屋」というメディアが作った印象を擦り込まれ、政治家・小沢一郎の本質を見逃してしまっているのではないか。
メディアの世論調査の結果を見ると、そんな気がしてなりません。

 僕は冒頭に書いた、小沢の言葉だけ見ても、政治家・小沢一郎の本質を読みとれるように思います。
繰り返しになりますが『抑止力としての武力は必要。しかし武力で真の平和は創れない。紛争の最大の原因は貧困。貧困を解決するには食料が必要。だから、これからの国際貢献は武器ではなく、鍬・鍬を持って田畑を耕すことなのだ』
取り分け、“これからの国際貢献は、武器ではなく、鋤・鍬を持って田畑を耕すことなのだ”という言葉。
ここには、人間が、集団生活を継続していく中で、もっとも大切な「相互扶助」という人の優しさ、思いやりが見えてきます。もっともらしい政治理論ではなく、人間の根源的な心の在りようを感じます。人間が普遍的に持たなければいけないもの。ここには地域も国境も存在しません。

 小沢はアフガニスタンへの自衛隊派兵要請を想定して、生番組で語っていました。
「アフガニスタンは、もともと食料自給率が高かった国で、ソ連の侵攻で国土を崩壊させられ、そこにテログループが進出し、混迷のまま世界の最貧国になってしまった。そして今も紛争が続き、多くの国民が犠牲になっている。まず安心して食べられる状態を世界が協力して作っていかなければならない。安心して食べられれば、紛争はなくなり国は復興するのです」

 14日代表選の結果は、内閣総理大臣を決定します。今後の日本の舵取りをどちらかが任される重要な選挙です。
どちらが勝つか、結果が出るまで判りません。報道は、菅有利と見ていますが、混沌とした状況であることは間違いありません。
 僕は、これまで書いてきたように政治家・小沢一郎の本質、人間としての根源的優しさ。そして政治理念と政策力、実行力に抜群に長けた小沢一郎に日本の舵取りをしていただきたい。と思っています。
停滞とカオスの時代だからこそ、小沢一郎の力が必要だと思うのです。

 僕の文章を読んでいただいた方は、ぜひこの機会に、イメージではなく、小沢に限らず政治家の本質と実行力を見つめていただければと思います。
日本は持続し、政治は継承されます。その瞬間、瞬間に私たちは立会い、影響を受けなければなりません。主権は私たちの手の中にあるはずです。代表選の投票権あるなしに、その瞬間をしっかり見つめてほしいと思います。
しっかり見つめていさえすれば、主権を放棄しなければ、日本は必ず良くなるはずです。

 もっと二人が述べた政策について詳細にお知らせしたかったのですが、能力と時間の限界でした。
長くややこしい文章を読んでいただいた方、コメントをいただいた方、ありがとうございました。
心から感謝です。



人にはそれぞれ、あるとくべつな年代にしか手にすることのできないとくべつなものごとがある。
それはささやかな炎のようなものだ。
注意深く幸運な人はそれを大事に保ち、大きく育て、松明としてかざして生きていくことができる。
でもひとたび失われてしまえば、その炎はもう永遠に取り戻せない。 

                  村上春樹「スプートニクの恋人」より







「国民生活第一」への改革は何処へ向かうのか(3)政治主導と地域主権

2010年09月12日 | 日記
Samson Fran醇Mois - Chopin Piano Concerto No.2 1-4



 一昨日、鈴木宗男議員の上告棄却に関する、弁護団と本人の記者会見がありました。鈴木議員側は異議申し立てをするようですが、異議申し立てで棄却決定を覆すことは困難で、事実上、収監と国会議員失職が決定されました。
なぜこのタイミングなのか?という疑問が残ります。
 鈴木議員は、これまで検察の在り方について、「検察の暴走」「検察の青年将校化」「シナリオに基づいた取り調べ」と主張し、取り調べの可視化、冤罪の可能性が高い人の支援、特に小沢さんと元秘書の一連の検察の捜査が始まってからは、その主張を一段と高いステージで語ってきました。

 最高裁の決定は、密室の暗闇の中で行われ、実態は何ひとつ伝わってきません。だから余計疑心暗鬼になります。

◇代表選の最中、何かしらの権力の力が働いたのではないか。
・その権力は、事件の背景のひとつでもある、鈴木議員の存在を良しとしなかった外務省なのか?

・外務省の中で次第に力を持ち政治主導を果たしてきた鈴木議員の存在を抹殺しようとした当時の官僚主導勢力の自民党の最大派閥、清和会(町村派)なのか?

・あるいは、小沢さんを明確に支持し、小沢さんに対する検察の批判繰り返し、「政治とカネ」が検察のシナリオだと主張する鈴木議員が邪魔な菅政権という権力なのか?
・あるいは、もっとも鈴木議員に批判されている検察の力が働いたのか

昨日行われた、郵政不正事件の村木厚子さんの判決は、大阪地検特捜部の暴走、シナリオに基づいたでっち上げだと知らしめる無罪判決であることが、想定され、その影響を少しでも押さえたい、ニュース性を少しでも薄めたい検察の意図が、このタイミングで図られたのか?

・そしてもうひとつ、9月1日に日本記者クラブ主催の昼食会で、大林宏検事総長が招かれ、「国民の司法参加と検察」のテーマで講演しました。その後の代表質問で大林検事総長は、小沢さんの一連の捜査に対して、事実上の敗北宣言とも言える発言をしました。内容は小沢さんがこれまで記者会見やことあるごとに言ってきた「一年あまりにもわたる捜査にも関わらず、立件する証拠はなかった」というものです。
これは東京地検特捜部の大失態を認め、小沢さんの「政治とカネ」の問題はなかったと認めたことです。そして、村木さんの想定されていた無罪判決。検察のこのふたつの大失態と何らかの関わりがあるのではないか……そんなことも感じます。

 政治的に影響を及ぼす可能性の高い司法の決定は、その重大性から、時期を避けるのがまともな司法だと思いますが、そうではなかった。代表選に影響しないそれよりもずっと前か、後でもよかったのではないか、と思うのです。
こうしたことに僕は、権力の腐敗、政治と官僚の癒着、司法の官僚権力の奴隷化を感じるのです。
そして最悪の奴隷は、マスメディアですね。

 いずれにせよ、小沢さんにとっては痛手であり、10月に行われる衆院選補欠選挙、北海道五区で立候補する町村議員(自民)にとっては、救いの決定であるし、鈴木議員が、事実上失脚し外務官僚と検察、官僚全体が、ひと安心していることは間違いありません。
 話は、代表選から少し離れたところから入ってしまいましたが、最高裁をはじめ司法の世界。また検察を含め官僚組織の中で行われていることは、私たちには伝わってきません。
司法の場は明らかにされない部分があるのは、ある程度仕方のないものなのかもしれませんが、検察や官僚の実態が伝わって来ないのは由々しき事態であり、まるで社会主義国の情報公開程度だと思います。なぜかと言えば、政治主導が行われていないからです。

 ようやく本題に入りました。これ以降は敬称略です。
菅政権の財政方針は、緊縮財政で「一律10%削減」という、どこかで見たような見出しです。
財務省が作った案をそのまま方針としていた自民党と同じですね。自民党は伝統的に緊縮財政を敷き、「財政の健全化」を訴えてきましたが、実態はどうだったでしょう?お分かりのとおりです。つまり緊縮しても財政は健全化するどころか悪化の一途をたどってきました。なぜかと言えば、システムが硬直化し過ぎていて、無駄が多すぎるからです。菅政権の来年度の予算案では、小泉・竹中構造改革で生まれた格差に苦しむ地方が、さらに10%分苦しまなければいけないかもしれませんね。これでは脱官僚とは言えません。
 
 国から地方に歳出される予算は、地方交付金ですが、一律に10%減らされたらたまったものではありません。特に地方税という「上がり」が少ない県の財政は、地方交付金の占める割合が、ひじょうに高く、交付金の減額は、今のシステムのままでは格差はさらにひどくなり、死活問題です。
 中央官僚の「紐」が付き、各省庁の縦割で硬直的な地方交付金を、一括交付し、各省庁がこれまで雁字搦めにし、非効率的なシステムで無駄ばかり生み出してきたシステムを変え、地方に自由裁量権を与え、地方の独自性を確立し、地方独自の特色ある自治を作って行こう。
というのが、民主党の地域主権の柱です。そして官僚改革の柱です。「事業仕分け」ばかり目立ち、事業仕分けこそ、無駄を省く最大の効果だと思っていたら認識不足です。
「紐付き交付金」の紐を断ち切り、各省庁の地方への権限を大きく縮小させ、地方に委ねることで、無駄を省いていく。地方が生き返り、みずみずしくなり、同時に官僚の権力も弱体化する。
そして責任を持って遂行するのが、選挙で国民に選ばれた政治家です。
まさに政治主導、官僚改革の最大の効果なのです。

 小沢は、ぶれることなく言い続けています。
民主党が行った、各都道府県首長、行政へのアンケートでは、自由裁量権を与えてもらえば、現在の交付金の70%で、今よりもまともな自治が生まれるという答えだそうです。実際、福祉、医療、保育、教育などそのほとんどは地方が運営しているのに、予算の使い方は、各省庁の手にあるんですね。金を握っているものこそ、国家の権力者です。まさに官僚主導です。
 地方交付金は、約21兆円で、このうち15兆円が、社会保障費です。社会保障費は、増えることは間違いなく、減ることはないけれど、ここにも無駄が潜んでいるはずです。いわゆる「縦割り行政」が、効率化の道を阻んでいます。
 さらに地方への予算として、裁量的経費(事務的経費)が、約15兆円あります。
国庫から出る地方が使えるお金は、36兆円です。各首長、行政が答えたとおり、70%の予算で十分だ!とすれば、約10兆円が、創出されるのです。

 小沢はこんな例を出して説明しました。
 「北陸のある県のある地方で、融雪設備の補助金を出してもらうように要請しようとした。しかし、どこを調べても、融雪設備単独で貰える補助金はない。スキー場を新たに作ると抱き合わせで融雪設備ができる補助金があった。スキー場は必要なかったが、融雪設備はどうしても必要だったので、申請した。補助金は全額出ないので、融雪設備にはもちろん、スキー場建設にも県が借り入れを起こした。しかし、数年後スキー場は、赤字を出し続け閉鎖した。これが、『紐付き交付金の実態』だ。官僚主導の実態。融雪設備も、スキー場も仮に同額だとすれば、借り入れも含めて、半分のお金で済んだわけだが、半分はスキー場の閉鎖と共に消えてしまった。残ったのは、本来必要のないスキー場の借り入れと、赤字だ」
 
 このような実態が現行のシステムでは、罷り通っているわけです。おかしいと思いませんか?

一方の菅は、一律10%削減と言っても、必要なものは出すし、必要でないものは出さないと、強気だったが、代表選の中盤あたりから、小沢の主張に抱きついてきた。
 本来小沢の主張は、民主党の主張であるわけだから、菅は短期間のうちに変節しなくてもよさそうなものだが、演説会と討論会でコロコロ変わっている。なぜ変わったのか、こうまで変節するのか、考えてみると、演説会で圧倒的に支持され、歓声が上がるのは、小沢の演説で、これもひとつの理由だと思う。新宿、大阪・梅田、札幌で行われた演説会をノーカットで見ると、菅への支持は、小沢の10分の1もない。可哀想なくらい、小沢の演説が喝采を浴びている。
そして説得力とその熱意に感動さえ覚える。
またネット世界での、圧倒的な小沢支持と菅不支持。この現象を見ると、メディアの報道や世論調査の結果は、俄かに信じがたい。たぶん菅も感じているはずだ。
 メディアは、「動員による」と一笑に付したが、その時の、茫然とした菅さんの姿は、まるで敗者の姿だった。演説の内容も、どう控えめに見ても、小沢の演説が遥かに勝っていた。
菅の演説は、市川房江を担ぎ出し参議員に当選させたこと、薬害エイズ問題の時の自慢話から始まり、
「一に雇用、二に雇用、三に雇用!」を毎回連発し、雇用を創出する経済政策は、ひじょうに曖昧でした。
 「動員」の疑いについてですが、演説を実際聴きに行った人の話を聞くと、動員をかけていたのは菅の方で、一目でわかるブルーの小物を持つ人たちがまとまっていたという。
動員についてはいずれにしても、そこで行われたメディアのアンケートの酷さはなかったようだ。
これについては、多数の証言者がいるので、時間があればいずれ書こうと思う。
 
 いずれにせよ、菅の地域主権、政治主導、官僚改革、財政の創出は、民主党のこれまでの主張から大きく後退したことは間違いない。
小沢は「国民に選挙で選ばれた政治家が、主導していくことこそ、主権在民の民主主義国家です」と主張する。「官僚になめられる政権は、国民主権から遠い」とも。

 さらに小沢は言う。「地域主権にまだほとんど手つかずの中で、消費税増税はいかがなものか。格差社会が生み出した、国民の異常な疲弊状態の中で、セーフティーネットとして創出した子供手当の減額もいただけない。まず本気で取り組むのは、政権交代の際の、国民の皆様との約束であるマニフェストを実行することだ」

 「バラマキ」だと批判されることが多い、「子供手当」だが、僕はバラマキだと批判される理由が解らない。子供手当に限って言えば、23000円/月/人は、充実しているフランスに比べれば、まだ少ないし、満額でようやくヨーロッパ並みである。その他の手当を含めば、まだまだ日本は先進国の中で社会保障後進国である。
直接、国民に手渡すお金は、官僚の紐が完全に切れた、政治主導によるセーフティーネットの一環であり、政治主導の賜物だと思う。何よりも「バラマキ」なのは「紐付き給付金」ではないだろうか?
 農家の個別保障制度も然り。小沢は漁業まで拡大したうえで、競争力をつけ、自由貿易化させ、made in japanの品質の良い農産物、魚介類をアジアに広めていくのだという。その前には当然、「食料自給率の健全化」を目指していることは言うまでもない。
 「高校の授業料の無償化」が、果たしてバラマキだろうか?格差社会の中で、高校に行けない人たちのための、セーフティーネット。すべての国民への公平なセーフティーネットだと思えないのだろうか。

 いずれにせよ、小沢の政策はとても解りやすく、説得力があり夢がある。
菅の政策は、どう控えめに見ても自民党化していて、そんな菅政権は必要ない。
 「首相がコロコロ変わると国際的な信用を失う」という理由で、菅を支持する人たちがいるが、言い出しっぺは、誰だと思いますか?
普天間基地問題で、徹底的に鳩山を恫喝し、「ル―ピー」だと言った、キャンベル国務次官補です。
キャンベルは、普天間基地移設先は、辺野古だと強硬に言っていた。
そして、菅は「日米合意」を遵守。辺野古への移設賛成。
一方の小沢は「日米合意」を尊重しながらも「沖縄のみなさんが反対している限り、辺野古への建設は無理。アメリカもそう思っている。だから、話し合う余地は十分あるし、私は話し合う」。
 キャンベルにとっていちばん首相になってほしくないのは、小沢です。

 僕は、変節を繰り返し、創造性に欠けた政策しか持っていない首相。政権交代の時の国民との約束を、半ば手つかずの状態でありながら「現実路線」だと言って自民党化する菅政権に去っていってもらいたい。また菅執行部はまだ誰も、参院選大敗の責任を取っていない。代表選の演説や討論会では責任の在り方も何ひとつ具体的に示されていない。首相は続けたいけれど、責任はとりたくないという理論がどこにあるのでしょう。

 今日面白い記事を見ました。自民党執行部が変わり、石原伸晃が新幹事長にいなりましたが、彼がこんな発言をしています。
「政策的には、菅さんと近い。『日本の財政には、漫然と構えている余裕はない』という認識があるなら、抱きつかれてもいい」

 自民党の政策と明確な対立軸を掲げ、政権交代を果たしにも係わらず、自民党の執行部から、「政策が近い」と言われるなんて、菅政権はいったいどこを目指しているのでしょうか。

                                    続く





「国民生活第一」への改革は何処へ向かうのか(2)官僚体制の成り立ち

2010年09月06日 | 日記
ピアノ300年記念 根津理恵子:ショパン / 「革命」




 代表選の焦点になっている「政治主導」ですが、小沢も菅も(以下敬称略)官僚主導から政治主導への改革を訴えていますね。政治主導への具体性は、小沢の地方分権主義の中に明確に提示され、菅は掛け声だけは大きいのだが具体的政策では今ひとつ説得力に欠けている。こうした中で政治主導とはどんなものなのか?官僚主導のどこがいけないのか?ということに漠然とした思いを持っているのは、私たちではないでしょうか。
 今回は、政治主導の対極にあるのが官僚主導、官僚政治について少し紐解いていきたいと思います。
 民主主義の原則である三権分立―立法(国会)、行政(内閣)、司法(裁判所)の分立―すべてに深く関わり、すべてに権力を持っているのが官僚です。もちろん、官僚が配されていなければ、実務不可能となり、機能を失ってしまう。
官僚は国家運営にはなくてはならない存在で、国民は実務を制度の中で官僚に委ねています。しかし私たちは官僚に「権力」を委ねたわけではありませんね。官僚は国家試験に合格した人たちで、私たちが選挙で選んだわけではありません。選挙で選んだ人たちは政治家です。民主主義の中で私たちの意志は、政治家に委ねられているのです
 
 しかし実態は、官僚制度が創出されて以来、権力を握り続けているのは、政治家よりもむしろ官僚であることは明白な事実です。
 そもそも日本で官僚制度が作れた目的が、政治家の力を削ぎ落すためなのです。明治政府が作りだした天皇を神格化した絶対君主制を政治家によって造り替えられるようなことがあってはならない。国民にも政治家にも国家の根幹たる天皇制が脅かされてはならない。
 このような意志が、明治政府の一部。元老と呼ばれた山形有朋から生まれ、強固な官僚体制がこの国に生まれたのが実体です。

 その経緯をマイミクのタケセンさんのブログ『思索の日記』(mixi日記欄にも掲載)から部分的に引用させていただきたいと思います。
(*タケセンさんは、とても寛容な方で、「どんどん使ってください」と言ってくださいます)

◇ルサンチマンの政治家―山県有朋の呪縛力!!(全文を読むことをお薦めします)
http://blog.goo.ne.jp/shirakabatakesen/e/e9c49d42f1d89006b292e3a815fd16ba
(このレポートを書いたのは、タケセンさんが主宰されている『白樺教育館』http://www.shirakaba.gr.jp/index.htm
の教え子で当時高校3年生の古林到さんです。僕などとうてい知りえなかった事実と見事な考察、論証が展開された秀逸なレポートです)

【部分引用開始】
有朋は、江戸時代の後半に長州の萩で生まれた。父は藩の中間(最下層卒族)である。
卒族の中でも「中間」は、戦時における武具や旗の持役など、人夫のようなものであったので、もっとも軽んじられる存在だった。町中で士分の者に会うと、土下座してあいさつせねばならないほどであったという。

恐らく、彼の家庭の貧しさは想像を絶するものだっただろう。そして更に、母親は有朋が五歳のときに早世してしまっている。後妻は幼い有朋をうるさがるばかりで、まるで面倒は見なかった。代わりに有朋の面倒を見たのは祖母だったが、有朋に出世の望みをかけ、人に負けるな、強くなれと口うるさく言っていた。

彼が幼い頃のエピソードに次のようなものがある。
彼が友達と、川に向かって誰が一番遠くまで投げられるか、石投げをして遊んでいた。その時、川に投げるフリをして、有朋より一つ上の士分の家の子が、有朋の後頭部に石を投げつけた。あまりの痛さに有朋は激怒し、謝れと叫んでしまった。その士分の子は、まさか中間の子が自分に逆らってくるとは思わなかったらしく、逆上して怒鳴り返した。それで頭に血が上った有朋は、その士分の子を川に落としてしまった。士分の子の訴えを聞いたその父親は、有朋の家に押しかけ、有朋を事件現場まで拉致し、文字通り半殺しにした後、川に投げ捨ててしまった。その後祖母に助けられた有朋は、武士になりたい、武士にさえなれば、とむせび泣いたという。

このような悲惨な環境で育ち、蔑まれてきた生い立ちが、彼を地位と権力への欲望が人一倍強い人間に育ててしまったのだろう。本来ならば、彼の「武士になる」という夢は叶うことなく、彼の生涯もひっそりと終わるはずだったのだろうが、この後、藩内の改革として「家柄や資格を無視して、有能な人材抜擢をする」という方針が出され、彼にも出世のチャンスが訪れた。そして、幕末の動乱を通して明治となり、トントン拍子に出世していった有朋は、明治政府、特に軍部で重要な役割を果たす地位についていったのだ。

高杉晋作の下で奇兵隊の幹部となっていた有朋は、維新後すぐに海外視察へと赴いた。馬関戦争で欧米列強の近代軍備にコテンパンにされたことが身に沁みていたので、かれは「国家建設のためには強大な軍事力を持たねばならない」と考えていた。そのための勉強・研究として、ヨーロッパ諸国の軍備を見に行ったのだ。しかし有朋はヨーロッパで信じられないものを目にする。

丁度この頃のフランスは、民衆の蜂起による世界初の労働者自治政府ができる直前であったし、欧州全体で社会主義が発展、人々が自由と自治を求めて騒然としていたのだ。青年期の、松下村塾の経験からガチガチの尊皇思想に凝り固まっていた有朋にとって、これらはとても理解できるような状況ではなかった。そしてそれは「天皇を頂点とする素晴らしい国家のためには、やはり町人や百姓は甘やかしてはならない、愚民どもは黙らせておかねば」という彼の考えをより強固なものにした。そして有朋は生涯、民主主義や民権思想といったものを目の敵にし、弾圧し続けることになる。天皇中心の国家が真に良い事だと彼は信じ切っていたし、何より、彼の心の奥底にある、地位と権力への欲求がそれを(意識的にしろ無意識にしろ)許さなかったのだろう。真の民主主義がなってしまえば、彼の望むような、地位もくそも無くなってしまうからだ。

海外視察から戻った有朋は、兵部省(後の陸海軍省)の高官となった。(高官とはいえ、様々な事情から実質は兵部省のトップである。)そして有朋は、まず軍事面から彼の理想像に近づけることになる。廃藩置県により、各藩の私兵となっていたものを天皇の新兵とし、更に徴兵制を導入。これにより、天皇を頂点とした中央集権国家に相応しい、統一された軍隊をつくろうとした。

そして更に、これは明治中盤の話だが、彼は陸軍の軍制をフランス式からプロシャ式に変えている。実はこれは重要な変化で、フランス式は、軍隊は政府の指揮下にある、という国民的軍隊であり、プロシャ式は政府の指揮下にあるのではなく、独自に行動できる絶対主義的なものである。(己の権力欲のため)軍隊を政府の管轄ではなく、全く独立した天皇直属のものにしたかった有朋にとって、これはとても重要なことだったのだ。(いうまでもなく、これが第二次世界大戦における日本の軍部の暴走の原因の一つとなった)

そしてその後、日本にも自由民権の思想が広がり始めてきた頃、前述したように、民主主義や民権思想といったものを己の理想の敵とみなし、恐れていた有朋は、民権党の暴動を皮切りに、いよいよ民権思想の弾圧と抑止、撲滅に取りかかる。彼はまず(民権党の暴動に軍隊の一部が加担していたこともあって)軍部内の統制に取り組んだ。「軍人訓戒(後の軍人勅諭)」をつくり、忠実・勇敢・服従の軍人の精神として掲げた。上官への絶対服従(上官の命令は天皇の命令と思え!というもの)、階級の秩序を乱さぬこと、民権思想の禁止など、軍人の言論、思想の自由を徹底的に抑圧した。天皇のためだけに動く、忠実な軍隊をつくるための完全なる戦闘ロボット育成スローガンである。

有朋は、政・官界でも本格的に活動することになる。有朋はまず、「集会条例」「新聞条例」「出版条例」を改正(改悪)し、集会の自由、言論の自由を拘束、各地で起こる民権運動を、警察を総動員して鎮圧、民権急進派をことごとく根絶やしにした。更に、「各府県会議員の連合集会、および往復通信を禁止」し、全国的に横のつながりのある政治結社を瓦解させた。また、板垣退助の存在で辛うじて統一されていた自由党には、三井財閥から引き出した金で(策略によって)板垣を豪遊させ、癒着を偽装して内部分裂をさせた。大隈重信の改進党に対しては、三菱財閥との献金関係を言いふらし、自由党に攻撃させた。

更に、相次ぐ弾圧への反感から、自由党員の多数当選が予想される衆議院とは別に、政府に都合のいいほうへ誘導するための「貴族院」という議会を設けた。貴族院の議員になる資格は「華族」であること。彼らは「皇室の守護」として様々な特権を与えられている。この「華族」というのも、有朋が貴族院をつくるために事前に設けた「華族令」によるものであり、当然、有朋自身も華族に列せられている。用意周到とは正にこのことだろう。

続いて対民権思想として政党員の行政機関(官僚組織)への進入を拒否するため、「文官任用令」を制定、天皇が任命した親任官以外は、高等文官試験を通った者しか任用できないようにした。これが、現在の日本の問題点の一つとなっている「官僚主導政治」の始まりとなる。

また、ブルジョア階級の増大により近代的労働者階級が形成され、社会主義思想と組織運動が広がり始めているのを見た有朋は、それらを民権思想と同様、己の理想の「天皇制国家」の敵と見なし、それらの弾圧と根絶に取り組む。「治安警察法(後の治安維持法)」を制定し、労働運動を若芽のうちに根こそぎ摘み取った。そして、先に書いた文官任用令をはじめとした、官僚(行政)に権力を集中させ議会(立法)を下に置くための制度づくりに尽力した。
また、年々増していくブルジョア階級の政界進出意欲に対し「あんた方は黙って金儲けをしていればいい、後のことは一切わしらに任せてくれ」と抑え、代わりにブルジョアジーの意向をより多く議会に反映させ、政治資金の供給源の確保を図った。これが、現在にも続く政・官界と金持ち(昔で言えばブルジョア階級、現在で言えば特定の大企業など)の癒着の原形といえるだろう。
【部分引用終わり】

 いかがでしたか。私たちは明治維新によって生まれた明治政府が求めた当時の欧米並みの近代国家建設の中で、欧米に倣いながらその必要性から、官僚制度が生まれたものだと、好意的に捉えていたのではないでしょうか?しかし、事実はかなり異なるようです。
このようなかたちで官僚制度が生まれ、天皇絶対君主化の中で、軍隊と同様に“天皇の下僕”として強化され続けるわけですが、先の大戦後、「象徴天皇」「軍事力の永久放棄」「民主主義」を掲げた新憲法下の戦後の政治体制の中でも、官僚制度は、新たな生命力を得ながら、政治の影となり、持続されながら自民党一党支配という構図の中でいっそう強化されました。
このことは戦後の歴代首相の顔ぶれを見れば明らかです。

◇吉田茂―東大~外務官僚
戦時中外務官僚として和平工作に携わり、数々の受難を受けたが、そのことが逆にGHQ(連合国軍最高司令官総司令部:進駐軍)から信頼を得て総理の座に付き、政争を繰り返しながら「日本の防衛はアメリカに任せ、日本は経済の発展を最優先する」という戦後の日本の路線を構築した。

◇岸信介―東大~旧農務省官僚から、旧商工省次官へ。政界進出。A級戦犯として巣鴨プリズンに拘留、不起訴後公職追放をされながらも総理の地位に就き、日米新安保条約を締結し、日本の戦後の対米外交と防衛体制を決定的にする。
岸の後継は、佐藤栄作、福田赳夫、森義郎、小泉純一郎、安倍晋三(孫)、福田康夫と継承されている。今の自民党最大派閥、清和会である。

◇池田勇人―京大~大蔵省次官
経済重視の内政主義を打ち出し、「所得倍増」をスローガンに、日本の高度経済成長を実現した。
後継は、大平正芳、宮沢喜一。自民党派閥の宏池会。

◇佐藤栄作―岸信介の実弟。東大―運輸省次官
高度成長時代というは背景の中で、安定した長期政権を運営。安定への布石として、次期総理、将来の総理候補と言われた、田中角栄、福田赳夫、三木武夫、大平正芳、中曽根康弘、宮沢喜一という人材を派閥を超えて、重要なポストに就かせることで育成し達成した。「人事の佐藤」と言われる所以である。

◇福田赳夫―東大~大蔵省主計局長。
主計局長時代、昭和電工事件に関わり収賄罪容疑で逮捕。裁判では無罪。政界に入ってからは岸信介の側近として力をつけ、佐藤時代に重要なポストに就き、次の総理候補と呼ばれたが、田中角栄に敗れる(角福戦争)。ロッキード事件後、総理となった三木武夫を力ずくで降ろし(三木降ろし)総理となる。政策はタカ派外交、緊縮財政による財政の再建。大平が総理就任後、衆院選で負けた大平と党を二分しての争いとなり、翌年再選を狙った総裁選で大平正芳と争うが敗れる(40日抗争)。このように福田が歩む中では、権力闘争が露骨に行われた。

◇大平正芳― 一橋大学~大蔵官僚
大蔵官僚時代、池田勇人の大蔵大臣時代秘書官を務め、政界入りした後、池田の側近となり頭角を現す。大平総理の時代は、ソ連のアフガニスタン侵攻、イラン革命など新冷戦時代とも言われ、そうした状況の中、モスクワオリンピックボイコットなど、対米協調をより明確化し、初めて日米関係の間で「同盟」という言葉が用いられた。79年増税発言で衆院選で敗北し、やがて福田との40日抗争が生じ、自民党に内部分裂が起こり、衆参ダブル選挙で乗り越えようとしたが選挙中死亡。

◇中曽根康弘―東大~内務官僚。
官僚出身と言っても中曽根の官僚生活は長くなく、27歳で衆院議員となり、鳩山一郎の側近の政治家、河野一郎(河野太郎の祖父、河野洋平の父)に見いだされ側近となり、河野派を継承し中曽根派となる。そういう意味では。官僚政治家ではなく、党人政治家と言える。派閥の地盤が弱小だったため、常に風向きを留意し政界を渡るその姿は風見鶏と言われた。
田中角栄の協力を得て総理になってからは、土光敏夫、瀬島隆三など民間人ブレーンを登用し、行政改革を実行。その手腕は大統領的とも言われた。外交は日米協調路線をさらに強化させ対米追従を深化させた。

◇宮沢喜一 ―東大~大蔵官僚
官僚時代、池田勇人蔵相の秘書官となり、政界に入った後、池田のブレーンとなり、「所得倍増計画」の策定に関わり、若くして頭角を現す。それまでの派閥の長がすべて総理になった中曽根政権時から、安倍晋太郎、竹下登と共にニューリーダーと呼ばれ、次期総裁候補となり、竹下失脚の後、保守本流のリーダー、国際派総理と期待を集めたが、竹下登勢力が牛耳る状況の中で力を発揮できず、得意の経済政策で自滅し、自民党が野党となる原因のひとつを作ってしまった。


 官僚出身ですが、党人派である中曽根を除き、福田赳夫までの顔触れを見ても分かるように戦後日本の方向性を決定的にしてきたのは官僚出身の総理であることに気付きます。官僚派の総理の下に官僚出身の政治家が集まり、政治家と官僚の距離はいっそう近づき、権力は癒着しながら強大化し、官僚政治が強化される。
 官僚が作った政策は、そのまま自民党の政策となり、自民党時代の閣議は、各省庁次官に持ち込まれた閣議決定書にサインするだけの、わずか30分足らずの形骸化した政策決定会議となり、国会での答弁は大臣秘書官が作り上げた答弁をそのまま読むという、官僚の代読的答弁でした。
官僚主導の政治、官僚政治は、明治以来120年に渡り持続し強化され続けてきたのです。

 ここで僕が体験した官僚主導の一例を紹介します。
 ダム問題で僕たちの市民グループは、国交省と環境庁(当時)に質問書を出しました。しかし直接省庁に提出できません。「紹介議員」を介さなければ、官僚に届かないのです。
その時、紹介議員になっていただいたのは、党派を超えて作られた「公共事業チェック議員の会」会長の中村敦夫とメンバーの民主党の岡崎とみ子、佐藤謙一郎議員でした。
両省庁からの返答は、長い時間を要しようやく返ってきて、両方の意見交換が紹介議員の尽力により、霞が関の省庁内でそれぞれ行われることとなり、出かけたのですが、議員か秘書が同行しなければ、一歩も中に入ることはできません。
 国民の声が、国民の手によって直接担当省庁担当官に届かないシステムになっていたのです。
 中村敦夫や岡崎、佐藤は、族議員ではありませんでしたが、このような官僚主導のシステムが、族議員を生み、政官癒着構造を強化し、官僚の権力を増大させたのです。

 このシステムを一気に切り崩したのが、政権交代を果たした幹事長、小沢でした。
 民主党政策調査会(政調)は、自民党の政務調査会と同じように、国民や団体から陳情された政策も含め党で練られた政策を議員が調査論議し、各省庁に伝え実現化させる機能ですが、これでは、どちらが政治の主導者なのか。という問題があり、自民党時代のような族議員が生まれかねない。
これを危惧していた小沢は、政調を廃止し陳情を各地の民主党連に集約させ、幹事長室に一本化し、党と政府が一体となることで幹事長室に届けられた陳情は、各大臣に直接届けられ、官僚主導の一部を崩壊させました。政策は党議員と閣僚が論議しながら決定していく機能を新設した「政策会議」に委ねました。
 一方菅は、政権を掌握すると、政調を復活させ、政調会長を内閣の一員としました。

                                続く



わたしたちがもうたっぷり知っていると思っている物事の裏には
わたしたちが知らないことが同じくらいたくさん潜んでいるのだ。
理解というものは、つねに誤解の総体に過ぎない。

                   村上春樹「スプートニクの恋人」より


「国民生活第一」への改革は何処へ向かうのか(1)政治とカネ

2010年09月06日 | 日記
{ 新世界より 第4楽章 / ドヴォルザーク }日本の山総集編


 菅、小沢両氏(以下敬称略)が、民主党代表選に出馬してから僕は、「民主党主催の出馬表明会見」「日本記者クラブ主催の公開討論会」「NHKニュース9での会見」「テレビ朝日・スーパーモーニング:小沢会見」「フジテレビ・新報道2001:両氏討論会」「NHK日曜討論:両氏討論会」「ニコニコ動画:小沢討論会」「民主党主催:共同街頭演説会~新宿」「民主党主催:共同街頭演説会~大阪・梅田」をそれぞれの生放送を見ました。そして民主党のHPから、二人の「政見」をじっくり読みました。
 基本的に僕は、NHKのニュースを軽く視聴するだけで、民放の編集されたニュース、編集された画像を使い、訳の判らない偏向的な評論家やコメンテーターが歪めて語る報道番組、ワイドショーの類は見ないことにしている。なぜならこれまでも編集された恣意的な報道を見ることによって、事実、真実を掴むのに遠回りした経験が何度もあるからです。
 
 新聞については、朝日新聞をやめ、合わせて取っている上毛新聞(地方紙:中央のニュースは共同通信による)を参考程度に、というか活字人間なので、新聞のひとつも読まないと朝の時間が埋められないので読んでいます。理由は、新聞をひとつにしたのは編集されたテレビ報道と同じように信用していないからです。
 
 しかし、日本の行く末を委ねる首相が選ばれる代表選の生放送は、積極的に視聴します。生放送が物語ってくれる多岐にわたり、これまで霧の向こう側にあった自分の中で曖昧になっていたものが、明瞭化するんですね。そして、日本の行く末を推察できる重要な報道です。
その中からいくつか判ったことを書こうと思います。

◇政治とカネ

 小沢をめぐる西松・水谷建設の不正政治献金疑惑ですが、これまで書いてきたように、東京地検特捜(以下、検察)による1年あまりにも及ぶ強制捜査を含む捜査で元秘書3人を逮捕し、ゼネコンの強制捜査をしながら、検察が狙っていた小沢の受託収賄罪、斡旋収賄罪を立証することはできませんでした。

 元検事・郷原信郎(弁護士)をはじめ、会計士など、小沢と直接かかわりのない専門家によって、元秘書の逮捕起訴理由である、政治資金規正法虚偽記載について、問題とされた秘書らの宿舎建設のための4億円の銀行からの借り入れと、自己資金の関係に不正は存在せず、問題はただ一点、取得した土地登記の時期が2ヶ月ずれていたことです。これも言ってみれば、土地取引上よくあることで(僕も仕事柄何度も経験しています)罪とも言えないような微罪であることが明らかにされました。
政治資金規正法違反について、検察審議会の起訴相当、不起訴不当の議決が出されましたが検察は共に不起訴としました。
 
 このことについて、小沢は「仮に総理大臣になって強制起訴されても逃げない。受け止める、訴追に同意する」と発言し、「国会の場でも要請があれば、説明する」と明確に答えました。
これによって報道にあるような、検察審議会の起訴議決で強制起訴になった場合「総理大臣の権限を使い、訴追不同意で逃げるために立候補したのだろう」いうネガティブな憶測は、意味をもたなくなり、同時に小沢の「政治とカネ」の問題はなくなり、代表選の争点としても意味をもたなくりました。

 菅は立候補当初、「政治とカネ」について言及し、小沢が「訴追同意」発言をしてから菅の「政見」にあるように「クリーンでオープンな民主党」という観点から、幹事長を辞任したことを評価しながらも「古い体質の政治家でありクリーンでオープンではない」と討論会で迫ります。
菅を支持する閣僚や議員も同じです。
 一方小沢は、「一年あまりにも国家の最高捜査機関である東京地検特捜の強制捜査を受け、政治資金規正法上出さなくてもいい領収書や他の資料まで全部提出し、出頭取り調べにも応じ、その上で二度の不起訴です。私にやましい点は微塵もありません」と答えました。

 これについて、フリージャーナリストの上杉隆がこんなふうに語っています。
「クリーンであることとクリアーであることは、別問題でもあり、また含まれている微妙なところだが、クリアーという点では、小沢は今のところ日本で一番クリアーな政治家と言える。なぜなら、西松事件以降、幹事長記者会見を毎週月曜に欠かさずフルオープンで行い、事件に関する記者の質問にも答えてきたし、政治資金規制法上提出する必要もない領収書の類まですべて検察に提出しているし、マスコミにも明らかにしている。ここまでオープンにしたのは、私の知る限り小沢と鈴木宗男だけだ」
ちなみに上杉は小沢のことを嫌っている。

 話は逸れますが、10月に出されるという検察審議会での議決が起訴議決になれば、小沢は強制起訴される。「訴追に同意する」言ったからには逃げることは不可能だ。仮に総理大臣になったとしても。
 しかしその時、もっとも困るのが検察だと言われています。これまでの捜査資料を指定弁護士にすべて提出しなくてはならない。この中には検察に都合が悪いことが含まれている可能性がある。
 元秘書は起訴されたものの、昨年3月に起訴された大久保元秘書の第二回公判が1月13日に開かれ、証人により「西松建設の政治団体は正当なものであった」と証言されると、「訴因変更」という理由でその後公判が開かれていない。予定も発表されていない。1月に逮捕され石川議員に至っては、一度も公判が開かれていない。

 そして検察にとって最大の問題は、仮に総理となった小沢を起訴し裁判が開かれても、無罪になる可能性が極めて高いことです。もしそうなったら、一国の総理大臣を微罪で起訴しておきながら無罪という検察の無能ぶりと国策捜査であったことが明らかになる。政治的に小沢を抹殺しようとしたことが誰の目にも明らかになる。この時検察の威信は崩壊し、「政治とカネ」でネガティブキャンペーンを繰り返し続けているマスメディアとそれを言い続けてきた評論家や政治キャスター、文化人、政治家の信頼は確実に失われる。
小沢が総理になれなくても同様な現象が生まれる。

 検察審議会で起訴相当の議決が出され、強制起訴となることをもっとも怖れているのは、小沢ではない。
小沢が総理になることを怖れているのは誰なのか?判り切っている。

 冷静に考えてほしい。岡田外相は「起訴される可能性がある人が立候補すべきではない」と公然と言ったが、これまでも何度も書いてきたように、民主主義国家の刑法の下では、何人(なんぴと)も、『推定無罪の大原則』によって罪が決まるまでは無罪です。自由人です。
この原則に基づけば、二度の不起訴を受けた小沢は、まったくのシロであり、起訴されて初めてグレーとなり、罪の決定を受けてはじめてクロとなる。
 この上に、政治倫理を重ねても、二度の不起訴は、グレーと言っても限りなくシロに近いグレーくらいだと思う。立候補を見合わせる必要もないし、以前言われたように議員辞職、あるいは離党などする必要もない。まして、同じ政党である民主党の議員は、小沢が政治資金規正法上で定められた以上の資料を提出の事実を知っているはずだ。
小沢の「政治とカネ」の問題を代表選で突くこと自体間違いであり 不見識であり、民主主義国家の閣僚、政治家の発言として呆れるばかりです。

このような発言が、生まれるということは、民主党内で激しい権力闘争が行われていると言わざるを得ないですね。


◇僕にとっての民主党と二人への関心の経緯

 菅と小沢が対決する代表選にあたり、僕のこれまでの民主党と二人への関心の経緯について大雑把にでも書いたおいたほうが何かと解りやすいと思う。
 僕はこれまで、小沢擁護論みたいなことを書いてきましたが、07年の参院選までいちばん評価していた政治家は菅直人でした。それも民主党を支持していたわけではありません。いわゆる無党派の一員で、自民党に投票したことはなかったけれど、積極的に民主党や以前の社会党に投票していたわけでもありません。そうですね。菅に関しても民主党についても積極的支持と消極的支持の中間くらいの曖昧な支持です。その程度です。
 小沢については小沢の著書「日本改造計画」を読んだくらいで、メディアに刷り込まれた剛腕、強引、信用のできない奴。というイメージでした。

 そんな僕が02年、県営ダム建設反対の市民ネットワークに加わり(広報誌編集担当)活動する中で、地元の民主党を支持する人たちと出会い、また、民主党代議士の秘書が、個人の資格で加わることになり、民主党への理解が深まり、無党派を抜けました。
 県営ダム建設が凍結された後、このネットワークの主だった人たちを中核として、秘書も含めて、また地元選出の石関貴志民主党議員と民主党県会議員が加わり「八ッ場ダム研究会」というグループとなり、八ッ場ダム建設を多角的に検証し、中止を模索しました。八ッ場ダムは、すでに周辺の工事が進んでいて、グループ結成当時から政治的決着以外道はないということで、民主党の政権交代に託しました。託したからには応援も必要でささやかな応援をしました。そして07年の参院選で過半数を獲り、政権交代の可能性が高まり、09年の衆院選で圧勝し政権交代を果たし、「建設中止」が直ちに発表されました。

 その前年の夏、「緑のダム構想」を掲げていた民主党が、繋がりのある八ッ場ダム研究会と協力し、当時幹事長だった鳩山他、約30人の議員による現場視察が行われ、現地での記者会見で鳩山が「八ツ場ダム建設中止」を09マニフェストに取り上げることを正式に発表をしました。僕たちはお役御免です。
 そんなことで繋がりはさらに深くなりました。

 07年の参院選で、僕に転機が訪れました。選挙を勝利に導いた小沢が僕の中で俄かにクローズアップされたのです。そして小沢の道のりと理念、政策を調べることになったのです。しかし、まだ僕の中でNo1の政治家は菅直人でした。それは、西松事件が起こるまで変わりませんでした。
 西松事件・水谷事件が起こり逆風の中に立たされた小沢が辞任したことで、さらに小沢をについて知りたくなったのです。小沢について調べたことはこれまでかなりの量を書いてきたのでここでは省きますが、「このような混迷の時代にあって、日本の舵取りを任せられるのは小沢しかいない。混迷を切り拓くのは小沢しかいない」と思うようになり、僕の中でNo1の政治家が小沢に変わり、菅直人はNo2になったのです。
 
 小沢と鳩山が切り拓いた後は、菅直人が実直な政権運営で安定させればよい。そんな思いでした。しかし、小沢、鳩山の改革途中での辞任で状況は変わり、菅の代表、首相就任を多少の不安を感じながらも歓迎していました。
 しかし、首相就任後の菅に失望しました。就任の時の、あたかも首相になったことが菅の最終目的であったかのような喜びように不安を感じたと以前書きましたが、その不安が的中したのです。
もちろん僕にとってということですが……


                               続く


いろんな人が出てきて、
そのそれぞれに
それぞれの事情と理由と言いぶんがあって、
誰もがそれなりの正義と幸福を追求しているわけです。
そしてそのおかげで全員が
にっちもさっちもいかなくなっちゃうんです。
そりゃそうですよね。
みんなの正義がとおって、
みんなの幸福が達成されるということは
原理的にありえないですからね。


                    村上春樹 インタビューより


「普通の国へ」小沢一郎代表選出馬

2010年09月01日 | 日記
 小沢一郎(以下敬称略)が手を伸ばしたその指先に総理大臣の座があった。しかし、ふれることなく小沢は自ら辞さねばならない事態となった。昨年5月11日、西松建設の政治献金をめぐる会計担当秘書逮捕を受けて、夏の衆院選にかかる影響から、「生活第一」「政権交代」を掲げ衆院選に臨む民主党の代表の座を降りた。
 そして、国民に解りやすい09マニフェストを掲げた民主党は、圧勝し悲願の政権交代を成し遂げた。
 以前にも書いたが、二大政党制と政権交代をもたらした最大の功労者は、小沢である。
小沢を高く評価する人たちは、総理にはなれなかったものの、幹事長として党の采配を振るう小沢に期待し、鳩山・小沢体制に「国民の生活第一」「対米対等」「官僚改革」「国連主義」という真の民主主義独立国への夢を託した。しかし、アメリカと官僚の壁は高く、厚く、壁の象徴とも言える普天間基地海外、県外移設で敗北し、第一段階での望みは消えた。
 この間、小沢・鳩山に対するマスメディアの「政治と金」という不条理なピンポイント非難は凄まじく、多くの人たちはメディアの論調に呑まれるように呼応し、参院選への影響から、鳩山、小沢は総理と幹事長からそれぞれ辞すこととなる。
 そして、鳩山の総理の代表任期を継承した菅総理と小沢の後を任せられた枝野幹事長ラインで参院選を戦い、望んでいた議席数を大きく割り込む大敗を喫した。
あまりあてにはならない世論調査ではあるが、鳩山、小沢が辞めたことで支持率のV字回復を果たしたにも関わらずである。
 そして今日、民主党代表選に、菅総理と小沢が正式に立候補表明の記者会見を行った。
与党民主党の代表選は、イコール総理大臣を決定する選挙でもある。
これが昨年5月からの、小沢を中心に大雑把に民主党の流れである。

 そこで小沢はなぜ代表選に出馬したのか?ということを考えてみる。
マスメディアは相変わらず好き勝手なことを書き、小沢出馬を貶めているが、理由は明確である。
 菅政権が、政権交代を果たした時の国民との約束である、09マニフェストを大幅に修正し、政策を次々と変えていったことにある。
官僚改革の要である国家戦略局の軽視。財務官僚に取り込まれた消費税アップへの言及と支持。各省庁族議員と官僚の力を削ぐために行った陳情の幹事長室一本化の廃止。いち早く声明したアメリカ追従外交。
そして参院選大敗の責任を菅総理も枝野幹事長も党執行部がとらなかったこと。代表選以降に持ち越したこと。小沢排除により挙党態勢を崩壊させたこと。

 このことは同時に、今回の代表選の政策的対立軸として争われることになる。政策論議は積極的に表だってしてもらいたいし、その政策と実行力で代表を判断してもらいたい。
その結果、菅が勝てば09マニフェストは修正されるだろうし、小沢が勝てば09マニフェストに沿った改革が、行われるはずだ。どちらにせよ『ねじれ』というひじょうに困難な状況の中で政権運営が行われることになる。
しかし、この『ねじれ』という現象を生み出したのも私たち有権者である。その影響は私たちが真摯に受けなければならないことは理である。

 小沢とすれば、このような時期に出馬することに躊躇いがあったはずだ。選挙のスペシャリストと言える小沢が二大政党制と政権交代を政治生命をかけて描き、言われのない非難を受けながらも実行してきた戦略で、前回の参院選で勝ち、衆院選で勝ち連立を結ぶことで、参院選で過半数を可能とした。そして今回の参院選で単独過半数にはいかないにしても連立政権で完全に過半数を勝ちとり、政権交代を揺るぎないものにするということが、代表時代も幹事長時代も小沢の最大の目的だった。だからメディアが無謀と非難した二人区に二人の候補者を立て、ひとりでも多くの当選者を確保しようと考えたのである。そして立てた。しかし菅政権はそれを活かせなかった。

 政権交代が完全に成った。と思っている人も多いと思うがそれは認識不足である。
衆院選に勝てば政権は獲れる。たしかに政権交代である。しかし真の政権交代は、参院選で過半数を獲って初めて完結される。
 
 衆院で可決された法案は、参院へ回る。参院で与党が半数に満たなければその法案は否決され消える可能性が高い。衆院の優越性から参院で否決された法案は衆院へ戻り再議決されるが、2/3以上の賛成がないと可決できないからだ。衆院で2/3以上の議席は、民主党にはないし、今後自民党でも民主党でも生まれる可能性は極めて低い、極めて高い壁である。
 これまでの長い自民党政権の中でもそうなかった。直近では小泉郵政選挙で圧勝した自民党が、2/3以上の議席を保有して、参院で否決されても衆院で再可決した。
だから、長期安定政権を築こうとする賢いリーダーは、衆院選よりもむしろ参院選を重視し、参院選に全力を注いだ。佐藤栄作、田中角栄、中曽根康弘は参院選を重視し、特に田中角栄の参院選への気の配りようとダイナミックな戦略は、見事とも言えた。いわゆる田中軍団と言われた面々に参院議員が多かったことがそれを象徴している。

 今回の参院選敗北で、3年ごとに半数が改選される参院選で過半数を獲得するには、最低でも6年後となるだろう。次回の3年後の参院選だけでは無理だということは誰でも判るし、もしかしたら9年後になるかもしれない。小沢が温め描いていたシナリオは、ずっと先に持ち越されることとなってしまった。真の政権交代は最低でも6年後である。その間、任期満了による衆院選がある。解散による選挙も当然あっていい。
このような時期に67歳の小沢とすれば、立候補への躊躇いがあっておかしくない。しかし小沢は立った。
というよりも、だからこそ立った。というのが本音だと思う。
選挙のスペシャリスト小沢だからこその早めの着手を小沢は考えたと僕は見る。

 小沢の悲願は、自民党を飛び出した時から、二大政党制による政権可能な健全な政界の編成である。メディアが言うような単なる壊し屋でもなければ、壊すための剛腕ではない。いわばこの一点に捧げてきた剛腕である。
 そして政権交代の先にあるのが、明治以来120年続く官僚支配からの脱却と、アメリカ追従から対等な日米関係とアジア重視の関係の構築である。
これを阻むものと小沢はこれまで敵対してきた。最大の敵対者は、自民党などではない。
アメリカと官僚とそしてマスメディアである。
 小沢は、20年前の自民党幹事長時代から、強固な記者クラブ制度を度外視し、フルオープンの記者会見を続けている。これは画期的なことだ。メディアと官僚への挑戦でもある。小沢を古い政治家だと非難する、前原や仙谷などまだこの域にも達していない。記者クラブと官僚に取り込まれたままである。

 いずれにせよ、小沢が立った理由は、09マニフェストの実行と真の政権交代の再布石に集約されている。と僕は断言する。
真の政権交代がなければ、小沢の理念は完結しない……
年齢から言えば、小沢の理念は誰かが引き継がなくてはならないだろう。
もちろん菅政権に期待できれば、小沢は立たなかった。しかし、菅政権の実体は、小沢が嫌って出た自民党の政策に近づくばかりで、官僚にすでに取り込まれてしまった節がところどころに現れはじめ、見ていられなかった。
これは小沢だけではなく、鳩山にしても同じ思いであったろうし、09マニフェストを支持する民主党支持者から見ても目に余るほどだった。
菅をはじめ主だった大臣は、官僚に取り込まれすでに闘う気も見えない。これは僕の印象であるし、ネット上の多くの意見である。

 大手マスメディアの世論調査が行われ、代表選に立つと予想された菅と小沢の支持率結果は、軒並み菅が70~80%の高い支持を受け、小沢の支持率は、15%あたりという圧倒的な差がある。
(いずれの調査も有効回答者数は、1000人を少し超えるくらいである)
メディアも菅陣営もこの数字をもって、世論と言い、国民の声と言う。
しかし果たしてそうだろうか?

ここに面白い結果がある。ネット上でのアンケート調査である。

◇読売オンライン
小沢氏の出馬を支持するか?
支持する76% 支持しない24%

*結果が出た直後、直ちに結果を跡形もなく消してしまったところが読売らしい(笑)

さらに
◇livedoorニュース
菅首相と小沢一郎氏、どちらを支持する?(8342票)
小沢一郎60,5% 菅直人39,5%

◇Infoseek(内憂外患)twitterアンケート(1734表)
民主党代表選、あなたならどうする?
小沢一郎支持95% 菅直人支持4%

 ツイッター上でinfoseekが行ったアンケートは、小沢人気、待望感は凄まじく、菅人気の無さといったら絶望的である。これも世論の一部、国民の声の一部と言えるだろう。
しかしこうした事実はけして大手メディアからは流れない。

 ではなぜこのような乖離現象が起こっているのか考えてみよう。
大手メディアが行うRDD式という無作為抽出方法では、携帯電話しか持たない人は対象者とならないし、昼間家にいる人の回答しか得られないという欠点があり、明確な意見を持ちネットで意見を述べている人たちを拾い難いという側面がある。対象者の多くは、新聞とテレビだけを頼りにしている。新聞の論調が反映される。そして対象者の多くは自分の意見を持っていない。設問の流れに影響される。
これは、学生時代約4年間読売新聞社の世論調査部で、月に7日から10日ほどアルバイトした時の実感である。対象者の真意は世論調査では量れない。
 たとえばツイッター上で政治的な意見を交わす人たちは、新聞とテレビの報道だけに頼らない、どちらかと言えば、新聞、テレビの報道に疑問符を投げかけ、さまざまなネット上の情報を拾い集め選択し、自分の意見に活かしている人が多いことは、ツイッターをしていて実感できる。
 小沢の「政治と金」の問題。西松建設、水谷建設からの疑惑政治資金問題は、「政治資金収支報告書上の、登記の期ずれ」でしかないことは、ツイッター上の常識でもある。
 フリーランスのジャーナリスト、弁護士、元検察官、会計士などの解説を、しっかり読み、検察の国策捜査であること、メディアの不条理なピンポイント非難であると認識し、それに乗っている国民の愚かさ、思考停止状態を嘆いている。
 そうした中で、正当な小沢評価、菅評価が行われ、大手メディアの世論調査とまったく逆の結果が現出している。

 菅がなぜこれほどネット上で信頼されていないかと言えば、やはり大手メディアが伝えない事実が、フリーランスのジャーナリストや政治評論家、政治学者、政治家、経済学者、あるいはブロガーからの情報を詳細に噛砕き、自分の持っている知識や新聞、テレビからの情報を自己分析しながら自分の意見として構築しているからだ。言ってみれば、新聞とテレビだけに情報を頼っている人たちよりもそうした、自己訓練の中で、政治意識が高くなっている。
意見を人の目に晒すことはたとえ140字といえども勇気がいるし、それだけのものを内部で構築していなければできない。
必然的に真実に近寄れるようになる。そんなふうに感じている。

 菅が総理になってからの変節を大手メディアは伝えていない。だから、世論調査の支持率は高く、いわれもない「政治と金」の問題でピンポイント非難されている小沢の支持率が低いのは当たり前の話となり、ネット上では大手メディアの世論調査は、まったく信頼されていない。
そうした数字に信頼が置けないことは、次のような事実にもよる。

 菅は総理の座に就くと小沢に対し、枝野とともに「しばらくおとなしくしてほしい」と小沢を排除した。そして参院選に大敗した。大敗し憔悴した菅は小沢を頼り会おうとし、何度も電話をかけたと言われているが、小沢事務所ではそのような「会ってほしい」という電話はなかったと言われている。
電話の事実はいずれにしても、脱小沢路線は、選挙後も続いた。「挙党態勢」を一方的に菅と仙谷、枝野ラインが崩したのである。
 小沢が菅の政策を非難し始めると、菅と仙谷は「代表選に出て争うべきだ。それが民主主義だ」と言った。
小沢は代表選に出馬することを表明した。鳩山がそれを全面的に支持した。
するとどうだろう、菅は鳩山に縋り、「挙党態勢の維持」を申し出た。初めの鳩山の仲介で鳩山と小沢からいい返事がもらえなかった菅は、鳩山がロシアに立つ直前2度も電話をして再度仲介を依頼した。
 鳩山も自ら中心となり作った民主党の分裂を避けるために、伝書鳩となり、菅と小沢の間を飛び回り、挙党態勢の維持に力を尽くした。
ここに三人三様の『挙党態勢』が現出した。

 菅は小沢に重要なポストを与えて、挙党態勢を組み、自らの出馬を一本化しようとした。しかし、菅を支える、仙谷と前原、野田が、特に仙谷と前原は、「小沢に重要なポストを与えるなら支持しない」と宣告した。仙谷は「自分の首を差し出しても小沢にポストを与えることはできない」とも言った。菅は憔悴する。焦る。一本化が遠のく。

 鳩山の挙党態勢はいわゆる『トロイカ体制』が念頭にある。トロイカ体制で政権交代を可能にしたからだ。

 一方小沢は、すでに立候補声明を発し、代表選への準備をしている。問題はポストではない、選挙後の挙党態勢である。勝っても負けても、二大政党制と政権交代を崩すわけにはいかないという大局的な観点に立っていた。ここで意志の通じ合いが明確になったのは、小沢と鳩山である。
 もちろん、小沢周辺から菅に対して幹事長なり、代表代行、副総理などのポスト要求はあったはずだ。選挙の混乱を鎮めるために、そうした活動は当然生まれるし、小沢周辺でも代表選の争いを良しとしない人もいる。こうした要求に対して菅が答えたのは「最高顧問」という名誉職だと言われている。当然呑めるものではないし、その程度が菅を支える人たちの挙党態勢だった。

 三者三様の『挙党態勢』は、ぎりぎりまでまとまらず、ようやく菅は小沢と会談に辿り着いたものの、一本化は決裂し、鳩山が提唱した『トロイカ体制』の順守は、選挙前ではなく、勝っても負けても選挙後に約束するということで、民主党の分裂を防ぐこととなった。

 こうした菅の変節は、総理の座に固執した結果ともいえよう。僕にはそう見えたし、ツイッター上のアンケート結果はそれを表している。
 小沢が“変わらず生き残るためには、自ら変わらなければいけない”という想いで理念を大切にして誤解されながらも、所属を変節し20年間歩んできたのに対し、菅の変節は、総理になってわずか3ヶ月の間に生まれた、理念などどこへやら、という利己的な変節だったと思う。
 
 本来なら、参院選総括の両院総会の場で、敗北の責任として内閣の要の官房長(仙谷)、党幹事長(枝野)、選対委員長(安住)、会計責任者(小宮山洋子)を引責辞任させ、ここで挙党態勢を作るべきだった。
そうすれば、小沢や鳩山の協力も得られた可能性が高く、代表選を一本化で通過できたかもしれないし、その後の内閣改造でさらに挙党態勢を構築すれば、乗り切れたはずである。
菅は、「参院選が自らの信任の是非の場になる」とまで言い切ったのだから。

 さらに、菅の評判を落としたのは、新人議員の囲い込みともとられる面接だった。
結果的に菅支持に回るとみられる新人議員は、120数名中、23人と今のところ算出されている。
いまのところ大失敗と言える。

 つまり、菅はリーダーとしての能力に欠ける。視野が狭く近視眼的であり、難しい状況下で政権を運営し、日本の舵取りになりえない。これが僕の意見でもあり、ツイッター上に集約されている意見である。
 『短期間のうちに総理がコロコロ変わるのは、政治の空白を作ったり、政策の継続が損なわれるから、避けるべきだ』というまっとうな意見があるが、『短期間のうちにコロコロ変節する無能で信用が置けない総理は即刻退場すべきだ』という意見のほうが説得力を持つ。
 だから、小沢が立ったことに僕は歓迎しているし、修正されたマニフェストを09マニフェストに戻し、実現してほしいと思っている。
「生活第一」「対米対等」「官僚改革」「国連主義」真の民主主義独立国として、そして小沢の理念どおり「普通の国」を創造してほしいと願っている。

 いずれにせよ、目を見開き遠くを見まわすと、総理大臣として既得権力である官僚やマスメディアが歓迎するのは菅であり、敬遠するのは小沢である。というふうに感じるのは僕だけではないだろう。メディアの報道を見ても明らかである。

明日からは政策論争が始まる。メディアの論調に誤魔化されないように真実を見極めてください。
そして14日。どちらが勝っても挙党態勢であることを望みます。


武井繁明


お盆に思うこと

2010年08月14日 | 日記
ショパン/ポロネーズ第7番 変イ長調「幻想」/演奏:寺嶋 陸也



お盆ですね。
昨日、ご近所で世話になっている3軒の家で迎えられた新盆のお見舞いをさせていただいてから、心地よい風が吹く静かな時間の中で迎え盆を済ませました。

お盆は、盂蘭盆会(うらぼんえ)と言って、元々はゾロアスター教にも含まれるアニミズム(自然界を構成するすべてのもの、森羅万象に精霊が宿る)の精霊=ウルヴァンを鎮魂する古代イランに起源があるとされています。というかひとつの説ですが。
それがインドに伝わり、仏教の根底に流れる『山川草木悉皆成仏』(自然のすべてのものに生命が宿る)という思想と近似融合し、少しずつ姿かたちを変えながら中国経由で日本にやってきて定着した……こんな流れがあります。
また盂蘭盆会には、先祖の霊を供養するとともに、餓鬼道に堕ちた救われない霊に対しても、供物をもてなし供養するという寛容の仏教行事でもあるんですね。

自然の恵みと脅威に、もっとも敏感に生きてきた縄文時代の宗教観は、アニミズムに支えられ、神が宿る自然界を構成するものから与えられる恵みに感謝し、恵みから遠いものには、叶えられるよう救済の祈りをあげ、荒ぶる脅威に対しては鎮魂という宗教行事があり、今の時代もかたちを変えながら続いていますね。
そんな日本人のDNAに記憶されている宗教観に盂蘭盆会の思想は、抵抗なく、ごく自然に受け入れられたと思います。そして今日まで継承、持続されてきました。
なんとなくお盆になると気持ちが落ち着くのは、こうしたDNAの記憶への回帰からなのでしょうか……僕はそんなふうに思ったりします。
 
僕は基本的に無神論者で、人間のかたちをした神などいるわけないし、いてたまるか、と思っているし、神というものは、人間の観念が創り上げるもので、ひじょうに自分に都合の良い存在で、そうした観念が地域、民族の特質、自然環境、社会環境を反映しながら、地域、民族の融和、あるいは支配構造の骨格の重要な部分を占めながら成長してきたもの、その中核的な存在という考え方です。

たとえば沖縄の神様は、神は“受容という愛”そのものです。それは自然豊かな中で生まれ、育まれた沖縄の人たちの奥行きの深いおおらかな愛情という観念の中で創られた存在だからです。
薩摩と中国という沖縄にとっては強国の間で、厳しいながらもしなやかに生き抜いてきた。そして太平洋戦争で唯一米軍の上陸を受け、県民の4分の1もの犠牲者を出しながら、今もなお米軍の基地を抱えながら生き抜いている沖縄の人たちのしなやかさは、ひとつに宗教観が大きく影響していると思う。

いっぽう、砂漠という厳しい自然環境とその中で移動(遊牧)と迫害の中で生まれたユダヤ教の思想の骨格をなす、神との契約、選民思想にどこか理解しがたい偏狭さと特殊性を感じます。おおらかさの欠如と言ってもいいのかな。自然の恵みを受ける機会が圧倒的に少ない砂漠の遊牧民の観念の中で生まれた宗教なんだな……こんなふうに感じてしまう。

理不尽な迫害もされてきたけれど、理不尽な迫害も犯してしまうという、寛容性に欠けた宗教。アブラハムの宗教から生まれたユダヤ教、キリスト教もイスラム教にも似たようなおおらかさの欠如を感じます。
特定の神を唯一絶対神として、その神を信じる者だけが救われるという狭量さです。

こんなことから、前時代的で原始的で高名な宗教学者や現代人からあまり相手にされないアニミズムや初期の仏教は、すごく共感できる。基本的には無神論者だと言ったのはこのためで、寛容の宗教観に対してはいいな……と思う。

闘いを好まない、歴史的に宗教をめぐる対立で血を流したことが少ない平和的な仏教と天照皇大神という唯一絶対神的な神様はいるけれど、それでもアニミズムから派生した八百万の神々というものすごい大所帯の神様たちを信仰の対象としていた神道が、日本の宗教観の主流をなしていた時代は、わりと平和だったけれど、狭量な時の為政者たちによって国家支配に宗教が利用されると、その国家も宗教もたちまち歪んでしまう。

天皇を神として強制的に信仰させた明治から戦前の日本で、その宗教的核となったのが、靖国神社ですね。戦争と切っても切り離せない神社。情緒的に感情的に戦争を美化させてしまう効果を持ち続けている神社です。

元々靖国神社は、たしか大村益次郎によって、戊辰戦争の時、錦の御旗の下へ集結した官軍の戦死者を神として祀り魂を鎮めよう、という意見に対して建立された『東京招魂社』が起源で、管轄は軍部でした。
戦争で亡くなった人たちすべての魂を鎮めるための神社ではありません。
あくまで官軍、天皇の国家のために戦死した軍人、軍属、ごく一部に民間人が、英霊として、神様として祭られているという、極めて非民主主義的な神社で、本来なら新憲法発布をもってその役割を終わりにすべき神社だったのです。

しかし今も存続し建立以降、この決まりはほとんど変わっていません。
旧幕府軍や彰義隊、新撰組、奥羽越列藩同盟の戦死者。西南戦争の西郷隆盛他薩摩軍は、天皇の国家に歯向かった賊軍であり、靖国神社は受け入れません。
すべて、天皇を中心とした国家のための神社なのです。
だから、対中戦争、太平洋戦争を指揮し、侵略の限りを尽くしその国の多くの無辜な生命を奪い、戦争に駆り出された兵士、軍属、国内にいながら米軍の圧倒的な軍事力で多くの国民の犠牲者を生み出した元凶であるA級戦犯たちも英霊として祀ってしまった……変わったのはここだけでしょうか。

宗教の自由、信仰の自由は憲法によって保障されている……と靖国神社を擁護する人たちは言いますが、靖国神社の成り立ちとこれまでの歴史を考えれば民主主義の下での宗教の自由、信仰の自由と意味が異なることが判ると思うのです。
戦争で犠牲になった兵士たちの命は尊いと思います。酷い死に方だと思います。
だから私たちが行う先祖の供養と同じように慰霊されなければならない。しかしその方たちの霊を供養するのは、民主主義の下で否定された、天皇の中心の国家という概念と関わりのない、無宗教慰霊施設を国家が創り、そこで供養すべきなのです。宗教を超えた寛容の慰霊施設。けして神として祀ってはならない。尊い命として供養する。

宗教というものは、唯一絶対神的な力を持つと、時の流れの中で必ず争いが生まれます。唯一絶対的観念は、他宗教、他宗教民族、地域を異端とみなすからです。
日本もまったく根拠のない万世一系という天皇家の長を唯一絶対神として、それも現人神として祀り、絶対君主としてすべての権限を与え、国の体系の骨格としてから歪んだ国家になってしまった。明治維新は、封建制から近代国家への道を切り開いたものの、方向性を間違えてしまったようです。
歪んだ宗教を奉じた国家は歪み、その国だけではなく周辺をも貶める……

宗教は寛容がいちばんと思うお盆です。



武井繁明



8月13日(金)のつぶやき

2010年08月14日 | 日記
08:51 from web
『普天間爆音訴訟、国は上告せず 386人への賠償確定 』http://t.asahi.com/6tw当然と言えば当然の帰結だが、飴と鞭の飴ではないことを望む。
09:14 from web
【毎日jp】在日米軍再編:普天間移設 国外移設派、訪沖へ 民主20議員、代表選争点化狙う http://bit.ly/aLKg3gこう着状態の普天間問題で小沢氏が打開に向け動くことへの期待があるとみられる――やはり小沢さんしかいない!
15:34 from Ustream.TV
岡田は2005年時点で、普天間基地国外、県外移設を諦めていた。野党時代にすでに諦めていたなんて情けないし、鳩山さんの国外、県外へ意志が伝わるはずもなかった。民主党の外相失格! (#iwakamiyasumi live at http://ustre.am/eOVh )
15:54 from web
自公民相乗り支持?民主党支持者を裏切ったも同じ!RT @theokinawatimes 【記事更新!】北沢氏「仲井真さん当選して」 知事との会談で発言 http://www.okinawatimes.co.jp/article/2010-08-13_9211/
18:50 from web
知らないでは済まされませんねRT @Adhi_Parla (略)米軍駐留費をどれだけ日本が負担しているのかをドイツや韓国など他の米軍駐留国と比較してみるべき。米駐留費負担は日本がダントツ1位だが、2位のドイツの負担額と比べても、なんと9倍!(略)国民が事実と背景を知って考える時だ
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8月12日(木)のつぶやき

2010年08月13日 | 日記
21:38 from web
『防衛省、思いやり予算を特別枠に 11年度概算要求』47ニュースhttp://bit.ly/csAJdu防衛省は、ペンタゴンの一機関に過ぎない存在だと考えるととても分かりやすい。さて、菅総理がどうでるか?
21:49 from web
伊波氏支援に難色 県知事選で民主・安住氏 - 琉球新報 - http://bit.ly/bVSrEb 安住氏は「党本部と方針が違うことは誰が見ても明らかだ」と言っているが、だいたい安住が今も選対委員長だなんて誰も思っていない。安住は口を慎め!
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8月11日(水)のつぶやき

2010年08月12日 | 日記
20:38 from web
同意!「政治的スタンス違う」と言った安住こそ政治的スタンスが違う!RT 民主党の中に伊波氏をかつぐ勢力は存在しないのか?かつげぬ民主党など不要だ。RT @theokinawatimes 伊波氏と協力困難 県知事選 民主・安住氏が認識 http://bit.ly/9FXgDl
20:43 from web
普天間基地移設問題は、まだこれからです!新総理、新体制で国外へ!川内議員を応援します!!RT @kawauchihiroshi こんばんは。今日からツイッターを始めました。民主党の建て直し、政権の再構築に向けて折に触れてつぶやきます。
21:10 from web
先頭を切って言っているのは菅さんでしょ。ギリシャを例に出して。ガ~ン!と言ってあげてください。RT @kawauchihiroshi さらに、財源がない、財源がない、と言ってる人がたくさんいますが、財源はあります。これも代表選挙の争点のひとつです
22:16 from web
ガリガリ君を食べながら、南沙織を聴いている。シンシアは夏が似合う!
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8月10日(火)のつぶやき

2010年08月11日 | 日記
21:14 from web
海外でも国内でもアメリカくらい銃弾を放つ国はないが、『アメリカ本土に銃弾は一発も飛んでこなかった』。ここからアメリカがどのような国かよく理解できる。総論的にも各論的にも。
21:22 from web
鳩山さんは幹事長時代の衆院選の前年、例年どおり夏休みを軽井沢で過ごし、例年どおり鳩山Gの懇親会を開き、その足でGのメンバー30人を引き連れ、八ッ場ダムを見学し、その場で建設中止の記者会見を開き、マニフェストに載せる約束をした。実に見事な夏休みの使い方だった。さて菅さんや枝野は?
21:42 from web
金鳥の夏、ガリガリ君の夏……。今食べながらつぶやいている♪
21:49 from web
スイカバーも好きだけれど、種がチョコレートなのは興醒め。でも明日の夜は、スイカバーを食べながらつぶやこうかな♪
21:56 from web
朝日の変節を見て、本多勝一元記者や、”女性国際戦犯法廷のNHKの特集番組を自民党の安倍晋三・中川昭一両議員による政治介入があり、圧力を受けたNHK側は放送直前に番組内容を大幅に改変した”事をスッパ抜いた本田雅和記者はどんな気持ちだろう。本田さんはこれが原因で夕張に飛ばされた。
21:59 from web
子ども頃なら「寝小便をするから止めなさい」と言われました(笑)@trochilidae @rsmoon お腹壊さんように(笑
22:05 from web
スイカなんか夜、絶対食べさせてもらえなかったですね(笑)@trochilidae 寝小便て(爆
22:13 from web
ピンチになるとしゃっくりが止まらなくなる花山大吉♪RT @mankin911 焼津の半次は蜘蛛嫌い、月影兵庫は猫嫌い→花山大吉は猫平気・・・これで番組が繋がるとは!(笑
22:48 from web
刀捌きと言えば、大吉、兵庫、拝一刀を超える者はいないでしょう(微笑)@mankin911 最近、月影を毎日見ているので、しゃっくりの件すっかり忘れていました!(笑 しかし近衛(大吉&兵庫)の刀捌きは凄すぎる! RT @rsmoon ピンチになるとしゃっくりが止まらなくなる花山
22:50 from web
個人的にサマータイムを実施!朝5時から仕事をしているのでおやすみタイムです。
今日もありがとうございました♪おやすみなさい。また明日♪
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