イタリアの風に吹かれて ~con te partiro~

前世(かこ)から未来(いま)へと紡がれし時の記憶
あなたと交わした約束の欠片を辿る遥かなる愛しき旅

共感力~優しさにくるまれて~

2016年03月27日 20時55分41秒 | Art (サインペン)



ここ数日、瞼がくっつきそうなくらい眠くて仕方ありませんでした。
こういう時は丹田を意識しないと霊的なものを入れてしまうことにもなりかねないので

あまりの睡魔におかしいなと思いつつも昨晩はとても早い時間にベットに入りました。
明け方、耳が痛く目が覚めました。同時に
頭痛持ちではないのに、
頭がズキズキし、
眉間のチャクラもグワングワンしました。何か嫌なエナジーが
まとわりつくといった感じです。
数日前ちよっとした不愉快な出来事があったので、
あ、もしや」と思い、そうしたエナジーに支配されるのも本意ではなかったので
心整え神棚に向かい、柏手を打ち、祝詞をあげ  あることをして
 そうしたエナジーを祓って頂きました。
嘘のようにスッキリしました。
敢えて、【祓って頂いた】という言葉を使いましたが、
私達人間は霊的感受性が強い霊能を生業とした霊能者であっても
多少霊視、霊聴がきいても、除霊や浄化も含め霊的な現象を
人間1人の力で起こすことなどできません。それは無知な人間のおごりです。

妬みとか、嫉みとか、自分の思い通りにこと運ばないことがあると、
意地悪をしたり、嫌なエナジーを相手に向けたり(所謂生霊のようなもの)
する人が時々いますが、相手のエナジーの大きさや経験値も知らずに
小手先でこうしたことをすると倍返しどころか、思わぬこととなって、
自分が向けた負の感情やエナジーは すぐにそっくりそのまま
自分へと跳ね返ってきます。

真の助言とは未熟な自分をハッと気付かせてくれる妙薬と感じます。
そのことに気付かないうちは、何でも いいよ、いいよ、と
自分の思った通りに受け入れ、動いてくれる人こそが
自分にとっての大事な人と勘違いしてしまいます。

私は企業で10年間働いていましたが、日々、多くの人と言葉を交わす中で
職場の同僚や上司、お客様を不愉快にさせないこと、
相手のことを察するということ、気持ちよく仕事をするということを
心がけ、意識して働いていました。
そして社会に出たからこそ お金を頂く大変さであり
有難さがよく分かったので貴重な経験をさせて頂いたと思っています。

お金を頂く、ということの有難さに気付いていない方というのは、
お客様に対してとても失礼な言動を平気でしてしまいますが、
本人は全く気付いていません。
お金に関わることで、最近とても驚くことが連続してありました。

それとは逆に本当の意味でのプロフェッショナルな方だな、と
感心させられた方との佳き出逢いもまたありました。
そうした方というのは人の心の機微も感じ取れるセンスがあり、
共感力も高いので、話をしていて心安らぎます。

一杯一杯になった時、この人に、と思う方に相談したり、話した時、
受け入れて下さいとは のぞんではいないけれど、ただ一言、
「気持ち、お察しします」とか「よく分かりますよ」と一旦受け止め
共感して頂くだけで、心のモヤモヤが不思議なくらいスーッと落ち着く
といった経験、皆さんもお有りかと思います。
これからの時代、「添う心」 「共感力」 「察知する」ということが
より求められると思わされます。

私達は普段肉体を纏っていますが、元々身体におさまっているのは
魂(霊魂)なので、本来、色々なことを感じ取ることができます。
日常で何かあった時、有名などこそこのカウンセラーの元に走らなくても
元々霊魂である私達は友達の「大丈夫だよ。気持ちわかるよ。」という
たった一言で心がスッと癒されるということも多々あります。
それは魂が相手の魂を癒したことに他ならないと感じます。
私達は肉体をまとっているけれど、実際は魂同士で
言葉に出さない深い部分を感じとり交流をしているように感じさせられます。

今回の私の学びは【玉石金剛】に気付くことでした。
一見とても良さそうに感じたとしても安心して無防備にすぐに自分を開示することは
とても危険であるということ。これは有難いことに指摘されてハッと気づきました。
私のある能力に関心を持ったように見えたある方は、
割と積極的に交流を求め食事にお誘い下さいましたが、「○○の話しでもできたら」
という部分に、実は少し引っかかりがありました。

また、一見、割と多くの人から支持されているような人であっても
どんなに活字に書いていることが素晴らしくてもその人が普段の生活の中で
果たして本当にそれを実践しているのか、というのは実際に
会って、話してみないと分からない部分も多いということ。

そして新たに、「あぁ、そうしたこともあるんだな」と思ったのは
幼少期から家族や友人知人に恵まれ、伸び伸びと育った人が全て
心根が優しく、相手の身になって考えられる人とイコールではないということです。
出会った方の中にそうした方がいたのですが、
今まで恐らく、自分が求め、意図したこと、意思表示したことは何でも叶えられ
認められてきたからなのでしょうか、我を抑えるとか、
周りの人の思いを汲み取る、ということは見られず、
常に自分がルールであり、それから外れた人は「もう、要らない」と
ポイと投げ捨ててしまう方がいました。
一見、周りに恵まれ さほど努力しなくても あらゆることが
トントン拍子に運び、色々なことを難なく引き寄せてしまうこうした人を、
宇宙や神に応援された人物的にも素晴らしい人なのかしら、と
ちょっと勘違いしていました。(勿論そうした方も中にはいると思いますが)
でも、実際はそうではなく、色々な過去世を経験していないからこそ、
今生で越えるテーマもそう大きくなく、自分で感じたり、考えたり
努力をしたりすることもなく、割と早い段階で色々な所からすぐに
サポートが入るんだなぁ~と思い、あることをふと思い出しました。

まやかし は 時に
 大きな光を放ち 天使の姿となって表れることも可能であるということ。

口癖は、自分はすごい、自分の親、兄弟、夫はすごい、
でも、人の話には興味ない。けれど、自分の事は一杯聞いて欲しい、
こういう稚拙な人と関わる場合は、常にこちらが冷静であり 大人でないと、
あとあと振り回されて大変なことになります。

話しがもどりますが、お金を頂く立場の人がしてはならないこと、
それは、大事なお客様に不快な思いをさせたり、
お客様の方に余計な気を使わせたり、強気の姿勢で自分の思い通りに
お客様をコントロールしようとしないこと、と感じるのです。


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