ショパン/ポロネーズ第7番 変イ長調「幻想」/演奏:寺嶋 陸也
お盆ですね。
昨日、ご近所で世話になっている3軒の家で迎えられた新盆のお見舞いをさせていただいてから、心地よい風が吹く静かな時間の中で迎え盆を済ませました。
お盆は、盂蘭盆会(うらぼんえ)と言って、元々はゾロアスター教にも含まれるアニミズム(自然界を構成するすべてのもの、森羅万象に精霊が宿る)の精霊=ウルヴァンを鎮魂する古代イランに起源があるとされています。というかひとつの説ですが。
それがインドに伝わり、仏教の根底に流れる『山川草木悉皆成仏』(自然のすべてのものに生命が宿る)という思想と近似融合し、少しずつ姿かたちを変えながら中国経由で日本にやってきて定着した……こんな流れがあります。
また盂蘭盆会には、先祖の霊を供養するとともに、餓鬼道に堕ちた救われない霊に対しても、供物をもてなし供養するという寛容の仏教行事でもあるんですね。
自然の恵みと脅威に、もっとも敏感に生きてきた縄文時代の宗教観は、アニミズムに支えられ、神が宿る自然界を構成するものから与えられる恵みに感謝し、恵みから遠いものには、叶えられるよう救済の祈りをあげ、荒ぶる脅威に対しては鎮魂という宗教行事があり、今の時代もかたちを変えながら続いていますね。
そんな日本人のDNAに記憶されている宗教観に盂蘭盆会の思想は、抵抗なく、ごく自然に受け入れられたと思います。そして今日まで継承、持続されてきました。
なんとなくお盆になると気持ちが落ち着くのは、こうしたDNAの記憶への回帰からなのでしょうか……僕はそんなふうに思ったりします。
僕は基本的に無神論者で、人間のかたちをした神などいるわけないし、いてたまるか、と思っているし、神というものは、人間の観念が創り上げるもので、ひじょうに自分に都合の良い存在で、そうした観念が地域、民族の特質、自然環境、社会環境を反映しながら、地域、民族の融和、あるいは支配構造の骨格の重要な部分を占めながら成長してきたもの、その中核的な存在という考え方です。
たとえば沖縄の神様は、神は“受容という愛”そのものです。それは自然豊かな中で生まれ、育まれた沖縄の人たちの奥行きの深いおおらかな愛情という観念の中で創られた存在だからです。
薩摩と中国という沖縄にとっては強国の間で、厳しいながらもしなやかに生き抜いてきた。そして太平洋戦争で唯一米軍の上陸を受け、県民の4分の1もの犠牲者を出しながら、今もなお米軍の基地を抱えながら生き抜いている沖縄の人たちのしなやかさは、ひとつに宗教観が大きく影響していると思う。
いっぽう、砂漠という厳しい自然環境とその中で移動(遊牧)と迫害の中で生まれたユダヤ教の思想の骨格をなす、神との契約、選民思想にどこか理解しがたい偏狭さと特殊性を感じます。おおらかさの欠如と言ってもいいのかな。自然の恵みを受ける機会が圧倒的に少ない砂漠の遊牧民の観念の中で生まれた宗教なんだな……こんなふうに感じてしまう。
理不尽な迫害もされてきたけれど、理不尽な迫害も犯してしまうという、寛容性に欠けた宗教。アブラハムの宗教から生まれたユダヤ教、キリスト教もイスラム教にも似たようなおおらかさの欠如を感じます。
特定の神を唯一絶対神として、その神を信じる者だけが救われるという狭量さです。
こんなことから、前時代的で原始的で高名な宗教学者や現代人からあまり相手にされないアニミズムや初期の仏教は、すごく共感できる。基本的には無神論者だと言ったのはこのためで、寛容の宗教観に対してはいいな……と思う。
闘いを好まない、歴史的に宗教をめぐる対立で血を流したことが少ない平和的な仏教と天照皇大神という唯一絶対神的な神様はいるけれど、それでもアニミズムから派生した八百万の神々というものすごい大所帯の神様たちを信仰の対象としていた神道が、日本の宗教観の主流をなしていた時代は、わりと平和だったけれど、狭量な時の為政者たちによって国家支配に宗教が利用されると、その国家も宗教もたちまち歪んでしまう。
天皇を神として強制的に信仰させた明治から戦前の日本で、その宗教的核となったのが、靖国神社ですね。戦争と切っても切り離せない神社。情緒的に感情的に戦争を美化させてしまう効果を持ち続けている神社です。
元々靖国神社は、たしか大村益次郎によって、戊辰戦争の時、錦の御旗の下へ集結した官軍の戦死者を神として祀り魂を鎮めよう、という意見に対して建立された『東京招魂社』が起源で、管轄は軍部でした。
戦争で亡くなった人たちすべての魂を鎮めるための神社ではありません。
あくまで官軍、天皇の国家のために戦死した軍人、軍属、ごく一部に民間人が、英霊として、神様として祭られているという、極めて非民主主義的な神社で、本来なら新憲法発布をもってその役割を終わりにすべき神社だったのです。
しかし今も存続し建立以降、この決まりはほとんど変わっていません。
旧幕府軍や彰義隊、新撰組、奥羽越列藩同盟の戦死者。西南戦争の西郷隆盛他薩摩軍は、天皇の国家に歯向かった賊軍であり、靖国神社は受け入れません。
すべて、天皇を中心とした国家のための神社なのです。
だから、対中戦争、太平洋戦争を指揮し、侵略の限りを尽くしその国の多くの無辜な生命を奪い、戦争に駆り出された兵士、軍属、国内にいながら米軍の圧倒的な軍事力で多くの国民の犠牲者を生み出した元凶であるA級戦犯たちも英霊として祀ってしまった……変わったのはここだけでしょうか。
宗教の自由、信仰の自由は憲法によって保障されている……と靖国神社を擁護する人たちは言いますが、靖国神社の成り立ちとこれまでの歴史を考えれば民主主義の下での宗教の自由、信仰の自由と意味が異なることが判ると思うのです。
戦争で犠牲になった兵士たちの命は尊いと思います。酷い死に方だと思います。
だから私たちが行う先祖の供養と同じように慰霊されなければならない。しかしその方たちの霊を供養するのは、民主主義の下で否定された、天皇の中心の国家という概念と関わりのない、無宗教慰霊施設を国家が創り、そこで供養すべきなのです。宗教を超えた寛容の慰霊施設。けして神として祀ってはならない。尊い命として供養する。
宗教というものは、唯一絶対神的な力を持つと、時の流れの中で必ず争いが生まれます。唯一絶対的観念は、他宗教、他宗教民族、地域を異端とみなすからです。
日本もまったく根拠のない万世一系という天皇家の長を唯一絶対神として、それも現人神として祀り、絶対君主としてすべての権限を与え、国の体系の骨格としてから歪んだ国家になってしまった。明治維新は、封建制から近代国家への道を切り開いたものの、方向性を間違えてしまったようです。
歪んだ宗教を奉じた国家は歪み、その国だけではなく周辺をも貶める……
宗教は寛容がいちばんと思うお盆です。
武井繁明
お盆ですね。
昨日、ご近所で世話になっている3軒の家で迎えられた新盆のお見舞いをさせていただいてから、心地よい風が吹く静かな時間の中で迎え盆を済ませました。
お盆は、盂蘭盆会(うらぼんえ)と言って、元々はゾロアスター教にも含まれるアニミズム(自然界を構成するすべてのもの、森羅万象に精霊が宿る)の精霊=ウルヴァンを鎮魂する古代イランに起源があるとされています。というかひとつの説ですが。
それがインドに伝わり、仏教の根底に流れる『山川草木悉皆成仏』(自然のすべてのものに生命が宿る)という思想と近似融合し、少しずつ姿かたちを変えながら中国経由で日本にやってきて定着した……こんな流れがあります。
また盂蘭盆会には、先祖の霊を供養するとともに、餓鬼道に堕ちた救われない霊に対しても、供物をもてなし供養するという寛容の仏教行事でもあるんですね。
自然の恵みと脅威に、もっとも敏感に生きてきた縄文時代の宗教観は、アニミズムに支えられ、神が宿る自然界を構成するものから与えられる恵みに感謝し、恵みから遠いものには、叶えられるよう救済の祈りをあげ、荒ぶる脅威に対しては鎮魂という宗教行事があり、今の時代もかたちを変えながら続いていますね。
そんな日本人のDNAに記憶されている宗教観に盂蘭盆会の思想は、抵抗なく、ごく自然に受け入れられたと思います。そして今日まで継承、持続されてきました。
なんとなくお盆になると気持ちが落ち着くのは、こうしたDNAの記憶への回帰からなのでしょうか……僕はそんなふうに思ったりします。
僕は基本的に無神論者で、人間のかたちをした神などいるわけないし、いてたまるか、と思っているし、神というものは、人間の観念が創り上げるもので、ひじょうに自分に都合の良い存在で、そうした観念が地域、民族の特質、自然環境、社会環境を反映しながら、地域、民族の融和、あるいは支配構造の骨格の重要な部分を占めながら成長してきたもの、その中核的な存在という考え方です。
たとえば沖縄の神様は、神は“受容という愛”そのものです。それは自然豊かな中で生まれ、育まれた沖縄の人たちの奥行きの深いおおらかな愛情という観念の中で創られた存在だからです。
薩摩と中国という沖縄にとっては強国の間で、厳しいながらもしなやかに生き抜いてきた。そして太平洋戦争で唯一米軍の上陸を受け、県民の4分の1もの犠牲者を出しながら、今もなお米軍の基地を抱えながら生き抜いている沖縄の人たちのしなやかさは、ひとつに宗教観が大きく影響していると思う。
いっぽう、砂漠という厳しい自然環境とその中で移動(遊牧)と迫害の中で生まれたユダヤ教の思想の骨格をなす、神との契約、選民思想にどこか理解しがたい偏狭さと特殊性を感じます。おおらかさの欠如と言ってもいいのかな。自然の恵みを受ける機会が圧倒的に少ない砂漠の遊牧民の観念の中で生まれた宗教なんだな……こんなふうに感じてしまう。
理不尽な迫害もされてきたけれど、理不尽な迫害も犯してしまうという、寛容性に欠けた宗教。アブラハムの宗教から生まれたユダヤ教、キリスト教もイスラム教にも似たようなおおらかさの欠如を感じます。
特定の神を唯一絶対神として、その神を信じる者だけが救われるという狭量さです。
こんなことから、前時代的で原始的で高名な宗教学者や現代人からあまり相手にされないアニミズムや初期の仏教は、すごく共感できる。基本的には無神論者だと言ったのはこのためで、寛容の宗教観に対してはいいな……と思う。
闘いを好まない、歴史的に宗教をめぐる対立で血を流したことが少ない平和的な仏教と天照皇大神という唯一絶対神的な神様はいるけれど、それでもアニミズムから派生した八百万の神々というものすごい大所帯の神様たちを信仰の対象としていた神道が、日本の宗教観の主流をなしていた時代は、わりと平和だったけれど、狭量な時の為政者たちによって国家支配に宗教が利用されると、その国家も宗教もたちまち歪んでしまう。
天皇を神として強制的に信仰させた明治から戦前の日本で、その宗教的核となったのが、靖国神社ですね。戦争と切っても切り離せない神社。情緒的に感情的に戦争を美化させてしまう効果を持ち続けている神社です。
元々靖国神社は、たしか大村益次郎によって、戊辰戦争の時、錦の御旗の下へ集結した官軍の戦死者を神として祀り魂を鎮めよう、という意見に対して建立された『東京招魂社』が起源で、管轄は軍部でした。
戦争で亡くなった人たちすべての魂を鎮めるための神社ではありません。
あくまで官軍、天皇の国家のために戦死した軍人、軍属、ごく一部に民間人が、英霊として、神様として祭られているという、極めて非民主主義的な神社で、本来なら新憲法発布をもってその役割を終わりにすべき神社だったのです。
しかし今も存続し建立以降、この決まりはほとんど変わっていません。
旧幕府軍や彰義隊、新撰組、奥羽越列藩同盟の戦死者。西南戦争の西郷隆盛他薩摩軍は、天皇の国家に歯向かった賊軍であり、靖国神社は受け入れません。
すべて、天皇を中心とした国家のための神社なのです。
だから、対中戦争、太平洋戦争を指揮し、侵略の限りを尽くしその国の多くの無辜な生命を奪い、戦争に駆り出された兵士、軍属、国内にいながら米軍の圧倒的な軍事力で多くの国民の犠牲者を生み出した元凶であるA級戦犯たちも英霊として祀ってしまった……変わったのはここだけでしょうか。
宗教の自由、信仰の自由は憲法によって保障されている……と靖国神社を擁護する人たちは言いますが、靖国神社の成り立ちとこれまでの歴史を考えれば民主主義の下での宗教の自由、信仰の自由と意味が異なることが判ると思うのです。
戦争で犠牲になった兵士たちの命は尊いと思います。酷い死に方だと思います。
だから私たちが行う先祖の供養と同じように慰霊されなければならない。しかしその方たちの霊を供養するのは、民主主義の下で否定された、天皇の中心の国家という概念と関わりのない、無宗教慰霊施設を国家が創り、そこで供養すべきなのです。宗教を超えた寛容の慰霊施設。けして神として祀ってはならない。尊い命として供養する。
宗教というものは、唯一絶対神的な力を持つと、時の流れの中で必ず争いが生まれます。唯一絶対的観念は、他宗教、他宗教民族、地域を異端とみなすからです。
日本もまったく根拠のない万世一系という天皇家の長を唯一絶対神として、それも現人神として祀り、絶対君主としてすべての権限を与え、国の体系の骨格としてから歪んだ国家になってしまった。明治維新は、封建制から近代国家への道を切り開いたものの、方向性を間違えてしまったようです。
歪んだ宗教を奉じた国家は歪み、その国だけではなく周辺をも貶める……
宗教は寛容がいちばんと思うお盆です。
武井繁明