風の回廊

風を感じたら気ままに書こうと思う。

異端者たちの発言

2011年05月26日 | 政治・時事

23日、参院・行政監視委員会に4人の異端者が参考人として招致されました。
小出裕章(京大原子炉実験所・助教)、後藤政志(元東芝エンジニア・格納容器設計者)、石橋克彦(神戸大学名誉教授・地震学者)、そして財界から孫正義(ソフトバンク社長)の各氏です。

3人の学者は、アカデミーの世界、原子力の世界の主流派から遠くにいて、“原子力村”と呼ばれる原発推進派、原子力行政に関わる政界、官僚、原発から利益を得ている財界から、忌み嫌われ煙たがられている、いわば、「異端者」たちです。
孫さんは、すでにメジャーで社会的にも確固たる地位にいるわけだけど、生い立ちから現在に至る道のりを思うと異端の色彩が強いと思う。

こうした原発の安全性を問題視し、安全への提言を繰り返してきた異端者たちが、それもとびきり見識の高い研究者と実行力のある財界人が、国会の場で、参考人として証言したことは、けしてオーバーではなく歴史的な快挙と言えると思います。そのくらい原子力に関しては、国会では閉ざされていたのです。
国会だけではなく、アカデミーの場でも経済界でも同じで、すべて原子力村の住人たちによって支配され、異端者たちが表に出る幕などなかったのです。

その質疑の内容は、参院国会中継のHPでアーカイブを見ることができるので、ぜひご覧になってください。「未知の領域」にいる私たちが、目にできる、耳にできる、共有できる歴史の転換のポイントになるかもしれないひとコマを、見逃すわけにはいかないでしょう。
約3時間半という長丁場ですが、異端者たちの言葉から意識が離れないと確信します。
それほど私たちが、心に留めておかなければならない、同時に私たちが考えなくてはならない重要なことを語っているのです。

参院国会中継HP http://www.webtv.sangiin.go.jp/webtv/index.php
(5月23日か行政監視委員会をクリック。ちなみに4月18日は、村木厚子さんの参考人質疑の模様です)

予想していたこととはいえ、残念ながらNHKは中継せず、ニコ生が名乗りを上げたのですが結局成らず、国会ネット中継だけだったのかな……そんなことで、反響があるのか不安だったのですが、国会ネット中継は、視聴者が殺到し途中ダウンするほどで、傍聴席も満席だったとか。

僕はマイミクのタケセンさんの日記で、わりと早いうちから4人が出席することを知っていたので、しかし決定となる16日の月曜日までは封印。タケセンさんのブログ掲載を待って、18日の昼頃、タケセンさんのブログ・『思索の日記』―“23日に原発問題で参考人質疑―超豪華メンバーです”
http://blog.goo.ne.jp/shirakabatakesen/e/1d276d88fa598e8dbad2324e41e2772a

をツイッターで流したところ、たちまち凄い勢いで拡散していきました。
タケセンさんのブログを見ると、これまで215人の人がツイートしているので、それは広まりますよね。この辺りは、ツイッターの優れたところですね。

このように注目度の高い参考人質疑だったにもかかわらず、翌日の新聞を見ると扱いは小さく、これも予想していたことですが、大手メディアの異端者への白い視線は、こうした事態に陥っても変わっていないんですね。だから、知らない人がほとんどではないかと思います。

異端者への白い視線は、何も大手メディアだけではありません。
4人の参考人招致を巡って、毎日放送の記者の取材によれば、
「官邸は4人の招致を良しとせず、強く警戒していた」
「自民党執行部は、『なんであんなのを呼んだんだ!』と末松委員長(自民)に迫る」
「経産省の官僚は、なぜ保安院を招致し、発言させなかったのか」
「保安院の警戒の強さは異様とも感じた」
とまあ、こんなありさまで暗澹たる思いです。

原発の安全性について管理を行う保安院(経産省管轄)どころか、最高責任者である総理が主の官邸までがこのありさまでは、未来どころか、明日の原発の行方も危ういですね。
原発問題は、エネルギー問題、社会的な問題、生活的な問題という問題に集約できない、文明の問題なのです。今現在、文明の危機にあるのです。
今の政府の姿勢如何では、偏狭で貧しい思考と姿勢では、とうてい文明の危機を乗り越えられるとは思いません。

聡明で心豊かな異端者たちが灯す明かりに人々が共感し、行動となり文明は育くまれます。
キリスト教がユダヤ教の異端であったように、仏教がバラモン教の異端であったように、親鸞が当時の仏教界で異端であったように、既存の中から必ず新しい芽が生え、当初は新しさゆえ、既存の色彩と違う色を放っているため、受け入れられず異端者として扱われるのですが、やがて正統になる可能性を持っているのです。
歴史は、異端が正統となり、新しい文明に貢献している様を教えてくれます。
今私たちが視線を向け、支援しなければならないのは、こうした心ある異端者たちではないでしょうか。

4人の聡明な参考人には、行政監視委員会から、事前に資料が配布されたのですが、その資料として、マイミクのタケセンさんの論文が一緒に配布されました。

『公共をめぐる哲学の活躍』
http://www.shirakaba.gr.jp/home/tayori/Kokyo_Tetsugaku_photo.pdf

タケセンさんは以前、行政監視委員会調査室から依頼を受け、数年にわたり調査員として、行政監視委員会で『民知の哲学』を説いています。
行政監視委員会の昨今の画期的な活動は、タケセンさんの『民知の哲学』の理解と拡がりによるところが大きく、タケセンさんはとても有意な活動をしておられます。
聞くところによれば、政治不信が強い小出さんは、当初参考人招致に消極的でしたが、タケセンさんの『公共をめぐる哲学の活躍』を読んで、気持ちが180度変わったとか。
出席を決めた後の小出さんは何かが振り切れたようにラジオ番組でこう語っていました。

「言いたい放題語ってくるつもりだ」

そして言葉どおり語りました。


参考までに、これまでもアップしましたが。
『小出裕章(京大助教)非公式まとめ』
http://hiroakikoide.wordpress.com/
後藤政志さんのブログ
http://gotomasashi.blogspot.com/

講演会や会見、テレビ、ラジオ出演などのアーカイブを見ることができます。原発の問題を解かりやすく深く語っています。そして今福島で何が起こっているのか……毎日のように二人は語っています。

そして、タケセンさんのブログ『思索の日記』
http://blog.goo.ne.jp/shirakabatakesen
mixiプロフィール
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=548859&from=navi




武井繁明

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今夜から模様ですね……
そしてこれから雨の季節です。
放射性物質入りの雨だけど、雨が好きな僕とすれば、雨へのロマンを失いたくないものです。


Rain (pioggia) - "Let It Rain" by Sarah Brightman


Rain (pioggia) - "Let It Rain" by Sarah Brightman

カオスの中で―コーヒーブレイク

2011年05月23日 | エッセイ
もしかしたら、日本中が放射性物質にまみれて、破壊し尽くされてしまうかもしれないし、日本どころか、北半球の広い面積にわたり汚染を拡散し、膨大な負の影響を与えることになるかもしれない。最悪のケース、福島第一の各プラントのうちひとつでも、水蒸気爆発を起こしたら、悪夢ではなく現実となり、もっと酷い状態になってしまうかもしれない。
そうした危機を孕みながら、必死の冷却作業が現場で行われ、なんとかそれを防ごうとしている。
このように後がない危機的状況は、さまざまなカオスの根源となり、私たちを混乱させる。
だけど被災していない私たちは、混乱などしていないように時間になれば仕事を淡々とこなし、夜になれば、3月11日前と変わらぬ食事風景がそこに生まれ、夜が深まればこれまでと同じベッドで眠り、やがて朝を迎え、変わらぬ一日が繰り返される。そのことが、不思議でならない気もする。

震災直後、僕は、被災地に限らず、社会のさまざまな場面で混乱の限りを尽くすのではないか……と推察していたのだが、どうも僕は自分も含めて人間という生命体の精神的な面を過小評価していたみたいだ。
僕の中に酷い混乱の渦巻きが生まれなかったのは、福島第一の現状を専門家の見解を聞きながら、理解しようと努めてきたからかもしれない。
そんなことで実際のところけっこう余裕でもある。
しかしながら、毎夜繰り返される、原発に関する情報取得とその整理に、いささか疲労を感じ始めた。
この作業は、特別精神的に辛いことはないのだが、キーボードを打つのが、辛くなってきた。
昨年も一昨年も、頸肩腕症候群が酷くなり、ギブアップしたのも今頃でそんな心配もある。
とはいうものの、止めようという気配はない。「そのときはそのときだ」。という僕が得意な諦め観が、心配の水底に拡がっている。水面では心配していても、底では諦めているんです。

諦めると余裕はさらに広がり、なんとなくとりとめもなく過去を振り返ったりする。過去を振り返ることは、得意中の得意で、『記憶の中の風景』というろくでもない小説風味を6年前から書き、いったん完成させ、それに関連する『夏の終わりに』という短篇を書き、今は『記憶の中の風景』のリメイク、『Passage』 を書いている。すでに146話を書き終え、全部合わせると、449話になり、一話4000字くらいあるから、その量は膨大なもので、すでに当初の目的はどこかへ消え去り、中毒化しているようにも思えてくる。困ったものだと思う。

こんなふうに、カオスの中でも変わることなく、誰もが静謐に暮らしているのです。

「カオスの中で誰もが……」というフレーズが浮かんだ時、このような場で出会い、いつの間にか退会してしまったあの人はどうしているのだろう……という想いが駆け巡った。

僕はmixiに登録する前、今は存在しないinfoseekのSNSに所属し、そこで『記憶の中の風景』を書いていた。その時からの、mixiでいえばマイミクさんのkaolinは、僕を紹介者としてほとんど同時にmixiにやってきた、いわばもっとも古く親しい「お気に入り」(infoでは、mixiでいうマイミクをそう呼んでいた)で、僕を兄のように慕ってくれたのでした。
Info時代はもちろん、mixiに移動してからもメッセージを送ってくれた彼女は、僕のことを「お兄ちゃん」と呼び、朝の挨拶と夜の挨拶を3日空けることなく届け、ビートルズや映画や日常の話をし、彼女は心配事や苦悩を語り、僕はそれを受け、その時精一杯の言葉を送る。そんなSNSライフが2年余り続いた。

そんなkaolinと僕だったから、表面的にさまざまな誤解と思い込みが生まれたのだと思う。
Info時代、姿を隠し魑魅魍魎と化した周辺の人物から、ジェラシーを多分に含む冷ややかで周到な侮蔑の言葉が、二人に送られてきた。やれやれだった。
だからmixiに移行した時は、安堵の気持ちが拡がり安寧状態に落ち着いた。
しかし、その年の11月28日に何の前触れもなくkaolinは突如退会してしまった。
その日のメッセージもいつもと変わらぬ上機嫌な内容だったんだけど……
けっこうショックだったな。寂しくもあったし。

それから2年くらい前にmixiのメッセージ欄を整理したんだけど、彼女からのメッセージだけは消すことが憚れ、何となくそのままにしている。
メッセージからお茶目で朗らかで、幼稚とも思える彼女のイメージとは異なり、筑波のある研究所である研究に没頭していたkaolin……。
佐賀で生まれ育ち「関東の冬は苦手なのよ」と震えた絵文字でメッセージを送り続けてくれた彼女は、このカオスの中でどんなふうに暮らしているんだろう……とふと想像したりする。

あの頃高校1年生だったひとり息子さんは、もう大学を卒業する頃で、きっと彼女は、僕と同じように歳を重ね、それなりに老化し、それなりに何かを失いながら、それ以上の何かを身につけ(この辺りは怠け者の僕と頑張り屋の彼女との違いだ)あの頃よりも魅力的な中年の女性になっていると推測する。

それにしても、SNSという世界は儚く、寂しい。と何となくkaolinが残したメッセージが、僕に語りかける。

人は、「バーチャルな世界だから仕方ないのよ」と言う。そう言って退会したマイミクさんもいる。でもそうなんだろうか。リアルに会わなくても、それはそれでリアルな世界で、さまざまな感情が生まれ、感情が交流しただけの親密性が生まれ、共感は意識の交流の深化を進める。
だけど、いつか離れ、去ってゆき、閉じられる。途切れ、終わる。とてもリアルに。そしてシンプルに、跡形もなく。現実的にこの世界の入口は広く、出口も広い。
バーチャルなのではなくリアルすぎる世界だ。と僕は感じてしまう。

そういえば今日、98歳の伯父の葬儀を済ませてきた。少しだけ胸を絞られたが、総じて悲しくなく、淡々と時が刻まれ、まるで時間の外側にいるような感じさえした。僕は戸惑いの淵を歩きながら、自分の自然抑制された感情に呆れていた。

Kaolinのことを思い出したら、やはり突然退会してしまった、とても素敵なシンガーソングライターのJさんのことを思い出してしまった。
彼女とは、彼女が主宰した化学物質過敏症の研究会の発足会に招待され、その時一度だけ会ったことがある。
何度か彼女のライブに誘われたが、タイミングが合わず、結局行かず終いだった。
そのライブは、僕が学生時代よく行っていた、吉祥寺の『SOME TIME』で行わることが多く、そんなこともあって、何としても行きたかったんだけど、気持ちだけが強く、結局デッサンだけで終わってしまった絵画のようになってしまった。
突然退会されてから、彼女のブログを頼りに、ライブへ行こうと思ったら、ブログも閉鎖状態になっていた。

僕は彼女のアルバムを何枚か持っている。その中には、彼女から贈られた1枚のアルバムがある。
久々に聴いてみようかな……と思う。カオスの中のコーヒーブレイクのお供に。
彼女の声とピアノは、静謐なディーバの輝きを感じさせる。彼女もまた、このカオスの中でどんなふうに過ごしているんだろう……と思う。

KaolinもJさんも元気で暮らしていたらいいな……と願う。

いずれにせよ、そろそろ僕もいろんな意味で、コーヒーブレイクかもしれない。

   C-moon



Stan Getz / Astrud Gilberto - Corcovado

カオスの中で

2011年05月17日 | 政治・時事
福島第一の状態と放射線物質の拡散とその危険性について、ネットを見ると日本中で酷いカオス状態に陥っていることが判ります。ネット人口が、どのくらいなのかよく解かりませんが、きっと良い影響も悪い影響も与えていることは間違いなさそうです。
自分も含めて、自分の反省も込めて、自己批判という意味合いも込めて、予定を変更して取りとめもなく書いてみようと思います。

まず……
◆東電や保安院は、福島第一の現状について、言われているような酷い隠蔽を行っているのか?

メルトダウンを先日東電が認めたことで、「これまで発表してこなかったのは隠蔽だ!」という声がいまだに凄いのですが、3月12日の保安院の記者会見で、当時の審議官、中村氏が、震災直後電源喪失状態が長く続き冷却機能が失われ、水位が下がり空焚き状態のとなり、「燃料棒を構成する炉心が融けている」可能性を示唆しました。後日中村氏は、「世間に不安を与えた」として更迭されたわけですが、このことから震災当日の11日にはメルトダウンが起っていたと推察できるわけです。
さらに14日だったか19日だったか、枝野官房長官も例によってひじょうに慎重な言い廻しで「燃料パレット溶融」に言及しているんですね。
さらに、僕が読んでいる東京新聞では、東電、保安院、政府側からの資料と記者会見から、毎日炉の様子が判りやすく書かれています。
それによれば、1~3号機の長さ約4mの燃料ペレットのうち、30~50%が、水位が満たされることなくずっと露出したままです。
このことは何を言っているかと言えば、30~50%の燃料ペレットが溶融している。溶融すれば必然的に下にさがる。つまりメルトダウンしている可能性が極めて高いことになります。
だから僕は、早い段階で「メルトダウン進行中の可能性がある」書いたわけで、これについては、「隠蔽している」とは思いませんでした。

おそらく「メルトダウン」という解釈が、そうさせたのでしょう。
世界的には、炉心の一部が破損、溶融し下に落ちればメルトダウンです。しかし、日本の多くの人たちは、「炉心が100%溶融し、圧力容器の下に溜まる」のがメルトダウンと認識しているのでしょう。しかしこの場合は「フルメルト」です。
東電はフルメルトをメトルダウンとしたかったことが窺えますが、保安院は世界的な解釈をしたかったことが窺えます。

ではなぜ、正式な発表が遅れたかと言えば、「水位計」が、まともに機能していなかったからで、人がようやく1号機に入れるようになり、そのことが判り、「補正、修復した後の水位計はゼロを指していた。すでに2ヶ月近く経っているのだから、メルトダウンしていないはずがない。フルメルト状態にあるのではないか」そこで、「1号機は、メルトダウンしていると推測される」という発表になったわけです。
ここでも、明確に言えないのは、誰も炉の中を見ることができないからで、当たり前と言えば当たり前です。
スリーマイル島の事故の時は、7~8年経って初めて炉の中の状態が判ったのですから。

人が近づけないほどの、高濃度の放射能状態の中で、頼りになるのは計測器だけですが、その計測器さえ、地震と津波、電源喪失、水素爆発によって正確なのかどうか判らないのだから、「正確な炉の状況を提出せよ」というのがしょせん無理なのです。

つまり、原発そのものがカオスなのだから、せめて、私たちは情報カオスにならないようにしましょう。ヒステリックになったり、過剰に悲観したり、絶望したり。
現場で、命懸けで復旧作業している方たちに申し訳ないですよね。

◆メルトダウンは、この世の終わりなのか?
今日、ツイッターでこんなツイートを見ました。

“『メルトダウン』を『胃の病気』に置き換えると、「胃炎」「胃下垂」「胃潰瘍」など幅の広い疾患の可能性があるのに、そそっかしい人間は最初から「胃癌」と決め付けてかかる”
hologon15 源与一義遠

なるほど、上手い比喩だと思いリツイーとしました。

メルトダウンから、さらに厳しい状況への推移として推定できるのは、ひとつには『再臨界』がありますが、これまで僕が調べた原子力の研究家、学者からは、「まず起こらないだろう。ひじょうに起りにくい」との見解が多いです。
今、3号機にホウ酸を入れていますが、ホウ酸注入は『再臨界』を防ぐのに有効な手立てで、これを受けて「3号機再臨界か!」と騒がれているのが問題……。必要な予防策というのが現状らしいです。要注意は、塩素38(CL38)が検出された時は、再臨界が起っている可能性が高いということ。
4月の初めに、「CL38検出」という東電の発表があり、小出さんを含む多くの学者が、『再臨界』の可能性を言いましたが、後に「CL38は検出されなかった」と東電は誤りを認めています。
しかし、これは小出さんのお手付きで、たとえば『CTBT高崎』(軍縮核不拡散促進センター:国際機関)http://www.cpdnp.jp/のデータや筑波の研究機関では、検出されていませんでした。
だからと言って、小出さんの価値が落ちるわけではありません。

(CTBT高崎のデータは、東電発表のデータを検証する意味でとても貴重です。データはオーストリアの本部に送られ数値化されるので、改竄の可能性は極めて少ないです。目的が、核開発の防止、監視ですから。でも検出間違いはあります。それほど核種検出はデリケートなのです)

いちばん怖いのは、水蒸気爆発ですが、今日本にいるからには、覚悟を決めるしかありません。
騒いだところでどうにもなるものではなく、これについて私たちが言及することは、対応策と現場職員への励ましと慰労の気持ちしかありません。


◆高い場所に設置されたモニタリングポストの値を発表するのは、放射線量の検出値を低く見せようという魂胆なのか?

これもどうやら間違った認識のようです。空間放射線量を計測するには
1)高い建物の傍などでは空中からの放射線が遮断され、計測されない
2)測定場所の地質や地表面の降下物、周囲の建物等のコンクリートなどに存在する天然及び人工放射性物質の影響を受ける

このような理由で、空間放射線量測定は、屋上などが適しているわけで、必然的に高い場所となるわけです。
もし生活空間に近い場所の測定結果が欲しければ、土壌測定や路面測定、小出さんが言うように地上1mで測定することを進言しなければなりません。(地上1mで測定という決まりもあるらしい。詳細は解からない)
ただしこの場合、狭い範囲でもばらつきが起る可能性があります。同じアスファルト上でも、吹き溜まりのような場所と、そうでない場所に開きがあるでしょう。アスファルトの隣りに土壌面があるとすれば、その開きは大きいはずです。

東京都のある一日の測定結果ですが、地上18mの屋上で屋上床からの高さ、1.8m、1.5m、1.0m、0.5mで計測した値と、地上1.8m、1.5m 、1.0m 、0.5mの高さで計測した値は、ほとんど変わりません。

まだまだあげればきりがありません。
『ハワイでこの20年間でプルトニウムの最高値、通常の43倍もの量が検出された』
『3号機は、使用済み燃料プールが再臨界し核爆発が起こった!』

こうしたことが、本気で語られているわけですが、『ハワイで~』は、データの悪意ともとれる誤認であり、『3号機は~』は、根拠の薄い言説です。『3号機は~』は、根拠となった核種(ヨウ素135)の検出が、不検出という誤りだったこと。欧州放射能危機委員会クリストファー・バズビー教授による動画解説の一部に誤訳があったことは間違いなく(直接インタビューした日本人在米ジャーナリストが指摘)、キノコ雲状の爆発雲の印象と誤訳が絡みついてしまい、上手く解けないでいる状況です。

いったん思いこんでしまうと、その人の中では、整理された情報として居着いてしまうんですね。自分でできる検証や精査をすることを忘れてしまう。そして拡散する。それを信じてしまう人がいてまた拡散してしまう。カオスの状況は深まる……

もちろん、今僕が書いたことも間違いかもしれません。それほど福島第一の状況はカオスで、確実なところは判っていないのです。


武井繁明

【朗報‼】
23日参院、行政監視委員会での参考人として、小出裕章さん(京大原子炉実験所助教)、後藤政志さん(原子炉格納容器設計者)、石橋克彦さん(地震学者)、孫正義さん(ソフトバンク社長)が登場します。
マイミクのタケセンさんからの確かな情報です。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1723486577&owner_id=548859

タケセンさんは、私たちが知りえない情報を持っているので、そういう意味でも日記から目が離せません。この決定についても、決定以前から示唆していました。




誰でもできる。誰もが変えられる。

2011年05月15日 | 政治・時事
昨日偉そうに書いた、「だまされた者の責任、だまされなかった者の責任」で言いたかったのは、最後のほうに書いたように、現実的に放射能汚染されている中で、暮らさざるをえない私たちは、脱原発も推進も容認もなく、それぞれが、あーだこーだ議論して方向性を決めるなんて、そんな悠長なことを言っていられる状態ではなく、国策の繁栄構造の中で生活を謳歌してきたすべての人たちが、純粋に「未来に対して責任を負いましょう」「子孫に対して責任を負いましょう」ということです。
では、現実的に具体的に私たちは何をしたらいいのか。ということですが、震災直後、多くの人が「自分にできることしよう」と言いました。結局は、ここに尽きるのですが、ここにも具体性はなく、ここにすべて押し込めることは、あまりにも曖昧すぎる。

人は、仮説でも提案でもいったん言葉として、文字として表現すれば、そこに責任が生まれます。
仮説に対しては証明する責任。提案に対しては、体験と実績。あるいは現実的に行動しているか。
これがなければ、どんな高尚な提案でもただのゴミで、証明のない仮説は、幻想に過ぎません。
ということで、僕は昨日の問題提起に対し、これまで自分が実行してきた体験の中から、今すぐにでも誰でも取り組めるものを書きます。

これまで主だった活動として、県営ダムの建設反対と八ツ場ダム建設阻止に7年間くらい、かなり力を入れて取り組んできました。ここに政治的イデオロギーはなく、純粋に「必要のないものはいらない」という主張です。もちろんそれを立証するだけの知識は必要になります。

この中で、緩やかなネットワークが形成され、参加者は約2年で400人くらいになりました。しかしながら実際行動するとなると、400人がすべて行動できるかといえば、思いの強さやさまざまな都合でほとんどの人は動けませんと言うか、動かない。意見を持っていても賛同していても動かない。これが現実です。この中で実際行動していたのはわずか11人です。
11人の実行部隊では、提案した者が責任者となり、そのプランを遂行する。という決まりごとがありました。
そこで11人が、少ない知恵を絞り、多彩なプランを実行したのです。
そのひとつは……

◇主体となる機関への働きかけ:公開質問状提出⇒記者会見⇒公開質問状の回答への反論⇒記者会見

これは今個人ではできないでしょう。ですからこう置き換えます。


◇地元政治家への働きかけ:事務所を訪ね、A4一枚程度の意見書を持って秘書と話をする。
⇒その状況をネットで公開する(mixi日記やツイッター、ブログ)⇒回答があればそれをネット上で公開する。これを繰り返す。

新人議員は、週末は地元に帰り、駅立ちをしたり、後援会活動をしているので会う気になれば会えます。事務所には必ず秘書がいるので要望書、意見書として緩く訴えます。身分を必ず明らにし、返答が届く道筋をつけてきます。
ひとりではちょっと気後れするな、と思う人は夫婦で行ってもいいし、友人と行ってもいい。少し工夫すれば、オフ会が簡単にできるのだから、そのノリでオフ会前に時間を作り、みんなで出かければいい。
こうした経過を必ずネットに掲載する。掲載した内容を議員に(事務所に届ける)知らせる。

これは僕が実際、脱ダム活動の時やってみました。自分のプランだから自分ひとりで実行しました。国会議員と地方議員の差はありますが、国会議員でなくてもいいと思いますよ。まず手始めに。
3~4回行くうちに、明らかに変化が見られ、その議員が所属する会派で勉強会が行われるようになり、やがて私たちが主催した公開討論会や他のイベントに姿を見せるようになり、脱ダムに変わりました。

議員というのは、常に受け皿を求めているものです。受け皿を確認するまで動こうとしない習性があるのです。特に方針を変えるような状況の時は、受け皿がなくてはまず動きません。
今まさにそのような状況にあります。
時間もかからない、カネもかからない、やる気さえあれば誰でも出来ます。ぜひ土曜の休日に最寄りの議員事務所を訪ねてください。秘書と話をしてください。議員がいればさらに効果は高まります。
これを粘り強く、いろんな議員に働きかけるのです。

多くの人は、自分は1票しか持っていないと錯覚しています。たしかに選挙の時は1票です。
しかし、任期を残している議員の方針を変えることに貢献することができたら、それは何百票、地域によっては何千票にも値するのです。

僕が携わった県営ダムは活動を始めてから3年後、凍結になり、数年前事実上の中止が決定されました。
凍結に当たり主体者の知事はこんなふうに理由を語りました。
「倉渕ダム凍結は、200万県民の総意である……」
反対活動をしたのは、私たちのネットワークとある団体と共産党だけで、賛同者を入れても1万人に満たなかったでしょう。当初から最後まで県内は、無関心の風潮が漂っていましたから。でも、こうした言葉を導きだすことは可能なのです。

活動は、実に多様で多く、それについてはこれまで何度か日記に書いてきました。しかしその多くは手間もかかるしひとりではできません。
ここに書いたことは、今すぐ誰にでもできる行動です。いかがですか。

経験的に署名やデモなどの示威的活動は、労力のわりには効果が薄いです。これは河野太郎議員も言っていますし、僕が接した国会議員はすべて否定的でした。署名など紙切れ同然です。実際に訪ねること、会うことが意思表示としてもっとも大切なのです。

原発を止め、再生可能エネルギーを使用する安全な循環型社会にするためには、ひとりひとりの覚悟が必要です。
省エネに取り組むこと、節電することは誰にでもできます。効果的に寄付することも支えになります。しかしこれだけでは止まりません。
ひとりひとりの明確な意思表示が必要なのです。

八ツ場ダムについての行動は、極めて政治的な行動だったので、個人で今すぐできることではありませんが、「未来への責任」は、長い道のりになるので可能な行動です。
これについては少し長くなるので次回……

それにしても昨夜から今日にかけて、反原発者たちは、水を得た魚のように元気いっぱいだったな♪
ツイッターに「日本が滅びる」「今すぐ国外脱出、九州以西に避難せよ!」という言葉がたくさん見られました。
地震が起った時「冷静になりましょう!」と叫んだ人ばかりだったのは、笑えた。



武井繁明

『本日の参考書』は、昨日に続き「吉岡メモ:5月13日版」“水棺の失敗(格納容器破損)は何故起きた?”
http://www.shippai.org/images/html/news559/YoshiokaMemo38.pdf



だまされた者の責任、だまされなかった者の責任

2011年05月14日 | 政治・時事
小出さんは講演や会見で、「だまされた者の責任」という言葉を最後に使うことがある。
原発災害にあっての責任は、一義的には、原発を国策とした主体者である政府。国策を補完するために「安全神話」を創りだした推進派学者。運営する電力会社。そこに巨額な資金が投入され、そこに群がる企業。こうした原子力(核)政策に癒着した小出さんが言う「原子力村」にある。
しかしながら、「安全神話」にだまされたとはいえ、これまで容認してきた人たち、反対しながらも止められなかったことにも責任が伴うのではないか。
こうした主旨で小出さんは「だまされた者の責任」を静かに投げかける。

僕の世代が物心ついた頃は、すでに原子力政策は進められ、原子力こそは豊かな未来を約束するエネルギーだと誰もが教えられ、信じていた。原子力から生まれた鉄腕アトムがヒーローで、妹のウランちゃんはアイドルで、僕たちの未来は力強くそしてバラ色だった。
僕たちは、原子力(核)の国策の中で、繁栄を謳歌してきた中心的な世代で、成長するに従い、危険性を知り得る環境にいた。だからこの期に及んで知らなかったでは済まされない面がある。繁栄の構造の中で、その負担を福島や他の田舎に原発を平然と押しつけてきた現実があり、それが「当たり前」だと思いこまされてきたことにまず気づかなければいけない。
このままでは、繁栄を享受しただけの無責任世代として長く後世に伝えられることは必至です。

これは原発だけではなく、ダムや米軍基地についても言える。
危険で厄介なものは、遠くに造っておけばいいという、都会繁栄の構造でもある。
「そんなことはない誘致した地域も繁栄しているだろう」。という意見もあるが、残念ながらダムで栄えた村はなく、米軍基地や原発地区も自然派生的には栄えていない。巨額な資金がカンフル剤のように投入され、繁栄しているように見えるだけで、その構造に繁栄の本質的な基盤はなく、極めて脆弱なのです。
こうした、実体のない歪みくすんだ実態にもだまされている傾向があって、容認してきた事実があり、やはりそこにも同じように「だまされた者の責任」もあると思う。

僕はこれまで、批判ばかりしてきた。批判は批判で大切なんだけど、それだけでは何も生まれないと思っています。危険性を叫んでいるだけでも物事は好転しない。偉そうに今日も言っているけれど責任を取らないことには、『未知の領域』から一歩も外に出られない。
それは今実際進んでいる現実的な『未知の世界』からも、震災で生じた『内なる未知の世界』からも出られない。

『未知の世界』から脱却するには、福島第一を収束させることはもちろんだけど、他の原発も止めなければ、未来は描けない。だから今すぐすべての原発を止めろと言う。すべての原発を止めても電気量が不足しないデータもある。たぶんそうだと思う。原発をすべて止めたところで、一億総玉砕というわけではないだろう。
しかし原発で生活が成り立っていた人たちや地域はどうなるんだろう。
すぐに再生可能なエネルギー施設を造ってそれを生活の糧の場とすることは無理だろうし、何らかの補償で賄いきれるとは思わない。いずれにせよ、原発を止めてから再生するには時間がかかる。
だから電力を確保しながら、忍耐強く再生可能なエネルギー施設を確立し、緩やかにシフトしていかなければならない。本気で安全に止めるには、急速な展開よりもしなやかな展開でなければならない。でなければ、すべての原発立脚地が、空白のスポットとなる。

こうした現実的な政策とリンクしながら発言も変えていかなくてはならない。
何度も言う。批判するだけでは何も生まれない。危険性を叫ぶだけでは害悪になりかねない。
特に急進的反原発の人たちのストイックでヒステリックな叫びだけでは何ももたらさないことは、これまでの歴史が証明しているし、今や害悪でしかない。
穿った見方かもしれないが、ことさらに「反原発」を主張している人たちを見ていると、原発はどうでもよく、知ったかぶりエゴと反権力ごっこを満たしている自慰的な行為に見えないこともない。
そこには安全への事細かな押しつけがあり、「子供の命を!」という錦の御旗があり、子供を避難させない福島県の親への見下しと侮蔑がある。
彼らの福島県民への罵倒を見ていると、彼らにとって「福島県」というのは「原発を受け入れた推進派」という記号にすぎず、政治ごっこ、安全ごっこ、正義ごっこの玩具であり、そのための「敵」でもあるのかと思えてくる。
もう最悪極まりない言葉が飛び交っている錯綜した世界……

そして総じて、「自分たちは原発に反対してきたのだから何の責任もない」という安楽椅子に座っての批判、非難、危険性の叫びだから始末に負えない。
放射能はたしかに怖い。これ以上怖いものはないかもしれない。しかし程度の差こそあれ、日本中に拡散している放射性物質の下で暮らさなければならない私たちは、それなりの覚悟が必要だと思う。
撒き散らされた放射性物質の下では、反原発も推進も容認もない。すべてに覚悟が必要で、覚悟の中で大切なことは、責任ではないかと思う。
だまされた人の責任もだまされなかった人も、子供や未成年以外は、責任が求められるし何らかのかたちで果たさなければ、事態はいつまで経っても現状のままではなかろうか。
というよりもっと酷くなっていく予感すらある。

ではその責任にはどんなものがあるのだろう……
どんな責任の取り方があるのか……
考えてみましょう。


武井繁明

読んでくれたみなさんへの贈り物として今回から『本日の参考書』を掲載していきたいと思います。
第1回『本日の参考書』は“吉岡メモ”
http://www.shippai.org/images/html/news559/YoshiokaMemo37.pdf

福島第一原発の現状がどのような状態になっているのか、解かりやすく書かれています。
もちろん、実際どうなっているのかは誰にもわからないことで、取得可能なデータと経験から導き出されたものです。
書かれたのは、福島第一3号機の格納容器の設計に携わった元東芝の吉岡律夫さん。
よく更新されるので読み続けているととても参考になります。



燃料ペレット溶融

2011年05月10日 | 政治・時事
今日メディア各社一斉に「1号機の燃料ペレットの大半が損傷、融解し圧力容器の下部に溜まっている」旨の報道が流れました。「理由は、圧力容器が損傷し、冷却水が漏れている」というような内容です。
さらに、「現在行われている水棺も格納容器が損傷しているため水が貯まらない」ことも発表されました。

たとえばアサヒ・コムでは、こんなふうに伝えています。

『核燃料の大半溶け圧力容器に穴 1号機、冷却に影響も』という見出しで……
http://www.asahi.com/national/update/0512/TKY201105120174.html

なぜ今このような報道をするんだろう……
なぜなら格納容器に水が貯まらない現象はともかく、1号機の燃料ペレットが、大半以上損傷し、圧力容器の下部に溜まっていることは、事故直後から予測可能だったからです。
これまでの東電の会見での発表とパラメータから、17時間も炉心が冷却されなかった『空焚き』状態では、設計温度を遥かに上回る熱上昇があったことは、容易に推測可能で、燃料ペレットがメルトしていたと素人でも推測できます。(注:ウランの融解温度はおよそ670℃だが、安全を期すために燃料ペレットは、ウランを含みセラミック化され、その融点は2700℃~2800℃)

僕はこれまで、東芝で格納容器の設計をしてこられた、後藤政志さんと、京都大学原子炉実験所・小出裕章助教の会見やインタビューでの発言をずっと追ってきたのですが、(反原発者だけの意見だけでは偏るので、御用学者と言われている東大の早野龍五教授、同じく御用学者のレッテルを貼られている大阪大学の菊池誠教授、お二人と仲がいいKEK- 高エネルギー加速器研究機構 野尻美保子教授も追っています)
お二人とも1号機について、東電と政府が発表する、けして確信的だと言えないデータから、その知識と経験を活かして

『注水を繰り返しても水位が燃料棒の半分ほどしかなく、燃料の大半が損傷し融けている可能性が高く、融けた溶融物は圧力容器の底部に溜まっていると推測もできます。水位が上がらないのは、圧力容器の底部が損傷している可能性が高いからです』
(福島第一の炉は、燃料ペレットを底部から差し込むタイプで、高熱が加わると差し込み部分が、破損する欠点がある―後藤さん)

お二人はこのようにかなり早い段階から言い続けてきましたが、どうも推察どおりの展開が、いまさらに酷くなっているようです。
さらにお二人は、格納容器の水棺に対しても疑問を呈していました。

『上手くいってもらいたい。その気持ちは強く、速やかな収束を願っている。しかし、高さが40m近くもある巨大な格納容器を水で満たすことは容易ではない。格納容器は、水を貯めるために設計しておらず、水圧に対する強度も計算されていない。そこに水を満たして、たとえば大きな余震が起こった際生まれる大きな応力に耐えられるのかどうか……2号機は、サプレッションプール(圧力抑制室)の破損を東電が認めているので、高い放射線の中で塞がなければ、水棺は不可能……』

お二人だけではなく、何人もの専門家や研究者が、このような指摘をしているので、今さら僕は驚いたりしませんが、おそらくメディアも知っていたと思います。確信していた。
東電の記者会見に毎日、ついこの間までは、東電の記者会見は、一日何度も(深夜も)行われていたくらいですから。
ではなぜ今このように一斉に記事になるかと言えば、東電が口頭で明らかにしたからですが、東電が明らかにしたのは、水位計が壊れていて、修復したところ、これまで思いこんでいた圧力容器に半分くらい貯まっていたと思われた水が、底部にしかなかったからです。
しかし、運よく適度に冷やされ、それ以上の大事に繋がっていなかった。

ここで3時間ほど前、こんな未確認情報をあるジャーナリストが語りました。

『官邸筋から情報。公式情報ではありません内容は個人で判断下さい。福島1号機は超危機的状況。官邸危機管理官が真っ青で対処を検討中。近い内にベントの可能性あり?仮に実行すれば高濃度放射線物質が飛散』

さらに細野首相補佐官が、11日の統合会見で明らかにしたように、今日12日、謎の原子力専門家外国人と福島入りしたのです。
http://news.nicovideo.jp/watch/nw61580

僕はこれまで不確定情報を載せなかったのですが、もし『官邸が真っ青になって対処を検討中』であれば、発表のタイミングが繋がってくるのです。

東電もメディアも早い時期から、燃料ペレットの大部分が損傷し、圧力容器底部に溜まっていたのを認識し水が半分以上貯まらない理由も知っていたでしょう。
では、計器が復旧し正確な水位が判り、これまでの危機感を超える危機感を覚えたのでしょうか。
専門家なら、当然ながらそこまで推測できるはずだし、もし想定していなかったとすれば、東電だけではなく、保安院も原子力安全委員会もそして政府も大失態では済みません。

細野首相補佐官が、統合本部専任に就任した直後BS朝日に生出演しこのように語っています。
「3/11から3/22までは、モニタリングポストが殆ど機能せず。遠方の観測データのみ原発自体の放射線を推定していた。政府・東電は確たるデータなしに安全を強調していた。
1号機が爆発後、水素爆発を防ごうとしたが手立てがなかった。格納容器からの漏れでありメルトダウンと考えていたが、そう積極的に発表する気分にはなれなかった……』

こうしたことから、すべて解かっていた。推測を超える確定的認識が、東電、保安院、原子力安全委員会、そして政府にあった。その確定的認識は、メルトダウン。しかし今現在、原子炉が暴走した時必要な「止める」「冷やす」「閉じ込める」のうち、これまで何とか成果を見せていたと思われてきた「冷やす」術が、綱渡り状態で推移していたことが、具体的に明らかになってしまった。

小出さんや後藤さんが指摘していたように、早いうちから1号機では、核燃料ペレットが溶融し、圧力容器底部に溜まっていた。
そして想定される最悪のケースは、空焚き状態で水にふれて起きる水蒸気爆発。あるいは溶融物が圧力容器の底部を溶かし、脱落し格納容器内水にふれて起る水蒸気爆発。
いずれも、圧力容器と格納容器を木端微塵にし、これまで人類が経験したことのない高濃度の放射性物質が大拡散する……

最後の部分は、最悪のケースをあえて書きましたが、現実としては、これまで首の皮一枚で繋がっていた状況が、皮がさらに薄くなっていると言えるでしょう。

この間にも新しい事実が報道されているかもしれません。ただ情報の受け手になっているのではなく、主体的に能動的に情報を得ることをお薦めします。
政府や東電は、護ってくれません。日本中すべての人を護るのは不可能です。
自分とその周りの身は自分で護る他ないようです。何と言っても私たちは『未知の領域』にいるのですから。


タイミング良く小出さんの発表後のインタビューが行われました。
ぜひお聴きください。

http://hiroakikoide.wordpress.com/2011/05/12/videonews-may12/?utm_source=twitterfeed&utm_medium=twitter


武井繁明


シニア決死隊―異端者たちの覚悟

2011年05月10日 | 政治・時事


新聞やテレビで報道されているかどうか判りませんが、福島第一原発の危機的な状況の中行われている収束作業に向け、「もう子供も作らない、放射線の影響も少ない60歳を過ぎた私たちが志願して、現場で作業をしようじゃないか……」と提唱し国家的プロジェクトへ向けて歩み始めたシニアの方たちがいます。

『福島原発 暴発阻止行動 プロジェクト』http://bouhatsusoshi.jp/
(人々はシニア決死隊と呼んでいます)

現在80名くらいの方たちが志願し、毎日10人くらい増え、賛同者は300人を超え、その中心は60年安保時代、東大で冶金工学を学び、卒業後、住友金属で技術者として研究者として、数々のプラント設計に携わり、退職後はコンサルタントやボランティア活動をしてこられた、山田恭暉さんという方です。
60年安保では、社会主義学生同盟副委員長を務めていたというから、当時はバリバリの左翼です。

こうした元技術者を中心としたメンバーが、高濃度の放射能が蔓延している原発内で収束に向けた作業を志願するというのですから、並々ならぬ使命感に燃えていると思いきや、山田さんたちのインタビュー動画を見ると、必ずしもそうではなく、「歳もとった、放射線の影響は、若者よりずっと少ない。原発プラントは携わらなかったが、素人よりはましなことができるし、収束は、私たちが必然的にしなければならないことだ」と実に淡々と語ります。これは山田さんの想いですが、他の参加者は、「若者にそんな危険なことをさせるわけにはいかない」「幼い孫たちの表情を見ると私たちの世代で責任をしっかり取らなくてはならない。本当に恵まれた世の中で生活することもできたし……」とさまざまです。

http://www.ustream.tv/recorded/14516552 山田さんインタビューのアーカイブ
フリージャーナリスト岩上安身さんのブログから

しかしどんな思いであれ、放射能の影響は若者に比べれば少ないとはいえ、実現すれば、死と隣り合う世界で作業することになり、決意した人の恐怖感は、私たちでは量りようがありません。
現に「そりゃ怖いですよ」と言っていました。

毎日のように行われる、統合記者会見(政府=細野担当補佐官、東電、保安院、時々原子力安全委員会、文科省)では、このプロジェクトについて、同じ会見の場で、東電は把握していないと言い、細野さんは、把握して政府としても検討していると言い、保安院は、尊い申し出に感謝しているという、相変わらずの一緒の場でのバラバラ会見ですが、山田さんの発言から、一定の方向へ進んでいることが窺えます。

それはそれとして、山田さんたちがあまりにも淡々と語るので、視聴していた僕もあまり危機感や恐怖感が生まれず、賛同の気持ちはあるのですが、死と向き合う環境へ拍手を持って送りだすことにもなるので、とても複雑で何とも言いようのない気持ちになり、やはり今は『未知の領域』なんだ……とあらためて思いました。
みなさんはどう感じます?

そして、リアルな恐怖感とある種の感動を与えたのが、小出裕章、京都大学原子炉実験所助教、の今日のインタビューでの発言でした。
(同じく、岩上安身さんのインタビュー動画です。生放送は途中途切、途切れしているので、いずれアーカイブが掲載されるはずです)

小出さんは、以前ここでも書きましたが、およそ40年間、原子力の研究をされ、それも原子力の危険性を研究してこられた方で、その40年間ずっと「原発は危険なものだから造ってはいけない、廃止しなければいけない」、と訴えてこられた方で、政、財、官、学、報で構成される主流派である原子力推進者が集まる、「原子力村の住人たち」から見れば、「異端」です。
この異端者たちは、京都大学原子炉実験所にかつては6名いて、京都大学原子炉実験所が在る地名から「熊取6人衆」と呼ばれましたが、4人が退職され、現在は、小出さんと今中哲ニ助教2名になってしまいました。


小出さんの講演
【大切な人に伝えてください】小出裕章さん『隠される原子力』


小出さんは、福島原発事故以来、毎日のようにメディアに登場します。それも地上波ではなく、ソーシャルメディアであったり、ラジオ放送の電話インタビューであったり、衛星放送の電話インタビューです。また、研究活動が忙しい中、請われれば講演会で発言したり……

そんな小出さんが、今日の岩上さんのインタビューの中で、岩上さんの質問に対し「私も決死隊に志願したひとりです」と答えたのです。そして理由をこのように述べました。
『小出裕章(京大助教)非公式まとめ』ブログより抜粋http://hiroakikoide.wordpress.com/

“私も60を過ぎていて放射線感受性は低い。私には原子力に携わってきた人間として責任はある。推進してはいないが責任はあると思う。事故収束にむけて自分にできることがあれば、したい……
たとえば私の職場で事故が起きたら、収束に役立つのは現場をよく知っている実験所の所員。外部の人が来たとしても、私から見ると「危険もあるし、役に立たないかもしれないから、結構です」となるだろう。だから、福島の事故についても福島原発を知る人がいいだろうとは思う。ただ、被曝をさせるためだけに必要な作業というものはある。西成の労働者のことが報道されているが、そのように特別な能力がない人であっても出来る仕事はあり、そういうことであれば私も福島で役に立つかもしれない。ただ、一歩でもいい方向に向かうために私の力が使えるかと考えると、多分ないかもと思う……”

小出さんの静かな決意と、山田さんと同じような淡々とした物の言いようと、独特の静謐で誠実な雰囲気から、小出さんの著書を読み、小出さんの発言を聴いてきた僕は、かなりやられてしまいました。
ちょっと言葉に表せません。

小出さんの最後の言葉に深い意味があることは、福島第一の状況を考えると解かるかと思います。このような後がない危機的状況で――『未知の領域』――で最も頼りになるのは“異端の力”だと思います。そして異端を支え、“正統”に導く私たちの覚悟と力ではないでしょうか。

小出さんは、原子力の知識や問題を聴く者に与えるだけでなく、言葉で直接現わすわけではありませんが、人生の大切な何かをいつも静謐に示唆してくれます。
そんなことを踏まえながら、アーカイブを視聴していただけると幸いです。


小出さんにやられてしまい、まったくまとまりのない文章になってしまいました……


再掲『小出裕章(京大助教)非公式まとめ』http://hiroakikoide.wordpress.com/
事故発生以来の小出さんの発言が、アーカイブとテキストでご覧になれます。


武井繁明


“危険性を伝えるだけでは、どうにもならない

2011年05月04日 | 政治・時事
“危険性を伝えるだけでは、どうにもならない。
避難するにはお金がいる。補償がはっきり約束されなければ動けない人たちに、
「ここは危険だから避難した方がいい」と言い切れない”

この言葉は、フォト・ジャーナリスト森住卓さんのブログから、勝手に引用したものです。(本当はいけないのですが……)
*森住卓のフォトブログ
2011.5月3日 福島第一原発 飯舘村
http://mphoto.sblo.jp/article/44708053.html

森住さんについては、ご存知の方が多いと思います。イラク、旧ユーゴスラビアでアメリカ軍とNATO軍が使用した劣化ウラン弾による汚染と健康被害を最前線で取材し、劣化ウラン弾の残虐性を早くから訴えてきた人です。また1954年に行われたビキニ環礁でのアメリカによる水爆実験で、遠く離れたマーシャル諸島で今も続く被曝実態を明らかにし、旧ソ連が、核実験を繰り返したカザフスタンで、20年以上経った現在被曝障害に苦しむ人たちの取材もしてこられた、果敢で心優しいジャーナリストです。
僕は一度だけ森住さんの講演に参加したことがあるのですが、現地の様子を静かにソフトに語るその視線と表情に、現地で暮らす人たちへの優しさと慈愛を感じました。特に子供たちに向ける視線は、写真を見ていただけると解かりますが、愛情に満ちているんですね。
そんな森住さんの福島のフォト・レポートを逃さず見ていただきたいと思います。

さて、森住さんの言葉を採り上げたのは、前回書いたように僕も同じ気持ちだからです。
放射能の危険性が、今盛んに叫ばれています。特にネットでは凄い状況になっている。
しかし、危険性を訴えるだけでは、原発はなくならないと思います。反原発・脱原発の人たちの、核の危険性について多様な意見に、どんなに合理的で正当な理由があっても、それだけではなくならない。

なぜなら原発はウランを燃料として電気を作りますが、ウランを燃料に導くのは「カネ」という燃料だからです。
発電所建設地域には、原発はもちろん水力、火力発電でもデメリットしか生まれません。危険性の大きさから言えば、原発など建設地に恩恵はなどあり得ません。しかし日本に多数の原発がある。これを可能にしたのが、『電源三法交付金』という膨大な燃料です。この交付金がなければ、日本の原発は存在しなかったかもしれません。
その危険性から都会に造ることができない原発を地方の過疎地に造るには、デメリットを払拭させるメリットを注ぎこまなければなりません。それは生活の保障であり、地域社会の整備です。
電源三法によって各建設地域に数百億円単位のカネが注がれ、それを可能にしました。

こうした構図を是正しない限り、原発は止まることはないと思います。
つまり原発に替わる生活の保障と社会整備を可能にするデザインを現実化させる方向性がなければ、いくら危険性を叫んだところで、ウランを燃焼させるカネという燃料に太刀打ちできない。
すでにそこには、電源三法によって注ぎこまれた資金によって、多くの人たちの長年の生活が積み重なっているのだから。

僕は危険性を訴えているだけの人たちには、この辺りの配慮が欠けていると思う。説得力を持たないし、ろくに検証していない危険を煽るような言説が飛び交っている現実と二項対立に陥り、その中間のグラデーションの中にいる人たちを排斥するような自慰的な言動には、強い異和感と恐怖さえ感じます。
危機的状況と悲観性の中で生まれる“人の熱”への恐怖……

デマを上げれば多数あります。それに簡単に調和してしまう“人の熱”。
熱は上昇しながら拡がり、これまで信じていたフリージャーナリストまでもが飛びついてしまう現実があり、ジャーナリストというフィルターを通した言説なら、広めても安心という意識が生まれ、さらに拡がって生まれるカオス。
そのカオスに地震兵器などという陰謀論が加算され、カオスは深まり続ける。
多様性は必要だけど、根源的な問題を扉の向こうに置いたままでは、加熱するだけでたちまち蒸発してしまう。

さらに根源的な問題は、人の人格や人生をどう護るのか……ここにあると思います。
原発建設地域の安全度は、3月11日を境に著しく変化し、放射線物質被害地域は拡散し、その安全度は危機的な状況にある地域があることは間違いない。そこで計測される数値は、自然界に存在する放射能の値を閾値と考えている僕には、卒倒しそうな数値です。
しかしながら、安全度が崩壊した地域でもそれを知りながら、そこに住み続けたい人たちはいる。
人生の根幹みたいなものを喪失してしまう言いようのない痛み。特に年配の方たちには、酷く残酷な選択が強いられているのだと思う。でもできる限りそこに住み続けたいのです。
こうした人たちをどう護るのか。その人たちの人格やそこで生活し続けて形成された内なる想いを大切にしながら、「安全度」をどう高めていくのか。危険性を訴えるだけではあまりにも力不足だと思うし、時と場合によっては害悪になりかねない。


武井繁明


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最強の恋歌かもしれない♪

Stan Getz & Bill Evans - But Beautiful



Stan Getz & Bill Evans - But Beautiful