風の回廊

風を感じたら気ままに書こうと思う。

お盆に思うこと

2010年08月14日 | 日記
ショパン/ポロネーズ第7番 変イ長調「幻想」/演奏:寺嶋 陸也



お盆ですね。
昨日、ご近所で世話になっている3軒の家で迎えられた新盆のお見舞いをさせていただいてから、心地よい風が吹く静かな時間の中で迎え盆を済ませました。

お盆は、盂蘭盆会(うらぼんえ)と言って、元々はゾロアスター教にも含まれるアニミズム(自然界を構成するすべてのもの、森羅万象に精霊が宿る)の精霊=ウルヴァンを鎮魂する古代イランに起源があるとされています。というかひとつの説ですが。
それがインドに伝わり、仏教の根底に流れる『山川草木悉皆成仏』(自然のすべてのものに生命が宿る)という思想と近似融合し、少しずつ姿かたちを変えながら中国経由で日本にやってきて定着した……こんな流れがあります。
また盂蘭盆会には、先祖の霊を供養するとともに、餓鬼道に堕ちた救われない霊に対しても、供物をもてなし供養するという寛容の仏教行事でもあるんですね。

自然の恵みと脅威に、もっとも敏感に生きてきた縄文時代の宗教観は、アニミズムに支えられ、神が宿る自然界を構成するものから与えられる恵みに感謝し、恵みから遠いものには、叶えられるよう救済の祈りをあげ、荒ぶる脅威に対しては鎮魂という宗教行事があり、今の時代もかたちを変えながら続いていますね。
そんな日本人のDNAに記憶されている宗教観に盂蘭盆会の思想は、抵抗なく、ごく自然に受け入れられたと思います。そして今日まで継承、持続されてきました。
なんとなくお盆になると気持ちが落ち着くのは、こうしたDNAの記憶への回帰からなのでしょうか……僕はそんなふうに思ったりします。
 
僕は基本的に無神論者で、人間のかたちをした神などいるわけないし、いてたまるか、と思っているし、神というものは、人間の観念が創り上げるもので、ひじょうに自分に都合の良い存在で、そうした観念が地域、民族の特質、自然環境、社会環境を反映しながら、地域、民族の融和、あるいは支配構造の骨格の重要な部分を占めながら成長してきたもの、その中核的な存在という考え方です。

たとえば沖縄の神様は、神は“受容という愛”そのものです。それは自然豊かな中で生まれ、育まれた沖縄の人たちの奥行きの深いおおらかな愛情という観念の中で創られた存在だからです。
薩摩と中国という沖縄にとっては強国の間で、厳しいながらもしなやかに生き抜いてきた。そして太平洋戦争で唯一米軍の上陸を受け、県民の4分の1もの犠牲者を出しながら、今もなお米軍の基地を抱えながら生き抜いている沖縄の人たちのしなやかさは、ひとつに宗教観が大きく影響していると思う。

いっぽう、砂漠という厳しい自然環境とその中で移動(遊牧)と迫害の中で生まれたユダヤ教の思想の骨格をなす、神との契約、選民思想にどこか理解しがたい偏狭さと特殊性を感じます。おおらかさの欠如と言ってもいいのかな。自然の恵みを受ける機会が圧倒的に少ない砂漠の遊牧民の観念の中で生まれた宗教なんだな……こんなふうに感じてしまう。

理不尽な迫害もされてきたけれど、理不尽な迫害も犯してしまうという、寛容性に欠けた宗教。アブラハムの宗教から生まれたユダヤ教、キリスト教もイスラム教にも似たようなおおらかさの欠如を感じます。
特定の神を唯一絶対神として、その神を信じる者だけが救われるという狭量さです。

こんなことから、前時代的で原始的で高名な宗教学者や現代人からあまり相手にされないアニミズムや初期の仏教は、すごく共感できる。基本的には無神論者だと言ったのはこのためで、寛容の宗教観に対してはいいな……と思う。

闘いを好まない、歴史的に宗教をめぐる対立で血を流したことが少ない平和的な仏教と天照皇大神という唯一絶対神的な神様はいるけれど、それでもアニミズムから派生した八百万の神々というものすごい大所帯の神様たちを信仰の対象としていた神道が、日本の宗教観の主流をなしていた時代は、わりと平和だったけれど、狭量な時の為政者たちによって国家支配に宗教が利用されると、その国家も宗教もたちまち歪んでしまう。

天皇を神として強制的に信仰させた明治から戦前の日本で、その宗教的核となったのが、靖国神社ですね。戦争と切っても切り離せない神社。情緒的に感情的に戦争を美化させてしまう効果を持ち続けている神社です。

元々靖国神社は、たしか大村益次郎によって、戊辰戦争の時、錦の御旗の下へ集結した官軍の戦死者を神として祀り魂を鎮めよう、という意見に対して建立された『東京招魂社』が起源で、管轄は軍部でした。
戦争で亡くなった人たちすべての魂を鎮めるための神社ではありません。
あくまで官軍、天皇の国家のために戦死した軍人、軍属、ごく一部に民間人が、英霊として、神様として祭られているという、極めて非民主主義的な神社で、本来なら新憲法発布をもってその役割を終わりにすべき神社だったのです。

しかし今も存続し建立以降、この決まりはほとんど変わっていません。
旧幕府軍や彰義隊、新撰組、奥羽越列藩同盟の戦死者。西南戦争の西郷隆盛他薩摩軍は、天皇の国家に歯向かった賊軍であり、靖国神社は受け入れません。
すべて、天皇を中心とした国家のための神社なのです。
だから、対中戦争、太平洋戦争を指揮し、侵略の限りを尽くしその国の多くの無辜な生命を奪い、戦争に駆り出された兵士、軍属、国内にいながら米軍の圧倒的な軍事力で多くの国民の犠牲者を生み出した元凶であるA級戦犯たちも英霊として祀ってしまった……変わったのはここだけでしょうか。

宗教の自由、信仰の自由は憲法によって保障されている……と靖国神社を擁護する人たちは言いますが、靖国神社の成り立ちとこれまでの歴史を考えれば民主主義の下での宗教の自由、信仰の自由と意味が異なることが判ると思うのです。
戦争で犠牲になった兵士たちの命は尊いと思います。酷い死に方だと思います。
だから私たちが行う先祖の供養と同じように慰霊されなければならない。しかしその方たちの霊を供養するのは、民主主義の下で否定された、天皇の中心の国家という概念と関わりのない、無宗教慰霊施設を国家が創り、そこで供養すべきなのです。宗教を超えた寛容の慰霊施設。けして神として祀ってはならない。尊い命として供養する。

宗教というものは、唯一絶対神的な力を持つと、時の流れの中で必ず争いが生まれます。唯一絶対的観念は、他宗教、他宗教民族、地域を異端とみなすからです。
日本もまったく根拠のない万世一系という天皇家の長を唯一絶対神として、それも現人神として祀り、絶対君主としてすべての権限を与え、国の体系の骨格としてから歪んだ国家になってしまった。明治維新は、封建制から近代国家への道を切り開いたものの、方向性を間違えてしまったようです。
歪んだ宗教を奉じた国家は歪み、その国だけではなく周辺をも貶める……

宗教は寛容がいちばんと思うお盆です。



武井繁明




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16 コメント

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靖国神社で売られているパンフレットから (タケセン)
2010-08-15 14:33:06
以下は、

靖国神社・遊就館売店の前列で平積みで売られているパンフレットー『靖国神社を考える』からの抜粋です。

小堀桂一郎(靖国神社の理論的柱、東京大学名誉教授)の談・1999年8月

「靖国神社の本殿はあくまで、当時の官軍、つまり政府側のために命を落とした人たちをおまつりするお社である、という考えで出発したのでして、それは非常に意味のあることだと思うのです。 そこには「忠義」という徳が国家経営の大本として捉えられているという日本特有の事情があるのです。 「私」というものを「公」のために捧げて、ついには命までも捧げて「公」を守るという精神、これが「忠」の意味です。

この「忠」という精神こそが、・・日本を立派に近代国家たらしめた精神的エネルギー、その原動力に当たるものだろうと思います。ですから・・命までも捧げて「公」を守る、この精神を大切にするということは少しも見当違いではない。その意味で、靖国神社の御祭神は、国家的な立場から考えますと、やはり天皇のために忠義を尽くして斃(たお)れた人々の霊であるということでよいと思います。

靖国神社の場合は、・・王政復古、「神武創業の昔に還る」という明治維新の精神に基づいて、お社を建立しようと考えた点に特徴があるといってよいかと思います。

あの社は天皇陛下も御親拝になるきわめて尊いお社である。微々たる庶民的な存在にすぎない自分が命を捨てて国の為に戦ったということだけで天皇陛下までお参りに来て下さる。つまり、非常な励みになったわけです。
国の為に一命を捧げるということが道徳的意味をもつのは万国共通です。言ってみれば、人間にとっての普遍的な道徳の一項目なのです。

実は総理大臣が何に遠慮して、参拝に二の足を踏んでいるのか不思議でならないんです。
中共が総理大臣の参拝に文句を言ってくるのは、何も彼の国民感情が傷つけられたなどという話ではまったくない。あの国の民衆の大部分は靖国神社の存在すら知りません。・・外に問題を設けて反対勢力の目をそちらに向けさせようという国内政治の力学が働いている程度のことであって、まともに相手にすべきことではないんですね。

だから私はこの問題でも総理が断固として参拝されるのがよいと思うんです。そうすると直ちに北京から文句を言ってくるでしょうが、適当にあしらうなり、知らぬ顔を決め込むなり、いくらでも対処の仕方がある。
総理が北京からの苦情を無視して何度でも繰り返し参拝すれば、そのうち向こうも諦めて黙るに決まっている。
総理の参拝が実現し、やがて天皇陛下の行幸もできたということになると、私は国民のモラルに非常によい影響を与えることができると思うのです。」

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開いた口が塞がらない (武井繁明)
2010-08-15 14:34:51
タケセンさん>

小堀桂一郎さんは、ドイツ文学者としてよりも皇国思想の塊としての論客であると認識しています。
これまでの言動とタケセンさんにアップしていただいた文章を読むと、東大病の根の深さに治癒しようのない憐れささえ感じます。

この方、民主主義、命の尊さという人類の最高の価値観を持ち合わせていないようですね。
国家=天皇……これに命を捧げることが最高の徳である。日本特有の事情であるなどと、よくもこのご時世に言えたものです。
さらに「神武創業の昔に還る」などと開いた口が塞がりません。

さらにさらに「国の為に一命を捧げるということが道徳的意味をもつのは万国共通です。言ってみれば、人間にとっての普遍的な道徳の一項目なのです」

ここで言っている国は、「天皇の国」ですから、国民への背徳、国民蔑視、人命の軽視に他ならないわけで、この方、許し難い存在です。
小堀さんだけでななく、小堀さんが会長や代表、参加している政治団体、有識者会議に名を連ねている人たちも、ほぼ同類だと思っています。
中には、有権者に人気のある人もいて、国民がその人の実体を理解しているのかどうか疑問に思うところです。

そして靖国神社公式参拝に関しては、知的レベルさえ疑ってしまいそうな、その辺のゴロツキウヨクと同じような発言ですね。学者としてなどではなく、人間としての資質を疑います。

やはり、皇族にはもっと国民に近いところ来ていただかなくてはならない。日本民族の統合の象徴という誤った権威も手放していただきたい。
そんなふうに強く思いました。

こうしたことを地道に解りやすく、ひとりひとりに問いかけ、伝えていくしかないのですね……
少しでも力になれれば。

いつも覚醒させていただきありがとうございます。

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おそるべきエリート主義 (タケセン)
2010-08-15 14:36:07
この破廉恥な老人は、おそるべきエリート主義=差別思想の持ち主です。かつてわたしとの論戦で何も言えなくなった西部進もそうですが、
「民主主義などというクダラナイ思想は廃棄せよ!」というのですから、彼らはこの国から追放されるべきでしょうね~。まだどこかに残る君主制の国へでも引っ越して、そこの君子に仕えたらいいのですよ(笑)。雇ってはくれないでしょうが。
それにしても、彼ら「愚か者」どもにいつまでも大手を振るわせてはいけないですよね。

「微々たる庶民的な存在にすぎない自分が命を捨てて国の為に戦ったということだけで天皇陛下までお参りに来て下さる。」!!?? 
うへ~~~。


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追放ですね(笑) (武井繁明)
2010-08-15 14:37:01
タケセンさん>

西部進は、かつて全学連の指導者でしたよね!
いったいどこで変節してしまったのか。全学連にしても皇国史観者にしても、硬直した思想で両方に埋没した西部は、やはり東大病の重症患者なのでしょう。
もう救いようがないというか。すでに終わっていますね。
しかし時代の寵児だったこともある……怖ろしいことです。

そしてまだまだ侮れませんね。終わったかに見えて利用価値があると見れば表に出したがるのが権力でメディアや反民主主義勢力ににとっては、まだまだ使える駒かもしれません。

しかし、呆れるのは老獪小堀の下に名を連ねる自民党のお歴々と一部民主党代議士……

いったい国民をなんだと思っているのでしょう。

こうした連中も追放ですね(笑)

タケセンさんにアップしていただいた小堀氏の文章をもとにツイッターでつぶやいてみます♪

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聞くことの大切さ (Unknown)
2010-08-15 14:38:42
タケセンさん、C-moonさん双方の話に頷いてしまう私です。
脱線だらけのコメントになると思います了承ください。


自身の命、子の命も社会の為にあると感じております。
自己の幸福も求めますが
「君(愛す人、強いては今上天皇)に捧げる」と言う気持ちは今の自分にありません、
しかし上手く言えませんが個人の主張と尊重だと思ってます。
そして、最後に自分を守る気分になれません。


唐突ですが、うつ病で自殺願望がありました。
自決に例えれば結局死なないうつの者を
誹謗中傷したり人としての質をそれこそ疑うこともありますがその辺はスルーです。

要するに生きていて何の『筋』もなく
何も教わってなかったのは大きな欠如でした、死ぬことも結局ためらってる。
自分が何か判らなくなる、
原因は累積疲労・自律神経の乱れですが
教えが一神・多神・仏にせよ
心のさだめる魂を持っていなかったのだと解釈しています。

さて
学生時代にロクに勉強しなかった私は
小林よしのり氏の「ゴー宣」が手引きになっています、
まずアホだから文章読むのに時間がかかるためですが。
仏教の本、禅の本などは最近読み納得してます。

天皇において明治から維新の中軍事を強めるための他国に対する内閣政府の印象付けに見えています。
強国となるための偉大なるシンボルが内外に必要だったのでしょうか?
特に軍命を命じたとも思えませんので(勉強足らないので訂正あればすみません)。

実際には私には神話に基く宮司という感覚です。
絶対神とは思えませんが
国を祭っておられるあくまでも宮司。
尊いという感覚ではなく普通に人だと思っています。

私は神道で育った環境ですが、流石に宮司のために死ねません。
祭祀を施して頂いて有難くは感じてますが。

かれこれ10年前私もまだ30歳で父が死去62歳、存命であれば72歳戦前の生まれです。
神道の葬祭は当たり前ですがお経ではありません、人生そのまま詠んでくれます。
大阪空襲において家が焼けたとか後の苦労云々かんぬんかしこみかしこみもまおす~。です。
そのとき初めて知りました、親と先祖の話や戦争の話は正直したことありません。
どんな教育になったんかと悩みます。
天皇の絶対神化は別として日本人が日本人でなくなる悲しみを父はどう考えていたのか
父は早い話アメリカ嫌いで右寄りな人格なのが、刻々と理解できました。
父は私に大事な事を伝える事無く今にして悲しみます。
コーラ飲んでたら怒るんですよ、シリアルを牛乳で食ってたら怒るんですよ
葬祭参列の友人方にも聞けば、飲みに行けば軍歌を歌うとか
今になって母は、「そういえばホットドックやハンバーガーは食べてことなかったなぁ」
完璧に恨んでるやん。
父の母、おばあちゃんは明治の生まれで父の後に亡くなりました。
おばあちゃんからも
皇室・戦争について何にも聞いたことがありません。
私の母は疎開してた事もあり、ちょっと浮世離れ
ちょこちょこ叔母さん等に聞いて段々理解してきましたが

このような場でも一方的でない意見交わせて有難く思っています。

それにつけても
神道と仏教は日本において実に上手く絡み付いていると思います。

沖縄に住めばもっと覚醒されることもあります、
祝い事は実に忠実に旧暦の実施で中国の祝い(清明祭)も残っており、
盆(旧暦の盆で実施)もある。
正月も旧正月もある、全世帯ではないですけどちょっとビビリます。

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究極のマイナス思考 (武井繁明)
2010-08-15 14:39:59
自己の幸せを求める充実した個が繋がり集団化したものが、社会を形成しているわけで、命は社会のためにあるのではなく、自己のためにあるはずです。自己(生命)や家庭が幸せで充実していれば、社会に多大に貢献していることになります。またそうでなくても、ただ生きていさえするだけでも、それはとても大変なことで、ただ生きていることでも人は存在理由になるし、社会を構成する大切なパーツです。結果的に社会に貢献していることになります。
どんな人生でさえも、社会にとってはそれなりに意味があると思います。

雑多で複層的な社会が健全な姿です。一色に染まってしまうほど恐ろしい社会はありません。カオス化しているのが社会で、カオスからコスモスへ絶えず向かおうとしているのが社会の在るべき姿です。

人間も同じだと思います。みんなカオスの途中にいる。カオスの中で喘いでいる。だからこそ、コスモスへ導く宗教が生まれた。
しかし、その宗教によっても人はカオスのまま生き続けなければならない。
そんなふうに思います。

お釈迦様は言いました。人間は4つの苦しみを背負いながら生きていかねばならないと。
それは「生・老・病・死」です。
生まれたからには、必ず死の苦しみを背負い、途中で誰もが病み、やがて抗いようのない老いを迎える。そして何よりも、生きることさえも苦しみだと……

こうした究極のマイナス思考の上に人生は成り立っている。だからこそ、何も達成できなくても、ただ生きていくことでさえ立派なことなのだと。
このようにお釈迦様は、とてもシンプルに「生」を説いています。

だから、死ぬことは躊躇うべきなのです。死にもきっと意味はあると思います。どんな死でも意味はある。しかし、自ら死を望むことに意味はありません。
自ら死を望むことは、『無意味』というものです。誰も喜ばない。治癒しようのない深い傷という意味しか残しません。

戦争に参加して兵士として死ぬことも空しいですね。戦争に大義名分はあっても正義はありません。終わってみれば殺戮の山、人殺しの究極は戦争です。
だから戦争の指導者は、死刑に等しい……
ただ戦争には、敗者がつきものです。敗者は勝者の論理によって裁かれ、勝者は見掛けの正義を勝ち取る……勝者が辿ってきた道のりにも屍の山しかありません。

明治政府が生まれた頃、世界は列強が推し進める植民地化政策が支配していました。小国日本は、植民地にされないように富国強兵政策に出ました。そしてアジアに進出します。
明治維新からアジア進出の中で、政府側が利用したのが、すでにまったく力を持たなかった、うらぶれた皇族でした。当時1200年も前に藤原不比等によって編纂された、信憑性の薄い天皇家を正当化するための記紀の万世一系と水戸学など皇国史観を元に天皇家を国民の精神的拠り所として神格化させ祀り上げ、絶対的君主としての権威を与え、支配構造の核としました。根拠のないところに絶対的な権威を与えたてしまった。
天皇の権威と武士の権力という二重構造を、封建時代よりもより突出したかたちで生んでしまったのです。帝国憲法という名においてです。
変わったのは、武士が政府・軍部・官僚という名に変化し、より強化制度化され硬直したものになりました。天皇家をより強化させるために神道が利用され江戸時代の民衆掌握に利用された仏教(檀家制度)は、排斥されました。
国家神道の成立と廃仏毀釈の嵐です。

このように明治政府が、天皇制による国体化、宗教政策は、すべて戦略的、意図的になされたもので、正統的な根拠はありません。
ですから、民主主義の下では在ってはならないものです。
言ってみれば、明治政府が意図し継承された国体で、たくさんの無辜な命が不条理な死を遂げることになってしまった。国内だけではなく周辺国家の人々を巻き添えにしながらです。
ここに美化できるものはひとつもありません。
日本のため、国家のためという美麗は、情緒的なものでしかなく、本質は単なる国家のエゴイズムに過ぎません。ましてアジアのためになんて開いた口が塞がりませんね。

戦後平和憲法の下で民主化が図られましたが、まだまだカオスの中にいると思います。
靖国神社を公式参拝する政治家。靖国神社を国家管理にしようとした自民党。
そして、選挙で選んだ政治家を超える権力を持つ官僚……
日本の民主主義はまだまだこれからです。

ですから、将来のために、子供たちのためにささやかでもいい事実を知り、繋がりを求め民主主義を求めていきましょう。
それが、戦後生まれの私たちの責任です。


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Unknown (タケセン)
2010-08-15 14:41:00
「靖国神社の思想と近代民主主義の思想とは二律背反です」
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1560833224&owner_id=548859
を出しました。
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読ませていただきました (武井繁明)
2010-08-15 14:41:51
タケセンさん>

さっそく読ませていただきました。

みなさんに、それもできるだけ多くの人たちに読んでいただきたいです。

ほんとうに解りやすく、説得力があります。
コメントは後ほど。

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遊就館 (Sam)
2010-08-15 14:44:16
姪が中学2年のときに靖国神社の遊就館に連れて行ったことがあります。靖国が話題になっていたので興味を持ったらしく、説明するより見てみたら、と言って連れて行ったのです。
姪はただただ絶句していました。展示内容は、先の戦争が正義の戦争であり、欧米列強の無理難題に止むを得ず行ったものだという説明ばかりだったのです。もちろん、加害の側面には一つも触れていません。
戦争当時の話は、姪の友人の中国人から多少なりとも聞いていただけに、その事実関係の落差の大きさには相当なショックを受けたようです。その友人のおじいちゃんの背中には未だに日本兵から受けた大きな鞭の痕が残っているのです。(後日、姪は友人の中国人らを連れて再び靖国に行きました。皆、声を失っていたようです。)
当日は、韓国、中国、欧米と、結構多くの外国人が来ていました。当時は靖国が話題になっていたせいかもしれませんが、日本人より彼ら外国人のほうが靖国の性格をよく知ってるのかもしれません。当然のことですが、彼らは皆一様に顔をしかめていました。

C-moonさんが詳細に説明されている通り、明治政府によって作られた靖国を核に据える国家神道はこの国の伝統とは無縁のものです。古来の神道とは、むしろ敵を祭り神として拝み魂を鎮める一面があり、同胞の戦死者だけを祭る国家神道は異様なものです。
その異様さの背景には一神教がからんでいるように見えます。
幕末から明治にかけて、多くの維新志士たちが欧米を見て回り、一つの側面を見て帰ってきました。
欧米列強の強さは一神教の信仰にある、と。
こうして、列強との戦闘を想定し、国家のために喜んで死を捧げる国民を仕立て上げる必要性と併せて、招魂社を靖国神社とし、明治政府は擬似一神教である国家神道を作り上げました。強大な戦闘国家を準備するために。
全国の神社はこの擬似一神教である国家神道への改宗を強制されたのです。
確かに一神教には、狭量さの一方で強さも併せ持っていました。

でも、維新志士たちは欧米でもう一つ別の側面をもっとしっかり見るべきでしたね。
近代社会は、一人ひとりの自由を確保し、互いに活かしあう社会、そして各々の幸福を追求できる社会をめがけているのだ、と。
中江兆民ら民権思想家はしっかりその点を見ていましたが、山縣有朋らはむしろ民権思想を憎悪し続け、それが軍人勅諭、教育勅語、官僚制度等の民主制を阻む制度、思想を蔓延させていきました。
学校教育の中で哲学(どのように生きるか、どのような社会を作るのか、について考えること)と宗教が教えられない理由もここにあります。
哲学は、自由に考え、判断し、行動する人間を育てますが、これは国体護持の側からすれば危険な人間像にほかなりません。また、国家神道はただの一神教ではなく、すべての宗教を包含し、統括するメタ宗教であると教えられていましたから、信仰の自由を元に宗教とは何かを教えれば、その絶対性が崩れてしまうのです。
これは過去の話ではありません。未だに哲学と宗教は教育の中では教えられていないのです。
私たちは今、こうした過去の負の遺産を一掃させていかねばならない地点に立っています。

靖国の遊就館は私たちの社会が抱える負の遺産を極めて先鋭的に現しています。
その意味で、これは見る価値があります。機会がありましたら是非どうぞ。

8月15日は年に一度、改めて過去を省みる良い機会です。亡くなられた方々のためにも、より善い社会をめがけたいものです。

(今、タケセンさんからのとてもわかりやすい投稿「靖国神社の思想と近代民主主義の思想とは二律背反です」 がありましたね。皆さんも是非ご覧ください。)

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父と行った遊就館 (武井繁明)
2010-08-17 21:29:21
Samさん>

靖国神社は、縁と言ったら語弊がありますが、富士見坂という小さな坂道を一本挟んだところに僕が通った大学があって、わりとよく靖国神社に行っていました。授業の合間に夏は木陰に涼を求めて、売店で買ったアイスバーを齧りながら本を読んだり、秋から冬は日向で本を読んだり……
右翼の牙城でも気兼ねなく行っていました(笑)
そして僕が通った大学は、もうお分かりと思いますが、中核の拠点で左翼も左翼、極左の牙城でした。
僕が在籍した80年代前半もロックアウトがあったり、学長、学部長公開糾弾があったり、ヘルメットをかぶり、白いタオルで顔を隠し角材を持った連中が、訳けの解らぬことを言いながら腕を組んで学内を練り歩いていました。民青とのいざこざは日常茶飯事でした。
考えてみれば、日本で一番思想的ディープな場所で4年間を過ごしたことになります(笑)

話がそれました。そんなことで遊就館にも何度か行きました。僕が印象深いのは、遊就館前の「人間魚雷・回天」です。兵士の命を命とも思わぬダブル殺人兵器……こんな兵器を考える(兵器はすべて酷いですが)軍部は、憎しみの極致の中で崩壊する。実際崩壊した……
そんな思いで見つめていました。そして、それ以上の言葉がないのですね。
ただ空しく悲しい……そして、遺品の数々。でも仰るように加害の展示品、資料は皆無です。
これが、日本の一面でもあるのかな。そんなふうに思いました。
それよりも5,6年前自民党は何度目かの靖国法案を通そうと衆院で強行採決し、参院で反対議決され靖国国家管理は否定されましたが、そんなことと重なり、これでは世界に理解されないままの日本が続くのではないか……
そしてその時の思いのとおり、まだまだ日本は、侵略したアジア諸国からも欧米からも理解されていませんね。

その後郷里に帰り、兵隊経験3ヶ月の父を連れて靖国神社を訪れました。父とすれば、2歳年上の兄がニューギニアで戦死し、一度は靖国へ……そんな思いがあるのを知っていたので、ややこしいことを言わず、母を伴い出かけました。それに父は近くの神社の神社総代もしていたので、神社への思い入れは深く、有名どころはほとんど廻り、靖国だけが残されていたのです。

そしてお参りのあと、遊就館へ行きました。
父はニューギニアで戦死された方の遺品の前に無言で佇んだまま、長い時間動こうとしませんでした。
その姿は今も印象深く残っています。その後小さな大砲(おかしな言い方ですが)の前に行き、また無言で佇んでいました。

その後父が話すところによると、3ヶ月の兵隊の時、砲兵部隊に属していて、その時扱った大砲と同じだというのです。しかし、そのコーナーは日清戦争の遺品、資料コーナーで、日清戦争で使った同じものを太平洋戦争で使おうとした。使っていた。というのです。間違いなく。

父は開いた口が塞がらないような表情をした後言いました。「愚かな戦争だった。兄貴は無駄死にだった……」

その時の父の気持ちは量りようがありませんが、それまで心情的国体崇拝派とも思えた父が、遊就館で変化した……
兵隊経験はあるけれど実際戦場を知らない父が、目の当たりにした凄惨な状況を示す遺品の数々と遅れに遅れた自分が兵隊時代にふれた前時代的兵器を見て、ある種の変節が起こったのだと思います。

結果的に父の思いを叶えられたことと、心情的国体崇拝が消えたことで良かったな……
と思っています。

そんな父を今年で6回お盆に迎え、今日送ってきました。


いずれにせよ、多くの人に遊就館を訪れていただきたいものです。

僕の稚拙な知識と文章を補っていただいているような、解りやすく説得力ある内容のコメント。
畏れ入ります。感謝します。
何と言うのでしょう。絡んだ紐が一瞬のうちに解けていくようなそんな感じを持ちながら、リズムかるに読むことができました。

明治維新、明治政府の光と影……光は光として評価します。しかし長い影は現在も翳りを与えています。その翳りを何とかしたいですね。影には光を当てなければいけません。
ささやかにでも力になれるように……そんな思いで書いています。伝えています。

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