風の回廊

風を感じたら気ままに書こうと思う。

アメリカの正義に翻弄される日本4~普天間基地移設問題から

2010年03月26日 | 日記
◇在日アメリカ軍は、今も抑止力として機能しているのか

冷戦時代に取り交わされ、延長されてきた「日米安全保障条約」を法的根拠とする、在日米軍の存在は、冷戦時代のソ連の膨張政策を防衛する一定の役割をしてきたと思います。
しかし、僕の「思います」という観念の中には、「思わされてきた」という思いも含まれ、自民党政権とマスメディアによる意図的な操作も感じないわけにはいきません。
特に冷戦崩壊後、各国の世界戦略は大幅に変化しました。
アメリカが世界最強の軍事力を持っている事は否定しようもなく、中国の発展する経済が可能にした軍事力の過激な増大と、周辺異民族への弾圧や北朝鮮の核ミサイル開発が危険視され、在日米軍の抑止力は必要不可欠だという論調に日本は凝り固まっていますが、実際はどうなのか。

元外務省国際情報局長、元防衛大学校学長の孫崎享さんは、こんなふうに話しています。
その前に孫崎さんの話の信憑性を裏付けるために、外務省の国際情報部がどんな部署なのか説明しなければいけません。
外務省国際情報局は、アメリカのCIAやイギリスのMI6に相当する機関です。ただCIAと違うのは、他国を工作する機関ではなく、他国からの工作を防ぐ防諜機関です。CIAやMI6は、両方の能力を持ちますが、日本には他国を工作する機関は存在しません。内閣情報局という機関がありますが、彼らは海外経験がほとんどなく、防諜力はあるものの限られた範囲に収まります。
孫崎さんは、外務省時代アメリカ留学を経験し、さらにロシア、中東諸国への赴任経験があり、留学時代の研究は、ソ連の核戦略でした。そして国際情報局時代は、CIAと数多く接触し、アメリカの国家戦略の深部まで知る貴重な存在です。現在は、鳩山首相の私的諮問機関で重要な役割を果たしています。孫崎さんが官邸に入ったあとは、たとえば普天間基地問題に関して必ずこれまでと違った動きがあります。

それでは本題です。
米ソ冷戦時代、あたかも米ソの核攻撃能力、核防衛能力が、均衡状態であったかのように考えられていますが、実はその差は歴然とし、圧倒的にアメリカが優位に立っていたそうです。
ソ連がアメリカにようやく追いついたのは、それも核攻撃だけ追いついたのは、冷戦末期の頃で、オホーツク海に核ミサイルを搭載した原子力潜水艦が現れた時だそうです。核防衛能力に至っては歴然とした差があったのが現実だそうです。
冷戦時代の米ソの軍事的戦略は、第二次大戦時のように大量兵器と大量兵力によって地域を奪っていく戦略は、下位の戦略として位置づけられ、ワシントンにいかに核ミサイルを撃ち込めるか、モスクワに核ミサイルを撃ち込めるかが、最高位の戦略で、それをソ連が可能にしたのが冷戦末期で、核戦略が同等になった時、何が行われるかと言えば、軍縮なんだそうです。
それ以上高める必要が、お互いなくなってしまう。こうした側面も冷戦構造の崩壊に繋がっているというのです。ソ連はそこまで到達するのが精いっぱいで、それ以上の、たとえば核防衛能力をアメリカ並みに準備することが困難な状況になってしまったというのです。アメリカ並みの国力と技術を持っていれば、今も緊張状態にあったかもしれない。しかし続かなかった。

今後、ロシアがアメリカ並みの核能力を持つには、10年以上かかり、懸念されている中国に至っては、30年経ってもアメリカに追いつかないそうです。ましてや崩壊寸前の北朝鮮の戦略など脅威にならず、仮に軍事的行動を起こしたとしても、燃料がたちまち途切れ、戦略はあっという間に崩壊し、戦略どころか、国家そのものが崩壊してしまうらしいです。
現実は、メディアや学者が流すほどの脅威は、極東に存在しないというのが孫崎さんの論調です。

これを裏付けるのが、アメリカ海兵隊の再編です。いずれ日本から海兵隊のほとんどはグァムに移転します。
なぜ移転可能なのかと言えば、危機が薄らいだからに他ならなく、ひとつは台湾海峡の危機です。
台湾海峡の台湾と中国の緊張状態に沖縄の基地と通常戦力、海兵隊の存在が、抑止力となっているというメディアあるいは専門家の論調ですが、成長する経済大国中国を経済的パートナーとして近づきつつある台湾の姿勢が、台湾海峡の危機を無くしているのです。
また、日本中が硬直的に怯えているかのような北朝鮮は、先ほども書いたように、崩壊寸前で、他国を脅かすような軍事力に乏しく、逆に日本の自衛隊、韓国の軍隊、アメリカの核に至っては、建国以来怯えているのが現状で――実際、朝鮮戦争の時マッカーサーは、北朝鮮への核使用を強硬に主張した――だからこそ、恫喝的な戦略しかなく、実際の脅威になり得ていないそうです。

◇なぜ海兵隊をグァムに後退させるのか。

このように冷戦崩壊以降、極東の危機感が薄らぎ、在沖縄海兵隊を中東戦略に専念させるためには、沖縄に駐留しているより、グァムに駐留した方が地政学的に有効だというアメリカの判断が「海兵隊再編」として実態化しているのです。
また海兵隊のローテーションを考えた時、米軍兵士が、一番寛げるのが、戦略上も重要な自国であるグァムなのです。
兵隊の福利厚生もしっかり考えるアメリカは、兵士の休暇にも配慮している。だから地政学的にも問題のないグァムが、最良なのです。「他国の沖縄よりも寛げる」というわけです。
この話は嘘みたいですけど、立派な理由のひとつらしいです。
普天間基地移設で、硫黄島なら何もなくてベストではないか。という論調がありますが、アメリカは絶対受け入れないそうです。なぜなら、酒場もない、レストランもない、女性もいない……
これが、アメリカの硫黄島案絶対拒否の最大の理由らしいです。

つまり「日米安全保障条約」を成約せしめた、極東の危機、日本の危機は、冷戦崩壊と共に当初の目的を必要としなくなり、もともと、在沖縄海兵隊自体が、日米安保に規定される「抑止力」としての目的で配備されているわけではなく、あくまでも中東戦略のために配備されているのに過ぎず、だから再編成され、在沖縄海兵隊12,000人の内8,000人が、グァムに移るのです。
あたかも、極東の安全のため、日本の安全保障のために、海兵隊のヘリ部隊が使用している普天間基地が移設されるかのようなメディアの論調ですが、論点がまったく合っていません。
さらに普天間基地を使用している海兵隊のヘリコプター部隊までグァムに移ります。
こうなると、普天間基地の必要性が、なくなってくるのではないか。普天間基地に替わる新基地の必要性はいかがなものなか……という疑問が湧いてきます。

◇普天間基地返還にともなう新基地は、沖縄にも本土にも必要ない

このことは、アメリカ太平洋軍司令部が06年策定し発表した「グァム統合軍事開発計画」を読めばわかることで、日本のメディアはほとんど報道していません。
普天間基地問題に大きな影響を及ぼしている、「海兵隊再編」の推移は、96年「SACO合意」→05年の「日米同盟― 未来のための変革と再編」(僕がこれまで言ってきた「日米同盟」の正式名称。ここでは“変革と再編”という意味を知ってもらいたくて、略さずに書きました)→06年「再編実施のための日米のロードマップ」→そして「グァム統合軍事開発計画」という推移を理解すれば明らかなのに、メディアも政治家も普天間基地国内移設だけに硬直し、本来の意味を伝えようとしません。
普天間基地移設があるとすれば、「グァム移転」しかあり得ないはずです。

分かりやすくするため、普天間基地移設問題について各合意の中で、どのように書かれているか、また問題点を簡単に書いてみましょう。

■SACO合意(96年)
当時の橋本総理大臣とモンデール駐日大使が「今後5年から7年に十分な代替施設が完成し、運用可能になった後、普天間飛行場を返還する」と突然の記者会見で発表。
普天間基地返還の原点は、厳しい爆音被害と危険な住宅地上空の飛行訓練を一日も早くなくし、沖縄県民の基地負担の軽減を図ることであった。しかし、その後数年で飛行回数は1万回増え、1.5倍に増加し、宜野湾市民は爆音による生活破壊と常に墜落の恐怖の下に苦しんできた。
この時から9年間日本の政権は、橋本、小渕、森、小泉と目まぐるしく変わり何ら成果を見せていない。
また、この合意がなされた発端は、キャンプ・ハンセンに駐留していた3人の海兵隊員が、12歳の少女を拉致し、粘着テープでぐるぐる巻きにし、海岸でレイプした鬼畜の仕業とも言える事件で沖縄県民の怒りが爆発したことです。しかし、犯人は「日米地位協定」によって保護され身柄引き渡しは拒否されました。これがアメリカにとっての日本の地位、沖縄の地位です。

■「日米同盟― 未来のための変革と再編」(05年)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/usa/hosho/henkaku_saihen.html
日本政府は、 辺野古沿岸から大浦湾にかけ長さ1,800メートルの滑走路をもつL字型の 「普天間代替施設」 を設置することを約束し、その実現を条件に 在沖縄海兵隊員の約7,000名とその家族をグァムへ移転させることが決まった。

ここで重要なのは、
兵力削減:上記の太平洋地域における米海兵隊の能力再編に関連し、第3海兵機動展開部隊(IIIMEF)司令部はグアム及び他の場所に移転され、また、残りの在沖縄海兵隊部隊は再編されて海兵機動展開旅団(MEB)に縮小される。この沖縄における再編は、約7000名の海兵隊将校及び兵員、並びにその家族の沖縄外への移転を含む。これらの要員は、海兵隊航空団、戦務支援群及び第3海兵師団の一部を含む、海兵隊の能力(航空、陸、後方支援及び司令部)の各組織の部隊から移転される。(日米同盟から引用)

*ここでは移転する主力は海兵隊司令部で、その数が7000人というニュアンスが強いですね。

■再編実施のための日米ロードマップ(06年)
http://www.mofa.go.jp/mofaJ/kaidan/g_aso/ubl_06/2plus2_map.html
(b)兵力削減とグアムへの移転
・約8000名の第3海兵機動展開部隊の要員と、その家族約9000名は、部隊の一体性を維持するような形で2014年までに沖縄からグアムに移転する。移転する部隊は、第3海兵機動展開部隊の指揮部隊、第3海兵師団司令部、第3海兵後方群(戦務支援群から改称)司令部、第1海兵航空団司令部及び第12海兵連隊司令部を含む。

・沖縄に残る米海兵隊の兵力は、司令部、陸上、航空、戦闘支援及び基地支援能力といった海兵空地任務部隊の要素から構成される。(日米ロードマップから引用)

*ここでようやく、移転するのは司令部だけではなく、司令部を含む約8000人の海兵隊の要員とその家族9000名が、グァムに移転することが書かれます。だいたい司令部だけグァムに移転してどうなるという話で、いかに通信が発達したとはいえ、司令部と実戦部隊をグァムと沖縄に分散させることなど考えらません。
ここで問題なのは、日米同盟にも日米ロードマップにも在沖縄海兵隊総数が、書かれていないことで、何割の海兵隊員とどんな機能を持った部隊がグァムに移転するかということが、専門家以外分かりません。

実際はどうなのかというと、現在沖縄にいる海兵隊員は、約12000名です。なんとそのうち8000人が普天間基地に変わる新しい基地が完成すれば(14年まで)にグァムに移転するというのです。2/3がグァムに移転しどんな戦略が立てられるのか。少なくとも海兵隊に関しては日米両国とも、「抑止力」としてみなしてこなかったことが明らかです。

■グァム統合軍事開発計画(06年)以下グァム統合計画
グァム統合計画は、軍事専門家でなければ理解できない内容ですが、この中で重要かつ問題なのは、「普天間基地に所属するヘリ部隊が、グァムに移転する」ということが書かれていることです。
「日米同盟」までは、普天間基地のヘリ部隊と海兵隊のほとんどが、沖縄に留まることが前提として論議され、合意されたわけですが、実際はそうではなく、アメリカ側の主題である「普天間基地ヘリ部隊の新基地への移設」は、存在しないのです。
さらに、海兵隊ヘリ部隊だけではなく、地上戦闘部隊や迫撃砲部隊、補給部隊までグァムに行くことになっているのです。
普天間基地に変わる新基地は、沖縄はおろか、日本国内に不必要なもので、グァムになくてはならないものなのです。

このことは、外務委員会でも質問されてきましたが、自公政権は、普天間基地代替施設は、普天間基地に現在駐留するヘリ部隊が、日常的に活動をともにする他の組織の近くに位置するよう、沖縄県内に設けなければならないと結論づけたまま譲らず、「日米同盟」に書かれたままの論法で国民を騙してきました。
メディアの報道も、「沖縄米軍通常部隊と海兵隊ヘリ部隊の分散は不可欠」という論調を崩しません。海兵隊の「抑止力」も効果的だと言っていますが、当の計画の詳細には、そのようなことは、書かれていないのです。普天間基地のヘリ部隊はグァムに移転すると書かれているのです。

これを裏付けるように、08年海軍長官から米国下院軍事委員会議長に国防総省グァム軍事計画報告書として「グアムにおける米軍計画の現状」が報告されました。その中で沖縄から移転する部隊名が示されており、”沖縄のほとんどの海兵隊実戦部隊と、岩国基地に移転予定のKC130空中給油機部隊を除いて、ヘリ部隊を含め普天間飛行場のほとんどの関連部隊がグァムに行く”と示されているそうです。

◇普天間基地はどこへ行くのか

自公政権が結んだ、「日米同盟―未来のための変革と再編」「再編実施のための日米のロードマップ」「グァム協定」でさえまともに伝えようとしないメディアに大きな問題があり、さらにもっとも普天間基地移設で重要なことが書かれている「グァム統合軍事開発計画」がすっかり抜け落ちて論議され、論調の中身は「日米同盟―未来のための変革と再編」に偏っています。
日米軍事同盟が強化される方向だけを願っているかのような自公とメディアの論調は、日本の安全を逆に脅かし、自立すべき日本の行く末を貶め、いつまでもアメリカの属国として歩んでいく姿勢だと僕は受け止めています。

では、なぜ海兵隊や在沖縄米軍は完全撤退しないのか、沖縄に基地があり続け、普天間基地に替わる新基地をアメリカが求めているのかと言えば、再三語ってきたように、「日米同盟」に根拠が示されています。「日米同盟」への過程がすべてを物語り、将来の日米軍事関係を予測させるのです。
これも再三言ってきましたが、「日米同盟」は、あたかも「日米安保」の延長線にあるように論じられ、報道されていますが、まったくの別物です。
政治家や官僚に任せず、「日米同盟」をよく読んでみる必要があると思います。私たちが安閑と考えていること、イメージからほど遠い内容が書かれています。自衛隊は、アメリカ向かう紛争地帯に、軍事力として向かうことが書かれているのです。
そうした実績を、小泉政権が『テロ対策特別措置法』という期間限定の法律を作り、実績としてイラク自衛隊派遣を可能せしめ、あたかも日米安保の延長線上にある「国益」と評価し、「国際協調」という誤った整合性を与え、「日米同盟」を可能にしました。
「日米同盟」がある限り、これを是とする勢力が政権に再び就けば、日本はアメリカが、好んで起こす紛争のために尊い命を差しだすことになるのです。果たしてこれが国益でしょうか。

◇苦悩する自衛隊員の実態

日本はここ10年ほど毎年自殺者が3万人を超え、10万人当たりの自殺者は、旧西側先進国ではトップです。(上位にロシアとロシアから独立したベラルーシなどの周辺国家が固まっています)
その自殺大国日本の中で、イラク戦争以降、現職自衛隊員と退職自衛官の自殺者は、4.5倍です。この中には、イラク帰りの自衛隊員も含まれていますが、防衛省は、正しい数字を公表していないし、理由も把握していません。これは異常です。まともに報道されていない、まともに報告されていないという異常。
さらにイラク派兵、インド洋派遣中に亡くなった自衛官は35人います。そのうち自殺者は、16名で、自殺以外の死亡原因を防衛省と自公政権は明らかにしてきませんでした。
非戦闘地域ということでしたが実際どうだったのか……
こうした事実があったにもかかわらず、日本における米軍基地は、アメリカの中東戦略のために自公政権は必要だと言ってきました。
国際協調ではなく、アメリカの中東戦略のために自衛隊員は苦悩したのです。現場での16名の自殺……いったい何を物語っているのでしょうか。

◇軍事費が欲しい赤字超大国アメリカ

アメリカの中東戦略とは何か?これまで書いてきたように、軍産複合体の利益。赤字財政を膨らまし続けても求め続けなければいけない軍産複合体のための利益が、自由と民主主義を守るための正義というベールを被って邁進し続けているのです。これが「アメリカの正義の正体」です。
そうした中で、日本は最も何を求められているかと言えば、基地の提供と、『思いやり予算』という莫大な米軍基地援助資金です。

世界中に存在する米軍基地ですが、各国が援助している50%以上を日本の援助が占め、それは、ドイツの3倍、NATOの1.6倍にも及んでいる事実……
さらに、海兵隊のグァム移転と整備の経費の内約60%、60億9千万ドルを、日本が提供する約束ができています。
これが『グァム協定』であり、普天間基地移設の再確認とグァムへの海兵隊移転費費用の日本の履行が決められています。完璧に政権運営力を失っていた、麻生政権下の09年5月、急いで締結されたのが『グァム協定』です。オバマ政権は実にしたたかです。予測された政権交代前に獲れるものは獲る。という魂胆が見え見えです。
自公政権が合意した『グァム協定』は、日本側に何も言う権利はなく、文句を言う権利はアメリカが持っているという「日米通商条約」と同等の不平等協定です。

◇沖縄の人たちはすべてを知っている

これまで述べてきたことは、目新しい情報でもなく、沖縄の人たちの多くはみんな知っていると琉球新報の滝本記者は言います。宜野湾市では、市の広報誌にも載せているし、市役所へ行けば資料の閲覧もできます。本土の人はどうでしょうか?
太平洋戦争での沖縄の悲惨さや、基地問題について私たちは語ります。しかしどうしても温度差がある。私たちが、沖縄の苦悩の原因を正しく理解をしているとは思えません。
このままだと沖縄は、アメリカ海兵隊の訓練、演習地となります。普天間に代わる基地が県内に完成し、海兵隊が去れば一目瞭然で、ヤンバルの大自然は、これまで以上演習地が拡がりもっと悲惨な状況になり、新基地の周辺の自然も失われ、沖縄の人たちの苦悩は、消え去ることはありません。現にヤンバルの高江地区では、ヘリポート建設が進められ、地元の人たちは、座り込みなどをして、生活を犠牲にしながら闘っています。
自公政権は、こんな酷いことを推進してきたのです。

◇鳩山政権の現状

鳩山政権は、こうしたアメリカと普天間基地移設をめぐり、水面下で果敢に戦っています。
ぶれていると報道されますが、あのアメリカを相手に最低でも県外移設を模索しているのです。
キャンプ・シュワプ海上案合意を曲げようとしているのです。ぶれて見えるのはそのためです。

鳩山首相は、平野官房長官と国民新党が推すキャンプ・シュワプ陸上案と北澤防衛大臣のホワイトビーチ埋立案にまだ首を振っていないどころか、拒絶し県外移設を模索し続けています。
報道とは異なります。
二人の案は、キャンプ・シュワプ海上案を拒否する政権への妥協案として防衛省と外務省の官僚によるものだと僕は推察しています。平野と北澤には官僚を強力に動かすだけの能力も度胸もありません。
各大臣の言葉やメディアの報道に、うろたえることなく鳩山首相の言動だけを注視しましょう。
もっとも記者クラブメディアは、まともに報道しませんが……
こうした中で、日本中で受け入れてくれる場所は現在のところひとつもありません。
名前が挙がると、その場所の首長や議会が直ちに強い拒否声名を発表する。
では、そうした首長や地方議会は、「グァムに移設」を言っているかと言えばそうではなく、「合意に従うべきだ」と沖縄に押しつける。アメリカの戦略など何も分かっていません。沖縄の人たちの苦悩など察してもいない非情な意見です。「日米同盟」の意味だって知らない。
でも鳩山さんは戦っている。

アメリカはこうも日本に伝えています。

アメリカ政府は「地元同意がない移設先の代案が出ても交渉できない」との考えを日本側に伝えました(琉球新報22日より一部抜粋)

日本国どこを探しても、地元の同意を得られない現状が続く限り、
・普天間基地をそのまま使う。
・移転の理由のひとつになった騒音や危険性の問題は忘れてほしい。
・グァムへの在日海兵隊移転も実現できませんよ。

という難題を押し付けてきたわけです。
これだけの難題をアメリカ政府に言わせるほど、鳩山政権は戦っているわけです。

先々週鳩山さんがぶら下がりの記者会見で、県外移設を諦めたかのような発言した時、私たちは落胆しましたが、孫崎さんは直後にこう言っています。
「まだまだ、これからいろんなことが出てくる」
そしてこうも言っています。
「鳩山さんが首相でなかったら、自公政権が合意したキャンプ・シュワプ海上案が、昨年の10月の段階で決定されたはずです。ここまでアメリカと戦える総理はかつていなかった……」

僕は思うのですが、こうしたまだ占領下あるような、まるで独立国だとみなされていないようなアメリカの対日戦略に関わる、整合性のない不合理な普天間基地県内、県外移設問題は、沖縄の人たちには迷惑がかかるけれど、5月末までに決定などと言わず、じっくり交渉して、グァムに移転させる方向で決着をつけるべきだと思います。これが日本の国益です。
グァム協定で決められた、移転費用の援助は仕方ないにしても、アメリカの軍産複合体の利益のために、中東戦略のために、日本はこれ以上アメリカに援助する必要もないし、「普通の国」へ進むべきだと思います。
自公政権の罪はあまりにも重い……
主権在民の真の民主主義国であるために、まるで属国のような立場から自由になるために、真の独立国となるために、もっと国民は考えなくてはなりません。
それが子供たちのためになるのです。






アメリカの正義に翻弄される日本3~普天間基地移設問題から

2010年03月24日 | 日記
◇アメリカに銃弾は一発も届かなかった

「ベトナム戦争を骨格だけにすると、長い間フランスの植民地として、また、日本の電撃的な侵略によって翻弄されたアジアの小国、ベトナムの民族独立過程で行われたアメリカによるベトナム人の大量殺戮だよ。
これに肉を付けていくと、共産主義による民族独立への自由主義の守護神を自負するアメリカの軍事介入があって、新しく生まれたバックグランドが、冷戦構造でのアジア包囲網、ソ連膨張政策へのドミノ理論に対応する封じ込め政策の実践だよね。
そこでアメリカが採用した軍事作戦が、ケネディの限定核戦争を想定した、少数勢力による局地戦の展開なんだ。でも、徹底したゲリラ作戦が、それを阻み効果が生まれなかった。ジョンソンに大統領が変わってからは、第二次大戦的な大量兵器、大量兵力動員で全面戦争という軍事作戦に出て、ますますベトナム戦争は泥沼化し混迷を深めていったんだ。
そこで命を落とした多くのベトナム人は、罪のない民間人が59万人もいる。農民とその妻も、二人の子供もおじいちゃんおばあちゃんもたくさん含まれている。南ベトナム解放戦線や北ベトナム正規軍と戦い、死んでいった同じベトナム人の政府軍兵士たちも、裕福な人達じゃない。食えない都市住民や貧しい農民がほとんどなんだ。もちろんアメリカ軍に殺された解放戦線兵士や北ベトナムの兵士もみんな貧しい階層の人達がほとんどだよ。
南ベトナムでは金のある連中は金で徴兵を回避できたし、いつも悲惨な目に会うのは健気に生きている庶民で、そんな罪もない貧しい人達を殺すためにアメリカは1400億ドルの巨費と50万人もの大量兵力をつぎ込み、アメリカ自身も出口が見つからない、泥沼の中であえぐ戦争になってしまったんだよね。アメリカ兵も6万人近くが犠牲になったけど、ベトナム人の犠牲者は170万人とも言われている。そして、アメリカには解放戦線兵士や北ベトナム兵士が撃った銃弾は一発も届かなかった」
僕は優子に向ってゆっくり静かに話した。優子は静かに、南の島の白い光のシャワーが降り注ぐ広大な青い芝を眩しそうに見つめたままじっと聴いていた後、つぶやくように言った。
「アメリカの思い上がった正義ね」
「そう。白人の使命感の実践という奴さ。彼らは宗教異端者や白人の身なりをしていない有色人種を野蛮人と呼び、改宗の名の下に従わない野蛮人を殺戮してきた歴史がある。アメリカ人がアメリカ先住民に行った殺戮もそうだよね。現代では信教の自由を高らかに謳っているから宗教的異端は存在しない。だけどイデオロギーの異端、自由主義の異端とみなす共産主義は、改宗の対象になったんだ」
「重苦しい話だけど、こうした話も乗り越えなくちゃね」
優子の声は小さかったが、自分を励ましているような健気さを感じた。
(以上は、ブログ掲載、自作・体験的小説風味『記憶の中の風景』83年の夏、優子の卒業論文『仮題・ベトナム戦争への道―自国のナショナリズムを阻害したゴ・ジン・ジェム政権の検証と考察』を書くためにささやかな体験をしようと沖縄を訪れた時の米軍嘉手納基地を望む「安保の丘」でのシーンから引用)

ベトナム戦争は、冷戦構造の中で、アメリカの正義に名を借りた最大のエゴが、最大の犠牲を生み出した戦争で、ベトナムの正統なナショナリズムが、強大な軍事力によって踏みにじられ、貶められました。またアメリカが去って行った後も、深い傷跡が30年以上経った今も完全に癒されぬまま残り続けています。
当時日本は、高度経済成長期で、朝鮮戦争の時と同じように、ベトナム戦争は日本に多大な経済的効果をもたらし、政策的には、70年に安保を自動延長させ、占領下の沖縄の基地や横田基地を始め、佐世保、横須賀港などを補給中継基地として提供しアメリカを支え続けてきました。
その見返りと言ってもいい、小笠原諸島と沖縄の返還が成立した後も、沖縄の米軍基地は、強化されたまま在り続けています。

ベトナム戦争で、世界中に嫌米気運が生まれ、拡がり、反戦運動も起りました。生々しい戦場のシーンが、テレビという媒体を通して、初めて世界中の茶の間にほぼリアルタイムで流さたことも大きかったし、いかなる理由があれ、戦争を絶対悪とする、戦後生まれの人たちの意識と世界観や価値観が、大きく影響していました。そして反戦運動の中心的役割を果たしたのも戦後生まれの人たちでした。
アメリカが唱える自由と民主主義という皮を被った正義を額面どおり受け取ることが、いかに愚かで、多大な犠牲を生むかを実感した戦争でもあったわけです。

◇冷戦の崩壊とアメリカの正義が向かう道―反テロリズム

東欧諸国で静かに起こり始めた「ビロード革命」は、ソ連の共産主義体制をも崩壊させます。
私たちは、ビロード革命の象徴的シーンをテレビ画面を通して見ています。東西ベルリン市民による「ベルリンの壁」の解体シーンです。
ビロード革命は、アメリカの正義がもたらしたものではなく、共産主義体制が生み出した、長年の独裁的権力による圧迫感と解消されるはずだった不平等が顕著化し、市民を動かした、いわば自己崩壊でした。共産主義国の一極集中した政治権力と複雑で機能性を著しく欠いた官僚機構の構造的欠陥は、計画経済を緩慢化させ、非生産性と低迷を生み出し、共産主義の矛盾にいっそう拍車がかかり、パンさえまともに買えなくなってしまった市民の危機感と怒りが、少しずつ大きくなり体制を緩やかに崩壊させました。彼らが求めたのは、自由と民主主義と民族の独立でした。
アメリカは、自由主義化し、ソ連やユーゴスラビア、チェコスロバキアから独立を果たそうとする民族に対して矛先を向けることはできません。このような旧東側諸国の流れから、ソ連の脅威は激減し、アメリカ国内では、軍事費を削減し、これ以上の軍事力の強化は止めて、冷戦時代に疲弊した経済に力を入れるべきだ。という意見が議会で生まれました。
しかし、アメリカは世界最強の軍事力を保持したまま、次の標的に向かって進みます。

第二次世界大戦のヨーロッパ戦線の英雄、後のアイゼンハワー大統領は、大統領退任演説でこう言い残します。
「アメリカの軍産複合体に気をつけろ。彼らをずっと注視していかなければいけない」
第二次大戦の将軍で、南ベトナムに軍事顧問団を送り続け、ベトナムへの軍事介入の露払いをしたタカ派の大統領が怖れるアメリカの軍産複合体。この存在を念頭に置かなければ、アメリカの現代史は、見えなくなってしまいます。

【軍産複合体】
アメリカ軍部、官僚(国防総省)私企業(軍需産業)、研究機関、大学と政府(一部)が軍事的、政治的、経済的に結び付いた勢力。
代表的な企業としては、ロッキード・マーティン社(戦闘機、軍用機、ミサイル、宇宙開発)グラマン(戦闘機、軍用機)、ボーイング(戦闘機、軍用機)、ベクテル(土木建設、空港整備、宇宙開発)ハリバートン(元チェイニー副大統領がCEOを務めていた。石油サービス、宇宙開発)MPRI(軍事訓練)などです。
*ブッシュ家は――ジョージ・ブッシュの曾祖父サミュエル――軍産複合体形成に重要な役割を果たしており、深い関係を維持したまま、二人の大統領を生みだしました。
二人の中東戦略を見れば、根底に何があったか一目瞭然ですね。

冷戦末期のレーガン大統領時代から、アメリカは、イラン、イラク、アフガニスタン、北朝鮮というあらゆる面で不安定な国に視線を向けます。80年にイラン革命を果たし、アメリカの傀儡パーレビ国王を追放したイラン。イランとの宗教対立、国境紛争が絶えないイラク。アフガンへのソ連の侵略。日米韓を恫喝し続ける北朝鮮。材料は揃っていました。
イラン革命が起こった80年、国境をめぐるイラン・イラク戦争が起こり、利害が一致した米ソは、イラクのサダム・フセインを支援しました。その一方でアメリカは、アフガニスタンに南下した対ソ政策として、ウサーマ・ビン・ラディンらに30億ドル供与し、テロリストとしての軍事訓練も行います。
82年対イラン政策でイラクのサダム・フセインに数十億ドルを支援します。
83年対イラク政策でイランに武器秘密供与します。
このようにアメリカによって強化されたイラクは、冷戦体制が崩壊して2年目の91年にクウェートに侵略し、これを叩こうとする、米英軍中心の多国連軍との間で、湾岸戦争が起こります。一方でウサーマ・ビン・ラディンらイスラム原理主義勢力は、アメリカに強化されながら広がり、テロリストグループ化していきます。
湾岸戦争終結後、今度はクリントン政権が、タリバン政権下のアフガンに2億4千万ドルを援助します。

こうした構図を見ると、アメリカは常に紛争を求めているのではないかと思ってしまいます。こうした状況をアメリカ国民は望んでいないし、望んでいるとすれば一部のエスタブリィッシュメントであり、彼らが形成し所属している軍産複合体です。

アメリカの軍需産業は、農業に次いで巨額の政府補助金を受け、優遇され、アメリカが軍事国家であることを浮き彫りにしています。
軍需産業の取引先は、その性格上他国家です。アメリカ製武器は世界各地の国家を取引相手とし売却され、購入国10位以内には、少し古いデータですが、エジプト、クウェート、サウジアラビア、オマーン、イスラエルといった中東5ヵ国が入っています。
この中でイスラエルは1976年以来、アメリカの経済的・軍事的援助の最大の受領国となり、毎年30億ドルの援助をアメリカから得ていて、それはアメリカの対外援助総額の5分の1を占めています。そのイスラエルは、アメリカからの経済援助の25%をその国防産業に投資し、イスラエルの労働力の5分の1は軍事関連の産業に雇用されています。また、イスラエルからイランへの武器売却額は毎年5億ドルから8億ドルでした。
中東は世界でもっとも武器を輸入している地域で1950年から1999年までの間、アメリカの武器売却先の38%が中東諸国でした。
2005年のアメリカの軍事費支出額は世界全体の48%、1兆1180億ドルです。

◇アメリカの正義の正体

こうした構図と流れから分かるのは、アメリカは不安定地域において紛争を求めている。紛争を起こす政策を実践し、その結果、莫大の利益を軍産複合体が得ているという事実です。
アイゼンアワーが大統領退任演説で危惧したことは、こうしたアメリカの戦略にあったのです。

中東への軍産複合体の戦略は、軍事産業の利益追求だけではなく、その上位に石油戦略があり、冷戦崩壊以降の「テロ撲滅」というもっともらしい政策は、軍産複合体にとって下位の政策に過ぎず、「イスラム原理主義者たちのテロ組織」は、いわば軍産複合体にとって必要なコマなのです。テロ組織が存在しなければ、軍産複合体の最大の利益を与えてくれる中東は、武器を買いません。また、強く攻撃的なイスラエルの存在なしに、イスラエルとその敵対国であるアラブ諸国は、武器を買ってくれません。
48年のイスラエル建国以来、イスラエルと周辺アラブ国と間で、大規模な戦争が4度起こっています。第一次中東戦争(48年)から、第4次中東戦争(73年)です。アメリカの武器売却が、中東諸国に集中しているひとつの理由です。
こうした実態は、中東だけでなく、世界の他の不安定地域である、中南米、アフリカ、そして北朝鮮が存在する日本を含む、極東地域においても存在するのです。

もうひとつ、アイゼンハワーの危惧は、こんなところにも表れています。
イラク戦争でアメリカが費やした軍事費は、7120億ドル(約65兆円:日本の一般会計の歳出予算約90兆円と比べるとその巨大さが分かります)という莫大な金額ですが、一方でアメリカは巨大赤字財政国家でもあるわけです。赤字財政を膨らませながら、なおこうした戦略をとり続けるのは、軍産複合体の利益が、最大視されているからなのか、と思わざるを得ません。穿った見方でしょうか?
さらにサダム・フセイン体制崩壊後の対イラク石油戦略ですが、随意契約、入札によって公式上最大の権益者になったのは中国で18%を占めます。その後を日本、マレーシアの国営、準国営企業が続き、入札権を得たこれらの国を含む7社のうち、落札したアメリカの企業は、エクソンモービルを含めた2社だけです。
つまり、公式上イラク戦争でアメリカが得たものは、軍産複合体の利益だけと言えます。
アメリカのロジックは不可解としか言いようがありません。

これまで書いてきたように、第二次大戦前のアメリカの正義は、全体主義国家に向けられました。大戦以降は、共産主義国家です。古くは北アメリカ大陸の先住民に向けられました。
そして、冷戦崩壊後、現在は「テロ組織」が存在する地域です。しかし、これはアメリカのスローガンに過ぎないのです。テロは撲滅しなければならない。これは正しいことです。しかしそのテロ組織を中東戦略に必要なコマとして作ってきたのもアメリカです。

アメリカのこうした世界戦略は広義に覇権主義と呼ばれたり、グローバル戦略とも言われます。
グローバル戦略という言い方は、聞こえはいいですが、軍産複合体のかつての中心人物、キッシンジャー元国務長官は、グローバル戦略を明確に「地球支配主義」という意味で言っています。
この地球支配主義という戦略の中で、日本を含めた世界中の国々が、翻弄され続けているのです。


                                   続く



アメリカの正義に翻弄される日本2~普天間基地移設問題から

2010年03月14日 | 日記
◇沖縄の消えることのない戦争の傷み

那覇空港から残波岬、ムーンビーチ、万座ビーチ、みゆきビーチなど東シナ海側のリゾート地へ向かう国道58号線は、リゾート地を通り抜け、名護市から北部のヤンバルの最北端まで同じように東シナ海の海岸線に沿って続いています。この道は、沖縄の人たちの重要な生活道路ですが、シーズンはリゾートロードに容貌を変え、本土からの観光客が乗るレンタカーで溢れます。
こうした一見平和そのものに見える道ですが、ベトナム戦争当時は、軍事物資を載せた日米の軍用トラックと米兵を乗せた移送用トラックが数珠つなぎだったそうです。

58号線を那覇から北に向かうと、やがて長く威圧的な冷たいコンクリートの高い壁が、道路に沿って現れます。米軍嘉手納基地です。
しばらくコンクリートの壁を見ながら走るとY字交差点があり、そこを右に少し進むとコンクリートの壁に階段が設置されている場所があります。
この階段を上ると、誰もが嘉手納基地を眺められる「安保の丘」と呼ばれる小さな公園みたいな場所があります。国際情勢によって金網が設置され(たとえば9.11の時)丘には入れなくなることもありますが、階段を登れば、金網越しに嘉手納基地が一望できます。(現在は、道路の反対側に「道の駅」ができて、2階から見渡すことができます)
僕は安保の丘に、これまで何度も立ちましたが、そこで脳裏に去来するのは、子供の頃テレビニュースで毎日のように報道されていた生々しいベトナム戦争の映像です。そして広大な嘉手納基地を見渡せるピンホールほどの「安保の丘」から、沖縄の人たちの苦悩を感じないわけにはいきません。

国道58号線が、軍用トラックで溢れていたのは、嘉手納基地からベトナムで無差別絨毯爆撃を繰り返す戦略爆撃機B52が、毎日のように飛び立ち、日米で準備した補給物資が運ばれ、ヤンバルのジャングルでは、米軍の平均年齢19歳の新兵たちが、ベトナムの熱帯ジャングルでの南ベトナム解放戦線と北ベトナム正規軍とのゲリラ戦を想定した訓練を行っていたからです。
そして平均19歳の彼らは、ヤンバルの密林での短い訓練の後、ベトナムの戦場へ向かい、休暇で帰って来るだけではなく、他の兵隊も含めて毎日平均30人が、ドライアイス入りのビニール製の黒い遺体袋に入って沖縄に無言で帰ってきました。
このように沖縄島全体が、様々な意味で、ベトナム戦争を遂行するアメリカにとって、もっとも重要な中継基地でした。

沖縄の人々にとっては、もっとも忌むべきものが、「戦争」であり「基地」です。沖縄の米軍基地はこれまで何度も書いてきましたが、日本国内にある米軍基地総面積の75%を現在でも占めています。
沖縄は太平洋戦争で、地形が変わるほど米軍の艦砲射撃を受け、さらに米軍に上陸され、各地で殺戮が起こり、県民の4人に1人が、二度と帰らぬ犠牲者になるという現実がありました。

沖縄の人たちは、戦争の言いようのない悲しみと苦しみを背負いながら、アメリカ統治の下で、サンフランシスコ講和条約以降も占領されたまま、さらに冷戦構造の中で、アメリカの正義の名の下に威圧的に強化された基地を背負わなければいけませんでした。72年の返還以降も、翌年アメリカがベトナムから撤退したにもかかわらず、「日米安保」によって維持され、冷戦構造が崩壊しても基地の体制は改善されることなく、今も背負い続けています。
その重圧は、不条理という言葉で表しきれるものではなく、沖縄の人達は、悲しく辛い過去を生き、基地がある限り何も変らない、苦渋に満ちた危険と不安感いっぱいの生活を強いられています。
基地がなくならない限り、沖縄の人たちの戦争とその後の占領がもたらした傷みは、消えることがなく、アメリカの正義に翻弄されたままの生活が続きます。

◇冷戦の激化とベトナムの悲劇

東西冷戦の始まりは、ヨーロッパではベルリンの統治をめぐる米ソの争いの中で、48年にソ連がベルリンを封鎖してしまうという、いわゆる「ベルリン封鎖」が行われ、緊張感が生まれます。
ベルリン封鎖は、やがてベルリンという都市を東西に分割する「ベルリンの壁」が、設けられるようになります。これが決定的になり、それまで比較的自由に往来することができた、ベルリン市民は、物理的にも政治的にも、ベルリンの壁によって、往来不可能になりました。61年のことです。この時は「第3次世界大戦勃発か」と言われるくらいの緊張感が生まれました。これが「ベルリン危機」です。

一方、アメリカの隣国と言っていいキューバは、59年にカストロらによって、革命を成功させ共産主義国となり、それまでキューバの経済を支配していたアメリカの利権がそっくり国有化されます。これを崩そうとしたアメリカ大統領ケネディは、CIAに工作させたピッグス湾事件を起こし(失敗に終わる)自国の周辺でも緊張感を高めます。
キューバで生まれた緊張感は、ソ連とキューバに強行作戦を取らせ、62年に核を搭載したミサイルが、キューバに運ばれるという、これも「第三次世界大戦、それも核戦争になるのではないか」と世界中を緊張させます。これが「キューバ危機」です。結果的には、ケネディとフルシチョフソ連首相との親愛的とも言える理解が交わされた「往復書簡」によって危機を脱しますが、部分的な緩和であり、世界中に走った緊張感は、冷静構造をより深刻化させました。

大戦終了からこの間、ヨーロッパでは、ナチスドイツの支配を受けていた、東ヨーロッパの国々が、大戦中のソ連の解放によって、次々と共産化していき、東アジアでは、中国が共産化し、朝鮮半島は、ソ連と中国がバックアップした金日成率いる共産主義勢力が、次第に勢力を伸ばし、やがて朝鮮戦争が始まり(50年)激戦の末。38度線をもって、民族と国が分割されます。
東南アジアでは、植民地時代の宗主国と争った日本の敗戦によって、再び旧宗主国の野心が向けられました。(よく東南アジアは日本軍によって解放されたという主張を聞きますが、これは全くの誤りで、日本はヨーロッパの宗主国を追い出し、自国の植民地にしたに過ぎません)

特にベトナムでは、日本の敗戦で、ホー・チ・ミンらの共産勢力が、息を吹き返し、べトナムの全土の共産化と平和的独立を図り、45年に「ベトナム民主共和国」をハノイで宣言します。
こうした動きは、東ヨーロッパでも、東アジアでも、東南アジアでも「共産主義化」というひと言では表せない、長年大国によって支配され、搾取され続けてきた、不条理極まりない体制からの民族独立という、「正統なナショナリズム」が下地に流れ強い色彩を放っていました。
しかし、こうした正統なナショナリズムに対しても、アメリカの正義は、強烈な反共産主義から正統なナショナリズムを排除し、名目を反共産主義だけに向けて、共産化を防ごうとしました。
その象徴が、ベトナム戦争です。本来は、ベトナムの国内問題に過ぎませんでした。内紛が起こったとしても、他国が片方に兵力を向けることなど許せないことです。

アメリカの介入をもたらすまでに複雑にしたのは、旧宗主国フランスの介入です。フランスは旧植民地ベトナムを日本の敗戦によって、46年に再び手に入れようと「ベトナム国」という傀儡政権を作ります。それを正当化するためにラオス、カンボジアでも傀儡政権を作り形式的に独立させます。
こうしたフランスの動きに、平和と民族独立を果たそうとするホー・チ・ミンらは、当然抵抗します。交渉も崩れ戦争が勃発します。これがいわゆる「インドシナ戦争」です。
やがて、ホー・チ・ミンらの北の勢力に、ソ連と共産化したばかりの中国がバックアップを始めます。アメリカも傀儡政権とフランス軍をバックアップします。第二次世界大戦で疲弊したフランスに戦えるだけの力はなく、アメリカの支援が必要でした。共産主義化を怖れるアメリカも支援しなければいけなかったのです。こうして東西ニ大国の代理戦争の色彩を強めていきます。
また、ベトナム国内は、必ずしも二つに分かれたわけではなく、共産主義を受け入れない人たちも、民族独立の悲願を背負って、フランス軍と戦いました。共産主義勢力と民族独立派がひとつになった、ベトミンです。(ベトナム独立同盟―ベトミンには、旧日本軍の志願兵約600人が加わり、ベトナム独立のために一緒に戦いました)ベトミンは、ディエン・ビエン・フーの戦いで、完全にフランスを制圧し、国内から駆逐しました。54年のことです。

こうして大戦後、10年近くに及んだインドシナ戦争に終止符が打たれ、ジュネーブでフランスとベトナム民主共和国の間で和平交渉が行われ、暫定的措置として17度線で二つに国を分け、2年後の総選挙によってその後を委ねるという和平案が、ジュネーブ協定として締結されました。
しかし、予定される56年の総選挙では、共産勢力のベトナム民主共和国のホー・チ・ミンが圧勝されることが予想され、共産主義を受け入れないベトミンの一部勢力は、ベトミンから離れました。
またベトナム全土の共産化を怖れたアメリカは、ジュネーブ協定に意図的に参加せず、17度線以南にベトナム国を存続させ、和平に達して生まれたベトナムの総選挙の意味を戦略的に葬ったのです。

ここに朝鮮半島と同じ構図を生みだしました。(朝鮮戦争は53年終結)
同じ民族が、他国の政治的、国際戦略的意図によって分断されるという悲劇です。南北分断という悲劇。そして朝鮮半島と異なるのは、さらに激しい戦いが、その後ベトナム国内で行われたという事実です。
ここでも、アイゼンハワー大統領と時のCIA長官、ジョン・フォスター・ダレスによって提唱された「ドミノ理論」が生かされ、外交政治学者ジョージ・F・ケナンの論文「共産主義の膨張化を防ぐ封じ込め政策」が、実践されたのです。アメリカの正義によって。

ベトナムへの介入が進められたのは、60年からです。本格的な軍事的介入は、アメリカが仕組んだトンキン湾事件が勃発した64年からになります。
ここまで書いてきたように、60年前後は、大戦後の冷戦構造に派生した緊張感が高まり続け、一気に現象化した時期です。
こうした緊張感が、日本では「日米安全保障条約」延長の調印に現れています。
そして、極東と日本の安全保障を守るという名目の日米安保と、アメリカの東南アジア政策、ベトナムへの軍事的介入という、いずれも反共産主義に根差したアメリカの正義からの二つの要請が、重く厳しく沖縄に降りかかってきたのです。
60年という年は、日本にとって、沖縄にとってその後の情勢を決定づける命運が降りかかった年でもあるのです。

果たして、アメリカの正義は、正しいのか。自由と民主主義のためなのか……
そしてどこへ向かっていくのか。日本は翻弄され続けるのか……


                                      続く

アメリカの正義に翻弄される日本1~普天間基地移設問題から

2010年03月10日 | 日記
1月17日から、それまでの日記欄に書いた内容と著しく異なる政治的な問題を取り上げ書いてきましたが、すでに2ヶ月近くになり、今回で21篇になります。これまでも単発的に書いたことはあるけれど、これほど連載したことはなく、昨年の夏から秋には。甘い恋愛小説をアップしていた時期もあり、それを知っているマイミクさんは「いったいどうしてしまったC-moonさん!?」と思っていると推察しますが、その辺のところは「ココロのままに」ということです。

僕の場合、内容に日記的な要素はなく、下手なエッセイが中心で、書くにあたってみなさんの反応を気にしながら、コメントの有無、数を気にしながら書いていたこともあったけれど、年が明けてすっかりそんな気持ちが、あるマイミクさんからいただいたメッセージでなくなり、「ココロのままに」書けるようになり、板に着いてきた今日この頃です。
その時マイミクさんからいただいた言葉が「好きなものは好き、ココロのままに」です。

少し低迷期気味で迷い多かった心の状態だったので、凍りついた湖の氷が春の陽光で融けだしていくような優しい解凍感を覚えました。
ありがとう……Dちゃん。

政治記事はいただくコメントは少ないけれど、その内容はから、熱く真摯なものを感じます。
以心伝心というか、意思疎通というか、能動的な想いは伝わるものだな……と感謝しています。
さらに、僕のつたない記事を好意的に評価してくださるマイミクさんが、ご自分のブログに僕の記事を掲載していただいたり、ある勉強会の資料として使っていただいたり、あるマイミクさんは、プリンターでコピーし、ご友人に配布していただいたり……
また、友人をmixiに強引と言ってもいいのでしょうか、登録させ、いちばん最初に僕の記事を読んでいただいたというメッセージも届きました。
ご自分の日記欄に僕の記事のURLを貼り付け、ご紹介していただいた方、引用していただいた方、全文貼り付けていただいた方も複数人いらっしゃいます。
何と言っていいのでしょう、気の利いた感謝の言葉もなく、ただ心から感謝です。
また、毎回コメントをいただく方、多忙な中コメントを書いてくださる方、読んでくださる方へも同じ気持ちです。心から感謝いたします。

みなさんは、僕のとても大切なマイミクさんです。
そして、こうした長くてややこしい記事を連載している中で、マイミクリクエストをいただき、マイミクさんが増えている現象……この上なくありがたく、お気持ちを受け取らせていただいています。
どうぞ、これからもよろしくお願いいたします。

そんな、みなさんのご好意と励ましに応えるべく、今夜も「ココロのままに」


《アメリカの正義に翻弄される日本~普天間基地移設問題から(2)》

◇アメリカの正義―自由と民主主義》

「正義」というものを考えた場合、「世界と人類が有する根源的な正義」を除く、たとえば政治的正義、国際関係の中での正義は、状況によって移り変わるものですね。
アメリカの正義は、独立戦争の時宣言された「独立宣言」の中に見られる、 “不可侵・不可譲の自然権として「生命、自由、幸福の追求」”を礎とし、合衆国憲法の前文――『われら合衆国の人民は、より完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に備え、一般の福祉を増進し、われらとわれらの子孫のうえに自由のもたらす恵沢を確保する目的をもって、アメリカ合衆国のために、この憲法を制定する』――ここに具現化し、条文化されていきます。

◇アメリカの正義―反ファシズム

このようにアメリカ型の「自由と民主主義」が、修正されながら形成されるわけですが、「アメリカの自由と民主主義」は、それはそのままアメリカの正義で、アメリカの正義と敵対するものは、第二次世界大戦前は「ファシズム」でした。アメリカは正義のためにこれを叩きます。

ファシズムを国家の根本とした、いわゆる「日独伊の枢軸国」と米英仏ソ中を中心とした連合軍の戦いが、第二次世界大戦です。
日本は、アメリカの正義の前に崩壊し、占領され、アメリカは勝者として日本を裁き、かつアメリカ型の民主主義が、アメリカ流儀の使命感によって導かれていきます。
その最大のテーマは「軍事力の永久放棄と民主化」です。

この民主化は、当時の共産国ソ連もびっくりするほどの改革的なもので、それを成し遂げたのは、必ずしも自国で完成しなかったニューディール政策に取り組んだ、アメリカのニューディーラーたちによります。
占領軍(以下GHQ)の中には、ニューディーラーたちが、日本を改革すべく準備され、超タカ派のGHQ総司令官、D・マッカーサーは、ソ連もびっくりするほどの社会主義的な改革を「白人が導き与えるもの」として許容したのですね。
しかしその程度の意識だから、簡単に変更を余儀なくされ、日本は翻弄します。

◇アメリカの正義―反共産主義

大戦後のアメリカの正義は、ソ連を核に膨張する共産主義に向けられます。「自由と民主主義」に敵対するものとして。アメリカの正義に敵対するものとして。
こうした状況の中で「ドミノ理論」が生まれ、中国の共産化が、「封じ込め政策」を決定づけ、日本はいわゆる「逆コース」の道を、余儀なくされます。

逆コースとは「反共を盾にした、軍事化」です。日本は東アジアの対岸の共産化をこれ以上広げないために、まさに「橋頭保」としての役割を求められのです。
この逆コースの中で、アメリカが必要とした人たちがいます。巣鴨プリズンにA級戦犯容疑者として拘置されていた、岸信介、児玉誉士夫、笹川良一、正力松太郎たちです。彼らに共通するのは反共的な思想を持つ超国家主義です。そして彼らは、アメリカの正義―「反共産主義」―のためにそれぞれ役割を与えられました。彼らの役割を書く前に役割として期待された要素を解りやすくするために、要素が伺える経歴を書きます。

岸、児玉、笹川に共通するのは、中国大陸でした。岸は商工省(当時)幹部官僚として、当時の日本の占領地、満州国(中国東北部)の事実上の統治機関「満州国国務院」で重要なポストに就きます。
笹川は、満州国で傀儡政府の要人たちと手を結び暗躍します。
児玉は、一時笹川の組織に加わり、笹川の紹介で、日本国海軍航空本部の嘱託となり、ライバルを暗殺したり、排除しながら軍事物資調達機関として闇の世界で巨大化していきます。これがいわゆる「児玉機関」で上海に勢力を伸ばすようになります。児玉が航空機関係に強く、戦後アメリカのロッキード社の代理人になり、ロッキード事件発覚まで、その威力を自衛隊関係と民間航空関係で発揮していたのは、こうした経緯があったからです。
正力は警察官僚で、関東大震災の時「朝鮮人の暴動」を流布したことで知られ、現職警察官の時は、数々の暴動鎮圧で名をはせていました。ある事件で官僚を免職されてからは、貴族院議員なども務めます。その間、読売新聞社を買収し経営に加わります。

彼らは出所後、形ばかりの公職追放を受けた後、役割を担うべく活動します。それぞれの役割とは、GHQに期待されるもので、当然CIAも関与し、CIAの期待を担うものでなくてはなりません。
岸は満州国と東条内閣で培った政治力と、満州国と軍部の表面化できない膨大な情報を、アメリカ(占領軍とCIA)と共有することで反共政治家として、政党(民主党―現在の民主党ともちろん異なります)を興します。
やがて総理大臣の地位に着き、朝鮮戦争勃発の50年に調印された「日米安全保障条約」の効力発生を約束する「日米安保延長」を、多数の学生、労働者、社会党などからの大反対運動の嵐の中で、60年に調印します。
この「日米安全保障条約」(以下日米安保)こそ、反共というアメリカの正義の東アジアでの礎でありシンボルです。
日米安保調印と同年に橋頭保の向こう側で、朝鮮戦争が起こり、東アジアの反共の礎として”日本の再軍備(自衛隊の創設)と米軍基地の常設と米軍の常駐”は、アメリカにとって緊急課題となり、再軍備と米軍の駐留、基地の常設の正当化に、状況証拠だけではなく、法律的意味合いを持たせ絶対化させる必要がありました。それが条約化されたのが「日米安保」です。
日米安保は、国連憲章を貶めるものではありませんでしたが、日本国憲法第9条を損うものでした。

◇日本国憲法第9条
*日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

*前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

日米安保は、アメリカの正義―反共産主義ともう片方の国際勢力であるソ連を中心とした反資本主義が生み出した冷戦構造の中で、正当化され、憲法9条に拡大解釈が与えれることで可能となり、その後東アジアと日本の防衛、安全保障の基本となる揺らぎない地位を築いていきました。

60年安保(10年毎に更新)に調印した岸信介や、それに連なる政治家を資金的にバックアッしてきたのが、児玉と笹川です。児玉と笹川は、中国大陸での暗躍、軍部との協力体制の中で、巨万の資金を作り上げていきます。それは、軍部からの資金を利用して得た物資はもちろん、中国大陸や朝鮮半島で不当に得た物資を――直接的にではないにせよ略奪した物資、貴金属、文化財、美術品など――貨幣と有利に交換できるダイヤや金などにして手にしたまま敗戦を迎えます。
これらの物資は、表面化されることなく闇に存在する、戦後日本で言われるところの「隠匿物資」です。隠匿物資は、日本政府も持っていましたが、こうした政商たちも持っていたのです。

そしてGHQの占領で弱体化した「検察」の強権復活の嘆願を受け入れ、占領政策の一環として、隠匿物資の調査、確保するため組織として生まれたのが、現在の東京地検特捜部と大阪地検特捜部です。(その後、名古屋地検にも特捜部が生まれる)
押収した隠匿物資は、GHQに流れ、軍の資産、資金として流用されます。美術工芸品などは、個人資産としてそのままアメリカに運ばれた疑いも持たれています。
しかし、児玉や笹川が隠匿した資産は、押収されなかった。
これはGHQとの一種の取引でしょう。「密約」という奴です。岸も同じですね。

当時の地検特捜部と検察は、GHQのために活動した、きわめてアメリカの影響、特に軍部とGHQの影響が濃縮されている組織です。そうした傾向は、現在でも続き、検察の幹部となる人間は、アメリカの日本大使館勤務などを経験する傾向にあります。

そして、彼らの隠匿物資は、戦後の日本の政界、保守政党の資金として流れ続け、反共を強化させながら、55年の保守合同を可能にしました。吉田茂率いる自由党と岸信介、鳩山一郎率いる民主党が合併し「自由民主党」にとして進化します。同時に親米、反共も深化します。この時生まれた体制がいわゆる「55年体制」で、対立する革新政党として、右派と左派に分かれていた社会党も日本社会党として再統一されました。
彼らの資金は、自民党になってからも流れ続けています。笹川の資金の流れは広く、自民党から共産党にも及んでいたと言われています。
また、児玉に至っては、資金だけではなく、右翼のこわもてからやくざ、チンピラまで提供し、60年安保の嵐の中で、左翼勢力の学生、労働者の運動に暴力的妨害行為を加えさせていました。

もうひとりの反共的に人物の正力は、出所後、読売新聞社の経営に加わり、日本テレビ網株式会社を興し社長になり、読売グループのトップとして君臨します。
同時に岸らの民主党から国会議員となり、鳩山一郎内閣と岸内閣で閣僚を経験しています。
彼の役割は、岸のもうひとつの役割と同じ、CIAのエージェントです。岸は政治家としてのCIAエージェントの役割を果たし、正力は、メディアを使った反共、親米的な考え方の洗脳を国民に行っていきます。
「トンデモ論」と思われるかもしれませんが、正力については、アメリカ側の公式文書によってCIAのエージェントだったということが、明らかになっているようです。

彼らの共通点である、反共思想とその活動は、このようにリンクしながら、政界、財界、社会で実態化し、アメリカの正義の日本での最大の協力者として、協力者ぶりをそれほど多くの人に知られることなく、戦後日本の地下水脈を流れる大きな系譜として在り続けてきました。

その反共ぶりを示す事実として、岸、児玉、笹川は、統一教会の文鮮明と深い繋がりを持ち、統一教会の組織である、共勝連合設立の際に、岸と児玉は、物心両面で支援しています。
岸の孫である安倍晋三が、統一教会の式典に祝電を打ったりするのは、この時からの繋がりが考えられ、現在も続いているのではないか……と言われています。

アメリカが日本に強いた正義の「逆コース」は、このような人たちのフィクサー的な手腕とその勢力によって整えられ、強化されてきたのです。
そして、冷戦構造が生み出した、「逆コース」の中で、沖縄の在米軍基地は、なくてはならない存在になり、やがて始まるアメリカの正義の威信をかけた戦争である、ベトナム戦争が激化する中で、最大の意味を持つ中継基地としてより強化されたのです。
同時に沖縄の人々の苦悩も深化し、翻弄されていくのです。

                                 続く



記者クラブメディアには載らない海外からの論文~普天間基地移設問題から

2010年03月08日 | 日記
今、普天間基地移設問題で、日米間で大きく揺れています。鳩山政権が揺れているだけではなく、アメリカも焦っている様子が、記者クラブメディア以外からの報道で明らかになっています。
国内では移設先が問題となり、5月末までに決着が着けられなかった場合の鳩山総理の責任が、自民党と記者クラブメディアで問われ、この二点だけが大きく報道されています。

こうした中で私たちは、普天間基地移設問題を一体どれほどを知っているのか。
これまでの報道の中から、どれくらいの事実を掴み、全体像を描き注目しているのか考えないと、今後の日米関係、在日米軍基地問題で、どんどん間違った方向に進んでいくのではないかと危惧する今日この頃です。
残念ながら、日本の記者クラブメディアは正確な情報、事実を公平、中立的に伝えようとしません。これまでも小出しに報道されてきましたが、全体像が描けるほど伝えてはきませんでした。

今夜は、全体像が描ける海外からの論文を紹介します。すでに昨年、The Asia-Pacific-Journalという海外紙で掲載されたものです。
和訳全文を掲載しました。長いですが論文だけでも読んでいただけると幸いです。非常に問題点が浮き彫りにされた優れた論文だと思います。

なおこの論文の所在は、ツイッターのフォロワーの方が、伝えてくれました。フォロワーは、mixiで言えば、マイミクさんみたいなものでしょうか。彼は、ひじょうに明晰なブロがーであって、ツイッターでもよく紹介されています。お時間のある方はぜひご覧になってください。

◇『湘南の片田舎から』http://ootw-corner.asablo.jp/blog/

◇こちらが論文掲載HPhttp://japanfocus.org/-Gavan-McCormack/3250

【参考】
◇いわゆる「グァム協定」
外務省HP http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/treaty/pdfs/shomei_43.pdf

◇「日米同盟」
外務省HP http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/usa/hosho/henkaku_saihen.html


《オバマ対鳩山: 不平等で、違憲で、違法で、植民地的で、虚偽的な米日協定の素性》
Gavan McCormack
2009年11月14日
The Asia Pacific Journal: Japan Focus

8月末の選挙で、日本に、鳩山由紀夫が率いる新政府が生まれた。彼と日本民主党(民主党)を選ぶにあたって、日本の国民は、一年もしない過去のアメリカ人たちの様に、アジアとアメリカ両方との新しい関係、特に後者とは、ずっと平等なチェンジを求めて、選んでいたのだ。ところが、注目すべきは、オバマ政権側で行われたのは、そうしたいかなる変化も阻止しようと、プレッシャーを容赦なくかけるキャンペーンだったことだ。
オバマ政権は、特に、従属ではなく、平等にするため、アメリカ合州国との関係を再交渉したいという鳩山の願望を標的にしてきた。服従が保証されており、毎年のアメリカ政策の処方箋(“改革要望書”) が、絶対的権威のある言葉として東京で受け入れられていた“小泉上級曹長”(ジョージ・W・ブッシュは、日本の首相をこう呼んでいたと言われている)の絶頂期に帰れ、と言っているかのように見える。独立した政策などという、馬鹿げた野望など忘れろ、と。
核心問題は、アメリカ軍の沖縄駐留の決着であり、鳩山首相はグアム協定として知られている協定を履行しろというアメリカの固執だ。

◇グアム協定

“グアム国際協定”というのは、2月に、ヒラリー・クリントン国務長官と日本の中曽根博文外務大臣が署名し、オバマ政権初期の2009年5月、特別法の下で、協定として採択された米日協定だ。
日本における麻生政府への支持は急落しており、後継のオバマ政権は、アメリカの計画を、後に続くあらゆる日本政府をしっかりと拘束できるような形の公式合意とすべく、素早く動いた。
8,000人の海兵隊とその家族9,000人は、沖縄から、グアムへと、再配置され、普天間のアメリカ海兵隊基地は沖縄北部、名護市の辺野古に移転され、新基地が日本によって建設されるべきこととなっている。

日本政府は、更にグアムへの移転費用として60.9億ドル(そのうち28億ドルは現金で、現行予算年度内に)支払うのだ。[1] 沖縄での効果は、アメリカ軍は人口稠密な南部にある大規模基地のいくつかを明け渡すが、それを沖縄島北部に集中させ、拡張するということだ。

これらの事柄(詳細な財政関係条項を除いて)は全て、2005年10月、約4年前、小泉の下で結ばれた先の「日米同盟: 未来のための変革と再編」協定によって解決済みで、2006年5月「再編実施のための日米のロードマップ」によって再確認されている。 [2] 今や、遵守を強いるため、新協定第3項は、例え両者が、揺るぎない沖縄県民の反対に直面して、それが可能だという希望を事実上あきらめても、「日本国政府は、アメリカ合衆国政府との緊密な協力により、ロードマップに記載された普天間飛行場の代替施設を完成する意図を有する。[すなわち2014年迄に]」のだとうたっている。 [3]
協定は、アメリカ政権による評判の“改革”の最初の行動の一つであり、半世紀にわたる自民党支配の後、致命的な衰退状態にある日本の政権による、最後の行動の一つだった。この協定は、世界第1位と2位の経済大国間関係の中で、異常に際立って見える。この協定は、以下で検討するように、不平等で、違憲で、違法で、植民地的で、虚偽的なものゆえに、周到に調べる価値がある。

◇不平等

第一に、用語の典型的な意味からして、“不平等条約”だ。日本政府は、これを拘束力のある協定として解釈しているが、アメリカにとっては、議会の承認がない、単なる“行政協定”だ。[4]
協定で、日本は、沖縄にアメリカ用の一つの新基地総合施設を建設し、費用を支払い、グアムにもう一つの基地を建設する為に、かなり莫大な金額を負担する義務を負うが、アメリカ側は、撤退する兵士の人数(曖昧さについては下記参照)について、漠然とした約束をしているに過ぎない。日本を拘束しながらも、アメリカを拘束してはいないのだ(アメリカは、第8条の下で、随意に変更する権利を保有してさえいる)。[5]
更に、グアム協定は、アメリカ法に違反している可能性もある: 歳入を増大させる手段として(60億ドルの金額が、日本によって支払われると規定している)、議会による承認が必要なのだが、大統領の執行権限だけによるものにすぎない。一方の側だけを拘束する協定は、その定義からして、不平等条約だ。

◇違憲

二番目に、協定は違憲だ。憲法第95条の下、「一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会は、これを制定することができない。」
グアム協定は、明らかに、沖縄という単一の県にのみ適用される特別法であるにもかかわらず、沖縄県民と相談するという試みが全くなされていないのみならず、衆議院は非道にも沖縄県民の周知の願いを踏みにじったのだ。
更に、協定を衆議院で押し通すために、麻生政府は、半世紀以上も使われていなかった、衆議院で可決し、参議院でこれと異なつた議決をした法律案は、衆議院で出席議員の三分の二以上の多数で再び可決したときは、法律となる、という特別な憲法(59条の)手順の効力を利用した。
麻生が、2009年5月13日に、衆議院で法案を通したのは、参議院を二の次にし、実質的に無効にしており、ある種憲法上のクーデターだった[6]
テロ特別措置法案を含む10の主要法案も、ワシントンにとって重要なあらゆる法律も含めて、麻生在任9カ月間で大半の立法実績は、ワシントンにとっては喜ばしかろうが、全く同じ理由から、憲法上の正当性は疑わしい。

◇違法

三番目に、グアム協定は日本の法律に違反している。協定は、国内法に優先するため、日本の環境保護法規の要求を格下げし、事実上、無効にする効果も持っている。
本格的で、国際的に信ぴょう性のある環境影響評価(EIA)であれば、大規模軍事建設プロジェクトは、大浦湾地域の繊細な珊瑚と森林環境とは両立しないと結論を必ず出すだろう。ところが、日本のEIAは、単なる形式的手続きであるのが当然のこととされており、協定は、手順を更に弱体化させた。
更に、衆議院とオバマ政権は、ペンタゴンを含む被告に対する訴訟を裁判官が審問している、サンフランシスコ連邦裁判所から発せられるであろう、あらゆる命令に、先手を打っている。裁判官は、既に、辺野古建設プロジェクトに関して、文化財保護法によって必要とされている保全対策を採るよう、ペンタゴンに命じており、日本政府にも同じことを要求している。[7]
沖縄大学学長で、環境アセスメント法専門家の桜井国俊は、2005年以来、日本政府が、普天間飛行場代替施設を実現しようとしてきたやり方は、環境アセスメント法規に違反していると主張している。従って、プロセスは再開されるべきなのだ。本格的で、国際的に信ぴょう性のあるEIA名あれば、普天間飛行場代替施設を、辺野古に建設することはできないと判断をするはずだと、彼は結論づけている。[8]
もしも桜井学長が正しければ、日本政府のEIAには、致命的に欠陥があり、国際的に信ぴょう性のある、独立の科学調査が実行されるべきなのだ。

◇植民地的

四番目に、協定は植民地的だ。アメリカは、2005-6年の協定後に、進捗がないことに、益々いらだって、日本が何をすべきかを、有無を言わせずに規定した。
2007年11月、ロバート・ゲーツ国防長官は、日本に、インド洋での海軍基地を再開し(当時、論争のまとであった)、アメリカ基地を受け入れるための支払いを維持し、増加し、国防予算を増大し、必要性が生じ次第、自衛隊を海外派兵することを許可する恒久法を通せと指示した。これは、本質的に、その年早々に刊行された、2020年までの米日同盟に関するアーミテージ-ナイ報告の立場だ。[9]
アーミテージ、ゲーツや他のアメリカ人高官たちは通常、何事も日本の主権政府次第だ、という敬けんな心持ちを付け加える。とは言え、「日本は所定の課題をこなさない限り、安全保障理事会の常任理事国への立候補に対し、アメリカの支持を期待することはできない」と、ゲーツ国防長官が露骨に語った時のように、時として彼等は、不服従の結果を、日本に対して詳細に説明することがある。[10]
国防副次官として、ロードマップへと至った交渉を率いた、リチャード・ローレスは、2008年5月、朝日新聞に、同盟が漂流していると語った。
「我々に本当に必要なのは、全ての協定を時間通りに行うよう最貢献しよう。予算をつけることが、国家の最優先事項であることをはっきりさせよう、と言えるトップ・ダウンのリーダーシップだ。… 日本は、この同盟の意思決定、配備、統合と、それを運用可能にするテンポを変える方法を見いださなければならない[原文のまま]。」 [11]
彼は“自己疎外”と、「日本の撤退症候群が、同盟がサブプライムの方向に向かって格下げされるのを許している。」と、日本を酷評した。[12]
この圧力の下、2008年中と、2009年の初期、麻生首相は、身を入れて、権力にしがみついていたように見える。同盟を“運用可能にするために”ワシントンが要求していた“トップダウン”措置を採用して、ワシントンに最後のご奉公をしようというのが、少なくとも理由の一つではあったろう。まさに麻生首相への支持が、事実上回復の見込み皆無のまま、20パーセント以下に低下してしまったので、自由民主党(自民党)が、小泉が獲得した衆議院での多数派を享受している間に、これを実行する必要があったのだ。
その植民地主義的な性格に沿って、疑いもなく、日本の政治過程への介入する特権があると当然のように思い込んだオバマ政権は、当時野党だった日本民主党(民主党)に向かって、船首前方への威嚇射撃をしていた。グアム協定を、日本に押しつけるべく、政権初期に、ヒラリー・クリントンを、押しつけ役として、東京に派遣したオバマ政権は、ブッシュ外交の決定的な特徴を継続していた。家父長的、干渉主義、反民主主義的、地域的、あるいは国連中心の外交政策のような、独立しようとする日本のいかなる模索に対する不寛容だ。
クリントン国務長官は協定への満足を語った。「信頼のおける国家は、結ばれた協定を守るものだと考えているが、私が今日、中曽根外務大臣と署名した協定は、誰が権力を握っているかとは無関係に、我々二国間のものだ。」 [13]
彼女が言いたかったことはこうだ。民主党の皆さん方は、物事の重要性を理解すべきなのだ。
植民地政策の特徴上“原住民”は、導くべき対象であって、相談すべき相手ではない為、グアム協定に至った検討において、沖縄県民の事を考えるのは常に不適切なのだった。

◇虚偽的

五番目に、協定は、日本で“ゴマカシ”として知られているもの、つまり道義や相互性という美辞麗句をまとった策略と欺瞞を、特徴としているのだ。他国の軍事基地を建設するのに、主権国家が金を払った前例など皆無だ。そこで、日本政府は論議を最小化し、嘘に依存するしかなかったのだ。
「第二次世界大戦後のアメリカ軍の沖縄駐留負担を軽減する」事を狙った“撤退”で、アメリカが日本に譲歩したと報じられてはいるが[14] 実際は、全く別物だ。
アメリカ領土のグアムにおけるアメリカ軍施設建設の為に、法外な金額を支払わせ、不便で、危険で、陳腐化した普天間施設の代わりに、辺野古に新規の、ハイテクの、大幅に拡張した基地を作らせて、同盟に対する日本の負担を増やすことを狙ったものなのだ。
協定は、ごまかしに満ちている。協定は「8,000人の海兵隊員を、沖縄からグアムに」撤退させると規定しており、日本政府は、これは沖縄の基地負担を軽減する鍵だと主張しているが、2009年初め衆議院での質問で、実際に沖縄に駐留している海兵隊員は、わずか12,461人であることが明らかになり、日本政府が、10,000人は、抑止力として必要なのだと主張している為、撤退するのは実際には3,000人以下ということになる。[15]
サンフランシスコの裁判所での、絶滅危惧種のジュゴンを代表した訴訟審問の中で、初めて、いわゆる“普天間飛行場代替施設”には、長さ214メートルの埠頭もあることが暴露された。日本政府は、普天間施設は、原子力潜水艦が停泊できる、深い大浦湾の港も追加して、拡張予定であることに触れようとは思い至らなかった。
麻生政府最後の行動の一つが、アメリカが、いかなる詳細費用見積もりもまだ提出せず、まして、資金予算を充当もしない前の、2010年財政年度のグアム建設費用資金貢献として、340億円、3億6300万ドルの引き渡しだった。
数ヶ月後、アメリカ議会は、同年ペンタゴンが要求した歳出予算を、3億ドルから、8900万ドルへと、70パーセントも削減した。日本負担のおよそ四分の一だ。[16] アメリカの財政困難が余りに悲惨なため、議会がこれ以上を承認するかどうかは、確実と言うには程遠い。
グアム協定で、アメリカ側は金を決められた通りに使うという約束にはなっているものの、日本には支出を監督する権利はない。ペンタゴンがその資金を手に入れてしまった後は、基地の作業が進もうが、進むまいが、日本が、その金を返金して貰える可能性は極めて低かろう。しかも、グアム海兵隊用の住宅は一軒7000万円(一軒75万ドルもあれば、きわめて豪勢な邸宅を建てるのに十分だ。言い方を変えれば、これはグアムでの住宅建築相場の約14倍だ。
衆議院議員の一人はこう抗議している。万一、実際にアメリカ議会が、グアム計画に資金を付けないと決定した場合、一体どうなるのか? 日本は、その金を返してもらえるのだろうか? [17]

【注】
[1] “Agreement between the Government of Japan and the Government of the United States of America concerning the Implementation of the Relocation of III Marine Expeditionary Force Personnel and their Dependents from Okinawa to Guam,”
2009年2月17日 東京、英文Link、日本語訳は「第三海兵機動展開部隊の要員及びその家族の沖縄からグアムへの移転の実施に関する日本国政府とアメリカ合衆国政府との間の協定」について(略称:在沖縄海兵隊のグアム移転に係る協定)、日本語訳リンク

[2] 詳細は著書を参照。属国: 米国の抱擁とアジアでの孤立、新田準訳、凱風社刊、2008、原書はClient State: Japan in the American Embrace, London and New York, Verso, 2007.

[3] アメリカ太平洋軍司令部司令官ティモシー・キーティング海軍大将は、2008年11月のニューヨークでの記者会見で、ロードマップの2014という目標、“あるいは、2015年にすら” 実現できまいと自分は考えていると語った。“オバマ と日本 – 普天間移転、喫緊の課題” 読売新聞、2008年11月20日。

[4] 衆議院における、 照屋寛徳議員に対する麻生首相答弁、2009年3月5日。リンク

[5] 佐藤学、"オバマ 政権のアメリカ" in 宮里政玄、新崎盛暉、我部政明、沖縄「自立」への道を求めて、東京、高文研、2009、pp. 83-94

[6] これは、1947年と1957年の間に、 28の法案を通過させるのに、26回使われ、麻生が、10の法案を8回強行採決させるために使って、2008年に復活させるまでは使われていなかった。 (神保太郎、“メディア批評” (20)、世界、2009年八月号 、pp. 92-99、p. 92中)。

[7] 詳細は、Yoshikawa Hideki, “Dugong Swimming in Uncharted Waters: US Judicial Intervention to Protect Okinawa's "Natural Monument” and Halt Base Construction”を参照。 The Asia-Pacific Journal 2009年2月7日。

[8] Sakurai Kunitoshi, "Guam treaty as a Modern 'Disposal' of the Ryukyu."

[9] リチャード・L. アーミテージおよびジョセフ・S・ナイ,” The US-Japan Alliance: Getting Asia Right through 2020,” CSIS Report, 2007年2月。

[10] Kaho Shimizu, “Greater security role is in Japan’s interest: Gates,” Japan Times, 2007年11月10日。.

[11]加藤洋一、“インタビュー/リチャード・ローレス: 日米同盟、優先順ギャップに直面” 朝日新聞、2008年5月2日。

[12] 船橋洋一による引用、“オバマ政権の日米関係 - 平時の同盟追求する時” 朝日新聞、2009年1月26日。

[13] "クリントン、強い米日の絆を称賛," 読売新聞、 2009年2月18日。

[14] AFP、“Clinton, Japan sign American troops pull-out deal,” Sydney Morning Herald、2009年2月18 日。

[15] 服部ピースネット、“グアム協定移転の問題点” 2009年6月15日。 山口響、“海兵隊グアム移転,” ピープルズ・プラン研究所、2009年夏号、pp、2-15も参照。PDF

[16] Satoshi Ogawa、“U.S. senate cuts funds for marines’Guam move,” Daily Yomiuri Online、2009年11月7日。

[17] 服部、前掲
記事原文のurl:japanfocus.org/-Gavan-McCormack/3250
Gavan McCormack, "The Battle of Okinawa 2009: Obama vs Hatoyama," The Asia-Pacific Journal, 46-1-09, November 16, 2009

(引用終わり)

いかがでしたか?


再び崩れ去る検察ストーリーと事実を伝えないメディア~村木公判から

2010年03月07日 | 日記
「最近、何かおかしい……」と感じている人が多いようです。僕の周りでも、mixiでもそんなことがつぶやかれています。
僕は問われれば「政権交代による反動が原因だよ」と言います。ツイッターを始めて約1ヶ月になりますが、「政権交代による反動」ということが、それまで以上にとても感じられるんですね。そしてそのことがツイッターの中で次々に明らかになります。
なぜ、小沢パッシングが1年にも及んで続けられているのか、政権交代後、民主党パッシングがこれほど行われているのか。
以前、『情報の乖離』『世論の乖離』ということで僕の論調を書きましたが、この乖離現象こそ「最近何かがおかしい……」という感じに繋がっていると僕は思います。
記者クラブメディアとネットメディア両方からの情報得ている人は特に感じると思います。

たとえば、郵政不正問題に関して、記者クラブマスメディアは、村木厚子さんと関係者の逮捕、立件時は、『推定無罪の原則』無視して明らかに不正をしたかのように報道しましたが、公判で検察の主張が崩れ続けている事実を、ほんの少ししか伝えていません。朝日新聞に至っては、関与していたとされる、民主党の石井一議員が、先日の村木公判で決定的とも言える、検察の主張を崩した公判の模様を一行も記事にしませんでした。
一方で、ツイッターでは、先日も書いたとおり、フリージャーナリストの江川紹子さんと竹中ミチさん(社会福祉法人:プロップ・ステーション代表)が流し続けました。
こうした記者の主張がそれほどは入っていない第一線の、事実に忠実な生々しい記事と、編集され自社の論調を含んだ記事は、大きく異なります。そのことが世論に与える影響の種類も異なります。

また、たとえばこれも以前書きました、政治家の記者会見がネットでは、ノーカットでそのままを流し、さらにテキストまで報じているものも多く、報じる側の主観が入る要素はありません。しかし、記者クラブメディアのニュース映像は、編集カットされ自社の論調がそこに入ります。
同じ記者会見を見ると、受ける印象の明らかな違いが感じられるし、編集カットされたニュースでは、事実がずいぶん伝わっていないこと。自社に都合のいい部分だけしか放送されていないことが解ります。またネットニュースでは、質問する記者の偏向ぶりも感じることができます。

これでは、まともな世論が形成されるわけがなく、本来受けられる利益が、記者クラブメディアによって損なわれるばかりです。

【記者クラブメディア】
朝日、読売、毎日、産経、日経新聞と各系列テレビ局、NHK、中日新聞(東京新聞は中日新聞グループ)、西日本新聞、共同通信、時事通信

*数ある地方紙の中央の政治・経済・外交記事は、独自に書いているわけではなく、共同通信、時事通信の記事の配信記事を掲載しているので、その内容はほとんど一色です。



(村木公判の検察ストーリー崩壊の模様の引用開始―江川紹子ツイート)

休廷。石井議員の手帳を巡って検察と弁護側の論争あり。検察は、それを証拠提出したり 法廷で示すことに猛烈に反対。そこには、検察の描いた構図を突き崩す重大事実がかかれいました。倉沢被告が公的証明書を得るために石井議員に会ったという日、じつは石井氏はゴルフ場にいたのでした

石井議員は自分の行動を克明に記録していました。その事実が判明するのを恐れた検察が懸命の抵抗をしたのでした

検察側の描いた構図での、石井議員の位置づけをおさらい。自称障害者団体「凜の会」代表の倉沢被告は、昔秘書として務めたことのある石井議員の事務所を訪ね、石井氏に公的証明書について厚労省に口添えしてくれるよう依頼。石井議員が厚労省の塩田部長に依頼し、塩田部長が村木被告に指示(続く)

(続き)村木被告(当時は厚労省課長)が上村被告(同係長)に証明書偽造を指示した――という筋書き。ところが、これまでの公判で、上村被告は村木被告の指示を否定。塩田部長も村木被告への指示や石井議員からの働きかけを否定。倉沢被告だけが「2004年2月午後1時に石井議員と会った」と証言

今日の公判で弁護側証人として出廷した石井議員は、過去40年にわたって自分の予定と実際の行動について克明に手帳に記録している、と証言。04年2月25日は衆議院の予算審理が佳境を迎え、「年金、構造改革の集中審理が予算委員会で行われ、閣僚は全部そこに張り付き。他の議員は予定がなかった」

「なので私はその日成田市のゴルフ場にいました」と述べ、一緒にゴルフをした議員などの名前を挙げました。午前7時頃に自宅を出て、1ラウンドプレーをし、風呂に入って着替えをして4時頃ゴルフ場を出たとのことです。その後は東京に戻り、赤坂の料理屋で議員や業界関係者との懇親会に直行。

そのため、事務所で倉沢被告と会うことはありえない、と石井氏は強調しました。また、倉沢被告が石井氏の秘書になったのは1982年で、翌年の選挙で石井氏が落選したため、務めていたのはわずか1年。その後は、石井氏が参院比例区に鞍替えした時に、ボランティアとして手伝ったくらいの関係

年に1、2回訪ねてくるというくらいの関係だったとのことです。2001年には1回、02年と03年はゼロ回、04年と05年は2回と、会った回数まで石井氏は正確に覚えていました。それは、法廷に来る前に手帳を確認しておいたから。会った人、用件なども、毎日欠かさず、克明に記録してあるそう

石井氏は、捜査段階で大阪地検の前田検事の事情聴取を受けています。そのときも、2004年分の手帳を全部並べて「見ていただいて結構ですよ」と言ったのに、検事はあまり興味を示さず、パラパラを見ているくらいで、その日について詳しく聞かれることはなかった、とのこと。

「今年に入って、弁護士さんから『この日の記録はあるか』と聞かれたので、『ありますよ』と言った。神戸の事務所に電話をして、古い手帳を確認させ、そのページをFAXさせたんです」と石井氏は経緯を説明しました

というのは、検察側は、公判前整理手続きで石井氏の”アリバイ”について弁護側が主張してないとか、証言予定事実の書面にも書いてないので、手帳を弁護側が証拠提出したり、法廷で示したりすることに猛烈に反対したため、裁判長が、まず手帳を弁護人が入手する経緯を明らかにするよう求めたのです

石井氏が経緯を証言したため、裁判長は、検察官の異議を退け、法廷で手帳を示すことを弁護側に許可しました。その手帳は法廷のスクリーンにも映し出されましたが、実に細かく誰といつ、どこで会ったかが書かれていました。問題の日のゴルフについては、場所やスコアまで書かれていました

石井氏は、倉沢被告から「凜の会」について聞いたのは、たった一度。すでに証明書が発行された後の2004年11月6日。「倉沢が私の事務所を訪ねてきて、タブロイド大の新聞を見せて、(選挙対策のために)これに先生の写真や政策を載せたらどうか、と言ってきた。郵便代が安いんだ、と言っていた

送る相手は障害者だという。民主党には障害者の団体をバックにしている候補者が他にいるし、今さら私がとってつけたように顔や名前を送っても、選挙の役には立たない。にわかごしらえでそういうことをしてもダメだと言って、私は話しに乗らなかった。その時に、新聞の名前を見て、『なんと読むんだ』と

聞いたら、倉沢は『凜の会』ですと言った。私は『難しい名前やな。考えておくけど、気が進まない』と言った。後にも先にもこれっきりです」と石井氏は証言。弁護人から、「倉沢被告に、『あの時にお世話になりました』という話は出なかったのか」と聞かれ、「石井氏は『ありません』」と明言

まったく無関係なのにマスコミにあたかも関係があるように報じられ、選挙を控えていたのに、とても迷惑をしたと石井氏。支援者からも「厚労省の局長と男女関係でもあるのか」という電話まで来るようになり、困って弁護士に相談。身の潔白を証明するために、やむをえず週刊誌を提訴した。

「新聞なんて、(間違いを)書いたって、全然責任とりませんからね」と法廷でぼやく石井氏でした

石井氏が使っている手帳は黒表紙、横10センチ、縦15センチ、厚さ1センチくらいのもの。150ページを2ヶ月で使い切ってしまう、とのこと。1年に6冊、過去の分が約200冊保管してあるそうです

休廷。検事からの反対尋問で石井議員は、村木被告とは今日初めて会ったと証言。知り合いでもないのに証人となったのはなぜかときかれ「私自身もマスコミに書かれて相当辛い思いをした。村木という女性局長は高知の大学を出て東大卒の競争の中であそこまで上り詰めたのに被告人の席に立たされて、(続く)

さぞ辛いだろうな、と」「この事件にはおかしい点がたくさんある 。弁護士からの強い要請もあったが、この際出て証言すべきだとおもった」法廷にたつのは初めてとのこと

検察官は石井議員の証言を崩そうと必死。一緒にゴルフに行った議員が、当日、国会の委員会に出ていたという議事録を突然出してきた。ところが石井議員、「いい所に目をつけられましたが、議事録には出席してもしなくても、メンバー全員の名前を載せるんです。

なので、そこに載っているからと言って、私と一緒にゴルフをやっていなかったということにならないんです。よくお調べください」

さらに検察官、「その日はインのスタートで……」と言ったところで、弘中弁護士すかさず立ち上がり、「異議!」。それは証拠に出てないと。尋問が終わった後、弘中弁護士が再び立ち上がり、「インからスタートしたと分かっているのは、ゴルフ場に照会をしているんですよね。それを開示してください」

とたんに検察官しどろもどろ。「捜査中です」。さらに弘中弁護士が詰める。検察官は「問い合わせはしたが、証拠になっていない」などと、照会したことを認めました。石井証言が正しいことを、実は分かっていたことを事実上”自白”。けれども「証拠化されたものはない」などと、しどろもどろでした

裁判所は、検察側が証拠採用に反対していた石井議員の手帳を、弁護側の主張通りに証拠採用を決定。検察官は異議申し立てをしましたが、裁判所は退けました

裁判の最後に石井議員は「この裁判は検察の倫理、検察の存在(意義)を問うている。検察は善であり公正無私であるとの面目を果たしていただきたい」と述べ、検察が自発的に何らかの責任を取るよう求めました

(以上引用終わり)

何かおかしくありませんか?いろんなことが。



若者を兵隊にさせますか?―危機感の欠如から生まれた軍靴の音【追記あり】

2010年03月04日 | 日記
昨日は、郵便不正事件で、上司の村木厚子さんから指示を受けたとし、偽造証書を発行した実行犯だとされる上村被告の公判が開かれました。
上村被告は、検察の主張を完全否定し、またもや検察ストーリーが崩れ、検察の恫喝的で杜撰な取り調べが浮き彫りにされました。

こうした情報は、公判を傍聴しているフリージャーナリストの江川紹子さんや社会福祉法人プロップ・ステーションの竹中ミチさんが、(http://www.prop.or.jp/)休廷時間ごとに生々しくツイートしてくれるので、お昼休みと夕方、ツイッターを開くとまるで公判をライブのように感じることができます。

そして今日、最初から犯行を否認し続けている村木厚子さんの公判が開かれ、やはりお二人が傍聴され、ツイートされました。
今日の公判では、『凜の会』の倉沢被告から依頼を受け、便宜を図ったとされる民主党の石井一議員が弁護側証人として法廷に立ち、その証言により検察のストーリーがまたもや崩壊しました。

石井氏は倉沢被告が依頼したしたとされる当日、議員仲間とゴルフに行っていたと言うのです。
石井氏は克明にメモを取る人で、これまでのメモ帳の総数は200冊に及ぶといい、当然その日の様子も、誰が参加したか、何時にインからプレーしたか、お天気はもちろんスコアまで詳細に記されていて、夜の打ち上げの様子まで書いてあるという詳細ぶりです。

検察と弁護側は、そのメモを証拠採用するかしないかで争いましたが、弁護側の主張どおり採用され、法廷のプロジェクターに映し出され、検察ストーリーは村木公判でも崩れ、とんだ赤っ恥をかきました。
そんな詳細を、江川、竹中さんのお二人のツイートの中から引用しようと思ったのですが、なんと今ツイッターでは、夕方のニュースで騒然としています。それもかなり熱く、激しく(僕がフォローしている人たちの間では)。
それはこんなニュースから起こりました。

(ニュース47 引用開始)
『自民、徴兵制検討を示唆 5月めど、改憲案修正へ』

 自民党憲法改正推進本部(本部長・保利耕輔前政調会長)は4日の会合で、徴兵制導入の検討を示唆するなど保守色を強く打ち出した論点を公表した。これを基に議論を進め、05年に策定した改憲草案に修正を加えて、憲法改正の手続きを定めた国民投票法が施行される5月までの成案取りまとめを目指す。
 
 参院選を視野に、離反した保守層を呼び戻す狙いとみられる。ただ05年草案も徴兵制には踏み込んでおらず、「右派」色を強めたと受け取られる可能性もある。今後党内外で論議を呼ぶのは必至だ。
 
 論点では「国民の義務」の項目で、ドイツなどで憲法に国民の兵役義務が定められていると指摘した上で「民主主義国家における兵役義務の意味や軍隊と国民との関係について、さらに詰めた検討を行う必要がある」と記述。直接的な表現は避けたものの徴兵制復活の検討をうかがわせる主張を盛り込んだ。
          
                2010/03/04 19:10 【共同通信】
(引用終わり)

http://bit.ly/76sigy


僕もいち早くツイッターで取り上げ、思わず強くつぶやいてしまいました。

内容の詳細は判りませんが、何と言ったらいいのでしょう、自民党には呆れたものです。
民主党との政策的対立軸が見いだせず「政治と金」の追及ばかりに躍起になっていると思ったら、水面下でこんな論議をしていたんですね。
しかし「徴兵制の立法化」は、直近では、小泉政権が生まれた時、既定路線として“生き返り”安倍政権で本格的に始動したのです。

「徴兵制」は、自民党タカ派の――岸信介→福田赳夫→安倍晋太郎→三塚博→森喜朗→小泉純一郎→安倍晋三→福田康夫:現・町村派、清和会――継続的念願でした。

田中角栄と福田赳夫の激しい抗争で、ハト派の田中角栄率いる田中派が勝ち、田中派が作った大平政権が福田を破り、清和系タカ派総理大臣が去って以来、20年近くタカ派はなりを潜めていたのですが(中曽根はタカ派だが、肝心なところは田中に握られていた)小泉郵政選挙、いわゆる「劇場型選挙」に酔いしれた多くの国民が、意図的ではないにせよ表に引きだしてしまったのです。

衆参で圧倒的な数を有し、郵政民営化という表の顔に隠れて、憲法改正論議を進めながら、テロ特別措置法を作り、イラクへの自衛隊派遣とインド洋での米艦隊への無償給油を「国民の利益」「国際協調」を掲げ可能にし、挙句の果ては「無法の軍事同盟」である「日米同盟」に調印し、安倍政権の時、「創りあげたい日本がある。 美しい国、日本。」をスローガンに、「教育基本法」を改悪し、防衛庁を省に昇格させ、「日本国憲法の改正手続に関する法律」を通過させ、憲法改正を容易にしました。

「美しい日本」「戦後レジームからの脱却」は、「戦争を行える国造りの布石」であり「憲法9条を改正し」、本格的な軍事国家として日本の創設にあったわけです。
過去形ではありません、現在も進行しているのです。
民主党が「生活第一」を掲げ、国民の支持を受けるようになってきた前回の参院選あたりから、自民党も国民生活に目を向け始め、対立軸としての政策をいくつか掲げましたが、現在の自民党の主流である町村派というタカ派にあるのは、あくまでも「戦争のできる国、日本」です。

軍事力こそ、日本をアメリカから自立させ、アジアの脅威、世界の脅威から防衛できると信じ込んでいる。その上での対米関係を構築しようとしている。
それには、若者を徴収し兵力として養う。それが国民の責任と義務である。
と言っています。

すでに結ばれた「日米同盟」は、無法です。「日米同盟」以前から憲法9条の下でも、自衛隊の海外派兵を可能としているのです。イラク派兵の実績で「日米同盟」が結ばれました。
今後「徴兵制」がもし生まれるようなことがあれば、みなさんの息子さんか、あるいは娘さんの恋人、婿さんが、戦場に武器を携帯し命がけで出かけることになります。
憲法改正は、それほど容易ではありませんが、10年前に比べれば、はるかに容易になっています。

私たちは、厳しい世の中になったとはいえ、そこそこに裕福であるし、毎日食べられるし、マンション生活を可能にしている。クルマだって持っているし、旅行だって行ける。酒も飲める。mixiもしていられる。まだまだゆとりが残っている人が多い。
そんな豊かさゆえ、豊かさに目を奪われているうちに、危機感を失ってきました。平和ボケといいますが、必ずしも日本は平和ではなく、何度も危機があったのです。ゆとりボケ、裕福ボケです。

そして危機感欠如の状態の中で「徴兵制」が論議され、それを実現しようとする勢力が、私たちの目の前にいます。
毎日テレビに映っている……

子供を兵隊にさせますか?兵隊になることは国民の義務ですか?
戦争を支持しますか?自民党を支持しますか?


【追記】自民党の大島幹事長が「誤報」だと躍起になって消火作業をしていますが、記事によれば「民主主義国家における兵役義務の意味や軍隊と国民との関係について、さらに詰めた検討を行う必要がある」と
”兵役の義務”についてさらに詰めた検討を行う必要性を行っています。
”兵役の義務”=徴兵制です。
いくら消そうとしても消えるものではありません。たとえ撤回したとしても、徴兵制について論議している事実は消えない。



『小沢VS検察にみる報道のあり方』―私は「検事」と「被疑者」の2つを経験した【追記】

2010年03月01日 | 日記
『小沢VS検察にみる報道のあり方』―私は「検事」と「被疑者」の2つを経験した―

【シンポジウム主催】Infoseek 内憂外患編集部、THE JOURNAL編集部。
日時:2010.2.26
場所:文京区区民センター

会場は満員で、その中には読売新聞の記者、検察の人もいたという。

【出席者】三井環(元大阪高検公安部長)、鈴木宗男(国会議員)上杉隆(ジャーナリスト)
青木理(ジャーナリスト)元木昌彦(元『週刊現代』編集長)安田好弘(弁護士)鈴木邦男(政治活動家:一水会代表)

【追記】ライブ放送でしたが、本日より再放送が始まりました。

http://opinion.infoseek.co.jp/article/766

ぜひご覧になってください。

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以下は、シンポジウムのネットライブ放送を観ながら僕がツイッターにライブツイートしたものです。
その前に、三井環さんが、告発した、現在もし続けている「検察の裏金」の問題の概略を書きます。(三井環さんの「鈴木邦男氏への手紙」参照)

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当時(2001年)は、大阪地検加納駿亮検事正が、裏金づくりの犯罪(虚偽公文書作成、同行使、私文書偽造、同行使、詐欺)で刑事告発され週刊文春、週刊朝日が大々的に三井氏からの取材により報道されていた。

法務省は加納検事正を福岡高検検事長に上申したが、当時の森山法務大臣は刑事告発されていることを理由に難色を示した。小泉内閣としては人事を承認し刑事告発が「黒」であれば、その責任を内閣が負わなければならないからである。法務省はなかなか内示ができなかったため報道が過熱し大手新聞も一気に報道しかねない状況下にあった。

そこで原田検事総長が考え出したのが「けもの道」という選択だった。(検察の組織的な裏金づくりの犯罪は内部では「公知の事実」だった)
検察の組織的な裏金づくりの犯罪が公表されると、約70名の検察幹部の懲戒免職、国民からの刑事告発、使った金の国への返還、検察幹部OBへの波及など大問題が発覚し検察の信用は一気に失墜し、一時その機能が麻痺するからである。

10月末、原田検事総長とM法務事務次官、F刑事局長が後藤田正晴元法務大臣の事務所を訪ね、加納人事が承認されないと裏金問題で検察がつぶれると泣きを入れた。これを後藤田氏は後に「けもの道」と名付けた。

検察の原点は
◇真実のみを追求しそれを確定する
◇政権に貸し借りを作らないこと
政権に借りを作ると、与党政治家の贈収賄等の捜査が事実上不可能になる。政権への捜査が進む中、検察最大の弱点である「裏金づくりを公表しようか?」と一言いわれれば捜査を中断せざるを得ない。

検察の裏金づくりの犯罪は公知の事実であるのに刑事告発に対し「嫌疑なし」と裁定し「真っ黒」を「真っ白」にした。
「けもの道」により小泉内閣は加納人事を11月13日に承認し、天皇を欺き犯罪者を認証させた。

さらに原田検事総長と森山法務大臣は
◇「検察の組織的な裏金づくりは事実無根である」記者会見した。
◇オンブズマンによる裏金づくりの裁判では、虚偽の準備書面を提出し、法務委員会における野党議員による追及でも虚偽答弁をする。

そして翌年4月17日、「ザ・スクープ」の鳥越俊太郎氏と約束し、4月22日昼から大阪で取材、収録予定の日の朝、三井氏は逮捕された。
5月の連休明けに朝日新聞東京本社が報道した後に放映するという約束があった。他の大手新聞、NHKテレビ等も朝日新聞を後追いするという約束だった。

検察は組織的な裏金づくりの犯罪を隠蔽し、その発覚を免れるために三井氏を口封じ逮捕した。

公権力である検察を告発することがマスメディア電波に乗り、活字になるには、絶対的とも言える証拠がなくてはならない。
この証拠については、菅直人財務相の元政策秘書でフリージャーナリストの松田光世氏が全面的に協力し検証した、十分告発に耐え得るものである。
(松田氏は現在もツイッターなどで告発し続けている。また三井さんの国会証人喚問の道を開くべく活動中でもある)

「検察の裏金」とは、1年間に6億円もの「調査活動費」が1円も本来の用途に使われずに自動的にすべて裏金となって、検察幹部の遊興飲食費、ゴルフ代、麻雀代等に血税が使われた。といものである。
三井氏も次席検事通算6年間、その共犯者として裏金帳簿の決済をして飲食接待にも参加した。

三井さんの逮捕容疑。
◇不実記載・詐欺罪
三井氏は、マンションを購入するに当たり、銀行ローンを組む際に銀行担当者の要望により融資申し込みと同時に住民票を移動した。このことが不実記載として立件された。
不動産取引、銀行実務では、事務の煩雑から先に住民票を移動するのが慣行となっている。銀行ローンを組んで住宅を購入された方は経験されたと思う。
詐欺罪は、登録免許税の減額措置を受けるための証明書1通の財物を区役所から騙取したというものである。登録免許税法では違法な減額措置を受けた場合には追徴金でもって対応することになっている。

◇公務員職権濫用罪
検察事務官に指示して某氏の前科調書を入手しただけである。

◇収賄
某氏の依頼により三井氏が事業資金200万円を無利子で貸与し、その謝礼で3日間22万円の私的な飲食等の接待を受けたというのが事実である。あくまでも私的接待であるので収賄罪が成立しない。

判決は有罪で、7年間の懲役を経て、今年1月満期出所。仮釈放も認められなかった。

さらに詳細にマイミクのタケセンさんの、mixi日記、コメント欄に書かれているので、ぜひご覧ください。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1425694795&owner_id=548859&comment_count=6

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(C-moonツイートから引用開始―読みやすいように若干編集しています)

三井氏
「けもの道」の真相を語る。検察官の固有名詞、政治家の固有名詞が飛び出す。後藤田正晴、小泉、森山らが検察に貸しを作る―「検察に裏金はない」
検察が最大の借りを内閣に作る。小泉政権は検察を手中にする。
そして、リークについて告白する。
「私も検察リークやってきましたから。リークはあるんですよ」

鈴木宗男議員
「検察はまず、人間であれ」と言う。「三井さんが逮捕された10日後、私の秘書が逮捕された。これは三井さんの逮捕から目をそらすため、裏金隠しのためだ。検察とマスコミはタッグを組む。この構図は、小沢事件と同じである」

安田好弘弁護士
「検察は日本最強の権力にして、非常にチープ、悪質、姑息な思想の持ち主。検察は狡猾な道徳心と正義感を持った公権力である。検察の中の悪の核心は、特捜部。これは解体すべきだ。検察刷新会議が、今回できないのは残念。取り調べの全面可視化を急げ。密室であるから関係者からストーリーに基づいた自白を取れる」

上杉隆氏
週刊朝日の連載記事に書いた石川議員の女性秘書に対する卑劣な取り調べ模様について経験を話す。
「石川議員女性秘書違法取り調べ事件は、検察を離れても非人道的な行政機関であることを示す。それを報道しない記者クラブメディアの責任は大きい」

元木昌彦氏
オウム事件の際、東京地検から、卑劣な手口で脅された体験を語る。

青木理氏
「取材者として必ずしもリークは悪くはない。問題は受けた記者がどう報じるか。さらに構造的な問題がある。3大紙が、連日一面で同じ報道を流す構造に問題がある。記者クラブという閉鎖的、排他的世界で、記者が検察と同じ意識になってしまっている。メディアの行動的な問題が大きい」さらに「なぜ自白するのか?といえば否認すると保釈されない。99%有罪という現実がある。これは検察の歪み、特捜の歪みだ」

先に退出する鈴木氏は、会場からの質問に答える。まるで独演会。拍手の連続。検察批判だけではなく、ロッキード事件以来、検察の背後には、アメリカの意志が働いていると。佐藤優氏も冤罪。自分と佐藤氏が残っていたら北方領土は返還されていたはず、と言い切る。アメリカにとっては不都合だったということ。

鈴木氏
「三井さんは、参考人ではなく偽証すれば罪が問われる証人喚問で国会で述べたいと言っている。私はこれに全力を尽くす」
「特捜解体。自分でシナリオストーリーを作り上げる。偽の調書が生まれる」
「法務省では、検事総長がいちばん権力がある。次官も大臣も及ばない。これが現実」
「外務省、総務省は記者会見フルオープン。検察、警察はカメラも入れない閉鎖社会」
「沖縄密約、核密約は明確にあった。証言者を国会に呼んで実現したい」と 政権交代効果を声をあげて言う。
鈴木さん、ご満悦で退出。

鈴木さんが、退出した後、話は三井さんを軸に、話が進む。

三井氏
「意図的なリーク。逮捕されるまでに検察に狙われた人は大悪人になっている。これが検察で言われる“風を吹かす”ことだ。リーク6割に記者の4割の憶測が加わる。取り調べテープだけはダメ。証拠物件を映せる映像が必要だ」

安田氏
「検察、警察が持っている証拠を全面開示すべきだ。裁判所は証拠隠滅を理由にこれを拒否。検察は、都合のいい証拠物件しか提出しない。これが裁判の現実だ」

報道の話。上杉氏が記者クラブ批判。対して、共同通信の青木さんが既存メディアの代表のような立場で、やりとり。官報複合体について上杉氏が語る。

上杉氏
「記者クラブメディアとして検察批判したことはないのではないか?世界中のジャーナリズムの側が検察と闘い命を落としている記者までいるのに、日本のメディアは記者クラブ出入り禁止が怖くて検察批判記事を書いていない」
さらに「記者クラブはメディアの問題ではなく、霞ヶ関の統治機構の問題。長年言い続けてきたが、反応なかったが、変わったのは、ツィッターなどのメディアの出現である。以来、主要メディアがどうもおかしいのではないかと、一般の人たちが気づきはじめた。単体での権力は弱いが、弱点を補いながら権利が結びつき強化されている。それが官報一体化だ(霞が関と記者クラブメディアの一体化)。薬剤エイズ、水俣病など官報一体化で隠され国民に知らされない部分が大きい。記者クラブには限界がある。国民は不利益を得ている」

安田氏
「国会開催3日前に石川氏が逮捕されるたことは、マスメディアが大きな役割をしている。これには失望した。検察はまず産経にシフト。次に読売にシフトしている。リークの内容から、検察が民主党をつぶす意図があることが分かる。そして毎日新聞にもシフトし世論を煽る……毎日は誤報ばかり撃ちまくったが……これでも小沢を立件できなかった。検察は最期、市民を使って民主党をつぶそうとしている。それが検察審査会。検察は検察審査会にリークできる。このように検察は第二、第三の手段で小沢氏を貶めようとしている。検察の支配は傘を広げようとしている」

三井さん、拘束されたとき、糖尿病を持っているのに、20日間、治療を受けられず、このまま殺されるかと思った。しかも、誰にも気づかれないと思った、と。しかし、命をかけても頑張ると決意表明。

三井氏
「欧米の勝ち取った民主主義と日本のお上から与えられた民主主義の違いを感じる。原口氏の裏金問題を明らかにすると言ったが実現するか?4年前国会で追及すると言ったが何も起こっていない」

上杉氏
「原口氏は現在、行政評価の中で検察の裏金の問題も含めてやろうとしている。4年前と違う。記者会見のフルオープン化によってやらざるを得なくなる」

青木氏
「民主党がテンション落ちていて、けものみちに落ちているのではないか?既存メディアの心ある記者は記者クラブ解放を求めている。しかし、読売のナベツネ氏などが、組織として記者クラブ解放を許さない」

元木氏
「読売の記者が権力によって逮捕された傑作ノンフィクション、不当逮捕をすすめる。権力との距離感が分からなくなっている記者が多い。リーク報道がなされた場合動世論が変化するのか考える必要がある」

鈴木邦男氏登場
「三井さんは人間的に良い人。だけど詰めが甘い。検察経験があってしかも逮捕されている貴重な三井さんを支えていきましょう!!」

最後にひと言ずつ。
上杉氏
「次回週刊朝日原稿内容は、立花隆氏からいただいた抗議の抗議です」と言って笑いを取る。

マジで上杉氏
「鳩山政権が、官房長官によって記者会見のフルオープン化が閉ざされたために、現在の民主党パッシングの状況は自業自得。すぐにフルオープン化すべきだ」

安田氏
「検察は人の命を握っている。その怖さを分かってほしい」

三井氏
「検察の改革は、私一人ではできない。ムネオ氏一人でもできない。みなさんご支援をよろしくお願いします」終了。
(以上引用終わり)

なお、この放送は後日再放送される予定だそうです。またテキスト化もされるそうです。

【追記】本日3月2日から、再放送開始!!
http://opinion.infoseek.co.jp/article/766

記者クラブメディアの地上波では、今のところまず放送されないシンポジウムです。Youtubeではすでにアップされているかもしれません。
一連の小沢問題、郵政不正事件も含めて、ぜひご覧になり真実は何なのか、どこに在るのか考えてください。