風の回廊

風を感じたら気ままに書こうと思う。

「未知の領域」で考える―日本の原子力政策の成り立ち

2011年03月29日 | 政治・時事
広島、長崎……
日本は唯一の被爆国として、誰もが広島、長崎をあげます。しかし、時代の変遷とともに忘れられがちな事件があります。第五福竜丸被爆事件です。事件という呼び方が適切かどうか悩むところです。しかしどんな呼び方をしても、善意の第三者が、エゴの塊のような核実験の犠牲者となった事実は語り継がなければなりません。私たちは「唯一の被爆国」という場合、広島、長崎に「第五福竜丸事件」を加えなければいけません。そして今、福島で起こっていることが、被曝から被爆になるのか。すでに被爆しているのか……いずれにせよ、広島、長崎、第五福竜丸、福島は、原子力がもたらした大きな不幸、あってはならない不幸と言わざるをえません。
ここでは、第五福竜丸事件を取り上げ、日本の原子力政策への道のりを書き、その背景を明らかにしながら問題点を浮き彫りにしようと思います。なぜこの事件を取り上げたかと言えば、この事件は、日本の原子力政策が生まれる直前に起った事件で、原子力政策の創生期にさまざまな波紋を投げかけたからです。

以下は、94年に放映された NHKドキュメント『原発導入のシナリオ』を基に少しばかり肉づけして書いたものです。


第二次大戦後、核戦略でソ連よりも優位に立ったアメリカは、たちまちソ連に追いつかれ、原爆よりも破壊力が大きな水素爆弾では、ソ連に追い越されました。冷戦構造の中での核兵器開発競争は熾烈で平和になるはずの大戦後は、大戦前よりも大きな危険を孕む時代になってしまったのです。
ソ連に追い越されたアメリカは、水素爆弾の実験を繰り返します。第五福竜丸が被爆したのも、マーシャル諸島ビキニ環礁で行われた「キャッスル作戦・ブラボー」という水爆実験でした。
第五福竜丸は、アメリカが引いた危険水域外で操業していたのですが、この実験は秘密裡に行われたため、気づいた時には遅く、必死で離れたのですが間に合わず、死の灰を浴びてしまった。1954年3月1日のことです。

この事件とは別に、熾烈な核兵器開発を緩める意図があったのか、当時のアメリカ大統領アイゼンハワーは(アイク)は、「原子力の平和利用計画」を唱えます。“atoms for peace”と呼ばれたこの計画は、核兵器の材料である◆ウラン235を国際機関を創設し一括管理すること◆ウラン235を平和利用すること―ウラン235の濃縮ウランを民間に転用し平和利用すること―がテーマでした。
しかし、実態は米ソの間で、それぞれの核開発の脅威を、メディアを使って煽り避難することを回避するための緩衝的な措置でした。そのことは当時のアメリカの国家安全保障会議の資料から明らかです。つまり核兵器開発のおこぼれとしての政策であり、核兵器開発という主題に添えた副題に過ぎなかったのです。ダブルスタンダードと言ってもいいかもしれません。
日本にも広報部がアメリカ大使館の別館に置かれ、“atoms for peace”の広報が行われようとし、ソ連は、“atoms for peace”に対抗するため「原水爆の世界的全面禁止」を訴えました。ソ連の訴えもまた、ダブルスタンダードとも言えると思います。自ら鉾を納めることはなかったからです。

こうした状況の中で、ひとりの日本人が、“atoms for peace”に水面下で飛びつきました。読売新聞の柴田秀利という記者です。彼はGHG担当でGHQ内部に深く浸透していて、戦後最大級の労働争議だった「読売争議」をGHQを使い、経営者側に勝利をもたらし、読売新聞社主の正力松太郎に認められ懐刀となり、やがて日本テレビ創設に深く関わり、“atoms for peace”では、アメリカとの交渉で辣腕をふるった人物です。しかし彼は表に現れることはありませんでした。
まだ政府が介入していない時期に秘密裡にアメリカ側の工作員と密会し、着々と準備を整えていたのです。アメリカ側の工作員は、けして所属を明らかにしない、ダニエル・ワトソンという人物でした。
しかしながら、柴田からもたらされた情報は、かなりレベルの高いところ――国家安全保障会議(NSC)――に上げられていました。

このような時、第五福竜丸事件が起ったのです。

大戦から10年に満たない時代、日本人の核アレルギーは強く、たちまち各地で反米・反核運動が起り、魚介類をはじめ食物に影響はないか、という放射線汚染パニックも生まれました。これに共産党、社会党などの左翼勢力が加わり一大政治運動と化したのです。
柴田とワトソンにとっては、このような展開は挫折を意味しました。ワトソンの挫折はアメリカの日本での“atoms for peace”の挫折を意味しています。しかし彼らは乗り越えることで合意しました。
柴田の後ろには正力がいました。柴田はワトソンに正力を紹介し、正力も“atoms for peace”に乗りました。
正力が何よりも怖れていたのは、日本の共産化です。資源エネルギーがないことで貧困化が進めば、必ず共産革命が起る。そう信じて疑わなかったのです。
ワトソンにすれば、大手新聞社を押さえることが重要でした。「日本人は新聞を読んで自分の意見を構築する」という認識だったので、ターゲットは正力に絞られたのです。
この頃読売新聞は、正力が経営を始める前の5万部から300万分へと大躍進を遂げていたのです。そして第五福竜丸事件の前年の8月、日本テレビが民放として初めて開設されていました。
ワトソン、柴田、正力ラインは、メディアを使い、反核世論を切り崩し、展開を図る戦略に出たのです。

こうした流れを示す資料が残っています。国務省の『第五福竜丸事件以降の対日政策』です。
「日本の核兵器に関する過剰な反応は、日米関係に好ましくない。我が国の核実験の継続はより困難になり、核の平和利用計画も困難になる。そのためには日本人に対する「心理計画」をもう一度練り直す必要がある」

ワトソンの意向は、ホワイトハウスの意向だったのです。

また柴田は、このような手記を残しています。
「現状は、米との友好関係に破局を招きかねない。『両刃の剣』の原爆の反対を抑えるには『毒には毒をもって制す』しかない。原子力の平和利用を歌い上げ希望を与えるしかない」

この二つから、読売とアメリカが、純粋に原子力の平和利用を日本にもたらそうとしたわけではなく、反共産主義と核兵器開発でソ連よりも優位に立つことが主題だったことは明らかです。
このようなアメリカの戦略に、日本政府が本格的に介入する以前から、一企業、それもマスメディアが、リードしていいのでしょうか。読売Gの政治への介入は、今に始まったことではなく、以前から体質的に行われていたんですね。
このことは、やがてアメリカの秘密文書公開で明らかになったように、正力松太郎がCIAのエージェントであったことと関係があると思います。

第五福竜丸事件から半年後、無線長の久保山さんが原爆症で亡くなり、反米・反核運動はピークに達します。ホワイトハウスから、「漁民の死因は、放射能によるものではなく、飛び散ったサンゴの化学作用であるものにせよ」とのお達しが在日アメリカ大使館に届き、外務省にも送られてきました。
このように責任を取らないアメリカを左翼勢力は「戦争勢力」と非難し、「同調する日本の保守政権は同罪である」として政治運動が激しくなりました。

こうした状況についてソ連のフルシチョフ書記長は、後にこう語っています。
「日本はアメリカに対し大きな不安があった。広島、長崎に原爆を落したのは他でもないアメリカだ。被爆者とその家族は、保守政治家に強い不満を持っていた。もしソ連大使館が東京にできれば、これらの人々が大使館に接近してくるだろう」
これは当時のソ連の対日政策を物語っています。ソ連も日本と国交回復を果たしてもいい。そんなニュアンスが読みとれます。(これから2年後の56年『日ソ共同宣言』が調印され、国交正常化)

柴田とワトソンは密会を繰り返します。このような状況を打破するには、決定的なイベントが必要であると合意します。そこで生まれたのが、民間のかたちをとった「原子力平和使節団」訪日計画で、これを広くPRし反核世論を鎮め、変換しようとするものです。
使節団の代表は、初の原子力潜水艦「ノーチラス号」を作ったGD社(ゼネラル・ダイナミクス社)のホプキンス社長を団長とする、著名科学者で構成され、中にはノーベル物理学賞のアーネスト・ローレンス博士もいました。(マンハッタン計画の中心人物のひとり)
ワトソンは、プロデュースと資金提供を柴田に申し出ますが、柴田は断ります。
このことから、読売Gが、いかに原発導入に熱心であったかが窺えます。前述したようにその裏には、反共と核兵器開発の強い肯定があります。

55年1月1日から、読売Gの報道キャンペーンが始まります。読売、日テレに「原子力特別調査班」が置かれキャンペーンの中心となり、使節団受け入れの世論形成に邁進しました。このことは、新聞、TVの二大メディアのよるキャンペーン時代の到来を告げたのでした。

この頃ソ連は、世界初の商業用原子力発電施設を完成させ、ここでもアメリカをリードします。(アメリカはようやく建設に乗り出したところ)
ソ連は諸外国に対し、原子力の平和利用のための技術力援助があることを発表します。

アイク(アイゼンハワー大統領)はこれに対し、国際機関による原子力の一括管理という“atoms for peace”の初期の理念を捨て、西側友好国に対しアメリカが個別的に2国間で協定締結することを打ち出し、協定締結国に濃縮ウランと技術を提供することで、締結国を勢力下に置くことにしたのです。
ここで「原子力の平和利用」という化けの皮が剥がれ、米ソの覇権主義による世界戦略の真の表情が明らかにされたのです。

旧原子力委員会(アメリカ)は、日本政府にも打診。前年には、原子力研究予算として2億3千5百万円を可決。これは「ウラン235」にちなんでいます。この予算案を積極的に邁進したのは、当時改進党議員だった中曽根康弘、稲葉修、齋藤憲三、川崎秀二らで、ここから日本政府の本格的介入が始まります。
しかし、両国にとって第五福竜丸事件がネックでした。
これを終息させるために、アメリカは事件の補償費として200万ドルを日本政府に支払うことで免責させるという政治決着を図りますが、世論はまだ収まりません。しかし、着々と受け入れ準備が進んでいきます。
外務省は、秘密裡に濃縮ウラン受け入れをアメリカに伝えます。

さらに世界は動きます。
補償金が支払われた5日後、ソ連は中国をはじめ、東欧5カ国と(ポーランド、東ドイツ、チェコスロヴァキア、ルーマニア、ハンガリー)2国間協定を結んだことを発表。「核のブロック」をアメリカと同じように作ろうとしました。

国内では、外務省が秘密裡に濃縮ウラン受け入れることをアメリカに側に伝えていたことが、3カ月後の4月に朝日新聞のスクープで明らかになり、国内世論は、受け入れの是非をめぐり、真っ二つに割れ、学術会議も二分され、反対派はアメリカの核ブロックに繰り込まれることを懸念し、自主開発を主張しました。こうした学者たちは、秘密裡に選別され(名簿の名前の上に赤丸を着けられる)、主張し続ける者は主流から外され、多くは長いものに巻かれていきました。

その間2月に、正力は突如、衆院選に富山選挙区から立候補を表明。政界に進出し、政治力と報道力を武器に邁進し続けます。原子力平和利用懇談会を作り、自ら代表世話人にとなり、財界の主要メンバーと学会の賛成派を取り込みながら、次々と政策化していきます。
当時の日本は、慢性的な電力不足で、巨大ダム建設が進められていましたが、コストが大き過ぎて、火力発電所も同様で、さらに将来化石燃料の不足も懸念されており、正力はこうした背景を巧みに使いながら、原発化の道を拡げていきました。
もちろん、報道キャンペーンも忘れません。当時の読売記事に、正力の原子力の安全性を解説したものが掲載されました。
内容は「死の灰も動力機関の燃料に活用できるし、食物や土壌殺菌に使用できる」という今では考えられないような安全性です。核の安全性の認識は、当時その程度だったのか、国民を偽りで洗脳したのか、いずれにせよ杜撰な認識が罷り通っていたのです。

こうした正力らの原発推進キャンペーンにも関わらず、原発運転の可能性はまだまだ先でした。
国家安全保障会議の当時の資料には、
「向こう10年間、競争力のある原発にすることは期待できない。しかし、ソ連は急ピッチで原発開発を進めている。このままではアメリカは冷戦においてリーダーシップを奪われる可能性が高い。電力コストの高い日本は最も有力なターゲットだ」と書かれています。

このことが何を意味しているかは明瞭です。核アレルギーが強く、しかもエネルギー不足に悩む日本が、原発を受け入れれば、安全性が担保されたのも同様、ドミノのように原発を受け入れる国が拡がっていくという期待と戦略です。しかも、さらなる核兵器開発も暗黙の認知を受けたようなものです。
このようにアメリカの戦略はどこまでもしたたかです。

その年の5月、ホプキンスを団長とする「原子力の平和利用使節団」が来日しました。国民向けに平和利用大講演会が、日比谷公会堂で開かれ、読売Gの大キャンペーンの成果なのか、長蛇の行列ができるほどの盛況で、この様子を日テレは、番組変更して生中継します。

そして6月。日本政府も受け入れ、民間(読売G)と政府の姿勢が一致。日米原子力協定が結ばれます。この年の保守合同による初の自民党政権(第3次鳩山内閣)で正力は、北海道開発庁官に就任し、翌年新設された科学技術庁長官と原子力委員会委員長を兼務しました。

このように道を切り拓いた正力は、手記にこう記しています。

「平和使節団が政府を動かすターニングポイントになった。小生がしたことは、冷戦における崇高な使命であると信じている」

やはり正力は、純粋な思いで原子力の平和利用に取り組んだのではなかった。冷戦構造の中で、共産主義化を怖れ、アメリカに与し原子力の平和利用という大義で、巧妙に政治的な思惑を隠しながら、アメリカの目論見どおりに事を運んだのでした。正力にとっての崇高な使命のテーマはここにあったのです。そして副次的に原子力産業が芽生えれば、日本は豊かになる。
日本が豊かになるには、純粋な意味では冷戦は関係ありません。どちらにも与しない選択もあったからです。同じ時期政権にあった石橋湛山は、日本の真の独立、全方位外交を模索していました。

57年東海村で日本初の臨界成功。

58年までにアメリカは39カ国と原子力協定を結ぶ。協定により核の軍事転用が禁止される。
このことは同時に、各国が米ソの核兵器ブロックに組み込まれていくことを意味していました。

57年、国家安全保障会議に提出された報告書にはこう記されています。
「過去3年間、我々の核実験に激しいプロパガンダが行われたが、米の立場は自由主義国の支持を得ることができた。“atoms for peace plan”がもたらしたものは、測り知れないものがある」

まさにアメリカの真意はここにあったわけです。“atoms for peace plan”は、あくまでも核開発の持続と発展のための手段に過ぎなかったのです。そして、“atoms for peace plan”は、アメリカに膨大な利益をもたらしました。技術援助は、無償で行われたわけではなく、巨額な金銭が動き、ここに利権構造が生まれます。アメリカの原子力産業は、軍産複合体が中心で、構成する企業から受注を有利にすすめるために日本の権力者にカネが流れる。斡旋利得が生まれ、カネの競争が活発になる。そうしたカネをひっくるめて最終的に、軍産共同体に渡り、その一部が核兵器開発に回される。もちろんそのカネは税金です。
核兵器開発と“atoms for peace plan”は、双面のヤヌスのようの性格をもって、一心同体となり、日本をはじめ各国は、双面のヤヌスの成長に寄与したのです。
さまざまな功罪をもたらしながら。


61年 IAEA(国際原子力機関)設立。
IAEAが直面したものは、平和利用を装った核兵器開発の疑惑でした。IAEAは今も大国の核兵器保有を認めたまま核査察でも課題を掲げている。

65年 電力化なる。アメリカが予測したように10年後に電力化された。

79年 アメリカのスリーマイル島の原発でメルトダウン事故が発生。周辺で放射能汚染される。
その後、現在までアメリカでは、新たな原発発注が途絶えている。

86年 ソ連(当時)――現ウクライナ――のチェルノブイリ発電所で炉心が制御を失い暴走し爆発。大量の放射能がばらまかれ甚大な被害をもたらす。


そして2011年3月11日 東日本大地震。福島第一原発で事故発生。放射能漏れが続く……






武井繁明





Desert on the Moon - Hiromi Uehara

「未知の領域」で考える―日本人の寛容と協調にはらむ危険

2011年03月26日 | 政治・時事

以前日本人の宗教観を見つめながら、その特徴みたいなものを3回にわたり書いたことがあります。その中で宗教観と日本人の寛容性にふれ、その根源は、自然を構成する存在と森羅万象に神が宿るという自然崇拝――アニミズム――に発しているのではないかと書きました。
アニミズムはやがて八百万の神々を創造し、神道の基礎となり、外来宗教である仏教にも大きな影響を与え、日本仏教を育てました。たとえば、『草木国土悉皆成仏』という考え方が仏教にあります。これは「心を持たない草や木、土や岩石などにも仏性が宿り、成仏する」という意味で、僕はインド発中国経由の仏典の一節かと思っていましたが、実は密教が神道の自然崇拝を取り入れていくうちに生まれた、日本独特の仏教概念です。
このように日本の仏教は、縄文時代から悠久に続くアニミズムを包括しながら進化していきます。
これを可能にしたのは、仏教がインドの多神教的な要素を加えながら進化し拡がっていったことに加え、変化が著しく、類稀な美しい日本の四季が、多様性を生み出し、その多様性の中で暮らしてきた日本人に必然性を持って寛容な心をもたらしたからです。
砂漠のように荒涼な景観と過酷な環境の中では、絶対的なものを求めます。だから砂漠の神として唯一絶対神が生まれやく、その宗教概念も排他的で異端を生み、異端に対しては攻撃的で、非常に取り巻く壁が高い。非寛容の壁です。

日本の四季に発し、アミニズムを包括しながら暮らしてきた寛容な私たちは、自然の脅威に遭遇し、多くの犠牲が生まれ、怯え怖れる時、「神が与えた試練」という観念が生まれ、すべてを受け入れます。自然の脅威は猛威となり、もたらした被害が甚大で、人間が太刀打ちできるものではなく、神の仕業としか思えないからです。まさにアニミズムですね。
自然は膨大な恵みを人間に与えるけれど、ある時は人間と人間が作ったものとその土壌を破壊します。
ここに「畏れ」という意識が生まれ、一方では感謝し、一方では鎮魂に努めます。
また、「試練」とするのは、こうした自然の猛威の後に、人は知恵を生むからです。授けられるという言い方も可能かもしれません。自然の猛威がなければ、新たな知恵が生まれなかったかもしれないという認識が、再生を果たした後生まれるからです。そして喪失を乗り越え、再生へ向かってきた歴史があり、喪失以前よりも強い社会、高い文化を形成してきました。まさに試練でした。

しかし、僕はこうした考え方に警鐘を鳴らします。現代科学文明以前ならそれでもよかったかもしれません。現代科学文明は、いったん何らかの力が加われば、人間がコントロールすることが不可能なすこぶる危険なものまで生み出してしまい、常に自ら作りだした危険と背中合わせの中で生活を営んでいるからです。作用の大きなものは反作用、副作用も大きく、現代科学文明より前と比べものにならないからです。
たぶん、比喩的に「神が与えし苦難。試練。神が教えたいもの」と言っているのだと思いますが、すべてをそこに閉じ込めてしまうわけにはいきません。
最大の理由は、自然の脅威は、常に人災を引き連れてくるからです。現代科学文明は、一方で自然の脅威を防御し緩和させます。しかし、人災がもたらすリスクも高くなっている。
もはや、神のせいにしてはならない、「人間の責任の領域」に入っています。

福島第一原発で起っていることと、地震と津波の被害を同一視してはいけません。地震と津波は天災でも、原発事故は明らかに人災で、「人間の責任の領域」です。
マグニチュード9.0の地震は、確率的に1000年に一度かもしれません。「それに耐えた原発を誇るべきだ」と経団連会長は、会見で「べき論」で言っていましたが、福島の原発のある場所の震度は6で、これは想定内で耐えて当たり前です。
また想定外の津波、未曾有の津波のせいにしていますが、未曾有であっても、想定外と言うにはあまりに杜撰な想定です。
わずか100年前の明治の三陸沖地震では、三陸海岸に38m、24m、14mという津波を記録し、理科年表にも載っているほどです。
鎌倉時代の150年の間には、伊豆・相模湾を震源としたマグニチュード7~8クラスの地震が2度襲い、鎌倉を崩壊させています。もちろん揺れだけではなく津波も襲っています。
室町時代にはわずか30年ほどの間に同規模の地震がこの地方を襲い、この時の津波は大きく、高徳院の大仏殿を流してしまい、鎌倉は全滅しました。以来「鎌倉の大仏」は、屋根のない、「露座の大仏」として、現代に至っています。

自然の脅威は、ある線を超えると防ぎようがないかもしれません。しかし人災は防がなくてはなりません。天災が引き連れてくるリスクが異常に高い人災は、閾値ゼロにしなければならないのです。それが科学です。科学を注ぎこんで生まれる判断です。
多くの人たちが、とてつもない脅威の前に、冷静に判断しましょう。と呼びかけています。
その呼びかけを受け入れ、冷静に判断すれば、「原発は必要ない」という判断が生まれるはずです。

原発への依存度は、全電力の30%ほどで、原発に依頼するため、火力、水力発電を抑制しています。フル活動させるのは、メンテナンスを考えれば現実的ではありませんが、潜在能力として、原発を使わずとも現在の消費電力をカバーできます。
03年には、東電管内の原発を止めた時もありましたが、この時停電は起っていません。
今すぐ、すべての原発を止めろとは言わない。しかし、非常に危険性の高い浜岡原発は、すぐに運転停止しなければいけないし、上関原発の工事を始め計画中の原発は、白紙に戻さなければいけません。「白紙に戻すべきだ」などという不確定的な判断ではなく、僕の確定判断です。
地震列島日本で、TEPCOの「災害に強い、世界に誇れる発電所(原発)を目指して」というコピーは、砂上の楼閣に等しいのです。

ドイツは、原発を止めていました。近々再開する予定でしたが、福島の事故で再開を見わせています。そのドイツでは、シナリオどおり事が進めば、後10年で自然エネルギーによる電力量が、40%に達するそうです。
http://www.bmu.de/english/current_press_releases/pm/47124.php

ニューヨークタイムズは、福島原発事故以来、ウランの価格が30%暴落し、天然ガスに高い注目が集まっている世界の動向から、「福島の原発事故は、基本的に世界のエネルギーの取組みの形状を変えることになるだろう」と論じています。

一方、「危機的な未知の領域」を作ってしまった日本は、未だ“危機的な未知の領域”から、脱出する道を切り拓けていないにもかかわらず、原発推進路線を継続していくことを早くも保安院が会見で述べました。この国の官僚は、国民の生命を考慮の対象から外しているようです。
財界も同じです。この期に及んで原発推進です。

僕が怖れているのは、このような動きに対する、日本人の寛容性です。地震発生直後、「地震でも高いモラルの日本人」として冷静で協調的な対応が、世界から高い評価を受け、称賛されました。たしかにそうなんでしょう。僕もそう思います。
しかし、日本人の寛容性と協調性を考えた時、寛容と協調の中には、同調圧力に強いられてきた歴史があります。そこに生れたのが「長いものには巻かれろ」という処世術で、概して臆病であり、悪い方に同調して正しいことを葬り去ってきた事実もあります。少数の正しい意見を封殺し、多数の誤った判断を受け入れてきた歴史です。

「今福島で何が起っているのか」。この主題に対し政・財・官・報の4つの権力は、誠実に応えていません。3号機の格納容器が破壊している可能性が高い、という発表でMOX燃料が、どうなっているのか?という問いに答えられず、もっとも危険な放射性物質、プルトニウムに言及できないどころか、モニタリングもしていない現実。こうした危機を既存メディアは、踏み込んで伝えないどころか、プルトニウムに関する記事が、さらに少なくなっている現実。
(あまりにも危険な状態であるため、隠蔽している可能性すらある)

福島原発は、首の皮一枚で持っているようなものです。1~3号機で燃料棒の融解の進捗は確実で、冷却を繰り返しても、設計条件を超える圧力と温度が、繰り返し起っている。
2号機でも、格納容器の破壊が一部で起こった可能性が高く、4号炉の使用済み核燃料プールで再臨界が起った可能性も高い。設計条件を超える圧力と温度は、最後の砦である格納容器から、放射能をリークする。破壊していればなおさらのことです。止むことのない放射能の拡がりは、リークしているからです。爆発だけのものではありません。

そして電源が繋がり、冷却装置が働いたとしても、濃度の高い放射能の中で破損を修復することが可能なのか?
冷却装置が働き、格納容器の破損も修復され、炉心冷却が維持されても安定化するまでには、月単位を要する。炉心が冷え、炉心状態が明らかにされるには、年単位、それも7~10年要することが、スリーマイル島の事例をみても明らかです。
その間、濃度の推移はあっても、放射能が漏れ続ける可能性は否定できず、周辺の人たちの暮らしは成り立ちません。

今は、安定しているわけでもなければ、膠着状態でもなく、一時期に比べ、最悪のシナリオが起る可能性が、ほんのわずかに減っただけの状態です。

『今福島第一原発で何が起っているのか』『危険な未知の領域』を今後作らないために私たちはどうしたらいいか。人に流されず判断しなければいけません。


武井繁明



http://www.boston.com/bigpicture/2011/03/japan_one_week_later.html





Dream of the return

月明りで過ごす……スーパームーンの夜

2011年03月23日 | エッセイ
無計画な計画停電が、今のところ休日以外毎日やってくる。スーパームーンの前日、僕が住んでいる区域は、夕方6時半頃から9時近くまで実施された。停電が始まるまでに、家族全員お風呂と夕食を済ませる。僕は、ランタンと懐中電灯と炭火を用意する。やがて照明が消える……

真っ暗になったところで僕は、居間のカーテンを勢いよく開ける。静かな歓声が起る。
東の空から放たれた月明かりが、居間の中程まで鋭角に照らした瞬間……
静かな歓声の後、どよめきは起らない。まるで魔法にかかったように鎮静する。たぶん気の利いた魔法使いの少女が、銀色の魔法の杖をさっと振り、大人にも子供にも安心感を与えたのだと思う。その証拠に夜の停電に不安を感じていたはずの子どもたちの表情から不安が消えている。
テラス窓の上部に見えるスーパームーンに近い月に視線が注がれ、それぞれの表情に、白い明りが注いでいる。
魔法に加え美しく神秘的な明りを放つ月が、“癒し”を与えてくれたようだ。
月はそっと癒し、優しい時間を創ってくれる。

白い月明りの中で、古い年代物の火鉢に熾した炭火が、静かに燃えている。燃えているという表現は正しくない。熾きている、というのが正しい。炭は燃やすものではなく熾すもの。
緋色から赤炭色の熾き火のグラデーションが、重ねた切り炭の間に生まれている。その熾き火を、オフホワイトのシルクのショールのような月明かりが覆う。

優しい沈黙が続いた後、炭火に手をかざしながら、いつもよりトーンの落ちた声で、静かで優しい会話が続いた。
停電も取り組み方によっては捨てたものではない。月明りで過ごす優しい夜……

翌日のスーパームーンの夜も炭火を熾し、照明を消す。そしてカーテンを開ける。昨日よりも少し鮮明な白い光が、家族の顔に注いだ……
その夜は、気の利いた魔法使いの少女は現れなかった。もう不安が生まれることがないと知っていたからだ。こうして、月明りに照らされる優しい夜が始まる。

そして今夜、無計画な計画停電が始まってから二度目の夜の停電が始まる。
すでに準備は整えつつある。炭を熾すのにさほどの時間はかからない。なぜなら僕の趣味は焚き火だからだ。ちゃんとプロフィールにも記載している。
炭を熾すのも、焚き火に含まれる。僕はそう解釈しているし、実際得意中の得意だ。
いずれにせよ、月明りと炭火さえあれば、停電でも優しい夜が過ごせる……


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ランタンの灯りは、停電時ではそれほど珍しくないアイテムだと思いますが、炭火で暖をとる、というというのは、想定外の人もいると思います。
僕の家では、主暖房は石油を熱源とし、温水を回す床暖房です。ただし、L、DKしか施していないので、個室の暖房は、古典的な反射式石油ストーブかエアコンです。
ファンヒーターは、全員喉を痛める傾向にあるので却下。
それぞれの部屋では、それぞれが勝手に、たった2種類という限定的な選択をして過ごしています。

僕も夜ひとりで部屋で過ごすことがある……
僕は1シーズン前の冬から、実は炭火を愛用していたんですね。祖父母が遠い時代に使っていた火鉢から適当なものを選び炭を熾す。
これをPCが置いてあるカウンターの下に置き、手をかざすのではなく足をかざすんです。
頭寒足熱という貝原益軒の『養生訓』的なささやかな暖房……
実はこの暖房、足元は十分過ぎるほど暖かいんだけど、真冬の冷たい夜には背中と手はすこぶる寒い。でも我慢しながら2シーズンを乗り切りました!
頭寒足熱で頭が冴えると思ったけれど冴えぬまま。
こんな暖房は、家族に推薦できても強制はできません。でも、停電の夜は、消極的に賛成してくれた。

僕がなぜこのような愚挙とも言えるような姿勢を貫いたかと言えば、ひとつには趣味が焚き火だから。その温もりと情緒に何とも言えぬ魅力を感じているから。
そして、わりと早く環境共生型の自然素材100%の住まいの設計と施工を実践してきたからです。
環境共生住宅は、省エネでなければいけません。主暖房としての選択肢は炭火に求められないけど、補助暖房としての可能性があるのではないか……そんな実験的な要素もあったのです。

僕がこの地域の環境条件の中で造る住まいに、エアコンは推奨しません。
夫婦の寝室ともう一部屋(たいてい居間に連なる和室)に設置を薦めるだけです。
自然の摂理を活かし、外から入る風と仮に風がなくても、空気が流れる道を作り、室内でささやかな風を生み出し、日影の原理を取り入れ、無垢板や珪藻土など自然素材で内装し、これまた自然素材である羊毛断熱材でしっかり断熱すれば、内陸特有の夏の暑さのこの地域でも、ほとんどエアコンは必要ありません。
(詳細はいずれまた……)
ある家族は、一度もエアコンを使ったことがない。「無駄だった」と言うし、他の家庭も使ってもたいていひと夏10回程度だそうです。

夏はこれでいいんだけど、冬は暖房なし、というわけにはいきません。
僕が推奨するのは、まず薪ストーブ。でもほとんどの人は薪割りは得意じゃない。そういう人には、ペレットストーブ(マンションでも設置可能。わずかな電気を使用し環境に負荷のないペレットを燃やす薪ストーブ型の専用ストーブ暖房)を推奨。
この二つは、50坪くらいの家なら、これだけで暖房は十分!(もちろん2階の個室もOK!というか2階の方が早く暖まる―もちろん、それを可能にする設計が必要です)

これに理解を得られない場合は、床暖房を推奨。しかし、金額的に全室というわけにはいかず、他の暖房が個室で必要となる。
そこで苦慮するわけです。より環境に負荷をかけない暖房とは何か?
こうしたベクトル上に炭火があるんですね。あくまでも補助暖房だけど。それもかなり趣味的な。
趣味の探求は、困難を乗り切ることができる。僕のようにね。そうした期待もあるわけです。

福島では後戻りできないような大変な事態が起り、じわじわと広がりつつあります。
もういいかげん、目を覚ましましょう。自然エネルギーによる生活は、都会でも十分可能です。
晴れた日の昼間、空を見上げてください。そこに半永久的な熱源が見えるでしょう。
システムも整備されつつあります。あとはそれぞれの気持ち次第です。子供たちやそこから続く子孫に厄介な原発エネルギーを引き継ぎさせるのか、安全と安心を与えられるのか……
決めるのは私たちです。







Video clip Mecano Hijo de la luna



心に残るつぶやき―prayforjapan.jp から

2011年03月17日 | 政治・時事
このサイトは、栃木県の避難所にて、停電のなか最初の夜を明かしている20歳の学生によって作られたそうです。世界各地から「#prayforjapan」というタグをつけた「応援のメッセージ」が多数寄せられ、現在も1秒に1回以上のペースで、地球上のあらゆる地域から寄せられており、その累計は100万件以上にのぼるそうです。


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父が明日、福島原発の応援に派遣されます。半年後定年を迎える父が自ら志願したと聞き、涙が出そうになりました。「今の対応次第で原発の未来が変わる。使命感を持っていく。」家では頼りなく感じる父ですが、私は今日程誇りに思ったことはありません。無事の帰宅を祈ります。
@NamicoAoto

イスラエル人にヘブライ語で声を掛けられた。困っていたら知り合いのパレスチナ人が通りすがり、通訳してくれた。「日本は大丈夫か?僕は深く祈るから」と言ってくれた。パレスチナ人とイスラエル人が握手をしてる笑顔に包まれた。涙が出た
@malines_chico

子供がお菓子を持ってレジに並んでいたけれど、順番が近くなり、レジを見て考え込み、レジ横にあった募金箱にお金を入れて、お菓子を棚に戻して出て行きました。店員さんがその子供の背中に向けてかけた「ありがとうございます」という声が、震えてました。
@matsugen

日本のために祈っています.
一つだけである地球そしてその中に住んでいる私たちは皆家族です
心が痛くてずっとなみだが出ます. しかし希望はそばにあります.
Seoul, Korea
@Suyeon725


NHKの男性アナウンサーが被災状況や現況を淡々と読み上げる中、「ストレスで母乳が出なくなった母親が夜通しスーパーの開店待ちの列に並んでミルクが手に入った」と紹介後、絶句、沈黙が流れ、放送事故のようになった。すぐに立ち直ったけど泣いているのがわかった。目頭が熱くなった。
@bitboi

”暗すぎて今までに見たことないくらい星が綺麗だよ。
仙台のみんな、上を向くんだ。”
@現地での会話 @ryoji96

M9.0 世界最大級となったのか。
じゃ、今後復興のためのエネルギーも愛も、
世界最大級にしなくちゃ。
@junyaishikawa

家屋に取り残され、42時間ぶりに救出された高齢の男性の映像。「チリ津波も経験してきたから、だいじょうぶです。また、再建しましょう」と笑顔で答えていた。私たちが、これから何をするかが大事。
@mameo65

避難所でおじいさんが「これからどうなるんだろう」
と漏らしたとき、横に居た高校生ぐらいの男の子が
「大丈夫、大人になったら僕らが絶対元に戻します」
って背中さすって言ってたらしい。大丈夫、未来あるよ。
@nekoshima83

停電すると、それを直す人がいて、断水すると、それを直す人がいて、原発で事故が起きると、それを直しに行く人がいる。勝手に復旧してるわけじゃない。俺らが室内でマダカナーとか言っている間クソ寒い中死ぬ気で頑張ってくれてる人がいる。
@yoh22222

4時間の道のりを歩いて帰るときに、トイレのご利用どうぞ!と書いたスケッチブックを持って、自宅のお手洗いを開放していた女性がいた。日本って、やはり世界一温かい国だよね。あれみた時は感動して泣けてきた。
@fujifumi

2歳の息子が独りでシューズを履いて外に出ようとしていた。「地震を逮捕しに行く!」とのこと。小さな体に宿る勇気と正義感に力をもらう。みなさん、気持ちを強く持って頑張りましょう。@hirata_hironobu

日本全国の皆さん。やさしさを失わないで下さい。弱い人をいたわり、互いに助け合い、許そうとする気持ち失わないで下さい。あなたが不安な時、きっと周りの人も不安なはずです。これが私達の願いです。私達も同じ気持ちで頑張ります。
@ウルトラマン&スタッフ

都心から4時間かけて歩いて思った。歩道は溢れんばかりの人だったが、皆整然と黙々と歩いていた。コンビニはじめ各店舗も淡々と仕事していた。ネットのインフラは揺れに耐え抜き、各地では帰宅困難者受け入れ施設が開設され、鉄道も復旧して終夜運転するという。凄い国だよ。GDP何位とか関係ない。
@rasuku

終夜運転のメトロの駅員に、大変ですねって声かけたら、笑顔で、こんな時ですから!だって。捨てたもんじゃないね、感動した。
@tadakatz

サントリーの自販機無料化、softbankWi-Fiスポット解放、色んな人達が全力で頑張っててそれに海外が感動・協力してる。海外からの援助受け入れに躊躇したり自衛隊派遣を遅らせたりしてた阪神淡路大震災の頃より日本は確実に強い国になってるんだ。
@dita_69

ホームで待ちくたびれていたら、ホームレスの人達が寒いから敷けって段ボールをくれた。いつも私達は横目で流してるのに。あたたかいです。
@aquarius_rabbit

韓国人の友達からさっききたメール。「世界唯一の核被爆国。大戦にも負けた。毎年台風がくる。地震だってくる。津波もくる。・・・小さい島国だけど、それでも立ち上がってきたのが日本なんじゃないの。頑張れ超頑張れ。」ちなみに僕はいま泣いてる。
@copedy

昨日の夜中、大学から徒歩で帰宅する道すがら、とっくに閉店したパン屋のおばちゃんが無料でパン配給していた。こんな喧噪のなかでも自分にできること見つけて実践している人に感動。心温まった。東京も捨てたもんじゃないな。
@ayakishimoto

国連からのコメント「日本は今まで世界中に援助をしてきた援助大国だ。今回は国連が全力で日本を援助する。」
@akitosk

一回の青信号で1台しか前に進めないなんてザラだったけど、誰もが譲り合い穏やかに運転している姿に感動した。複雑な交差点で交通が5分以上完全マヒするシーンもあったけど、10時間の間お礼以外のクラクションの音を耳にしなかった。恐怖と同時に心温まる時間で、日本がますます好きになった。
@micakom

物が散乱しているスーパーで、落ちているものを律儀に拾い、そして列に黙って並んでお金を払って買い物をする。運転再開した電車で混んでるのに妊婦に席を譲るお年寄り。この光景を見て外国人は絶句したようだ。本当だろう、この話。すごいよ日本。
@kiritansu

ディズニーランドでは、ショップのお菓子なども配給された。ちょっと派手目な女子高生たちが必要以上にたくさんもらってて「何だ?」って一瞬思ったけど、その後その子たちが、避難所の子供たちにお菓子を配っていたところ見て感動。子供連れは動けない状況だったから、本当にありがたい心配りだった
@unosuke

駅員さんに「昨日一生懸命電車を走らせてくれてありがとう」って言ってる小さい子達を見た。駅員さん泣いてた。俺は号泣してた。
@oka_0829





stop crying your heart out - oasis - lyrics



今、福島で何が起こっているのか―「未知の領域へ」~チャイナ・シンドローム

2011年03月16日 | 政治・時事
大学に入った年だったろうか、ジェーン・フォンダ、ジャック・レモン、マイケル・ダグラスらが出演した『チャイナ・シンドローム』という映画を見た。“原子力発電所の原子炉が融けだすと、建物だけではなく、地殻をも融かしやがて地球の反対側の中国にまで行きついてしまう”というストーリーの中でのジョークが、そのまま題名になった映画です。
この映画は、核の危険性をストーリー化させただけではなく、危険な核を使用した発電所でいったん事故が起り、経営の持続と利益と保身のために、経営者側が状況と危険性を隠蔽すれば、致命的な危機にまで発展するという教訓的でとても秀逸な作品でした。
翌年だったかな、まるで預言していたかのようにスリーマイル島で炉心融解(メルトダウン)事故があり、秀逸な作品がさらに脚光を浴びたのを覚えています。
それからしばらく経って、ハリソン・フォード主演の『K-19』(2002年)というソ連原潜事故の実話を基にした作品を観ました。
この作品は、些細な事故でメルトダウンを起こしそうなり、危機的な状況の中で、乗組員が被爆覚悟で決死の修復にあたる。というところが最大の見せ場で、核の危険性とともにヒューマニズムを最前線に描いた、これも見ごたえのある作品でした。

今福島第一原発の危機的状況をめぐり、二つの映画の主要テーマが、実際起っていると僕は推察します。

東電と経済産業省・保安院の後手後手に回る要領を得ない記者会見。詳細を明らかにせず、「念のために」を繰り返しながら、事故の状況を大まかに説明し、「微量な放射能漏れは人体に影響がないレベル」を言い続ける枝野官房長官とさらに具体性に欠ける菅総理の会見。
会見の主体となっている、政・財・官は、事態の収拾に向かいながらも、これまでのあまり表に露われていない事実を考えると、人命とは別の何かを守りながら進んでいるように思います。つまり直線的に収拾に向かっていないんですね。

◇本来、どんな状況でも機能しなければならない、そういう約束で作られた原発の二重三重の冷却安全システムが機能しなくなった時、事態の好転に向けてアメリカが、技術的、物質的なサポートを申し出た時、日本側は断っています。それも二度に渡り断ったと言われています。
(東電が、炉の再使用を求めたため、炉が使えなくなる収拾方法を嫌った。人命より経営利益を優先させ、それを政府が容認した)

◇コントロールが効かなくなった原発を抑え、再臨界を防ぐために、冷却の他にホウ酸水を注入しなければならなかったのに、東電は初期段階でそれを行わなかった。
(先述した理由による)

◇多くの人命に関わる危機的、致命的状況にもかかわらず、政・財・官の会見は、今実際「何が起っているのか」「どのような状況でどのような作業が行われているのか」「状況の悪化により招かれる事態はいかなるものなのか」ということを具体的に語っていない。
(パニックによる経済的損失を怖れるあまり、人命を疎かにしている)

◇詳細に与えられない状況の中で、世界レベルに達していない安直な避難指示が行われている。
(この規模の原発の危機的状況では、まず半径30㎞外への避難指示が与えられ、状況により縮小拡大するのが世界レベル。政府は、まず5㎞、10㎞、20㎞へと逆に行ってきた⇒危機管理の未熟さを露呈)

◇枝野官房長官が就任し、官邸の記者会見はフルオープンになったが、この地震を境に、フリー、雑誌、ネット、外国人記者は、参加を認められず、従来の閉ざされた記者クラブだけが参加する記者会見に戻ってしまった。
(政・財・官に加え、報まで思考停止状態。情報の入り口と出口を限定化してしまい、多様な情報が生まれない状況を作りだしてしまった。人命に関わる大事な時だからこそ、多様な情報を国民は得て選択肢が拡がる。さらに既存メディアの最大のスポンサーは、電力会社だという事実)

◇3号機は、使用済み核燃料から取り出されたプルトニウムとMOX(ウラン混合化合物)を燃料としていて、――プルサーマル計画――プルトニウムは、ウランに比べ人体に与える影響が遥かに大きく、長期間にわたる猛毒であること。
このことをこれまでの会見では大きく伝えていない。そしてプルサーマル計画は、日本が一番進めていて、事故も世界で初めてだという事実。

◇地震による東日本の電力不足は、あたかも福島の二つに原発の機能不全によるものだと思わせているような「計画停電」だが、実際は、火力発電所も被害を受け電力量が落ちていること。火力発電を抑制し、原発に依存した体制になっているので電力が不足していること。抑制中の火力発電所の容量を上げれば、電力は不足しないことを大きく伝えていない。
(原発は必要不可欠という認識を与えたいためなのかと思ってしまう。たぶんそうだと思う。実際これまで原発運転を止めたことが2003年にあったらしいが、停電は起らなかった。火力発電と他の発電で十分だった)


1号機、2号機、3号機、メルトダウンが進んでいる可能性があります。こうした報道が昨日あたりからようやく見られるようになりました。このことをまるで預言するかのように、誠実に伝えていた後藤政志さんという、かつて原発の格納容器を東芝で設計していた博士が、地震発生以来実名で、記者会見を行っていますが、ほとんどの既存メディアは、伝えていないと思う。(今日の東京新聞『こちら特報部』で大々的に掲載)
後藤さんが、会見されるのは、「特定非営利活動法人 原子力資料 情報室(CNIC)→反原発団体」とフリージャーナリストによる会見と外国人特派員協会での会見に限られています。
外国人特派員協会では、二夜連続で行われました。外国の記者たちからの注目度が高い見識を持った人なのになぜ既存メディアの記者クラブが会見を主宰しないかと言えば、先にも言ったように彼らの最大のスポンサーは電力会社だからです。
さらに電力会社は、民主党のスポンサー最大手でもあるんですね。

後藤さんの会見の模様は、Ustreamで伝えられていました。普段なら数百人程度でも多い視聴者が、連日3万~5万にも及んでいます。そしてその人たちのコメントは、圧倒的に「目から鱗が落ちた」というようなこれまで知らなかった原発の構造や、「今実際何が起っているのか」という事実を知った新鮮な驚きばかりで、実際、後藤さんが述べていることが、今福島で起こっているという衝撃です。
僕は多くの人たちに後藤さんの話を聴いてもらいたいと思っています。

■14日に行われた外国人特派員協会での記者会見
http://www.ustream.tv/recorded/13320522
■15日に行われた外国人特派員協会での記者会見
http://www.ustream.tv/recorded/13339131


原発反対も推進も容認もなく、多様な情報の中から向かわなければならない方向を私たちは考えなければいけない。多様性の中にしか正しい方向は存在しません。閉ざされている現況を考えるととても恐ろしい感じがしてなりません。閉ざされた報道の中で、メルトダウンは進んでいる。
仮に止められたとしても(止めなくてはなりません)放射能の拡散は、数ヵ月から1年続くと言われています。
海外の報道では、すでにスリーマイル島(レベル4)を超えたレベル5~6(最悪はチェルノブイリのレベル7)に進んでいるという、日本の報道と乖離した報道が早い時点で見られます。

これまで起ってきた悪夢のような現実。そして良い方向へ向かうとは思えない「未知の領域」を僕なりに見つめて思うのは、時代は、価値観のダイナミックな転換を求めている。ダイナミックに価値観を変換しなければならないと感じています。
このことについては、いずれ書きたいと思います。

そしてもうひとつ、映画『K-19』の最大のテーマが、福島で連日続けられていることです。
被曝を覚悟した、決死の冷却活動です。東電の現場職員、技術者。協力会社の現場職員。そして自衛隊とアメリカ軍の精鋭のみなさんが、健康と命を引き換えに悪化し続ける事態を鎮静化させようと壊滅的で危険な現場で、多くの国民の健康と命を護ろうとしている現実。多くの犠牲者を必要とするような現実が、今起こっていることを認識しなければいけません。


武井繁明


*写真はロイターから引用
左:人災で破壊された福島第一原発 右:被曝し隔離された家族とガラス越しに話す婦人。




東日本大地震―福島第一原発「未知の領域へ」

2011年03月13日 | 政治・時事
マグニチュード9.0という、これまでに世界で類を見ない巨大地震に襲われ、命を落とされた方のご冥福を心よりお祈りいたします。またご不明になられた方の一刻も早い救出と被災された多くの人たちの救済が速やかに行われるように、ただ祈るだけです。
祈るだけで言葉もありません。

このような絶望的な状況の中で、自分でできることをささやかにするしかありません。ささやかなそれぞれの行為が、多様性を生み出し大きな力になるはずです。
そう思い無力感を感じながらも、情報を精査し、ツイッターで情報を流しています。
被災地では、ライフラインが破壊され、情報も遮断してしまい、今もそれほど変わらない状態が続いています。壊滅的な被害を受けた気仙沼市では、11日の早い段階から、青森県と岩手県は11日深夜から、他に情報を知らせる術がないので公式にツイッターを採用しました。
ツイッターでは、さまざまな情報が大量に流れています。相変わらずろくでもない情報もありますが、阪神・淡路大震災、中越地震を体験された方や、ボランティア活動された方からの、貴重な情報が寄せられたり、被災地での避難場所、交通情報、炊き出し場所が、グーグルマップを利用して掲載されたり、医療関係による応急手当の仕方が流れたり、医師が「気軽に相談を」との実に数多くの多様な情報が流れています。また、情報を英語、韓国語、中国語に訳してツイートしている人たち。
そしてそれを広めようとリツイーとする人たち。
どれだけ被災者の方たちに届いたか判りませんが、多くの人たちが、励まし、支援していることは伝わっていると思います。一方で、デマが流布していることも事実で、リツイートする際には、確認が必要です。
いずれにしても、今何が起り、どんな状況なのかということを共有し、伝えることも、支援や再興に向けて必要です。

現状の共有ということで、福島第一原発で何が起こり、何が行われているのか。を知ることもとても重要なことです。
ツイッター上でも、反原発の声が大量に流れ、「今はそのような時ではない。被災者をどう救済するかが大切」と戒めたり、「反対なら代替エネルギーを明示しろ」とか実に様々な意見が流れていますが、今福島第一原発で起こっていることを考えれば、これまで原発に興味を持つことなく平穏に暮らしてきた人たちが、実態を知れば、反対の声が起るのは当たり前で、反対活動家にしても、これを機にさらに反対を訴えたくなるは当たり前。それに対し「反対なら代替エネルギーを示せ」とか「原発分のエネルギーを使わない世の中になってから反対せよ」とか、もうこの状態で思考停止ですね。救済という認識は、反対、推進の立場に関わらず共通する思いであることは、容易に推察できるはずです。
反対する人も支持し推進する人も、しなやかに現状を知り、共有することが大切です。
なぜなら、今福島第一原発で起こり、それを何とか止めようとしていることは、これまで人類が経験したことのない「未知の領域」に属するからです。
「未知の領域」と指摘したのは、アメリカの専門家です。

政府発表や報道どおり、福島第一、1号機では、二重三重の自動安全冷却装置が機能しなくなりました。このことはすでに、安全が保障されなければいけない原子炉として、破綻していることを意味します。大地震で原子炉が破綻したことは、日本が原発と共存できる状況ではないことを実証してしまい、二重三重の冷却装置が稼働しなくなった後の人力による制御は、付け足し過ぎず、海水とホウ酸水注入による冷却は、他に選択のしようがない最終的な手段で、実際の事故で初めて行われた「未知の領域」だったのです。
この手段は必ずしもうまくいくとは言えず、再臨界を招く恐れのあるリスクの高い手段です。しかし、もし冷却できず、融解が進み、格納容器が融ければ大爆発を起こし、チェルノブイリと同じような惨劇を招きます。

原子炉は、核燃料とそれを包む圧力容器とさらにそれを包む格納容器と建物で構成されているようですが、福島第一1号機では、炉心で冷却制御を失い、高熱により炉心溶解が起り、その蒸気が格納容器外に漏れ、建物との空間で水素爆発を起こし、建物が骨組みを残しただけで吹っ飛びました。その爆発で建物と格納容器内に充満した放射能を含む水蒸気が放散し、すでに被爆が確認された人もいて、その数は、報道されているように増えています。

人の生命を脅かす状況が起っている現実。「未知の領域」を現在進行している現実を考えれば、原発反対も推進もなく、しなやかな気持ちで現実を知ることが必要です。
でなければ、こうした困難を超えることもできないし、先は見えません。かたちにはまっていては、何も見えてこない。

昨日政府発表の前に、反原発グループ主催の記者会見とその前に、東芝で格納容器を以前設計していた方の独占インタビューが、報道されました。
その方が語っていたことが、その後の官房長官の発表で証明されたことは、とても印象的です。政府の報道を間違いだとは言いません。しかし、具体性に欠けるし、具体性の欠如から、安心感も生まれません。会見も遅いし被災者の人たちの不安も重なります。

昨日の記者会見と独占インタビューは、Ustreamの生中継にも関わらず、5万人を超える人が視聴し、同時に流れる視聴者のコメントは、何が行われているか知ることができて良かった。最悪のケースではないことが分かり安心した。という声が多く、有益だったと思います。
一方で、原発反対グループ主催だから、プロパガンダだというコメントも見られました。
たしかに、会見の前後で反対を訴えていますが、その部分を除いても、元設計者が語る、原子炉の詳細と「今何が起っているのか」という説明をしなやかに共有することは、とても大切だと思います。
生中継から、事実を掴み取るのは、視聴者の体験と知識、思考という力量次第。
この会見を見ずに、内容の一部を知ったとみられる、一部のだけを取り上げ、批判していたツイートを見かけましたが、思考停止以前の話です。しなやかさの欠片もない。

もう一度言います。今私たちは「未知の領域」にいるのだから。


昨日行われた記者会見のアーカイブです。http://iwakamiyasumi.com/
*岩上安身(フリージャーナリスト)オフィシャルサイト

そして、昨日に続き今日も同団体による記者会見が、17時から行われ、上記サイトの9chで生放送される予定です。
ぜひご覧ください。またアーカイブされると思うので、お時間のない方はアーカイブをご覧ください。

こちらは、ロイターによる被災地の画像です。
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-19972320110313




武井繁明




前原問題を考える(2)

2011年03月08日 | 政治・時事
タケセンさんの日記欄から

外務大臣辞任!日本の常識は世界の非常識

■前原外相が辞任…菅政権、大きな危機
(読売新聞 - 03月06日 21:21)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1525373&media_id=20


下のブログの続きですが、

前原外務大臣辞任。

外務大臣の辞任ですので、海外からの目で書きますが、
世界のどこの国民も政府も、なんで辞任したのか、まったく意味不明でしょう。
ずっと日本で暮らしている韓国国籍の在日の人(前原氏の中学時代の同級生)から5万円×4の個人献金を受けたから辞任した。もう!?!?でしかないのですね。
「日本の常識は世界の非常識!」まったく笑いものにしかなりません。

民主党のテイタラクには呆れて言葉もありませんが、辞任に追い込んで勝利の美酒に酔う自民党もおわっています。
民主政治の原理を明確にする実力者は小沢氏ですが、彼も検察とマスコミの「人物破壊」活動により満身創痍です。

うーん、閉じた島国根性。



【私のコメメント】

まったくですね。この程度のことで大臣が辞任するなど世界の常識からすれば異様です。笑われものですよ♪

その一部をウォルフレン氏がBS11で語っています(インタビュー映像)。

http://www.youtube.com/watch?v=UTiQ61yViig
http://www.youtube.com/watch?v=44VIiVm4xzE&feature=related

閉じた島国根性であることを明らかにしています。

お笑いのお兄さんたちは、ご覧になって視野の狭さを改めた方がいいですね♪

コメントは、いずれまた。

【Aさんのタケセンさんと私への反論】要旨

少なくともアメリカ合衆国、韓国、ドイツ、イギリス、メキシコでは
外国人からの献金受け取りは重罪です。それ以外の国で外国人からの
献金なんて大したことないと見なされている国があればご教授願いた
いです。

「日本の常識は世界の非常識!」とありますが、この文脈で世界とは
具体的にどこを指すのでしょうか?抽象的すぎて分かりにくいです。

最後に、閉じた島国根性とはどのような根性なのでしょうか?


ウォルフレンを持ち出すということはオランダの常識
を意味されているのでしょうか?

【私のコメント】

外国人から政治献金を受けることは、その大小にかかわらず、世界の多くの国で違法とされているのは承知しています。
近代法は、コモンセンス―他人への配慮を前提とした公共の場所での秩序維持の感覚でモラルの土台となるもの:広い意味での良識だと理解しています。―が反映され、それは法律だけではなく、行政や社会のシステムの基盤であるはずです。
こうしたことが、民主義国家では”常識的”に組成されているはずです。

こうしたことを考えた時、父を亡くし転居してた中学生の頃から、親身に面倒を見てくれた在日韓国人の女性から、年間5万円、計25万円の政治献金を受けたことが、議員を辞すことに繋がるのか?
ある種の厳罰主義的な考えの下では、罰金刑と公民権の停止が当たり前のように該当しますが、そこまで厳罰すべき事件なのか。
モラルの土台たるコモンセンスは、このような問題に外務大臣を辞職まで求めるのか。
ましてや、永住権を持ち、日本社会で生活し、教育を受け、税金を支払っている人からの政治献金を、法律の条文どおり違法として、処罰することが、モラルの構築にどう影響するのか。

確かに違法ですが、広く社会の現状を考えた時、”許容”される部分も多いのではないでしょうか。僕は許容されなければいけない部分もあると思います。
それはタケセンさんが、指摘しているとおりです。

今回、前原さんは指摘された事実をほぼ認めています。十分反省した上で返金し、政治資金収支報告書を修正すればそれで終わり。
だと僕は思います。その程度です。

既存メディアの異常な加熱と異常な政局偏重報道。それを鵜呑みにし感情的になり煽動する一部の国民。受動的にしか報道と接することなく、能動的に情報を集め、自ら思考しない、思考後退し、煽動の風に流される国民。辞任、辞職へ追い詰める世論。政敵を追い詰めるだけしか脳がない政治家。
これは前原さんだけではなく、最近では小沢さんや石川議員、元秘書にも同様に向けられました。
こんなことは、欧米の民主国家ではあり得ません。
まず政治の安定と国益を大事にします。この程度のスキャンダルで、ましてや、通常国会中議員辞職を求めるなどあってはならないことです。
ウォルフレンさんは、こうした日本の現実を欧米ではあり得ないことだと指摘しています。オランダの常識ではありません。それほど狭いジャーナリストではありません。

もし、政治資金規正法が外国人違法献金に求めているように、25万円受け取ったことで、外国からの(この場合、韓国)の影響を受け、前原さんが職務を行っていたと明確に証明されれば、その時辞任と議員辞職を求めればいいこと。また法の解釈では、故意に受け取ったこと(政治資金規正法と刑法の解釈の合併解釈)で違法となりますが、故意であるかどうかも明らかにされていません(前原さんは、故意ではなかったと主張)。このことはここでも、近代刑法の推定無罪の大原則が、疎かにされます。

また今回の大臣の辞任で、政治資金規正法に、その主旨を大幅に越えた、政治家の生殺与奪権を与えてしまったことは憂慮すべきです。
政治家を貶めることが、たった25万円でできる前例を作ってしまったわけですから。
果たして、良識的な判断だんだったでしょうか。
野党も既存メディアも国民も、そして前原さんも。


【ネトウヨと思われるBさんの私への反論というか言いがかり】

>>父を亡くし転居してた中学生の頃から、親身に面倒を見てくれた

何を根拠に言ってるの?
もしかして、妄想?

>>民主義国家では”常識的”に組成されているはず

『はず』って…根拠のない思い込みを自信ありげに言ってて恥ずかしくない?

>永住権を持ち、日本社会で生活し、教育を受け、税金を支払っている人からの政治献金

永住権ではなく、永住資格。
勝手に権利を得たと混同させるのはよくないね。
で、生活も教育も日本がさせてあげてるだけだから。
税金はその土地で衣食住を実現させるために必要な設備インフラ等への対価。
税金を払っていようと、決して権利が発生するものではない。
理解できた?

アナタね。50才を過ぎててその程度の思考なの?
50年間何して生きてきたのか逆に知りたくなるね。

もしかして、家族とかいちゃったりする?
子供作ったりした?

adult childrenのまま子供作るとまたどうしようもないのが出来るからね。

ホント頼むよ。


【私の反論というか質問】

はじめまして。

あなたは、人権を侵害することが恥ずかしくないですか。人間として。
最後の部分の文面をあなたは書きながら、何も感じないですか?
どんな思いを自分自身に向けて書きましたか?
人の人権を侵害する内容をこのような場で、人の目に晒すことにどんな思いを持って書いたのでしょうか?

人を公然と貶めることは、気持ちいいですか?
人を必要以上に揶揄するはどんな気持ちなんでしょうね?
人の人格を蔑にすることが、必要でしょうか?人が持つべき思考ですか?
あなた、恥ずかしくないですか?自分自身に対しても生命を授け、育てていただいた親御さんに対しても。
もし子供さんがいらっしゃれば子供さんに対しても。
どんな場であれ、どんな立場の人であれ、人権を侵害し貶めるような言動を行う者は、まず人として評価されませんよ。
そんな基本的なことは、誰でも解るはずです。人として当たり前に身についていなければならないものですから。

まず、そのことを真摯に考え、私に対して謝罪する気持ちがあれば、出直してください。
議論はそれからです。

この場をお借りすることは、タケセンさんから了解を得ていますので、遠慮なく来てください。
できれば、実名記名をしていただき言葉や文面の責任の所在を明らかにしてください。
ここまで人権を侵害できるわけですから、その覚悟は当然お持ちかと思います。


武井繁明


【Aさんのタケセンさんと私へのコメント】

タケセンさん反論いただきありがとうございます。

おそらくはタケセンさんと私の議論は平行線に終わると感じました。
そして私は性悪説の立場、タケセンさんは性善説のお立場かと
存じます。

「1910年以降日本は韓国を併合し、朝鮮人を日本人に同化させる政策をとりました。その影響で今日多くの在日韓国人が日本で暮らしています。彼らの多くは、日本の学校に通い、日本で生活・仕事をし、税金その他も同じく負担しています。現実的・実際的には彼らは「日本人と変わらぬ社会人」(=「公民」)として日本で生きています。 」

とありますが、ここに私は疑問を呈せざるを得ません。朝鮮を併合したのは
事実でしょう。そして1945年、彼らが独立を果たしたことも事実です。
不幸な歴史と取るか、いや日本は朝鮮の発展のためによくやったという
主張を取るか、彼らは事実上の良き公民であると取るかはこの問題では
関連する事柄とは思えません。大阪人の私には、在日の友人も多数います。
公民を語るなら彼らはみな、良き公民です。しかしあえて私は問いたい。

「立法府によって定められた法律に明白に違反していることを立法府の
議場において現職の外務大臣が認めてしまった。」これが私が今回、
前原辞任を是とする決定的な部分です。

議会の権威を考えるときにこれを覆させることは即ち、
議会政治の終焉となる考えます。

タケセンも仰るように外国人の献金が違法となっている以上、
ここに手心を加えるべきではない。大半の国でこれが重罪である
とされている「世界の常識」とするならばなおのことでしょう。

要約すると私の立ち位置はこの二点、即ち「議会で認めた」
「献金者が外国籍であった」という二点です。

>C-Moonさん

上記に書いた二点こそが私の今回の辞任を是とする理由です。

この在日の方が前原を親身に世話をしたかどうかは私の知りえない
情報ですが、このような情報を書かれたとしても私個人の判定基準
には入ってきません。

C-Moonさんほどのインテリならばご存知の話と思いますが、
「蟻の一穴」や「冷たい鼻の駱駝」を危惧するために世界中で
外国人からの献金が禁止されているのでしょう。

ウォルフレンの動画は見ましたが、どこをどうみればこれ即ち
「世界の常識」となるかをご説明願いたい。当方の宜しくない
頭脳では理解できなかったものでして。「欧米の常識=世界の常識」
という趣旨でしょうか?もうひとつ納得できません。

25万円で罠に嵌めれると仰っているようですが、逆に、献金時の
チェック体制を「議員は公人であり法律でも厳罰に処されますから
国籍をチェックさせていただきます」というチェック体制の強化に
繋げることができるのではと私は考えています。


【タケセンさんのAさんへのコメント】

わたしは、上記のような「形式を最優先する思考」を根本的に改めないと、人間・社会問題の解決を志向する能動的な取り組みは不可能であると考えています。
その考えは、わたし自身の子育て、35年間の独自の教育実践、家庭内難問への助力と解決、日本オラクル(株)の経営哲学の創造、我孫子市政の改革を支えた思想の構築等々、わたしの豊富な経験がもたらす「確信」です。

その具体的経験に裏打ちされた「確信」に耳を傾けるか否かは、もちろんあなたの自由ですが、わたしは、いままで「形式論理」に囚われている人の精神を解放することで、多くの「徳」と「得」を現実につくりだしてきたのです。

なお、「形式論理」と「弁証法的論理」については、以下をご参照ください(コメント欄も含めて)。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1635729848&owner_id=548859
Aさんの回心を期待します。顔を合わせてじっくりお話できればよいですね。


【私のAさんへのコメント】

ウォルフレンさんのインタビューは近著の『アメリカとともに沈みゆく自由世界』の内容がテーマですから、読み取りにくいと思います。
インタービューの中で小沢さんの一連の報道について、根拠の薄い検察の情報をろくに検証もせず、あたかも国家反逆罪のようなネガティブ報道が、世界では異様に映っている。理解しがたい現象である。というふうに語っています。
ウォルフレンさんが言う世界は、言論の自由を保障されている国家だと僕は認識しています。言論の自由を保障されている国家ということで民主主義国家、民主主義を先導した欧米諸国、欧米諸国という表現の仕方か、可能と思います。僕はこうした認識で書きました。つまり、小沢ネガティキャンペーン自体、それをそのまま受け取り世論を形成した日本は、言論の自由が保障されている国から見れば、異様に映る。常識的に考えられない。ということです。

言論の自由な国は、自由な主張に対応する寛容が求められ、寛容がなければ、自由な主張は成り立たず、寛容の中にこそ、自由で停滞のない思考が生まれると思います。日本の既存メディアもそれを受ける国民も寛容でしょうか。もし寛容の中で生まれるしなやかな思考があるならば、小沢ネガティブキャンペーンは生まれなかったし、国民は受け入れなかったでしょう。もっと検察批判が生まれてもよかったし、メディアが異常に感じたはすです。
この国の既存メディアは、世界レベルの報道をしていません。日本では記者クラブ制度という、排他的で閉鎖的なシステムの中で記事が生まれ、排他的で閉鎖的なシステムから生まれた情報を、受動的にただ受けている国民は、結局思考停止している。こうしたことも、世界から見れば異様なわけです。日本的な記者クラブは、他にはジンバブエにしかないわけですから。
聡明なAさんのようにズバッと書けなくて申し訳ありませんが、世界の常識という表現は、こういうことだとお含みください。

そして今回の前原問題も同じ構図の中にあります。前原問題は、在日韓国人からの違法献金だけではなく、フロント企業と思われる企業からの献金(パーティー券購入)もほぼ同時に問題となっていますが、既存メディアの扱いは、違法献金に集中し、パーティー券問題は、さほど問題にしていないように感じます。違法性からなのでしょうか。しかし、問題の根は、僕はパーティー券問題の方が深いと思っています。
さらに、外国人の個人献金ばかり取り上げられていますが、外資50%までの企業献金は、許されています。
僕は現時点では、政治資金規正法が求める主旨のひとつ―外国の政治的影響の排除―は、前原さんが一個人から受けた25万円の違法献金よりも、外資50%までの企業献金がもたらす影響の方が大きいと思っています。これによって前原さんが免責されるという意味ではありません。違法は違法ですし、適法は適法です。しかし形式でなく実態と本質を問わねばなりません。

既存メディアは、こうした問題をあまり取り上げず、ピンポイント的に在日韓国人女性からの違法献金を取り上げる。(例えば辞任の記者会見では、パーティー券問題を質問したのは、フリー記者一人だけで、既存メディアの記者は、まるで花道を飾るような質問ばかりでした)
小沢ネガティブキャンペーンと同じように、思考停止している状況の中でワイワイ騒いでいるだけで、これが世界的に非常識だと僕には映るわけです。周辺の問題をしっかりメディアが取り上げ、視聴者に問わなければいけないと思います。
そして前原さんも、辞任することでパーティー券問題と沈みゆく泥船内閣から逃げようとしているように感じます。上手く既存メディアが作りだした流れに乗ったというか。この意味でも辞めさせることなく、小沢さんに執拗に望んだようにしっかり説明責任を果たし、真相を明らかにさせなければならなかったと思います。

僕は「政治とカネ」の問題意識が、政治の停滞を招いていると思います。「政治とカネ」という呪文を唱えられたら、呪文の意味が分からなくてもみんな黙ってしまい(思考停止)、政治空間の言論も制御を失い、失墜している状況。政治資金規正法というザル法が独り歩きし、罰罪だけが強化され、狭量な社会的制裁―社会的いじめ―が生まれ、政治状況を悪化させていると思います。
これもウォルフレンさんが言っていることですが、政治家のスキャンダルは、欧米では寛容でスキャンダルによる政治の停滞を嫌い、すぐさま辞任には結びつかないし、日本のような社会的ないじめはない。
僕もこのような観点から、在日韓国人女性から受けた、25万円の違法献金は、現時点では、形式的に発生する厳罰に値する問題ではなく、むしろ政治的停滞のほうが国益を損失していると思います。

武井繁明




前原問題考える(1)

2011年03月08日 | 政治・時事
mixiでマイミクであるタケセンさん(武田康弘氏―白樺教育館館長・哲学者http://www.shirakaba.gr.jp/index.htm)がmixi日記欄に書かれた前原問題を紹介し、僕のコメントを掲載しながら、前原問題を考えてみる……

異常なマスコミ報道=前原問題
献金 前原氏は辞任要求に反論
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1524851&media_id=4


もはや、わが国のマスコミは「ヒステリー」としかいえない事態に陥っているのではないでしょうか。
前原問題もその一つです。
わたしは、前原氏の政治思想・実践への批判者ですが、そのことと今回の献金事件とは別次元の話です。

読売新聞の記事(朝日も同様)を読んでわたしは呆れました。なんという愚かな内容か。

「献金額が少ないとか、故意ではないからとかいって、簡単に免責されるような問題ではない。前原外相が参院予算委員会で、京都市に住む在日韓国人の女性から政治献金を受け取っていたことを認めた。政治資金規正法は、外国人や外国法人から政治活動に関する寄付を受けることを禁止している。日本の政治が外国から干渉・影響されるのを防ぐためである。特に、故意に寄付を受けた場合は、禁錮や罰金、公民権停止などの罰則の対象になる。
外相は、自ら把握する献金は5万円だとし、今後、返金して政治資金収支報告書を訂正する考えを示した。だが、自民党の西田昌司氏は予算委で、4年間で計20万円を受け取っていたと指摘した。
この在日韓国人からの献金の全容と、他の外国人からの政治献金の有無について、外相は速やかに調査し、公表すべきだ。
外相は、在日韓国人との付き合いは中学生時代からだが、献金を知ったのは予算委の前日だとして故意の受領を否定している。外国人からの政治献金が違法であることは政界の常識である。まして前原外相は今、日本外交を統括する立場にある。本人が本当に知らなかったとしても、事務所が安易に献金を受け取ること自体が問題であり、外相の監督責任は免れない。民主党の岡田幹事長が言うような「事務的ミス」として、片づけて済ませるべきではあるまい。」(読売新聞)


ここに記されている通り、この法律は、「外国からの干渉を防ぐために」、という目的でつくられたものですが、今回の前原氏に対する献金が、外国からの干渉・影響になると思うならマンガでしかないでしょう。国籍上は韓国人であれ、幼いころからずっと日本人と同じ生活している人からの小額の献金が、日本政治への干渉になると本気で思う人がいるなら、「病気」としか言えません。

もちろん、日本国籍でない人からの献金が違法であることは確かですから、それがわかった時点で返却し、謝罪する必要はあります。

また、事務所が献金を受けた時に、その人の国籍を確かめる作業をしなければならないというのも変です。5万円の寄付をしてくれた人に、あなたは日本国籍ですか?と尋ねるなどは、あり得ない話でしょう。

こんなことで大騒ぎするのは、理性=思考力と現実感覚がない証拠ですが、あまりのバカバカしさにただ呆れるだけです。批判的思考力を養わないと、こういう愚かなマスコミ人に踊らされてしまいます。


武田康弘


【私のコメント】

きっと、個人献金する際は、日本国籍を証明する証書を提出すべきだ。なんて言うんでしょうね。

ツイッターでも一時騒然となり、前原糾弾!がタイムラインを占めていましたが、早くも落ち着いて、既存メディアの異常な加熱を諌め、問題の核心に触れるツイートが多くなりました。
既存メディアが一点集中し加熱する時は、他に隠したいそれ以上の問題がある。というのは現代政治を俯瞰的に眺めていれば、自然と学習できることで、学習の成果の表れとも言えます。

この視点で言うと、隠さなければならない大きな問題は、フロント企業の可能性の高い団体からの政治献金問題だと思います。
こちらでも、前原さんは名前が挙がっていますが、他には蓮舫、野田の民主党議員。渡辺喜美みんなの党代表が、挙げられ本人たちも認めています。
こちらの問題をリークしたのは総務省で、総務省に働きかけられるだけの政治的な大きな力が働いています。
ほぼ同時に、自民党の西田議員が、前原さんの外国人献金問題を参院予算委員会で糾弾しました。
この二つの問題は、個別的な問題ですが、関連しあっていると思います。つまり、西田議員を走らせた大きな力と総務省にリークさせた大きな力が、ぶつかった状態だと僕は思います。
この大きな力というのは、政治の地下水脈に流れている力で、ふだん表に現れず、水脈が枯れるに至るような状況に接した時働くのだと思います。
三井環さんを貶めた力の背景を考えると容易に推察でき、今回も似たような力が働いたのだと思います。

僕が思うのは、外国人違法献金問題よりも、4人の政治家の名前が挙がった問題の方がずっと大きな問題で、こちらが明らかになり問題の発掘作業が進むと、与野党を問わず、政界に大激震が走る要因を持っているのではないか。ということです。

外国人違法献金は現行法上違法ですから、前原さんは小沢さんに執拗に求めたように”説明責任”を今度は自ら果たさなければならないし、何らかの責任は取らなければならないと思います。しかし、既存メディアとそれを鵜呑みのしている、狭量な熱血漢が叫ぶように、即辞任にもましてや議員辞職に繋がるような問題ではなく、小沢さんが言うように、政治の責任の取り方は自ら果たすべきで、前原さんに任せるべきだと思います。
その程度の問題だと思うのです。(タケセンさんの見解に全面的に同意します)
前原さんを国会に送った有権者と前原さんが相談して決めればいいこと。
僕は前原さんの政治家としての資質にも政治姿勢にも、極めて批判的で、これまでも日記に書いてきました。だからこの際辞任してくれればと心情的に思うのですが、冷静さは失いたくありません。前原さんを庇うのではなく、その程度の問題だからです。

フロント企業と思える企業から献金を受けた渡辺喜美さんは、同じ穴の狢のくせに、外国人違法献金を追求し前原さんに辞任を迫っています。
二つの問題の関連性を象徴する言動で、外国人献金問題を最上段に引き上げ、フロント企業問題を矮小化させようとする流れを象徴する最たるものです。
これで仮に前原さんが辞任して手打ちとなれば、もう片方の政界全体を揺るがすと推察できる問題は、忘れ去られていくでしょう。
僕は、これを恐れます。
既存メディアの異常な加熱に乗っている場合ではないと思うのです。
前原さんの首ひとつ取っても、政界の地下を覆っている闇は消えないはずです。

またこうしている時も、辺野古移設で、飛行ルートの日米合意が行われ、『年次改革要望書』に代わる『日米経済調和対話』http://bit.ly/fq3c2Aのアメリカ側の要求が明らかになり、公取委が企業合併基準の緩和を発表しました。6日の「規制仕分け」の項目http://bit.ly/fA3mKpも発表。
なぜか内容が一致しているんですね。これはTPP加盟に向けての露払いに他なりません。

前原さんの首ひとつに過熱に注目しているところで、果たして国益になるのか?という重要な案件の手続きが次々と行われています。
前原さんの首切りを叫んでいる人たちには、大海を見渡してほしいですね。


武井繁明