私が向かうのは光輝くアートの世界。
3月、あるモヤッとに引きずられフツフツと怒りが込み上げてきた。
勿論、私にとっては、ちゃんとした理由あってのことだけど。
おさまりがつかない中で今日、あるストレスフルなものに触れた。
それを読んだ時、「もういいや、リリースしよう!」と決意した。
直後、久しぶりに 香りに助けて貰おうと思い、
「喜び」や「解放」や「受容」といった3本の精油を持ち出し
手のひらや、手首、胸にぬった。そしてこの作品を描いた。
描きながら、こんなことを思っていた。
人にはそれぞれ色んな想いがあるわけで、
そこに いいも、悪いもなくて、
他人様(ひとさま)の あれや これやに対し、
他人(たにん)が 口をはさむ必要も権利もまたなくて。
私のようにブログというツールに作品を載せる者もいれば、
ストレスフルでパンパンに張りつめた 心のバランスをとるために、
SNSなどのツールの場を溜まった鬱憤を発散させる場とし、
読み手のことはさておき、
不満や愚痴を当たり前に表現する人もまたいて。
色んな人の 色んな想いがあって当然のこと。
自分のことではないので 想像にすぎないけれど、
いつの日か、そうした過度のストレスから解き放たれ、
当時を冷静に振り返るゆとりがそうした方々に生れたとき、
抱えていた苦しみを かつてそうした場で吐露し続ける中で
サポーターのような 愛に溢れた、許容範囲の広い仲間達から
時に励まされ、特に受け止めてもらい、自分の心の澱を
分かち合って貰えた有難さに気づくのかもしれない。
そして、そうしたやりとりを重ねる中で
自分を保つことができたということにも気づくのかもしれない。
そしてまた、そのような場(オアシス)があってよかったと
当時を懐かしく振り返ることもまたあるのかもしれない。
そして、重ねた月日の中で成長した自分のことを
愛おしく思えるのかもしれない。