風の回廊

風を感じたら気ままに書こうと思う。

小沢問題に見る 人権軽視と権力闘争(一年の終わりに)

2011年01月01日 | 政治・時事
17日、起訴が確実となっている小沢一郎議員の主任弁護士となった弘中惇一郎弁護士が記者会見を行いました。
弁護人は、依頼人の利益を最大限に護ることを使命とする業務だから、一般的な視点からすれば、その言動は時に偏りのような違和感を覚えるものです。しかし弘中弁護士がここで語った内容にその違和感はなく、小沢さんに関わるメディアの論調やメディアが小沢ネガティブキャンペーンで形成した思考後退した世論に対して、警鐘を鳴らしているかのように感じ、必ずしも、小沢さんの利益を護るだけのための発言だけでは法律の専門家の“公正な良識”とも感じました。また、現在の政局に対しての見方を示唆したとも言える内容です。それを導いたのは、岩上安身さん(フリージャーナリスト)の小沢問題にあるいくつかの核心をついた質問です。この会見が従来のように『記者クラブ』が独占していたなら、これほど注目すべき内容になっていたかどうか。フルオープンの会見ならではの新鮮さを感じました。なおフルオープンにしたのは小沢側の意向によるようです。
ぜひ、ご覧ください。

http://iwakamiyasumi.com/archives/5226 『岩上安身オフィシャルサイト』から。

まず弘中弁護士は、刑事弁護人としての立場で、刑事被告人になることがほぼ決まっている人が、刑事裁判で調べられる起訴に関わること、相手に訊かれる可能性のある事柄について、政倫審のような公の場であれこれ質問され、答えを強いられることは、公判に重要な影響をもたらす可能性があり、裁判に差障りがあるので好ましくないと言っています。
これは、知る権利、報道の自由と人権に関わることで、人権保障という観点から尊重すべきであると言っています。

このことは、とても大切なことにもかかわらず、多くの人が見逃しているか無視しているか、感じないでいるかのいずれかのように思う。
小沢さんは、これまで、「多くのみなさんが公の場で説明しろというのであれば、拒みはしない。出ていくつもりである」という主旨の言葉を質問される度に言ってきました。しかし、これには但し書きがあったことを忘れてはなりません。小沢さんは言う。「2年近くにも及び、あの検察特捜が、多額の捜査費用と多くの人材を費やし、強制捜査まで行いました。しかし犯罪の事実はなく潔白であるという証明が不起訴によってなされました。これまでも記者会見でみなさんの質問に答えてきた。これ以上どうやって説明責任を果たせと言うのか。これ以上どうやって身の潔白を証明せよというのか判らない。それでも公の場で説明しろということであれば拒まない」

西松建設事件で名前が挙がった政治家は、小沢さんを含めて14人いる。その中で会見を開き説明したのは、小沢さんを含め二人だけです。さらに小沢さんは、党代表を辞任し、代表を辞任してから党幹事長という立場で毎週一度、すべてのジャーナリストに公開した記者会見を行い、記者の質問の度に答えてきた、もっとも説明責任を果たしている西松事件で名前が挙がった政治家であることは間違いありません。
このような小沢さんになぜこれ以上の説明責任を求め、他の13人の名前が挙がった政治家には、『政治と金』についてメディアも国民も追及しないのか不思議な現象です。
この現象は公正なのかどうか、人権保障という観点に立って考えてほしいと思います。
小沢さんや政治家に限らず、何人も動かし難い犯罪事実が明らかになってから糾弾しても遅くないと思うのですが。

さらに小沢さんは、幹事長の座からも降りて、責任を果たしてきた経緯がある。しかしこれだけではまだ足りないと思っていると思っている人が多そうです。
あるいは憲法に小沢一郎の人権保障は除く。とでも明記されているのか。それとも多くの人が小沢さんに人権を認めていないのか。そんな捻くれた見方まで生まれそうです。
そしてこれまで何度も書いてきたように小沢さんの『政治と金』に関して、どのような具体的な問題があるのか、誰も明確に示していない。検察も起訴を断念した。だいたい、西松建設、水谷建設の不正献金事件に小沢さんはは関与していない。明らかに検察の姿勢に無理があった。検察は必ずしも正義を具象化する機関ではなく、事実が示しているように、暴走し無実の罪を作り上げることが使命のひとつとして、組織体系に蔓延している危険な機関でもありますね。その検察が、フロッピー前田まで投入しても(フロッピー前田を投入するくらい無理筋の捜査だったと思う)起訴できなかったということは、関連政治団体から受けた献金は正当なものだった。という証ではないのでしょうか。
しかしながら、いまだに具体的な姿を見ない『小沢の政治と金』という亡霊を、多くの人は実態だと勘違いしている。こうなるともう病気ですね。

小沢さんは、検察審査会の議決を受け強制起訴に今向かいつつあり、刑事被告人に近いところに居る。強制起訴の議決を受け、小沢さんの公の場での説明責任への意向は変化し、一方多方面から、具体的に政治倫理審査会という具体的な場が出され出席を求められている。
小沢さんの公の場での説明の意向は、強制議決を持って変化しました。弘中弁護士が主任弁護人に就く前からです。
「検察の議決で、強制起訴となり、私が公の場で質問に答えることは裁判にも影響を受ける。私の説明の場は、司法に移ることになる。そこでありのままを申し上げる。したがって政治倫理審査会への出席は好ましいものではない」と言う主旨で述べています。正論だと思う。

しかし、野党はもちろんのこと、同じ党の菅総理をはじめとする内閣の首脳、党執行部は、政治国会での説明を強く求めている。
その理由は実に曖昧であり、その言動は権力闘争の色合いを増している。菅首相と首相を強く支持するグループは、小沢さんを排除しようとしているようにしか思えない
菅首相は代表選の前も、最中も、終わった後も、「代表選が終わったらノーサイド」「挙党態勢」「412人内閣」を約束した。しかし実際は、小沢G、鳩山G、とりわけ小沢Gを内閣と党の中枢から遠ざけていることは一目瞭然で、挙党態勢とは程遠い、約束を反故した人事になっています。
特に小沢さん個人への言い掛かりとも言えるような、排除の理由は、人間性を疑いたくなるほどです。
・『政治と金』の責任を小沢さんに求めているが、具体的にその内容を示したことは一度もない。
・菅体制になってから、民主党は地方選挙で敗北の連続だが、その責任をすべて小沢さんの『政治と金』のせいにしている。
これはかなり無理がある。小沢さんと鳩山さんが共に幹事長と首相を辞任し、菅政権となり、世論の支持はV字回復し、高い支持を得た。それにもかかわらず、菅体制で参院選にぼろ負けした。責任は誰にあるのか。これも一目瞭然でですが、菅首相も党執行部も表向きには自分たちの責任を意識していない振りをして、小沢さんの責任だとしている。
“意識していない振り“と僕は、悪意に満ちた書き方をしたが悪意ではありません。参院選後行われた民主党両議院総会のノーカット映像を見れば菅首相も執行部も、敗因はすべて自分たちにあると謝罪している。総辞職と執行部入れ替えを求められたが、「今ここで総辞職して空白を作ることは、混乱に拍車をかけ、国民に多大な迷惑をかける。ぜひ9月の代表選までは、今の体制でやらせてほしい」と菅首相が泣きを入れるような状態で懇願し、菅体制は持続したんですね。
責任は自分にあると認めながら、曖昧で根拠のない『小沢の政治と金』のせいにしている。
だから“振りをしている”と書きました。

代表選後の菅政権と執行部の凋落ぶりは、小沢さんのせいではないことは、これまた一目瞭然で、尖閣沖で起こった中国漁船の海上保安庁巡視船への衝突事件での外交の不手際と、それに関わる検察による外交処理問題(重大な外交案件に一地方検察が介入し、してはならない三権分立を揺るがす政治的処理を行った越権行為―これは政府の命令であることが明らかで、那覇検察は受け入れ難い苦渋に満ちた受諾だったことが窺える。しかし、仙谷官房長官は、那覇検察の判断と否定している。仙谷官房長官こそ国会の場で証人喚問を受け事実を明らかにすべきだ思う)とビデオ流出事件、ロシア大統領の国後島訪問、回らない臨時国会と国会での菅首相の説得性に欠けた答弁と、変わりまくる仙谷さんの答弁、失言などなど、呆れるばかりの稚拙な事柄のオンパレードで民主党と内閣は、国民の信頼を失い続けました。
誰がどう考えても小沢さんのせいではない。小沢さん排除の正当な理由が見つからない。
世論の80%が小沢さんの国会招致を求めているからいう理由では話になりません。問題は、小沢さんを招致する理由を誰も説明できないことにあると思います。

しかし、内閣と党が、国民の支持を失うほど、菅首相と執行部の小沢排除は明確になり、政倫審への出席を拒否すれば、進退問題に発展する。離党勧告も辞さないと推察できる発言が、菅首相と仙谷官房長官と岡田幹事長や首相の周辺から漏れるようになりました。まさに権力闘争の装いで、仕掛けたのは菅首相であり、小沢さんはただ受け流してきただけで、これまで実際の行動に出ることはありませんでした。

菅首相と岡田幹事長は言います。
「政倫審へ出席し、説明責任を果たすことで、通常国会が潤滑し、野党との国会審議が諮れ、次期予算案を通すことが可能となる」という主張で、党役員会での議決も辞さないと小沢さんに伝えました。

しかしこの理屈はおかしいと思う。そもそも政倫審の設立理由のひとつは、『国会審議に関係なく行われる』もので、“国会審議が止まるから出るよう強要する”のは、設置理由と矛盾する。
さらに、政倫審は、疑惑を受けた国会議員が、自ら疑惑を晴らすために、自らの申請によって開催されることと、政倫審委員の2/3以上の要請があった時に行われるもので、党の役員会で議決し強要すべきものではない。
もう、菅首相と執行部は常軌を逸している状態に陥り、前後左右どこも見えなくなり、何が何でも小沢さんを排除するという方向に向かっているように思う。
たとえば、政倫審開催については、小沢さんの出席を求めないだろうとされる委員を差し替えてまで、小沢さんを政倫審に引っ張り出そうとしていました。
僕はこの事実を知った時、そんな横暴なことが可能なのか?と思いました。

【衆議院政治倫理審査会規程】
第八条:委員に選任された者は、正当の理由がなければ、その任を辞することができない。
2 委員がその任を辞そうとするときは、理由を付し、会長を経由して、議長の許可を得なければならない。

こう規定されている以上、首相といえども強制的に促すことはできない。もし実行したら、これはもう政治的なテロであり、首相自ら民主主義に背を向けることになる。無理を通そうとしているのが、菅首相と執行部であることは、これまた一目瞭然です。

僕は権力闘争と書いた。たとえば、革命を起こそうとする勢力は、必ずしも同じ理念でひとつにまとまっているわけではなく、既存権力を倒すことを最初の最大の目標とする。だから主張の擦り合わせと、妥協を諮りながら同じ方向に向かう力を固めることが、最重要ポイントとなります。
民主党による政権交代への道のりは、同じように進んできました。こうした経過を一手にまとめたのが小沢さんであることは、今年1月の日記『変わらずに生き残るには、自ら変わらなければならない(1)~小沢問題から(6)』でふれました。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1405742645&owner_id=4982969
特にこれまで一度も選挙で勝てなかった民主党を責任野党まで上昇させ、代表就任後の参院選で過半数を勝ち取り、その後2年というわずかな期間で政権交代を実現させたのは、小沢さんの手腕によるところが大きい。もちろん菅さんも鳩山さんも重要な役割を果たしている。それが『トロイカ体制』であり、『国民の生活第一』というマニフェストですね。

しかし政権を勝ち取り、前に進み出すと擦り合わせ、ひとつにまとめたはずの理念や政策が、それぞれ主張を持ち始める。内部で軋轢が生まれ、闘いが始まる。闘いは排除の論理を生み出す。
世界の政治史は、こうした傾向を教えてくれる。そして歴史は繰り返す。

弘中弁護士は、記者会見の中で岩上さんの小沢さんの政倫審招致についての質問にこう答えています。
「政倫審招致を求めるなら、小沢さんの倫理違反について具体的に示さなければならないが、その具体性に欠けているのではないか」
小沢さんの倫理違反は、具体的に何なのか、菅首相も執行部もメディアも示していません。メディアの記事は推測の域に留まっています。あとはお決まりのように、自分たちが形成した世論を盾に、世論が!世論が!と騒いでいるだけです。

菅首相と執行部が示す顕著な理由はただひとつ
『通常国会の審議を円滑に進め、予算案を通すため』という一点に尽きます。
もうひとつは、理由にはならない『潔白であるなら、政倫審で答えるべきだ。国民の多くはそれを求めている』という、前々回書いた“思考後退”した『悪魔の証明』です。
この二つは、横暴の一語に尽き、小沢さんの人権を顧みることはありません。権力闘争というものはそういうものなんでしょうか。

小沢さんは、再三「党を割るべきではない。今こそひとつになり『国民の生活第一』を進めていかなくてはなない」と愚直なまでに言い続けています。ぶれていない。仕掛けられた権力闘争も避け続けている。しなやかに対応しています。

参院で問責決議が可決された仙谷官房長官は「起訴され離党した石川議員の前例がある」と明確に小沢さんに離党を求めました。
石川議員の起訴も検察の暴走によるものだが、その検察が起訴できなかった小沢さんの検察審査会による強制起訴は、石川議員の起訴と種類が違います。ここは重要なポイントですね。
岩上さんと弘中弁護士が示しているように、検察審査会の起訴事由は、平たく言えば、「検察は起訴できなかったけれど、世間が騒いでいるようだから、司法の場で審議してみてよ」というような投げやりなもので、もう少し具体的に言えば、検察の起訴事由から逸脱した理由で議決している。本来、検察の不起訴理由を審議しそれが市民の視線で見た場合、適切であるかどうかを審議し、検察の暴走を食い止めるべきものなのに、別の事由をつけて強制起訴したという、いわば新たな刑事事件を創出してしまった特殊なケースで、初めてのケースが小沢強制起訴なのだ。と弘中弁護士は言います。
弁護士の仙谷さんなら、このことは十分承知しているはずなのに、逆に利用し小沢さんを排除しようとしている。
まさに、権力闘争の様相だと感じます。

権力闘争は、相手の墓穴を掘り、失墜させ、葬り去るという側面を持つ実に陰湿で熾烈なものです。
今、小沢さんを失墜させ小沢さんの墓穴を必死に掘っているのは菅首相だということを窺い知ることができる。
しかし、墓穴を深く大きく掘るほど、その足元は崩れやすくなることは必然で歴史も証明している。やがて相手を貶めようとして自ら掘った相手のための深く掘り続け崩れやすくなった墓穴のために身動きが取れなくなることもあります。

僕はツイッターで、「菅と執行部に政局の舵取りをする力はなく、小沢排除を進めるほど沈没の航海に向かう」と書きました。「政局を握ってるのは、むしろ小沢で小沢が政局の舵取りをするだろう。小沢が動いた時、これまでの状況が変わる」という主旨のツイートをしました。
少しその頃の僕のタイムラインを紹介します。

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(引用開始)
rsmoon C-moon
政倫審の委員を差し替えたり、強硬採決したりして、墓穴を掘るのは菅だと思う。証人喚問、離党勧告という言葉が菅から出たら、終わるのは菅。それは、小沢さんと菅の求心力の違い。大きな差がそうさせると思う。また、小沢さんは政局を作れるが、菅は作れず呑まれるはず。
12月20日

rsmoon C-moon
「潔白なら政倫審に出るべきだ」と思い始めた時、思考は停止するどころか後退を始める。見えるものが見えなくなってくる。
12月20日

Rsmoon C-moon
菅は今、必死に小沢さんの墓穴を掘っているが、深く掘れば掘るほど足元が崩れやすくなり、そこに堕ちるのは自分自身だということに気付いていない。そう遠くないうちに、「墓穴を掘り過ぎて死す」という諺が生まれ、やがて故事となる。憐れ!菅。
12月20日

rsmoon C-moon
だから小沢さんは狙われ、貶められますね。属国権益者たちによって。RT @shouhyou1 属国化を阻止できるのは、小沢さんだけ@rsmoon 「潔白なら政倫審に出るべきだ」と思い始めた時、思考は停止するどころか後退を始める。見えるものが見えなくなってくる。
12月20日

rsmoon C-moon
政策は誰でも作れるが、政局を作るのは並大抵ではないですね。RT @tutinoue政策を突き詰めると、政局になるからRT @jyusoukuushin 「小沢は政局を作れるが菅は呑まれる」とは言いえて妙。@rsmoon政倫審の委員を差し替えたり、強硬採決したりして~ .
12月20日

rsmoon C-moon
小沢さんの政倫審問題について郷原さん「被告になるのが確実な人を呼び出すのはおかしい。政倫審が開かれても、小沢氏は質問に答えようがない。それなのに黙っていると不利な印象を国民に与え、刑事裁判にも影響する」(東京新聞)
12月21日
(引用終わり)
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僕がこのように書いたのは、双方が墓穴を掘っているか、掘っていないかによる。
菅さんは総理に就任以来、明確に小沢さんを挑発し、小沢さんの墓穴を掘ってきました。代表選に勝ってからは、目に余るものがあります。自民党の派閥争いでも、水面下ではいずれにしても、これほど露骨だったことは、それほどなかったのではないかと思う。
一方小沢さんは、その打たれ強さと、これまで難所を走り続けた自信と実績がそうさせているのか、自然体です。菅首相の墓穴を掘っているようには思えない。少なくても表面化していません。

しかし、ついに小沢さんが動きました。自ら政倫審に出席すると28日に発言したのです。その会見のノーカット映像とテキストを岩上さんのオフィシャルサイトから転載します。
http://iwakamiyasumi.com/archives/5314

小沢さんの発言の中で重要なポイントはこの2点です。小沢さんが記者に配ったメッセージの中のその部分をそのまま転載します。

(転載開始)
“第一点目として、常会において私が政倫審に出席しなければ国会審議
が開始されないという場合、すなわち、私が出席することにより、予算
案の審議をはじめ、国会の審議が円滑に進められるということであれば、
常会の冒頭にも出席し、説明したいと思います。
第二点目は、私が政倫審に出席するかどうかということが、国会審議
を開始するための主たる条件ではないということであれば、国民の生活
に最も関連の深い予算案の審議に全力で取り組み、その一日も早い成立
を図らなければなりません。
したがって、私はこの場合には、予算成立の後に出席したいと考えて
おります。“
(転載終わり)


菅首相と岡田執行部は、まさか小沢さんの政倫審出席を想定していないほど、先が読めない無能だとは思いませんが、小沢会見後のあわてぶりと、さらなる強硬発言は、正直に言って呆れ果て、さらに人間性の欠如を感じさせました。ここでも権力闘争の様相です。
小沢さんの出席を、条件付きだと非難し、通常国会前の無条件出席を迫ったのです。そしてメディアも同調しました。メディアが書けば、多くの国民も同調する。これが日本の世論の思考停止、思考後退の現実です。小沢さんの人権はますます損なわれる。

小沢さんの発言から、強い意志と深い意味が読みとれます。
菅首相と執行部は、政倫審に出席すれば証人喚問は求めないと繰り返してきました。つまり小沢さんは、政倫審出席で、証人喚問に応じないという強い意思表示をしたのです。約束を公に取り交わしたと言ってもいいでしょう。
これで菅首相と党執行部は、政倫審での説明責任以上のものは求められなくなりました。
さらに、政倫審招致を求める理由が、国会審議の円滑化するため、次期予算案を通すためというものです。
これに小沢さんは、条件をつけるようなかたちで受け入れました。小沢さんが受け入れ政倫審に出席すれば、国会審議の円滑化と次期予算案成立の責任は、菅首相に求められます。小沢さんに求めることは、これまでの言動から不可能です。
ここで問題なのは、野党が小沢さんを政倫審出席ではなく、証人喚問を求めているということです。菅首相と党執行部は、小沢さんの政倫審出席で、小沢さんに証人喚問招致はできなくなります。公言していたわけですから、変節したらそれこそ首相と執行部の政治倫理を問われます。
菅首相も党執行部も、今身動きできない状態に陥ったばかりか、国会審議の円滑化と予算案成立が、政権の存亡の条件になりました。
しかし、野党が証人喚問を求めている以上、国会の審議はスムーズにいかない。菅首相は打つ手がなくなり、参院で問責決議が可決するのは必至の状況に追い込まれました。

相手の墓穴を深く、広く掘れば掘るほど、足元は崩れやすくなる。いずれ堕ちることがあるかもしれない……

昨日、小沢さんは、菅首相と党執行部とメディアが求めた、通常国会前に政倫審に出ることを決めたようです。

小沢さんはますます身軽になり、菅首相と党執行部は、重いものを背負うことになりました。
政局を自らの手にしようとした菅首相は、今のところ舵取りができていないばかりか、ますます身動きが取れなくなり、政局に呑まれています。それを打開するための内閣改造が注目されます。
「こんなはずではなかった」と菅首相は思っているでしょう。内閣改造も思うままにできなくなりそうです。
もし、菅首相に国民を護らなければならない、という強い気持ちがあるなら、内閣改造と党執行部刷新を図り、政権交代を果たした頃の、挙党態勢にすべきです。政治の世界は、一寸先は闇で、今後何が起こるか判りませんが、今、菅さんがすべきことは、挙党態勢を確立させ、『国民生活第一』のマニフェストに還ることだと思います。
もしできなかった場合、これまで民主党を支持していた人たちの半数以上は、菅政権を間違いなく見離すでしょう。



小沢問題に見る、ジャーナリズムの喪失

2011年01月01日 | 政治・時事
日本のメディアが海外から見ると異常に映る理由は、小沢問題の報道を検証すれば明らかだが、それにも増して異常なのは、大新聞社の主筆であり、会長である渡辺恒雄が政局に口を挟み、民主・自民の大連立を画策し、自ら行動を起こす異常さには、背中が凍りつくような感じさえする。
財界人の一人としての意識の上の行動なのだろうか。もしそうだとすれば、少なくとも主筆の地位から降りなければならない。しかしいずれにしても、中立性と公正性を求められる新聞社の人間がすべきことではない。渡辺の行動は、もはやジャーナリズムから大きく逸脱した行動であることを読者は認識すべきで、そうした異常なメディアからの情報に常に接しなければいけない私たちは、しなやかな姿勢で臨まなければたちまち誤った方向に導かれてしまう。
誤った方向に導かれたもっとも顕著で、今なお進行中の例が小沢問題を巡る、検察、あるいは政府と組んでいるかのようなメディアによる国民の洗脳状態ですね。洗脳は、「染脳」と書くのが正しいように思えてきます。
そのような日本のメディアを昨年の5月、ニューヨーク・タイムズは、鋭く批判しました。

以下、僕が愛読しているブログ『カナダ de 日本語』さんの訳文を転載させていただいたものです。
http://minnie111.blog40.fc2.com/blog-entry-1620.html

原文はこちら(09年5月28日付、NYタイムズ)
http://www.nytimes.com/2009/05/29/world/asia/29japan.html?_r=1

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東京からのメモ
スキャンダル報道で、メディアは情報を流すだけ
マーティン・フェックラー (By MARTIN FACKLER)
2009年5月28日

東京 — 東京検察官が3月に次期総理候補の野党党首小沢一郎の秘書を逮捕したとき、次期選挙で敗北するのが確実視されていた自由民主党を延命させるかのごとく、民主党にダメージを与えるスキャンダルを誘発させた。多くの日本人が権力の不正行使に抗議したが、大手新聞社やテレビの報道が国民の真の声を覆い隠してしまった。

その代わりに、ほとんどのメディアは建設会社から野党党首、小沢一郎に渡った違法献金についての検察からのリークに薄くベールをかけた匿名による証言の流れを次から次へと額面どおりに垂れ流した。このような否定的な報道が何週間か続いた後、小沢氏は、民主党の代表を辞任した。

小沢氏の辞任は又、さまざまな検察への批判を引き起こした。政治関係者や、普段はめったに公で検察のやり方を批判しない一部の元検察官からさえも批判の声があがった。検察への苦情は、政治的干渉を責めたものから、検察官が単に逮捕のタイミングに配慮が欠けていたことを批判するものまで広範囲にわたった。

しかし、警告として、学者や元検察官らは、検察の情報をこの事件の答えとして流すニュース・メディアの失敗を指摘した。特に、国が半世紀にわたる自民党政治から二大政党制に変わろうとしている日本の民主主義にとって大切なときに、このようなことが行われるとは。

京都大学で国際政治学を教えている保守派学者の中西輝政教授は、「マスメディアは、何が危うくなっているのか、人々に告げるのに失敗した。それは、日本が政府を変えて、政治的閉塞感を打ち破る最高のチャンスを逃そうとしているということだ。それも、国民が全く気づかないうちに」と語った。

今回の逮捕は、有権者の間に政治的な大御所である小沢氏が、政権交代を切望していた自民党に比べて、少しもきれいでなかったのではないかという恐れを確認させることになった。又、それは、9月初旬までに実施されなければならない選挙に先駆けて、一時的に野党を脱線させたように見えた。世論調査での民主党の支持率も下がった。だが、その支持率は、スタンフォードで教育を受けたエンジニアの鳩山由起夫新代表が今月、代表選で選出された後、わずかにはね返った。

確かに新聞は検察を非難する意見も一部載せたが、日本の報道陣は彼らの報道が小沢氏にとっては厳しく、検察の捜査に対しては一般に好意的だったことを認めている。しかし、彼らは、ちょうど検察の言いなりになったり、リークされた情報を繰り返し報道しているのではないかという指摘に憤慨する。

ザ・ニューヨーク・タイムズが日本の大手新聞社である朝日新聞に質問したところ、「朝日新聞は検察のリークをそのまま記事にすることは決してありえない。」という返事が書面で届いた。

しかし、日本の報道陣は、報道のあり方が、過去にも何度もニュース・メディアの独立性の問題となったことを認めている。日本の大手報道機関は、国家権力と親密でありすぎることを長い間問題視されてきた。

実際、今回の小沢事件の報道は、因習に挑んだIT起業家堀江貴文らの逮捕を肯定的に報道したのと何も変わらないと言う学者もいる。

上智大学でジャーナリズムの教鞭をとる田島康彦教授は、「ニュース・メディアは権力の監視者であるべきだが、彼らはむしろ、権力の番犬のように振舞っている」と述べた。

米国でも、どこでも、ニュースメディアは政府に近すぎるとの似たような批判に直面しているが、日本ではそれが、より大きな問題となっている。政府との居心地のいい絆が、「記者クラブ」という仕組みをつくり、そこには一般に、大手メディアのメンバーだけが出入りできるようになっている。

このシステムが、大手報道機関に政府報道を鵜呑みにした記事を書かせることにつながると、長い間批判されている。ジャーナリストは、「記者クラブ」にかかわらず、独立性を保っているといっているが、情報へのアクセスを失うことを脅しに、時々、政府主導の記事を強制して書かせられているとも言われている。

先月、日本の大きな全国紙に比べて小さな日刊紙であるが、全国紙より政府に批判的である報道で知られている東京新聞が、小沢氏に献金した同じ会社から寄付を受け取った与党議員についての調査の記事を載せた後、3週間、東京検察官と話すのを禁止された。

東京新聞はその理由を、単に検察が公表されることを望まなかった記事を報道したことで罰されたと伝えた。「検察官に逆らうことは、最後のメディアタブーのうちの1つ」と、東京新聞の東京検察記者クラブ担当報道長官、瀬口晴義氏は言った。

「メディアがチェック機関としての行動を怠ったことが、検察が説明責任を果たさず自由に動くことを許した」と野党・社会民主党の保坂展人衆議院議員は語る。保坂議員は、今回の検察による捜査について、自身のブログで大きく取り上げている。

保坂議員は、「メディアがチェック機関としての行動を怠ったことが、検察が説明責任を果たさず自由に動くことを許した」と述べた。(東京地検は、ニューヨーク・タイムズ紙が記者クラブに属していないことを理由に、本件についての取材要請に応じなかった。)

日本のジャーナリストは、次の首相になる可能性の高い人物について、国民が知る必要があるという理由を挙げて、小沢氏に対するネガティブ・キャンペーンを繰り返した。群れを成した報道陣の攻勢が過熱し、より多くの記事が書かれたと弁解する。

「我々がスキャンダルについて書けるだけ書く競争があった。」と朝日新聞の東京地方検察署担当者、市田嵩氏は語った。しかし、このことは、なぜ西松建設が自民党の議員に献金したことに関して深く調査したのが、非常に限られた記者だけだったのかという説明にはならない。

答えは、ほとんどの日本人記者が承知しているように、検察の言うとおりに書けば、独自の記事を書いたばかりに検察を怒らせるという危険を冒すこともなかったからだ。

ニュースメディアは、小沢氏に関する調査についての記事に見られるように、次から次へと過剰な報道を流し続けるので、以前はそんな報道から利益を得ていた元検察官らさえ、メディアを批判し始めた。

「私が検察官だったときは気分がよかった。でも、今は1人の市民として、騙されたように感じる。」と36年間検察官を勤めて、今は退職している宗像紀夫氏は語った。

(以上)
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この記事が駆け巡ってから、すでに1年半以上が経過しているが、改善されるどころか、さらに酷くなっているようにも感じます。海外のメディアに批判されたからといって、この記事を紙面に載せるなり、顧みるなり自己浄化作用が働くものではないかもしれないが、このことは突き詰めて言えば、読者を侮っていることに他なりません。
日本では、ジャーナリズムに在らざる姿勢で記事を書いても読者は受け入れてくれる。あるいは権力側に立つことがジャーナリズムと思っているのかもしれない。それほどメディアに都合の良い姿勢を崩さず、楽な方向の姿勢のままでも、メディアは批判されず新聞は読まれ、テレビニュースの視聴率は安定し、世論調査の結果は、メディアの論調が、視聴者に行き渡っていることを証明している。まさにメディアによる染脳大国日本。
僕が国民を侮っていると感じないわけにいかないのは、いずれのメディアも自己検証しないことです。
一政治家に、説明責任を求めながら、自らは、説明責任を果たさないこと。説明責任を果たさないということでは、例えば郵政不正事件における報道は、正しかったかどうか。冤罪を助長するような記事はなかったかどうか。
そして記事や報道に対し間違っていても責任を取らないこと。
表現の自由、報道の自由、知る権利を盾にして、人権を蹂躙していること。

(敬称略)

続く……