風の回廊

風を感じたら気ままに書こうと思う。

報道から本質を探るために僕がしてきたこと~小沢問題から(5)

2010年01月28日 | 日記
これまで4回にわたり“小沢問題から”とテーマの末尾につけて、検察の捜査の姿勢とマスメディアの報道の批判をしてきました。批判の元となる捜査、報道を分かりやすくするために“小沢問題”としましたが、小沢さんの疑惑の真相の追究が目的ではなく、その背後に僕が知り得る戦後の歴史の中にずっと流れ続けている官僚の権力とマスメディアの権力に、翻弄され支配され続け、本来受けるべき多くの国民の利益が、今回もまた受けられなくなってしまうのではないか……民主主義の危機。そんな危惧を強く感じているので、ささやかではあるけれど、僕なりの意見を書いてきました。
 この意見に対し、足跡からこれまでにない多くの人に訪れていただいたことが分かります。コメントをくださった方々は、内容から真摯にこの問題を受け止めていることが判ります。訪れていただいたすべての方にとても感謝しています。
しかし足跡数の割にはコメントが少ないかな……とも感じたのですが、コメントしにくい問題だということも十分承知しています。また、反対意見は書きにくく躊躇った人もいると思います。そして、大きく分かれる報道や意見によく分からないという人。何を信じていいのか分からなくなってしまった人……
察するところが多いです。
 
 マスメディアが生みだす大量の情報の中から、できれば本質を見極めたいために、20歳の頃から僕が取ってきた報道への姿勢、方法があります。
そこから導き出されたもの、僕なりに感じたことを、今回の事だけではなく、これまでも日記欄の中で何度か書いてきました。
その姿勢と方法のいくつかを今日は書いてみたいと思います。

◇権力、体制から遠くに位置し俯瞰的に見つめること―常に自分を改革勢力の一部であると認識すること。
◇物事を多面的に複層的とらえること。
◇平面的な二元論に陥らないこと。
◇系譜を見つめること。繋がりを探すこと―総論を自分自身で構築すること。
◇主観と直観を大切にすること―実感主義
◇より現場に近い情報を大切にすること。

こんな姿勢で長く報道に臨んでいると、大量の情報に惑わされにくく、本質が見えやすくなるものです。
もちろん僕にとっては、ということですが。

 学生の頃、戦後国際政治――特にアメリカ現代政治に興味を持ち勉強しました。その過程で得たことが多かったと思います。特にベトナム戦争とカンボジア内戦を勉強する中で得たことです。
ベトナム戦争は終わっていたけれど、まだ生々しさが消えていませんでした。そしてカンボジア内戦の実態がようやく報道され始めた頃でした。
 新聞記事の中で大切にしたのは、ルポルタージュとAP(アメリカ)、UPI(アメリカ)、AFP(フランス)、ロイター(イギリス)、新華社(中国)、共同(日本)などの通信社が、現地から送る小さな記事です。ベトナム戦争も、カンボジア内戦もインドシナ半島で行われました。旧支配国フランンスと当事国のアメリカ、ベトナムとカンボジアをバックアップしていた中国の通信社の報道は、新聞記事とすれば一番新鮮でした。
 沢田教一さんや石川文洋さん、一之瀬泰三さんたちが、戦場の最前線で、命がけで撮った写真が、一枚数十ドルで買われ、通信社から新聞社や雑誌社に配信された写真を見るのは、時間的なリアルさはなかったけれど重く新鮮でした。
日本の新聞社の論調は、当時、朝日新聞を除くとアメリカを支援していた政府寄りの論調だったので参考程度です。
フリージャーナリスト、フリーカメラマンの最前線での記事や写真は、大手マスメディアの紙面を飾ることは少なく、週刊誌に記載されていたので、週刊誌(雑誌)も大切にしました。
これは海外情勢だけに言えることではなく、国内情勢についても言えます。
片手に朝日新聞、もう片方の手には、朝日ジャーナル、週刊朝日、週刊現代、週刊ポスト……こんな時期がありました。
 
 古い記事を探すのは、“大宅壮一文庫”に行きました。
大宅壮一は、ご存知のようにマスコミの帝王とも呼ばれ、一時代を構築した優れたジャーナリスト、社会評論家です。そして膨大な資料を持っていて、図書館として公開していました。その蔵書のほとんどは雑誌で、利用者のほとんどは、ジャーナリストでした。
たとえば、『ポル・ポト』と受付で調べたい人をカードに記入します。
ポル・ポトに関する記事が掲載されている雑誌が、一回10冊置かれます(有料)。
それを読んだり、コピーするわけです。新聞やテレビでは味わえない、独特な情報でした。
http://www.oya-bunko.or.jp/(一度いかがですか?)

 その頃新聞社でバイトしていたので、様々な新聞を読むことができましたが、常時2社の新聞を購読していました。朝日+読売 、読売+毎日、毎日+産経、朝日+世界日報(共勝連合という右翼の政治紙)、朝日+新聞赤旗、こんなふうに記事にまみれることも僕には必要なことでした。聖教新聞も1ヶ月購読したことがあります。

 今はこんなふうにできませんが、それに近いことはできます。もっと大量に情報を仕入れることができます。インターネットによって、大手マスメディア以外からの情報を、簡単に読むことができます。
問題の多い記者クラブに属していない、クロスオーナーシップの外にいる、活きのいいフリージャーナリストは、インターネットから、生々しい情報を送り続けています。
同じ記者会見でもテレビ以外のカットなし、論調なしの映像を見ることができます。外野の意見に惑わされることなく感じ、考えることができます。
世界中から発信された情報、世界中から届く映像を手に入れることができます。

 もはや大手マスメディアの情報は、長い間思い続けてきた正統的な情報ではなくなっています。異端とされてきたきらいのある、フリージャーナリストの情報、インターネットからの情報の中に、真実を見つけられることが多いように思います。これは僕の実感です。

 新聞とテレビからの情報の中に浸っていると、現況からいえば、権力にしてやられます。
特に今回の小沢問題では、検察、マスメディアに対する批判は、インターネットから生まれています。大手マスメディアからは、皆無と言っていい状況です。
そんな中から、ぜひ問題の本質を探り当ててください。


原口総務大臣は、ツイッター上でhttp://twitter.com/kharaguchi
海外メディアの「報道の5原則」をつぶやいています。

◇原則1「推定無罪の原則」
(最初から有罪であるよう印象づける報道はしないこと)

◇原則2「公正な報道」
(検察の発表だけをたれ流すのでなく巻き込まれた人や弁護人の考えを平等に報道すること)

◇原則3「人権を配慮した報道」
(他の先進国並みに捜査権の乱用を防ぐため、検察・警察の逮捕権、家宅捜索権の行使には、正当な理由があるかを取材、報道すること)

◇原則4「真実の報道」
(自主取材は自主取材として、検察・警察の情報は、あくまでも検察・警察の情報である旨を明記すること)

◇原則5「客観報道」(問題の歴史的経緯・背景、問題の全体構図、相関関係、別の視点などをきちんと報道すること)

このことをひとつの物差しにして、情報を見て感じれば本質がよりクリアーになるはずです。


NY・タイムズのコラムから―日本のマスメディアの幼稚性~小沢問題から(4)

2010年01月26日 | 日記
 23日(土)に小沢幹事長が東京地検特捜部の任意聴取を受け、その後、説明責任たる記者会見を行いました。マスコミには、記者会見のレポートが配布されました。
その後のマスメディア報道ですが、どこもかしこも「現職の与党幹事長が、事情聴取されるのは異例だ」「進退を決めよ」という内容で一色でした。事情聴取の直前は、まるで「容疑者」扱いでした。
あれほど、記者やコメンテーターが「検察の聴取に応じるべきだ、国民に説明責任を果たすべきだ」と書き、言っておきながら、果たせば果たしたで、すごい論調です。
さらに、最大焦点の土地購入原資の出所について、文書をマスコミに配布したうえ、記者会見で国民に説明したら、「まだ解けぬ疑問」とニュースで喚いています。記事にでかでかと掲載する。
予想はしていましたが、検察とマスメディアは、どうも小沢さんが邪魔みたいで、何としても政界から抹殺したいようです。
検察とマスメディアは、「はい。すべて報道されたことが事実です。虚偽記載も私の命令です。水谷建設からも5000万円を胆沢ダム工事受注の見返りとして貰いました。その金は、土地購入資金の一部に充てました」と小沢さんが言うことが、国民への説明責任だと思っているようです。
国民も現段階で、そんな説明責任を求めているとしたら、怖ろしいことです。完全に戦前へ逆戻りです。
大本営発表がどういう結末をもたらしたか考えていただきたい。

 政治資金収支不記載程度で、国民が選んだ議員が逮捕され、与党の幹事長が聴取されることの方が、ずっと異常だし、例のないことで、これまでも安倍晋三以下、自民党のお歴々(森、二階、赤城他)も同じ不記載で問題になりましたが、すべて訂正で済んでいます。
この違いを、検察とマスメディアは、国民にきちんと説明する責任があります。権力による事件性の差別があってはならない。
 また、今回の任意聴取は、市民団体から同法違反(虚偽記載)の容疑などで告発されているため被疑者としての聴取でしたが、検察もマスメディアも、この市民団体がいかなる市民団体なのかを明らかにする必要があるのではないかと、と強く感じます。噂としてはすでに広まっています。それはそれとして、もっとマスコミは、告発の実態をしっかり追及すべき使命があると思うのですが、とても期待できないですね。

 マスメディアは、中立性を求められているわけですが、日本のマスメディアは、いつになっても成熟に至らず、幼稚性をむきだしのまま国民を思考停止状態にさせようとしています。
この原因のひとつに、マスメディアの“クロスオーナーシップ”の問題、弊害があります。どこもかしこも同じ論調になっている日本のマスコミ……。そんな環境で、朝新聞を読む、テレビニュースを見る。毎日繰り返す。
同じ論調にどっぷり浸けられてしまった国民は、思考停止状態になり、かくして世論はマスコミの報道の傾向に移動していく……
 “クロスオーナーシップ”の問題は、国会でも問題になりました。クロスオーナーシップについては、また後日書こうかなと思っています。


 もういい加減日本のメディアの報道は、あまりにも低次元に埋もれたままなので馬鹿らしくなってきました。
ということで、アメリカ、ニューヨーク・タイムズのコラムを紹介します。
毎日、農薬たっぷりで、しかも新鮮味のない野菜を、使い古された質の悪い油で揚たようなテンプラばかり食べたり、見たりしているとげんなりです。今日は活きのいい刺身を食べた!!という感じです。
みなさんもそんな気分を味わってください。

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*掲示板,MLを含むこのサイトすべての一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。引用もとを表示することを強制いたしません。
このように明示されていたので転載させていただきました―『阿修羅』様より

2010年1月22日
↓投稿者のニューヨーク・タイムズ記事 日本語翻訳全文
http://www.nytimes.com/2010/01/20/world/asia/20japan.html?scp=1&sq=ozawa&st=cse
In Japan’s Scandals, a Clash of Old Order and New
By Martin Fackler


<日本のスキャンダル、新旧体制の対立>
マーティン・ファックラー


 国家において生じる典型的な政治スキャンダルにおけるすべてのネタが今回もすべて含まれている。建設会社から受け取った札束、後ろ暗い土地取引、強力なボスの身代わりだと広く見られている険しい表情をした政治的側近の深夜の逮捕などなど。今回の検察による政治資金に関する規則違反に対して展開されている。
与党の大物小沢一郎に対する捜査は、この国のもっとも剛腕な政治家で、新しい改革派のリーダーと、戦後権力体制の中でももっとも強力な組織である検察庁との間の公開のバトルであるということで、国中の関心を引きつけている。
 
 この国の制度が変化することの兆しの中で、この対立の行き詰まりは、いつもとは違うパターンの批判の声の奔出を招いている。今回は批判が小沢氏だけではなく、腐敗した企業経営者や政治家の天敵として長く社会から賞賛されてきた少数精鋭の検事たちの巨大な裁量権にも向けられているのだ。
検事たちが、(社会正義とは)何か別のものを守っているのではないか、ということへの疑問もまた提起されている。すなわちこの国の停滞した現状維持勢力であり、強力な権力を有するが、ほとんど説明責任をもたない官僚制度に対する批判だ。
そして小沢氏の民主党が昨年夏に自民党の長期政権を破ったときに打倒を誓ったのが、まさに、この官僚制度だったのである。

元検事の郷原信郎氏は次のように語る。
「このスキャンダルは、日本の民主主義を危機に陥れている。このスキャンダルは官僚システムが、自分に対して挑戦してきた、選挙で選ばれたリーダーから自分を守るために反撃したものなのだ。」

 最新の動きは週末に起こった。検事は一人の民主党議員と小沢氏の元秘書二人を逮捕した。小沢氏は、民主党の歴史的勝利の設計者であり、謎につつまれた、練達の密室政治家である。
今回の捜査は、検察官たちによって行われている民主党リーダーたちに対する一連の捜査の中の最新のものである。
一連の捜査の中には先月行われた、鳩山由紀夫首相の政治資金の報告義務違反が含まれている。鳩山氏への捜査によって新米政府に対する世論の支持がかなり弱まった。
しかしながら、過去において訴追された政治家の多くのように、弱々しく謝罪を繰り返す代わりに、民主党は反撃を開始した。週末に東京で行われた民主党大会において、小沢氏は、検察庁との全面対立を叫んだ。
歓声を上げる聴衆に向かって、小沢氏は次のように言った。

「我々は絶対にこういったやり方を認めることはできない。こういったことがまかり通るのならば、日本民主主義の未来は暗い。」

多くのものにとってさらに衝撃的だったのは、鳩山氏が小沢氏に与えた支持発言だった。鳩山氏は、検事たちに対して政治的コントロールを行使する法的権限を有する首相なのである。この権限は第二次世界大戦後一度だけ時の首相によって行使されている。
「私は彼を信じています。どうぞ戦ってください。」と鳩山氏は言った。
鳩山氏は後に捜査に影響力を行使しないことを約束した。
政治専門家たち、この発言がほぼ確実に世論からの厳しい反発を被るであろうと述べている。とはいえ、こういった民主党の側からの抵抗は、学者やニュースメディアの一部で広まっている、検事たちは、民主党が官僚をコントロールするという公約をしたことや、法務省に属する検察庁が、まさにこの官僚システムの根幹となる、強力な組織であるという理由から、民主党に対して仕返し(vendetta)を行っているのだという検察批判を力づけた。

 郷原氏やその他検察に批判的な人々は、古い政党政治の名人小沢氏を擁護するというよりは、検事たちによって適用される選別的正義を批判しているのである。検事は、これまでも、日本の戦後体制に対する挑戦に対しては厳しく、体制の内部者には寛大だったのである。

 こういった疑惑は昨年の初めごろから強まっている。当時、政治資金規制法違反への初期の捜査によって、重要な衆議院選挙の直前に、小沢氏は民主党党首から辞任するまでに追い込まれた。検察に批判的な人々は、検察が西松建設から資金を同じく受け取ったにもかかわらず。自民党議員の追求を行わず、小沢氏だけを追求したことを指摘している。
そして二番目のスキャンダルが約1ヶ月前に起こった。
 政治の専門家の中には、小沢氏に対して繰り返される捜査は、検事たちが、日本の体制に対する一種の免疫システムとして機能していることを示しているという意見もある。彼らが、小沢氏が、政府民主党の財布をほぼ完全にコントロールし、過剰な権力を集めることを恐れたために、今回の行動に及んだと見ているのだ。
また1970年代の小沢氏の師匠田中角栄首相の逮捕に遡る何十年にわたる検察との確執を指摘するものもいる。こういった見方によると、検察庁は、昨年、小沢氏が、民主党の中に特別委員会を設立し、首相が検察に対してより多くのコントロールを行使することを要求しはじめたことが、恐怖だったのだということになる。

 「検事たちは小沢が日本を自分の個人帝国に変えようとするかも知れないことを恐れたのである。」と慶応大学の政治学者小林良彰は言う。議論は、日本の2600名の検事たちに対する普通ではない公的な精査にフォーカスしていた。
 日本の検察は、米国やその他の西側民主主義の司法制度とはかなり違った勢力だ。検察庁は、誰に対して何時調査を開始するかを決める権利だけではなく、告訴以前に、容疑者を逮捕し、拘留する権利も持っている。これによって彼らは実質的に、警察、法務大臣、そして裁判官の力をひとまとめにしたほどの権力を持つことになっている。
 
 検察は、伝統的に、超難関である日本の司法試験に合格した一握りの若い法学生から選ばれてきている。彼は、また、容疑者の職場や自宅への突然の家宅捜査で有名である。家宅捜査の数分前に与えられた情報で勢揃いした大軍の記者とカメラマンの前を断固とした様子で、ダークスーツを身にまとった無表情の検事たちが行進するあの風景だ。

 実際、メディアの専門家たちは、検察は大手のニュースメディアとの密接な関係を享受しているという。こういった関係の結果ニュースメディアによる今回の小沢氏の捜査に対しては概ね好意的(Positve)な報道が行なわれている。
 ニュース報道は、検察からのリークに基づいて予測可能なパターンのストーリーに従って行われている。たとえば検察が、小沢氏が東京の土地に投資することによって隠そうとしていると思っている4億円に関する詳細事実が、ニュース報道の中では現れてくる。
こういったことに憤激した、民主党議員は、報道に影響を与えるための検察のリークの利用を調査するための議員のチームを組織することによって反撃することを誓った。

「このスキャンダルは、新しい政権がどれだけ大きな波紋を引き起こしたかということや、どのように旧システムが反撃するかを示している。」と元検事の郷原氏は語った。

以上

続く……かもしれない。


《お断り》
全体に公開しているので読んだ方の意見は様々だと思います。このような政治的意見に対し誹謗中傷の類、あるいは冷やかしのようなコメント、本文の要旨と大きな開きがあるコメントが寄せられることがあります。そのように判断した際には、即刻末梢させていただきますことをご了承ください。

民主主義が危うい―検察のありかた~小沢問題から(3)

2010年01月23日 | 日記
【国家公務員法】
第三章 職員に適用される基準
第七節 服務
(秘密を守る義務)
第百条  職員は、職務上知ることのできた秘密を漏らしてはならない。その職を退いた後といえども同様とする。

第四章 罰則
第百九条  次の各号のいずれかに該当する者は、一年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。
十二  第百条第一項若しくは第二項又は第百六条の十二第一項の規定に違反して秘密を漏らした者

公務員の守秘義務は、このように明文化されています。 つまりリーク(告知)は違法である。

しかし、かつて福岡県地検次席検事による捜査情報漏えい事件で最高検察庁は、捜査上の告知(リーク)ついて次のような見解を示しています。

「捜査機関が、捜査の過程で関係者の協力確保、事案の解明、事件の解決等のために、関係者に一定の捜査情報を告知することは、捜査への支障や関係者の名誉の不当な侵害等の弊害が生じないよう、その目的達成のため相当な時期・範囲・手段・方法で行なうことが許されるものであって、この場合には、当該情報の告知に正当な理由があることから、国家公務員法100条1項の『職務上知ることのできた秘密を漏らし』た行為には該当せず、その手段・方法等は、捜査が、刑事訴訟法等に従って、証拠収集等の目的を達成する上で効果的かつ適切と認められる方法を、具体的状況に応じた捜査関係者の臨機応変な判断に基づいて適宜に選択するものであることから、捜査機関の合理的な裁量に委ねられるものであり、その目的に違反した場合に、初めて秘密を漏らす行為との評価を受けるものと解される」

 このような曖昧な見解は、この事件で次席検事が問われた「守秘義務違反」を無罪に導くための「こじつけ」でしかなく、権力を振りかざした自己防衛手段に他なりません。
マスメディアに対し何の協力を確保できるというのか。
リークによって事案がどう解決するのか。疑問です。
「刑事訴訟法等に従って、証拠収集等の目的を達成する上で効果的かつ適切と認められる方法で」とありますが、刑事訴訟法は”起訴状一本主義(予断排除の原則)”が掲げられています。しかしながら起訴する以前に検察は、リークによって世間に予断を与えていないか……
そして多くの捜査場面でリークによって“関係者の名誉の不当な侵害等”が生じています。

 検察で取り調べられている間は、何人も有罪ではありません。検察官が「合理的な疑い」を超える程度に立証し、有罪判決が出されるまでは、被告人は有罪ではなく、無罪と推定されます。
“推定無罪”は刑法の大原則です。そして裁判所では、“疑わしきは被告人の利益に(罰せず)”という大原則があります。表裏一体の原則です。

逮捕=有罪ではなく、容疑者=犯罪者ではないのです。

小沢問題をめぐる検察のありかたはいかがでしょうか?石川議員と二人の秘書の逮捕。
その後の検察によるリークとマスコミ報道で、すでに犯罪者扱いをされてるいのではないでしょうか?
すでに有罪であるという認識をしている方が多いと思います。
小沢氏もそうですね。産経新聞は、すでに「容疑者」として紙面に載せました。
著しく名誉を傷つけられています。4人が仮に立件され無罪になっても社会的地位が著しく損失し、立ち直るには、かなり時間を要します。
名誉を喪失する時間は短く、名誉を回復する時間は著しく時間を要します。
また、立件され有罪になったとしても、検察とマスメディアのこうした行為は許されるべきものではありません。
民主主義の根幹を揺がすとても危険な行為です。

 マスコミは「知る権利」「報道の自由」を叫びますが、刑法の原則を曲げることはできません。
「知る権利」も「報道の自由」も“基本的人権の侵害”の上に立つものではありません。
ましてや司法の一角を担う、検察が自ら違法行為を行い(公務員の守秘義務)、基本的人権を侵害しているのです。

 私たちは、権力に対して従順すぎはしないでしょうか。司法に信頼感を持ちすぎていないでしょうか。
官僚主義、官僚体制に異を唱えながらも、同じ官僚組織である司法に、特に検察に政治家に向けるくらいの厳しい視線で見つめたことがあるでしょうか。
推定無罪の原則が緩んだ結果、17年の人生を失った菅谷さんに誰が謝罪し、責任を取るのでしょうか。

 いったん起訴された刑事裁判の有罪率は、日本では99%です。諸外国と比べ異常に高い数字ですが、日本では、裁判官と検察官の間に有罪となるかどうかについてのコンセンサスがあり、無罪になりそうなものは検事があらかじめふるい落としているので、こうした数字になる要因のひとつです。このことも実は、たいへん怖ろしいことです。
事実上の「司法判断」を裁判所ではなく、行政機構である検察がチェックしているわけですから。
これは、行政権の濫用です。
行政権の濫用は、官僚の権利の乱用、越権行為です。つまり必要以上の誤った権力行使です。
なぜこんなことが起こるのかと言えば、刑法の大原則である“推定無罪”が崩壊しているからです。

そして今まさにこうした行為が、検察によって行われているのです。そして検察に何も言えないマスコミが助長している。マスゴミと言われる所以です。

 権力というと、誰もが政治家を思い浮かべると思いますが、政治家は政権与党の一員になり、しかも各行政の長、大臣にならなければ権力は握れません。野党の党首にいくらお金をつぎ込んでも、巨大プロジェクトのおこぼれは貰えません。せいぜい、就職先を世話してくれるくらいのものです。
田中角栄みたいに、ロッキード事件以降も行政(官僚)をコントロールできた政治家は稀です。
野党になれば、党首といえども権力を持てません。あるのは実力です。
この国の真の権力者は、官僚なのです。
我々が選挙で選べない官僚が、国家試験に合格しただけの官僚が権力を握っている。
だから、このような ことが慣習的に行われ、さまざまな問題を生み出しているのです。
でも 誰もチェックできない。国民は目を向けようともしない。信頼しきっている……人が多い。
 
 すでに民主主義はこの国では、大きく揺れています。今始まったことではなく、ずっとそうだったのです。手続き上の民主主義国家です。議院内閣制ではなく、官僚内閣制がまかり通ってきたのです。
自民党政権下では大臣は仕事をせず、すべて官僚に任せてきました。

 民主党は、官僚体制の改革を推し進めようとしています。官僚の手から政治を取り戻すことを明確に言っています。
そしてその中心人物たる、ダーティー小沢幹事長を霞が関の強権守護神、東京地検特捜部が葬り去ろうとしています。
有罪でも無罪でも、悪徳政治家のレッテルさえしっかり張り付け、再起不能にすれば事足りるのです。
官僚にとってもっとも従順な自民党が政権の座についてくれれば、霞が関の既得権益は保持されるのです。

ここに、官僚VS民主党 旧態勢力VS改革勢力 官僚VS国民、権力VS国民という構図が成り立ちます。
民主主義が揺らいだまま、もっと危くなっています。権力を厳しい目で見つめることが必要です。


マイミクのタケセンさんにアップしていただいきました。
じっくり読んでいただき、みなさんで考えていただきたいです。
内容については予断を与えるといけないので……

http://www.geocities.jp/ku_kai2006/4benkyokai.html


                       続く……かもしれない。


《お断り》
全体に公開しているので読んだ方の意見は様々だと思いますが、このような意見に対し誹謗中傷の類、あるいは冷やかしのような意見が寄せられることがあります。そのように判断した際には、即刻末梢させていただきますことをご了承ください。


マスメディアが危うい(2)―中立性に欠けた閉鎖的体質~小沢問題から(2)編集する

2010年01月22日 | 日記
 昨日書いた文章にあるマイミクさんが反応してくださり、日記欄で紹介していただきました。
おかげさまで多数の方に読んでいただいたようです。が……今のあまりところそちらルートでは反応がなく、マイミクさんのコメント欄に2名の方が「よくわからない」という意見を述べてくれたようです。やれやれです♪
僕のところには、いつものようにマイミクさんから、コメントをいただき心から感謝しています。
ということでもう少し解りやすくするために、僕なんかが言っていることよりも信憑性が高いWikipediaから抜粋しました。参考になると思います。

     *     *     *     *     *

主要メディアが報じる捜査情報は検察が記者クラブを通じておこなう「リーク」に依存している。
また、検察側は自己に不都合と考えられる報道をおこなった加盟報道機関に対しては検察関連施設への「出入り禁止」措置を取ることがある。
西松建設献金事件に際しては、一部の加盟報道機関が西松建設から献金を受け取った政治家の1人である二階俊博の件についての記事を掲載したことに対し、取材拒否および東京地方検察庁への3週間の出入り禁止措置を取った。
この一件以後、加盟報道機関は検察および自民党に有利な報道をおこなうようになったといわれる。
また、検察は記者クラブに加盟していない報道機関による取材を拒否している。
[Wikipediaより抜粋]

     *     *     *     *     *

*出入り禁止を措置を取られたメディアは、東京新聞だと思います。


 日本にはたくさんの記者クラブがあり、日本新聞協会に所属しているメディアの記者が会員を占めているクラブがほとんどで、フリーのジャーナリストや外国人ジャーナリストが加入することは極めて困難な、独占的、排他的なクラブと言えます。
世界的に見ても、日本型の記者クラブなるものは存在しません。多くは保安上の問題からプレス委員会等の厳重なセキュリティーチェックを受けますが(認定までに数ヶ月間はかかる)プレスカードなりを発行してもらえば、誰でも取材可能なのが世界の流れというか常識です。
報道の自由、国民の知る権利という民主的な原則からすればあたりまえです。
ペンタゴンには記者クラブ的なものがありますが、極めてサロン的なもので排他的ではないです。
アメリカのTV ドラマ『ホワイトハウス』を見たことのある方は分かると思いますが、ホワイトハウスの記者会見場に密室的な要素はなく、開かれた会見場ですよね。
ところが日本の現状はどうでしょう……大手メディアは、報道の自由を叫びながら、実に排他的です。
記者クラブに属していない、外国人ジャーナリストやフリージャーナリストはとても不自由です。自由に取材したいけど、記者クラブの高くて厚い壁があり取材しようにも取材できないんですね。
記者会見はたいてい記者クラブ主催なので、記者クラブ以外の記者は立ち入り禁止です。

そんな場所で――特に司法記者クラブで Wikipediaから抜粋した内容のことが行われているとすれば、そんな情報をありがたく受け取れますか?信用できますか?本来マスコミがあるべき姿の中立性が確立されているのでしょうか?
そもそも独占的、排他的記者クラブそのものに中立性がありません。
こうした記者クラブの悪癖を開かれたものにしようと最初に手を付けたのは、政党では新進党時代の小沢さんです。(途中で挫折しましたが……)
総理大臣では、鳩山さんが初めてです。記憶に新しいですね。就任記者会見を、海外のジャーナリストと雑誌記者も開きましたね。
そんなことで海外のメディアから圧倒的に低い評価が下されているのが、日本のマスメディアです。
ここ数年、ようやくある程度外国人ジャーナリストに対して開けてきたかな……と思いますが世界のマスメディアの開放性に比べると大きな開きがあります。
 
 私たちに入ってくる情報は、そのくらい閉鎖的なものなんですね。私たちがそうした情報で社会情勢を測るある基準にしているとすれば、本来見えるものまで見えなくなってしまいます。
閉鎖的なマスメディアによって作られるイメージ。作られ固定されてしまったイメージは、そう簡単に払拭することができません。

 たとえば、ある疑惑や疑獄事件に隠されてしまった日本の行き先を決定づけてしまうような構図がかすんでしまうんです。
戦後の歴史を少し細かく追えば、隠された構図がいかに大きなものだったか分かります。しかし国民は表面化したスキャンダラスな面にしか目がいかない……
その裏で失われてしまった、とても重要なものの存在を多くの人は知りません。
なぜか?
ひとつには、マスメディアが機能を果たしてこなかったからです。Wikipediaから抜粋したような事実が密室の中で行われていたからです。そして対立の構図そのものを国民の目に晒したくない勢力が存在するからです。そして彼らは実に巧みに国民の前から、構図の中の重要なものを消してしまいます。
スキャンダラスな面に視線が張り付いてしまっている国民は、それに気付きません。

 細かく書くと相当なページを要してしまいうので、ざっと書きますが、戦後すぐに『炭鉱疑獄』と『昭和電工事件』という疑獄事件がありました。この裏には当時敗戦国日本を占領していたGHQの占領政策をめぐる内部の権力争いの骨格があり、当時の日本政界、財界を巻き込んでの一大スキャンダルに発展しました。しかし国民の誰もがGHQ内部の権力闘争だとは思っていませんでした。占領下ゆえマスメディアが書けなかったというのもありますが、書かなかったのです。
この二つの事件では、戦後の政界をリードしてきた、後に大物政治家と言われる人が逮捕、拘留されました。炭鉱疑獄では田中角栄、昭和電工事件では、当時の大蔵省・主計局長だった福田赳夫です。
炭鉱疑獄では、戦後間もなく政権を取った片山哲社会党連立政権が崩壊しました。
昭和電工事件では、リベラルな政権だった芦田均内閣が崩壊しています。
この二つの事件で逮捕された受託収賄があったとされる田中角栄他、政治家全員は、裁判により無罪判決を受けました。福田赳夫(受託収賄容疑)も無罪でした。そして二人はやがて総理大臣になるわけです。

 この二つの疑獄事件は、GHQ内で対立する勢力にそれぞれ与した対立する国内政治、財界グループの意を受けた検察によるファツショ(国策捜査)だという評価が定着しています。
最大の既得権益者の意向によって、検察が権力を振りかざし、当時希望の政権の二つを崩壊させた……
そしてマスメディアは今と同じように、あたかも贈収賄があったかのように書きまくったんですね。
当時の新聞記事を見るととてもよくわかります。そして現在と似通っています。世論も大きく流されました。

 疑獄事件の裏には、必ずと言っていいほど国民の目に見えない対立構造があり、新しく台頭した勢力の喪失があります。
ロッキード事件でもまた、国民が知り得なかった対立構造が存在し、自民党内の改革勢力であった田中派のイメージが圧倒的にダウンし、改革推進に大きな歯止めが生まれてしまいました。
(田中角栄が無罪だとは言いません。明らかに有罪です。政治家として、失格の烙印を押されたことは当然だと思います。金脈政治という言葉が適切かどうかは別にしてもお金が政治の活動のひとつの手段だったことが立証されたわけですから。しかし田中政治の功罪の罪だけしか国民は知らされていないんですね。そこがひとつの問題です。このことについては、後で書こうかな……と思っています。小沢問題に大きく関わりのあることですから)

そして現在の小沢問題……
はたして、現職の国会議員が、国会開会3日前に逮捕されるに充当するような重大なかつ正当性を持つ犯罪性の高いものが存在するのかどうか……
明日以降、何かしらの発表があると思います。その際はぜひ、検察の高官の記者会見によって行われてほしいものです。
僕は仮に小沢幹事長逮捕ということになっても驚きません。そうなった場合、民主政治の根幹がまた崩れ、明治以来の官僚による独裁体制崩壊へのシナリオのひとつがまた摘まれてしまったと悲しむだけです。
また遠くに行ってしまったな……と。


                              続く……かもしれません。


付録です。Wikpediaから冒頭の引用部分をコピペをしようとしていたら
こんなのが下の方に載っていたので抜粋しました。
( Wikipediaより )


検事総長たちの華麗なる再就職先♪

[元検事総長]  [再就職の一部]
松尾邦弘―トヨタ自動車
原田明夫―住友商事、資生堂、セイコーホールディングス、三菱UFJフィナンシャル・グループ 等
北島敬介―大和証券グループ、日本郵船 等
土肥孝治―関西テレビ、阪急電鉄、小松製作所、積水ハウス、関西電力 等
吉永祐介―東京海上火災保険、大丸、ベネッセ、出版社エスビービー(高額書籍を脅しまがいの手法で販売) 等
岡村泰孝―トヨタ自動車、三井物産 等
前田宏―日本テレビ放送網、住友商事 等


元検事総長が、マスメディアに就職するってすごく危ないと思うんですけどね。



《お断り》
全体に公開しているので読んだ方の意見は様々だと思いますが、このような意見に対し誹謗中傷の類、あるいは冷やかしのような意見が寄せられることがあります。そのように判断した際には、即刻末梢させていただきますことをご了承ください。

マスメディアが危うい(1)―検察とマスメディアのありかた~小沢問題から(1)

2010年01月21日 | 政治・時事
 今回のいわゆる小沢問題への各メディアの一連の報道は、これまで「関係者によると」という言い回しで、その内容は検察しか知りえないものです。
石川議員の逮捕後の記者会見がありましたが、その他記者会見を開いた様子もなく、検察によるリークと思われても仕方のないものです。
それをメディアが鵜呑みにし、立証されていない事実があたかも事実として 立証されているかのように報道され我々国民に予断を与えています。
予断は世論調査の結果を見ればわかるとおりです。
 刑事訴訟法には予断排除の原則が明記されていますが、すでに検察は自らこの原則の分水嶺を越えていると判断せざるをえません。
交通事故や殺人事件と違い、この手の問題に現場はなく、記者自ら調査、取材に当たり記事を書くのは難しいのですが、検察のリークを短絡的に流し続け、まるで世論を誘導しているような状況に僕は恐怖を感じます。
 捜査の初期段階において、被疑者の自白に疑いがなく、物的証拠も疑いのない事実として明らかになっている事件ならともかく、検察が公式な記者会見で明らかにしていない情報、検察しか知り得ない内容を、その影響も顧みず報道し続けるマスメディアに失望しています。
石川議員の逮捕容疑となった政治資金規正法の問題からすでに逸脱し、陸山会の土地取得資金に、「ゼネコンからの金が流れたのではないか」という報道は、憶測の域を出ていません。
なぜならこの件に関しても、検察はなんら説明をしていないからです。世間とメディアは、小沢幹事長の説明責任を強く連呼していますが、まず検察に説明責任があるはずです。
ゼネコンからの資金供与、収賄性ということに関して、水谷建設の元社長が供述しているではないか、と言われる人もいるかもしれませんが、この報道に関しても「関係者によれば」という言い廻しの検察のリークと取れる情報をマスメディアが鵜呑みにして報道しているにすぎないのです。
もし、報道されているようにゼネコンからの受託収賄がこの問題の核心であり、その事実を解明するための石川議員の逮捕であるならば、逮捕事実にその旨が明示されなくてはいけないわけですが、検察は明示どころか会見によっても明らかにしていません。
 水谷建設の元社長は、現在獄中にいます。5000万円をダム工事受注の謝礼に小沢氏側に渡したとの供述は獄中での供述です。この辺りの信憑性はどうなのか、マスメディアは騒ぎ立てる前に冷静になる必要がありそうです。我々もマスメディアに踊らされてはいけません。
 水谷建設の元社長は、自らの贈賄供述で立件された、佐藤福島県知事の汚職事件で1億7000万円を賄賂として渡したと供述していますが、控訴審では、佐藤元知事の主張に近い、ほとんど賄賂はなかったと判断されています。会社としても北朝鮮との不法取引が明るみに出るなど今回の供述についてもいかがなものか……と感じえません。
検察は、小沢幹事長の収賄をこの供述を元に立件できる自信がありリークしているのか、立件困難とみてリークしているのか。いずれにしても国の司法の一角を担う官僚組織としてあまりにも品位に欠けるのではないか、と感じざるを得ません。
 このような検察の姿勢に、あたかも受託収賄があったかのような憶測報道がされ、国民の多くは事実として認識してしまったかのような感が、世論調査で見受けられますが、検察とマスコミによるミスリーディングと言っても差支えないと思います。
 日本のマスメディアと社会風潮は、逮捕事実を重要視し、今回の石川議員逮捕で「逮捕されたのは収賄の事実があったからだ」と捉えがちですが、現段階では憶測もいいところで、見識あるマスメディアの論調とは思えません。妄想もいいところです。
逮捕要件のひとつは、嫌疑です。事実ではありません。石川議員の逮捕は、小沢幹事長の収賄嫌疑にもなりません。
 本来マスメディアは、権力から遠くにいなければ、国民に有益な情報を送ることはできません。
このことは、先の大戦の大本営発表をそのまま流し続けた、当時のマスメディアを振り返れば明らかです。あの戦争の責任は軍部にあるばかりではなく、マスメディアにはなかったとは言えません。
権力と一体化したマスメディア、権力に近いマスメディアは、国民の視線を曇らせるばかりではなく、間違った方向に誘いこむことがあります。
何を言う。軍部と検察は違う。検察は社会正義を実現するために官僚組織ではないか。
はたして、今行われていることが社会正義なのか疑問です。
何も説明しようとしない巨大権力の検察と国民に大きな影響を与えることができるマスメディアが、複合体になっているようにさえ感じるこのような状態は――検察と司法クラブ記者たちの関係――民主主義の根幹を揺るがすような存在になりつつあると思います。
なぜ石川議員が、国会会期3日前に逮捕されたのか。このことを考えるとそう感じざるを得ないのです。


                     続く……かもしれない。


《お断り》
全体に公開しているので読んだ方の意見は様々だと思いますが、このような意見に対し誹謗中傷の類、あるいは冷やかしのような意見が寄せられることがあります。そのように判断した際には、即刻末梢させていただきますことをご了承ください。