風の回廊

風を感じたら気ままに書こうと思う。

村上春樹の言葉―非現実的な夢想家として 

2011年06月10日 | 政治・時事
スペイン、カタルーニャ自治州政府が、人文科学分野で国際的に貢献した人に贈る『カタルーニャ国際賞』が、9日現地で、村上春樹さんに授与されました。
国際的な賞を受賞した時、受賞者のスピーチに注目が集まるわけですが、村上さんは『エルサレム賞』を受賞した時(09年2月16日)も、封鎖されたガザ地区へのイスラエルの無差別的な攻撃もあり、受賞の是非も含め注目され、賞を受けたことから国内では多くの人たちによって批判されました。
そんな空気の中、エルサレムへ出かけ、受賞し、ペレス大統領他、イスラエルの指導的役割を果たしている人たちの前で「壁と卵」を暗喩として、イスラエルのパレスチナ人への対応を批判、普遍的で根源的な平和の問題、体制と個人の関係とその問題を次のように述べました。

―私たちは皆、多かれ少なかれ、卵なのです。私たちはそれぞれ、壊れやすい殻の中に入った個性的でかけがえのない心を持っているのです。わたしもそうですし、皆さんもそうなのです。そして、私たちは皆、程度の差こそあれ、高く、堅固な壁に直面しています。その壁の名前は「システム」です。「システム」は私たちを守る存在と思われていますが、時に自己増殖し、私たちを殺し、さらに私たちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させ始めるのです。―

―私たちは、国籍、人種を超越した人間であり、個々の存在なのです。「システム」と言われる堅固な壁に直面している壊れやすい卵なのです。どこからみても、勝ち目はみえてきません。壁はあまりに高く、強固で、冷たい存在です。もし、私たちに勝利への希望がみえることがあるとしたら、私たち自身や他者の独自性やかけがえのなさを、さらに魂を互いに交わらせることで得ることのできる温かみを強く信じることから生じるものでなければならないでしょう。―
 
―このことを考えてみてください。私たちは皆、実際の、生きた精神を持っているのです。「システム」はそういったものではありません。「システム」がわれわれを食い物にすることを許してはいけません。「システム」に自己増殖を許してはなりません。「システム」が私たちをつくったのではなく、私たちが「システム」をつくったのです―
(エルサレム賞授賞式でのスピーチから引用)

このスピーチは多くの人たちの共感を呼び、受賞を決意した時の批判勢力を沈黙させたことになりましたが、今回の受賞でも、震災を受けた国の国際的な作家としてスピーチが注目されました。
今現在、各社とも全文を入手していないみたいなので、共同通信が発表した要旨を掲載します。
と書いているうちに全文を各社一斉に発表したので、写し変えます。


【バルセロナ共同】作家の村上春樹さんがカタルーニャ国際賞の授賞式で行ったスピーチの全文。

「非現実的な夢想家として」

 僕がこの前バルセロナを訪れたのは二年前の春のことです。サイン会を開いたとき、驚くほどたくさんの読者が集まってくれました。長い列ができて、一時間半かけてもサインしきれないくらいでした。どうしてそんなに時間がかかったかというと、たくさんの女性の読者たちが僕にキスを求めたからです。それで手間取ってしまった。

 僕はこれまで世界のいろんな都市でサイン会を開きましたが、女性読者にキスを求められたのは、世界でこのバルセロナだけです。それひとつをとっても、バルセロナがどれほど素晴らしい都市であるかがわかります。この長い歴史と高い文化を持つ美しい街に、もう一度戻ってくることができて、とても幸福に思います。

 でも残念なことではありますが、今日はキスの話ではなく、もう少し深刻な話をしなくてはなりません。

 ご存じのように、去る3月11日午後2時46分に日本の東北地方を巨大な地震が襲いました。地球の自転が僅かに速まり、一日が百万分の1・8秒短くなるほどの規模の地震でした。

 地震そのものの被害も甚大でしたが、その後襲ってきた津波はすさまじい爪痕を残しました。場所によっては津波は39メートルの高さにまで達しました。39メートルといえば、普通のビルの10階まで駆け上っても助からないことになります。海岸近くにいた人々は逃げ切れず、二万四千人近くが犠牲になり、そのうちの九千人近くが行方不明のままです。堤防を乗り越えて襲ってきた大波にさらわれ、未だに遺体も見つかっていません。おそらく多くの方々は冷たい海の底に沈んでいるのでしょう。そのことを思うと、もし自分がその立場になっていたらと想像すると、胸が締めつけられます。生き残った人々も、その多くが家族や友人を失い、家や財産を失い、コミュニティーを失い、生活の基盤を失いました。根こそぎ消え失せた集落もあります。生きる希望そのものをむしり取られた人々も数多くおられたはずです。

 日本人であるということは、どうやら多くの自然災害とともに生きていくことを意味しているようです。日本の国土の大部分は、夏から秋にかけて、台風の通り道になっています。毎年必ず大きな被害が出て、多くの人命が失われます。各地で活発な火山活動があります。そしてもちろん地震があります。日本列島はアジア大陸の東の隅に、四つの巨大なプレートの上に乗っかるような、危なっかしいかっこうで位置しています。我々は言うなれば、地震の巣の上で生活を営んでいるようなものです。

 台風がやってくる日にちや道筋はある程度わかりますが、地震については予測がつきません。ただひとつわかっているのは、これで終りではなく、別の大地震が近い将来、間違いなくやってくるということです。おそらくこの20年か30年のあいだに、東京周辺の地域を、マグニチュード8クラスの大型地震が襲うだろうと、多くの学者が予測しています。それは十年後かもしれないし、あるいは明日の午後かもしれません。もし東京のような密集した巨大都市を、直下型の地震が襲ったら、それがどれほどの被害をもたらすことになるのか、正確なところは誰にもわかりません。

 にもかかわらず、東京都内だけで千三百万人の人々が今も「普通の」日々の生活を送っています。人々は相変わらず満員電車に乗って通勤し、高層ビルで働いています。今回の地震のあと、東京の人口が減ったという話は耳にしていません。

 なぜか?あなたはそう尋ねるかもしれません。どうしてそんな恐ろしい場所で、それほど多くの人が当たり前に生活していられるのか?恐怖で頭がおかしくなってしまわないのか、と。

 日本語には無常(mujo)という言葉があります。いつまでも続く状態=常なる状態はひとつとしてない、ということです。この世に生まれたあらゆるものはやがて消滅し、すべてはとどまることなく変移し続ける。永遠の安定とか、依って頼るべき不変不滅のものなどどこにもない。これは仏教から来ている世界観ですが、この「無常」という考え方は、宗教とは少し違った脈絡で、日本人の精神性に強く焼き付けられ、民族的メンタリティーとして、古代からほとんど変わることなく引き継がれてきました。

 「すべてはただ過ぎ去っていく」という視点は、いわばあきらめの世界観です。人が自然の流れに逆らっても所詮は無駄だ、という考え方です。しかし日本人はそのようなあきらめの中に、むしろ積極的に美のあり方を見出してきました。

 自然についていえば、我々は春になれば桜を、夏には蛍を、秋になれば紅葉を愛でます。それも集団的に、習慣的に、そうするのがほとんど自明のことであるかのように、熱心にそれらを観賞します。桜の名所、蛍の名所、紅葉の名所は、その季節になれば混み合い、ホテルの予約をとることもむずかしくなります。

 どうしてか?

 桜も蛍も紅葉も、ほんの僅かな時間のうちにその美しさを失ってしまうからです。我々はそのいっときの栄光を目撃するために、遠くまで足を運びます。そしてそれらがただ美しいばかりでなく、目の前で儚く散り、小さな灯りを失い、鮮やかな色を奪われていくことを確認し、むしろほっとするのです。美しさの盛りが通り過ぎ、消え失せていくことに、かえって安心を見出すのです。

 そのような精神性に、果たして自然災害が影響を及ぼしているかどうか、僕にはわかりません。しかし我々が次々に押し寄せる自然災害を乗り越え、ある意味では「仕方ないもの」として受け入れ、被害を集団的に克服するかたちで生き続けてきたのは確かなところです。あるいはその体験は、我々の美意識にも影響を及ぼしたかもしれません。

 今回の大地震で、ほぼすべての日本人は激しいショックを受けましたし、普段から地震に馴れている我々でさえ、その被害の規模の大きさに、今なおたじろいでいます。無力感を抱き、国家の将来に不安さえ感じています。

 でも結局のところ、我々は精神を再編成し、復興に向けて立ち上がっていくでしょう。それについて、僕はあまり心配してはいません。我々はそうやって長い歴史を生き抜いてきた民族なのです。いつまでもショックにへたりこんでいるわけにはいかない。壊れた家屋は建て直せますし、崩れた道路は修復できます。

 結局のところ、我々はこの地球という惑星に勝手に間借りしているわけです。どうかここに住んで下さいと地球に頼まれたわけじゃない。少し揺れたからといって、文句を言うこともできません。ときどき揺れるということが地球の属性のひとつなのだから。好むと好まざるとにかかわらず、そのような自然と共存していくしかありません。

 ここで僕が語りたいのは、建物や道路とは違って、簡単には修復できないものごとについてです。それはたとえば倫理であり、たとえば規範です。それらはかたちを持つ物体ではありません。いったん損なわれてしまえば、簡単に元通りにはできません。機械が用意され、人手が集まり、資材さえ揃えばすぐに拵えられる、というものではないからです。

 僕が語っているのは、具体的に言えば、福島の原子力発電所のことです。

 みなさんもおそらくご存じのように、福島で地震と津波の被害にあった六基の原子炉のうち、少なくとも三基は、修復されないまま、いまだに周辺に放射能を撒き散らしています。メルトダウンがあり、まわりの土壌は汚染され、おそらくはかなりの濃度の放射能を含んだ排水が、近海に流されています。風がそれを広範囲に運びます。

 十万に及ぶ数の人々が、原子力発電所の周辺地域から立ち退きを余儀なくされました。畑や牧場や工場や商店街や港湾は、無人のまま放棄されています。そこに住んでいた人々はもう二度と、その地に戻れないかもしれません。その被害は日本ばかりではなく、まことに申し訳ないのですが、近隣諸国に及ぶことにもなりそうです。

 なぜこのような悲惨な事態がもたらされたのか、その原因はほぼ明らかです。原子力発電所を建設した人々が、これほど大きな津波の到来を想定していなかったためです。何人かの専門家は、かつて同じ規模の大津波がこの地方を襲ったことを指摘し、安全基準の見直しを求めていたのですが、電力会社はそれを真剣には取り上げなかった。なぜなら、何百年かに一度あるかないかという大津波のために、大金を投資するのは、営利企業の歓迎するところではなかったからです。

 また原子力発電所の安全対策を厳しく管理するべき政府も、原子力政策を推し進めるために、その安全基準のレベルを下げていた節が見受けられます。

 我々はそのような事情を調査し、もし過ちがあったなら、明らかにしなくてはなりません。その過ちのために、少なくとも十万を超える数の人々が、土地を捨て、生活を変えることを余儀なくされたのです。我々は腹を立てなくてはならない。当然のことです。

 日本人はなぜか、もともとあまり腹を立てない民族です。我慢することには長けているけれど、感情を爆発させるのはそれほど得意ではない。そういうところはあるいは、バルセロナ市民とは少し違っているかもしれません。でも今回は、さすがの日本国民も真剣に腹を立てることでしょう。

 しかしそれと同時に我々は、そのような歪んだ構造の存在をこれまで許してきた、あるいは黙認してきた我々自身をも、糾弾しなくてはならないでしょう。今回の事態は、我々の倫理や規範に深くかかわる問題であるからです。

 ご存じのように、我々日本人は歴史上唯一、核爆弾を投下された経験を持つ国民です。1945年8月、広島と長崎という二つの都市に、米軍の爆撃機によって原子爆弾が投下され、合わせて20万を超す人命が失われました。死者のほとんどが非武装の一般市民でした。しかしここでは、その是非を問うことはしません。

 僕がここで言いたいのは、爆撃直後の20万の死者だけではなく、生き残った人の多くがその後、放射能被曝の症状に苦しみながら、時間をかけて亡くなっていったということです。核爆弾がどれほど破壊的なものであり、放射能がこの世界に、人間の身に、どれほど深い傷跡を残すものかを、我々はそれらの人々の犠牲の上に学んだのです。

 戦後の日本の歩みには二つの大きな根幹がありました。ひとつは経済の復興であり、もうひとつは戦争行為の放棄です。どのようなことがあっても二度と武力を行使することはしない、経済的に豊かになること、そして平和を希求すること、その二つが日本という国家の新しい指針となりました。

 広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような言葉が刻まれています。

 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」

 素晴らしい言葉です。我々は被害者であると同時に、加害者でもある。そこにはそういう意味がこめられています。核という圧倒的な力の前では、我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。その力の脅威にさらされているという点においては、我々はすべて被害者でありますし、その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、我々はすべて加害者でもあります。

 そして原爆投下から66年が経過した今、福島第一発電所は、三カ月にわたって放射能をまき散らし、周辺の土壌や海や空気を汚染し続けています。それをいつどのようにして止められるのか、まだ誰にもわかっていません。これは我々日本人が歴史上体験する、二度目の大きな核の被害ですが、今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。我々日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、我々自身の国土を損ない、我々自身の生活を破壊しているのです。

 何故そんなことになったのか?戦後長いあいだ我々が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう?我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?

 理由は簡単です。「効率」です。

 原子炉は効率が良い発電システムであると、電力会社は主張します。つまり利益が上がるシステムであるわけです。また日本政府は、とくにオイルショック以降、原油供給の安定性に疑問を持ち、原子力発電を国策として推し進めるようになりました。電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました。

 そして気がついたときには、日本の発電量の約30パーセントが原子力発電によってまかなわれるようになっていました。国民がよく知らないうちに、地震の多い狭い島国の日本が、世界で三番目に原発の多い国になっていたのです。

 そうなるともうあと戻りはできません。既成事実がつくられてしまったわけです。原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは電気が足りなくてもいいんですね」という脅しのような質問が向けられます。国民の間にも「原発に頼るのも、まあ仕方ないか」という気分が広がります。高温多湿の日本で、夏場にエアコンが使えなくなるのは、ほとんど拷問に等しいからです。原発に疑問を呈する人々には、「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。

 そのようにして我々はここにいます。効率的であったはずの原子炉は、今や地獄の蓋を開けてしまったかのような、無惨な状態に陥っています。それが現実です。

 原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかった。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。

 それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、そのような「すり替え」を許してきた、我々日本人の倫理と規範の敗北でもありました。我々は電力会社を非難し、政府を非難します。それは当然のことであり、必要なことです。しかし同時に、我々は自らをも告発しなくてはなりません。我々は被害者であると同時に、加害者でもあるのです。そのことを厳しく見つめなおさなくてはなりません。そうしないことには、またどこかで同じ失敗が繰り返されるでしょう。

 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」

 我々はもう一度その言葉を心に刻まなくてはなりません。

 ロバート・オッペンハイマー博士は第二次世界大戦中、原爆開発の中心になった人ですが、彼は原子爆弾が広島と長崎に与えた惨状を知り、大きなショックを受けました。そしてトルーマン大統領に向かってこう言ったそうです。

 「大統領、私の両手は血にまみれています」

 トルーマン大統領はきれいに折り畳まれた白いハンカチをポケットから取り出し、言いました。「これで拭きたまえ」

 しかし言うまでもなく、それだけの血をぬぐえる清潔なハンカチなど、この世界のどこを探してもありません。

 我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。

 我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。たとえ世界中が「原子力ほど効率の良いエネルギーはない。それを使わない日本人は馬鹿だ」とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験によって植え付けられた、核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだったのです。

 それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の取り方となったはずです。日本にはそのような骨太の倫理と規範が、そして社会的メッセージが必要だった。それは我々日本人が世界に真に貢献できる、大きな機会となったはずです。しかし急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、その大事な道筋を我々は見失ってしまったのです。

 前にも述べましたように、いかに悲惨で深刻なものであれ、我々は自然災害の被害を乗り越えていくことができます。またそれを克服することによって、人の精神がより強く、深いものになる場合もあります。我々はなんとかそれをなし遂げるでしょう。

 壊れた道路や建物を再建するのは、それを専門とする人々の仕事になります。しかし損なわれた倫理や規範の再生を試みるとき、それは我々全員の仕事になります。我々は死者を悼み、災害に苦しむ人々を思いやり、彼らが受けた痛みや、負った傷を無駄にするまいという自然な気持ちから、その作業に取りかかります。それは素朴で黙々とした、忍耐を必要とする手仕事になるはずです。晴れた春の朝、ひとつの村の人々が揃って畑に出て、土地を耕し、種を蒔くように、みんなで力を合わせてその作業を進めなくてはなりません。一人ひとりがそれぞれにできるかたちで、しかし心をひとつにして。

 その大がかりな集合作業には、言葉を専門とする我々=職業的作家たちが進んで関われる部分があるはずです。我々は新しい倫理や規範と、新しい言葉とを連結させなくてはなりません。そして生き生きとした新しい物語を、そこに芽生えさせ、立ち上げてなくてはなりません。それは我々が共有できる物語であるはずです。それは畑の種蒔き歌のように、人々を励ます律動を持つ物語であるはずです。我々はかつて、まさにそのようにして、戦争によって焦土と化した日本を再建してきました。その原点に、我々は再び立ち戻らなくてはならないでしょう。

 最初にも述べましたように、我々は「無常(mujo)」という移ろいゆく儚い世界に生きています。生まれた生命はただ移ろい、やがて例外なく滅びていきます。大きな自然の力の前では、人は無力です。そのような儚さの認識は、日本文化の基本的イデアのひとつになっています。しかしそれと同時に、滅びたものに対する敬意と、そのような危機に満ちた脆い世界にありながら、それでもなお生き生きと生き続けることへの静かな決意、そういった前向きの精神性も我々には具わっているはずです。

 僕の作品がカタルーニャの人々に評価され、このような立派な賞をいただけたことを、誇りに思います。我々は住んでいる場所も遠く離れていますし、話す言葉も違います。依って立つ文化も異なっています。しかしなおかつそれと同時に、我々は同じような問題を背負い、同じような悲しみと喜びを抱えた、世界市民同士でもあります。だからこそ、日本人の作家が書いた物語が何冊もカタルーニャ語に翻訳され、人々の手に取られることにもなるのです。僕はそのように、同じひとつの物語を皆さんと分かち合えることを嬉しく思います。夢を見ることは小説家の仕事です。しかし我々にとってより大事な仕事は、人々とその夢を分かち合うことです。その分かち合いの感覚なしに、小説家であることはできません。

 カタルーニャの人々がこれまでの歴史の中で、多くの苦難を乗り越え、ある時期には苛酷な目に遭いながらも、力強く生き続け、豊かな文化を護ってきたことを僕は知っています。我々のあいだには、分かち合えることがきっと数多くあるはずです。

 日本で、このカタルーニャで、あなた方や私たちが等しく「非現実的な夢想家」になることができたら、そのような国境や文化を超えて開かれた「精神のコミュニティー」を形作ることができたら、どんなに素敵だろうと思います。それこそがこの近年、様々な深刻な災害や、悲惨きわまりないテロルを通過してきた我々の、再生への出発点になるのではないかと、僕は考えます。我々は夢を見ることを恐れてはなりません。そして我々の足取りを、「効率」や「便宜」という名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。我々は力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」でなくてはならないのです。人はいつか死んで、消えていきます。しかしhumanityは残ります。それはいつまでも受け継がれていくものです。我々はまず、その力を信じるものでなくてはなりません。

 最後になりますが、今回の賞金は、地震の被害と、原子力発電所事故の被害にあった人々に、義援金として寄付させていただきたいと思います。そのような機会を与えてくださったカタルーニャの人々と、ジャナラリター・デ・カタルーニャのみなさんに深く感謝します。そして先日のロルカの地震の犠牲になられたみなさんにも、深い哀悼の意を表したいと思います。
(引用終わり)


菅直人の終焉 ―アメリカ発 小沢一郎の最後通告

2011年06月04日 | 政治・時事
5月27日、米紙ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)に小沢一郎インタビューが掲載された。(以下敬称略)
http://jp.wsj.com/Japan/Politics/node_242207?mod=LatestCoBrand#

内容的には、震災対応をめぐる問題点の指摘と内閣批判で的を射た指摘と一定の覚悟が感じられるが、小沢さんは率直に語る部分とひじょうに曖昧に語る部分があり、特に直近未来の自分の行動をぼかしながら語るので、いつものとおりなのかな……と思った。
インタビューの最後はこんなふうに締めくくられているのだが

Q:最後に、菅総理はどのぐらい総理の座にとどまるとみているか。

A:一日でも早く代わった方がいいと思う。

僕はこの発言を見ても、野党による内閣不信任案決議への小沢Gの同調か?というその時点での報道には懐疑的だった。
しかしながら、戦後日米関係史の中で、アメリカ発の示唆的な記事の後には、日本で改革や混乱が起ることがしばしばあったので(ロッキード事件が代表格)時期が時期だけに、語る人が、一兵卒とはいえ、日本の政界でもっとも影響力を持っている小沢だからツイッターにこんな言葉を残した。

『WSJの小沢さんインタビューだけど、アメリカ発というところに小沢さんの今の苦悩があるように思える。一方でアメリカ発の記事は、変革や混乱を示唆することがあるので経過を注視しようと思う』

僕はこの時、深読みし過ぎ、「変革や混乱」は、普天間基地移設問題やTPPの問題を巡るものではないかと思っていた。
しかし実際は、小沢はWSJで語ったことをストレートに行動に変換し起こしたのだ。

野党が起こす内閣不信任案に政権党の議員が同調するのは、党の倫理から言えば反逆行為で、当然除籍対象となる。もちろん小沢は覚悟の上で、その際は新党設立も視野に入れていた。
小沢Gの若手が新党結成と選挙資金の心配をすれば「金は俺が何とかする」と言いきっていたとの後の報道からもその覚悟が窺える。
しかしながら、仮に不信任案に同意した70数名の議員で構成される新党が生まれたとしても、それは民主党内にとどまることに遠く及ばない弱体化した政策集団となり、政策が反映されないことは小沢自身がいちばんよく知っていることは、これまでの小沢の歩みを見れば容易に推察できる。
政権党である民主党を改革するには、自民党ではできないのだから。
そこに小沢の苦悩と覚悟が見える。

最悪なのは、不信任案が可決され、菅が、総辞職せず、首相の伝家の宝刀である「解散総選挙」に打って出ることだ。この場合、空白はさらに深い空白を招き、被災民は政局の犠牲となる。
地方選挙も行われていない中で、およそ現実的ではない解散総選挙であるが、菅執行部が示唆したとおり、不信任案が可決されれば「6月14日解散」に向かっていたことは事実で、菅という人間が、なりふり構わない非情な人間であることは、実証済みであるから可能性は高かった。
自民党にしても小沢Gにしても、また菅執行部もこのことをいちばん怖れ、ここに至らない道を模索した跡が窺える。
ここに、小沢とすれば党を分裂させないやり方で菅直人という、およそ国のリーダーの資質を持たない、また人間性の面で見ても懐疑的にならざるを得ないひとりの政治家をそのトップの座から引きずり下ろすことが肝要だったことも容易に推察できる。

今回のクーデターを多くの人は批判する。世論調査でも89%の人たちが小沢の行動を良しとしていない。震災で危機的な状況にあり、被災地もそこで暮らす人たちの生活の目途が経っていない時期に、政局にうつつを抜かしている場合ではない、政治的な空白を作ってはならないと言う。

しかし残念ながら、このような指摘は誤りであり、菅内閣と執行部がこれまで行ってきた事実とその流れを把握していないと言わざるを得ない。
結論的に言えば、菅内閣と執行部は、「政治を行っていない。特に震災以降の実行力の欠如は甚だしく、菅直人が国のトップにいることが政治空白そのものである」
これは僕の指摘にとどまらない、大手メディアのジャーナリストも含めて多くのジャーナリスト、政治関係者(永田町)の見解である。

第一次、 第二次、第三次菅内閣で何が示され、何を実行してきたでしょう?
秋の臨時国会では自ら招いた参院選敗北で生まれたねじれ現象で、史上最低数の法案化にとどまった。
自民党政権時代も何度もねじれ国会があったが、このようなことはなかった。なぜなら与野党激しく国会でやり合いながらも、周到な話し合いが水面下で行われ、双方の折り合いがつけられる地点を出し合い、立法化してきた経緯がある。しかしながら、菅執行部はこれを古いやり方だと行わず「野党の皆様に協力していただきたい」と言うだけで、国会でガチンコを行い、不毛の国会が続いている。現在もそれは同じだ。
そして、何ら精査されず次々に出てくる、その場で思いついたような、本人だけがバラ色だと思っている政策。その最たるものがTPPだ。
そして財務省の政策という服を着ている、与謝野薫という本来の民主党から対極にある、「増税による財政再建」強行論者、それも思想的に相容れない議員を非常時とは言えない段階で内閣に迎えたことは何を意味するのか。
3月11日からも、増税による財政再建は変わっておらず、鮮明のままである。
「社会保障のための」というが、実体は、天下りの温床である独立行政法人の存続と運営のためである。

これだけではない。その日暮らし的に菅が思い付いた政策は、不毛のまま新たな不毛を呼んでいる。
菅執行部は、党首討論直前まで(不信任案を提出が決められるまで)、国会の延長は積極的ではなく、通年国会をまったく考えていなかった。今国会を終わりにし、長い夏休みに入ろうとしたのである。このような危機的状況の中で、である。もちろんその間、議員それぞれは、復旧、復興に向けた活動を行なうのであろうが、それ以前に通さなくてはいけない、議論を重ねなくてはならない法案が山済みされている。
予算関連法案が通らなければ、復興特別債などにも影響が生まれるし、本来なら3月末日をもって通さなくてはならない法案なのだが、6月に入った今も通っていない。
野党は最終的に賛成せざるを得ないが、菅は相変わらず「野党の皆様に協力をお願いし~」とぼそぼそ、うだうだ言うだけで何の誠意も感じられない。

こうした不毛の国会のままそれを修正運営できないことは、リーダーとしての資質が著しく欠如しているからだと言わざるを得ない。そして滑稽とも醜態とも言えるのが、不信任案が出されると知るや、それも可決するかもしれない情勢になったところで、田中真紀子らがこれまで求めていた通年国会をようやく口に出し「通年国会となる見通しなので、どんどん法案を出していただきたい」と言い出す始末で呆れてしまった。
このことは菅にすれば、被災地のことなどどうでもよく、自らの保身だけが彼の興味だと、解釈されても仕方がない。
菅は「全力で取り組む」「取り組んでいる」と言ったが、多くのジャーナリストが、疑問視している。

つまり、菅直人と執行部は、人類最大の危機に直面しているその時期に、その当事国のリーダーでありながら、復旧・復興ビジョンを示すこととその実行、外交をせずに、長い休みに入ろうとしていたのである。
これを空白と言わず何が空白なのか。菅直人とその執行部の姿勢こそ、政治的空白だと僕は断定する。菅直人とその執行部を、その座から引きずり下ろすことが、空白を埋めることになり、
小沢とそのグループ、賛同者70数名と不信任案を出した自公の考えはこの一点で一致し、集約した。

菅直人の最大の欠点は何か。それは自ら意志決定できないひ弱さにある。同時に責任をとることに怯えもしている。意志決定できる範囲は限られ、自らの地位の獲得と保全に関わる部分に集中する。それは執行部も同じである。
ここに多くの人が嫌う、権力闘争の根源があるはずなのに、このことに気づいていない人たちが多い。だから小沢クーデターを非難し、菅延命を擁護する意見に流れる。
この時期に一致協力して、事に当たることが大切だと。
残念ながら、これまでの三度の組閣を見れば明らかだが、菅は身内しか使おうとしない排他的そのものの人事が現実的にあり、震災に対応する人事もまったく同じ傾向にある。
いったい菅のどこに協力すればいいのか?
多くの人は、事の本質を見失っている……

「菅直人の存在が空白だ」という本質を見極める具体例として
SPEEDIが長く公開されなかったことがあげられる。菅直人は3月12日に極めて個人的な理由でSPEEDI情報を取り寄せ、使った疑いがもたれている。本人は否定しているが、状況証拠は揃っている。
菅が取り寄せた12日の午前中の段階で、SPEEDIが示していた予想汚染地帯の人たちを避難させていたら、被曝した人たちは、ずっと少なかったはずで、将来の健康被害への不安も今よりずっと少なかったはずだ。
その日からのSPEEDIの結果を重視していたら、具体的根拠のない円状の避難区域設定ではなく、よりきめ細かな避難区域設定ができていたはずだ。また広く発表していれば避難の根拠や、放射性物質防御の根拠が明らかになり、もっと徹底した放射性物質から身を護る生活ができたはずだ。
SPEEDIを公開しなかったことは、「人間だから誰でもする失敗」のうちに入らない。
これは政治家にとって、国のトップとして致命的な責任である。
これを実行できず隠していただけでも、菅政権はその場から降りなければならない。
この所業を空白と言わず何が空白なのか。
(SPEEDIの公開については、鳩山、小沢に近い川内議員が、12日の段階から官邸に訴えていた。川内は菅から露骨に排斥された筆頭議員で、何の連絡もなくこれまでいくつかの委員長や理事を剥奪されている)

初期の炉心冷却をめぐり、官邸と原子力安全委員会、東電の間で、「言った」「言わない」というこれまた不毛のやり取りがなされていたが、このことは何を意味しているかと言えば、それぞれに「安全の哲学」が欠如していた証明である。
原子力施設において「安全の哲学」が欠如していたことは、致命的である。これらのトップが責任を問われるのは当たり前で、現在でもそれぞれが、「安全の哲学」を手にしていないことは明白で、特に官邸の欠如は著しい。放射線量をめぐる対応をみれば明らかである。
原発の推進と安全性の確立については、自民党に大きな責任があることは間違いないが、政権交代したその瞬間から「安全の哲学」が見直され、政権が身につけるのは当たり前で、特に放射線量をめぐる安全については、事故後直ちに発揮されなければ意味を持たない。

菅は鳩山会談で、辞任を明確にした。文書化されていないだけで、そうした意志の疎通があったからこそ、不信任案議決直前の代議士会で語った鳩山発言について―2次補正予算の目途。復興基本法編成の目途がついた時点での辞任。国会期間中の6月末――を菅も執行部も否定しなかった。
そしてそれは、その場での共通認識のはずだった。だから、最悪の選択――党を割ってまでの不信任案可決、そこで生まれる解散総選挙――を回避し、当初の目的であった「空白を作る総理の辞任」という成果がもたらされ広く認識されたから、小沢の「撃ち方止め」が伝令された。
(小沢を含め数人が欠席し、松木けんこう議員は、涙ながらに筋を通したが)
この模様をリアルタイムで多くの国民が見ていた。菅はそう遠くないうちに辞任するという事実。この事実が、国民だけでなく、世界中に周知された。この意味は重い。
しかしながら、舌も乾かぬうちにその夜の記者会見で菅は、辞任の時期を文字にしていないことを理由に、辞任の時期を「炉が冷却化し安定するまで」という工程表に示された来年の1月と示唆した。

このように国民の前で国民を騙す。これが、菅直人という人間の正体である。

昨日の参院予算委員会の質疑でも、醜態をさらし続けていた。
「言葉がすべてで、辞任などと言った覚えはない」「合意書にも辞任するとは書いていない。辞任が前提ではない」
しかしゆうべ辺りから、合意に関係した菅、鳩山両サイドから、「辞任が前提であり、しかも炉の冷却安定が辞任時期ではなく、もっと早い段階である」という証言と認識が出てきた。

「この期に及んで」という言葉があるが、菅直人という人間は、政治家であり、それも国のリーダーでありながら、この言葉を何度私たちに使わせるのか。
この記事の見出しを、あえて「菅総理」と役職名をつけず、「菅直人」という個人名にしたのは、もはや政治家としての資質云々ではなく、菅直人という人間の人間性の資質が問われているからだ。

菅が惜しまれながらか、どうか判らないが、まともに身を引くことができるチャンスは、この3日間で3度あった。正式な辞任発表という意味合いでだが。
ひとつは、不信任案提出2日前の菅・鳩山会談で合意が取り交わされた時点での辞任発表。
そして翌日の亀井・菅会談。その席で亀井静香は、菅と向き合いこう言ったという(田中康夫の証言)
「あなたは総理になったことで歴史に名を刻むことができた。しかしこれ以上総理を続ければ、あなたはその名誉を失い違ったかたちで歴史に刻まれることになる。すぐに辞任したらどうか」
菅はこう答えたという。「分かりました。考えさせてください」

僕はこうしたいきさつの中では、この時点がもっと菅にとって最良な引き際だと思っている。
連立を組む、長老的な亀井静香に説得されての辞任は、鳩山、小沢といった党内ライバルたちに力負けしたことにはならない。少なくともそう解釈することは可能だ。

そして三番目は、代議士会での辞任発表だ。代議士会は、国会議決の際には必ず行われるのだが、時間を多く取ったことから、正式な辞任発表の場だと思っていたし、多くの人がそう思っていたのではないか。しかし彼の口から出てきた言葉は、辞任という言葉を意図的に戦略的に意識して避けている曖昧な発言だ。そしてこの瞬間からペテンが始まったのである……

政治の空白と停滞を脱するために、辞意表明がその曖昧さと騙しのテクニックにより、国会での新たな混乱の原因となった。一度辞意を表明したからには、その政権は死に体(レームダック)となるのは必定。特に外交では世界が相手にしないだろう。菅に残された道は、一刻も早く辞任するしかない。自分のことを第一に考えるか、それとも国民の生活なのか。
政治家であれば、自ずと知れたことで、詭弁を弄してこれ以上総理の座にとどまることは、今以上の醜態で満ちた最悪の辞任劇を演じなければならないことになる。これが現実だ。
今後の展開が注目されるが、一刻も早い辞任が望まれる。

菅辞任後を小沢がどう描いていたかは判らない。クーデターの詳細を明らかにしない。
この辺りが小沢を理解しようとする上で理解しにくいところでもある。
一方で、民主党の菅に近い側と自民党の一部では「菅・小沢なき連立」という絵が描かれていたようで、また自民党の一部では「小沢なき連立」が模索されていたという。彼らにとっては小沢の行動は捨て駒にすぎず、菅は身内からも捨てられていた。
しかしながら、小沢は残り、菅辞任という道筋をつけ、70数名もの議員が小沢と共に民主党を出る覚悟を示したという事実が残った。

この辞任をめぐり勝ち負けはない。勝ち負けで語ってはいけない。
依然として小沢の力を見せつけられたことは言うまでもなく、菅とその周辺、自民党を含む野党が、小沢の力に震撼したことはたやすく推察できる。
今、ひとりの議員にこれだけの多くの議員が同調し、それも冷や飯を食う覚悟で、議員生活を懸けて小沢の後をついて行こうというのである。こんな政治家は現実的に小沢しかいない。
鳩山を動かしたのも、小沢に従い党を割る覚悟の70数名の力による。

亀井静香が口を酸っぱくして言っているように、小沢を使わない手はない。
亀井は言う。
「小沢さんとはかつて熾烈な抗争をしたことがあるが、もう二度と小沢さんを敵に回すのはごめんだ。敵に回してあれほど怖い存在はない。しかし味方にしたらこれほど強い戦力はない」
小沢を使うよう、亀井は菅にこれまで何度も提案してきたが、受け入れられなかった。菅の言う挙党態勢は虚構だった。菅が拒否していたのである。

僕はこれまで言ってきたように、この危機にあたるには、小沢の力をもっともよく知る、肌で感じている亀井静香を首班とした超党派による時限的(2年間)救国内閣を作ることが『ベター』だと思っているし、今もその思いは変わらない。
小沢についてだけではない。亀井静香は自民党の悪いところも良いところも知っている数少ない実力者だ。そして人の痛みが解かる政治家としても知られている。官僚を使いこなす術も持っている。
小沢が描いた絵のひとつにこの絵があることを僕は推測している。

いずれにせよ、政治空白の根源、菅直人はすぐにその座を去らなければならない。


3日のWSJの社説は、興味深い内容です。ぜひご覧ください。
http://jp.wsj.com/Japan/Politics/node_245295

そして冒頭書いたように、“唐突なアメリカ発の記事には、深い意味を持つものがある”



武井繁明


異端者たちの発言

2011年05月26日 | 政治・時事

23日、参院・行政監視委員会に4人の異端者が参考人として招致されました。
小出裕章(京大原子炉実験所・助教)、後藤政志(元東芝エンジニア・格納容器設計者)、石橋克彦(神戸大学名誉教授・地震学者)、そして財界から孫正義(ソフトバンク社長)の各氏です。

3人の学者は、アカデミーの世界、原子力の世界の主流派から遠くにいて、“原子力村”と呼ばれる原発推進派、原子力行政に関わる政界、官僚、原発から利益を得ている財界から、忌み嫌われ煙たがられている、いわば、「異端者」たちです。
孫さんは、すでにメジャーで社会的にも確固たる地位にいるわけだけど、生い立ちから現在に至る道のりを思うと異端の色彩が強いと思う。

こうした原発の安全性を問題視し、安全への提言を繰り返してきた異端者たちが、それもとびきり見識の高い研究者と実行力のある財界人が、国会の場で、参考人として証言したことは、けしてオーバーではなく歴史的な快挙と言えると思います。そのくらい原子力に関しては、国会では閉ざされていたのです。
国会だけではなく、アカデミーの場でも経済界でも同じで、すべて原子力村の住人たちによって支配され、異端者たちが表に出る幕などなかったのです。

その質疑の内容は、参院国会中継のHPでアーカイブを見ることができるので、ぜひご覧になってください。「未知の領域」にいる私たちが、目にできる、耳にできる、共有できる歴史の転換のポイントになるかもしれないひとコマを、見逃すわけにはいかないでしょう。
約3時間半という長丁場ですが、異端者たちの言葉から意識が離れないと確信します。
それほど私たちが、心に留めておかなければならない、同時に私たちが考えなくてはならない重要なことを語っているのです。

参院国会中継HP http://www.webtv.sangiin.go.jp/webtv/index.php
(5月23日か行政監視委員会をクリック。ちなみに4月18日は、村木厚子さんの参考人質疑の模様です)

予想していたこととはいえ、残念ながらNHKは中継せず、ニコ生が名乗りを上げたのですが結局成らず、国会ネット中継だけだったのかな……そんなことで、反響があるのか不安だったのですが、国会ネット中継は、視聴者が殺到し途中ダウンするほどで、傍聴席も満席だったとか。

僕はマイミクのタケセンさんの日記で、わりと早いうちから4人が出席することを知っていたので、しかし決定となる16日の月曜日までは封印。タケセンさんのブログ掲載を待って、18日の昼頃、タケセンさんのブログ・『思索の日記』―“23日に原発問題で参考人質疑―超豪華メンバーです”
http://blog.goo.ne.jp/shirakabatakesen/e/1d276d88fa598e8dbad2324e41e2772a

をツイッターで流したところ、たちまち凄い勢いで拡散していきました。
タケセンさんのブログを見ると、これまで215人の人がツイートしているので、それは広まりますよね。この辺りは、ツイッターの優れたところですね。

このように注目度の高い参考人質疑だったにもかかわらず、翌日の新聞を見ると扱いは小さく、これも予想していたことですが、大手メディアの異端者への白い視線は、こうした事態に陥っても変わっていないんですね。だから、知らない人がほとんどではないかと思います。

異端者への白い視線は、何も大手メディアだけではありません。
4人の参考人招致を巡って、毎日放送の記者の取材によれば、
「官邸は4人の招致を良しとせず、強く警戒していた」
「自民党執行部は、『なんであんなのを呼んだんだ!』と末松委員長(自民)に迫る」
「経産省の官僚は、なぜ保安院を招致し、発言させなかったのか」
「保安院の警戒の強さは異様とも感じた」
とまあ、こんなありさまで暗澹たる思いです。

原発の安全性について管理を行う保安院(経産省管轄)どころか、最高責任者である総理が主の官邸までがこのありさまでは、未来どころか、明日の原発の行方も危ういですね。
原発問題は、エネルギー問題、社会的な問題、生活的な問題という問題に集約できない、文明の問題なのです。今現在、文明の危機にあるのです。
今の政府の姿勢如何では、偏狭で貧しい思考と姿勢では、とうてい文明の危機を乗り越えられるとは思いません。

聡明で心豊かな異端者たちが灯す明かりに人々が共感し、行動となり文明は育くまれます。
キリスト教がユダヤ教の異端であったように、仏教がバラモン教の異端であったように、親鸞が当時の仏教界で異端であったように、既存の中から必ず新しい芽が生え、当初は新しさゆえ、既存の色彩と違う色を放っているため、受け入れられず異端者として扱われるのですが、やがて正統になる可能性を持っているのです。
歴史は、異端が正統となり、新しい文明に貢献している様を教えてくれます。
今私たちが視線を向け、支援しなければならないのは、こうした心ある異端者たちではないでしょうか。

4人の聡明な参考人には、行政監視委員会から、事前に資料が配布されたのですが、その資料として、マイミクのタケセンさんの論文が一緒に配布されました。

『公共をめぐる哲学の活躍』
http://www.shirakaba.gr.jp/home/tayori/Kokyo_Tetsugaku_photo.pdf

タケセンさんは以前、行政監視委員会調査室から依頼を受け、数年にわたり調査員として、行政監視委員会で『民知の哲学』を説いています。
行政監視委員会の昨今の画期的な活動は、タケセンさんの『民知の哲学』の理解と拡がりによるところが大きく、タケセンさんはとても有意な活動をしておられます。
聞くところによれば、政治不信が強い小出さんは、当初参考人招致に消極的でしたが、タケセンさんの『公共をめぐる哲学の活躍』を読んで、気持ちが180度変わったとか。
出席を決めた後の小出さんは何かが振り切れたようにラジオ番組でこう語っていました。

「言いたい放題語ってくるつもりだ」

そして言葉どおり語りました。


参考までに、これまでもアップしましたが。
『小出裕章(京大助教)非公式まとめ』
http://hiroakikoide.wordpress.com/
後藤政志さんのブログ
http://gotomasashi.blogspot.com/

講演会や会見、テレビ、ラジオ出演などのアーカイブを見ることができます。原発の問題を解かりやすく深く語っています。そして今福島で何が起こっているのか……毎日のように二人は語っています。

そして、タケセンさんのブログ『思索の日記』
http://blog.goo.ne.jp/shirakabatakesen
mixiプロフィール
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=548859&from=navi




武井繁明

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今夜から模様ですね……
そしてこれから雨の季節です。
放射性物質入りの雨だけど、雨が好きな僕とすれば、雨へのロマンを失いたくないものです。


Rain (pioggia) - "Let It Rain" by Sarah Brightman


Rain (pioggia) - "Let It Rain" by Sarah Brightman

カオスの中で

2011年05月17日 | 政治・時事
福島第一の状態と放射線物質の拡散とその危険性について、ネットを見ると日本中で酷いカオス状態に陥っていることが判ります。ネット人口が、どのくらいなのかよく解かりませんが、きっと良い影響も悪い影響も与えていることは間違いなさそうです。
自分も含めて、自分の反省も込めて、自己批判という意味合いも込めて、予定を変更して取りとめもなく書いてみようと思います。

まず……
◆東電や保安院は、福島第一の現状について、言われているような酷い隠蔽を行っているのか?

メルトダウンを先日東電が認めたことで、「これまで発表してこなかったのは隠蔽だ!」という声がいまだに凄いのですが、3月12日の保安院の記者会見で、当時の審議官、中村氏が、震災直後電源喪失状態が長く続き冷却機能が失われ、水位が下がり空焚き状態のとなり、「燃料棒を構成する炉心が融けている」可能性を示唆しました。後日中村氏は、「世間に不安を与えた」として更迭されたわけですが、このことから震災当日の11日にはメルトダウンが起っていたと推察できるわけです。
さらに14日だったか19日だったか、枝野官房長官も例によってひじょうに慎重な言い廻しで「燃料パレット溶融」に言及しているんですね。
さらに、僕が読んでいる東京新聞では、東電、保安院、政府側からの資料と記者会見から、毎日炉の様子が判りやすく書かれています。
それによれば、1~3号機の長さ約4mの燃料ペレットのうち、30~50%が、水位が満たされることなくずっと露出したままです。
このことは何を言っているかと言えば、30~50%の燃料ペレットが溶融している。溶融すれば必然的に下にさがる。つまりメルトダウンしている可能性が極めて高いことになります。
だから僕は、早い段階で「メルトダウン進行中の可能性がある」書いたわけで、これについては、「隠蔽している」とは思いませんでした。

おそらく「メルトダウン」という解釈が、そうさせたのでしょう。
世界的には、炉心の一部が破損、溶融し下に落ちればメルトダウンです。しかし、日本の多くの人たちは、「炉心が100%溶融し、圧力容器の下に溜まる」のがメルトダウンと認識しているのでしょう。しかしこの場合は「フルメルト」です。
東電はフルメルトをメトルダウンとしたかったことが窺えますが、保安院は世界的な解釈をしたかったことが窺えます。

ではなぜ、正式な発表が遅れたかと言えば、「水位計」が、まともに機能していなかったからで、人がようやく1号機に入れるようになり、そのことが判り、「補正、修復した後の水位計はゼロを指していた。すでに2ヶ月近く経っているのだから、メルトダウンしていないはずがない。フルメルト状態にあるのではないか」そこで、「1号機は、メルトダウンしていると推測される」という発表になったわけです。
ここでも、明確に言えないのは、誰も炉の中を見ることができないからで、当たり前と言えば当たり前です。
スリーマイル島の事故の時は、7~8年経って初めて炉の中の状態が判ったのですから。

人が近づけないほどの、高濃度の放射能状態の中で、頼りになるのは計測器だけですが、その計測器さえ、地震と津波、電源喪失、水素爆発によって正確なのかどうか判らないのだから、「正確な炉の状況を提出せよ」というのがしょせん無理なのです。

つまり、原発そのものがカオスなのだから、せめて、私たちは情報カオスにならないようにしましょう。ヒステリックになったり、過剰に悲観したり、絶望したり。
現場で、命懸けで復旧作業している方たちに申し訳ないですよね。

◆メルトダウンは、この世の終わりなのか?
今日、ツイッターでこんなツイートを見ました。

“『メルトダウン』を『胃の病気』に置き換えると、「胃炎」「胃下垂」「胃潰瘍」など幅の広い疾患の可能性があるのに、そそっかしい人間は最初から「胃癌」と決め付けてかかる”
hologon15 源与一義遠

なるほど、上手い比喩だと思いリツイーとしました。

メルトダウンから、さらに厳しい状況への推移として推定できるのは、ひとつには『再臨界』がありますが、これまで僕が調べた原子力の研究家、学者からは、「まず起こらないだろう。ひじょうに起りにくい」との見解が多いです。
今、3号機にホウ酸を入れていますが、ホウ酸注入は『再臨界』を防ぐのに有効な手立てで、これを受けて「3号機再臨界か!」と騒がれているのが問題……。必要な予防策というのが現状らしいです。要注意は、塩素38(CL38)が検出された時は、再臨界が起っている可能性が高いということ。
4月の初めに、「CL38検出」という東電の発表があり、小出さんを含む多くの学者が、『再臨界』の可能性を言いましたが、後に「CL38は検出されなかった」と東電は誤りを認めています。
しかし、これは小出さんのお手付きで、たとえば『CTBT高崎』(軍縮核不拡散促進センター:国際機関)http://www.cpdnp.jp/のデータや筑波の研究機関では、検出されていませんでした。
だからと言って、小出さんの価値が落ちるわけではありません。

(CTBT高崎のデータは、東電発表のデータを検証する意味でとても貴重です。データはオーストリアの本部に送られ数値化されるので、改竄の可能性は極めて少ないです。目的が、核開発の防止、監視ですから。でも検出間違いはあります。それほど核種検出はデリケートなのです)

いちばん怖いのは、水蒸気爆発ですが、今日本にいるからには、覚悟を決めるしかありません。
騒いだところでどうにもなるものではなく、これについて私たちが言及することは、対応策と現場職員への励ましと慰労の気持ちしかありません。


◆高い場所に設置されたモニタリングポストの値を発表するのは、放射線量の検出値を低く見せようという魂胆なのか?

これもどうやら間違った認識のようです。空間放射線量を計測するには
1)高い建物の傍などでは空中からの放射線が遮断され、計測されない
2)測定場所の地質や地表面の降下物、周囲の建物等のコンクリートなどに存在する天然及び人工放射性物質の影響を受ける

このような理由で、空間放射線量測定は、屋上などが適しているわけで、必然的に高い場所となるわけです。
もし生活空間に近い場所の測定結果が欲しければ、土壌測定や路面測定、小出さんが言うように地上1mで測定することを進言しなければなりません。(地上1mで測定という決まりもあるらしい。詳細は解からない)
ただしこの場合、狭い範囲でもばらつきが起る可能性があります。同じアスファルト上でも、吹き溜まりのような場所と、そうでない場所に開きがあるでしょう。アスファルトの隣りに土壌面があるとすれば、その開きは大きいはずです。

東京都のある一日の測定結果ですが、地上18mの屋上で屋上床からの高さ、1.8m、1.5m、1.0m、0.5mで計測した値と、地上1.8m、1.5m 、1.0m 、0.5mの高さで計測した値は、ほとんど変わりません。

まだまだあげればきりがありません。
『ハワイでこの20年間でプルトニウムの最高値、通常の43倍もの量が検出された』
『3号機は、使用済み燃料プールが再臨界し核爆発が起こった!』

こうしたことが、本気で語られているわけですが、『ハワイで~』は、データの悪意ともとれる誤認であり、『3号機は~』は、根拠の薄い言説です。『3号機は~』は、根拠となった核種(ヨウ素135)の検出が、不検出という誤りだったこと。欧州放射能危機委員会クリストファー・バズビー教授による動画解説の一部に誤訳があったことは間違いなく(直接インタビューした日本人在米ジャーナリストが指摘)、キノコ雲状の爆発雲の印象と誤訳が絡みついてしまい、上手く解けないでいる状況です。

いったん思いこんでしまうと、その人の中では、整理された情報として居着いてしまうんですね。自分でできる検証や精査をすることを忘れてしまう。そして拡散する。それを信じてしまう人がいてまた拡散してしまう。カオスの状況は深まる……

もちろん、今僕が書いたことも間違いかもしれません。それほど福島第一の状況はカオスで、確実なところは判っていないのです。


武井繁明

【朗報‼】
23日参院、行政監視委員会での参考人として、小出裕章さん(京大原子炉実験所助教)、後藤政志さん(原子炉格納容器設計者)、石橋克彦さん(地震学者)、孫正義さん(ソフトバンク社長)が登場します。
マイミクのタケセンさんからの確かな情報です。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1723486577&owner_id=548859

タケセンさんは、私たちが知りえない情報を持っているので、そういう意味でも日記から目が離せません。この決定についても、決定以前から示唆していました。




誰でもできる。誰もが変えられる。

2011年05月15日 | 政治・時事
昨日偉そうに書いた、「だまされた者の責任、だまされなかった者の責任」で言いたかったのは、最後のほうに書いたように、現実的に放射能汚染されている中で、暮らさざるをえない私たちは、脱原発も推進も容認もなく、それぞれが、あーだこーだ議論して方向性を決めるなんて、そんな悠長なことを言っていられる状態ではなく、国策の繁栄構造の中で生活を謳歌してきたすべての人たちが、純粋に「未来に対して責任を負いましょう」「子孫に対して責任を負いましょう」ということです。
では、現実的に具体的に私たちは何をしたらいいのか。ということですが、震災直後、多くの人が「自分にできることしよう」と言いました。結局は、ここに尽きるのですが、ここにも具体性はなく、ここにすべて押し込めることは、あまりにも曖昧すぎる。

人は、仮説でも提案でもいったん言葉として、文字として表現すれば、そこに責任が生まれます。
仮説に対しては証明する責任。提案に対しては、体験と実績。あるいは現実的に行動しているか。
これがなければ、どんな高尚な提案でもただのゴミで、証明のない仮説は、幻想に過ぎません。
ということで、僕は昨日の問題提起に対し、これまで自分が実行してきた体験の中から、今すぐにでも誰でも取り組めるものを書きます。

これまで主だった活動として、県営ダムの建設反対と八ツ場ダム建設阻止に7年間くらい、かなり力を入れて取り組んできました。ここに政治的イデオロギーはなく、純粋に「必要のないものはいらない」という主張です。もちろんそれを立証するだけの知識は必要になります。

この中で、緩やかなネットワークが形成され、参加者は約2年で400人くらいになりました。しかしながら実際行動するとなると、400人がすべて行動できるかといえば、思いの強さやさまざまな都合でほとんどの人は動けませんと言うか、動かない。意見を持っていても賛同していても動かない。これが現実です。この中で実際行動していたのはわずか11人です。
11人の実行部隊では、提案した者が責任者となり、そのプランを遂行する。という決まりごとがありました。
そこで11人が、少ない知恵を絞り、多彩なプランを実行したのです。
そのひとつは……

◇主体となる機関への働きかけ:公開質問状提出⇒記者会見⇒公開質問状の回答への反論⇒記者会見

これは今個人ではできないでしょう。ですからこう置き換えます。


◇地元政治家への働きかけ:事務所を訪ね、A4一枚程度の意見書を持って秘書と話をする。
⇒その状況をネットで公開する(mixi日記やツイッター、ブログ)⇒回答があればそれをネット上で公開する。これを繰り返す。

新人議員は、週末は地元に帰り、駅立ちをしたり、後援会活動をしているので会う気になれば会えます。事務所には必ず秘書がいるので要望書、意見書として緩く訴えます。身分を必ず明らにし、返答が届く道筋をつけてきます。
ひとりではちょっと気後れするな、と思う人は夫婦で行ってもいいし、友人と行ってもいい。少し工夫すれば、オフ会が簡単にできるのだから、そのノリでオフ会前に時間を作り、みんなで出かければいい。
こうした経過を必ずネットに掲載する。掲載した内容を議員に(事務所に届ける)知らせる。

これは僕が実際、脱ダム活動の時やってみました。自分のプランだから自分ひとりで実行しました。国会議員と地方議員の差はありますが、国会議員でなくてもいいと思いますよ。まず手始めに。
3~4回行くうちに、明らかに変化が見られ、その議員が所属する会派で勉強会が行われるようになり、やがて私たちが主催した公開討論会や他のイベントに姿を見せるようになり、脱ダムに変わりました。

議員というのは、常に受け皿を求めているものです。受け皿を確認するまで動こうとしない習性があるのです。特に方針を変えるような状況の時は、受け皿がなくてはまず動きません。
今まさにそのような状況にあります。
時間もかからない、カネもかからない、やる気さえあれば誰でも出来ます。ぜひ土曜の休日に最寄りの議員事務所を訪ねてください。秘書と話をしてください。議員がいればさらに効果は高まります。
これを粘り強く、いろんな議員に働きかけるのです。

多くの人は、自分は1票しか持っていないと錯覚しています。たしかに選挙の時は1票です。
しかし、任期を残している議員の方針を変えることに貢献することができたら、それは何百票、地域によっては何千票にも値するのです。

僕が携わった県営ダムは活動を始めてから3年後、凍結になり、数年前事実上の中止が決定されました。
凍結に当たり主体者の知事はこんなふうに理由を語りました。
「倉渕ダム凍結は、200万県民の総意である……」
反対活動をしたのは、私たちのネットワークとある団体と共産党だけで、賛同者を入れても1万人に満たなかったでしょう。当初から最後まで県内は、無関心の風潮が漂っていましたから。でも、こうした言葉を導きだすことは可能なのです。

活動は、実に多様で多く、それについてはこれまで何度か日記に書いてきました。しかしその多くは手間もかかるしひとりではできません。
ここに書いたことは、今すぐ誰にでもできる行動です。いかがですか。

経験的に署名やデモなどの示威的活動は、労力のわりには効果が薄いです。これは河野太郎議員も言っていますし、僕が接した国会議員はすべて否定的でした。署名など紙切れ同然です。実際に訪ねること、会うことが意思表示としてもっとも大切なのです。

原発を止め、再生可能エネルギーを使用する安全な循環型社会にするためには、ひとりひとりの覚悟が必要です。
省エネに取り組むこと、節電することは誰にでもできます。効果的に寄付することも支えになります。しかしこれだけでは止まりません。
ひとりひとりの明確な意思表示が必要なのです。

八ツ場ダムについての行動は、極めて政治的な行動だったので、個人で今すぐできることではありませんが、「未来への責任」は、長い道のりになるので可能な行動です。
これについては少し長くなるので次回……

それにしても昨夜から今日にかけて、反原発者たちは、水を得た魚のように元気いっぱいだったな♪
ツイッターに「日本が滅びる」「今すぐ国外脱出、九州以西に避難せよ!」という言葉がたくさん見られました。
地震が起った時「冷静になりましょう!」と叫んだ人ばかりだったのは、笑えた。



武井繁明

『本日の参考書』は、昨日に続き「吉岡メモ:5月13日版」“水棺の失敗(格納容器破損)は何故起きた?”
http://www.shippai.org/images/html/news559/YoshiokaMemo38.pdf



だまされた者の責任、だまされなかった者の責任

2011年05月14日 | 政治・時事
小出さんは講演や会見で、「だまされた者の責任」という言葉を最後に使うことがある。
原発災害にあっての責任は、一義的には、原発を国策とした主体者である政府。国策を補完するために「安全神話」を創りだした推進派学者。運営する電力会社。そこに巨額な資金が投入され、そこに群がる企業。こうした原子力(核)政策に癒着した小出さんが言う「原子力村」にある。
しかしながら、「安全神話」にだまされたとはいえ、これまで容認してきた人たち、反対しながらも止められなかったことにも責任が伴うのではないか。
こうした主旨で小出さんは「だまされた者の責任」を静かに投げかける。

僕の世代が物心ついた頃は、すでに原子力政策は進められ、原子力こそは豊かな未来を約束するエネルギーだと誰もが教えられ、信じていた。原子力から生まれた鉄腕アトムがヒーローで、妹のウランちゃんはアイドルで、僕たちの未来は力強くそしてバラ色だった。
僕たちは、原子力(核)の国策の中で、繁栄を謳歌してきた中心的な世代で、成長するに従い、危険性を知り得る環境にいた。だからこの期に及んで知らなかったでは済まされない面がある。繁栄の構造の中で、その負担を福島や他の田舎に原発を平然と押しつけてきた現実があり、それが「当たり前」だと思いこまされてきたことにまず気づかなければいけない。
このままでは、繁栄を享受しただけの無責任世代として長く後世に伝えられることは必至です。

これは原発だけではなく、ダムや米軍基地についても言える。
危険で厄介なものは、遠くに造っておけばいいという、都会繁栄の構造でもある。
「そんなことはない誘致した地域も繁栄しているだろう」。という意見もあるが、残念ながらダムで栄えた村はなく、米軍基地や原発地区も自然派生的には栄えていない。巨額な資金がカンフル剤のように投入され、繁栄しているように見えるだけで、その構造に繁栄の本質的な基盤はなく、極めて脆弱なのです。
こうした、実体のない歪みくすんだ実態にもだまされている傾向があって、容認してきた事実があり、やはりそこにも同じように「だまされた者の責任」もあると思う。

僕はこれまで、批判ばかりしてきた。批判は批判で大切なんだけど、それだけでは何も生まれないと思っています。危険性を叫んでいるだけでも物事は好転しない。偉そうに今日も言っているけれど責任を取らないことには、『未知の領域』から一歩も外に出られない。
それは今実際進んでいる現実的な『未知の世界』からも、震災で生じた『内なる未知の世界』からも出られない。

『未知の世界』から脱却するには、福島第一を収束させることはもちろんだけど、他の原発も止めなければ、未来は描けない。だから今すぐすべての原発を止めろと言う。すべての原発を止めても電気量が不足しないデータもある。たぶんそうだと思う。原発をすべて止めたところで、一億総玉砕というわけではないだろう。
しかし原発で生活が成り立っていた人たちや地域はどうなるんだろう。
すぐに再生可能なエネルギー施設を造ってそれを生活の糧の場とすることは無理だろうし、何らかの補償で賄いきれるとは思わない。いずれにせよ、原発を止めてから再生するには時間がかかる。
だから電力を確保しながら、忍耐強く再生可能なエネルギー施設を確立し、緩やかにシフトしていかなければならない。本気で安全に止めるには、急速な展開よりもしなやかな展開でなければならない。でなければ、すべての原発立脚地が、空白のスポットとなる。

こうした現実的な政策とリンクしながら発言も変えていかなくてはならない。
何度も言う。批判するだけでは何も生まれない。危険性を叫ぶだけでは害悪になりかねない。
特に急進的反原発の人たちのストイックでヒステリックな叫びだけでは何ももたらさないことは、これまでの歴史が証明しているし、今や害悪でしかない。
穿った見方かもしれないが、ことさらに「反原発」を主張している人たちを見ていると、原発はどうでもよく、知ったかぶりエゴと反権力ごっこを満たしている自慰的な行為に見えないこともない。
そこには安全への事細かな押しつけがあり、「子供の命を!」という錦の御旗があり、子供を避難させない福島県の親への見下しと侮蔑がある。
彼らの福島県民への罵倒を見ていると、彼らにとって「福島県」というのは「原発を受け入れた推進派」という記号にすぎず、政治ごっこ、安全ごっこ、正義ごっこの玩具であり、そのための「敵」でもあるのかと思えてくる。
もう最悪極まりない言葉が飛び交っている錯綜した世界……

そして総じて、「自分たちは原発に反対してきたのだから何の責任もない」という安楽椅子に座っての批判、非難、危険性の叫びだから始末に負えない。
放射能はたしかに怖い。これ以上怖いものはないかもしれない。しかし程度の差こそあれ、日本中に拡散している放射性物質の下で暮らさなければならない私たちは、それなりの覚悟が必要だと思う。
撒き散らされた放射性物質の下では、反原発も推進も容認もない。すべてに覚悟が必要で、覚悟の中で大切なことは、責任ではないかと思う。
だまされた人の責任もだまされなかった人も、子供や未成年以外は、責任が求められるし何らかのかたちで果たさなければ、事態はいつまで経っても現状のままではなかろうか。
というよりもっと酷くなっていく予感すらある。

ではその責任にはどんなものがあるのだろう……
どんな責任の取り方があるのか……
考えてみましょう。


武井繁明

読んでくれたみなさんへの贈り物として今回から『本日の参考書』を掲載していきたいと思います。
第1回『本日の参考書』は“吉岡メモ”
http://www.shippai.org/images/html/news559/YoshiokaMemo37.pdf

福島第一原発の現状がどのような状態になっているのか、解かりやすく書かれています。
もちろん、実際どうなっているのかは誰にもわからないことで、取得可能なデータと経験から導き出されたものです。
書かれたのは、福島第一3号機の格納容器の設計に携わった元東芝の吉岡律夫さん。
よく更新されるので読み続けているととても参考になります。



燃料ペレット溶融

2011年05月10日 | 政治・時事
今日メディア各社一斉に「1号機の燃料ペレットの大半が損傷、融解し圧力容器の下部に溜まっている」旨の報道が流れました。「理由は、圧力容器が損傷し、冷却水が漏れている」というような内容です。
さらに、「現在行われている水棺も格納容器が損傷しているため水が貯まらない」ことも発表されました。

たとえばアサヒ・コムでは、こんなふうに伝えています。

『核燃料の大半溶け圧力容器に穴 1号機、冷却に影響も』という見出しで……
http://www.asahi.com/national/update/0512/TKY201105120174.html

なぜ今このような報道をするんだろう……
なぜなら格納容器に水が貯まらない現象はともかく、1号機の燃料ペレットが、大半以上損傷し、圧力容器の下部に溜まっていることは、事故直後から予測可能だったからです。
これまでの東電の会見での発表とパラメータから、17時間も炉心が冷却されなかった『空焚き』状態では、設計温度を遥かに上回る熱上昇があったことは、容易に推測可能で、燃料ペレットがメルトしていたと素人でも推測できます。(注:ウランの融解温度はおよそ670℃だが、安全を期すために燃料ペレットは、ウランを含みセラミック化され、その融点は2700℃~2800℃)

僕はこれまで、東芝で格納容器の設計をしてこられた、後藤政志さんと、京都大学原子炉実験所・小出裕章助教の会見やインタビューでの発言をずっと追ってきたのですが、(反原発者だけの意見だけでは偏るので、御用学者と言われている東大の早野龍五教授、同じく御用学者のレッテルを貼られている大阪大学の菊池誠教授、お二人と仲がいいKEK- 高エネルギー加速器研究機構 野尻美保子教授も追っています)
お二人とも1号機について、東電と政府が発表する、けして確信的だと言えないデータから、その知識と経験を活かして

『注水を繰り返しても水位が燃料棒の半分ほどしかなく、燃料の大半が損傷し融けている可能性が高く、融けた溶融物は圧力容器の底部に溜まっていると推測もできます。水位が上がらないのは、圧力容器の底部が損傷している可能性が高いからです』
(福島第一の炉は、燃料ペレットを底部から差し込むタイプで、高熱が加わると差し込み部分が、破損する欠点がある―後藤さん)

お二人はこのようにかなり早い段階から言い続けてきましたが、どうも推察どおりの展開が、いまさらに酷くなっているようです。
さらにお二人は、格納容器の水棺に対しても疑問を呈していました。

『上手くいってもらいたい。その気持ちは強く、速やかな収束を願っている。しかし、高さが40m近くもある巨大な格納容器を水で満たすことは容易ではない。格納容器は、水を貯めるために設計しておらず、水圧に対する強度も計算されていない。そこに水を満たして、たとえば大きな余震が起こった際生まれる大きな応力に耐えられるのかどうか……2号機は、サプレッションプール(圧力抑制室)の破損を東電が認めているので、高い放射線の中で塞がなければ、水棺は不可能……』

お二人だけではなく、何人もの専門家や研究者が、このような指摘をしているので、今さら僕は驚いたりしませんが、おそらくメディアも知っていたと思います。確信していた。
東電の記者会見に毎日、ついこの間までは、東電の記者会見は、一日何度も(深夜も)行われていたくらいですから。
ではなぜ今このように一斉に記事になるかと言えば、東電が口頭で明らかにしたからですが、東電が明らかにしたのは、水位計が壊れていて、修復したところ、これまで思いこんでいた圧力容器に半分くらい貯まっていたと思われた水が、底部にしかなかったからです。
しかし、運よく適度に冷やされ、それ以上の大事に繋がっていなかった。

ここで3時間ほど前、こんな未確認情報をあるジャーナリストが語りました。

『官邸筋から情報。公式情報ではありません内容は個人で判断下さい。福島1号機は超危機的状況。官邸危機管理官が真っ青で対処を検討中。近い内にベントの可能性あり?仮に実行すれば高濃度放射線物質が飛散』

さらに細野首相補佐官が、11日の統合会見で明らかにしたように、今日12日、謎の原子力専門家外国人と福島入りしたのです。
http://news.nicovideo.jp/watch/nw61580

僕はこれまで不確定情報を載せなかったのですが、もし『官邸が真っ青になって対処を検討中』であれば、発表のタイミングが繋がってくるのです。

東電もメディアも早い時期から、燃料ペレットの大部分が損傷し、圧力容器底部に溜まっていたのを認識し水が半分以上貯まらない理由も知っていたでしょう。
では、計器が復旧し正確な水位が判り、これまでの危機感を超える危機感を覚えたのでしょうか。
専門家なら、当然ながらそこまで推測できるはずだし、もし想定していなかったとすれば、東電だけではなく、保安院も原子力安全委員会もそして政府も大失態では済みません。

細野首相補佐官が、統合本部専任に就任した直後BS朝日に生出演しこのように語っています。
「3/11から3/22までは、モニタリングポストが殆ど機能せず。遠方の観測データのみ原発自体の放射線を推定していた。政府・東電は確たるデータなしに安全を強調していた。
1号機が爆発後、水素爆発を防ごうとしたが手立てがなかった。格納容器からの漏れでありメルトダウンと考えていたが、そう積極的に発表する気分にはなれなかった……』

こうしたことから、すべて解かっていた。推測を超える確定的認識が、東電、保安院、原子力安全委員会、そして政府にあった。その確定的認識は、メルトダウン。しかし今現在、原子炉が暴走した時必要な「止める」「冷やす」「閉じ込める」のうち、これまで何とか成果を見せていたと思われてきた「冷やす」術が、綱渡り状態で推移していたことが、具体的に明らかになってしまった。

小出さんや後藤さんが指摘していたように、早いうちから1号機では、核燃料ペレットが溶融し、圧力容器底部に溜まっていた。
そして想定される最悪のケースは、空焚き状態で水にふれて起きる水蒸気爆発。あるいは溶融物が圧力容器の底部を溶かし、脱落し格納容器内水にふれて起る水蒸気爆発。
いずれも、圧力容器と格納容器を木端微塵にし、これまで人類が経験したことのない高濃度の放射性物質が大拡散する……

最後の部分は、最悪のケースをあえて書きましたが、現実としては、これまで首の皮一枚で繋がっていた状況が、皮がさらに薄くなっていると言えるでしょう。

この間にも新しい事実が報道されているかもしれません。ただ情報の受け手になっているのではなく、主体的に能動的に情報を得ることをお薦めします。
政府や東電は、護ってくれません。日本中すべての人を護るのは不可能です。
自分とその周りの身は自分で護る他ないようです。何と言っても私たちは『未知の領域』にいるのですから。


タイミング良く小出さんの発表後のインタビューが行われました。
ぜひお聴きください。

http://hiroakikoide.wordpress.com/2011/05/12/videonews-may12/?utm_source=twitterfeed&utm_medium=twitter


武井繁明


シニア決死隊―異端者たちの覚悟

2011年05月10日 | 政治・時事


新聞やテレビで報道されているかどうか判りませんが、福島第一原発の危機的な状況の中行われている収束作業に向け、「もう子供も作らない、放射線の影響も少ない60歳を過ぎた私たちが志願して、現場で作業をしようじゃないか……」と提唱し国家的プロジェクトへ向けて歩み始めたシニアの方たちがいます。

『福島原発 暴発阻止行動 プロジェクト』http://bouhatsusoshi.jp/
(人々はシニア決死隊と呼んでいます)

現在80名くらいの方たちが志願し、毎日10人くらい増え、賛同者は300人を超え、その中心は60年安保時代、東大で冶金工学を学び、卒業後、住友金属で技術者として研究者として、数々のプラント設計に携わり、退職後はコンサルタントやボランティア活動をしてこられた、山田恭暉さんという方です。
60年安保では、社会主義学生同盟副委員長を務めていたというから、当時はバリバリの左翼です。

こうした元技術者を中心としたメンバーが、高濃度の放射能が蔓延している原発内で収束に向けた作業を志願するというのですから、並々ならぬ使命感に燃えていると思いきや、山田さんたちのインタビュー動画を見ると、必ずしもそうではなく、「歳もとった、放射線の影響は、若者よりずっと少ない。原発プラントは携わらなかったが、素人よりはましなことができるし、収束は、私たちが必然的にしなければならないことだ」と実に淡々と語ります。これは山田さんの想いですが、他の参加者は、「若者にそんな危険なことをさせるわけにはいかない」「幼い孫たちの表情を見ると私たちの世代で責任をしっかり取らなくてはならない。本当に恵まれた世の中で生活することもできたし……」とさまざまです。

http://www.ustream.tv/recorded/14516552 山田さんインタビューのアーカイブ
フリージャーナリスト岩上安身さんのブログから

しかしどんな思いであれ、放射能の影響は若者に比べれば少ないとはいえ、実現すれば、死と隣り合う世界で作業することになり、決意した人の恐怖感は、私たちでは量りようがありません。
現に「そりゃ怖いですよ」と言っていました。

毎日のように行われる、統合記者会見(政府=細野担当補佐官、東電、保安院、時々原子力安全委員会、文科省)では、このプロジェクトについて、同じ会見の場で、東電は把握していないと言い、細野さんは、把握して政府としても検討していると言い、保安院は、尊い申し出に感謝しているという、相変わらずの一緒の場でのバラバラ会見ですが、山田さんの発言から、一定の方向へ進んでいることが窺えます。

それはそれとして、山田さんたちがあまりにも淡々と語るので、視聴していた僕もあまり危機感や恐怖感が生まれず、賛同の気持ちはあるのですが、死と向き合う環境へ拍手を持って送りだすことにもなるので、とても複雑で何とも言いようのない気持ちになり、やはり今は『未知の領域』なんだ……とあらためて思いました。
みなさんはどう感じます?

そして、リアルな恐怖感とある種の感動を与えたのが、小出裕章、京都大学原子炉実験所助教、の今日のインタビューでの発言でした。
(同じく、岩上安身さんのインタビュー動画です。生放送は途中途切、途切れしているので、いずれアーカイブが掲載されるはずです)

小出さんは、以前ここでも書きましたが、およそ40年間、原子力の研究をされ、それも原子力の危険性を研究してこられた方で、その40年間ずっと「原発は危険なものだから造ってはいけない、廃止しなければいけない」、と訴えてこられた方で、政、財、官、学、報で構成される主流派である原子力推進者が集まる、「原子力村の住人たち」から見れば、「異端」です。
この異端者たちは、京都大学原子炉実験所にかつては6名いて、京都大学原子炉実験所が在る地名から「熊取6人衆」と呼ばれましたが、4人が退職され、現在は、小出さんと今中哲ニ助教2名になってしまいました。


小出さんの講演
【大切な人に伝えてください】小出裕章さん『隠される原子力』


小出さんは、福島原発事故以来、毎日のようにメディアに登場します。それも地上波ではなく、ソーシャルメディアであったり、ラジオ放送の電話インタビューであったり、衛星放送の電話インタビューです。また、研究活動が忙しい中、請われれば講演会で発言したり……

そんな小出さんが、今日の岩上さんのインタビューの中で、岩上さんの質問に対し「私も決死隊に志願したひとりです」と答えたのです。そして理由をこのように述べました。
『小出裕章(京大助教)非公式まとめ』ブログより抜粋http://hiroakikoide.wordpress.com/

“私も60を過ぎていて放射線感受性は低い。私には原子力に携わってきた人間として責任はある。推進してはいないが責任はあると思う。事故収束にむけて自分にできることがあれば、したい……
たとえば私の職場で事故が起きたら、収束に役立つのは現場をよく知っている実験所の所員。外部の人が来たとしても、私から見ると「危険もあるし、役に立たないかもしれないから、結構です」となるだろう。だから、福島の事故についても福島原発を知る人がいいだろうとは思う。ただ、被曝をさせるためだけに必要な作業というものはある。西成の労働者のことが報道されているが、そのように特別な能力がない人であっても出来る仕事はあり、そういうことであれば私も福島で役に立つかもしれない。ただ、一歩でもいい方向に向かうために私の力が使えるかと考えると、多分ないかもと思う……”

小出さんの静かな決意と、山田さんと同じような淡々とした物の言いようと、独特の静謐で誠実な雰囲気から、小出さんの著書を読み、小出さんの発言を聴いてきた僕は、かなりやられてしまいました。
ちょっと言葉に表せません。

小出さんの最後の言葉に深い意味があることは、福島第一の状況を考えると解かるかと思います。このような後がない危機的状況で――『未知の領域』――で最も頼りになるのは“異端の力”だと思います。そして異端を支え、“正統”に導く私たちの覚悟と力ではないでしょうか。

小出さんは、原子力の知識や問題を聴く者に与えるだけでなく、言葉で直接現わすわけではありませんが、人生の大切な何かをいつも静謐に示唆してくれます。
そんなことを踏まえながら、アーカイブを視聴していただけると幸いです。


小出さんにやられてしまい、まったくまとまりのない文章になってしまいました……


再掲『小出裕章(京大助教)非公式まとめ』http://hiroakikoide.wordpress.com/
事故発生以来の小出さんの発言が、アーカイブとテキストでご覧になれます。


武井繁明


“危険性を伝えるだけでは、どうにもならない

2011年05月04日 | 政治・時事
“危険性を伝えるだけでは、どうにもならない。
避難するにはお金がいる。補償がはっきり約束されなければ動けない人たちに、
「ここは危険だから避難した方がいい」と言い切れない”

この言葉は、フォト・ジャーナリスト森住卓さんのブログから、勝手に引用したものです。(本当はいけないのですが……)
*森住卓のフォトブログ
2011.5月3日 福島第一原発 飯舘村
http://mphoto.sblo.jp/article/44708053.html

森住さんについては、ご存知の方が多いと思います。イラク、旧ユーゴスラビアでアメリカ軍とNATO軍が使用した劣化ウラン弾による汚染と健康被害を最前線で取材し、劣化ウラン弾の残虐性を早くから訴えてきた人です。また1954年に行われたビキニ環礁でのアメリカによる水爆実験で、遠く離れたマーシャル諸島で今も続く被曝実態を明らかにし、旧ソ連が、核実験を繰り返したカザフスタンで、20年以上経った現在被曝障害に苦しむ人たちの取材もしてこられた、果敢で心優しいジャーナリストです。
僕は一度だけ森住さんの講演に参加したことがあるのですが、現地の様子を静かにソフトに語るその視線と表情に、現地で暮らす人たちへの優しさと慈愛を感じました。特に子供たちに向ける視線は、写真を見ていただけると解かりますが、愛情に満ちているんですね。
そんな森住さんの福島のフォト・レポートを逃さず見ていただきたいと思います。

さて、森住さんの言葉を採り上げたのは、前回書いたように僕も同じ気持ちだからです。
放射能の危険性が、今盛んに叫ばれています。特にネットでは凄い状況になっている。
しかし、危険性を訴えるだけでは、原発はなくならないと思います。反原発・脱原発の人たちの、核の危険性について多様な意見に、どんなに合理的で正当な理由があっても、それだけではなくならない。

なぜなら原発はウランを燃料として電気を作りますが、ウランを燃料に導くのは「カネ」という燃料だからです。
発電所建設地域には、原発はもちろん水力、火力発電でもデメリットしか生まれません。危険性の大きさから言えば、原発など建設地に恩恵はなどあり得ません。しかし日本に多数の原発がある。これを可能にしたのが、『電源三法交付金』という膨大な燃料です。この交付金がなければ、日本の原発は存在しなかったかもしれません。
その危険性から都会に造ることができない原発を地方の過疎地に造るには、デメリットを払拭させるメリットを注ぎこまなければなりません。それは生活の保障であり、地域社会の整備です。
電源三法によって各建設地域に数百億円単位のカネが注がれ、それを可能にしました。

こうした構図を是正しない限り、原発は止まることはないと思います。
つまり原発に替わる生活の保障と社会整備を可能にするデザインを現実化させる方向性がなければ、いくら危険性を叫んだところで、ウランを燃焼させるカネという燃料に太刀打ちできない。
すでにそこには、電源三法によって注ぎこまれた資金によって、多くの人たちの長年の生活が積み重なっているのだから。

僕は危険性を訴えているだけの人たちには、この辺りの配慮が欠けていると思う。説得力を持たないし、ろくに検証していない危険を煽るような言説が飛び交っている現実と二項対立に陥り、その中間のグラデーションの中にいる人たちを排斥するような自慰的な言動には、強い異和感と恐怖さえ感じます。
危機的状況と悲観性の中で生まれる“人の熱”への恐怖……

デマを上げれば多数あります。それに簡単に調和してしまう“人の熱”。
熱は上昇しながら拡がり、これまで信じていたフリージャーナリストまでもが飛びついてしまう現実があり、ジャーナリストというフィルターを通した言説なら、広めても安心という意識が生まれ、さらに拡がって生まれるカオス。
そのカオスに地震兵器などという陰謀論が加算され、カオスは深まり続ける。
多様性は必要だけど、根源的な問題を扉の向こうに置いたままでは、加熱するだけでたちまち蒸発してしまう。

さらに根源的な問題は、人の人格や人生をどう護るのか……ここにあると思います。
原発建設地域の安全度は、3月11日を境に著しく変化し、放射線物質被害地域は拡散し、その安全度は危機的な状況にある地域があることは間違いない。そこで計測される数値は、自然界に存在する放射能の値を閾値と考えている僕には、卒倒しそうな数値です。
しかしながら、安全度が崩壊した地域でもそれを知りながら、そこに住み続けたい人たちはいる。
人生の根幹みたいなものを喪失してしまう言いようのない痛み。特に年配の方たちには、酷く残酷な選択が強いられているのだと思う。でもできる限りそこに住み続けたいのです。
こうした人たちをどう護るのか。その人たちの人格やそこで生活し続けて形成された内なる想いを大切にしながら、「安全度」をどう高めていくのか。危険性を訴えるだけではあまりにも力不足だと思うし、時と場合によっては害悪になりかねない。


武井繁明


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最強の恋歌かもしれない♪

Stan Getz & Bill Evans - But Beautiful



Stan Getz & Bill Evans - But Beautiful

価値観とシステムの大転換が求められる原発の行方

2011年04月17日 | 政治・時事
日本の原子力発電の創生期については、前々回、94年に放映されたNHKドキュメント『原発へのシナリオ』を起こし、肉づけしながら書きました。
日本は原子力の研究は、すでに戦前始まっていて、湯川秀樹や仁科芳雄、長岡半太郎らの基礎研究(理論研究)は、世界でもトップクラスで、戦争が始まると、軍から『新型爆弾』の開発命令を受けていました。
こうした原子力の研究は、軍事目的だけではなく、医療、エネルギーにも向けられていましたが、敗戦によってすべて喪失することになります。
占領したGHQが、各研究所、大学から原子力に関わるすべての資料を奪ったからです。そして占領期間中は、原子力研究はご法度にされたのです。

やがて52年、サンフランシスコ講和条約が、連合国との間で締結され戦争が終結。原子力の研究は解禁されたものの、7年間の占領期に世界の原子力研究水準から、日本は20年分くらいの差ができていました。
こうした白紙状態の中で、前々回書いたように日本の『原発へのシナリオ』が、形成され現在に至ります。

余談ですが、仁科芳雄博士は、理化学研究所=理研(科学技術の水準の向上を図ることを目的とし、日本で唯一の自然科学の総合研究所として、物理学、工学、化学、生物学、医科学などにおよぶ広い分野で研究活動を1917年から法人化して行い、現在は文部科学省管轄の独立行政法人)に戦前から戦後しばらく務めており、戦後は所長(やがて社長)にも就任。その頃、新潟の片田舎から上京したばかりの若き日の田中角栄の事実上の身元引受人でした。田中角栄が田中土建工業を興してからも、研究所内の仕事を請け負わせるなど、田中角栄を可愛がっていたようです。田中角栄の能力を見抜き、政治家になることを奨めたのも仁科芳雄だと言われています。

推測の域を出ませんが、田中角栄の卓越した進取の気鋭。特にエネルギー政策にみせた、広い見識――原子力政策、石油戦略において対米一辺倒ではなかったこと。広く全方位的に向いていたこと――は、仁科の影響があったからかもしれません。
そしてここからは推測ではなく事実です。田中のエネルギー政策――原子炉の技術輸入を巡る抗争の構図の中――でアメリカの軍産複合体から反感を買い、ロッキード事件が仕掛けられ失脚させられたことは、ますますアメリカの核の傘下に組み入れられ、属国化への道に拍車をかけました。よく言われる、日中友好を推し進めたことが、アメリカの反感を買ったから、ということも事実ですが、もっと深いところにあったのが、田中角栄のエネルギー政策へのアメリカの(軍産複合体)不信と怒りでした。

もとに戻ります。
世界から遅れてしまった状態で、もたらされたのが、『原子力の平和利用』です。アメリカと技術締結した日本は、アメリカの技術に委ね、原子炉を次々に作っていきます。
日本が委ねたアメリカの企業は、

◇WH(Westinghouse Electric Corporation)加圧水炉型原子炉
当時は、老舗の電力、電気製品巨大メーカーで、初の原子力潜水艦ノーチラス号に原子炉を載せたメーカー。WHの下に、三菱重工がつきます。

◇GE(General Electric)沸騰水炉型原子炉
世界最大のコングロマリット。インフラストラクチャ―、電気、メディア、IT、航空機、宇宙産業に至る軍産複合体。
GEの下に、東芝、日立がつきます。

この二つのJVが中心となり、電力会社の依頼を受け、交互に原子力設備を作ってきました。
その数、この狭い日本に55基。
しかし、90年以降、それまで毎年のように受注があったのが、停滞状態になります。
さまざまな要因がありますが、日本経済の停滞。建設予定地での反対運動が大きな要因だと思われます。これでは、三菱、東芝、日立といった国内原子力メーカーは、大きな打撃を受けることになり、何らかの打開策を見いださなくてはならない。
まず、東芝が動きました。一時期の勢いを失い、分野ごとに身売りしていた、WHの原子力分野を買い取ります。これが現在の東芝WHです。

それまでWHと提携していた三菱は、提携先を失いますが、ただでは起きません。
フランスのアレヴァ (仏:AREVA SA:世界最大の原子力複合企業)と提携します。
福島原発事故で、フランスのサルコジ大統領と、アレヴァのアンヌ・ロベルジョンCEO(最高経営責任者)が、いち早く来日しましたが、アルヴァは、フランスの政府機関が9割の株を取得している事実上の国営企業で、日本の原子力の行く末によっては、自国企業が大打撃を受ける……
と懸念したからでしょう。表向きは支援ですが、それ以上に企業の利益が優先します。

ここで日本の原子力産業の構図が再編されたことになります。
WH・東芝  GE・日立  アレヴァ・三菱……まるで三国時代のような構図です。魏・呉・蜀三国鼎立。

しかし再編されただけでは、利益を生みません。企業の自家発電開発が盛んになる中で、電気料金を下げ、エンドユーザーを隷属化させるオール電化システムの大キャンペーンを行います。
そして安全神話の推進。さらに「クリーン、クリーン!」と叫び、政権交代を果たそうとしていた、民主党のクリーン旋風に原発までクリーンだと便乗し、さらに世界的な命題であるCO2削減の風に乗ってその立場をさらに確立してしまうんですね。
長い自民党支配の中で生まれ、成長してきた原子力産業は、政党を選びません。利益にさえなればなんでもいい。水力よりも火力よりも儲かって仕方がない原発を止めることはできない。
国内にも増設しよう。それでは飽き足らず、発展途上にある国に原発を輸出しよう!
これは民主党と相乗りですが、自民党が政権を持続していれば、もっと積極的に行われたでしょう。

海外への原発輸出……これが再編された原子力産業の21世紀の戦略です。

しかし、これまでもっと先に利益になるはずの仕事が舞い込んできました。
それは『廃炉』です。
原発の耐用年数は、およそ30年と言われていますが、(もちろん点検整備を重ねながら)福島第一のように30年を越えて運転しているケースもあります。
廃炉に向けては、運転停止、燃料棒の搬出を経て、その間放射線物質を放出させないことが絶対条件ですが、大々的に体験していないのが日本の原子力産業です。
当然ながら、将来に向けた廃炉技術を『想定』し、ノウハウを作っていると思われますが、ほとんどの部分は、アメリカの企業に委ねることになるはずです。
今、GE・日立と東芝WHが、福島第一の廃炉に向けて検討を始めましたが、これは事実上のアメリカ企業への丸投げだと指摘する専門家も少なくありません。
もちろんここには、莫大な資金が投入され、アメリカの企業―軍産複合体―が潤う仕組みになっています。

石油、天然ガスが、枯渇され始めるのは諸説様々ですが、どうも原子力燃料のウランの枯渇が、先になりそうです。京大・原子力研究所の小出裕章助教によれば、大雑把にですが、ウラン燃料は50年。石油、天然ガスなどの化石燃料は100年と見通しています。

実は、成立から廃炉までの期間を考慮すると、原発は、利益が次から次へ沸いてくる魔法の泉のような存在なのです。

このように建設、運営する側が儲かって仕方がない原発は、果たして日本に必要だったのか?
「発電量の30%を原発で補っているのだから必要不可欠。もし脱原発を唱えるなら代替エネルギーを示してから言え。今のところの太陽光発電にしても風力にしても微々たるものだろう」
と原発信奉者は言います。

実際はどうでしょう?
たしかに原発は、全発電量の30%を占めていますが、実は、火力発電は、震災があったからではなく、ずっと48%しか稼働しておらず、水力はそれ以下です。ずっと休ませていたのです。
では、原発を仮に一斉に止めたらどうなるかと言えば、火力発電所を70%稼働させれば済むことです。
さらに、半分程度に抑えられてきた火力と水力の発電量を越える需要があったのは、これまでの日本の発電の歴史の中でわずか数度で、それも夏場の暑い時期の数日の午後だけで、あとはすべて火力と水力の発電量で賄えてきたのです。

原発が無くなれば、産業が滅び、生活水準も低下してしまうというのも、実は神話なのです。

だからといって、省エネ政策と省エネ生活の必要でないわけではありません。国家と生命を奈落の底に落してしまう原発をスムーズに廃止していくためにも必要ですし、速やかな自然エネルギーへの移行は、これまで以上に求められます。
そして、怠っていけないのは、原子力産業への監視です。これらと一体となっている勢力への監視です。
何よりも求められるものは、価値観とシステムの転換です。その原動力のひとりになることです。

必要でないものを高いカネで強制的に買わされ続け、結果的に絶望的な不安の中での生活を強いられるなんてたまったものではありません。
結局は、こうした原子力産業を受容し続けてきた私たちの責任でもあるわけですけど……


脳が硬直している原発信奉者の方も、そうではないしなやかな脳の持ち主の方も時間のある時にこちらを見て、聞いていただけると幸いです。
http://hiroakikoide.wordpress.com/


僕は30年前から原発には、強い不信感と悪意を感じていました。だから推進には反対の立場をずっと取ってきましたが、積極的に反対運動をしていたわけでもなく、環境共生社会とそのシステムの一端のそのまた一端くらいを設計し、実践してきたに過ぎません。
また原発推進と知りながら、民主党の一部を積極的に応援してきた経緯もあります。今も応援しています。
言ってみれば、消極的にではあったにせよ、原発を容認してきたことになるのです。そういう意味では、福島の事故の微々たる一部の責任はあるのです。そう自覚しています。
今さらながらということになりますが、いろんな観点から、原発の問題点をこれからも発信していきたいと思います。
ここしばらくは、他のことは書けないかもしれない……
他のことを書こうとしても言葉が生まれないのです。そんなことで、みなさんの日記へのコメントも躊躇いがちです。言葉が生まれないからどうしようもないのです。


武井繁明


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月が綺麗な夜は、この曲を聴きたくなります。
今日、夜明け前に目が覚め、西の窓に薄明かりが見えたので窓を開けてみると
山稜に近いところに月が、光っていました。昨夜は待宵月だったようです。
晴れていれば、今夜も月は綺麗です。望月に向かいます……
(曲を聴かれる方は、お手数ですが2度クリックしてください)

スタン・ゲッツのMisty


Misty - Stan Getz

「未知の領域」で考える―原子力の安全神話について

2011年04月06日 | 政治・時事

およそ神話というものは、古事記を読めば明らかなとおり、神話として成立させ、記述した時の権利力者の都合によって書かれる傾向にあります。それまで伝えられた事実に大幅な変更や、都合の良い解釈がなされ、権力者の正当化が図られ、権力者以前の曖昧な継続が、神話によって補完され正統性を演出し、正史となり、国家支配の礎となる。その際、異を唱える少数派は、異端とされ排斥されます。

「原子力の安全神話」もこうした部類の神話と同じように、虚飾と歪曲のプロセスを経て、国家の正統的政策となり、その際、異を唱えた少数派は異端扱いされ、同じように陽を見ない世界に追いやられてしまう。こうした安全神話の究極的な部分、核心とも言っていい安全性の根拠に科学は存在しない。だから、起きてはいけない、起るはずがない致命的事故が起ってしまいました。
何度も言うように福島第一の事故は人災です。

「原子力安全白書」が毎年刊行されます。近年の白書の初めの方を読むと解かりますが、「原子力は絶対に安全」だと書かれているものはなく、努力目標として安全性を高めていく旨の記述がされています。さらに読み進むと、多くの原子力関係者が、実際には「原子力は絶対に安全」だという考え方を持っていないことが明らかです。国のトップブレーンが、確信できない安全性とはいったい何なのか。こうした安全レベルでしかない原子力に、なぜ安全神話が作られたかと言えば、理由の多くは、原子力に携わる人たちの「過信」にあると思う。

その過信を、京大原子力研究所の小出裕章(助教)はこう示しています。
(ちなみに、小出さんは40年間原子力の危険性について研究してきたため、37年もの間、助手のままで、名称が変わってから現在までも助教(助手・講師クラス)です―少数派、異端者として排斥され続けた典型。

◇他の分野に比べて高い安全性を求める高度な設計への過信
◇長期間にわたり人命に関わる事故が発生しなかった安全への過信
◇過去の事故経験の風化
◇原子力施設立地促進のためパブリック・アクセプタンス(住民合意を得ること)活動の分かりやすさの追及―いかに住民を騙せるか。
そして
◇絶対的安全への願望

このように過信や願望によって生まれた「安全神話」を根拠に建設、運営されてきた原子力発電所は、必然的に安全神話の崩壊とともに、存在の根拠を失います。その際、私たちは、致命傷に至る危険を背負わなければならず、いったん放射能性物質が環境に漏れ、生態系に侵入してしまえば、子々孫々にまで多大な悪影響を及ぼし、何世代にもわたり収拾不可能な状況が生まれてしまう。

こんなことは判り切っているのに、原発は促進され続けました。ではなぜ?

◆原発は、なぜ地方に作られ都会に建設されないのか?
原子力立地審査指針で低人口地域、非居住地域に建設が限られているからです。つまりそれだけ危険性が高く、都会では到底受け入れられない代物だからです。
だから都会で受け入れられないものは、国土のすべてで受け入れてはならない。

◆都会では受け入れられない危険なものをなぜ建設するのか?
破局的事故が起きた時、電力会社の損害賠償法的責任は、総額1200億円で済むからです。
原発を運営する電力会社に、低レベルな免責を与えることで原発を促進させている現実。

◆原発は儲かるから!
電力は、必要経費の上にレートペースを加算できる仕組みの料金体系で、絶対損をしないシステムになっています。
http://page.freett.com/trustjp/matuo/matuo1.html

その上、原発は電源別単価で見ると火力、水力よりも高い。原発の電気料金が安いというのは虚構です。
http://www.greenaction-japan.org/internal/101101_oshima.pdf
(立命館大学国際関係学部・大島堅一教授による試算)

儲かって仕方がない原発が、破局的事故が起ってもこの程度の損害賠償責任で免責されるから、人の少ない地方のあちこちに、数多く建てられてしまう。危険極まりない代物がこのような、優遇システムによって保護されているんですね。
より厳しいシステムの上で運営されなければならない原発が、そうではなかった……

さらに、もっとも核心的な事故について「原子力立地審査指針」ではこう記されています。

◆重大事故
技術的見地からみて最悪の場合には、起こるかもしれない事故

◆仮想事故
重大事故を超えるような技術的見地からは、起るとは考えられない事故。つまり想定外の事故というものです。

そして想定外の事故は、想定してはいけない不適当な事故。想定不適当事故として論議されていません。

◇なぜ想定不適当なのか?
起る可能性が低いから。

◇では、起る可能性がどのくらいなのか?
研究がなく分からない。杞憂と言えるほど低いから。

精度の高い安全性の根拠となる、破局的事故に対する認識が、この程度では科学ではなく、科学的根拠を初めから有していない原発は危険極まり過ぎて、人類が手を着けるものではありませんね。
小出さんによると、このように特に日本ではシビア・アクシデント(過酷事故)の発想が著しく欠落しているため対応がなされていないようです。
つまり「想定外」などというのは、逃げ口上であり、責任逃れのための方便にすぎず、それはそのまま、日本の原子力政策が、未熟で杜撰であることを物語っています。

いったん事故が起これば、取り返しがつかない悪影響を広く後々にまで及ぼす原子力は、

「起り得ることは必ず起こる。起り得ること、想像できることを対策しなければならない」(小出さん)

というフェールセーフの概念が徹底していなければならず、しかしながら原子力においては、不可能です。
原発ではフェールセーフの概念が成立しない以上、そこから脱却することしか、原発から生命と健康と財産を護る術はありません。
私たちには原発から脱する覚悟が必要です。そしてその覚悟が求められています。
自分たちのことではなく、子どもたちや、子孫のことを思い覚悟を決めてください。



武井繁明



George Winston - Thanksgiving



「未知の領域」で考える―日本の原子力政策の成り立ち

2011年03月29日 | 政治・時事
広島、長崎……
日本は唯一の被爆国として、誰もが広島、長崎をあげます。しかし、時代の変遷とともに忘れられがちな事件があります。第五福竜丸被爆事件です。事件という呼び方が適切かどうか悩むところです。しかしどんな呼び方をしても、善意の第三者が、エゴの塊のような核実験の犠牲者となった事実は語り継がなければなりません。私たちは「唯一の被爆国」という場合、広島、長崎に「第五福竜丸事件」を加えなければいけません。そして今、福島で起こっていることが、被曝から被爆になるのか。すでに被爆しているのか……いずれにせよ、広島、長崎、第五福竜丸、福島は、原子力がもたらした大きな不幸、あってはならない不幸と言わざるをえません。
ここでは、第五福竜丸事件を取り上げ、日本の原子力政策への道のりを書き、その背景を明らかにしながら問題点を浮き彫りにしようと思います。なぜこの事件を取り上げたかと言えば、この事件は、日本の原子力政策が生まれる直前に起った事件で、原子力政策の創生期にさまざまな波紋を投げかけたからです。

以下は、94年に放映された NHKドキュメント『原発導入のシナリオ』を基に少しばかり肉づけして書いたものです。


第二次大戦後、核戦略でソ連よりも優位に立ったアメリカは、たちまちソ連に追いつかれ、原爆よりも破壊力が大きな水素爆弾では、ソ連に追い越されました。冷戦構造の中での核兵器開発競争は熾烈で平和になるはずの大戦後は、大戦前よりも大きな危険を孕む時代になってしまったのです。
ソ連に追い越されたアメリカは、水素爆弾の実験を繰り返します。第五福竜丸が被爆したのも、マーシャル諸島ビキニ環礁で行われた「キャッスル作戦・ブラボー」という水爆実験でした。
第五福竜丸は、アメリカが引いた危険水域外で操業していたのですが、この実験は秘密裡に行われたため、気づいた時には遅く、必死で離れたのですが間に合わず、死の灰を浴びてしまった。1954年3月1日のことです。

この事件とは別に、熾烈な核兵器開発を緩める意図があったのか、当時のアメリカ大統領アイゼンハワーは(アイク)は、「原子力の平和利用計画」を唱えます。“atoms for peace”と呼ばれたこの計画は、核兵器の材料である◆ウラン235を国際機関を創設し一括管理すること◆ウラン235を平和利用すること―ウラン235の濃縮ウランを民間に転用し平和利用すること―がテーマでした。
しかし、実態は米ソの間で、それぞれの核開発の脅威を、メディアを使って煽り避難することを回避するための緩衝的な措置でした。そのことは当時のアメリカの国家安全保障会議の資料から明らかです。つまり核兵器開発のおこぼれとしての政策であり、核兵器開発という主題に添えた副題に過ぎなかったのです。ダブルスタンダードと言ってもいいかもしれません。
日本にも広報部がアメリカ大使館の別館に置かれ、“atoms for peace”の広報が行われようとし、ソ連は、“atoms for peace”に対抗するため「原水爆の世界的全面禁止」を訴えました。ソ連の訴えもまた、ダブルスタンダードとも言えると思います。自ら鉾を納めることはなかったからです。

こうした状況の中で、ひとりの日本人が、“atoms for peace”に水面下で飛びつきました。読売新聞の柴田秀利という記者です。彼はGHG担当でGHQ内部に深く浸透していて、戦後最大級の労働争議だった「読売争議」をGHQを使い、経営者側に勝利をもたらし、読売新聞社主の正力松太郎に認められ懐刀となり、やがて日本テレビ創設に深く関わり、“atoms for peace”では、アメリカとの交渉で辣腕をふるった人物です。しかし彼は表に現れることはありませんでした。
まだ政府が介入していない時期に秘密裡にアメリカ側の工作員と密会し、着々と準備を整えていたのです。アメリカ側の工作員は、けして所属を明らかにしない、ダニエル・ワトソンという人物でした。
しかしながら、柴田からもたらされた情報は、かなりレベルの高いところ――国家安全保障会議(NSC)――に上げられていました。

このような時、第五福竜丸事件が起ったのです。

大戦から10年に満たない時代、日本人の核アレルギーは強く、たちまち各地で反米・反核運動が起り、魚介類をはじめ食物に影響はないか、という放射線汚染パニックも生まれました。これに共産党、社会党などの左翼勢力が加わり一大政治運動と化したのです。
柴田とワトソンにとっては、このような展開は挫折を意味しました。ワトソンの挫折はアメリカの日本での“atoms for peace”の挫折を意味しています。しかし彼らは乗り越えることで合意しました。
柴田の後ろには正力がいました。柴田はワトソンに正力を紹介し、正力も“atoms for peace”に乗りました。
正力が何よりも怖れていたのは、日本の共産化です。資源エネルギーがないことで貧困化が進めば、必ず共産革命が起る。そう信じて疑わなかったのです。
ワトソンにすれば、大手新聞社を押さえることが重要でした。「日本人は新聞を読んで自分の意見を構築する」という認識だったので、ターゲットは正力に絞られたのです。
この頃読売新聞は、正力が経営を始める前の5万部から300万分へと大躍進を遂げていたのです。そして第五福竜丸事件の前年の8月、日本テレビが民放として初めて開設されていました。
ワトソン、柴田、正力ラインは、メディアを使い、反核世論を切り崩し、展開を図る戦略に出たのです。

こうした流れを示す資料が残っています。国務省の『第五福竜丸事件以降の対日政策』です。
「日本の核兵器に関する過剰な反応は、日米関係に好ましくない。我が国の核実験の継続はより困難になり、核の平和利用計画も困難になる。そのためには日本人に対する「心理計画」をもう一度練り直す必要がある」

ワトソンの意向は、ホワイトハウスの意向だったのです。

また柴田は、このような手記を残しています。
「現状は、米との友好関係に破局を招きかねない。『両刃の剣』の原爆の反対を抑えるには『毒には毒をもって制す』しかない。原子力の平和利用を歌い上げ希望を与えるしかない」

この二つから、読売とアメリカが、純粋に原子力の平和利用を日本にもたらそうとしたわけではなく、反共産主義と核兵器開発でソ連よりも優位に立つことが主題だったことは明らかです。
このようなアメリカの戦略に、日本政府が本格的に介入する以前から、一企業、それもマスメディアが、リードしていいのでしょうか。読売Gの政治への介入は、今に始まったことではなく、以前から体質的に行われていたんですね。
このことは、やがてアメリカの秘密文書公開で明らかになったように、正力松太郎がCIAのエージェントであったことと関係があると思います。

第五福竜丸事件から半年後、無線長の久保山さんが原爆症で亡くなり、反米・反核運動はピークに達します。ホワイトハウスから、「漁民の死因は、放射能によるものではなく、飛び散ったサンゴの化学作用であるものにせよ」とのお達しが在日アメリカ大使館に届き、外務省にも送られてきました。
このように責任を取らないアメリカを左翼勢力は「戦争勢力」と非難し、「同調する日本の保守政権は同罪である」として政治運動が激しくなりました。

こうした状況についてソ連のフルシチョフ書記長は、後にこう語っています。
「日本はアメリカに対し大きな不安があった。広島、長崎に原爆を落したのは他でもないアメリカだ。被爆者とその家族は、保守政治家に強い不満を持っていた。もしソ連大使館が東京にできれば、これらの人々が大使館に接近してくるだろう」
これは当時のソ連の対日政策を物語っています。ソ連も日本と国交回復を果たしてもいい。そんなニュアンスが読みとれます。(これから2年後の56年『日ソ共同宣言』が調印され、国交正常化)

柴田とワトソンは密会を繰り返します。このような状況を打破するには、決定的なイベントが必要であると合意します。そこで生まれたのが、民間のかたちをとった「原子力平和使節団」訪日計画で、これを広くPRし反核世論を鎮め、変換しようとするものです。
使節団の代表は、初の原子力潜水艦「ノーチラス号」を作ったGD社(ゼネラル・ダイナミクス社)のホプキンス社長を団長とする、著名科学者で構成され、中にはノーベル物理学賞のアーネスト・ローレンス博士もいました。(マンハッタン計画の中心人物のひとり)
ワトソンは、プロデュースと資金提供を柴田に申し出ますが、柴田は断ります。
このことから、読売Gが、いかに原発導入に熱心であったかが窺えます。前述したようにその裏には、反共と核兵器開発の強い肯定があります。

55年1月1日から、読売Gの報道キャンペーンが始まります。読売、日テレに「原子力特別調査班」が置かれキャンペーンの中心となり、使節団受け入れの世論形成に邁進しました。このことは、新聞、TVの二大メディアのよるキャンペーン時代の到来を告げたのでした。

この頃ソ連は、世界初の商業用原子力発電施設を完成させ、ここでもアメリカをリードします。(アメリカはようやく建設に乗り出したところ)
ソ連は諸外国に対し、原子力の平和利用のための技術力援助があることを発表します。

アイク(アイゼンハワー大統領)はこれに対し、国際機関による原子力の一括管理という“atoms for peace”の初期の理念を捨て、西側友好国に対しアメリカが個別的に2国間で協定締結することを打ち出し、協定締結国に濃縮ウランと技術を提供することで、締結国を勢力下に置くことにしたのです。
ここで「原子力の平和利用」という化けの皮が剥がれ、米ソの覇権主義による世界戦略の真の表情が明らかにされたのです。

旧原子力委員会(アメリカ)は、日本政府にも打診。前年には、原子力研究予算として2億3千5百万円を可決。これは「ウラン235」にちなんでいます。この予算案を積極的に邁進したのは、当時改進党議員だった中曽根康弘、稲葉修、齋藤憲三、川崎秀二らで、ここから日本政府の本格的介入が始まります。
しかし、両国にとって第五福竜丸事件がネックでした。
これを終息させるために、アメリカは事件の補償費として200万ドルを日本政府に支払うことで免責させるという政治決着を図りますが、世論はまだ収まりません。しかし、着々と受け入れ準備が進んでいきます。
外務省は、秘密裡に濃縮ウラン受け入れをアメリカに伝えます。

さらに世界は動きます。
補償金が支払われた5日後、ソ連は中国をはじめ、東欧5カ国と(ポーランド、東ドイツ、チェコスロヴァキア、ルーマニア、ハンガリー)2国間協定を結んだことを発表。「核のブロック」をアメリカと同じように作ろうとしました。

国内では、外務省が秘密裡に濃縮ウラン受け入れることをアメリカに側に伝えていたことが、3カ月後の4月に朝日新聞のスクープで明らかになり、国内世論は、受け入れの是非をめぐり、真っ二つに割れ、学術会議も二分され、反対派はアメリカの核ブロックに繰り込まれることを懸念し、自主開発を主張しました。こうした学者たちは、秘密裡に選別され(名簿の名前の上に赤丸を着けられる)、主張し続ける者は主流から外され、多くは長いものに巻かれていきました。

その間2月に、正力は突如、衆院選に富山選挙区から立候補を表明。政界に進出し、政治力と報道力を武器に邁進し続けます。原子力平和利用懇談会を作り、自ら代表世話人にとなり、財界の主要メンバーと学会の賛成派を取り込みながら、次々と政策化していきます。
当時の日本は、慢性的な電力不足で、巨大ダム建設が進められていましたが、コストが大き過ぎて、火力発電所も同様で、さらに将来化石燃料の不足も懸念されており、正力はこうした背景を巧みに使いながら、原発化の道を拡げていきました。
もちろん、報道キャンペーンも忘れません。当時の読売記事に、正力の原子力の安全性を解説したものが掲載されました。
内容は「死の灰も動力機関の燃料に活用できるし、食物や土壌殺菌に使用できる」という今では考えられないような安全性です。核の安全性の認識は、当時その程度だったのか、国民を偽りで洗脳したのか、いずれにせよ杜撰な認識が罷り通っていたのです。

こうした正力らの原発推進キャンペーンにも関わらず、原発運転の可能性はまだまだ先でした。
国家安全保障会議の当時の資料には、
「向こう10年間、競争力のある原発にすることは期待できない。しかし、ソ連は急ピッチで原発開発を進めている。このままではアメリカは冷戦においてリーダーシップを奪われる可能性が高い。電力コストの高い日本は最も有力なターゲットだ」と書かれています。

このことが何を意味しているかは明瞭です。核アレルギーが強く、しかもエネルギー不足に悩む日本が、原発を受け入れれば、安全性が担保されたのも同様、ドミノのように原発を受け入れる国が拡がっていくという期待と戦略です。しかも、さらなる核兵器開発も暗黙の認知を受けたようなものです。
このようにアメリカの戦略はどこまでもしたたかです。

その年の5月、ホプキンスを団長とする「原子力の平和利用使節団」が来日しました。国民向けに平和利用大講演会が、日比谷公会堂で開かれ、読売Gの大キャンペーンの成果なのか、長蛇の行列ができるほどの盛況で、この様子を日テレは、番組変更して生中継します。

そして6月。日本政府も受け入れ、民間(読売G)と政府の姿勢が一致。日米原子力協定が結ばれます。この年の保守合同による初の自民党政権(第3次鳩山内閣)で正力は、北海道開発庁官に就任し、翌年新設された科学技術庁長官と原子力委員会委員長を兼務しました。

このように道を切り拓いた正力は、手記にこう記しています。

「平和使節団が政府を動かすターニングポイントになった。小生がしたことは、冷戦における崇高な使命であると信じている」

やはり正力は、純粋な思いで原子力の平和利用に取り組んだのではなかった。冷戦構造の中で、共産主義化を怖れ、アメリカに与し原子力の平和利用という大義で、巧妙に政治的な思惑を隠しながら、アメリカの目論見どおりに事を運んだのでした。正力にとっての崇高な使命のテーマはここにあったのです。そして副次的に原子力産業が芽生えれば、日本は豊かになる。
日本が豊かになるには、純粋な意味では冷戦は関係ありません。どちらにも与しない選択もあったからです。同じ時期政権にあった石橋湛山は、日本の真の独立、全方位外交を模索していました。

57年東海村で日本初の臨界成功。

58年までにアメリカは39カ国と原子力協定を結ぶ。協定により核の軍事転用が禁止される。
このことは同時に、各国が米ソの核兵器ブロックに組み込まれていくことを意味していました。

57年、国家安全保障会議に提出された報告書にはこう記されています。
「過去3年間、我々の核実験に激しいプロパガンダが行われたが、米の立場は自由主義国の支持を得ることができた。“atoms for peace plan”がもたらしたものは、測り知れないものがある」

まさにアメリカの真意はここにあったわけです。“atoms for peace plan”は、あくまでも核開発の持続と発展のための手段に過ぎなかったのです。そして、“atoms for peace plan”は、アメリカに膨大な利益をもたらしました。技術援助は、無償で行われたわけではなく、巨額な金銭が動き、ここに利権構造が生まれます。アメリカの原子力産業は、軍産複合体が中心で、構成する企業から受注を有利にすすめるために日本の権力者にカネが流れる。斡旋利得が生まれ、カネの競争が活発になる。そうしたカネをひっくるめて最終的に、軍産共同体に渡り、その一部が核兵器開発に回される。もちろんそのカネは税金です。
核兵器開発と“atoms for peace plan”は、双面のヤヌスのようの性格をもって、一心同体となり、日本をはじめ各国は、双面のヤヌスの成長に寄与したのです。
さまざまな功罪をもたらしながら。


61年 IAEA(国際原子力機関)設立。
IAEAが直面したものは、平和利用を装った核兵器開発の疑惑でした。IAEAは今も大国の核兵器保有を認めたまま核査察でも課題を掲げている。

65年 電力化なる。アメリカが予測したように10年後に電力化された。

79年 アメリカのスリーマイル島の原発でメルトダウン事故が発生。周辺で放射能汚染される。
その後、現在までアメリカでは、新たな原発発注が途絶えている。

86年 ソ連(当時)――現ウクライナ――のチェルノブイリ発電所で炉心が制御を失い暴走し爆発。大量の放射能がばらまかれ甚大な被害をもたらす。


そして2011年3月11日 東日本大地震。福島第一原発で事故発生。放射能漏れが続く……






武井繁明





Desert on the Moon - Hiromi Uehara

「未知の領域」で考える―日本人の寛容と協調にはらむ危険

2011年03月26日 | 政治・時事

以前日本人の宗教観を見つめながら、その特徴みたいなものを3回にわたり書いたことがあります。その中で宗教観と日本人の寛容性にふれ、その根源は、自然を構成する存在と森羅万象に神が宿るという自然崇拝――アニミズム――に発しているのではないかと書きました。
アニミズムはやがて八百万の神々を創造し、神道の基礎となり、外来宗教である仏教にも大きな影響を与え、日本仏教を育てました。たとえば、『草木国土悉皆成仏』という考え方が仏教にあります。これは「心を持たない草や木、土や岩石などにも仏性が宿り、成仏する」という意味で、僕はインド発中国経由の仏典の一節かと思っていましたが、実は密教が神道の自然崇拝を取り入れていくうちに生まれた、日本独特の仏教概念です。
このように日本の仏教は、縄文時代から悠久に続くアニミズムを包括しながら進化していきます。
これを可能にしたのは、仏教がインドの多神教的な要素を加えながら進化し拡がっていったことに加え、変化が著しく、類稀な美しい日本の四季が、多様性を生み出し、その多様性の中で暮らしてきた日本人に必然性を持って寛容な心をもたらしたからです。
砂漠のように荒涼な景観と過酷な環境の中では、絶対的なものを求めます。だから砂漠の神として唯一絶対神が生まれやく、その宗教概念も排他的で異端を生み、異端に対しては攻撃的で、非常に取り巻く壁が高い。非寛容の壁です。

日本の四季に発し、アミニズムを包括しながら暮らしてきた寛容な私たちは、自然の脅威に遭遇し、多くの犠牲が生まれ、怯え怖れる時、「神が与えた試練」という観念が生まれ、すべてを受け入れます。自然の脅威は猛威となり、もたらした被害が甚大で、人間が太刀打ちできるものではなく、神の仕業としか思えないからです。まさにアニミズムですね。
自然は膨大な恵みを人間に与えるけれど、ある時は人間と人間が作ったものとその土壌を破壊します。
ここに「畏れ」という意識が生まれ、一方では感謝し、一方では鎮魂に努めます。
また、「試練」とするのは、こうした自然の猛威の後に、人は知恵を生むからです。授けられるという言い方も可能かもしれません。自然の猛威がなければ、新たな知恵が生まれなかったかもしれないという認識が、再生を果たした後生まれるからです。そして喪失を乗り越え、再生へ向かってきた歴史があり、喪失以前よりも強い社会、高い文化を形成してきました。まさに試練でした。

しかし、僕はこうした考え方に警鐘を鳴らします。現代科学文明以前ならそれでもよかったかもしれません。現代科学文明は、いったん何らかの力が加われば、人間がコントロールすることが不可能なすこぶる危険なものまで生み出してしまい、常に自ら作りだした危険と背中合わせの中で生活を営んでいるからです。作用の大きなものは反作用、副作用も大きく、現代科学文明より前と比べものにならないからです。
たぶん、比喩的に「神が与えし苦難。試練。神が教えたいもの」と言っているのだと思いますが、すべてをそこに閉じ込めてしまうわけにはいきません。
最大の理由は、自然の脅威は、常に人災を引き連れてくるからです。現代科学文明は、一方で自然の脅威を防御し緩和させます。しかし、人災がもたらすリスクも高くなっている。
もはや、神のせいにしてはならない、「人間の責任の領域」に入っています。

福島第一原発で起っていることと、地震と津波の被害を同一視してはいけません。地震と津波は天災でも、原発事故は明らかに人災で、「人間の責任の領域」です。
マグニチュード9.0の地震は、確率的に1000年に一度かもしれません。「それに耐えた原発を誇るべきだ」と経団連会長は、会見で「べき論」で言っていましたが、福島の原発のある場所の震度は6で、これは想定内で耐えて当たり前です。
また想定外の津波、未曾有の津波のせいにしていますが、未曾有であっても、想定外と言うにはあまりに杜撰な想定です。
わずか100年前の明治の三陸沖地震では、三陸海岸に38m、24m、14mという津波を記録し、理科年表にも載っているほどです。
鎌倉時代の150年の間には、伊豆・相模湾を震源としたマグニチュード7~8クラスの地震が2度襲い、鎌倉を崩壊させています。もちろん揺れだけではなく津波も襲っています。
室町時代にはわずか30年ほどの間に同規模の地震がこの地方を襲い、この時の津波は大きく、高徳院の大仏殿を流してしまい、鎌倉は全滅しました。以来「鎌倉の大仏」は、屋根のない、「露座の大仏」として、現代に至っています。

自然の脅威は、ある線を超えると防ぎようがないかもしれません。しかし人災は防がなくてはなりません。天災が引き連れてくるリスクが異常に高い人災は、閾値ゼロにしなければならないのです。それが科学です。科学を注ぎこんで生まれる判断です。
多くの人たちが、とてつもない脅威の前に、冷静に判断しましょう。と呼びかけています。
その呼びかけを受け入れ、冷静に判断すれば、「原発は必要ない」という判断が生まれるはずです。

原発への依存度は、全電力の30%ほどで、原発に依頼するため、火力、水力発電を抑制しています。フル活動させるのは、メンテナンスを考えれば現実的ではありませんが、潜在能力として、原発を使わずとも現在の消費電力をカバーできます。
03年には、東電管内の原発を止めた時もありましたが、この時停電は起っていません。
今すぐ、すべての原発を止めろとは言わない。しかし、非常に危険性の高い浜岡原発は、すぐに運転停止しなければいけないし、上関原発の工事を始め計画中の原発は、白紙に戻さなければいけません。「白紙に戻すべきだ」などという不確定的な判断ではなく、僕の確定判断です。
地震列島日本で、TEPCOの「災害に強い、世界に誇れる発電所(原発)を目指して」というコピーは、砂上の楼閣に等しいのです。

ドイツは、原発を止めていました。近々再開する予定でしたが、福島の事故で再開を見わせています。そのドイツでは、シナリオどおり事が進めば、後10年で自然エネルギーによる電力量が、40%に達するそうです。
http://www.bmu.de/english/current_press_releases/pm/47124.php

ニューヨークタイムズは、福島原発事故以来、ウランの価格が30%暴落し、天然ガスに高い注目が集まっている世界の動向から、「福島の原発事故は、基本的に世界のエネルギーの取組みの形状を変えることになるだろう」と論じています。

一方、「危機的な未知の領域」を作ってしまった日本は、未だ“危機的な未知の領域”から、脱出する道を切り拓けていないにもかかわらず、原発推進路線を継続していくことを早くも保安院が会見で述べました。この国の官僚は、国民の生命を考慮の対象から外しているようです。
財界も同じです。この期に及んで原発推進です。

僕が怖れているのは、このような動きに対する、日本人の寛容性です。地震発生直後、「地震でも高いモラルの日本人」として冷静で協調的な対応が、世界から高い評価を受け、称賛されました。たしかにそうなんでしょう。僕もそう思います。
しかし、日本人の寛容性と協調性を考えた時、寛容と協調の中には、同調圧力に強いられてきた歴史があります。そこに生れたのが「長いものには巻かれろ」という処世術で、概して臆病であり、悪い方に同調して正しいことを葬り去ってきた事実もあります。少数の正しい意見を封殺し、多数の誤った判断を受け入れてきた歴史です。

「今福島で何が起っているのか」。この主題に対し政・財・官・報の4つの権力は、誠実に応えていません。3号機の格納容器が破壊している可能性が高い、という発表でMOX燃料が、どうなっているのか?という問いに答えられず、もっとも危険な放射性物質、プルトニウムに言及できないどころか、モニタリングもしていない現実。こうした危機を既存メディアは、踏み込んで伝えないどころか、プルトニウムに関する記事が、さらに少なくなっている現実。
(あまりにも危険な状態であるため、隠蔽している可能性すらある)

福島原発は、首の皮一枚で持っているようなものです。1~3号機で燃料棒の融解の進捗は確実で、冷却を繰り返しても、設計条件を超える圧力と温度が、繰り返し起っている。
2号機でも、格納容器の破壊が一部で起こった可能性が高く、4号炉の使用済み核燃料プールで再臨界が起った可能性も高い。設計条件を超える圧力と温度は、最後の砦である格納容器から、放射能をリークする。破壊していればなおさらのことです。止むことのない放射能の拡がりは、リークしているからです。爆発だけのものではありません。

そして電源が繋がり、冷却装置が働いたとしても、濃度の高い放射能の中で破損を修復することが可能なのか?
冷却装置が働き、格納容器の破損も修復され、炉心冷却が維持されても安定化するまでには、月単位を要する。炉心が冷え、炉心状態が明らかにされるには、年単位、それも7~10年要することが、スリーマイル島の事例をみても明らかです。
その間、濃度の推移はあっても、放射能が漏れ続ける可能性は否定できず、周辺の人たちの暮らしは成り立ちません。

今は、安定しているわけでもなければ、膠着状態でもなく、一時期に比べ、最悪のシナリオが起る可能性が、ほんのわずかに減っただけの状態です。

『今福島第一原発で何が起っているのか』『危険な未知の領域』を今後作らないために私たちはどうしたらいいか。人に流されず判断しなければいけません。


武井繁明



http://www.boston.com/bigpicture/2011/03/japan_one_week_later.html





Dream of the return

心に残るつぶやき―prayforjapan.jp から

2011年03月17日 | 政治・時事
このサイトは、栃木県の避難所にて、停電のなか最初の夜を明かしている20歳の学生によって作られたそうです。世界各地から「#prayforjapan」というタグをつけた「応援のメッセージ」が多数寄せられ、現在も1秒に1回以上のペースで、地球上のあらゆる地域から寄せられており、その累計は100万件以上にのぼるそうです。


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父が明日、福島原発の応援に派遣されます。半年後定年を迎える父が自ら志願したと聞き、涙が出そうになりました。「今の対応次第で原発の未来が変わる。使命感を持っていく。」家では頼りなく感じる父ですが、私は今日程誇りに思ったことはありません。無事の帰宅を祈ります。
@NamicoAoto

イスラエル人にヘブライ語で声を掛けられた。困っていたら知り合いのパレスチナ人が通りすがり、通訳してくれた。「日本は大丈夫か?僕は深く祈るから」と言ってくれた。パレスチナ人とイスラエル人が握手をしてる笑顔に包まれた。涙が出た
@malines_chico

子供がお菓子を持ってレジに並んでいたけれど、順番が近くなり、レジを見て考え込み、レジ横にあった募金箱にお金を入れて、お菓子を棚に戻して出て行きました。店員さんがその子供の背中に向けてかけた「ありがとうございます」という声が、震えてました。
@matsugen

日本のために祈っています.
一つだけである地球そしてその中に住んでいる私たちは皆家族です
心が痛くてずっとなみだが出ます. しかし希望はそばにあります.
Seoul, Korea
@Suyeon725


NHKの男性アナウンサーが被災状況や現況を淡々と読み上げる中、「ストレスで母乳が出なくなった母親が夜通しスーパーの開店待ちの列に並んでミルクが手に入った」と紹介後、絶句、沈黙が流れ、放送事故のようになった。すぐに立ち直ったけど泣いているのがわかった。目頭が熱くなった。
@bitboi

”暗すぎて今までに見たことないくらい星が綺麗だよ。
仙台のみんな、上を向くんだ。”
@現地での会話 @ryoji96

M9.0 世界最大級となったのか。
じゃ、今後復興のためのエネルギーも愛も、
世界最大級にしなくちゃ。
@junyaishikawa

家屋に取り残され、42時間ぶりに救出された高齢の男性の映像。「チリ津波も経験してきたから、だいじょうぶです。また、再建しましょう」と笑顔で答えていた。私たちが、これから何をするかが大事。
@mameo65

避難所でおじいさんが「これからどうなるんだろう」
と漏らしたとき、横に居た高校生ぐらいの男の子が
「大丈夫、大人になったら僕らが絶対元に戻します」
って背中さすって言ってたらしい。大丈夫、未来あるよ。
@nekoshima83

停電すると、それを直す人がいて、断水すると、それを直す人がいて、原発で事故が起きると、それを直しに行く人がいる。勝手に復旧してるわけじゃない。俺らが室内でマダカナーとか言っている間クソ寒い中死ぬ気で頑張ってくれてる人がいる。
@yoh22222

4時間の道のりを歩いて帰るときに、トイレのご利用どうぞ!と書いたスケッチブックを持って、自宅のお手洗いを開放していた女性がいた。日本って、やはり世界一温かい国だよね。あれみた時は感動して泣けてきた。
@fujifumi

2歳の息子が独りでシューズを履いて外に出ようとしていた。「地震を逮捕しに行く!」とのこと。小さな体に宿る勇気と正義感に力をもらう。みなさん、気持ちを強く持って頑張りましょう。@hirata_hironobu

日本全国の皆さん。やさしさを失わないで下さい。弱い人をいたわり、互いに助け合い、許そうとする気持ち失わないで下さい。あなたが不安な時、きっと周りの人も不安なはずです。これが私達の願いです。私達も同じ気持ちで頑張ります。
@ウルトラマン&スタッフ

都心から4時間かけて歩いて思った。歩道は溢れんばかりの人だったが、皆整然と黙々と歩いていた。コンビニはじめ各店舗も淡々と仕事していた。ネットのインフラは揺れに耐え抜き、各地では帰宅困難者受け入れ施設が開設され、鉄道も復旧して終夜運転するという。凄い国だよ。GDP何位とか関係ない。
@rasuku

終夜運転のメトロの駅員に、大変ですねって声かけたら、笑顔で、こんな時ですから!だって。捨てたもんじゃないね、感動した。
@tadakatz

サントリーの自販機無料化、softbankWi-Fiスポット解放、色んな人達が全力で頑張っててそれに海外が感動・協力してる。海外からの援助受け入れに躊躇したり自衛隊派遣を遅らせたりしてた阪神淡路大震災の頃より日本は確実に強い国になってるんだ。
@dita_69

ホームで待ちくたびれていたら、ホームレスの人達が寒いから敷けって段ボールをくれた。いつも私達は横目で流してるのに。あたたかいです。
@aquarius_rabbit

韓国人の友達からさっききたメール。「世界唯一の核被爆国。大戦にも負けた。毎年台風がくる。地震だってくる。津波もくる。・・・小さい島国だけど、それでも立ち上がってきたのが日本なんじゃないの。頑張れ超頑張れ。」ちなみに僕はいま泣いてる。
@copedy

昨日の夜中、大学から徒歩で帰宅する道すがら、とっくに閉店したパン屋のおばちゃんが無料でパン配給していた。こんな喧噪のなかでも自分にできること見つけて実践している人に感動。心温まった。東京も捨てたもんじゃないな。
@ayakishimoto

国連からのコメント「日本は今まで世界中に援助をしてきた援助大国だ。今回は国連が全力で日本を援助する。」
@akitosk

一回の青信号で1台しか前に進めないなんてザラだったけど、誰もが譲り合い穏やかに運転している姿に感動した。複雑な交差点で交通が5分以上完全マヒするシーンもあったけど、10時間の間お礼以外のクラクションの音を耳にしなかった。恐怖と同時に心温まる時間で、日本がますます好きになった。
@micakom

物が散乱しているスーパーで、落ちているものを律儀に拾い、そして列に黙って並んでお金を払って買い物をする。運転再開した電車で混んでるのに妊婦に席を譲るお年寄り。この光景を見て外国人は絶句したようだ。本当だろう、この話。すごいよ日本。
@kiritansu

ディズニーランドでは、ショップのお菓子なども配給された。ちょっと派手目な女子高生たちが必要以上にたくさんもらってて「何だ?」って一瞬思ったけど、その後その子たちが、避難所の子供たちにお菓子を配っていたところ見て感動。子供連れは動けない状況だったから、本当にありがたい心配りだった
@unosuke

駅員さんに「昨日一生懸命電車を走らせてくれてありがとう」って言ってる小さい子達を見た。駅員さん泣いてた。俺は号泣してた。
@oka_0829





stop crying your heart out - oasis - lyrics



今、福島で何が起こっているのか―「未知の領域へ」~チャイナ・シンドローム

2011年03月16日 | 政治・時事
大学に入った年だったろうか、ジェーン・フォンダ、ジャック・レモン、マイケル・ダグラスらが出演した『チャイナ・シンドローム』という映画を見た。“原子力発電所の原子炉が融けだすと、建物だけではなく、地殻をも融かしやがて地球の反対側の中国にまで行きついてしまう”というストーリーの中でのジョークが、そのまま題名になった映画です。
この映画は、核の危険性をストーリー化させただけではなく、危険な核を使用した発電所でいったん事故が起り、経営の持続と利益と保身のために、経営者側が状況と危険性を隠蔽すれば、致命的な危機にまで発展するという教訓的でとても秀逸な作品でした。
翌年だったかな、まるで預言していたかのようにスリーマイル島で炉心融解(メルトダウン)事故があり、秀逸な作品がさらに脚光を浴びたのを覚えています。
それからしばらく経って、ハリソン・フォード主演の『K-19』(2002年)というソ連原潜事故の実話を基にした作品を観ました。
この作品は、些細な事故でメルトダウンを起こしそうなり、危機的な状況の中で、乗組員が被爆覚悟で決死の修復にあたる。というところが最大の見せ場で、核の危険性とともにヒューマニズムを最前線に描いた、これも見ごたえのある作品でした。

今福島第一原発の危機的状況をめぐり、二つの映画の主要テーマが、実際起っていると僕は推察します。

東電と経済産業省・保安院の後手後手に回る要領を得ない記者会見。詳細を明らかにせず、「念のために」を繰り返しながら、事故の状況を大まかに説明し、「微量な放射能漏れは人体に影響がないレベル」を言い続ける枝野官房長官とさらに具体性に欠ける菅総理の会見。
会見の主体となっている、政・財・官は、事態の収拾に向かいながらも、これまでのあまり表に露われていない事実を考えると、人命とは別の何かを守りながら進んでいるように思います。つまり直線的に収拾に向かっていないんですね。

◇本来、どんな状況でも機能しなければならない、そういう約束で作られた原発の二重三重の冷却安全システムが機能しなくなった時、事態の好転に向けてアメリカが、技術的、物質的なサポートを申し出た時、日本側は断っています。それも二度に渡り断ったと言われています。
(東電が、炉の再使用を求めたため、炉が使えなくなる収拾方法を嫌った。人命より経営利益を優先させ、それを政府が容認した)

◇コントロールが効かなくなった原発を抑え、再臨界を防ぐために、冷却の他にホウ酸水を注入しなければならなかったのに、東電は初期段階でそれを行わなかった。
(先述した理由による)

◇多くの人命に関わる危機的、致命的状況にもかかわらず、政・財・官の会見は、今実際「何が起っているのか」「どのような状況でどのような作業が行われているのか」「状況の悪化により招かれる事態はいかなるものなのか」ということを具体的に語っていない。
(パニックによる経済的損失を怖れるあまり、人命を疎かにしている)

◇詳細に与えられない状況の中で、世界レベルに達していない安直な避難指示が行われている。
(この規模の原発の危機的状況では、まず半径30㎞外への避難指示が与えられ、状況により縮小拡大するのが世界レベル。政府は、まず5㎞、10㎞、20㎞へと逆に行ってきた⇒危機管理の未熟さを露呈)

◇枝野官房長官が就任し、官邸の記者会見はフルオープンになったが、この地震を境に、フリー、雑誌、ネット、外国人記者は、参加を認められず、従来の閉ざされた記者クラブだけが参加する記者会見に戻ってしまった。
(政・財・官に加え、報まで思考停止状態。情報の入り口と出口を限定化してしまい、多様な情報が生まれない状況を作りだしてしまった。人命に関わる大事な時だからこそ、多様な情報を国民は得て選択肢が拡がる。さらに既存メディアの最大のスポンサーは、電力会社だという事実)

◇3号機は、使用済み核燃料から取り出されたプルトニウムとMOX(ウラン混合化合物)を燃料としていて、――プルサーマル計画――プルトニウムは、ウランに比べ人体に与える影響が遥かに大きく、長期間にわたる猛毒であること。
このことをこれまでの会見では大きく伝えていない。そしてプルサーマル計画は、日本が一番進めていて、事故も世界で初めてだという事実。

◇地震による東日本の電力不足は、あたかも福島の二つに原発の機能不全によるものだと思わせているような「計画停電」だが、実際は、火力発電所も被害を受け電力量が落ちていること。火力発電を抑制し、原発に依存した体制になっているので電力が不足していること。抑制中の火力発電所の容量を上げれば、電力は不足しないことを大きく伝えていない。
(原発は必要不可欠という認識を与えたいためなのかと思ってしまう。たぶんそうだと思う。実際これまで原発運転を止めたことが2003年にあったらしいが、停電は起らなかった。火力発電と他の発電で十分だった)


1号機、2号機、3号機、メルトダウンが進んでいる可能性があります。こうした報道が昨日あたりからようやく見られるようになりました。このことをまるで預言するかのように、誠実に伝えていた後藤政志さんという、かつて原発の格納容器を東芝で設計していた博士が、地震発生以来実名で、記者会見を行っていますが、ほとんどの既存メディアは、伝えていないと思う。(今日の東京新聞『こちら特報部』で大々的に掲載)
後藤さんが、会見されるのは、「特定非営利活動法人 原子力資料 情報室(CNIC)→反原発団体」とフリージャーナリストによる会見と外国人特派員協会での会見に限られています。
外国人特派員協会では、二夜連続で行われました。外国の記者たちからの注目度が高い見識を持った人なのになぜ既存メディアの記者クラブが会見を主宰しないかと言えば、先にも言ったように彼らの最大のスポンサーは電力会社だからです。
さらに電力会社は、民主党のスポンサー最大手でもあるんですね。

後藤さんの会見の模様は、Ustreamで伝えられていました。普段なら数百人程度でも多い視聴者が、連日3万~5万にも及んでいます。そしてその人たちのコメントは、圧倒的に「目から鱗が落ちた」というようなこれまで知らなかった原発の構造や、「今実際何が起っているのか」という事実を知った新鮮な驚きばかりで、実際、後藤さんが述べていることが、今福島で起こっているという衝撃です。
僕は多くの人たちに後藤さんの話を聴いてもらいたいと思っています。

■14日に行われた外国人特派員協会での記者会見
http://www.ustream.tv/recorded/13320522
■15日に行われた外国人特派員協会での記者会見
http://www.ustream.tv/recorded/13339131


原発反対も推進も容認もなく、多様な情報の中から向かわなければならない方向を私たちは考えなければいけない。多様性の中にしか正しい方向は存在しません。閉ざされている現況を考えるととても恐ろしい感じがしてなりません。閉ざされた報道の中で、メルトダウンは進んでいる。
仮に止められたとしても(止めなくてはなりません)放射能の拡散は、数ヵ月から1年続くと言われています。
海外の報道では、すでにスリーマイル島(レベル4)を超えたレベル5~6(最悪はチェルノブイリのレベル7)に進んでいるという、日本の報道と乖離した報道が早い時点で見られます。

これまで起ってきた悪夢のような現実。そして良い方向へ向かうとは思えない「未知の領域」を僕なりに見つめて思うのは、時代は、価値観のダイナミックな転換を求めている。ダイナミックに価値観を変換しなければならないと感じています。
このことについては、いずれ書きたいと思います。

そしてもうひとつ、映画『K-19』の最大のテーマが、福島で連日続けられていることです。
被曝を覚悟した、決死の冷却活動です。東電の現場職員、技術者。協力会社の現場職員。そして自衛隊とアメリカ軍の精鋭のみなさんが、健康と命を引き換えに悪化し続ける事態を鎮静化させようと壊滅的で危険な現場で、多くの国民の健康と命を護ろうとしている現実。多くの犠牲者を必要とするような現実が、今起こっていることを認識しなければいけません。


武井繁明


*写真はロイターから引用
左:人災で破壊された福島第一原発 右:被曝し隔離された家族とガラス越しに話す婦人。