風の回廊

風を感じたら気ままに書こうと思う。

「国民生活第一」への改革は何処へ向かうのか(最終章)

2010年09月14日 | 日記
 選挙は、それまで霧の中にあって見えにくかったものを浮き彫りにしてくれる風のような役割を果たしている。それは熱い風であったり、渇いた風でもあり、冷徹な風だ。
勝者は、その選挙に応じた権力を得て、敗者は再生するにしてもいったん去らなければならない。
そこに敗者のどんな素晴らしい理念や政策があったとしても、いったん開票され結果が出れば異議は唱えられない。
それが、民主主義の下で決められた崇高な決まり事で、選挙に関わったすべての人たちは、冷静に受け止めなければならない。同時に勝者に権力が与えられることはもちろん認識しなければなりません。


 さて民主党の代表選でも、様々なものが浮かび上がってきました。
まず選挙の背景です。

 一年以上にものぼる小沢ネガティブ報道の延長線上で行われた選挙という意味では、単に立候補者同士の闘いではなく、「小沢VCマスメディア」という背景でしたね。メディアは自分たちが行う世論調査の結果を「世論」として世論形成をしました。
一方、ネット上では、メディアの世論調査結果とまったく逆の結果が現れ、言ってみれば乖離した二つの世論の闘いでもあったわけです。
「既存メディアが生んだ世論VSネットが生んだ世論」あるいは、「既存メディアVSネット」。

 これは得票数にも現れていますね。もっとも世論の影響を受けやすい、党員・サポーター票が
13万(菅):9万(小沢)=6:4であったことは、それぞれの政治家としての資質の評価、期待度だけではないものを感じました。
 既存メディアが生んだ世論が、唯一の正統の世論だとすれば、8:2に近い得票数になったはずです。でもそうではなかった。この選挙を通して、ネットが生み出す世論が、ネット上で大きくクローズアップされ、既存メディアにとってその座を脅かすような存在になってきた。そんなふうに思います。
 そして、菅選対は、既存メディアが生み出した世論を武器とし、既存メディアからまったく相手にされない小沢選対は、ネットが生み出す世論のパワーを選挙の終盤になり、活かそうとしました。

 この選挙をきっかけに、これまで以上に政治家はネットに注目するでしょうね。そして近い将来、既存メディアは、ネットの前に凋落していくかもしれません。広告収入が既存メディアからネットに移行していることは、凋落の兆しのひとつですね。
 それぞれの実態ですが、既存メディアは、一方的な受動の産物ですが、ネットは能動的に活用して初めて得られる情報源です。そして自ら発信し、仲間を作ることもできます。自分を活かせる可能性のある空間です。
受動と能動の媒体……どちらが魅力的でしょうか。

 二つ目の大きな背景としてあらためて感じたのは、官僚権力の高く厚い壁です。
 菅首相が掲げた政見は、これまで書いてきたように、09マニフェストから大きく後退し、官僚の手による政策とそれほど変わりがないのですね。改革途中でありながらの政策の後退は、政権党になり、副総理、国家戦略局担当相、財務大臣を経験する中で、その壁の大きさ、高さ、厚さ、強固さを肌身で感じたからだと僕は推察します。
特に財務大臣はもちろん国家戦略担当相は、財務省との関係が密になります。だからこそ、他の大臣よりも強く官僚の連力の実態を知ったのだと思います。
 小沢は、ぶれることなく官僚改革を唱えました。菅は、選挙戦のはじめは官僚改革を強く言わなかった。街頭演説や討論会の情勢は、官僚改革を強硬に主張する小沢に圧倒されていました。
菅は選挙中盤から、それまでの「政治とカネ」を引っ込め、小沢の主張に擦り寄せるように官僚改革を言い始めました。しかし、そこから具体的な内容は見えてこなかった。
僕は怯えているように感じました。官僚という壁に。
 そして言うまでもなく、検察が作り上げた小沢の「政治とカネ」が、メディによってまるで呪文のように唱えられ続けてきました。9月1日に、大林検事総長が、記者クラブの昼食会に講演者として呼ばれ、そこで事実上の小沢の「政治とカネ」について、敗北宣言したにもかかわらず、呪文は止むことなく続き、菅選対、菅を支持する議員からも発せられていました。
「小沢VS検察&官僚」という構図が、まだまだ続いていたのですね。

 そしてもっと大きな構図がありました。
小沢対アメリカ、「対米対等、日米中二等辺三角形外交VC対米追従」という構図です。
これは、普天間基地移設問題の二人の主張で明らかです。

 こうした3つの構図が、複雑に絡まりながら選挙戦をより複雑にしました。3つの背景は、3つの背景と闘おうとする小沢に熱狂的とも言える少数の積極的な支持を与え、多数の消極的支持を菅に与えました。
「短期間にコロコロ首相を替えるべきではない。海外に顔向けできない」という意見は、極めて消極的な論法ですし、「3ヶ月しか経っていないのに、首相を替えるべきではない」というのも積極的支持とは言えません。
民主党支持者と議員は、ともすればリスクの大きい積極的、早急な改革を唱える小沢ではなく、後退してもリスクの少ない菅を選択した。
僕は、この選挙の背景からそんなふうに感じました。

 ポイント数では、菅圧勝ですが、実際の得票数の割合は、
党員・サポーター票6:4 地方議員票6:4 国会議員票ほぼ互角です。
これは、政策の違いが、まるで異なる政党のようにに大きかったから。ということもひとつの理由でしょうし、積極的支持と消極的支持の結果です。
そして「小沢の09マニフェスト順守VS菅の現実路線」という構図の象徴です。

 僕は、小沢が立候補した時から思っていました。その思いの一部を、this boyさんからいただいたコメントへの返事に少しだけ書きました。
 それはどちらが勝っても簡単にノーサイドにはならない。どちらが勝っても野党のどこかと組まなければ、「ねじれ」は解消せず政権は運営できない。だから政策の違いと、政界の状況から民主党が割れる可能性は十分ある。さらにカオスの海に日本が沈んでいくはずだ。
こんな推察です。

 実際、野党のどこかと協調しなければ、あるいは連立を組まなければ、通常国会で来年度の予算は通りません。それを防ぐために、野党の政策を大幅に呑み、民主党の政策を大幅に修正すれば、何のための政権交代か、ということになり、党の存亡にかかわります。
もし、予算案が通らなければ、予算案を通すために党が割れるような事態になれば、内閣総辞職か総選挙です。菅首相はその時辞任せざるを得ないでしょう。

 菅首相は、今日この重い荷をあらためて背負うことになりました。それはこの選挙の結果がそうさせたのではなく、大元は、参院選の大敗が原因です。参院選の総責任者は菅首相です。
菅首相は、自らの責任を代表選に勝つことで、これまで以上の責任として負うことになりました。
これ場で以上の責任というのは、取り巻く状況が、参院選直後よりも悪くなっているからです。党内最大の実力者、小沢の政策と対照的とも言える政見で闘ったからです。小沢排除の闘い方を参院選を通じて行ったからです。
 今日の勝利の記者会見の表情は、前回の代表選で樽床議員に勝ち、総理の座を射止めた時の表情と対照的です。おそらく、降りかかってくるだろう苦難の道のりを自分自身の問題として認識したからだと思います。

 僕は、この際党が割れても仕方がない。むしろ割れていったんカオスの中に政界全体が沈み、政策や理念が淘汰されながら、再編していくことが、今後の日本にとって良いことだと思うのです。
まだまだ日本の政治は未熟です。二大政党制が機能するほど熟していません。
 官僚改革ができるほど、有権者の現状認識もできていない。国際関係の中での日本の位置の認識も浅くあやふやで、何よりも民主主義の根底にある国民主権の意義も深く浸透していない、行使されていないと思うのです。もちろん僕も含めて。
カオスを乗り越えなくては、浄化できません。カオスの中から成長が生まれると思います。政治も私たちも。

 官僚とメディアとアメリカを含む日本の既得権力者たちが作りだした状況の中で、政治は劣化し続けてきました。
自民党時代よりも良くなったものの、劣化が止まり、向上しているとは言えません。
政治の劣化だけではなく、メディアの劣化、検察を含む官僚の劣化は、政治の問題ではなく、私たち自身の問題であることを自覚すべきだと思います。
 自分自身の問題として認識した時、初めて、誰が首相になっても物を言う有権者となります。
誰かが世の中を変えてくれる、政治を変えてくれるとヒーローを待ち続けてもヒーローはやってきません。自分自身の問題として、自分たちから変革を創造するその姿勢が、もっとも重要だと思います。

 代表選を見つめ続けてきた僕の感想と想いです。

これからしばらく政治的な記事は、ツイッターとブログを中心に書いていこうと思います。
少し休息が必要になりました。
読んでくださり、コメントをいただいた方へ、心から感謝です。



「僕はとても不完全な人間なんだ。不完全だししょっちゅう失敗する。でも学ぶ。二度と同じ間違いはしないように決心する。それでも二度同じ間違いをすることはすくなからずある。どうしてだろう?簡単だ。何故なら僕が馬鹿で不完全だからだ。そういう時にはやはり少し自己嫌悪になる。そして三度は同じ間違いを犯すまいと決心する。少しずつ向上する。少しずつだけれど、それでも向上は向上だ」

                   村上春樹『ダンス、ダンス、ダンス』より




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