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懐かしい映像に出会った。
私の20歳代の2大カルチャーショック。
一つはインドのダムダム空港を降り立った時のカルカッタの光景。
もう一つはこの、京大西部講堂で土方 巽の”夏の嵐 ”燔犧大踏鑑暗黒舞踏を観たことだ。
その際に手に入れた京大西部講堂連絡協議会の機関誌"姦報"創刊号や海王企画発行の新聞”激しい季節”が手元に残っている。・・・・その後の人生のベクトルがチベット仏教に傾いていくが、今となっては懐かしい貴重な資料だ。
最近、夜空を見上げても星がほとんど見えない。
星と星のあいだの距離が広がり過ぎた数十億、数百億年後の膨張しきった宇宙を見ているようだ。
桂浜を目指して海岸沿いを歩いていた四国周遊の二十歳の頃、
道に迷い、海が迫った丘のミカン畑の低い潅木の間に寝袋を敷いて野宿・・・・夜中に目を醒まし、突然覚えた目の前に迫ってくる燦燦と輝く無数の星のあの時の夜空の戦慄。
手を伸ばせば届きそうな錯覚を覚えるラダックやチベット高原の夜空の星群。
子供の頃は、天の川やソ連の打ち上げた人工衛星の動きまでよく見えたものだ。
安らぎを”神”にではなく、この”広大な宇宙の無関心さ”に求めたムルソーが鉄格子越しに眺めた、燦然と輝く星を内包する夜空はもうない。
不条理の満ちた壺にさらに暗穹の蓋が覆い被せられたような重苦しさを最近感じる。