風の回廊

風を感じたら気ままに書こうと思う。

山川草木悉皆成仏―自然の恵みを活かす(3)

2011年06月17日 | エッセイ
東京新聞の『こちら特報部』という欄の下の文化欄に、毎週月曜日、哲学者であり、歴史、仏教研究家でもある梅原猛さんのコラムが掲載されている。そこで最近たびたび見るのが『山川草木悉皆成仏(さんせんそうもく しっかいじょうぶつ)』という仏教の教えです。

この言葉を初めて知ったのは、五木寛之さんのエッセイだったと思う。五木さんも梅原さんと同じように何度も書かれているので、どの作品に掲載されていたか覚えていないが、いずれも心に響く書き方をされていました。
たぶんその時、大きく共振した僕は勝手に思い込んでしまったのでしょう。『涅槃経』にある『一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょう しつうぶっしょう)」=“生きとし生けるものは、すべて仏になろうとする心を持っている”という教えをより具体化した、インド由来のものだと、さすがインドは、古代より奥行きの深い自然を大切にする思想を持っているな……と思い、縄文時代のアニミズム(すべてのものには、精霊が宿る)が、脈々と流れる日本人の自然観と融合し、日本人が、外来の仏教を理解を深めた理由のひとつなんだろうな……と思っていました。

しかし、梅原さんによればそうではなく――それを知り、僕も僕なりに調べてみたのですが――もともとインド仏教では、有情のものは動物に限られ、植物は無情のもので、成仏(煩悩という執着から解かれ、覚醒し、輪廻から解放され仏陀となる)できるのは、人間を含む動物に限られ、山や川や草木までも(自然を構成するあらゆるもの)広範囲に成仏できるとしていなかった。
このことから、『山川草木悉皆成仏』という考えは、アニミズムと融合したというよりも、アニミズムが根底にあり、アニミズムが生み出した日本仏教独自のものと言えるのだと思いました。

さらに『山川草木悉皆成仏』というのは、1960年代頃から言われ始めたもので、その始まりは、どうやら梅原猛さんにあったようです。
梅原さん以前は『山川草木悉皆仏性』『草木国土悉皆成仏』と平安から室町にかけての仏典関連書に記され、梅原さんの告白によれば、『山川草木悉皆仏性』の仏性(完全に執着から離れてはいないが、成仏の道を歩んでいる)よりも“成仏”とした方が、訴える力が強いという理由で『山川草木悉皆成仏』と言ったとのことです。このあたりは、さすが独創的な歴史解釈で読者を「あっ」と肯かせることに長けた梅原さんらしいです。
(『隠された十字架―法隆寺論』や『水底の歌』は、特に興味深い)

さて、『山川草木悉皆仏性』『草木国土悉皆成仏』『山川草木悉皆成仏』は、空海の密教を取り入れた最澄が起こした天台教学の進化の中で確立していくのですが、その解釈の奥行きは深く広く、奥行きの深さは、先に書いたように、縄文時代から悠久に流れる、自然は恵みをもたらすものであり感謝し、同時に脅威を与えられ怖れ、畏敬し受容する存在という、自然との共生感が底流に流れる日本人の自然観に仏教哲学が融合していることにあります。

アジアモンスーン地帯でも日本の自然は、類稀な美しさを有する四季と豊潤さを持っていて、同時に台風の通過地点であり、狭い国土に急峻な山脈が、列島を脊髄のように南北に位置しているという独特の地形から、水害を中心にさまざまの自然災害で甚大な被害を受け続けている。そんな列島が、世界でも類を見ない地震多発帯の上に形成されている。
恩恵をもたらす自然は、それぞれ豊饒の神として、災害をもたらす自然の脅威は、それぞれ荒ぶる鎮魂しなければならない神として、アニミズムから発展した八百万の神々として祀られるようになり、やがて神道として成立しました。

こうした背景と仏教哲学を自分なりに咀嚼しながら『山川草木悉皆成仏』を考えると、自己と自然の関係が、語られているのだと知りました。
自然と自己は、けして切り離せるものではなく、自己の内的進化とその完成と自然の完成は、常に繋がり連動しあい、自然のひとつひとつが、自己と自然を超える、究極の生命に貫かれている。
また、自己と自然の関わりだけではなく、自然のひとつひとつは、あらゆる存在と関係し、その成果が自然の一個体である自己に還元される。そして、自然のひとつひとつは、人間とは別の種類であるにせよ、ひとつの意識体――魂を持った存在――として自己と深く関わりあっている。

これを現代的な言葉や考え方にひと言で置き換えるとすれば、「自然との共生、生物多様性」と言えるのではないかと思います。そして同時に日本人の宗教観、自然観の根源ではないかと思うのです。

厳しい自然環境の中で生まれた唯一絶対神を祀る宗教は、多様性や寛容性に欠け、独善的な色彩が濃くなり、一元的な価値観を生み、人間中心主義が過剰となり、自然を克服する中で文明が形成されるとし、自然を征服した後、学問や科学や芸術が生まれるものだという意識を生み、実行されます。

森林を例にすれば、古代ローマ帝国が、ヨーロッパを征服する前のヨーロッパ大陸は、そのほとんどが深い森に覆われていましたが、わずか300年余りの間にそのほとんどを意図的に消滅してしまい、平原と化したのです。
日本は、ローマがヨーロッパを征服した時代から現在まで、地形の違いはあれ、ほとんど変わらない山林面積を維持している。このことは奇跡と言っていいかもしれません。

しかし奇跡は、直観的にある日突然起るものではなく、持続の中に生れます。日本人は木を伐採したら植える。植えたら手をかけて育む。成長したら伐り使用する。という人の手を介在した循環する森林を連綿と持続させてきたのです。
しかし残念ながら、現在の日本は、古の人たちが蓄え保持してきた自然資産を食い潰しているだけの状況が続いている……
食い潰しているというのは、少し語弊があるかもしれませんが、需要の80%もの量を外国からの輸入物に頼り、海外の山林を荒廃させ、豊富にある国産材が使われず、経営的に疲弊してしまった日本の山林経営者は、伐採期を過ぎた森林を放置せざるをえなくなり、持続されてきた循環が止まり、経営も森林も荒廃してしまった状態……
つまり日本の自然の恵みを活かしきれていないのです。

梅原さんも五木さんも、21世紀に世界の環境を救う思想の鍵となるのは、『山川草木悉皆成仏』だと言っています。ここがポイントです。
                                   C-moon



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キリストの恵みを歌った曲ですけど♪



Hayley Westenra - Amazing Grace (Live)



土に返す。土に還る―自然も恵みを生かす(2)

2011年06月15日 | エッセイ
地球上に存在するものは、すべて自然の恵みとそれによって出来上がったものと言えるでしょう。ただし、生物である人間にとってその資源は、そのままでは使いものにならず、何らかの手を加えて初めて人間の生活に役立つものになります。第二の生命を得た瞬間です。
そして第二の生命を得た時、人間と環境に影響を与え、その影響は、人間を中心に据え、人間からの距離でおよそ量ることができます。

1)木や草など、普段人間が簡単にふれることができる身近な植物系資源は、ほとんど手を加えることなくそのまま建築材料として使うことができます。
これらは、木材(無垢材=化学的処置を施していないもの)、竹材、畳、葦材、紙、布(綿、麻)、天然塗料として住まいで使われます。
◆再生資源である。◆光合成をして酸素を作り二酸化炭素を吸収し、炭素を蓄えている。◆製品化の過程でエネルギー量が少ない。◆人体への悪影響が少ない(気の遠くなるほどの年月の中で、含まれる化学物質を人体が受容している)などの長所があげられます。そして、◆そのまま土に返しても害にならないこと。◆再利用し(リユース)してとことん使いきり土に還ることが可能です。

2)次に土や砂や石などの鉱物系資源ですが、人間との距離が近い土と砂は、わずかに手を加えるだけで壁材として使うことが可能です。土の種類により、またそれぞれの地方でその特徴を活かした土壁として、それぞれの呼び方で呼ばれています。
瓦の原料となる粘土も、人間から比較的距離が近いところにあり、それほど手を加えることなく瓦になります。石もそのまま使える材料として活かされます。
日本古来の漆喰壁となる原料の石灰石もわりと近い所に位置しています。
これらの鉱物資源は、植物系資源に比べれば、建材になるまでのエネルギー量も必要ですし、再生率も劣りますが、人体に影響がなく、そのまま土に返すことができます。

同じ鉱物系材料でも、金属・ガラス系の鉄骨、鉄製品、アルミ製品、ステンレス製品、ガラス、銅製品、ガラス繊維断熱材、ロックウール断熱材(アスベストを含まな)などは、製品になる過程でも、再生するためのエネルギーも、廃棄処分するためのエネルギーも膨大な量の化石系資源(石油、天然ガス、石炭、ウラン)を必要とします。
土に返しても、環境に悪影響が生まれ、土に還るにも相当な年月を要します。特にアルミニウムの精錬では、膨大なエネルギーを必要とするので、再生資源として取り扱わねばならず、再生に必要なエネルギーは、イニシャルエネルギーコストに比べ約1000分の1で済むのもその理由です。
なおコンクリートの主剤であるセメントは、金属系と土、砂系の中間辺りにあります。

ここまででお解りと思いますが、人間との距離が近いほど、人に優しく自然への負荷もかかりません。距離があるほど、人は馴染めず、環境に負荷を与えます。

3)もうひとつ、化石系資源があります。鉱物系資源よりも量的に少ない有限資源で、その量の多くを、20世紀に、それも一握りの国々で使ってしまいました。
原料としては石油で、ビニールクロス、有機溶剤系塗料、化学接着剤、プラスチック製品、化学樹脂製品、塩化ビニール、発泡ウレタン、ポリエステル、ビニール製品、防虫材、防腐材などの製品となります。これらは

◆製品化の過程で大量の化石系エネルギーを必要とする。◆再生する時、製品化の時以上の化石系エネルギーを必要とする。◆再生を繰り返しても、その都度エネルギーを必要とし、最終処分で土に返そうとしても、土に還ることなく、製品として人体に悪影響を与え、再生の過程でも、廃棄処分でも人体と環境に重大な負荷を与えます。


いかがですか。画用紙の真ん中に直線を引き、人の絵を描き、木や草、石を描いてみましょう。
地面から下は、理科で習ったとおり、それぞれの資源が眠っている深度にそれぞれの絵を描いてみましょう。想像でもいいです。人から遠い資源(物質)ほど、人は馴染めず、現実的に負荷を与えています。

日本は豊かな森林に恵まれ、その文化の特徴は、「木の文化」です。木をもっとも有意に効率よく合理的に住まいを始め、身の回りの製品として使ってきたのが日本人です。

たとえば、森林王国、木材の一大産地吉野(奈良)では、良質の木材をとった後の材から酒樽を造り、さらに余った木端から割り箸を造ってきました。あるいは杉や桧の皮は屋根材として、杉の葉からは御線香も作られ、小さな枝や葉は薪となりました。
酒樽は一定の役割を果たすと、醤油樽へ、さらに一定の役割を果たすと味噌樽へとして使いきりました。最後は燃料です。
木に蓄えてきた炭素は、最終的に燃料となり、初めて二酸化炭素として排出されます。

これは吉野の例ですが、かつて日本国中でこうした使われ方がなされていたのです。
日本国中で、第二、第三の生命としての役割を与え、果たし続けてきたのです。二酸化炭素を視点として見れば、純粋の木造住宅が並んだ集落や街そのものが、炭素を蓄える第二の森として長い年月機能していたのです。
人間にも他の生物にも、地球にもほとんど負荷を与えることなく。

私たちは、科学万能の時代に、大量のエネルギーを費やし、大量開発⇒大量生産⇒大量廃棄という、循環機能を喪失したシステムの中で暮らしてきました。今もほとんど変わりません。
このシステムは、そのまま環境破壊、健康被害をもたらします。地球も私たち人間も他の生物も疲れ切り、みずみずしさを失っています。
すでにある部分では、取り戻すことのできない状況になっています。しかし、まだまだ取り戻せるチャンスも取り戻せる分野もたくさんあります。
私たちが、身の回りのものを求める時、あるいは、今後の方向性を考える時、「土に返す。土に還る」というこの言葉と意味が、ヒントになるはずです。

僕は、「未来への責任」「子孫への責任」と大それた、それも情緒的なことを言っていますが、必ずしも大それたことではなく、情緒的なものでもなく、極めて現実的で、確実に実行できる立場にあり、その立場を求め、実行し、築いてきました。
それは苦もなくとても楽しく、常に「創意工夫」があり、我を忘れ没頭していく中で、「感美遊創」という“遊び”=“歓び”を身に着けました。
そうした“歓び”が転じて、“ささやかな責任”に変化したのです。楽しい責任の果たし方です。プレッシャーはありません。

住まいは、ひと世代ではなく、“永く暮らしやすく”なければ、人の元に渡せません。それには遠くを見据えた視線と取り組みが必要です。これは僕のような仕事に就いている者だけではなく、誰にでも可能な視線であり、取り組みです。少し考え、少し意志的に、ささやかに実行していく気さえあれば、そして実行すれば、ひとつのせせらぎとなり、やがて大きな流れになり、みずみずしさを創ることが可能です。

いかかがですか。ぜひ身の回りで、自然の恵みを活かしてください。


C-moon


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ナターシャ・グジー
ウクライナ生まれの彼女は、6歳の時チェルノブイリの事故に会い、「3日間避難してください」と行政に言われるままに、家族と3日分だけの食糧を持って避難しましたが、その後村に還ることなく、村は失われてしまいました。
こうした経過の中で彼女自身も被曝してしまい、その後音楽の道を歩み、今音楽を通じて被曝者を励まし、原発の不条理を語り、福島の人たちにも優しく語っています。



ナターシャ・グジー Nataliya Gudziy - Itsumo Nando Demo (Always With Me)



村上春樹の言葉―非現実的な夢想家として 

2011年06月10日 | 政治・時事
スペイン、カタルーニャ自治州政府が、人文科学分野で国際的に貢献した人に贈る『カタルーニャ国際賞』が、9日現地で、村上春樹さんに授与されました。
国際的な賞を受賞した時、受賞者のスピーチに注目が集まるわけですが、村上さんは『エルサレム賞』を受賞した時(09年2月16日)も、封鎖されたガザ地区へのイスラエルの無差別的な攻撃もあり、受賞の是非も含め注目され、賞を受けたことから国内では多くの人たちによって批判されました。
そんな空気の中、エルサレムへ出かけ、受賞し、ペレス大統領他、イスラエルの指導的役割を果たしている人たちの前で「壁と卵」を暗喩として、イスラエルのパレスチナ人への対応を批判、普遍的で根源的な平和の問題、体制と個人の関係とその問題を次のように述べました。

―私たちは皆、多かれ少なかれ、卵なのです。私たちはそれぞれ、壊れやすい殻の中に入った個性的でかけがえのない心を持っているのです。わたしもそうですし、皆さんもそうなのです。そして、私たちは皆、程度の差こそあれ、高く、堅固な壁に直面しています。その壁の名前は「システム」です。「システム」は私たちを守る存在と思われていますが、時に自己増殖し、私たちを殺し、さらに私たちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させ始めるのです。―

―私たちは、国籍、人種を超越した人間であり、個々の存在なのです。「システム」と言われる堅固な壁に直面している壊れやすい卵なのです。どこからみても、勝ち目はみえてきません。壁はあまりに高く、強固で、冷たい存在です。もし、私たちに勝利への希望がみえることがあるとしたら、私たち自身や他者の独自性やかけがえのなさを、さらに魂を互いに交わらせることで得ることのできる温かみを強く信じることから生じるものでなければならないでしょう。―
 
―このことを考えてみてください。私たちは皆、実際の、生きた精神を持っているのです。「システム」はそういったものではありません。「システム」がわれわれを食い物にすることを許してはいけません。「システム」に自己増殖を許してはなりません。「システム」が私たちをつくったのではなく、私たちが「システム」をつくったのです―
(エルサレム賞授賞式でのスピーチから引用)

このスピーチは多くの人たちの共感を呼び、受賞を決意した時の批判勢力を沈黙させたことになりましたが、今回の受賞でも、震災を受けた国の国際的な作家としてスピーチが注目されました。
今現在、各社とも全文を入手していないみたいなので、共同通信が発表した要旨を掲載します。
と書いているうちに全文を各社一斉に発表したので、写し変えます。


【バルセロナ共同】作家の村上春樹さんがカタルーニャ国際賞の授賞式で行ったスピーチの全文。

「非現実的な夢想家として」

 僕がこの前バルセロナを訪れたのは二年前の春のことです。サイン会を開いたとき、驚くほどたくさんの読者が集まってくれました。長い列ができて、一時間半かけてもサインしきれないくらいでした。どうしてそんなに時間がかかったかというと、たくさんの女性の読者たちが僕にキスを求めたからです。それで手間取ってしまった。

 僕はこれまで世界のいろんな都市でサイン会を開きましたが、女性読者にキスを求められたのは、世界でこのバルセロナだけです。それひとつをとっても、バルセロナがどれほど素晴らしい都市であるかがわかります。この長い歴史と高い文化を持つ美しい街に、もう一度戻ってくることができて、とても幸福に思います。

 でも残念なことではありますが、今日はキスの話ではなく、もう少し深刻な話をしなくてはなりません。

 ご存じのように、去る3月11日午後2時46分に日本の東北地方を巨大な地震が襲いました。地球の自転が僅かに速まり、一日が百万分の1・8秒短くなるほどの規模の地震でした。

 地震そのものの被害も甚大でしたが、その後襲ってきた津波はすさまじい爪痕を残しました。場所によっては津波は39メートルの高さにまで達しました。39メートルといえば、普通のビルの10階まで駆け上っても助からないことになります。海岸近くにいた人々は逃げ切れず、二万四千人近くが犠牲になり、そのうちの九千人近くが行方不明のままです。堤防を乗り越えて襲ってきた大波にさらわれ、未だに遺体も見つかっていません。おそらく多くの方々は冷たい海の底に沈んでいるのでしょう。そのことを思うと、もし自分がその立場になっていたらと想像すると、胸が締めつけられます。生き残った人々も、その多くが家族や友人を失い、家や財産を失い、コミュニティーを失い、生活の基盤を失いました。根こそぎ消え失せた集落もあります。生きる希望そのものをむしり取られた人々も数多くおられたはずです。

 日本人であるということは、どうやら多くの自然災害とともに生きていくことを意味しているようです。日本の国土の大部分は、夏から秋にかけて、台風の通り道になっています。毎年必ず大きな被害が出て、多くの人命が失われます。各地で活発な火山活動があります。そしてもちろん地震があります。日本列島はアジア大陸の東の隅に、四つの巨大なプレートの上に乗っかるような、危なっかしいかっこうで位置しています。我々は言うなれば、地震の巣の上で生活を営んでいるようなものです。

 台風がやってくる日にちや道筋はある程度わかりますが、地震については予測がつきません。ただひとつわかっているのは、これで終りではなく、別の大地震が近い将来、間違いなくやってくるということです。おそらくこの20年か30年のあいだに、東京周辺の地域を、マグニチュード8クラスの大型地震が襲うだろうと、多くの学者が予測しています。それは十年後かもしれないし、あるいは明日の午後かもしれません。もし東京のような密集した巨大都市を、直下型の地震が襲ったら、それがどれほどの被害をもたらすことになるのか、正確なところは誰にもわかりません。

 にもかかわらず、東京都内だけで千三百万人の人々が今も「普通の」日々の生活を送っています。人々は相変わらず満員電車に乗って通勤し、高層ビルで働いています。今回の地震のあと、東京の人口が減ったという話は耳にしていません。

 なぜか?あなたはそう尋ねるかもしれません。どうしてそんな恐ろしい場所で、それほど多くの人が当たり前に生活していられるのか?恐怖で頭がおかしくなってしまわないのか、と。

 日本語には無常(mujo)という言葉があります。いつまでも続く状態=常なる状態はひとつとしてない、ということです。この世に生まれたあらゆるものはやがて消滅し、すべてはとどまることなく変移し続ける。永遠の安定とか、依って頼るべき不変不滅のものなどどこにもない。これは仏教から来ている世界観ですが、この「無常」という考え方は、宗教とは少し違った脈絡で、日本人の精神性に強く焼き付けられ、民族的メンタリティーとして、古代からほとんど変わることなく引き継がれてきました。

 「すべてはただ過ぎ去っていく」という視点は、いわばあきらめの世界観です。人が自然の流れに逆らっても所詮は無駄だ、という考え方です。しかし日本人はそのようなあきらめの中に、むしろ積極的に美のあり方を見出してきました。

 自然についていえば、我々は春になれば桜を、夏には蛍を、秋になれば紅葉を愛でます。それも集団的に、習慣的に、そうするのがほとんど自明のことであるかのように、熱心にそれらを観賞します。桜の名所、蛍の名所、紅葉の名所は、その季節になれば混み合い、ホテルの予約をとることもむずかしくなります。

 どうしてか?

 桜も蛍も紅葉も、ほんの僅かな時間のうちにその美しさを失ってしまうからです。我々はそのいっときの栄光を目撃するために、遠くまで足を運びます。そしてそれらがただ美しいばかりでなく、目の前で儚く散り、小さな灯りを失い、鮮やかな色を奪われていくことを確認し、むしろほっとするのです。美しさの盛りが通り過ぎ、消え失せていくことに、かえって安心を見出すのです。

 そのような精神性に、果たして自然災害が影響を及ぼしているかどうか、僕にはわかりません。しかし我々が次々に押し寄せる自然災害を乗り越え、ある意味では「仕方ないもの」として受け入れ、被害を集団的に克服するかたちで生き続けてきたのは確かなところです。あるいはその体験は、我々の美意識にも影響を及ぼしたかもしれません。

 今回の大地震で、ほぼすべての日本人は激しいショックを受けましたし、普段から地震に馴れている我々でさえ、その被害の規模の大きさに、今なおたじろいでいます。無力感を抱き、国家の将来に不安さえ感じています。

 でも結局のところ、我々は精神を再編成し、復興に向けて立ち上がっていくでしょう。それについて、僕はあまり心配してはいません。我々はそうやって長い歴史を生き抜いてきた民族なのです。いつまでもショックにへたりこんでいるわけにはいかない。壊れた家屋は建て直せますし、崩れた道路は修復できます。

 結局のところ、我々はこの地球という惑星に勝手に間借りしているわけです。どうかここに住んで下さいと地球に頼まれたわけじゃない。少し揺れたからといって、文句を言うこともできません。ときどき揺れるということが地球の属性のひとつなのだから。好むと好まざるとにかかわらず、そのような自然と共存していくしかありません。

 ここで僕が語りたいのは、建物や道路とは違って、簡単には修復できないものごとについてです。それはたとえば倫理であり、たとえば規範です。それらはかたちを持つ物体ではありません。いったん損なわれてしまえば、簡単に元通りにはできません。機械が用意され、人手が集まり、資材さえ揃えばすぐに拵えられる、というものではないからです。

 僕が語っているのは、具体的に言えば、福島の原子力発電所のことです。

 みなさんもおそらくご存じのように、福島で地震と津波の被害にあった六基の原子炉のうち、少なくとも三基は、修復されないまま、いまだに周辺に放射能を撒き散らしています。メルトダウンがあり、まわりの土壌は汚染され、おそらくはかなりの濃度の放射能を含んだ排水が、近海に流されています。風がそれを広範囲に運びます。

 十万に及ぶ数の人々が、原子力発電所の周辺地域から立ち退きを余儀なくされました。畑や牧場や工場や商店街や港湾は、無人のまま放棄されています。そこに住んでいた人々はもう二度と、その地に戻れないかもしれません。その被害は日本ばかりではなく、まことに申し訳ないのですが、近隣諸国に及ぶことにもなりそうです。

 なぜこのような悲惨な事態がもたらされたのか、その原因はほぼ明らかです。原子力発電所を建設した人々が、これほど大きな津波の到来を想定していなかったためです。何人かの専門家は、かつて同じ規模の大津波がこの地方を襲ったことを指摘し、安全基準の見直しを求めていたのですが、電力会社はそれを真剣には取り上げなかった。なぜなら、何百年かに一度あるかないかという大津波のために、大金を投資するのは、営利企業の歓迎するところではなかったからです。

 また原子力発電所の安全対策を厳しく管理するべき政府も、原子力政策を推し進めるために、その安全基準のレベルを下げていた節が見受けられます。

 我々はそのような事情を調査し、もし過ちがあったなら、明らかにしなくてはなりません。その過ちのために、少なくとも十万を超える数の人々が、土地を捨て、生活を変えることを余儀なくされたのです。我々は腹を立てなくてはならない。当然のことです。

 日本人はなぜか、もともとあまり腹を立てない民族です。我慢することには長けているけれど、感情を爆発させるのはそれほど得意ではない。そういうところはあるいは、バルセロナ市民とは少し違っているかもしれません。でも今回は、さすがの日本国民も真剣に腹を立てることでしょう。

 しかしそれと同時に我々は、そのような歪んだ構造の存在をこれまで許してきた、あるいは黙認してきた我々自身をも、糾弾しなくてはならないでしょう。今回の事態は、我々の倫理や規範に深くかかわる問題であるからです。

 ご存じのように、我々日本人は歴史上唯一、核爆弾を投下された経験を持つ国民です。1945年8月、広島と長崎という二つの都市に、米軍の爆撃機によって原子爆弾が投下され、合わせて20万を超す人命が失われました。死者のほとんどが非武装の一般市民でした。しかしここでは、その是非を問うことはしません。

 僕がここで言いたいのは、爆撃直後の20万の死者だけではなく、生き残った人の多くがその後、放射能被曝の症状に苦しみながら、時間をかけて亡くなっていったということです。核爆弾がどれほど破壊的なものであり、放射能がこの世界に、人間の身に、どれほど深い傷跡を残すものかを、我々はそれらの人々の犠牲の上に学んだのです。

 戦後の日本の歩みには二つの大きな根幹がありました。ひとつは経済の復興であり、もうひとつは戦争行為の放棄です。どのようなことがあっても二度と武力を行使することはしない、経済的に豊かになること、そして平和を希求すること、その二つが日本という国家の新しい指針となりました。

 広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような言葉が刻まれています。

 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」

 素晴らしい言葉です。我々は被害者であると同時に、加害者でもある。そこにはそういう意味がこめられています。核という圧倒的な力の前では、我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。その力の脅威にさらされているという点においては、我々はすべて被害者でありますし、その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、我々はすべて加害者でもあります。

 そして原爆投下から66年が経過した今、福島第一発電所は、三カ月にわたって放射能をまき散らし、周辺の土壌や海や空気を汚染し続けています。それをいつどのようにして止められるのか、まだ誰にもわかっていません。これは我々日本人が歴史上体験する、二度目の大きな核の被害ですが、今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。我々日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、我々自身の国土を損ない、我々自身の生活を破壊しているのです。

 何故そんなことになったのか?戦後長いあいだ我々が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう?我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?

 理由は簡単です。「効率」です。

 原子炉は効率が良い発電システムであると、電力会社は主張します。つまり利益が上がるシステムであるわけです。また日本政府は、とくにオイルショック以降、原油供給の安定性に疑問を持ち、原子力発電を国策として推し進めるようになりました。電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました。

 そして気がついたときには、日本の発電量の約30パーセントが原子力発電によってまかなわれるようになっていました。国民がよく知らないうちに、地震の多い狭い島国の日本が、世界で三番目に原発の多い国になっていたのです。

 そうなるともうあと戻りはできません。既成事実がつくられてしまったわけです。原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは電気が足りなくてもいいんですね」という脅しのような質問が向けられます。国民の間にも「原発に頼るのも、まあ仕方ないか」という気分が広がります。高温多湿の日本で、夏場にエアコンが使えなくなるのは、ほとんど拷問に等しいからです。原発に疑問を呈する人々には、「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。

 そのようにして我々はここにいます。効率的であったはずの原子炉は、今や地獄の蓋を開けてしまったかのような、無惨な状態に陥っています。それが現実です。

 原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかった。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。

 それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、そのような「すり替え」を許してきた、我々日本人の倫理と規範の敗北でもありました。我々は電力会社を非難し、政府を非難します。それは当然のことであり、必要なことです。しかし同時に、我々は自らをも告発しなくてはなりません。我々は被害者であると同時に、加害者でもあるのです。そのことを厳しく見つめなおさなくてはなりません。そうしないことには、またどこかで同じ失敗が繰り返されるでしょう。

 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」

 我々はもう一度その言葉を心に刻まなくてはなりません。

 ロバート・オッペンハイマー博士は第二次世界大戦中、原爆開発の中心になった人ですが、彼は原子爆弾が広島と長崎に与えた惨状を知り、大きなショックを受けました。そしてトルーマン大統領に向かってこう言ったそうです。

 「大統領、私の両手は血にまみれています」

 トルーマン大統領はきれいに折り畳まれた白いハンカチをポケットから取り出し、言いました。「これで拭きたまえ」

 しかし言うまでもなく、それだけの血をぬぐえる清潔なハンカチなど、この世界のどこを探してもありません。

 我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。

 我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。たとえ世界中が「原子力ほど効率の良いエネルギーはない。それを使わない日本人は馬鹿だ」とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験によって植え付けられた、核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだったのです。

 それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の取り方となったはずです。日本にはそのような骨太の倫理と規範が、そして社会的メッセージが必要だった。それは我々日本人が世界に真に貢献できる、大きな機会となったはずです。しかし急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、その大事な道筋を我々は見失ってしまったのです。

 前にも述べましたように、いかに悲惨で深刻なものであれ、我々は自然災害の被害を乗り越えていくことができます。またそれを克服することによって、人の精神がより強く、深いものになる場合もあります。我々はなんとかそれをなし遂げるでしょう。

 壊れた道路や建物を再建するのは、それを専門とする人々の仕事になります。しかし損なわれた倫理や規範の再生を試みるとき、それは我々全員の仕事になります。我々は死者を悼み、災害に苦しむ人々を思いやり、彼らが受けた痛みや、負った傷を無駄にするまいという自然な気持ちから、その作業に取りかかります。それは素朴で黙々とした、忍耐を必要とする手仕事になるはずです。晴れた春の朝、ひとつの村の人々が揃って畑に出て、土地を耕し、種を蒔くように、みんなで力を合わせてその作業を進めなくてはなりません。一人ひとりがそれぞれにできるかたちで、しかし心をひとつにして。

 その大がかりな集合作業には、言葉を専門とする我々=職業的作家たちが進んで関われる部分があるはずです。我々は新しい倫理や規範と、新しい言葉とを連結させなくてはなりません。そして生き生きとした新しい物語を、そこに芽生えさせ、立ち上げてなくてはなりません。それは我々が共有できる物語であるはずです。それは畑の種蒔き歌のように、人々を励ます律動を持つ物語であるはずです。我々はかつて、まさにそのようにして、戦争によって焦土と化した日本を再建してきました。その原点に、我々は再び立ち戻らなくてはならないでしょう。

 最初にも述べましたように、我々は「無常(mujo)」という移ろいゆく儚い世界に生きています。生まれた生命はただ移ろい、やがて例外なく滅びていきます。大きな自然の力の前では、人は無力です。そのような儚さの認識は、日本文化の基本的イデアのひとつになっています。しかしそれと同時に、滅びたものに対する敬意と、そのような危機に満ちた脆い世界にありながら、それでもなお生き生きと生き続けることへの静かな決意、そういった前向きの精神性も我々には具わっているはずです。

 僕の作品がカタルーニャの人々に評価され、このような立派な賞をいただけたことを、誇りに思います。我々は住んでいる場所も遠く離れていますし、話す言葉も違います。依って立つ文化も異なっています。しかしなおかつそれと同時に、我々は同じような問題を背負い、同じような悲しみと喜びを抱えた、世界市民同士でもあります。だからこそ、日本人の作家が書いた物語が何冊もカタルーニャ語に翻訳され、人々の手に取られることにもなるのです。僕はそのように、同じひとつの物語を皆さんと分かち合えることを嬉しく思います。夢を見ることは小説家の仕事です。しかし我々にとってより大事な仕事は、人々とその夢を分かち合うことです。その分かち合いの感覚なしに、小説家であることはできません。

 カタルーニャの人々がこれまでの歴史の中で、多くの苦難を乗り越え、ある時期には苛酷な目に遭いながらも、力強く生き続け、豊かな文化を護ってきたことを僕は知っています。我々のあいだには、分かち合えることがきっと数多くあるはずです。

 日本で、このカタルーニャで、あなた方や私たちが等しく「非現実的な夢想家」になることができたら、そのような国境や文化を超えて開かれた「精神のコミュニティー」を形作ることができたら、どんなに素敵だろうと思います。それこそがこの近年、様々な深刻な災害や、悲惨きわまりないテロルを通過してきた我々の、再生への出発点になるのではないかと、僕は考えます。我々は夢を見ることを恐れてはなりません。そして我々の足取りを、「効率」や「便宜」という名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。我々は力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」でなくてはならないのです。人はいつか死んで、消えていきます。しかしhumanityは残ります。それはいつまでも受け継がれていくものです。我々はまず、その力を信じるものでなくてはなりません。

 最後になりますが、今回の賞金は、地震の被害と、原子力発電所事故の被害にあった人々に、義援金として寄付させていただきたいと思います。そのような機会を与えてくださったカタルーニャの人々と、ジャナラリター・デ・カタルーニャのみなさんに深く感謝します。そして先日のロルカの地震の犠牲になられたみなさんにも、深い哀悼の意を表したいと思います。
(引用終わり)


菅直人の終焉 ―アメリカ発 小沢一郎の最後通告

2011年06月04日 | 政治・時事
5月27日、米紙ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)に小沢一郎インタビューが掲載された。(以下敬称略)
http://jp.wsj.com/Japan/Politics/node_242207?mod=LatestCoBrand#

内容的には、震災対応をめぐる問題点の指摘と内閣批判で的を射た指摘と一定の覚悟が感じられるが、小沢さんは率直に語る部分とひじょうに曖昧に語る部分があり、特に直近未来の自分の行動をぼかしながら語るので、いつものとおりなのかな……と思った。
インタビューの最後はこんなふうに締めくくられているのだが

Q:最後に、菅総理はどのぐらい総理の座にとどまるとみているか。

A:一日でも早く代わった方がいいと思う。

僕はこの発言を見ても、野党による内閣不信任案決議への小沢Gの同調か?というその時点での報道には懐疑的だった。
しかしながら、戦後日米関係史の中で、アメリカ発の示唆的な記事の後には、日本で改革や混乱が起ることがしばしばあったので(ロッキード事件が代表格)時期が時期だけに、語る人が、一兵卒とはいえ、日本の政界でもっとも影響力を持っている小沢だからツイッターにこんな言葉を残した。

『WSJの小沢さんインタビューだけど、アメリカ発というところに小沢さんの今の苦悩があるように思える。一方でアメリカ発の記事は、変革や混乱を示唆することがあるので経過を注視しようと思う』

僕はこの時、深読みし過ぎ、「変革や混乱」は、普天間基地移設問題やTPPの問題を巡るものではないかと思っていた。
しかし実際は、小沢はWSJで語ったことをストレートに行動に変換し起こしたのだ。

野党が起こす内閣不信任案に政権党の議員が同調するのは、党の倫理から言えば反逆行為で、当然除籍対象となる。もちろん小沢は覚悟の上で、その際は新党設立も視野に入れていた。
小沢Gの若手が新党結成と選挙資金の心配をすれば「金は俺が何とかする」と言いきっていたとの後の報道からもその覚悟が窺える。
しかしながら、仮に不信任案に同意した70数名の議員で構成される新党が生まれたとしても、それは民主党内にとどまることに遠く及ばない弱体化した政策集団となり、政策が反映されないことは小沢自身がいちばんよく知っていることは、これまでの小沢の歩みを見れば容易に推察できる。
政権党である民主党を改革するには、自民党ではできないのだから。
そこに小沢の苦悩と覚悟が見える。

最悪なのは、不信任案が可決され、菅が、総辞職せず、首相の伝家の宝刀である「解散総選挙」に打って出ることだ。この場合、空白はさらに深い空白を招き、被災民は政局の犠牲となる。
地方選挙も行われていない中で、およそ現実的ではない解散総選挙であるが、菅執行部が示唆したとおり、不信任案が可決されれば「6月14日解散」に向かっていたことは事実で、菅という人間が、なりふり構わない非情な人間であることは、実証済みであるから可能性は高かった。
自民党にしても小沢Gにしても、また菅執行部もこのことをいちばん怖れ、ここに至らない道を模索した跡が窺える。
ここに、小沢とすれば党を分裂させないやり方で菅直人という、およそ国のリーダーの資質を持たない、また人間性の面で見ても懐疑的にならざるを得ないひとりの政治家をそのトップの座から引きずり下ろすことが肝要だったことも容易に推察できる。

今回のクーデターを多くの人は批判する。世論調査でも89%の人たちが小沢の行動を良しとしていない。震災で危機的な状況にあり、被災地もそこで暮らす人たちの生活の目途が経っていない時期に、政局にうつつを抜かしている場合ではない、政治的な空白を作ってはならないと言う。

しかし残念ながら、このような指摘は誤りであり、菅内閣と執行部がこれまで行ってきた事実とその流れを把握していないと言わざるを得ない。
結論的に言えば、菅内閣と執行部は、「政治を行っていない。特に震災以降の実行力の欠如は甚だしく、菅直人が国のトップにいることが政治空白そのものである」
これは僕の指摘にとどまらない、大手メディアのジャーナリストも含めて多くのジャーナリスト、政治関係者(永田町)の見解である。

第一次、 第二次、第三次菅内閣で何が示され、何を実行してきたでしょう?
秋の臨時国会では自ら招いた参院選敗北で生まれたねじれ現象で、史上最低数の法案化にとどまった。
自民党政権時代も何度もねじれ国会があったが、このようなことはなかった。なぜなら与野党激しく国会でやり合いながらも、周到な話し合いが水面下で行われ、双方の折り合いがつけられる地点を出し合い、立法化してきた経緯がある。しかしながら、菅執行部はこれを古いやり方だと行わず「野党の皆様に協力していただきたい」と言うだけで、国会でガチンコを行い、不毛の国会が続いている。現在もそれは同じだ。
そして、何ら精査されず次々に出てくる、その場で思いついたような、本人だけがバラ色だと思っている政策。その最たるものがTPPだ。
そして財務省の政策という服を着ている、与謝野薫という本来の民主党から対極にある、「増税による財政再建」強行論者、それも思想的に相容れない議員を非常時とは言えない段階で内閣に迎えたことは何を意味するのか。
3月11日からも、増税による財政再建は変わっておらず、鮮明のままである。
「社会保障のための」というが、実体は、天下りの温床である独立行政法人の存続と運営のためである。

これだけではない。その日暮らし的に菅が思い付いた政策は、不毛のまま新たな不毛を呼んでいる。
菅執行部は、党首討論直前まで(不信任案を提出が決められるまで)、国会の延長は積極的ではなく、通年国会をまったく考えていなかった。今国会を終わりにし、長い夏休みに入ろうとしたのである。このような危機的状況の中で、である。もちろんその間、議員それぞれは、復旧、復興に向けた活動を行なうのであろうが、それ以前に通さなくてはいけない、議論を重ねなくてはならない法案が山済みされている。
予算関連法案が通らなければ、復興特別債などにも影響が生まれるし、本来なら3月末日をもって通さなくてはならない法案なのだが、6月に入った今も通っていない。
野党は最終的に賛成せざるを得ないが、菅は相変わらず「野党の皆様に協力をお願いし~」とぼそぼそ、うだうだ言うだけで何の誠意も感じられない。

こうした不毛の国会のままそれを修正運営できないことは、リーダーとしての資質が著しく欠如しているからだと言わざるを得ない。そして滑稽とも醜態とも言えるのが、不信任案が出されると知るや、それも可決するかもしれない情勢になったところで、田中真紀子らがこれまで求めていた通年国会をようやく口に出し「通年国会となる見通しなので、どんどん法案を出していただきたい」と言い出す始末で呆れてしまった。
このことは菅にすれば、被災地のことなどどうでもよく、自らの保身だけが彼の興味だと、解釈されても仕方がない。
菅は「全力で取り組む」「取り組んでいる」と言ったが、多くのジャーナリストが、疑問視している。

つまり、菅直人と執行部は、人類最大の危機に直面しているその時期に、その当事国のリーダーでありながら、復旧・復興ビジョンを示すこととその実行、外交をせずに、長い休みに入ろうとしていたのである。
これを空白と言わず何が空白なのか。菅直人とその執行部の姿勢こそ、政治的空白だと僕は断定する。菅直人とその執行部を、その座から引きずり下ろすことが、空白を埋めることになり、
小沢とそのグループ、賛同者70数名と不信任案を出した自公の考えはこの一点で一致し、集約した。

菅直人の最大の欠点は何か。それは自ら意志決定できないひ弱さにある。同時に責任をとることに怯えもしている。意志決定できる範囲は限られ、自らの地位の獲得と保全に関わる部分に集中する。それは執行部も同じである。
ここに多くの人が嫌う、権力闘争の根源があるはずなのに、このことに気づいていない人たちが多い。だから小沢クーデターを非難し、菅延命を擁護する意見に流れる。
この時期に一致協力して、事に当たることが大切だと。
残念ながら、これまでの三度の組閣を見れば明らかだが、菅は身内しか使おうとしない排他的そのものの人事が現実的にあり、震災に対応する人事もまったく同じ傾向にある。
いったい菅のどこに協力すればいいのか?
多くの人は、事の本質を見失っている……

「菅直人の存在が空白だ」という本質を見極める具体例として
SPEEDIが長く公開されなかったことがあげられる。菅直人は3月12日に極めて個人的な理由でSPEEDI情報を取り寄せ、使った疑いがもたれている。本人は否定しているが、状況証拠は揃っている。
菅が取り寄せた12日の午前中の段階で、SPEEDIが示していた予想汚染地帯の人たちを避難させていたら、被曝した人たちは、ずっと少なかったはずで、将来の健康被害への不安も今よりずっと少なかったはずだ。
その日からのSPEEDIの結果を重視していたら、具体的根拠のない円状の避難区域設定ではなく、よりきめ細かな避難区域設定ができていたはずだ。また広く発表していれば避難の根拠や、放射性物質防御の根拠が明らかになり、もっと徹底した放射性物質から身を護る生活ができたはずだ。
SPEEDIを公開しなかったことは、「人間だから誰でもする失敗」のうちに入らない。
これは政治家にとって、国のトップとして致命的な責任である。
これを実行できず隠していただけでも、菅政権はその場から降りなければならない。
この所業を空白と言わず何が空白なのか。
(SPEEDIの公開については、鳩山、小沢に近い川内議員が、12日の段階から官邸に訴えていた。川内は菅から露骨に排斥された筆頭議員で、何の連絡もなくこれまでいくつかの委員長や理事を剥奪されている)

初期の炉心冷却をめぐり、官邸と原子力安全委員会、東電の間で、「言った」「言わない」というこれまた不毛のやり取りがなされていたが、このことは何を意味しているかと言えば、それぞれに「安全の哲学」が欠如していた証明である。
原子力施設において「安全の哲学」が欠如していたことは、致命的である。これらのトップが責任を問われるのは当たり前で、現在でもそれぞれが、「安全の哲学」を手にしていないことは明白で、特に官邸の欠如は著しい。放射線量をめぐる対応をみれば明らかである。
原発の推進と安全性の確立については、自民党に大きな責任があることは間違いないが、政権交代したその瞬間から「安全の哲学」が見直され、政権が身につけるのは当たり前で、特に放射線量をめぐる安全については、事故後直ちに発揮されなければ意味を持たない。

菅は鳩山会談で、辞任を明確にした。文書化されていないだけで、そうした意志の疎通があったからこそ、不信任案議決直前の代議士会で語った鳩山発言について―2次補正予算の目途。復興基本法編成の目途がついた時点での辞任。国会期間中の6月末――を菅も執行部も否定しなかった。
そしてそれは、その場での共通認識のはずだった。だから、最悪の選択――党を割ってまでの不信任案可決、そこで生まれる解散総選挙――を回避し、当初の目的であった「空白を作る総理の辞任」という成果がもたらされ広く認識されたから、小沢の「撃ち方止め」が伝令された。
(小沢を含め数人が欠席し、松木けんこう議員は、涙ながらに筋を通したが)
この模様をリアルタイムで多くの国民が見ていた。菅はそう遠くないうちに辞任するという事実。この事実が、国民だけでなく、世界中に周知された。この意味は重い。
しかしながら、舌も乾かぬうちにその夜の記者会見で菅は、辞任の時期を文字にしていないことを理由に、辞任の時期を「炉が冷却化し安定するまで」という工程表に示された来年の1月と示唆した。

このように国民の前で国民を騙す。これが、菅直人という人間の正体である。

昨日の参院予算委員会の質疑でも、醜態をさらし続けていた。
「言葉がすべてで、辞任などと言った覚えはない」「合意書にも辞任するとは書いていない。辞任が前提ではない」
しかしゆうべ辺りから、合意に関係した菅、鳩山両サイドから、「辞任が前提であり、しかも炉の冷却安定が辞任時期ではなく、もっと早い段階である」という証言と認識が出てきた。

「この期に及んで」という言葉があるが、菅直人という人間は、政治家であり、それも国のリーダーでありながら、この言葉を何度私たちに使わせるのか。
この記事の見出しを、あえて「菅総理」と役職名をつけず、「菅直人」という個人名にしたのは、もはや政治家としての資質云々ではなく、菅直人という人間の人間性の資質が問われているからだ。

菅が惜しまれながらか、どうか判らないが、まともに身を引くことができるチャンスは、この3日間で3度あった。正式な辞任発表という意味合いでだが。
ひとつは、不信任案提出2日前の菅・鳩山会談で合意が取り交わされた時点での辞任発表。
そして翌日の亀井・菅会談。その席で亀井静香は、菅と向き合いこう言ったという(田中康夫の証言)
「あなたは総理になったことで歴史に名を刻むことができた。しかしこれ以上総理を続ければ、あなたはその名誉を失い違ったかたちで歴史に刻まれることになる。すぐに辞任したらどうか」
菅はこう答えたという。「分かりました。考えさせてください」

僕はこうしたいきさつの中では、この時点がもっと菅にとって最良な引き際だと思っている。
連立を組む、長老的な亀井静香に説得されての辞任は、鳩山、小沢といった党内ライバルたちに力負けしたことにはならない。少なくともそう解釈することは可能だ。

そして三番目は、代議士会での辞任発表だ。代議士会は、国会議決の際には必ず行われるのだが、時間を多く取ったことから、正式な辞任発表の場だと思っていたし、多くの人がそう思っていたのではないか。しかし彼の口から出てきた言葉は、辞任という言葉を意図的に戦略的に意識して避けている曖昧な発言だ。そしてこの瞬間からペテンが始まったのである……

政治の空白と停滞を脱するために、辞意表明がその曖昧さと騙しのテクニックにより、国会での新たな混乱の原因となった。一度辞意を表明したからには、その政権は死に体(レームダック)となるのは必定。特に外交では世界が相手にしないだろう。菅に残された道は、一刻も早く辞任するしかない。自分のことを第一に考えるか、それとも国民の生活なのか。
政治家であれば、自ずと知れたことで、詭弁を弄してこれ以上総理の座にとどまることは、今以上の醜態で満ちた最悪の辞任劇を演じなければならないことになる。これが現実だ。
今後の展開が注目されるが、一刻も早い辞任が望まれる。

菅辞任後を小沢がどう描いていたかは判らない。クーデターの詳細を明らかにしない。
この辺りが小沢を理解しようとする上で理解しにくいところでもある。
一方で、民主党の菅に近い側と自民党の一部では「菅・小沢なき連立」という絵が描かれていたようで、また自民党の一部では「小沢なき連立」が模索されていたという。彼らにとっては小沢の行動は捨て駒にすぎず、菅は身内からも捨てられていた。
しかしながら、小沢は残り、菅辞任という道筋をつけ、70数名もの議員が小沢と共に民主党を出る覚悟を示したという事実が残った。

この辞任をめぐり勝ち負けはない。勝ち負けで語ってはいけない。
依然として小沢の力を見せつけられたことは言うまでもなく、菅とその周辺、自民党を含む野党が、小沢の力に震撼したことはたやすく推察できる。
今、ひとりの議員にこれだけの多くの議員が同調し、それも冷や飯を食う覚悟で、議員生活を懸けて小沢の後をついて行こうというのである。こんな政治家は現実的に小沢しかいない。
鳩山を動かしたのも、小沢に従い党を割る覚悟の70数名の力による。

亀井静香が口を酸っぱくして言っているように、小沢を使わない手はない。
亀井は言う。
「小沢さんとはかつて熾烈な抗争をしたことがあるが、もう二度と小沢さんを敵に回すのはごめんだ。敵に回してあれほど怖い存在はない。しかし味方にしたらこれほど強い戦力はない」
小沢を使うよう、亀井は菅にこれまで何度も提案してきたが、受け入れられなかった。菅の言う挙党態勢は虚構だった。菅が拒否していたのである。

僕はこれまで言ってきたように、この危機にあたるには、小沢の力をもっともよく知る、肌で感じている亀井静香を首班とした超党派による時限的(2年間)救国内閣を作ることが『ベター』だと思っているし、今もその思いは変わらない。
小沢についてだけではない。亀井静香は自民党の悪いところも良いところも知っている数少ない実力者だ。そして人の痛みが解かる政治家としても知られている。官僚を使いこなす術も持っている。
小沢が描いた絵のひとつにこの絵があることを僕は推測している。

いずれにせよ、政治空白の根源、菅直人はすぐにその座を去らなければならない。


3日のWSJの社説は、興味深い内容です。ぜひご覧ください。
http://jp.wsj.com/Japan/Politics/node_245295

そして冒頭書いたように、“唐突なアメリカ発の記事には、深い意味を持つものがある”



武井繁明


異端者たちの発言

2011年05月26日 | 政治・時事

23日、参院・行政監視委員会に4人の異端者が参考人として招致されました。
小出裕章(京大原子炉実験所・助教)、後藤政志(元東芝エンジニア・格納容器設計者)、石橋克彦(神戸大学名誉教授・地震学者)、そして財界から孫正義(ソフトバンク社長)の各氏です。

3人の学者は、アカデミーの世界、原子力の世界の主流派から遠くにいて、“原子力村”と呼ばれる原発推進派、原子力行政に関わる政界、官僚、原発から利益を得ている財界から、忌み嫌われ煙たがられている、いわば、「異端者」たちです。
孫さんは、すでにメジャーで社会的にも確固たる地位にいるわけだけど、生い立ちから現在に至る道のりを思うと異端の色彩が強いと思う。

こうした原発の安全性を問題視し、安全への提言を繰り返してきた異端者たちが、それもとびきり見識の高い研究者と実行力のある財界人が、国会の場で、参考人として証言したことは、けしてオーバーではなく歴史的な快挙と言えると思います。そのくらい原子力に関しては、国会では閉ざされていたのです。
国会だけではなく、アカデミーの場でも経済界でも同じで、すべて原子力村の住人たちによって支配され、異端者たちが表に出る幕などなかったのです。

その質疑の内容は、参院国会中継のHPでアーカイブを見ることができるので、ぜひご覧になってください。「未知の領域」にいる私たちが、目にできる、耳にできる、共有できる歴史の転換のポイントになるかもしれないひとコマを、見逃すわけにはいかないでしょう。
約3時間半という長丁場ですが、異端者たちの言葉から意識が離れないと確信します。
それほど私たちが、心に留めておかなければならない、同時に私たちが考えなくてはならない重要なことを語っているのです。

参院国会中継HP http://www.webtv.sangiin.go.jp/webtv/index.php
(5月23日か行政監視委員会をクリック。ちなみに4月18日は、村木厚子さんの参考人質疑の模様です)

予想していたこととはいえ、残念ながらNHKは中継せず、ニコ生が名乗りを上げたのですが結局成らず、国会ネット中継だけだったのかな……そんなことで、反響があるのか不安だったのですが、国会ネット中継は、視聴者が殺到し途中ダウンするほどで、傍聴席も満席だったとか。

僕はマイミクのタケセンさんの日記で、わりと早いうちから4人が出席することを知っていたので、しかし決定となる16日の月曜日までは封印。タケセンさんのブログ掲載を待って、18日の昼頃、タケセンさんのブログ・『思索の日記』―“23日に原発問題で参考人質疑―超豪華メンバーです”
http://blog.goo.ne.jp/shirakabatakesen/e/1d276d88fa598e8dbad2324e41e2772a

をツイッターで流したところ、たちまち凄い勢いで拡散していきました。
タケセンさんのブログを見ると、これまで215人の人がツイートしているので、それは広まりますよね。この辺りは、ツイッターの優れたところですね。

このように注目度の高い参考人質疑だったにもかかわらず、翌日の新聞を見ると扱いは小さく、これも予想していたことですが、大手メディアの異端者への白い視線は、こうした事態に陥っても変わっていないんですね。だから、知らない人がほとんどではないかと思います。

異端者への白い視線は、何も大手メディアだけではありません。
4人の参考人招致を巡って、毎日放送の記者の取材によれば、
「官邸は4人の招致を良しとせず、強く警戒していた」
「自民党執行部は、『なんであんなのを呼んだんだ!』と末松委員長(自民)に迫る」
「経産省の官僚は、なぜ保安院を招致し、発言させなかったのか」
「保安院の警戒の強さは異様とも感じた」
とまあ、こんなありさまで暗澹たる思いです。

原発の安全性について管理を行う保安院(経産省管轄)どころか、最高責任者である総理が主の官邸までがこのありさまでは、未来どころか、明日の原発の行方も危ういですね。
原発問題は、エネルギー問題、社会的な問題、生活的な問題という問題に集約できない、文明の問題なのです。今現在、文明の危機にあるのです。
今の政府の姿勢如何では、偏狭で貧しい思考と姿勢では、とうてい文明の危機を乗り越えられるとは思いません。

聡明で心豊かな異端者たちが灯す明かりに人々が共感し、行動となり文明は育くまれます。
キリスト教がユダヤ教の異端であったように、仏教がバラモン教の異端であったように、親鸞が当時の仏教界で異端であったように、既存の中から必ず新しい芽が生え、当初は新しさゆえ、既存の色彩と違う色を放っているため、受け入れられず異端者として扱われるのですが、やがて正統になる可能性を持っているのです。
歴史は、異端が正統となり、新しい文明に貢献している様を教えてくれます。
今私たちが視線を向け、支援しなければならないのは、こうした心ある異端者たちではないでしょうか。

4人の聡明な参考人には、行政監視委員会から、事前に資料が配布されたのですが、その資料として、マイミクのタケセンさんの論文が一緒に配布されました。

『公共をめぐる哲学の活躍』
http://www.shirakaba.gr.jp/home/tayori/Kokyo_Tetsugaku_photo.pdf

タケセンさんは以前、行政監視委員会調査室から依頼を受け、数年にわたり調査員として、行政監視委員会で『民知の哲学』を説いています。
行政監視委員会の昨今の画期的な活動は、タケセンさんの『民知の哲学』の理解と拡がりによるところが大きく、タケセンさんはとても有意な活動をしておられます。
聞くところによれば、政治不信が強い小出さんは、当初参考人招致に消極的でしたが、タケセンさんの『公共をめぐる哲学の活躍』を読んで、気持ちが180度変わったとか。
出席を決めた後の小出さんは何かが振り切れたようにラジオ番組でこう語っていました。

「言いたい放題語ってくるつもりだ」

そして言葉どおり語りました。


参考までに、これまでもアップしましたが。
『小出裕章(京大助教)非公式まとめ』
http://hiroakikoide.wordpress.com/
後藤政志さんのブログ
http://gotomasashi.blogspot.com/

講演会や会見、テレビ、ラジオ出演などのアーカイブを見ることができます。原発の問題を解かりやすく深く語っています。そして今福島で何が起こっているのか……毎日のように二人は語っています。

そして、タケセンさんのブログ『思索の日記』
http://blog.goo.ne.jp/shirakabatakesen
mixiプロフィール
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=548859&from=navi




武井繁明

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今夜から模様ですね……
そしてこれから雨の季節です。
放射性物質入りの雨だけど、雨が好きな僕とすれば、雨へのロマンを失いたくないものです。


Rain (pioggia) - "Let It Rain" by Sarah Brightman


Rain (pioggia) - "Let It Rain" by Sarah Brightman

カオスの中で―コーヒーブレイク

2011年05月23日 | エッセイ
もしかしたら、日本中が放射性物質にまみれて、破壊し尽くされてしまうかもしれないし、日本どころか、北半球の広い面積にわたり汚染を拡散し、膨大な負の影響を与えることになるかもしれない。最悪のケース、福島第一の各プラントのうちひとつでも、水蒸気爆発を起こしたら、悪夢ではなく現実となり、もっと酷い状態になってしまうかもしれない。
そうした危機を孕みながら、必死の冷却作業が現場で行われ、なんとかそれを防ごうとしている。
このように後がない危機的状況は、さまざまなカオスの根源となり、私たちを混乱させる。
だけど被災していない私たちは、混乱などしていないように時間になれば仕事を淡々とこなし、夜になれば、3月11日前と変わらぬ食事風景がそこに生まれ、夜が深まればこれまでと同じベッドで眠り、やがて朝を迎え、変わらぬ一日が繰り返される。そのことが、不思議でならない気もする。

震災直後、僕は、被災地に限らず、社会のさまざまな場面で混乱の限りを尽くすのではないか……と推察していたのだが、どうも僕は自分も含めて人間という生命体の精神的な面を過小評価していたみたいだ。
僕の中に酷い混乱の渦巻きが生まれなかったのは、福島第一の現状を専門家の見解を聞きながら、理解しようと努めてきたからかもしれない。
そんなことで実際のところけっこう余裕でもある。
しかしながら、毎夜繰り返される、原発に関する情報取得とその整理に、いささか疲労を感じ始めた。
この作業は、特別精神的に辛いことはないのだが、キーボードを打つのが、辛くなってきた。
昨年も一昨年も、頸肩腕症候群が酷くなり、ギブアップしたのも今頃でそんな心配もある。
とはいうものの、止めようという気配はない。「そのときはそのときだ」。という僕が得意な諦め観が、心配の水底に拡がっている。水面では心配していても、底では諦めているんです。

諦めると余裕はさらに広がり、なんとなくとりとめもなく過去を振り返ったりする。過去を振り返ることは、得意中の得意で、『記憶の中の風景』というろくでもない小説風味を6年前から書き、いったん完成させ、それに関連する『夏の終わりに』という短篇を書き、今は『記憶の中の風景』のリメイク、『Passage』 を書いている。すでに146話を書き終え、全部合わせると、449話になり、一話4000字くらいあるから、その量は膨大なもので、すでに当初の目的はどこかへ消え去り、中毒化しているようにも思えてくる。困ったものだと思う。

こんなふうに、カオスの中でも変わることなく、誰もが静謐に暮らしているのです。

「カオスの中で誰もが……」というフレーズが浮かんだ時、このような場で出会い、いつの間にか退会してしまったあの人はどうしているのだろう……という想いが駆け巡った。

僕はmixiに登録する前、今は存在しないinfoseekのSNSに所属し、そこで『記憶の中の風景』を書いていた。その時からの、mixiでいえばマイミクさんのkaolinは、僕を紹介者としてほとんど同時にmixiにやってきた、いわばもっとも古く親しい「お気に入り」(infoでは、mixiでいうマイミクをそう呼んでいた)で、僕を兄のように慕ってくれたのでした。
Info時代はもちろん、mixiに移動してからもメッセージを送ってくれた彼女は、僕のことを「お兄ちゃん」と呼び、朝の挨拶と夜の挨拶を3日空けることなく届け、ビートルズや映画や日常の話をし、彼女は心配事や苦悩を語り、僕はそれを受け、その時精一杯の言葉を送る。そんなSNSライフが2年余り続いた。

そんなkaolinと僕だったから、表面的にさまざまな誤解と思い込みが生まれたのだと思う。
Info時代、姿を隠し魑魅魍魎と化した周辺の人物から、ジェラシーを多分に含む冷ややかで周到な侮蔑の言葉が、二人に送られてきた。やれやれだった。
だからmixiに移行した時は、安堵の気持ちが拡がり安寧状態に落ち着いた。
しかし、その年の11月28日に何の前触れもなくkaolinは突如退会してしまった。
その日のメッセージもいつもと変わらぬ上機嫌な内容だったんだけど……
けっこうショックだったな。寂しくもあったし。

それから2年くらい前にmixiのメッセージ欄を整理したんだけど、彼女からのメッセージだけは消すことが憚れ、何となくそのままにしている。
メッセージからお茶目で朗らかで、幼稚とも思える彼女のイメージとは異なり、筑波のある研究所である研究に没頭していたkaolin……。
佐賀で生まれ育ち「関東の冬は苦手なのよ」と震えた絵文字でメッセージを送り続けてくれた彼女は、このカオスの中でどんなふうに暮らしているんだろう……とふと想像したりする。

あの頃高校1年生だったひとり息子さんは、もう大学を卒業する頃で、きっと彼女は、僕と同じように歳を重ね、それなりに老化し、それなりに何かを失いながら、それ以上の何かを身につけ(この辺りは怠け者の僕と頑張り屋の彼女との違いだ)あの頃よりも魅力的な中年の女性になっていると推測する。

それにしても、SNSという世界は儚く、寂しい。と何となくkaolinが残したメッセージが、僕に語りかける。

人は、「バーチャルな世界だから仕方ないのよ」と言う。そう言って退会したマイミクさんもいる。でもそうなんだろうか。リアルに会わなくても、それはそれでリアルな世界で、さまざまな感情が生まれ、感情が交流しただけの親密性が生まれ、共感は意識の交流の深化を進める。
だけど、いつか離れ、去ってゆき、閉じられる。途切れ、終わる。とてもリアルに。そしてシンプルに、跡形もなく。現実的にこの世界の入口は広く、出口も広い。
バーチャルなのではなくリアルすぎる世界だ。と僕は感じてしまう。

そういえば今日、98歳の伯父の葬儀を済ませてきた。少しだけ胸を絞られたが、総じて悲しくなく、淡々と時が刻まれ、まるで時間の外側にいるような感じさえした。僕は戸惑いの淵を歩きながら、自分の自然抑制された感情に呆れていた。

Kaolinのことを思い出したら、やはり突然退会してしまった、とても素敵なシンガーソングライターのJさんのことを思い出してしまった。
彼女とは、彼女が主宰した化学物質過敏症の研究会の発足会に招待され、その時一度だけ会ったことがある。
何度か彼女のライブに誘われたが、タイミングが合わず、結局行かず終いだった。
そのライブは、僕が学生時代よく行っていた、吉祥寺の『SOME TIME』で行わることが多く、そんなこともあって、何としても行きたかったんだけど、気持ちだけが強く、結局デッサンだけで終わってしまった絵画のようになってしまった。
突然退会されてから、彼女のブログを頼りに、ライブへ行こうと思ったら、ブログも閉鎖状態になっていた。

僕は彼女のアルバムを何枚か持っている。その中には、彼女から贈られた1枚のアルバムがある。
久々に聴いてみようかな……と思う。カオスの中のコーヒーブレイクのお供に。
彼女の声とピアノは、静謐なディーバの輝きを感じさせる。彼女もまた、このカオスの中でどんなふうに過ごしているんだろう……と思う。

KaolinもJさんも元気で暮らしていたらいいな……と願う。

いずれにせよ、そろそろ僕もいろんな意味で、コーヒーブレイクかもしれない。

   C-moon



Stan Getz / Astrud Gilberto - Corcovado

カオスの中で

2011年05月17日 | 政治・時事
福島第一の状態と放射線物質の拡散とその危険性について、ネットを見ると日本中で酷いカオス状態に陥っていることが判ります。ネット人口が、どのくらいなのかよく解かりませんが、きっと良い影響も悪い影響も与えていることは間違いなさそうです。
自分も含めて、自分の反省も込めて、自己批判という意味合いも込めて、予定を変更して取りとめもなく書いてみようと思います。

まず……
◆東電や保安院は、福島第一の現状について、言われているような酷い隠蔽を行っているのか?

メルトダウンを先日東電が認めたことで、「これまで発表してこなかったのは隠蔽だ!」という声がいまだに凄いのですが、3月12日の保安院の記者会見で、当時の審議官、中村氏が、震災直後電源喪失状態が長く続き冷却機能が失われ、水位が下がり空焚き状態のとなり、「燃料棒を構成する炉心が融けている」可能性を示唆しました。後日中村氏は、「世間に不安を与えた」として更迭されたわけですが、このことから震災当日の11日にはメルトダウンが起っていたと推察できるわけです。
さらに14日だったか19日だったか、枝野官房長官も例によってひじょうに慎重な言い廻しで「燃料パレット溶融」に言及しているんですね。
さらに、僕が読んでいる東京新聞では、東電、保安院、政府側からの資料と記者会見から、毎日炉の様子が判りやすく書かれています。
それによれば、1~3号機の長さ約4mの燃料ペレットのうち、30~50%が、水位が満たされることなくずっと露出したままです。
このことは何を言っているかと言えば、30~50%の燃料ペレットが溶融している。溶融すれば必然的に下にさがる。つまりメルトダウンしている可能性が極めて高いことになります。
だから僕は、早い段階で「メルトダウン進行中の可能性がある」書いたわけで、これについては、「隠蔽している」とは思いませんでした。

おそらく「メルトダウン」という解釈が、そうさせたのでしょう。
世界的には、炉心の一部が破損、溶融し下に落ちればメルトダウンです。しかし、日本の多くの人たちは、「炉心が100%溶融し、圧力容器の下に溜まる」のがメルトダウンと認識しているのでしょう。しかしこの場合は「フルメルト」です。
東電はフルメルトをメトルダウンとしたかったことが窺えますが、保安院は世界的な解釈をしたかったことが窺えます。

ではなぜ、正式な発表が遅れたかと言えば、「水位計」が、まともに機能していなかったからで、人がようやく1号機に入れるようになり、そのことが判り、「補正、修復した後の水位計はゼロを指していた。すでに2ヶ月近く経っているのだから、メルトダウンしていないはずがない。フルメルト状態にあるのではないか」そこで、「1号機は、メルトダウンしていると推測される」という発表になったわけです。
ここでも、明確に言えないのは、誰も炉の中を見ることができないからで、当たり前と言えば当たり前です。
スリーマイル島の事故の時は、7~8年経って初めて炉の中の状態が判ったのですから。

人が近づけないほどの、高濃度の放射能状態の中で、頼りになるのは計測器だけですが、その計測器さえ、地震と津波、電源喪失、水素爆発によって正確なのかどうか判らないのだから、「正確な炉の状況を提出せよ」というのがしょせん無理なのです。

つまり、原発そのものがカオスなのだから、せめて、私たちは情報カオスにならないようにしましょう。ヒステリックになったり、過剰に悲観したり、絶望したり。
現場で、命懸けで復旧作業している方たちに申し訳ないですよね。

◆メルトダウンは、この世の終わりなのか?
今日、ツイッターでこんなツイートを見ました。

“『メルトダウン』を『胃の病気』に置き換えると、「胃炎」「胃下垂」「胃潰瘍」など幅の広い疾患の可能性があるのに、そそっかしい人間は最初から「胃癌」と決め付けてかかる”
hologon15 源与一義遠

なるほど、上手い比喩だと思いリツイーとしました。

メルトダウンから、さらに厳しい状況への推移として推定できるのは、ひとつには『再臨界』がありますが、これまで僕が調べた原子力の研究家、学者からは、「まず起こらないだろう。ひじょうに起りにくい」との見解が多いです。
今、3号機にホウ酸を入れていますが、ホウ酸注入は『再臨界』を防ぐのに有効な手立てで、これを受けて「3号機再臨界か!」と騒がれているのが問題……。必要な予防策というのが現状らしいです。要注意は、塩素38(CL38)が検出された時は、再臨界が起っている可能性が高いということ。
4月の初めに、「CL38検出」という東電の発表があり、小出さんを含む多くの学者が、『再臨界』の可能性を言いましたが、後に「CL38は検出されなかった」と東電は誤りを認めています。
しかし、これは小出さんのお手付きで、たとえば『CTBT高崎』(軍縮核不拡散促進センター:国際機関)http://www.cpdnp.jp/のデータや筑波の研究機関では、検出されていませんでした。
だからと言って、小出さんの価値が落ちるわけではありません。

(CTBT高崎のデータは、東電発表のデータを検証する意味でとても貴重です。データはオーストリアの本部に送られ数値化されるので、改竄の可能性は極めて少ないです。目的が、核開発の防止、監視ですから。でも検出間違いはあります。それほど核種検出はデリケートなのです)

いちばん怖いのは、水蒸気爆発ですが、今日本にいるからには、覚悟を決めるしかありません。
騒いだところでどうにもなるものではなく、これについて私たちが言及することは、対応策と現場職員への励ましと慰労の気持ちしかありません。


◆高い場所に設置されたモニタリングポストの値を発表するのは、放射線量の検出値を低く見せようという魂胆なのか?

これもどうやら間違った認識のようです。空間放射線量を計測するには
1)高い建物の傍などでは空中からの放射線が遮断され、計測されない
2)測定場所の地質や地表面の降下物、周囲の建物等のコンクリートなどに存在する天然及び人工放射性物質の影響を受ける

このような理由で、空間放射線量測定は、屋上などが適しているわけで、必然的に高い場所となるわけです。
もし生活空間に近い場所の測定結果が欲しければ、土壌測定や路面測定、小出さんが言うように地上1mで測定することを進言しなければなりません。(地上1mで測定という決まりもあるらしい。詳細は解からない)
ただしこの場合、狭い範囲でもばらつきが起る可能性があります。同じアスファルト上でも、吹き溜まりのような場所と、そうでない場所に開きがあるでしょう。アスファルトの隣りに土壌面があるとすれば、その開きは大きいはずです。

東京都のある一日の測定結果ですが、地上18mの屋上で屋上床からの高さ、1.8m、1.5m、1.0m、0.5mで計測した値と、地上1.8m、1.5m 、1.0m 、0.5mの高さで計測した値は、ほとんど変わりません。

まだまだあげればきりがありません。
『ハワイでこの20年間でプルトニウムの最高値、通常の43倍もの量が検出された』
『3号機は、使用済み燃料プールが再臨界し核爆発が起こった!』

こうしたことが、本気で語られているわけですが、『ハワイで~』は、データの悪意ともとれる誤認であり、『3号機は~』は、根拠の薄い言説です。『3号機は~』は、根拠となった核種(ヨウ素135)の検出が、不検出という誤りだったこと。欧州放射能危機委員会クリストファー・バズビー教授による動画解説の一部に誤訳があったことは間違いなく(直接インタビューした日本人在米ジャーナリストが指摘)、キノコ雲状の爆発雲の印象と誤訳が絡みついてしまい、上手く解けないでいる状況です。

いったん思いこんでしまうと、その人の中では、整理された情報として居着いてしまうんですね。自分でできる検証や精査をすることを忘れてしまう。そして拡散する。それを信じてしまう人がいてまた拡散してしまう。カオスの状況は深まる……

もちろん、今僕が書いたことも間違いかもしれません。それほど福島第一の状況はカオスで、確実なところは判っていないのです。


武井繁明

【朗報‼】
23日参院、行政監視委員会での参考人として、小出裕章さん(京大原子炉実験所助教)、後藤政志さん(原子炉格納容器設計者)、石橋克彦さん(地震学者)、孫正義さん(ソフトバンク社長)が登場します。
マイミクのタケセンさんからの確かな情報です。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1723486577&owner_id=548859

タケセンさんは、私たちが知りえない情報を持っているので、そういう意味でも日記から目が離せません。この決定についても、決定以前から示唆していました。




誰でもできる。誰もが変えられる。

2011年05月15日 | 政治・時事
昨日偉そうに書いた、「だまされた者の責任、だまされなかった者の責任」で言いたかったのは、最後のほうに書いたように、現実的に放射能汚染されている中で、暮らさざるをえない私たちは、脱原発も推進も容認もなく、それぞれが、あーだこーだ議論して方向性を決めるなんて、そんな悠長なことを言っていられる状態ではなく、国策の繁栄構造の中で生活を謳歌してきたすべての人たちが、純粋に「未来に対して責任を負いましょう」「子孫に対して責任を負いましょう」ということです。
では、現実的に具体的に私たちは何をしたらいいのか。ということですが、震災直後、多くの人が「自分にできることしよう」と言いました。結局は、ここに尽きるのですが、ここにも具体性はなく、ここにすべて押し込めることは、あまりにも曖昧すぎる。

人は、仮説でも提案でもいったん言葉として、文字として表現すれば、そこに責任が生まれます。
仮説に対しては証明する責任。提案に対しては、体験と実績。あるいは現実的に行動しているか。
これがなければ、どんな高尚な提案でもただのゴミで、証明のない仮説は、幻想に過ぎません。
ということで、僕は昨日の問題提起に対し、これまで自分が実行してきた体験の中から、今すぐにでも誰でも取り組めるものを書きます。

これまで主だった活動として、県営ダムの建設反対と八ツ場ダム建設阻止に7年間くらい、かなり力を入れて取り組んできました。ここに政治的イデオロギーはなく、純粋に「必要のないものはいらない」という主張です。もちろんそれを立証するだけの知識は必要になります。

この中で、緩やかなネットワークが形成され、参加者は約2年で400人くらいになりました。しかしながら実際行動するとなると、400人がすべて行動できるかといえば、思いの強さやさまざまな都合でほとんどの人は動けませんと言うか、動かない。意見を持っていても賛同していても動かない。これが現実です。この中で実際行動していたのはわずか11人です。
11人の実行部隊では、提案した者が責任者となり、そのプランを遂行する。という決まりごとがありました。
そこで11人が、少ない知恵を絞り、多彩なプランを実行したのです。
そのひとつは……

◇主体となる機関への働きかけ:公開質問状提出⇒記者会見⇒公開質問状の回答への反論⇒記者会見

これは今個人ではできないでしょう。ですからこう置き換えます。


◇地元政治家への働きかけ:事務所を訪ね、A4一枚程度の意見書を持って秘書と話をする。
⇒その状況をネットで公開する(mixi日記やツイッター、ブログ)⇒回答があればそれをネット上で公開する。これを繰り返す。

新人議員は、週末は地元に帰り、駅立ちをしたり、後援会活動をしているので会う気になれば会えます。事務所には必ず秘書がいるので要望書、意見書として緩く訴えます。身分を必ず明らにし、返答が届く道筋をつけてきます。
ひとりではちょっと気後れするな、と思う人は夫婦で行ってもいいし、友人と行ってもいい。少し工夫すれば、オフ会が簡単にできるのだから、そのノリでオフ会前に時間を作り、みんなで出かければいい。
こうした経過を必ずネットに掲載する。掲載した内容を議員に(事務所に届ける)知らせる。

これは僕が実際、脱ダム活動の時やってみました。自分のプランだから自分ひとりで実行しました。国会議員と地方議員の差はありますが、国会議員でなくてもいいと思いますよ。まず手始めに。
3~4回行くうちに、明らかに変化が見られ、その議員が所属する会派で勉強会が行われるようになり、やがて私たちが主催した公開討論会や他のイベントに姿を見せるようになり、脱ダムに変わりました。

議員というのは、常に受け皿を求めているものです。受け皿を確認するまで動こうとしない習性があるのです。特に方針を変えるような状況の時は、受け皿がなくてはまず動きません。
今まさにそのような状況にあります。
時間もかからない、カネもかからない、やる気さえあれば誰でも出来ます。ぜひ土曜の休日に最寄りの議員事務所を訪ねてください。秘書と話をしてください。議員がいればさらに効果は高まります。
これを粘り強く、いろんな議員に働きかけるのです。

多くの人は、自分は1票しか持っていないと錯覚しています。たしかに選挙の時は1票です。
しかし、任期を残している議員の方針を変えることに貢献することができたら、それは何百票、地域によっては何千票にも値するのです。

僕が携わった県営ダムは活動を始めてから3年後、凍結になり、数年前事実上の中止が決定されました。
凍結に当たり主体者の知事はこんなふうに理由を語りました。
「倉渕ダム凍結は、200万県民の総意である……」
反対活動をしたのは、私たちのネットワークとある団体と共産党だけで、賛同者を入れても1万人に満たなかったでしょう。当初から最後まで県内は、無関心の風潮が漂っていましたから。でも、こうした言葉を導きだすことは可能なのです。

活動は、実に多様で多く、それについてはこれまで何度か日記に書いてきました。しかしその多くは手間もかかるしひとりではできません。
ここに書いたことは、今すぐ誰にでもできる行動です。いかがですか。

経験的に署名やデモなどの示威的活動は、労力のわりには効果が薄いです。これは河野太郎議員も言っていますし、僕が接した国会議員はすべて否定的でした。署名など紙切れ同然です。実際に訪ねること、会うことが意思表示としてもっとも大切なのです。

原発を止め、再生可能エネルギーを使用する安全な循環型社会にするためには、ひとりひとりの覚悟が必要です。
省エネに取り組むこと、節電することは誰にでもできます。効果的に寄付することも支えになります。しかしこれだけでは止まりません。
ひとりひとりの明確な意思表示が必要なのです。

八ツ場ダムについての行動は、極めて政治的な行動だったので、個人で今すぐできることではありませんが、「未来への責任」は、長い道のりになるので可能な行動です。
これについては少し長くなるので次回……

それにしても昨夜から今日にかけて、反原発者たちは、水を得た魚のように元気いっぱいだったな♪
ツイッターに「日本が滅びる」「今すぐ国外脱出、九州以西に避難せよ!」という言葉がたくさん見られました。
地震が起った時「冷静になりましょう!」と叫んだ人ばかりだったのは、笑えた。



武井繁明

『本日の参考書』は、昨日に続き「吉岡メモ:5月13日版」“水棺の失敗(格納容器破損)は何故起きた?”
http://www.shippai.org/images/html/news559/YoshiokaMemo38.pdf



だまされた者の責任、だまされなかった者の責任

2011年05月14日 | 政治・時事
小出さんは講演や会見で、「だまされた者の責任」という言葉を最後に使うことがある。
原発災害にあっての責任は、一義的には、原発を国策とした主体者である政府。国策を補完するために「安全神話」を創りだした推進派学者。運営する電力会社。そこに巨額な資金が投入され、そこに群がる企業。こうした原子力(核)政策に癒着した小出さんが言う「原子力村」にある。
しかしながら、「安全神話」にだまされたとはいえ、これまで容認してきた人たち、反対しながらも止められなかったことにも責任が伴うのではないか。
こうした主旨で小出さんは「だまされた者の責任」を静かに投げかける。

僕の世代が物心ついた頃は、すでに原子力政策は進められ、原子力こそは豊かな未来を約束するエネルギーだと誰もが教えられ、信じていた。原子力から生まれた鉄腕アトムがヒーローで、妹のウランちゃんはアイドルで、僕たちの未来は力強くそしてバラ色だった。
僕たちは、原子力(核)の国策の中で、繁栄を謳歌してきた中心的な世代で、成長するに従い、危険性を知り得る環境にいた。だからこの期に及んで知らなかったでは済まされない面がある。繁栄の構造の中で、その負担を福島や他の田舎に原発を平然と押しつけてきた現実があり、それが「当たり前」だと思いこまされてきたことにまず気づかなければいけない。
このままでは、繁栄を享受しただけの無責任世代として長く後世に伝えられることは必至です。

これは原発だけではなく、ダムや米軍基地についても言える。
危険で厄介なものは、遠くに造っておけばいいという、都会繁栄の構造でもある。
「そんなことはない誘致した地域も繁栄しているだろう」。という意見もあるが、残念ながらダムで栄えた村はなく、米軍基地や原発地区も自然派生的には栄えていない。巨額な資金がカンフル剤のように投入され、繁栄しているように見えるだけで、その構造に繁栄の本質的な基盤はなく、極めて脆弱なのです。
こうした、実体のない歪みくすんだ実態にもだまされている傾向があって、容認してきた事実があり、やはりそこにも同じように「だまされた者の責任」もあると思う。

僕はこれまで、批判ばかりしてきた。批判は批判で大切なんだけど、それだけでは何も生まれないと思っています。危険性を叫んでいるだけでも物事は好転しない。偉そうに今日も言っているけれど責任を取らないことには、『未知の領域』から一歩も外に出られない。
それは今実際進んでいる現実的な『未知の世界』からも、震災で生じた『内なる未知の世界』からも出られない。

『未知の世界』から脱却するには、福島第一を収束させることはもちろんだけど、他の原発も止めなければ、未来は描けない。だから今すぐすべての原発を止めろと言う。すべての原発を止めても電気量が不足しないデータもある。たぶんそうだと思う。原発をすべて止めたところで、一億総玉砕というわけではないだろう。
しかし原発で生活が成り立っていた人たちや地域はどうなるんだろう。
すぐに再生可能なエネルギー施設を造ってそれを生活の糧の場とすることは無理だろうし、何らかの補償で賄いきれるとは思わない。いずれにせよ、原発を止めてから再生するには時間がかかる。
だから電力を確保しながら、忍耐強く再生可能なエネルギー施設を確立し、緩やかにシフトしていかなければならない。本気で安全に止めるには、急速な展開よりもしなやかな展開でなければならない。でなければ、すべての原発立脚地が、空白のスポットとなる。

こうした現実的な政策とリンクしながら発言も変えていかなくてはならない。
何度も言う。批判するだけでは何も生まれない。危険性を叫ぶだけでは害悪になりかねない。
特に急進的反原発の人たちのストイックでヒステリックな叫びだけでは何ももたらさないことは、これまでの歴史が証明しているし、今や害悪でしかない。
穿った見方かもしれないが、ことさらに「反原発」を主張している人たちを見ていると、原発はどうでもよく、知ったかぶりエゴと反権力ごっこを満たしている自慰的な行為に見えないこともない。
そこには安全への事細かな押しつけがあり、「子供の命を!」という錦の御旗があり、子供を避難させない福島県の親への見下しと侮蔑がある。
彼らの福島県民への罵倒を見ていると、彼らにとって「福島県」というのは「原発を受け入れた推進派」という記号にすぎず、政治ごっこ、安全ごっこ、正義ごっこの玩具であり、そのための「敵」でもあるのかと思えてくる。
もう最悪極まりない言葉が飛び交っている錯綜した世界……

そして総じて、「自分たちは原発に反対してきたのだから何の責任もない」という安楽椅子に座っての批判、非難、危険性の叫びだから始末に負えない。
放射能はたしかに怖い。これ以上怖いものはないかもしれない。しかし程度の差こそあれ、日本中に拡散している放射性物質の下で暮らさなければならない私たちは、それなりの覚悟が必要だと思う。
撒き散らされた放射性物質の下では、反原発も推進も容認もない。すべてに覚悟が必要で、覚悟の中で大切なことは、責任ではないかと思う。
だまされた人の責任もだまされなかった人も、子供や未成年以外は、責任が求められるし何らかのかたちで果たさなければ、事態はいつまで経っても現状のままではなかろうか。
というよりもっと酷くなっていく予感すらある。

ではその責任にはどんなものがあるのだろう……
どんな責任の取り方があるのか……
考えてみましょう。


武井繁明

読んでくれたみなさんへの贈り物として今回から『本日の参考書』を掲載していきたいと思います。
第1回『本日の参考書』は“吉岡メモ”
http://www.shippai.org/images/html/news559/YoshiokaMemo37.pdf

福島第一原発の現状がどのような状態になっているのか、解かりやすく書かれています。
もちろん、実際どうなっているのかは誰にもわからないことで、取得可能なデータと経験から導き出されたものです。
書かれたのは、福島第一3号機の格納容器の設計に携わった元東芝の吉岡律夫さん。
よく更新されるので読み続けているととても参考になります。



燃料ペレット溶融

2011年05月10日 | 政治・時事
今日メディア各社一斉に「1号機の燃料ペレットの大半が損傷、融解し圧力容器の下部に溜まっている」旨の報道が流れました。「理由は、圧力容器が損傷し、冷却水が漏れている」というような内容です。
さらに、「現在行われている水棺も格納容器が損傷しているため水が貯まらない」ことも発表されました。

たとえばアサヒ・コムでは、こんなふうに伝えています。

『核燃料の大半溶け圧力容器に穴 1号機、冷却に影響も』という見出しで……
http://www.asahi.com/national/update/0512/TKY201105120174.html

なぜ今このような報道をするんだろう……
なぜなら格納容器に水が貯まらない現象はともかく、1号機の燃料ペレットが、大半以上損傷し、圧力容器の下部に溜まっていることは、事故直後から予測可能だったからです。
これまでの東電の会見での発表とパラメータから、17時間も炉心が冷却されなかった『空焚き』状態では、設計温度を遥かに上回る熱上昇があったことは、容易に推測可能で、燃料ペレットがメルトしていたと素人でも推測できます。(注:ウランの融解温度はおよそ670℃だが、安全を期すために燃料ペレットは、ウランを含みセラミック化され、その融点は2700℃~2800℃)

僕はこれまで、東芝で格納容器の設計をしてこられた、後藤政志さんと、京都大学原子炉実験所・小出裕章助教の会見やインタビューでの発言をずっと追ってきたのですが、(反原発者だけの意見だけでは偏るので、御用学者と言われている東大の早野龍五教授、同じく御用学者のレッテルを貼られている大阪大学の菊池誠教授、お二人と仲がいいKEK- 高エネルギー加速器研究機構 野尻美保子教授も追っています)
お二人とも1号機について、東電と政府が発表する、けして確信的だと言えないデータから、その知識と経験を活かして

『注水を繰り返しても水位が燃料棒の半分ほどしかなく、燃料の大半が損傷し融けている可能性が高く、融けた溶融物は圧力容器の底部に溜まっていると推測もできます。水位が上がらないのは、圧力容器の底部が損傷している可能性が高いからです』
(福島第一の炉は、燃料ペレットを底部から差し込むタイプで、高熱が加わると差し込み部分が、破損する欠点がある―後藤さん)

お二人はこのようにかなり早い段階から言い続けてきましたが、どうも推察どおりの展開が、いまさらに酷くなっているようです。
さらにお二人は、格納容器の水棺に対しても疑問を呈していました。

『上手くいってもらいたい。その気持ちは強く、速やかな収束を願っている。しかし、高さが40m近くもある巨大な格納容器を水で満たすことは容易ではない。格納容器は、水を貯めるために設計しておらず、水圧に対する強度も計算されていない。そこに水を満たして、たとえば大きな余震が起こった際生まれる大きな応力に耐えられるのかどうか……2号機は、サプレッションプール(圧力抑制室)の破損を東電が認めているので、高い放射線の中で塞がなければ、水棺は不可能……』

お二人だけではなく、何人もの専門家や研究者が、このような指摘をしているので、今さら僕は驚いたりしませんが、おそらくメディアも知っていたと思います。確信していた。
東電の記者会見に毎日、ついこの間までは、東電の記者会見は、一日何度も(深夜も)行われていたくらいですから。
ではなぜ今このように一斉に記事になるかと言えば、東電が口頭で明らかにしたからですが、東電が明らかにしたのは、水位計が壊れていて、修復したところ、これまで思いこんでいた圧力容器に半分くらい貯まっていたと思われた水が、底部にしかなかったからです。
しかし、運よく適度に冷やされ、それ以上の大事に繋がっていなかった。

ここで3時間ほど前、こんな未確認情報をあるジャーナリストが語りました。

『官邸筋から情報。公式情報ではありません内容は個人で判断下さい。福島1号機は超危機的状況。官邸危機管理官が真っ青で対処を検討中。近い内にベントの可能性あり?仮に実行すれば高濃度放射線物質が飛散』

さらに細野首相補佐官が、11日の統合会見で明らかにしたように、今日12日、謎の原子力専門家外国人と福島入りしたのです。
http://news.nicovideo.jp/watch/nw61580

僕はこれまで不確定情報を載せなかったのですが、もし『官邸が真っ青になって対処を検討中』であれば、発表のタイミングが繋がってくるのです。

東電もメディアも早い時期から、燃料ペレットの大部分が損傷し、圧力容器底部に溜まっていたのを認識し水が半分以上貯まらない理由も知っていたでしょう。
では、計器が復旧し正確な水位が判り、これまでの危機感を超える危機感を覚えたのでしょうか。
専門家なら、当然ながらそこまで推測できるはずだし、もし想定していなかったとすれば、東電だけではなく、保安院も原子力安全委員会もそして政府も大失態では済みません。

細野首相補佐官が、統合本部専任に就任した直後BS朝日に生出演しこのように語っています。
「3/11から3/22までは、モニタリングポストが殆ど機能せず。遠方の観測データのみ原発自体の放射線を推定していた。政府・東電は確たるデータなしに安全を強調していた。
1号機が爆発後、水素爆発を防ごうとしたが手立てがなかった。格納容器からの漏れでありメルトダウンと考えていたが、そう積極的に発表する気分にはなれなかった……』

こうしたことから、すべて解かっていた。推測を超える確定的認識が、東電、保安院、原子力安全委員会、そして政府にあった。その確定的認識は、メルトダウン。しかし今現在、原子炉が暴走した時必要な「止める」「冷やす」「閉じ込める」のうち、これまで何とか成果を見せていたと思われてきた「冷やす」術が、綱渡り状態で推移していたことが、具体的に明らかになってしまった。

小出さんや後藤さんが指摘していたように、早いうちから1号機では、核燃料ペレットが溶融し、圧力容器底部に溜まっていた。
そして想定される最悪のケースは、空焚き状態で水にふれて起きる水蒸気爆発。あるいは溶融物が圧力容器の底部を溶かし、脱落し格納容器内水にふれて起る水蒸気爆発。
いずれも、圧力容器と格納容器を木端微塵にし、これまで人類が経験したことのない高濃度の放射性物質が大拡散する……

最後の部分は、最悪のケースをあえて書きましたが、現実としては、これまで首の皮一枚で繋がっていた状況が、皮がさらに薄くなっていると言えるでしょう。

この間にも新しい事実が報道されているかもしれません。ただ情報の受け手になっているのではなく、主体的に能動的に情報を得ることをお薦めします。
政府や東電は、護ってくれません。日本中すべての人を護るのは不可能です。
自分とその周りの身は自分で護る他ないようです。何と言っても私たちは『未知の領域』にいるのですから。


タイミング良く小出さんの発表後のインタビューが行われました。
ぜひお聴きください。

http://hiroakikoide.wordpress.com/2011/05/12/videonews-may12/?utm_source=twitterfeed&utm_medium=twitter


武井繁明


シニア決死隊―異端者たちの覚悟

2011年05月10日 | 政治・時事


新聞やテレビで報道されているかどうか判りませんが、福島第一原発の危機的な状況の中行われている収束作業に向け、「もう子供も作らない、放射線の影響も少ない60歳を過ぎた私たちが志願して、現場で作業をしようじゃないか……」と提唱し国家的プロジェクトへ向けて歩み始めたシニアの方たちがいます。

『福島原発 暴発阻止行動 プロジェクト』http://bouhatsusoshi.jp/
(人々はシニア決死隊と呼んでいます)

現在80名くらいの方たちが志願し、毎日10人くらい増え、賛同者は300人を超え、その中心は60年安保時代、東大で冶金工学を学び、卒業後、住友金属で技術者として研究者として、数々のプラント設計に携わり、退職後はコンサルタントやボランティア活動をしてこられた、山田恭暉さんという方です。
60年安保では、社会主義学生同盟副委員長を務めていたというから、当時はバリバリの左翼です。

こうした元技術者を中心としたメンバーが、高濃度の放射能が蔓延している原発内で収束に向けた作業を志願するというのですから、並々ならぬ使命感に燃えていると思いきや、山田さんたちのインタビュー動画を見ると、必ずしもそうではなく、「歳もとった、放射線の影響は、若者よりずっと少ない。原発プラントは携わらなかったが、素人よりはましなことができるし、収束は、私たちが必然的にしなければならないことだ」と実に淡々と語ります。これは山田さんの想いですが、他の参加者は、「若者にそんな危険なことをさせるわけにはいかない」「幼い孫たちの表情を見ると私たちの世代で責任をしっかり取らなくてはならない。本当に恵まれた世の中で生活することもできたし……」とさまざまです。

http://www.ustream.tv/recorded/14516552 山田さんインタビューのアーカイブ
フリージャーナリスト岩上安身さんのブログから

しかしどんな思いであれ、放射能の影響は若者に比べれば少ないとはいえ、実現すれば、死と隣り合う世界で作業することになり、決意した人の恐怖感は、私たちでは量りようがありません。
現に「そりゃ怖いですよ」と言っていました。

毎日のように行われる、統合記者会見(政府=細野担当補佐官、東電、保安院、時々原子力安全委員会、文科省)では、このプロジェクトについて、同じ会見の場で、東電は把握していないと言い、細野さんは、把握して政府としても検討していると言い、保安院は、尊い申し出に感謝しているという、相変わらずの一緒の場でのバラバラ会見ですが、山田さんの発言から、一定の方向へ進んでいることが窺えます。

それはそれとして、山田さんたちがあまりにも淡々と語るので、視聴していた僕もあまり危機感や恐怖感が生まれず、賛同の気持ちはあるのですが、死と向き合う環境へ拍手を持って送りだすことにもなるので、とても複雑で何とも言いようのない気持ちになり、やはり今は『未知の領域』なんだ……とあらためて思いました。
みなさんはどう感じます?

そして、リアルな恐怖感とある種の感動を与えたのが、小出裕章、京都大学原子炉実験所助教、の今日のインタビューでの発言でした。
(同じく、岩上安身さんのインタビュー動画です。生放送は途中途切、途切れしているので、いずれアーカイブが掲載されるはずです)

小出さんは、以前ここでも書きましたが、およそ40年間、原子力の研究をされ、それも原子力の危険性を研究してこられた方で、その40年間ずっと「原発は危険なものだから造ってはいけない、廃止しなければいけない」、と訴えてこられた方で、政、財、官、学、報で構成される主流派である原子力推進者が集まる、「原子力村の住人たち」から見れば、「異端」です。
この異端者たちは、京都大学原子炉実験所にかつては6名いて、京都大学原子炉実験所が在る地名から「熊取6人衆」と呼ばれましたが、4人が退職され、現在は、小出さんと今中哲ニ助教2名になってしまいました。


小出さんの講演
【大切な人に伝えてください】小出裕章さん『隠される原子力』


小出さんは、福島原発事故以来、毎日のようにメディアに登場します。それも地上波ではなく、ソーシャルメディアであったり、ラジオ放送の電話インタビューであったり、衛星放送の電話インタビューです。また、研究活動が忙しい中、請われれば講演会で発言したり……

そんな小出さんが、今日の岩上さんのインタビューの中で、岩上さんの質問に対し「私も決死隊に志願したひとりです」と答えたのです。そして理由をこのように述べました。
『小出裕章(京大助教)非公式まとめ』ブログより抜粋http://hiroakikoide.wordpress.com/

“私も60を過ぎていて放射線感受性は低い。私には原子力に携わってきた人間として責任はある。推進してはいないが責任はあると思う。事故収束にむけて自分にできることがあれば、したい……
たとえば私の職場で事故が起きたら、収束に役立つのは現場をよく知っている実験所の所員。外部の人が来たとしても、私から見ると「危険もあるし、役に立たないかもしれないから、結構です」となるだろう。だから、福島の事故についても福島原発を知る人がいいだろうとは思う。ただ、被曝をさせるためだけに必要な作業というものはある。西成の労働者のことが報道されているが、そのように特別な能力がない人であっても出来る仕事はあり、そういうことであれば私も福島で役に立つかもしれない。ただ、一歩でもいい方向に向かうために私の力が使えるかと考えると、多分ないかもと思う……”

小出さんの静かな決意と、山田さんと同じような淡々とした物の言いようと、独特の静謐で誠実な雰囲気から、小出さんの著書を読み、小出さんの発言を聴いてきた僕は、かなりやられてしまいました。
ちょっと言葉に表せません。

小出さんの最後の言葉に深い意味があることは、福島第一の状況を考えると解かるかと思います。このような後がない危機的状況で――『未知の領域』――で最も頼りになるのは“異端の力”だと思います。そして異端を支え、“正統”に導く私たちの覚悟と力ではないでしょうか。

小出さんは、原子力の知識や問題を聴く者に与えるだけでなく、言葉で直接現わすわけではありませんが、人生の大切な何かをいつも静謐に示唆してくれます。
そんなことを踏まえながら、アーカイブを視聴していただけると幸いです。


小出さんにやられてしまい、まったくまとまりのない文章になってしまいました……


再掲『小出裕章(京大助教)非公式まとめ』http://hiroakikoide.wordpress.com/
事故発生以来の小出さんの発言が、アーカイブとテキストでご覧になれます。


武井繁明


“危険性を伝えるだけでは、どうにもならない

2011年05月04日 | 政治・時事
“危険性を伝えるだけでは、どうにもならない。
避難するにはお金がいる。補償がはっきり約束されなければ動けない人たちに、
「ここは危険だから避難した方がいい」と言い切れない”

この言葉は、フォト・ジャーナリスト森住卓さんのブログから、勝手に引用したものです。(本当はいけないのですが……)
*森住卓のフォトブログ
2011.5月3日 福島第一原発 飯舘村
http://mphoto.sblo.jp/article/44708053.html

森住さんについては、ご存知の方が多いと思います。イラク、旧ユーゴスラビアでアメリカ軍とNATO軍が使用した劣化ウラン弾による汚染と健康被害を最前線で取材し、劣化ウラン弾の残虐性を早くから訴えてきた人です。また1954年に行われたビキニ環礁でのアメリカによる水爆実験で、遠く離れたマーシャル諸島で今も続く被曝実態を明らかにし、旧ソ連が、核実験を繰り返したカザフスタンで、20年以上経った現在被曝障害に苦しむ人たちの取材もしてこられた、果敢で心優しいジャーナリストです。
僕は一度だけ森住さんの講演に参加したことがあるのですが、現地の様子を静かにソフトに語るその視線と表情に、現地で暮らす人たちへの優しさと慈愛を感じました。特に子供たちに向ける視線は、写真を見ていただけると解かりますが、愛情に満ちているんですね。
そんな森住さんの福島のフォト・レポートを逃さず見ていただきたいと思います。

さて、森住さんの言葉を採り上げたのは、前回書いたように僕も同じ気持ちだからです。
放射能の危険性が、今盛んに叫ばれています。特にネットでは凄い状況になっている。
しかし、危険性を訴えるだけでは、原発はなくならないと思います。反原発・脱原発の人たちの、核の危険性について多様な意見に、どんなに合理的で正当な理由があっても、それだけではなくならない。

なぜなら原発はウランを燃料として電気を作りますが、ウランを燃料に導くのは「カネ」という燃料だからです。
発電所建設地域には、原発はもちろん水力、火力発電でもデメリットしか生まれません。危険性の大きさから言えば、原発など建設地に恩恵はなどあり得ません。しかし日本に多数の原発がある。これを可能にしたのが、『電源三法交付金』という膨大な燃料です。この交付金がなければ、日本の原発は存在しなかったかもしれません。
その危険性から都会に造ることができない原発を地方の過疎地に造るには、デメリットを払拭させるメリットを注ぎこまなければなりません。それは生活の保障であり、地域社会の整備です。
電源三法によって各建設地域に数百億円単位のカネが注がれ、それを可能にしました。

こうした構図を是正しない限り、原発は止まることはないと思います。
つまり原発に替わる生活の保障と社会整備を可能にするデザインを現実化させる方向性がなければ、いくら危険性を叫んだところで、ウランを燃焼させるカネという燃料に太刀打ちできない。
すでにそこには、電源三法によって注ぎこまれた資金によって、多くの人たちの長年の生活が積み重なっているのだから。

僕は危険性を訴えているだけの人たちには、この辺りの配慮が欠けていると思う。説得力を持たないし、ろくに検証していない危険を煽るような言説が飛び交っている現実と二項対立に陥り、その中間のグラデーションの中にいる人たちを排斥するような自慰的な言動には、強い異和感と恐怖さえ感じます。
危機的状況と悲観性の中で生まれる“人の熱”への恐怖……

デマを上げれば多数あります。それに簡単に調和してしまう“人の熱”。
熱は上昇しながら拡がり、これまで信じていたフリージャーナリストまでもが飛びついてしまう現実があり、ジャーナリストというフィルターを通した言説なら、広めても安心という意識が生まれ、さらに拡がって生まれるカオス。
そのカオスに地震兵器などという陰謀論が加算され、カオスは深まり続ける。
多様性は必要だけど、根源的な問題を扉の向こうに置いたままでは、加熱するだけでたちまち蒸発してしまう。

さらに根源的な問題は、人の人格や人生をどう護るのか……ここにあると思います。
原発建設地域の安全度は、3月11日を境に著しく変化し、放射線物質被害地域は拡散し、その安全度は危機的な状況にある地域があることは間違いない。そこで計測される数値は、自然界に存在する放射能の値を閾値と考えている僕には、卒倒しそうな数値です。
しかしながら、安全度が崩壊した地域でもそれを知りながら、そこに住み続けたい人たちはいる。
人生の根幹みたいなものを喪失してしまう言いようのない痛み。特に年配の方たちには、酷く残酷な選択が強いられているのだと思う。でもできる限りそこに住み続けたいのです。
こうした人たちをどう護るのか。その人たちの人格やそこで生活し続けて形成された内なる想いを大切にしながら、「安全度」をどう高めていくのか。危険性を訴えるだけではあまりにも力不足だと思うし、時と場合によっては害悪になりかねない。


武井繁明


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最強の恋歌かもしれない♪

Stan Getz & Bill Evans - But Beautiful



Stan Getz & Bill Evans - But Beautiful

自然の恵みを生かす(1)

2011年04月23日 | エッセイ
日本の原発数は、現在54基で、アメリカ、フランスに次ぎ世界で3番目の原発保有国で、狭い国土と、世界有数の地震地帯にこれほどの数の原発を造り、これからも推進していくという意識は、もはや脅威の段階を過ぎ、狂態、狂乱というしかありません。常識的な判断、良識的な決断から乖離し、この乖離した姿勢から、このままでいけば、建設中、計画中を含めて将来69基になる予定です。福島の4基が、事実上廃炉のなることや、今後、老朽化から廃炉なる可能性のものまで含めて、多少の減少はあるかもしれませんが、原発を容認する人たちは、将来も含めてこうした事実を考えていただきたいですね。
前回、原発がひとつもなくても、火力と水力だけで賄えると言いましたが、加えて言えば、現在運転中の原子炉は、23基です。だけど停電することなく、電気は被災地を除けば、日本国中行き渡っています。
原発が無くなれば、「日本経済は破綻する」「一億総玉砕」などと過激な無知ぶりを発揮している人もいますが、よく現実を見ていただきたい。

しかしながら、「今すぐ原発を同時に止めるべきだ」という意見も現実的ではありません。だいたい「~すべきだ」という、そこから先のことは放り投げてしまうような言い回しは止めてもらいたい。特に政治家の「~すべき」という発言には嫌悪感を覚える。どうも僕は「べき論」というものを信用できない。僕も使うことあるけれど、そういう時って、たいてい確信が持てない時で、同じ意見への摺り寄り同調的な時が多い。
いろんな人の文章を読むと、信念を持ち思考内容が研ぎ澄まされている人ほど「~すべきだ」という言葉が、見当たらない。
「~すべきだ」だと乱発する人ほど、にわか仕込みの知識に頼っているように感じます。

さて「今すぐすべての原発を止めることは、現実的ではない」というのは、原発で働いている人たち。原発で成り立っている市町村の経済をクリアしなければ、少なくとも方向づけ政策化しなければ、新たな破綻が、日本のあちこちで生まれてしまうからです。経済的破綻の恐怖は、おそらく原発への恐怖と匹敵するくらいのものだと思います。現実的には。
福島で実際被曝を余儀なくされながら、原発の恐怖と不安を感じながら生活している人たちと、そうでない人たちの現実的恐怖感は、かなり差があります。同じように経済破綻による生活の崩壊を現実的に迎えようとしている人たちと、そうでない人たちでは、大きな差が生まれるはずです。
こうした差を現実的に埋められないことには、脱原発は、絵に描いた餅になり下がります。

こんな単純なことは今思い付いたことではなく、ずっと前から気づいていました。そのためには、社会通念上罷り通っている意識と、そこから生まれるシステムを変えなければだめだって。
有限資源である化石燃料や危険なウラン燃料の使用に裏付けられた社会システムを求め続ければ、いずれ社会が崩壊する。循環型社会。持続可能なシステムを自分の範疇の中で作ることが、せめて自分できることだと思いました。

僕は住まいとその周辺を設計し、施工することを生業としています。mixiは、趣味的なもので、仕事から離れた時の息き抜きで、日常の自分と違う自分を表現する場だと思っているので、これまで仕事や家庭について、日常について書いたことは、ほとんどありませんでした。
しかしながら、批判ばかりしていたのでは、説得力に欠けます。それこそ笑いものにもなりかねない。ですから仕事上で得たことを、今さらながらですが、書くことで多少の説得力や、既存のシステムを変えるヒントにもなるのではないかと思い、書くに至りました。
一度で書ききれるものではないので、時々日記欄に登場させたいと思います。

住宅建材でもなんでもそうですが、私たちの身の周りにあるものは、自然界にあるものを原料とし、科学的に手が加えられ、私たちの元へ届けられます。その過程では、やはり自然から得たエネルギーが使われていることは、子供だって解かることです。またそのエネルギー源の種類も分かる。何が持続可能のもので、何が有限なものなのかも解かる。でもどのくらい使われているのかは、知らされていません。
しかしながら、ドイツでは、建材一覧表みたいなものがあって、建材になるまで消費されたエネルギー量を電力量(ワット)に換算して、個々に明示されているんですね。
つまり設計者が、住まいの省エネのイニシャルコストを簡単に解かる仕組みになっているのです。
さすが環境先進国ドイツで、電力量に換算し、数値化するところもドイツ人気質が現れていますね。
一棟の住宅に使用される建材の生産過程、流通過程で使われるエネルギーが膨大な量になることは、その仕事に従事していなくても想像に難くないでしょう。そこで省エネが図られることは、とても大きな貢献になるのです。それまでの住まい造りのシステムを、変えることにも繋がってきます。

僕は木造住宅専門なので(ごく稀に鉄骨造の小規模な工場や倉庫の設計も手掛けますが)木造に限定して書きますが、木造住宅でもっとも多く使用される材料は、当たり前のことですが木材です。そして全国的に見ても木造住宅の割合は多い。森林国日本だから、伝統性からも、自然風土からも、それはごく当たり前のことなのですが、ここ40年ほどは、輸入材が8割を占め、国産材は2割という現実です。
建築現場では、米松が構造体の主体となり、フローリングなどの内装材も、南洋材や欧米材、最近では中国材が、市場を席巻している現実があります。国産材は、和室に使われる程度でごくわずかです。
遠い海の向こうから、石油を消費し、わざわざ運んでくるわけですが、国内になければ、それも解かるのですが、日本の国土の約70%を占める森林には、伐採木を迎えた良質な木が、飽和状態なのです。
さらに、遥か海の向こうから運んできた木材は、工場で加工され集成材や化粧合板となって、現場に運ばれます。現地で加工され輸入される建材も多いです。木質系ハウスメーカーのほとんどは、このような木質工業製品仕様です。供給の傾向として、大量のエネルギーと化学物質を使い、化学的処理された建材に、住まいは支配されているのです。これって不自然ではありませんか?

建築を学んだいた時に出会った貴重な本があります。法隆寺宮大工・故西岡常一棟梁と当時千葉大で人間工学を研究されていた小原二郎さんとの共著『法隆寺を支えた木(NHK出版)』です。(今は一部が教科書にも載っているようです)
この本には、明治以降、特に戦後主流であった建築学を根底から見つめ直さなければならないほどの、体験に基づく明晰な示唆と、実験に基づく現代建築への警鐘が、書かれています。
文明批評と言っていいかもしれません。

この中で西岡さんは、法隆寺宮大工家に伝わる家訓として「木を買わずに山を買え」ということを述べています。それも「近くの山を買え」と。
山には南も面も北の面もある。尾根や谷もある。それぞれ育った環境で、木の性格は一本いっぽん異なる。建物も同じように南面があり、北面がある。朝陽を浴びる面もあれば、西日を浴びる面もある。
だから、近くの山を買い、南面で育った木は、家の南に使い、陽の当らない北面に育った木は、家の北側に使え。その気候風土で育った木は、その条件下で、その場所で使うことが木を活かすことになる。法隆寺はそのように造られている。
さらに木は、生まれながらにして持っている性格がある。水に強い木もあれば、そうでない木もある。そうした性格も活かして木を使う。
法隆寺が1300年もの長い間、仏教の研究機関としての役割を果たして、それを支えてきたのは、日本特有の良質な桧と法隆寺を造った古代の工匠たち知恵の賜物である。
こうした木の使い方を、「適材適所」という。
その個所を要約するとこんな感じです。

僕は打たれました。まるで稲妻が身体を突き抜けたように。
それから約10年後、僕は使用材料の95%を国産材、それも県産材を使うようになり(100%使用も可能)、同時に化粧合板が、僕が設計し施工する住まいから消えました。同様にビニールクロス、石油系塗料、再使用不可能な断熱材などは一切使わず、無垢材(化学的処置を施さない木材)と天然の土壁(珪藻土、漆喰)、羊毛断熱材を使う、「自然素材の家」にようやく辿り着きました。
10年余りも時間を費やしたのは、既存システムが、このような手法を簡単に受け入れるほど寛容ではなかったことと、住まいを建てたい人たちの意識も、そこにほとんど注目していなかったからです。その当時で言えば、わずか40年ほど前には、ごく当たり前であった、住宅建築を取り巻く環境とシステムが、非効率的で古臭く、非科学的なものだと葬り去られていたのです。
しかし実際はどうだったんでしょうね。大切な何かを失い続けてきただけのことだったのではないでしょうか。

木材だけで言えば、こうした住まいを15件ほど造れば、ひとつの山が、飽和状態から再生され、循環し始めます。
こうした住まいは、省エネのイニシャルコストに貢献するだけではなく、ランニングコストも確実に抑えていきます。さらに自然環境に適しているから寿命も長い。寿命が長ければより貢献できる。さらに「自然素材の家」が、べらぼうにお金がかかるかと言えば、そうではないのです。

住まいを設計し施工する上で、「省エネ」とか「地産地消」という意識は、僕はかなり希薄です。そうした観点からアプローチをしたことはありません。僕の中にあるもっとも大きな概念は「自然の恵みを活かす」ことです。ここから副次的な効果が生まれ続けます。

とても小さな世界です。ささやかな取り組みです。しかし原発に頼るようなシステムからは、遠く離れています。
ただ批判するだけではなく、こうしたこともこれから書いていこうと思います。



武井繁明


価値観とシステムの大転換が求められる原発の行方

2011年04月17日 | 政治・時事
日本の原子力発電の創生期については、前々回、94年に放映されたNHKドキュメント『原発へのシナリオ』を起こし、肉づけしながら書きました。
日本は原子力の研究は、すでに戦前始まっていて、湯川秀樹や仁科芳雄、長岡半太郎らの基礎研究(理論研究)は、世界でもトップクラスで、戦争が始まると、軍から『新型爆弾』の開発命令を受けていました。
こうした原子力の研究は、軍事目的だけではなく、医療、エネルギーにも向けられていましたが、敗戦によってすべて喪失することになります。
占領したGHQが、各研究所、大学から原子力に関わるすべての資料を奪ったからです。そして占領期間中は、原子力研究はご法度にされたのです。

やがて52年、サンフランシスコ講和条約が、連合国との間で締結され戦争が終結。原子力の研究は解禁されたものの、7年間の占領期に世界の原子力研究水準から、日本は20年分くらいの差ができていました。
こうした白紙状態の中で、前々回書いたように日本の『原発へのシナリオ』が、形成され現在に至ります。

余談ですが、仁科芳雄博士は、理化学研究所=理研(科学技術の水準の向上を図ることを目的とし、日本で唯一の自然科学の総合研究所として、物理学、工学、化学、生物学、医科学などにおよぶ広い分野で研究活動を1917年から法人化して行い、現在は文部科学省管轄の独立行政法人)に戦前から戦後しばらく務めており、戦後は所長(やがて社長)にも就任。その頃、新潟の片田舎から上京したばかりの若き日の田中角栄の事実上の身元引受人でした。田中角栄が田中土建工業を興してからも、研究所内の仕事を請け負わせるなど、田中角栄を可愛がっていたようです。田中角栄の能力を見抜き、政治家になることを奨めたのも仁科芳雄だと言われています。

推測の域を出ませんが、田中角栄の卓越した進取の気鋭。特にエネルギー政策にみせた、広い見識――原子力政策、石油戦略において対米一辺倒ではなかったこと。広く全方位的に向いていたこと――は、仁科の影響があったからかもしれません。
そしてここからは推測ではなく事実です。田中のエネルギー政策――原子炉の技術輸入を巡る抗争の構図の中――でアメリカの軍産複合体から反感を買い、ロッキード事件が仕掛けられ失脚させられたことは、ますますアメリカの核の傘下に組み入れられ、属国化への道に拍車をかけました。よく言われる、日中友好を推し進めたことが、アメリカの反感を買ったから、ということも事実ですが、もっと深いところにあったのが、田中角栄のエネルギー政策へのアメリカの(軍産複合体)不信と怒りでした。

もとに戻ります。
世界から遅れてしまった状態で、もたらされたのが、『原子力の平和利用』です。アメリカと技術締結した日本は、アメリカの技術に委ね、原子炉を次々に作っていきます。
日本が委ねたアメリカの企業は、

◇WH(Westinghouse Electric Corporation)加圧水炉型原子炉
当時は、老舗の電力、電気製品巨大メーカーで、初の原子力潜水艦ノーチラス号に原子炉を載せたメーカー。WHの下に、三菱重工がつきます。

◇GE(General Electric)沸騰水炉型原子炉
世界最大のコングロマリット。インフラストラクチャ―、電気、メディア、IT、航空機、宇宙産業に至る軍産複合体。
GEの下に、東芝、日立がつきます。

この二つのJVが中心となり、電力会社の依頼を受け、交互に原子力設備を作ってきました。
その数、この狭い日本に55基。
しかし、90年以降、それまで毎年のように受注があったのが、停滞状態になります。
さまざまな要因がありますが、日本経済の停滞。建設予定地での反対運動が大きな要因だと思われます。これでは、三菱、東芝、日立といった国内原子力メーカーは、大きな打撃を受けることになり、何らかの打開策を見いださなくてはならない。
まず、東芝が動きました。一時期の勢いを失い、分野ごとに身売りしていた、WHの原子力分野を買い取ります。これが現在の東芝WHです。

それまでWHと提携していた三菱は、提携先を失いますが、ただでは起きません。
フランスのアレヴァ (仏:AREVA SA:世界最大の原子力複合企業)と提携します。
福島原発事故で、フランスのサルコジ大統領と、アレヴァのアンヌ・ロベルジョンCEO(最高経営責任者)が、いち早く来日しましたが、アルヴァは、フランスの政府機関が9割の株を取得している事実上の国営企業で、日本の原子力の行く末によっては、自国企業が大打撃を受ける……
と懸念したからでしょう。表向きは支援ですが、それ以上に企業の利益が優先します。

ここで日本の原子力産業の構図が再編されたことになります。
WH・東芝  GE・日立  アレヴァ・三菱……まるで三国時代のような構図です。魏・呉・蜀三国鼎立。

しかし再編されただけでは、利益を生みません。企業の自家発電開発が盛んになる中で、電気料金を下げ、エンドユーザーを隷属化させるオール電化システムの大キャンペーンを行います。
そして安全神話の推進。さらに「クリーン、クリーン!」と叫び、政権交代を果たそうとしていた、民主党のクリーン旋風に原発までクリーンだと便乗し、さらに世界的な命題であるCO2削減の風に乗ってその立場をさらに確立してしまうんですね。
長い自民党支配の中で生まれ、成長してきた原子力産業は、政党を選びません。利益にさえなればなんでもいい。水力よりも火力よりも儲かって仕方がない原発を止めることはできない。
国内にも増設しよう。それでは飽き足らず、発展途上にある国に原発を輸出しよう!
これは民主党と相乗りですが、自民党が政権を持続していれば、もっと積極的に行われたでしょう。

海外への原発輸出……これが再編された原子力産業の21世紀の戦略です。

しかし、これまでもっと先に利益になるはずの仕事が舞い込んできました。
それは『廃炉』です。
原発の耐用年数は、およそ30年と言われていますが、(もちろん点検整備を重ねながら)福島第一のように30年を越えて運転しているケースもあります。
廃炉に向けては、運転停止、燃料棒の搬出を経て、その間放射線物質を放出させないことが絶対条件ですが、大々的に体験していないのが日本の原子力産業です。
当然ながら、将来に向けた廃炉技術を『想定』し、ノウハウを作っていると思われますが、ほとんどの部分は、アメリカの企業に委ねることになるはずです。
今、GE・日立と東芝WHが、福島第一の廃炉に向けて検討を始めましたが、これは事実上のアメリカ企業への丸投げだと指摘する専門家も少なくありません。
もちろんここには、莫大な資金が投入され、アメリカの企業―軍産複合体―が潤う仕組みになっています。

石油、天然ガスが、枯渇され始めるのは諸説様々ですが、どうも原子力燃料のウランの枯渇が、先になりそうです。京大・原子力研究所の小出裕章助教によれば、大雑把にですが、ウラン燃料は50年。石油、天然ガスなどの化石燃料は100年と見通しています。

実は、成立から廃炉までの期間を考慮すると、原発は、利益が次から次へ沸いてくる魔法の泉のような存在なのです。

このように建設、運営する側が儲かって仕方がない原発は、果たして日本に必要だったのか?
「発電量の30%を原発で補っているのだから必要不可欠。もし脱原発を唱えるなら代替エネルギーを示してから言え。今のところの太陽光発電にしても風力にしても微々たるものだろう」
と原発信奉者は言います。

実際はどうでしょう?
たしかに原発は、全発電量の30%を占めていますが、実は、火力発電は、震災があったからではなく、ずっと48%しか稼働しておらず、水力はそれ以下です。ずっと休ませていたのです。
では、原発を仮に一斉に止めたらどうなるかと言えば、火力発電所を70%稼働させれば済むことです。
さらに、半分程度に抑えられてきた火力と水力の発電量を越える需要があったのは、これまでの日本の発電の歴史の中でわずか数度で、それも夏場の暑い時期の数日の午後だけで、あとはすべて火力と水力の発電量で賄えてきたのです。

原発が無くなれば、産業が滅び、生活水準も低下してしまうというのも、実は神話なのです。

だからといって、省エネ政策と省エネ生活の必要でないわけではありません。国家と生命を奈落の底に落してしまう原発をスムーズに廃止していくためにも必要ですし、速やかな自然エネルギーへの移行は、これまで以上に求められます。
そして、怠っていけないのは、原子力産業への監視です。これらと一体となっている勢力への監視です。
何よりも求められるものは、価値観とシステムの転換です。その原動力のひとりになることです。

必要でないものを高いカネで強制的に買わされ続け、結果的に絶望的な不安の中での生活を強いられるなんてたまったものではありません。
結局は、こうした原子力産業を受容し続けてきた私たちの責任でもあるわけですけど……


脳が硬直している原発信奉者の方も、そうではないしなやかな脳の持ち主の方も時間のある時にこちらを見て、聞いていただけると幸いです。
http://hiroakikoide.wordpress.com/


僕は30年前から原発には、強い不信感と悪意を感じていました。だから推進には反対の立場をずっと取ってきましたが、積極的に反対運動をしていたわけでもなく、環境共生社会とそのシステムの一端のそのまた一端くらいを設計し、実践してきたに過ぎません。
また原発推進と知りながら、民主党の一部を積極的に応援してきた経緯もあります。今も応援しています。
言ってみれば、消極的にではあったにせよ、原発を容認してきたことになるのです。そういう意味では、福島の事故の微々たる一部の責任はあるのです。そう自覚しています。
今さらながらということになりますが、いろんな観点から、原発の問題点をこれからも発信していきたいと思います。
ここしばらくは、他のことは書けないかもしれない……
他のことを書こうとしても言葉が生まれないのです。そんなことで、みなさんの日記へのコメントも躊躇いがちです。言葉が生まれないからどうしようもないのです。


武井繁明


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月が綺麗な夜は、この曲を聴きたくなります。
今日、夜明け前に目が覚め、西の窓に薄明かりが見えたので窓を開けてみると
山稜に近いところに月が、光っていました。昨夜は待宵月だったようです。
晴れていれば、今夜も月は綺麗です。望月に向かいます……
(曲を聴かれる方は、お手数ですが2度クリックしてください)

スタン・ゲッツのMisty


Misty - Stan Getz

「未知の領域」で考える―原子力の安全神話について

2011年04月06日 | 政治・時事

およそ神話というものは、古事記を読めば明らかなとおり、神話として成立させ、記述した時の権利力者の都合によって書かれる傾向にあります。それまで伝えられた事実に大幅な変更や、都合の良い解釈がなされ、権力者の正当化が図られ、権力者以前の曖昧な継続が、神話によって補完され正統性を演出し、正史となり、国家支配の礎となる。その際、異を唱える少数派は、異端とされ排斥されます。

「原子力の安全神話」もこうした部類の神話と同じように、虚飾と歪曲のプロセスを経て、国家の正統的政策となり、その際、異を唱えた少数派は異端扱いされ、同じように陽を見ない世界に追いやられてしまう。こうした安全神話の究極的な部分、核心とも言っていい安全性の根拠に科学は存在しない。だから、起きてはいけない、起るはずがない致命的事故が起ってしまいました。
何度も言うように福島第一の事故は人災です。

「原子力安全白書」が毎年刊行されます。近年の白書の初めの方を読むと解かりますが、「原子力は絶対に安全」だと書かれているものはなく、努力目標として安全性を高めていく旨の記述がされています。さらに読み進むと、多くの原子力関係者が、実際には「原子力は絶対に安全」だという考え方を持っていないことが明らかです。国のトップブレーンが、確信できない安全性とはいったい何なのか。こうした安全レベルでしかない原子力に、なぜ安全神話が作られたかと言えば、理由の多くは、原子力に携わる人たちの「過信」にあると思う。

その過信を、京大原子力研究所の小出裕章(助教)はこう示しています。
(ちなみに、小出さんは40年間原子力の危険性について研究してきたため、37年もの間、助手のままで、名称が変わってから現在までも助教(助手・講師クラス)です―少数派、異端者として排斥され続けた典型。

◇他の分野に比べて高い安全性を求める高度な設計への過信
◇長期間にわたり人命に関わる事故が発生しなかった安全への過信
◇過去の事故経験の風化
◇原子力施設立地促進のためパブリック・アクセプタンス(住民合意を得ること)活動の分かりやすさの追及―いかに住民を騙せるか。
そして
◇絶対的安全への願望

このように過信や願望によって生まれた「安全神話」を根拠に建設、運営されてきた原子力発電所は、必然的に安全神話の崩壊とともに、存在の根拠を失います。その際、私たちは、致命傷に至る危険を背負わなければならず、いったん放射能性物質が環境に漏れ、生態系に侵入してしまえば、子々孫々にまで多大な悪影響を及ぼし、何世代にもわたり収拾不可能な状況が生まれてしまう。

こんなことは判り切っているのに、原発は促進され続けました。ではなぜ?

◆原発は、なぜ地方に作られ都会に建設されないのか?
原子力立地審査指針で低人口地域、非居住地域に建設が限られているからです。つまりそれだけ危険性が高く、都会では到底受け入れられない代物だからです。
だから都会で受け入れられないものは、国土のすべてで受け入れてはならない。

◆都会では受け入れられない危険なものをなぜ建設するのか?
破局的事故が起きた時、電力会社の損害賠償法的責任は、総額1200億円で済むからです。
原発を運営する電力会社に、低レベルな免責を与えることで原発を促進させている現実。

◆原発は儲かるから!
電力は、必要経費の上にレートペースを加算できる仕組みの料金体系で、絶対損をしないシステムになっています。
http://page.freett.com/trustjp/matuo/matuo1.html

その上、原発は電源別単価で見ると火力、水力よりも高い。原発の電気料金が安いというのは虚構です。
http://www.greenaction-japan.org/internal/101101_oshima.pdf
(立命館大学国際関係学部・大島堅一教授による試算)

儲かって仕方がない原発が、破局的事故が起ってもこの程度の損害賠償責任で免責されるから、人の少ない地方のあちこちに、数多く建てられてしまう。危険極まりない代物がこのような、優遇システムによって保護されているんですね。
より厳しいシステムの上で運営されなければならない原発が、そうではなかった……

さらに、もっとも核心的な事故について「原子力立地審査指針」ではこう記されています。

◆重大事故
技術的見地からみて最悪の場合には、起こるかもしれない事故

◆仮想事故
重大事故を超えるような技術的見地からは、起るとは考えられない事故。つまり想定外の事故というものです。

そして想定外の事故は、想定してはいけない不適当な事故。想定不適当事故として論議されていません。

◇なぜ想定不適当なのか?
起る可能性が低いから。

◇では、起る可能性がどのくらいなのか?
研究がなく分からない。杞憂と言えるほど低いから。

精度の高い安全性の根拠となる、破局的事故に対する認識が、この程度では科学ではなく、科学的根拠を初めから有していない原発は危険極まり過ぎて、人類が手を着けるものではありませんね。
小出さんによると、このように特に日本ではシビア・アクシデント(過酷事故)の発想が著しく欠落しているため対応がなされていないようです。
つまり「想定外」などというのは、逃げ口上であり、責任逃れのための方便にすぎず、それはそのまま、日本の原子力政策が、未熟で杜撰であることを物語っています。

いったん事故が起これば、取り返しがつかない悪影響を広く後々にまで及ぼす原子力は、

「起り得ることは必ず起こる。起り得ること、想像できることを対策しなければならない」(小出さん)

というフェールセーフの概念が徹底していなければならず、しかしながら原子力においては、不可能です。
原発ではフェールセーフの概念が成立しない以上、そこから脱却することしか、原発から生命と健康と財産を護る術はありません。
私たちには原発から脱する覚悟が必要です。そしてその覚悟が求められています。
自分たちのことではなく、子どもたちや、子孫のことを思い覚悟を決めてください。



武井繁明



George Winston - Thanksgiving