You Tubeでトルコの女性歌手Ebru Gundesにはまっている。
彼女の低音の歌声と眼差しに魅了される。
3連休。
アレクサンドロス監督の『シテール島への船出』と『ユリシーズの瞳』のビデオを観る。
東欧やバルカン半島には疎いが、単純に映像を楽しんだ。
前者は、”雨。後者は”霧・・・・の印象。
前者;
32年ぶりに亡命先のソ連から船で帰国した父スピロと、譲渡をせまられる旧自宅前で
妻カテリーナが「ここに残る」と二人が立ち並び、少しズームアウトするシーンは、素敵だった。
警察が処置に困って旧港の国際水域の艀にスピロを雨の中、置き去りにする。
カテリーナが一緒に居たいと望む。二人が艀に立ち並ぶ。ズームアウトしながらエンディング。
このシーンも印象的だった。
後で知ったのだが、
シテール島はエーゲ海、クレタ島の北西にある島で、神話では愛の女神ヴィーナスの島とされているそうな。
ロココ美術の画家アントワーヌ・ヴァトーの代表作『シテール島への船出』(『シテール島への巡礼
≪雅やかな宴≫のレプリカ)があり、影響を受けた音楽家ドビッシーの作品もあるそうな。
愛の島・シテール島のイメージに反して、映像は重く、もの哀しい。
後者;
アメリカの映画監督が故郷のギリシャに帰り、バルカン半島最初の映画作家マナキス兄弟についての
映画を作るため、未現像だという幻の3巻のフィルムを求めて、アルバニア、ルーマニア、サラエボと旅をする。
ラストの霧のサラエボの残酷な結末は予想外。
頭部をクレーンで吊るされて、船に運ばれるレーニンの彫像のシーンは、『グッドバイ レーニン』を思い出させた。
ところで、乾杯でいろんな人名をあげるシーンで突然”和子”のが出てきたが、ひょっとして、これって”川喜多和子”さんのこと・・・?
『永遠と一日』をもう一度観る。
セリフに集中した。
「明日の、時の長さは?」と、妻に問うたその答えが「永遠と一日」。
ウラニアの息子の結婚式のダンスのシーン。この後、死をまじかにしたアレクサンドレは、愛犬をウラニアに預ける。
バスに乗り込んできて演奏を創める3人の若い音楽家。????のシーン。黄色いレインコートの3人の自転車が雨の中走り行くシーンも??????。
彼女の低音の歌声と眼差しに魅了される。
3連休。
アレクサンドロス監督の『シテール島への船出』と『ユリシーズの瞳』のビデオを観る。
東欧やバルカン半島には疎いが、単純に映像を楽しんだ。
前者は、”雨。後者は”霧・・・・の印象。
前者;
32年ぶりに亡命先のソ連から船で帰国した父スピロと、譲渡をせまられる旧自宅前で
妻カテリーナが「ここに残る」と二人が立ち並び、少しズームアウトするシーンは、素敵だった。
警察が処置に困って旧港の国際水域の艀にスピロを雨の中、置き去りにする。
カテリーナが一緒に居たいと望む。二人が艀に立ち並ぶ。ズームアウトしながらエンディング。
このシーンも印象的だった。
後で知ったのだが、
シテール島はエーゲ海、クレタ島の北西にある島で、神話では愛の女神ヴィーナスの島とされているそうな。
ロココ美術の画家アントワーヌ・ヴァトーの代表作『シテール島への船出』(『シテール島への巡礼
≪雅やかな宴≫のレプリカ)があり、影響を受けた音楽家ドビッシーの作品もあるそうな。
愛の島・シテール島のイメージに反して、映像は重く、もの哀しい。
後者;
アメリカの映画監督が故郷のギリシャに帰り、バルカン半島最初の映画作家マナキス兄弟についての
映画を作るため、未現像だという幻の3巻のフィルムを求めて、アルバニア、ルーマニア、サラエボと旅をする。
ラストの霧のサラエボの残酷な結末は予想外。
頭部をクレーンで吊るされて、船に運ばれるレーニンの彫像のシーンは、『グッドバイ レーニン』を思い出させた。
ところで、乾杯でいろんな人名をあげるシーンで突然”和子”のが出てきたが、ひょっとして、これって”川喜多和子”さんのこと・・・?
『永遠と一日』をもう一度観る。
セリフに集中した。
「明日の、時の長さは?」と、妻に問うたその答えが「永遠と一日」。
ウラニアの息子の結婚式のダンスのシーン。この後、死をまじかにしたアレクサンドレは、愛犬をウラニアに預ける。
バスに乗り込んできて演奏を創める3人の若い音楽家。????のシーン。黄色いレインコートの3人の自転車が雨の中走り行くシーンも??????。
ビルの谷間風
都会の歩道の
カサカサと輪になって舞う枯れ葉
保育園児が楽しく戯れ
鬼ごっこをしているような
かわいらしさ
7日金曜日。御茶ノ水界隈へ。
気になる看板。カレーがおいしそう。今度言って見よう。
このあたりにビリヤード屋があったはずなんだが。
今日、9日。もう師走だ。関係ないけど、
アッバス・キアロスタミ監督の『トスカーナの贋作』を観る。
DVD屋のジャンル別けラベルには”ミステリー”とあったので、
イギリスの作家ジェームズが発表した本物と贋作についての新刊の講演会までは
何か美術品の贋作のミステリアスな展開を脳が予想していたが、
講演を聞きに来ていたギャラリーの女主人の案内で近くの名所を散策する段になって、
これは男女の恋愛物語かな・・と気がつきだした。
カフェの女店主に夫婦と誤解されたのを機に、15年連れ添った夫婦を演じ始めるのだが、
途中からは、すっかり本当の夫婦として見ていた。
本物と贋作を巡る議論のシーンや彼女が夫(本物?贋作?)としてのジェームズの弱さを指摘する段など
思わず身に包まされるセリフもあった。
ラストシーン。
ジェームズはイギリスに帰るのか、残るのか、
教会の二つの鐘の響きで映画は終わる。
映画って、観ているとき、
画面には在るが、意識されていない、背景の小物や装置、風景、
フレームワーク、シーンの長さとリズム、
なども面白さに関連しているんだろうな。
もう一度味わいたい作品だ。