風の回廊

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「国民生活第一」への改革は何処へ向かうのか(1)政治とカネ

2010年09月06日 | 日記
{ 新世界より 第4楽章 / ドヴォルザーク }日本の山総集編


 菅、小沢両氏(以下敬称略)が、民主党代表選に出馬してから僕は、「民主党主催の出馬表明会見」「日本記者クラブ主催の公開討論会」「NHKニュース9での会見」「テレビ朝日・スーパーモーニング:小沢会見」「フジテレビ・新報道2001:両氏討論会」「NHK日曜討論:両氏討論会」「ニコニコ動画:小沢討論会」「民主党主催:共同街頭演説会~新宿」「民主党主催:共同街頭演説会~大阪・梅田」をそれぞれの生放送を見ました。そして民主党のHPから、二人の「政見」をじっくり読みました。
 基本的に僕は、NHKのニュースを軽く視聴するだけで、民放の編集されたニュース、編集された画像を使い、訳の判らない偏向的な評論家やコメンテーターが歪めて語る報道番組、ワイドショーの類は見ないことにしている。なぜならこれまでも編集された恣意的な報道を見ることによって、事実、真実を掴むのに遠回りした経験が何度もあるからです。
 
 新聞については、朝日新聞をやめ、合わせて取っている上毛新聞(地方紙:中央のニュースは共同通信による)を参考程度に、というか活字人間なので、新聞のひとつも読まないと朝の時間が埋められないので読んでいます。理由は、新聞をひとつにしたのは編集されたテレビ報道と同じように信用していないからです。
 
 しかし、日本の行く末を委ねる首相が選ばれる代表選の生放送は、積極的に視聴します。生放送が物語ってくれる多岐にわたり、これまで霧の向こう側にあった自分の中で曖昧になっていたものが、明瞭化するんですね。そして、日本の行く末を推察できる重要な報道です。
その中からいくつか判ったことを書こうと思います。

◇政治とカネ

 小沢をめぐる西松・水谷建設の不正政治献金疑惑ですが、これまで書いてきたように、東京地検特捜(以下、検察)による1年あまりにも及ぶ強制捜査を含む捜査で元秘書3人を逮捕し、ゼネコンの強制捜査をしながら、検察が狙っていた小沢の受託収賄罪、斡旋収賄罪を立証することはできませんでした。

 元検事・郷原信郎(弁護士)をはじめ、会計士など、小沢と直接かかわりのない専門家によって、元秘書の逮捕起訴理由である、政治資金規正法虚偽記載について、問題とされた秘書らの宿舎建設のための4億円の銀行からの借り入れと、自己資金の関係に不正は存在せず、問題はただ一点、取得した土地登記の時期が2ヶ月ずれていたことです。これも言ってみれば、土地取引上よくあることで(僕も仕事柄何度も経験しています)罪とも言えないような微罪であることが明らかにされました。
政治資金規正法違反について、検察審議会の起訴相当、不起訴不当の議決が出されましたが検察は共に不起訴としました。
 
 このことについて、小沢は「仮に総理大臣になって強制起訴されても逃げない。受け止める、訴追に同意する」と発言し、「国会の場でも要請があれば、説明する」と明確に答えました。
これによって報道にあるような、検察審議会の起訴議決で強制起訴になった場合「総理大臣の権限を使い、訴追不同意で逃げるために立候補したのだろう」いうネガティブな憶測は、意味をもたなくなり、同時に小沢の「政治とカネ」の問題はなくなり、代表選の争点としても意味をもたなくりました。

 菅は立候補当初、「政治とカネ」について言及し、小沢が「訴追同意」発言をしてから菅の「政見」にあるように「クリーンでオープンな民主党」という観点から、幹事長を辞任したことを評価しながらも「古い体質の政治家でありクリーンでオープンではない」と討論会で迫ります。
菅を支持する閣僚や議員も同じです。
 一方小沢は、「一年あまりにも国家の最高捜査機関である東京地検特捜の強制捜査を受け、政治資金規正法上出さなくてもいい領収書や他の資料まで全部提出し、出頭取り調べにも応じ、その上で二度の不起訴です。私にやましい点は微塵もありません」と答えました。

 これについて、フリージャーナリストの上杉隆がこんなふうに語っています。
「クリーンであることとクリアーであることは、別問題でもあり、また含まれている微妙なところだが、クリアーという点では、小沢は今のところ日本で一番クリアーな政治家と言える。なぜなら、西松事件以降、幹事長記者会見を毎週月曜に欠かさずフルオープンで行い、事件に関する記者の質問にも答えてきたし、政治資金規制法上提出する必要もない領収書の類まですべて検察に提出しているし、マスコミにも明らかにしている。ここまでオープンにしたのは、私の知る限り小沢と鈴木宗男だけだ」
ちなみに上杉は小沢のことを嫌っている。

 話は逸れますが、10月に出されるという検察審議会での議決が起訴議決になれば、小沢は強制起訴される。「訴追に同意する」言ったからには逃げることは不可能だ。仮に総理大臣になったとしても。
 しかしその時、もっとも困るのが検察だと言われています。これまでの捜査資料を指定弁護士にすべて提出しなくてはならない。この中には検察に都合が悪いことが含まれている可能性がある。
 元秘書は起訴されたものの、昨年3月に起訴された大久保元秘書の第二回公判が1月13日に開かれ、証人により「西松建設の政治団体は正当なものであった」と証言されると、「訴因変更」という理由でその後公判が開かれていない。予定も発表されていない。1月に逮捕され石川議員に至っては、一度も公判が開かれていない。

 そして検察にとって最大の問題は、仮に総理となった小沢を起訴し裁判が開かれても、無罪になる可能性が極めて高いことです。もしそうなったら、一国の総理大臣を微罪で起訴しておきながら無罪という検察の無能ぶりと国策捜査であったことが明らかになる。政治的に小沢を抹殺しようとしたことが誰の目にも明らかになる。この時検察の威信は崩壊し、「政治とカネ」でネガティブキャンペーンを繰り返し続けているマスメディアとそれを言い続けてきた評論家や政治キャスター、文化人、政治家の信頼は確実に失われる。
小沢が総理になれなくても同様な現象が生まれる。

 検察審議会で起訴相当の議決が出され、強制起訴となることをもっとも怖れているのは、小沢ではない。
小沢が総理になることを怖れているのは誰なのか?判り切っている。

 冷静に考えてほしい。岡田外相は「起訴される可能性がある人が立候補すべきではない」と公然と言ったが、これまでも何度も書いてきたように、民主主義国家の刑法の下では、何人(なんぴと)も、『推定無罪の大原則』によって罪が決まるまでは無罪です。自由人です。
この原則に基づけば、二度の不起訴を受けた小沢は、まったくのシロであり、起訴されて初めてグレーとなり、罪の決定を受けてはじめてクロとなる。
 この上に、政治倫理を重ねても、二度の不起訴は、グレーと言っても限りなくシロに近いグレーくらいだと思う。立候補を見合わせる必要もないし、以前言われたように議員辞職、あるいは離党などする必要もない。まして、同じ政党である民主党の議員は、小沢が政治資金規正法上で定められた以上の資料を提出の事実を知っているはずだ。
小沢の「政治とカネ」の問題を代表選で突くこと自体間違いであり 不見識であり、民主主義国家の閣僚、政治家の発言として呆れるばかりです。

このような発言が、生まれるということは、民主党内で激しい権力闘争が行われていると言わざるを得ないですね。


◇僕にとっての民主党と二人への関心の経緯

 菅と小沢が対決する代表選にあたり、僕のこれまでの民主党と二人への関心の経緯について大雑把にでも書いたおいたほうが何かと解りやすいと思う。
 僕はこれまで、小沢擁護論みたいなことを書いてきましたが、07年の参院選までいちばん評価していた政治家は菅直人でした。それも民主党を支持していたわけではありません。いわゆる無党派の一員で、自民党に投票したことはなかったけれど、積極的に民主党や以前の社会党に投票していたわけでもありません。そうですね。菅に関しても民主党についても積極的支持と消極的支持の中間くらいの曖昧な支持です。その程度です。
 小沢については小沢の著書「日本改造計画」を読んだくらいで、メディアに刷り込まれた剛腕、強引、信用のできない奴。というイメージでした。

 そんな僕が02年、県営ダム建設反対の市民ネットワークに加わり(広報誌編集担当)活動する中で、地元の民主党を支持する人たちと出会い、また、民主党代議士の秘書が、個人の資格で加わることになり、民主党への理解が深まり、無党派を抜けました。
 県営ダム建設が凍結された後、このネットワークの主だった人たちを中核として、秘書も含めて、また地元選出の石関貴志民主党議員と民主党県会議員が加わり「八ッ場ダム研究会」というグループとなり、八ッ場ダム建設を多角的に検証し、中止を模索しました。八ッ場ダムは、すでに周辺の工事が進んでいて、グループ結成当時から政治的決着以外道はないということで、民主党の政権交代に託しました。託したからには応援も必要でささやかな応援をしました。そして07年の参院選で過半数を獲り、政権交代の可能性が高まり、09年の衆院選で圧勝し政権交代を果たし、「建設中止」が直ちに発表されました。

 その前年の夏、「緑のダム構想」を掲げていた民主党が、繋がりのある八ッ場ダム研究会と協力し、当時幹事長だった鳩山他、約30人の議員による現場視察が行われ、現地での記者会見で鳩山が「八ツ場ダム建設中止」を09マニフェストに取り上げることを正式に発表をしました。僕たちはお役御免です。
 そんなことで繋がりはさらに深くなりました。

 07年の参院選で、僕に転機が訪れました。選挙を勝利に導いた小沢が僕の中で俄かにクローズアップされたのです。そして小沢の道のりと理念、政策を調べることになったのです。しかし、まだ僕の中でNo1の政治家は菅直人でした。それは、西松事件が起こるまで変わりませんでした。
 西松事件・水谷事件が起こり逆風の中に立たされた小沢が辞任したことで、さらに小沢をについて知りたくなったのです。小沢について調べたことはこれまでかなりの量を書いてきたのでここでは省きますが、「このような混迷の時代にあって、日本の舵取りを任せられるのは小沢しかいない。混迷を切り拓くのは小沢しかいない」と思うようになり、僕の中でNo1の政治家が小沢に変わり、菅直人はNo2になったのです。
 
 小沢と鳩山が切り拓いた後は、菅直人が実直な政権運営で安定させればよい。そんな思いでした。しかし、小沢、鳩山の改革途中での辞任で状況は変わり、菅の代表、首相就任を多少の不安を感じながらも歓迎していました。
 しかし、首相就任後の菅に失望しました。就任の時の、あたかも首相になったことが菅の最終目的であったかのような喜びように不安を感じたと以前書きましたが、その不安が的中したのです。
もちろん僕にとってということですが……


                               続く


いろんな人が出てきて、
そのそれぞれに
それぞれの事情と理由と言いぶんがあって、
誰もがそれなりの正義と幸福を追求しているわけです。
そしてそのおかげで全員が
にっちもさっちもいかなくなっちゃうんです。
そりゃそうですよね。
みんなの正義がとおって、
みんなの幸福が達成されるということは
原理的にありえないですからね。


                    村上春樹 インタビューより



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