風の回廊

風を感じたら気ままに書こうと思う。

「国民生活第一」への改革は何処へ向かうのか(最終章)

2010年09月14日 | 日記
 選挙は、それまで霧の中にあって見えにくかったものを浮き彫りにしてくれる風のような役割を果たしている。それは熱い風であったり、渇いた風でもあり、冷徹な風だ。
勝者は、その選挙に応じた権力を得て、敗者は再生するにしてもいったん去らなければならない。
そこに敗者のどんな素晴らしい理念や政策があったとしても、いったん開票され結果が出れば異議は唱えられない。
それが、民主主義の下で決められた崇高な決まり事で、選挙に関わったすべての人たちは、冷静に受け止めなければならない。同時に勝者に権力が与えられることはもちろん認識しなければなりません。


 さて民主党の代表選でも、様々なものが浮かび上がってきました。
まず選挙の背景です。

 一年以上にものぼる小沢ネガティブ報道の延長線上で行われた選挙という意味では、単に立候補者同士の闘いではなく、「小沢VCマスメディア」という背景でしたね。メディアは自分たちが行う世論調査の結果を「世論」として世論形成をしました。
一方、ネット上では、メディアの世論調査結果とまったく逆の結果が現れ、言ってみれば乖離した二つの世論の闘いでもあったわけです。
「既存メディアが生んだ世論VSネットが生んだ世論」あるいは、「既存メディアVSネット」。

 これは得票数にも現れていますね。もっとも世論の影響を受けやすい、党員・サポーター票が
13万(菅):9万(小沢)=6:4であったことは、それぞれの政治家としての資質の評価、期待度だけではないものを感じました。
 既存メディアが生んだ世論が、唯一の正統の世論だとすれば、8:2に近い得票数になったはずです。でもそうではなかった。この選挙を通して、ネットが生み出す世論が、ネット上で大きくクローズアップされ、既存メディアにとってその座を脅かすような存在になってきた。そんなふうに思います。
 そして、菅選対は、既存メディアが生み出した世論を武器とし、既存メディアからまったく相手にされない小沢選対は、ネットが生み出す世論のパワーを選挙の終盤になり、活かそうとしました。

 この選挙をきっかけに、これまで以上に政治家はネットに注目するでしょうね。そして近い将来、既存メディアは、ネットの前に凋落していくかもしれません。広告収入が既存メディアからネットに移行していることは、凋落の兆しのひとつですね。
 それぞれの実態ですが、既存メディアは、一方的な受動の産物ですが、ネットは能動的に活用して初めて得られる情報源です。そして自ら発信し、仲間を作ることもできます。自分を活かせる可能性のある空間です。
受動と能動の媒体……どちらが魅力的でしょうか。

 二つ目の大きな背景としてあらためて感じたのは、官僚権力の高く厚い壁です。
 菅首相が掲げた政見は、これまで書いてきたように、09マニフェストから大きく後退し、官僚の手による政策とそれほど変わりがないのですね。改革途中でありながらの政策の後退は、政権党になり、副総理、国家戦略局担当相、財務大臣を経験する中で、その壁の大きさ、高さ、厚さ、強固さを肌身で感じたからだと僕は推察します。
特に財務大臣はもちろん国家戦略担当相は、財務省との関係が密になります。だからこそ、他の大臣よりも強く官僚の連力の実態を知ったのだと思います。
 小沢は、ぶれることなく官僚改革を唱えました。菅は、選挙戦のはじめは官僚改革を強く言わなかった。街頭演説や討論会の情勢は、官僚改革を強硬に主張する小沢に圧倒されていました。
菅は選挙中盤から、それまでの「政治とカネ」を引っ込め、小沢の主張に擦り寄せるように官僚改革を言い始めました。しかし、そこから具体的な内容は見えてこなかった。
僕は怯えているように感じました。官僚という壁に。
 そして言うまでもなく、検察が作り上げた小沢の「政治とカネ」が、メディによってまるで呪文のように唱えられ続けてきました。9月1日に、大林検事総長が、記者クラブの昼食会に講演者として呼ばれ、そこで事実上の小沢の「政治とカネ」について、敗北宣言したにもかかわらず、呪文は止むことなく続き、菅選対、菅を支持する議員からも発せられていました。
「小沢VS検察&官僚」という構図が、まだまだ続いていたのですね。

 そしてもっと大きな構図がありました。
小沢対アメリカ、「対米対等、日米中二等辺三角形外交VC対米追従」という構図です。
これは、普天間基地移設問題の二人の主張で明らかです。

 こうした3つの構図が、複雑に絡まりながら選挙戦をより複雑にしました。3つの背景は、3つの背景と闘おうとする小沢に熱狂的とも言える少数の積極的な支持を与え、多数の消極的支持を菅に与えました。
「短期間にコロコロ首相を替えるべきではない。海外に顔向けできない」という意見は、極めて消極的な論法ですし、「3ヶ月しか経っていないのに、首相を替えるべきではない」というのも積極的支持とは言えません。
民主党支持者と議員は、ともすればリスクの大きい積極的、早急な改革を唱える小沢ではなく、後退してもリスクの少ない菅を選択した。
僕は、この選挙の背景からそんなふうに感じました。

 ポイント数では、菅圧勝ですが、実際の得票数の割合は、
党員・サポーター票6:4 地方議員票6:4 国会議員票ほぼ互角です。
これは、政策の違いが、まるで異なる政党のようにに大きかったから。ということもひとつの理由でしょうし、積極的支持と消極的支持の結果です。
そして「小沢の09マニフェスト順守VS菅の現実路線」という構図の象徴です。

 僕は、小沢が立候補した時から思っていました。その思いの一部を、this boyさんからいただいたコメントへの返事に少しだけ書きました。
 それはどちらが勝っても簡単にノーサイドにはならない。どちらが勝っても野党のどこかと組まなければ、「ねじれ」は解消せず政権は運営できない。だから政策の違いと、政界の状況から民主党が割れる可能性は十分ある。さらにカオスの海に日本が沈んでいくはずだ。
こんな推察です。

 実際、野党のどこかと協調しなければ、あるいは連立を組まなければ、通常国会で来年度の予算は通りません。それを防ぐために、野党の政策を大幅に呑み、民主党の政策を大幅に修正すれば、何のための政権交代か、ということになり、党の存亡にかかわります。
もし、予算案が通らなければ、予算案を通すために党が割れるような事態になれば、内閣総辞職か総選挙です。菅首相はその時辞任せざるを得ないでしょう。

 菅首相は、今日この重い荷をあらためて背負うことになりました。それはこの選挙の結果がそうさせたのではなく、大元は、参院選の大敗が原因です。参院選の総責任者は菅首相です。
菅首相は、自らの責任を代表選に勝つことで、これまで以上の責任として負うことになりました。
これ場で以上の責任というのは、取り巻く状況が、参院選直後よりも悪くなっているからです。党内最大の実力者、小沢の政策と対照的とも言える政見で闘ったからです。小沢排除の闘い方を参院選を通じて行ったからです。
 今日の勝利の記者会見の表情は、前回の代表選で樽床議員に勝ち、総理の座を射止めた時の表情と対照的です。おそらく、降りかかってくるだろう苦難の道のりを自分自身の問題として認識したからだと思います。

 僕は、この際党が割れても仕方がない。むしろ割れていったんカオスの中に政界全体が沈み、政策や理念が淘汰されながら、再編していくことが、今後の日本にとって良いことだと思うのです。
まだまだ日本の政治は未熟です。二大政党制が機能するほど熟していません。
 官僚改革ができるほど、有権者の現状認識もできていない。国際関係の中での日本の位置の認識も浅くあやふやで、何よりも民主主義の根底にある国民主権の意義も深く浸透していない、行使されていないと思うのです。もちろん僕も含めて。
カオスを乗り越えなくては、浄化できません。カオスの中から成長が生まれると思います。政治も私たちも。

 官僚とメディアとアメリカを含む日本の既得権力者たちが作りだした状況の中で、政治は劣化し続けてきました。
自民党時代よりも良くなったものの、劣化が止まり、向上しているとは言えません。
政治の劣化だけではなく、メディアの劣化、検察を含む官僚の劣化は、政治の問題ではなく、私たち自身の問題であることを自覚すべきだと思います。
 自分自身の問題として認識した時、初めて、誰が首相になっても物を言う有権者となります。
誰かが世の中を変えてくれる、政治を変えてくれるとヒーローを待ち続けてもヒーローはやってきません。自分自身の問題として、自分たちから変革を創造するその姿勢が、もっとも重要だと思います。

 代表選を見つめ続けてきた僕の感想と想いです。

これからしばらく政治的な記事は、ツイッターとブログを中心に書いていこうと思います。
少し休息が必要になりました。
読んでくださり、コメントをいただいた方へ、心から感謝です。



「僕はとても不完全な人間なんだ。不完全だししょっちゅう失敗する。でも学ぶ。二度と同じ間違いはしないように決心する。それでも二度同じ間違いをすることはすくなからずある。どうしてだろう?簡単だ。何故なら僕が馬鹿で不完全だからだ。そういう時にはやはり少し自己嫌悪になる。そして三度は同じ間違いを犯すまいと決心する。少しずつ向上する。少しずつだけれど、それでも向上は向上だ」

                   村上春樹『ダンス、ダンス、ダンス』より




The Beach Boys - Dance, Dance, Dance

「国民生活第一」への改革は何処へ向かうのか(4)日本を「普通の国」にするために

2010年09月13日 | 日記
Chopin Polonaise No.6 op.53 Cyprien Katsaris


「抑止力としての武力は必要。しかし武力で真の平和は創れない。紛争の最大の原因は貧困。貧困を解決するには食料が必要。だから、これからの国際貢献は武器ではなく、鋤・鍬を持って田畑を耕すことなのだ」

 この言葉、誰が言ったと思いますか?
著名な平和活動家ではありません。一介の平和を願う市民でもありません。ましてやメディアの記事ではありません。
小沢一郎(以下敬称略)が、川内博史議員に居酒屋でしみじみ語った言葉です。僕が目にし、耳にしたのは二度目です。一度は、ネットのある生番組で小沢の言葉として、そして川内議員のツイートで伝聞として。
二度とも「小沢一郎って凄い政治家だな。そして、純粋な人だな……」と感じました。
評論家やニュースキャスターが口にする、どんな平和論にも勝る重みと純粋さがあります。
口先だけの、通り一辺倒の平和論ではない、奥行きの深さ。そして優しさを感じます。

 小沢は言います。「アメリカのアフガニスタンへの自衛隊派兵要求があるならば、それをそのまま呑むことはできない。自衛隊は日本守るために機能するもの。国際協力として自衛隊の海外派遣は、国連主導の下以外、あってはならない」この後『抑止力としての武力は必要。しかし武力で真の平和は創れない。紛争の最大の原因は貧困。貧困を解決するには食料が必要。だから、これからの国際貢献は武器ではなく、鍬・鍬を持って田畑を耕すことなのだ』という言葉が生番組では続きました。

 以前にもここで取り上げましたが、小沢の国連主義は、僕の知る限り93年に出版された『日本改造計画』から変わることなく続き、責任ある立場になった時は、それを実践しています。
小泉政権から麻生政権まで続いた、対テロ特措法(アメリカ同時多発テロ事件を受け、小泉内閣が法案提出、成立した時限立法)により自衛隊のイラク派兵を可能にし、実際派遣され、インド洋では、海上自衛隊によるアメリカ連合軍への無償給油が行われました。

 07年8月8日、長崎原爆犠牲者慰霊平和式典が行われた前日、小沢民主党代表(当時)は、シーファー駐日米大使の要請を受け、その年の11月1日に期限切れを迎えるテロ対策特別措置法を延長する法改正について民主党本部で会談しました。
 シーファー大使は「日本の貢献は非常に重要だ。この法案の影響を熟慮してほしい」と同法に基づく自衛隊の米軍支援活動(インド洋での給油活動他)の継続を要請した。
小沢は、「アメリカの行動を安保理でオーソライズする決議はない。アメリカとの共同の活動をすることはできない」と同法の延長に反対する考えを示し大使の要請を拒否しました。
 
 当時、衆院で2/3以上の圧倒的多数を占めていた自民党の衆院での再可決により、対テロ特措法は延長されましたが、政権交代後の09年11月、鳩山政権下で小沢が示した通り、対テロ特措法の延長は否決され、自衛隊をイラクから完全撤退させ――当時、陸上部隊は、すでに引き揚げていたが航空自衛隊が米軍物資の輸送活動をしていた。また、インド洋では、補給活動が行われていた――小沢はその理念と政策を実行しました。
 これは画期的な出来事でした。05年には「日米同盟―未来のための変革と再編」が調印され、日米の戦略的軍事力共同行使は、より明確化され、強固なものになったその後の決断と実行です。かつて、アメリカの戦略的軍事行動に根拠となる合意がなされた後「NO!」を突き付けた日本のトップリーダーがいたでしょうか。それを実行した政治家がいたでしょうか。
 
 小沢の国連主義は、変わることなく生き続けています。
その根底には『~武力で真の平和は創れない。紛争の最大の原因は貧困。貧困を解決するには食料が必要。だから、これからの国際貢献は武器ではなく、鋤・鍬を持って田畑を耕すことなのだ』という、政治家・小沢一郎の理念の他に、人間・小沢一郎の平和への想いが、持続し続けているからに他なりません。

 昨日も少し書きましたが、普天間基地の辺野古移転について、小沢は「日米合意」を尊重しながらも「沖縄県民のみなさんの大半が、反対している以上、辺野古に空港基地はできない。それはアメリカ政府も同じ思いだろう。だから、話し合いの余地はある。私が総理になれば話し合う」と明言しています。小沢の平和理念は、ここにも生きています。
 また、在沖米軍海兵隊の抑止力について「一万人いるとされる沖縄の海兵隊は、実際は、二千人ほどしかいない。ほとんどが、連合国を回っていて沖縄にはいない。アメリカの戦略として、実戦部隊を最前線に置かなくなり、グアムに集中させようとしている。そういう意味では海兵隊の抑止力はいかがなものか。抑止力は、軍事力だけではない。外交、経済、文化交流、そういうもろもろの親密的交流も抑止力だと思う」

 多くの人が、政治家・小沢一郎を誤解しているのではないか?
「政治とカネ」「剛腕」「壊し屋」というメディアが作った印象を擦り込まれ、政治家・小沢一郎の本質を見逃してしまっているのではないか。
メディアの世論調査の結果を見ると、そんな気がしてなりません。

 僕は冒頭に書いた、小沢の言葉だけ見ても、政治家・小沢一郎の本質を読みとれるように思います。
繰り返しになりますが『抑止力としての武力は必要。しかし武力で真の平和は創れない。紛争の最大の原因は貧困。貧困を解決するには食料が必要。だから、これからの国際貢献は武器ではなく、鍬・鍬を持って田畑を耕すことなのだ』
取り分け、“これからの国際貢献は、武器ではなく、鋤・鍬を持って田畑を耕すことなのだ”という言葉。
ここには、人間が、集団生活を継続していく中で、もっとも大切な「相互扶助」という人の優しさ、思いやりが見えてきます。もっともらしい政治理論ではなく、人間の根源的な心の在りようを感じます。人間が普遍的に持たなければいけないもの。ここには地域も国境も存在しません。

 小沢はアフガニスタンへの自衛隊派兵要請を想定して、生番組で語っていました。
「アフガニスタンは、もともと食料自給率が高かった国で、ソ連の侵攻で国土を崩壊させられ、そこにテログループが進出し、混迷のまま世界の最貧国になってしまった。そして今も紛争が続き、多くの国民が犠牲になっている。まず安心して食べられる状態を世界が協力して作っていかなければならない。安心して食べられれば、紛争はなくなり国は復興するのです」

 14日代表選の結果は、内閣総理大臣を決定します。今後の日本の舵取りをどちらかが任される重要な選挙です。
どちらが勝つか、結果が出るまで判りません。報道は、菅有利と見ていますが、混沌とした状況であることは間違いありません。
 僕は、これまで書いてきたように政治家・小沢一郎の本質、人間としての根源的優しさ。そして政治理念と政策力、実行力に抜群に長けた小沢一郎に日本の舵取りをしていただきたい。と思っています。
停滞とカオスの時代だからこそ、小沢一郎の力が必要だと思うのです。

 僕の文章を読んでいただいた方は、ぜひこの機会に、イメージではなく、小沢に限らず政治家の本質と実行力を見つめていただければと思います。
日本は持続し、政治は継承されます。その瞬間、瞬間に私たちは立会い、影響を受けなければなりません。主権は私たちの手の中にあるはずです。代表選の投票権あるなしに、その瞬間をしっかり見つめてほしいと思います。
しっかり見つめていさえすれば、主権を放棄しなければ、日本は必ず良くなるはずです。

 もっと二人が述べた政策について詳細にお知らせしたかったのですが、能力と時間の限界でした。
長くややこしい文章を読んでいただいた方、コメントをいただいた方、ありがとうございました。
心から感謝です。



人にはそれぞれ、あるとくべつな年代にしか手にすることのできないとくべつなものごとがある。
それはささやかな炎のようなものだ。
注意深く幸運な人はそれを大事に保ち、大きく育て、松明としてかざして生きていくことができる。
でもひとたび失われてしまえば、その炎はもう永遠に取り戻せない。 

                  村上春樹「スプートニクの恋人」より







「国民生活第一」への改革は何処へ向かうのか(3)政治主導と地域主権

2010年09月12日 | 日記
Samson Fran醇Mois - Chopin Piano Concerto No.2 1-4



 一昨日、鈴木宗男議員の上告棄却に関する、弁護団と本人の記者会見がありました。鈴木議員側は異議申し立てをするようですが、異議申し立てで棄却決定を覆すことは困難で、事実上、収監と国会議員失職が決定されました。
なぜこのタイミングなのか?という疑問が残ります。
 鈴木議員は、これまで検察の在り方について、「検察の暴走」「検察の青年将校化」「シナリオに基づいた取り調べ」と主張し、取り調べの可視化、冤罪の可能性が高い人の支援、特に小沢さんと元秘書の一連の検察の捜査が始まってからは、その主張を一段と高いステージで語ってきました。

 最高裁の決定は、密室の暗闇の中で行われ、実態は何ひとつ伝わってきません。だから余計疑心暗鬼になります。

◇代表選の最中、何かしらの権力の力が働いたのではないか。
・その権力は、事件の背景のひとつでもある、鈴木議員の存在を良しとしなかった外務省なのか?

・外務省の中で次第に力を持ち政治主導を果たしてきた鈴木議員の存在を抹殺しようとした当時の官僚主導勢力の自民党の最大派閥、清和会(町村派)なのか?

・あるいは、小沢さんを明確に支持し、小沢さんに対する検察の批判繰り返し、「政治とカネ」が検察のシナリオだと主張する鈴木議員が邪魔な菅政権という権力なのか?
・あるいは、もっとも鈴木議員に批判されている検察の力が働いたのか

昨日行われた、郵政不正事件の村木厚子さんの判決は、大阪地検特捜部の暴走、シナリオに基づいたでっち上げだと知らしめる無罪判決であることが、想定され、その影響を少しでも押さえたい、ニュース性を少しでも薄めたい検察の意図が、このタイミングで図られたのか?

・そしてもうひとつ、9月1日に日本記者クラブ主催の昼食会で、大林宏検事総長が招かれ、「国民の司法参加と検察」のテーマで講演しました。その後の代表質問で大林検事総長は、小沢さんの一連の捜査に対して、事実上の敗北宣言とも言える発言をしました。内容は小沢さんがこれまで記者会見やことあるごとに言ってきた「一年あまりにもわたる捜査にも関わらず、立件する証拠はなかった」というものです。
これは東京地検特捜部の大失態を認め、小沢さんの「政治とカネ」の問題はなかったと認めたことです。そして、村木さんの想定されていた無罪判決。検察のこのふたつの大失態と何らかの関わりがあるのではないか……そんなことも感じます。

 政治的に影響を及ぼす可能性の高い司法の決定は、その重大性から、時期を避けるのがまともな司法だと思いますが、そうではなかった。代表選に影響しないそれよりもずっと前か、後でもよかったのではないか、と思うのです。
こうしたことに僕は、権力の腐敗、政治と官僚の癒着、司法の官僚権力の奴隷化を感じるのです。
そして最悪の奴隷は、マスメディアですね。

 いずれにせよ、小沢さんにとっては痛手であり、10月に行われる衆院選補欠選挙、北海道五区で立候補する町村議員(自民)にとっては、救いの決定であるし、鈴木議員が、事実上失脚し外務官僚と検察、官僚全体が、ひと安心していることは間違いありません。
 話は、代表選から少し離れたところから入ってしまいましたが、最高裁をはじめ司法の世界。また検察を含め官僚組織の中で行われていることは、私たちには伝わってきません。
司法の場は明らかにされない部分があるのは、ある程度仕方のないものなのかもしれませんが、検察や官僚の実態が伝わって来ないのは由々しき事態であり、まるで社会主義国の情報公開程度だと思います。なぜかと言えば、政治主導が行われていないからです。

 ようやく本題に入りました。これ以降は敬称略です。
菅政権の財政方針は、緊縮財政で「一律10%削減」という、どこかで見たような見出しです。
財務省が作った案をそのまま方針としていた自民党と同じですね。自民党は伝統的に緊縮財政を敷き、「財政の健全化」を訴えてきましたが、実態はどうだったでしょう?お分かりのとおりです。つまり緊縮しても財政は健全化するどころか悪化の一途をたどってきました。なぜかと言えば、システムが硬直化し過ぎていて、無駄が多すぎるからです。菅政権の来年度の予算案では、小泉・竹中構造改革で生まれた格差に苦しむ地方が、さらに10%分苦しまなければいけないかもしれませんね。これでは脱官僚とは言えません。
 
 国から地方に歳出される予算は、地方交付金ですが、一律に10%減らされたらたまったものではありません。特に地方税という「上がり」が少ない県の財政は、地方交付金の占める割合が、ひじょうに高く、交付金の減額は、今のシステムのままでは格差はさらにひどくなり、死活問題です。
 中央官僚の「紐」が付き、各省庁の縦割で硬直的な地方交付金を、一括交付し、各省庁がこれまで雁字搦めにし、非効率的なシステムで無駄ばかり生み出してきたシステムを変え、地方に自由裁量権を与え、地方の独自性を確立し、地方独自の特色ある自治を作って行こう。
というのが、民主党の地域主権の柱です。そして官僚改革の柱です。「事業仕分け」ばかり目立ち、事業仕分けこそ、無駄を省く最大の効果だと思っていたら認識不足です。
「紐付き交付金」の紐を断ち切り、各省庁の地方への権限を大きく縮小させ、地方に委ねることで、無駄を省いていく。地方が生き返り、みずみずしくなり、同時に官僚の権力も弱体化する。
そして責任を持って遂行するのが、選挙で国民に選ばれた政治家です。
まさに政治主導、官僚改革の最大の効果なのです。

 小沢は、ぶれることなく言い続けています。
民主党が行った、各都道府県首長、行政へのアンケートでは、自由裁量権を与えてもらえば、現在の交付金の70%で、今よりもまともな自治が生まれるという答えだそうです。実際、福祉、医療、保育、教育などそのほとんどは地方が運営しているのに、予算の使い方は、各省庁の手にあるんですね。金を握っているものこそ、国家の権力者です。まさに官僚主導です。
 地方交付金は、約21兆円で、このうち15兆円が、社会保障費です。社会保障費は、増えることは間違いなく、減ることはないけれど、ここにも無駄が潜んでいるはずです。いわゆる「縦割り行政」が、効率化の道を阻んでいます。
 さらに地方への予算として、裁量的経費(事務的経費)が、約15兆円あります。
国庫から出る地方が使えるお金は、36兆円です。各首長、行政が答えたとおり、70%の予算で十分だ!とすれば、約10兆円が、創出されるのです。

 小沢はこんな例を出して説明しました。
 「北陸のある県のある地方で、融雪設備の補助金を出してもらうように要請しようとした。しかし、どこを調べても、融雪設備単独で貰える補助金はない。スキー場を新たに作ると抱き合わせで融雪設備ができる補助金があった。スキー場は必要なかったが、融雪設備はどうしても必要だったので、申請した。補助金は全額出ないので、融雪設備にはもちろん、スキー場建設にも県が借り入れを起こした。しかし、数年後スキー場は、赤字を出し続け閉鎖した。これが、『紐付き交付金の実態』だ。官僚主導の実態。融雪設備も、スキー場も仮に同額だとすれば、借り入れも含めて、半分のお金で済んだわけだが、半分はスキー場の閉鎖と共に消えてしまった。残ったのは、本来必要のないスキー場の借り入れと、赤字だ」
 
 このような実態が現行のシステムでは、罷り通っているわけです。おかしいと思いませんか?

一方の菅は、一律10%削減と言っても、必要なものは出すし、必要でないものは出さないと、強気だったが、代表選の中盤あたりから、小沢の主張に抱きついてきた。
 本来小沢の主張は、民主党の主張であるわけだから、菅は短期間のうちに変節しなくてもよさそうなものだが、演説会と討論会でコロコロ変わっている。なぜ変わったのか、こうまで変節するのか、考えてみると、演説会で圧倒的に支持され、歓声が上がるのは、小沢の演説で、これもひとつの理由だと思う。新宿、大阪・梅田、札幌で行われた演説会をノーカットで見ると、菅への支持は、小沢の10分の1もない。可哀想なくらい、小沢の演説が喝采を浴びている。
そして説得力とその熱意に感動さえ覚える。
またネット世界での、圧倒的な小沢支持と菅不支持。この現象を見ると、メディアの報道や世論調査の結果は、俄かに信じがたい。たぶん菅も感じているはずだ。
 メディアは、「動員による」と一笑に付したが、その時の、茫然とした菅さんの姿は、まるで敗者の姿だった。演説の内容も、どう控えめに見ても、小沢の演説が遥かに勝っていた。
菅の演説は、市川房江を担ぎ出し参議員に当選させたこと、薬害エイズ問題の時の自慢話から始まり、
「一に雇用、二に雇用、三に雇用!」を毎回連発し、雇用を創出する経済政策は、ひじょうに曖昧でした。
 「動員」の疑いについてですが、演説を実際聴きに行った人の話を聞くと、動員をかけていたのは菅の方で、一目でわかるブルーの小物を持つ人たちがまとまっていたという。
動員についてはいずれにしても、そこで行われたメディアのアンケートの酷さはなかったようだ。
これについては、多数の証言者がいるので、時間があればいずれ書こうと思う。
 
 いずれにせよ、菅の地域主権、政治主導、官僚改革、財政の創出は、民主党のこれまでの主張から大きく後退したことは間違いない。
小沢は「国民に選挙で選ばれた政治家が、主導していくことこそ、主権在民の民主主義国家です」と主張する。「官僚になめられる政権は、国民主権から遠い」とも。

 さらに小沢は言う。「地域主権にまだほとんど手つかずの中で、消費税増税はいかがなものか。格差社会が生み出した、国民の異常な疲弊状態の中で、セーフティーネットとして創出した子供手当の減額もいただけない。まず本気で取り組むのは、政権交代の際の、国民の皆様との約束であるマニフェストを実行することだ」

 「バラマキ」だと批判されることが多い、「子供手当」だが、僕はバラマキだと批判される理由が解らない。子供手当に限って言えば、23000円/月/人は、充実しているフランスに比べれば、まだ少ないし、満額でようやくヨーロッパ並みである。その他の手当を含めば、まだまだ日本は先進国の中で社会保障後進国である。
直接、国民に手渡すお金は、官僚の紐が完全に切れた、政治主導によるセーフティーネットの一環であり、政治主導の賜物だと思う。何よりも「バラマキ」なのは「紐付き給付金」ではないだろうか?
 農家の個別保障制度も然り。小沢は漁業まで拡大したうえで、競争力をつけ、自由貿易化させ、made in japanの品質の良い農産物、魚介類をアジアに広めていくのだという。その前には当然、「食料自給率の健全化」を目指していることは言うまでもない。
 「高校の授業料の無償化」が、果たしてバラマキだろうか?格差社会の中で、高校に行けない人たちのための、セーフティーネット。すべての国民への公平なセーフティーネットだと思えないのだろうか。

 いずれにせよ、小沢の政策はとても解りやすく、説得力があり夢がある。
菅の政策は、どう控えめに見ても自民党化していて、そんな菅政権は必要ない。
 「首相がコロコロ変わると国際的な信用を失う」という理由で、菅を支持する人たちがいるが、言い出しっぺは、誰だと思いますか?
普天間基地問題で、徹底的に鳩山を恫喝し、「ル―ピー」だと言った、キャンベル国務次官補です。
キャンベルは、普天間基地移設先は、辺野古だと強硬に言っていた。
そして、菅は「日米合意」を遵守。辺野古への移設賛成。
一方の小沢は「日米合意」を尊重しながらも「沖縄のみなさんが反対している限り、辺野古への建設は無理。アメリカもそう思っている。だから、話し合う余地は十分あるし、私は話し合う」。
 キャンベルにとっていちばん首相になってほしくないのは、小沢です。

 僕は、変節を繰り返し、創造性に欠けた政策しか持っていない首相。政権交代の時の国民との約束を、半ば手つかずの状態でありながら「現実路線」だと言って自民党化する菅政権に去っていってもらいたい。また菅執行部はまだ誰も、参院選大敗の責任を取っていない。代表選の演説や討論会では責任の在り方も何ひとつ具体的に示されていない。首相は続けたいけれど、責任はとりたくないという理論がどこにあるのでしょう。

 今日面白い記事を見ました。自民党執行部が変わり、石原伸晃が新幹事長にいなりましたが、彼がこんな発言をしています。
「政策的には、菅さんと近い。『日本の財政には、漫然と構えている余裕はない』という認識があるなら、抱きつかれてもいい」

 自民党の政策と明確な対立軸を掲げ、政権交代を果たしにも係わらず、自民党の執行部から、「政策が近い」と言われるなんて、菅政権はいったいどこを目指しているのでしょうか。

                                    続く





「国民生活第一」への改革は何処へ向かうのか(2)官僚体制の成り立ち

2010年09月06日 | 日記
ピアノ300年記念 根津理恵子:ショパン / 「革命」




 代表選の焦点になっている「政治主導」ですが、小沢も菅も(以下敬称略)官僚主導から政治主導への改革を訴えていますね。政治主導への具体性は、小沢の地方分権主義の中に明確に提示され、菅は掛け声だけは大きいのだが具体的政策では今ひとつ説得力に欠けている。こうした中で政治主導とはどんなものなのか?官僚主導のどこがいけないのか?ということに漠然とした思いを持っているのは、私たちではないでしょうか。
 今回は、政治主導の対極にあるのが官僚主導、官僚政治について少し紐解いていきたいと思います。
 民主主義の原則である三権分立―立法(国会)、行政(内閣)、司法(裁判所)の分立―すべてに深く関わり、すべてに権力を持っているのが官僚です。もちろん、官僚が配されていなければ、実務不可能となり、機能を失ってしまう。
官僚は国家運営にはなくてはならない存在で、国民は実務を制度の中で官僚に委ねています。しかし私たちは官僚に「権力」を委ねたわけではありませんね。官僚は国家試験に合格した人たちで、私たちが選挙で選んだわけではありません。選挙で選んだ人たちは政治家です。民主主義の中で私たちの意志は、政治家に委ねられているのです
 
 しかし実態は、官僚制度が創出されて以来、権力を握り続けているのは、政治家よりもむしろ官僚であることは明白な事実です。
 そもそも日本で官僚制度が作れた目的が、政治家の力を削ぎ落すためなのです。明治政府が作りだした天皇を神格化した絶対君主制を政治家によって造り替えられるようなことがあってはならない。国民にも政治家にも国家の根幹たる天皇制が脅かされてはならない。
 このような意志が、明治政府の一部。元老と呼ばれた山形有朋から生まれ、強固な官僚体制がこの国に生まれたのが実体です。

 その経緯をマイミクのタケセンさんのブログ『思索の日記』(mixi日記欄にも掲載)から部分的に引用させていただきたいと思います。
(*タケセンさんは、とても寛容な方で、「どんどん使ってください」と言ってくださいます)

◇ルサンチマンの政治家―山県有朋の呪縛力!!(全文を読むことをお薦めします)
http://blog.goo.ne.jp/shirakabatakesen/e/e9c49d42f1d89006b292e3a815fd16ba
(このレポートを書いたのは、タケセンさんが主宰されている『白樺教育館』http://www.shirakaba.gr.jp/index.htm
の教え子で当時高校3年生の古林到さんです。僕などとうてい知りえなかった事実と見事な考察、論証が展開された秀逸なレポートです)

【部分引用開始】
有朋は、江戸時代の後半に長州の萩で生まれた。父は藩の中間(最下層卒族)である。
卒族の中でも「中間」は、戦時における武具や旗の持役など、人夫のようなものであったので、もっとも軽んじられる存在だった。町中で士分の者に会うと、土下座してあいさつせねばならないほどであったという。

恐らく、彼の家庭の貧しさは想像を絶するものだっただろう。そして更に、母親は有朋が五歳のときに早世してしまっている。後妻は幼い有朋をうるさがるばかりで、まるで面倒は見なかった。代わりに有朋の面倒を見たのは祖母だったが、有朋に出世の望みをかけ、人に負けるな、強くなれと口うるさく言っていた。

彼が幼い頃のエピソードに次のようなものがある。
彼が友達と、川に向かって誰が一番遠くまで投げられるか、石投げをして遊んでいた。その時、川に投げるフリをして、有朋より一つ上の士分の家の子が、有朋の後頭部に石を投げつけた。あまりの痛さに有朋は激怒し、謝れと叫んでしまった。その士分の子は、まさか中間の子が自分に逆らってくるとは思わなかったらしく、逆上して怒鳴り返した。それで頭に血が上った有朋は、その士分の子を川に落としてしまった。士分の子の訴えを聞いたその父親は、有朋の家に押しかけ、有朋を事件現場まで拉致し、文字通り半殺しにした後、川に投げ捨ててしまった。その後祖母に助けられた有朋は、武士になりたい、武士にさえなれば、とむせび泣いたという。

このような悲惨な環境で育ち、蔑まれてきた生い立ちが、彼を地位と権力への欲望が人一倍強い人間に育ててしまったのだろう。本来ならば、彼の「武士になる」という夢は叶うことなく、彼の生涯もひっそりと終わるはずだったのだろうが、この後、藩内の改革として「家柄や資格を無視して、有能な人材抜擢をする」という方針が出され、彼にも出世のチャンスが訪れた。そして、幕末の動乱を通して明治となり、トントン拍子に出世していった有朋は、明治政府、特に軍部で重要な役割を果たす地位についていったのだ。

高杉晋作の下で奇兵隊の幹部となっていた有朋は、維新後すぐに海外視察へと赴いた。馬関戦争で欧米列強の近代軍備にコテンパンにされたことが身に沁みていたので、かれは「国家建設のためには強大な軍事力を持たねばならない」と考えていた。そのための勉強・研究として、ヨーロッパ諸国の軍備を見に行ったのだ。しかし有朋はヨーロッパで信じられないものを目にする。

丁度この頃のフランスは、民衆の蜂起による世界初の労働者自治政府ができる直前であったし、欧州全体で社会主義が発展、人々が自由と自治を求めて騒然としていたのだ。青年期の、松下村塾の経験からガチガチの尊皇思想に凝り固まっていた有朋にとって、これらはとても理解できるような状況ではなかった。そしてそれは「天皇を頂点とする素晴らしい国家のためには、やはり町人や百姓は甘やかしてはならない、愚民どもは黙らせておかねば」という彼の考えをより強固なものにした。そして有朋は生涯、民主主義や民権思想といったものを目の敵にし、弾圧し続けることになる。天皇中心の国家が真に良い事だと彼は信じ切っていたし、何より、彼の心の奥底にある、地位と権力への欲求がそれを(意識的にしろ無意識にしろ)許さなかったのだろう。真の民主主義がなってしまえば、彼の望むような、地位もくそも無くなってしまうからだ。

海外視察から戻った有朋は、兵部省(後の陸海軍省)の高官となった。(高官とはいえ、様々な事情から実質は兵部省のトップである。)そして有朋は、まず軍事面から彼の理想像に近づけることになる。廃藩置県により、各藩の私兵となっていたものを天皇の新兵とし、更に徴兵制を導入。これにより、天皇を頂点とした中央集権国家に相応しい、統一された軍隊をつくろうとした。

そして更に、これは明治中盤の話だが、彼は陸軍の軍制をフランス式からプロシャ式に変えている。実はこれは重要な変化で、フランス式は、軍隊は政府の指揮下にある、という国民的軍隊であり、プロシャ式は政府の指揮下にあるのではなく、独自に行動できる絶対主義的なものである。(己の権力欲のため)軍隊を政府の管轄ではなく、全く独立した天皇直属のものにしたかった有朋にとって、これはとても重要なことだったのだ。(いうまでもなく、これが第二次世界大戦における日本の軍部の暴走の原因の一つとなった)

そしてその後、日本にも自由民権の思想が広がり始めてきた頃、前述したように、民主主義や民権思想といったものを己の理想の敵とみなし、恐れていた有朋は、民権党の暴動を皮切りに、いよいよ民権思想の弾圧と抑止、撲滅に取りかかる。彼はまず(民権党の暴動に軍隊の一部が加担していたこともあって)軍部内の統制に取り組んだ。「軍人訓戒(後の軍人勅諭)」をつくり、忠実・勇敢・服従の軍人の精神として掲げた。上官への絶対服従(上官の命令は天皇の命令と思え!というもの)、階級の秩序を乱さぬこと、民権思想の禁止など、軍人の言論、思想の自由を徹底的に抑圧した。天皇のためだけに動く、忠実な軍隊をつくるための完全なる戦闘ロボット育成スローガンである。

有朋は、政・官界でも本格的に活動することになる。有朋はまず、「集会条例」「新聞条例」「出版条例」を改正(改悪)し、集会の自由、言論の自由を拘束、各地で起こる民権運動を、警察を総動員して鎮圧、民権急進派をことごとく根絶やしにした。更に、「各府県会議員の連合集会、および往復通信を禁止」し、全国的に横のつながりのある政治結社を瓦解させた。また、板垣退助の存在で辛うじて統一されていた自由党には、三井財閥から引き出した金で(策略によって)板垣を豪遊させ、癒着を偽装して内部分裂をさせた。大隈重信の改進党に対しては、三菱財閥との献金関係を言いふらし、自由党に攻撃させた。

更に、相次ぐ弾圧への反感から、自由党員の多数当選が予想される衆議院とは別に、政府に都合のいいほうへ誘導するための「貴族院」という議会を設けた。貴族院の議員になる資格は「華族」であること。彼らは「皇室の守護」として様々な特権を与えられている。この「華族」というのも、有朋が貴族院をつくるために事前に設けた「華族令」によるものであり、当然、有朋自身も華族に列せられている。用意周到とは正にこのことだろう。

続いて対民権思想として政党員の行政機関(官僚組織)への進入を拒否するため、「文官任用令」を制定、天皇が任命した親任官以外は、高等文官試験を通った者しか任用できないようにした。これが、現在の日本の問題点の一つとなっている「官僚主導政治」の始まりとなる。

また、ブルジョア階級の増大により近代的労働者階級が形成され、社会主義思想と組織運動が広がり始めているのを見た有朋は、それらを民権思想と同様、己の理想の「天皇制国家」の敵と見なし、それらの弾圧と根絶に取り組む。「治安警察法(後の治安維持法)」を制定し、労働運動を若芽のうちに根こそぎ摘み取った。そして、先に書いた文官任用令をはじめとした、官僚(行政)に権力を集中させ議会(立法)を下に置くための制度づくりに尽力した。
また、年々増していくブルジョア階級の政界進出意欲に対し「あんた方は黙って金儲けをしていればいい、後のことは一切わしらに任せてくれ」と抑え、代わりにブルジョアジーの意向をより多く議会に反映させ、政治資金の供給源の確保を図った。これが、現在にも続く政・官界と金持ち(昔で言えばブルジョア階級、現在で言えば特定の大企業など)の癒着の原形といえるだろう。
【部分引用終わり】

 いかがでしたか。私たちは明治維新によって生まれた明治政府が求めた当時の欧米並みの近代国家建設の中で、欧米に倣いながらその必要性から、官僚制度が生まれたものだと、好意的に捉えていたのではないでしょうか?しかし、事実はかなり異なるようです。
このようなかたちで官僚制度が生まれ、天皇絶対君主化の中で、軍隊と同様に“天皇の下僕”として強化され続けるわけですが、先の大戦後、「象徴天皇」「軍事力の永久放棄」「民主主義」を掲げた新憲法下の戦後の政治体制の中でも、官僚制度は、新たな生命力を得ながら、政治の影となり、持続されながら自民党一党支配という構図の中でいっそう強化されました。
このことは戦後の歴代首相の顔ぶれを見れば明らかです。

◇吉田茂―東大~外務官僚
戦時中外務官僚として和平工作に携わり、数々の受難を受けたが、そのことが逆にGHQ(連合国軍最高司令官総司令部:進駐軍)から信頼を得て総理の座に付き、政争を繰り返しながら「日本の防衛はアメリカに任せ、日本は経済の発展を最優先する」という戦後の日本の路線を構築した。

◇岸信介―東大~旧農務省官僚から、旧商工省次官へ。政界進出。A級戦犯として巣鴨プリズンに拘留、不起訴後公職追放をされながらも総理の地位に就き、日米新安保条約を締結し、日本の戦後の対米外交と防衛体制を決定的にする。
岸の後継は、佐藤栄作、福田赳夫、森義郎、小泉純一郎、安倍晋三(孫)、福田康夫と継承されている。今の自民党最大派閥、清和会である。

◇池田勇人―京大~大蔵省次官
経済重視の内政主義を打ち出し、「所得倍増」をスローガンに、日本の高度経済成長を実現した。
後継は、大平正芳、宮沢喜一。自民党派閥の宏池会。

◇佐藤栄作―岸信介の実弟。東大―運輸省次官
高度成長時代というは背景の中で、安定した長期政権を運営。安定への布石として、次期総理、将来の総理候補と言われた、田中角栄、福田赳夫、三木武夫、大平正芳、中曽根康弘、宮沢喜一という人材を派閥を超えて、重要なポストに就かせることで育成し達成した。「人事の佐藤」と言われる所以である。

◇福田赳夫―東大~大蔵省主計局長。
主計局長時代、昭和電工事件に関わり収賄罪容疑で逮捕。裁判では無罪。政界に入ってからは岸信介の側近として力をつけ、佐藤時代に重要なポストに就き、次の総理候補と呼ばれたが、田中角栄に敗れる(角福戦争)。ロッキード事件後、総理となった三木武夫を力ずくで降ろし(三木降ろし)総理となる。政策はタカ派外交、緊縮財政による財政の再建。大平が総理就任後、衆院選で負けた大平と党を二分しての争いとなり、翌年再選を狙った総裁選で大平正芳と争うが敗れる(40日抗争)。このように福田が歩む中では、権力闘争が露骨に行われた。

◇大平正芳― 一橋大学~大蔵官僚
大蔵官僚時代、池田勇人の大蔵大臣時代秘書官を務め、政界入りした後、池田の側近となり頭角を現す。大平総理の時代は、ソ連のアフガニスタン侵攻、イラン革命など新冷戦時代とも言われ、そうした状況の中、モスクワオリンピックボイコットなど、対米協調をより明確化し、初めて日米関係の間で「同盟」という言葉が用いられた。79年増税発言で衆院選で敗北し、やがて福田との40日抗争が生じ、自民党に内部分裂が起こり、衆参ダブル選挙で乗り越えようとしたが選挙中死亡。

◇中曽根康弘―東大~内務官僚。
官僚出身と言っても中曽根の官僚生活は長くなく、27歳で衆院議員となり、鳩山一郎の側近の政治家、河野一郎(河野太郎の祖父、河野洋平の父)に見いだされ側近となり、河野派を継承し中曽根派となる。そういう意味では。官僚政治家ではなく、党人政治家と言える。派閥の地盤が弱小だったため、常に風向きを留意し政界を渡るその姿は風見鶏と言われた。
田中角栄の協力を得て総理になってからは、土光敏夫、瀬島隆三など民間人ブレーンを登用し、行政改革を実行。その手腕は大統領的とも言われた。外交は日米協調路線をさらに強化させ対米追従を深化させた。

◇宮沢喜一 ―東大~大蔵官僚
官僚時代、池田勇人蔵相の秘書官となり、政界に入った後、池田のブレーンとなり、「所得倍増計画」の策定に関わり、若くして頭角を現す。それまでの派閥の長がすべて総理になった中曽根政権時から、安倍晋太郎、竹下登と共にニューリーダーと呼ばれ、次期総裁候補となり、竹下失脚の後、保守本流のリーダー、国際派総理と期待を集めたが、竹下登勢力が牛耳る状況の中で力を発揮できず、得意の経済政策で自滅し、自民党が野党となる原因のひとつを作ってしまった。


 官僚出身ですが、党人派である中曽根を除き、福田赳夫までの顔触れを見ても分かるように戦後日本の方向性を決定的にしてきたのは官僚出身の総理であることに気付きます。官僚派の総理の下に官僚出身の政治家が集まり、政治家と官僚の距離はいっそう近づき、権力は癒着しながら強大化し、官僚政治が強化される。
 官僚が作った政策は、そのまま自民党の政策となり、自民党時代の閣議は、各省庁次官に持ち込まれた閣議決定書にサインするだけの、わずか30分足らずの形骸化した政策決定会議となり、国会での答弁は大臣秘書官が作り上げた答弁をそのまま読むという、官僚の代読的答弁でした。
官僚主導の政治、官僚政治は、明治以来120年に渡り持続し強化され続けてきたのです。

 ここで僕が体験した官僚主導の一例を紹介します。
 ダム問題で僕たちの市民グループは、国交省と環境庁(当時)に質問書を出しました。しかし直接省庁に提出できません。「紹介議員」を介さなければ、官僚に届かないのです。
その時、紹介議員になっていただいたのは、党派を超えて作られた「公共事業チェック議員の会」会長の中村敦夫とメンバーの民主党の岡崎とみ子、佐藤謙一郎議員でした。
両省庁からの返答は、長い時間を要しようやく返ってきて、両方の意見交換が紹介議員の尽力により、霞が関の省庁内でそれぞれ行われることとなり、出かけたのですが、議員か秘書が同行しなければ、一歩も中に入ることはできません。
 国民の声が、国民の手によって直接担当省庁担当官に届かないシステムになっていたのです。
 中村敦夫や岡崎、佐藤は、族議員ではありませんでしたが、このような官僚主導のシステムが、族議員を生み、政官癒着構造を強化し、官僚の権力を増大させたのです。

 このシステムを一気に切り崩したのが、政権交代を果たした幹事長、小沢でした。
 民主党政策調査会(政調)は、自民党の政務調査会と同じように、国民や団体から陳情された政策も含め党で練られた政策を議員が調査論議し、各省庁に伝え実現化させる機能ですが、これでは、どちらが政治の主導者なのか。という問題があり、自民党時代のような族議員が生まれかねない。
これを危惧していた小沢は、政調を廃止し陳情を各地の民主党連に集約させ、幹事長室に一本化し、党と政府が一体となることで幹事長室に届けられた陳情は、各大臣に直接届けられ、官僚主導の一部を崩壊させました。政策は党議員と閣僚が論議しながら決定していく機能を新設した「政策会議」に委ねました。
 一方菅は、政権を掌握すると、政調を復活させ、政調会長を内閣の一員としました。

                                続く



わたしたちがもうたっぷり知っていると思っている物事の裏には
わたしたちが知らないことが同じくらいたくさん潜んでいるのだ。
理解というものは、つねに誤解の総体に過ぎない。

                   村上春樹「スプートニクの恋人」より


「国民生活第一」への改革は何処へ向かうのか(1)政治とカネ

2010年09月06日 | 日記
{ 新世界より 第4楽章 / ドヴォルザーク }日本の山総集編


 菅、小沢両氏(以下敬称略)が、民主党代表選に出馬してから僕は、「民主党主催の出馬表明会見」「日本記者クラブ主催の公開討論会」「NHKニュース9での会見」「テレビ朝日・スーパーモーニング:小沢会見」「フジテレビ・新報道2001:両氏討論会」「NHK日曜討論:両氏討論会」「ニコニコ動画:小沢討論会」「民主党主催:共同街頭演説会~新宿」「民主党主催:共同街頭演説会~大阪・梅田」をそれぞれの生放送を見ました。そして民主党のHPから、二人の「政見」をじっくり読みました。
 基本的に僕は、NHKのニュースを軽く視聴するだけで、民放の編集されたニュース、編集された画像を使い、訳の判らない偏向的な評論家やコメンテーターが歪めて語る報道番組、ワイドショーの類は見ないことにしている。なぜならこれまでも編集された恣意的な報道を見ることによって、事実、真実を掴むのに遠回りした経験が何度もあるからです。
 
 新聞については、朝日新聞をやめ、合わせて取っている上毛新聞(地方紙:中央のニュースは共同通信による)を参考程度に、というか活字人間なので、新聞のひとつも読まないと朝の時間が埋められないので読んでいます。理由は、新聞をひとつにしたのは編集されたテレビ報道と同じように信用していないからです。
 
 しかし、日本の行く末を委ねる首相が選ばれる代表選の生放送は、積極的に視聴します。生放送が物語ってくれる多岐にわたり、これまで霧の向こう側にあった自分の中で曖昧になっていたものが、明瞭化するんですね。そして、日本の行く末を推察できる重要な報道です。
その中からいくつか判ったことを書こうと思います。

◇政治とカネ

 小沢をめぐる西松・水谷建設の不正政治献金疑惑ですが、これまで書いてきたように、東京地検特捜(以下、検察)による1年あまりにも及ぶ強制捜査を含む捜査で元秘書3人を逮捕し、ゼネコンの強制捜査をしながら、検察が狙っていた小沢の受託収賄罪、斡旋収賄罪を立証することはできませんでした。

 元検事・郷原信郎(弁護士)をはじめ、会計士など、小沢と直接かかわりのない専門家によって、元秘書の逮捕起訴理由である、政治資金規正法虚偽記載について、問題とされた秘書らの宿舎建設のための4億円の銀行からの借り入れと、自己資金の関係に不正は存在せず、問題はただ一点、取得した土地登記の時期が2ヶ月ずれていたことです。これも言ってみれば、土地取引上よくあることで(僕も仕事柄何度も経験しています)罪とも言えないような微罪であることが明らかにされました。
政治資金規正法違反について、検察審議会の起訴相当、不起訴不当の議決が出されましたが検察は共に不起訴としました。
 
 このことについて、小沢は「仮に総理大臣になって強制起訴されても逃げない。受け止める、訴追に同意する」と発言し、「国会の場でも要請があれば、説明する」と明確に答えました。
これによって報道にあるような、検察審議会の起訴議決で強制起訴になった場合「総理大臣の権限を使い、訴追不同意で逃げるために立候補したのだろう」いうネガティブな憶測は、意味をもたなくなり、同時に小沢の「政治とカネ」の問題はなくなり、代表選の争点としても意味をもたなくりました。

 菅は立候補当初、「政治とカネ」について言及し、小沢が「訴追同意」発言をしてから菅の「政見」にあるように「クリーンでオープンな民主党」という観点から、幹事長を辞任したことを評価しながらも「古い体質の政治家でありクリーンでオープンではない」と討論会で迫ります。
菅を支持する閣僚や議員も同じです。
 一方小沢は、「一年あまりにも国家の最高捜査機関である東京地検特捜の強制捜査を受け、政治資金規正法上出さなくてもいい領収書や他の資料まで全部提出し、出頭取り調べにも応じ、その上で二度の不起訴です。私にやましい点は微塵もありません」と答えました。

 これについて、フリージャーナリストの上杉隆がこんなふうに語っています。
「クリーンであることとクリアーであることは、別問題でもあり、また含まれている微妙なところだが、クリアーという点では、小沢は今のところ日本で一番クリアーな政治家と言える。なぜなら、西松事件以降、幹事長記者会見を毎週月曜に欠かさずフルオープンで行い、事件に関する記者の質問にも答えてきたし、政治資金規制法上提出する必要もない領収書の類まですべて検察に提出しているし、マスコミにも明らかにしている。ここまでオープンにしたのは、私の知る限り小沢と鈴木宗男だけだ」
ちなみに上杉は小沢のことを嫌っている。

 話は逸れますが、10月に出されるという検察審議会での議決が起訴議決になれば、小沢は強制起訴される。「訴追に同意する」言ったからには逃げることは不可能だ。仮に総理大臣になったとしても。
 しかしその時、もっとも困るのが検察だと言われています。これまでの捜査資料を指定弁護士にすべて提出しなくてはならない。この中には検察に都合が悪いことが含まれている可能性がある。
 元秘書は起訴されたものの、昨年3月に起訴された大久保元秘書の第二回公判が1月13日に開かれ、証人により「西松建設の政治団体は正当なものであった」と証言されると、「訴因変更」という理由でその後公判が開かれていない。予定も発表されていない。1月に逮捕され石川議員に至っては、一度も公判が開かれていない。

 そして検察にとって最大の問題は、仮に総理となった小沢を起訴し裁判が開かれても、無罪になる可能性が極めて高いことです。もしそうなったら、一国の総理大臣を微罪で起訴しておきながら無罪という検察の無能ぶりと国策捜査であったことが明らかになる。政治的に小沢を抹殺しようとしたことが誰の目にも明らかになる。この時検察の威信は崩壊し、「政治とカネ」でネガティブキャンペーンを繰り返し続けているマスメディアとそれを言い続けてきた評論家や政治キャスター、文化人、政治家の信頼は確実に失われる。
小沢が総理になれなくても同様な現象が生まれる。

 検察審議会で起訴相当の議決が出され、強制起訴となることをもっとも怖れているのは、小沢ではない。
小沢が総理になることを怖れているのは誰なのか?判り切っている。

 冷静に考えてほしい。岡田外相は「起訴される可能性がある人が立候補すべきではない」と公然と言ったが、これまでも何度も書いてきたように、民主主義国家の刑法の下では、何人(なんぴと)も、『推定無罪の大原則』によって罪が決まるまでは無罪です。自由人です。
この原則に基づけば、二度の不起訴を受けた小沢は、まったくのシロであり、起訴されて初めてグレーとなり、罪の決定を受けてはじめてクロとなる。
 この上に、政治倫理を重ねても、二度の不起訴は、グレーと言っても限りなくシロに近いグレーくらいだと思う。立候補を見合わせる必要もないし、以前言われたように議員辞職、あるいは離党などする必要もない。まして、同じ政党である民主党の議員は、小沢が政治資金規正法上で定められた以上の資料を提出の事実を知っているはずだ。
小沢の「政治とカネ」の問題を代表選で突くこと自体間違いであり 不見識であり、民主主義国家の閣僚、政治家の発言として呆れるばかりです。

このような発言が、生まれるということは、民主党内で激しい権力闘争が行われていると言わざるを得ないですね。


◇僕にとっての民主党と二人への関心の経緯

 菅と小沢が対決する代表選にあたり、僕のこれまでの民主党と二人への関心の経緯について大雑把にでも書いたおいたほうが何かと解りやすいと思う。
 僕はこれまで、小沢擁護論みたいなことを書いてきましたが、07年の参院選までいちばん評価していた政治家は菅直人でした。それも民主党を支持していたわけではありません。いわゆる無党派の一員で、自民党に投票したことはなかったけれど、積極的に民主党や以前の社会党に投票していたわけでもありません。そうですね。菅に関しても民主党についても積極的支持と消極的支持の中間くらいの曖昧な支持です。その程度です。
 小沢については小沢の著書「日本改造計画」を読んだくらいで、メディアに刷り込まれた剛腕、強引、信用のできない奴。というイメージでした。

 そんな僕が02年、県営ダム建設反対の市民ネットワークに加わり(広報誌編集担当)活動する中で、地元の民主党を支持する人たちと出会い、また、民主党代議士の秘書が、個人の資格で加わることになり、民主党への理解が深まり、無党派を抜けました。
 県営ダム建設が凍結された後、このネットワークの主だった人たちを中核として、秘書も含めて、また地元選出の石関貴志民主党議員と民主党県会議員が加わり「八ッ場ダム研究会」というグループとなり、八ッ場ダム建設を多角的に検証し、中止を模索しました。八ッ場ダムは、すでに周辺の工事が進んでいて、グループ結成当時から政治的決着以外道はないということで、民主党の政権交代に託しました。託したからには応援も必要でささやかな応援をしました。そして07年の参院選で過半数を獲り、政権交代の可能性が高まり、09年の衆院選で圧勝し政権交代を果たし、「建設中止」が直ちに発表されました。

 その前年の夏、「緑のダム構想」を掲げていた民主党が、繋がりのある八ッ場ダム研究会と協力し、当時幹事長だった鳩山他、約30人の議員による現場視察が行われ、現地での記者会見で鳩山が「八ツ場ダム建設中止」を09マニフェストに取り上げることを正式に発表をしました。僕たちはお役御免です。
 そんなことで繋がりはさらに深くなりました。

 07年の参院選で、僕に転機が訪れました。選挙を勝利に導いた小沢が僕の中で俄かにクローズアップされたのです。そして小沢の道のりと理念、政策を調べることになったのです。しかし、まだ僕の中でNo1の政治家は菅直人でした。それは、西松事件が起こるまで変わりませんでした。
 西松事件・水谷事件が起こり逆風の中に立たされた小沢が辞任したことで、さらに小沢をについて知りたくなったのです。小沢について調べたことはこれまでかなりの量を書いてきたのでここでは省きますが、「このような混迷の時代にあって、日本の舵取りを任せられるのは小沢しかいない。混迷を切り拓くのは小沢しかいない」と思うようになり、僕の中でNo1の政治家が小沢に変わり、菅直人はNo2になったのです。
 
 小沢と鳩山が切り拓いた後は、菅直人が実直な政権運営で安定させればよい。そんな思いでした。しかし、小沢、鳩山の改革途中での辞任で状況は変わり、菅の代表、首相就任を多少の不安を感じながらも歓迎していました。
 しかし、首相就任後の菅に失望しました。就任の時の、あたかも首相になったことが菅の最終目的であったかのような喜びように不安を感じたと以前書きましたが、その不安が的中したのです。
もちろん僕にとってということですが……


                               続く


いろんな人が出てきて、
そのそれぞれに
それぞれの事情と理由と言いぶんがあって、
誰もがそれなりの正義と幸福を追求しているわけです。
そしてそのおかげで全員が
にっちもさっちもいかなくなっちゃうんです。
そりゃそうですよね。
みんなの正義がとおって、
みんなの幸福が達成されるということは
原理的にありえないですからね。


                    村上春樹 インタビューより


「普通の国へ」小沢一郎代表選出馬

2010年09月01日 | 日記
 小沢一郎(以下敬称略)が手を伸ばしたその指先に総理大臣の座があった。しかし、ふれることなく小沢は自ら辞さねばならない事態となった。昨年5月11日、西松建設の政治献金をめぐる会計担当秘書逮捕を受けて、夏の衆院選にかかる影響から、「生活第一」「政権交代」を掲げ衆院選に臨む民主党の代表の座を降りた。
 そして、国民に解りやすい09マニフェストを掲げた民主党は、圧勝し悲願の政権交代を成し遂げた。
 以前にも書いたが、二大政党制と政権交代をもたらした最大の功労者は、小沢である。
小沢を高く評価する人たちは、総理にはなれなかったものの、幹事長として党の采配を振るう小沢に期待し、鳩山・小沢体制に「国民の生活第一」「対米対等」「官僚改革」「国連主義」という真の民主主義独立国への夢を託した。しかし、アメリカと官僚の壁は高く、厚く、壁の象徴とも言える普天間基地海外、県外移設で敗北し、第一段階での望みは消えた。
 この間、小沢・鳩山に対するマスメディアの「政治と金」という不条理なピンポイント非難は凄まじく、多くの人たちはメディアの論調に呑まれるように呼応し、参院選への影響から、鳩山、小沢は総理と幹事長からそれぞれ辞すこととなる。
 そして、鳩山の総理の代表任期を継承した菅総理と小沢の後を任せられた枝野幹事長ラインで参院選を戦い、望んでいた議席数を大きく割り込む大敗を喫した。
あまりあてにはならない世論調査ではあるが、鳩山、小沢が辞めたことで支持率のV字回復を果たしたにも関わらずである。
 そして今日、民主党代表選に、菅総理と小沢が正式に立候補表明の記者会見を行った。
与党民主党の代表選は、イコール総理大臣を決定する選挙でもある。
これが昨年5月からの、小沢を中心に大雑把に民主党の流れである。

 そこで小沢はなぜ代表選に出馬したのか?ということを考えてみる。
マスメディアは相変わらず好き勝手なことを書き、小沢出馬を貶めているが、理由は明確である。
 菅政権が、政権交代を果たした時の国民との約束である、09マニフェストを大幅に修正し、政策を次々と変えていったことにある。
官僚改革の要である国家戦略局の軽視。財務官僚に取り込まれた消費税アップへの言及と支持。各省庁族議員と官僚の力を削ぐために行った陳情の幹事長室一本化の廃止。いち早く声明したアメリカ追従外交。
そして参院選大敗の責任を菅総理も枝野幹事長も党執行部がとらなかったこと。代表選以降に持ち越したこと。小沢排除により挙党態勢を崩壊させたこと。

 このことは同時に、今回の代表選の政策的対立軸として争われることになる。政策論議は積極的に表だってしてもらいたいし、その政策と実行力で代表を判断してもらいたい。
その結果、菅が勝てば09マニフェストは修正されるだろうし、小沢が勝てば09マニフェストに沿った改革が、行われるはずだ。どちらにせよ『ねじれ』というひじょうに困難な状況の中で政権運営が行われることになる。
しかし、この『ねじれ』という現象を生み出したのも私たち有権者である。その影響は私たちが真摯に受けなければならないことは理である。

 小沢とすれば、このような時期に出馬することに躊躇いがあったはずだ。選挙のスペシャリストと言える小沢が二大政党制と政権交代を政治生命をかけて描き、言われのない非難を受けながらも実行してきた戦略で、前回の参院選で勝ち、衆院選で勝ち連立を結ぶことで、参院選で過半数を可能とした。そして今回の参院選で単独過半数にはいかないにしても連立政権で完全に過半数を勝ちとり、政権交代を揺るぎないものにするということが、代表時代も幹事長時代も小沢の最大の目的だった。だからメディアが無謀と非難した二人区に二人の候補者を立て、ひとりでも多くの当選者を確保しようと考えたのである。そして立てた。しかし菅政権はそれを活かせなかった。

 政権交代が完全に成った。と思っている人も多いと思うがそれは認識不足である。
衆院選に勝てば政権は獲れる。たしかに政権交代である。しかし真の政権交代は、参院選で過半数を獲って初めて完結される。
 
 衆院で可決された法案は、参院へ回る。参院で与党が半数に満たなければその法案は否決され消える可能性が高い。衆院の優越性から参院で否決された法案は衆院へ戻り再議決されるが、2/3以上の賛成がないと可決できないからだ。衆院で2/3以上の議席は、民主党にはないし、今後自民党でも民主党でも生まれる可能性は極めて低い、極めて高い壁である。
 これまでの長い自民党政権の中でもそうなかった。直近では小泉郵政選挙で圧勝した自民党が、2/3以上の議席を保有して、参院で否決されても衆院で再可決した。
だから、長期安定政権を築こうとする賢いリーダーは、衆院選よりもむしろ参院選を重視し、参院選に全力を注いだ。佐藤栄作、田中角栄、中曽根康弘は参院選を重視し、特に田中角栄の参院選への気の配りようとダイナミックな戦略は、見事とも言えた。いわゆる田中軍団と言われた面々に参院議員が多かったことがそれを象徴している。

 今回の参院選敗北で、3年ごとに半数が改選される参院選で過半数を獲得するには、最低でも6年後となるだろう。次回の3年後の参院選だけでは無理だということは誰でも判るし、もしかしたら9年後になるかもしれない。小沢が温め描いていたシナリオは、ずっと先に持ち越されることとなってしまった。真の政権交代は最低でも6年後である。その間、任期満了による衆院選がある。解散による選挙も当然あっていい。
このような時期に67歳の小沢とすれば、立候補への躊躇いがあっておかしくない。しかし小沢は立った。
というよりも、だからこそ立った。というのが本音だと思う。
選挙のスペシャリスト小沢だからこその早めの着手を小沢は考えたと僕は見る。

 小沢の悲願は、自民党を飛び出した時から、二大政党制による政権可能な健全な政界の編成である。メディアが言うような単なる壊し屋でもなければ、壊すための剛腕ではない。いわばこの一点に捧げてきた剛腕である。
 そして政権交代の先にあるのが、明治以来120年続く官僚支配からの脱却と、アメリカ追従から対等な日米関係とアジア重視の関係の構築である。
これを阻むものと小沢はこれまで敵対してきた。最大の敵対者は、自民党などではない。
アメリカと官僚とそしてマスメディアである。
 小沢は、20年前の自民党幹事長時代から、強固な記者クラブ制度を度外視し、フルオープンの記者会見を続けている。これは画期的なことだ。メディアと官僚への挑戦でもある。小沢を古い政治家だと非難する、前原や仙谷などまだこの域にも達していない。記者クラブと官僚に取り込まれたままである。

 いずれにせよ、小沢が立った理由は、09マニフェストの実行と真の政権交代の再布石に集約されている。と僕は断言する。
真の政権交代がなければ、小沢の理念は完結しない……
年齢から言えば、小沢の理念は誰かが引き継がなくてはならないだろう。
もちろん菅政権に期待できれば、小沢は立たなかった。しかし、菅政権の実体は、小沢が嫌って出た自民党の政策に近づくばかりで、官僚にすでに取り込まれてしまった節がところどころに現れはじめ、見ていられなかった。
これは小沢だけではなく、鳩山にしても同じ思いであったろうし、09マニフェストを支持する民主党支持者から見ても目に余るほどだった。
菅をはじめ主だった大臣は、官僚に取り込まれすでに闘う気も見えない。これは僕の印象であるし、ネット上の多くの意見である。

 大手マスメディアの世論調査が行われ、代表選に立つと予想された菅と小沢の支持率結果は、軒並み菅が70~80%の高い支持を受け、小沢の支持率は、15%あたりという圧倒的な差がある。
(いずれの調査も有効回答者数は、1000人を少し超えるくらいである)
メディアも菅陣営もこの数字をもって、世論と言い、国民の声と言う。
しかし果たしてそうだろうか?

ここに面白い結果がある。ネット上でのアンケート調査である。

◇読売オンライン
小沢氏の出馬を支持するか?
支持する76% 支持しない24%

*結果が出た直後、直ちに結果を跡形もなく消してしまったところが読売らしい(笑)

さらに
◇livedoorニュース
菅首相と小沢一郎氏、どちらを支持する?(8342票)
小沢一郎60,5% 菅直人39,5%

◇Infoseek(内憂外患)twitterアンケート(1734表)
民主党代表選、あなたならどうする?
小沢一郎支持95% 菅直人支持4%

 ツイッター上でinfoseekが行ったアンケートは、小沢人気、待望感は凄まじく、菅人気の無さといったら絶望的である。これも世論の一部、国民の声の一部と言えるだろう。
しかしこうした事実はけして大手メディアからは流れない。

 ではなぜこのような乖離現象が起こっているのか考えてみよう。
大手メディアが行うRDD式という無作為抽出方法では、携帯電話しか持たない人は対象者とならないし、昼間家にいる人の回答しか得られないという欠点があり、明確な意見を持ちネットで意見を述べている人たちを拾い難いという側面がある。対象者の多くは、新聞とテレビだけを頼りにしている。新聞の論調が反映される。そして対象者の多くは自分の意見を持っていない。設問の流れに影響される。
これは、学生時代約4年間読売新聞社の世論調査部で、月に7日から10日ほどアルバイトした時の実感である。対象者の真意は世論調査では量れない。
 たとえばツイッター上で政治的な意見を交わす人たちは、新聞とテレビの報道だけに頼らない、どちらかと言えば、新聞、テレビの報道に疑問符を投げかけ、さまざまなネット上の情報を拾い集め選択し、自分の意見に活かしている人が多いことは、ツイッターをしていて実感できる。
 小沢の「政治と金」の問題。西松建設、水谷建設からの疑惑政治資金問題は、「政治資金収支報告書上の、登記の期ずれ」でしかないことは、ツイッター上の常識でもある。
 フリーランスのジャーナリスト、弁護士、元検察官、会計士などの解説を、しっかり読み、検察の国策捜査であること、メディアの不条理なピンポイント非難であると認識し、それに乗っている国民の愚かさ、思考停止状態を嘆いている。
 そうした中で、正当な小沢評価、菅評価が行われ、大手メディアの世論調査とまったく逆の結果が現出している。

 菅がなぜこれほどネット上で信頼されていないかと言えば、やはり大手メディアが伝えない事実が、フリーランスのジャーナリストや政治評論家、政治学者、政治家、経済学者、あるいはブロガーからの情報を詳細に噛砕き、自分の持っている知識や新聞、テレビからの情報を自己分析しながら自分の意見として構築しているからだ。言ってみれば、新聞とテレビだけに情報を頼っている人たちよりもそうした、自己訓練の中で、政治意識が高くなっている。
意見を人の目に晒すことはたとえ140字といえども勇気がいるし、それだけのものを内部で構築していなければできない。
必然的に真実に近寄れるようになる。そんなふうに感じている。

 菅が総理になってからの変節を大手メディアは伝えていない。だから、世論調査の支持率は高く、いわれもない「政治と金」の問題でピンポイント非難されている小沢の支持率が低いのは当たり前の話となり、ネット上では大手メディアの世論調査は、まったく信頼されていない。
そうした数字に信頼が置けないことは、次のような事実にもよる。

 菅は総理の座に就くと小沢に対し、枝野とともに「しばらくおとなしくしてほしい」と小沢を排除した。そして参院選に大敗した。大敗し憔悴した菅は小沢を頼り会おうとし、何度も電話をかけたと言われているが、小沢事務所ではそのような「会ってほしい」という電話はなかったと言われている。
電話の事実はいずれにしても、脱小沢路線は、選挙後も続いた。「挙党態勢」を一方的に菅と仙谷、枝野ラインが崩したのである。
 小沢が菅の政策を非難し始めると、菅と仙谷は「代表選に出て争うべきだ。それが民主主義だ」と言った。
小沢は代表選に出馬することを表明した。鳩山がそれを全面的に支持した。
するとどうだろう、菅は鳩山に縋り、「挙党態勢の維持」を申し出た。初めの鳩山の仲介で鳩山と小沢からいい返事がもらえなかった菅は、鳩山がロシアに立つ直前2度も電話をして再度仲介を依頼した。
 鳩山も自ら中心となり作った民主党の分裂を避けるために、伝書鳩となり、菅と小沢の間を飛び回り、挙党態勢の維持に力を尽くした。
ここに三人三様の『挙党態勢』が現出した。

 菅は小沢に重要なポストを与えて、挙党態勢を組み、自らの出馬を一本化しようとした。しかし、菅を支える、仙谷と前原、野田が、特に仙谷と前原は、「小沢に重要なポストを与えるなら支持しない」と宣告した。仙谷は「自分の首を差し出しても小沢にポストを与えることはできない」とも言った。菅は憔悴する。焦る。一本化が遠のく。

 鳩山の挙党態勢はいわゆる『トロイカ体制』が念頭にある。トロイカ体制で政権交代を可能にしたからだ。

 一方小沢は、すでに立候補声明を発し、代表選への準備をしている。問題はポストではない、選挙後の挙党態勢である。勝っても負けても、二大政党制と政権交代を崩すわけにはいかないという大局的な観点に立っていた。ここで意志の通じ合いが明確になったのは、小沢と鳩山である。
 もちろん、小沢周辺から菅に対して幹事長なり、代表代行、副総理などのポスト要求はあったはずだ。選挙の混乱を鎮めるために、そうした活動は当然生まれるし、小沢周辺でも代表選の争いを良しとしない人もいる。こうした要求に対して菅が答えたのは「最高顧問」という名誉職だと言われている。当然呑めるものではないし、その程度が菅を支える人たちの挙党態勢だった。

 三者三様の『挙党態勢』は、ぎりぎりまでまとまらず、ようやく菅は小沢と会談に辿り着いたものの、一本化は決裂し、鳩山が提唱した『トロイカ体制』の順守は、選挙前ではなく、勝っても負けても選挙後に約束するということで、民主党の分裂を防ぐこととなった。

 こうした菅の変節は、総理の座に固執した結果ともいえよう。僕にはそう見えたし、ツイッター上のアンケート結果はそれを表している。
 小沢が“変わらず生き残るためには、自ら変わらなければいけない”という想いで理念を大切にして誤解されながらも、所属を変節し20年間歩んできたのに対し、菅の変節は、総理になってわずか3ヶ月の間に生まれた、理念などどこへやら、という利己的な変節だったと思う。
 
 本来なら、参院選総括の両院総会の場で、敗北の責任として内閣の要の官房長(仙谷)、党幹事長(枝野)、選対委員長(安住)、会計責任者(小宮山洋子)を引責辞任させ、ここで挙党態勢を作るべきだった。
そうすれば、小沢や鳩山の協力も得られた可能性が高く、代表選を一本化で通過できたかもしれないし、その後の内閣改造でさらに挙党態勢を構築すれば、乗り切れたはずである。
菅は、「参院選が自らの信任の是非の場になる」とまで言い切ったのだから。

 さらに、菅の評判を落としたのは、新人議員の囲い込みともとられる面接だった。
結果的に菅支持に回るとみられる新人議員は、120数名中、23人と今のところ算出されている。
いまのところ大失敗と言える。

 つまり、菅はリーダーとしての能力に欠ける。視野が狭く近視眼的であり、難しい状況下で政権を運営し、日本の舵取りになりえない。これが僕の意見でもあり、ツイッター上に集約されている意見である。
 『短期間のうちに総理がコロコロ変わるのは、政治の空白を作ったり、政策の継続が損なわれるから、避けるべきだ』というまっとうな意見があるが、『短期間のうちにコロコロ変節する無能で信用が置けない総理は即刻退場すべきだ』という意見のほうが説得力を持つ。
 だから、小沢が立ったことに僕は歓迎しているし、修正されたマニフェストを09マニフェストに戻し、実現してほしいと思っている。
「生活第一」「対米対等」「官僚改革」「国連主義」真の民主主義独立国として、そして小沢の理念どおり「普通の国」を創造してほしいと願っている。

 いずれにせよ、目を見開き遠くを見まわすと、総理大臣として既得権力である官僚やマスメディアが歓迎するのは菅であり、敬遠するのは小沢である。というふうに感じるのは僕だけではないだろう。メディアの報道を見ても明らかである。

明日からは政策論争が始まる。メディアの論調に誤魔化されないように真実を見極めてください。
そして14日。どちらが勝っても挙党態勢であることを望みます。


武井繁明